>>140 >>145
もう少し鳥瞰的な視座から見たい。

関ヶ原も両度の大坂陣もそこに集った兵たちの内実や彼等がそこで何をしたかを見れば、
必ずしも石田や「豊臣」の(或いは徳川の)自由意志や勝算勘定で起こした戦争ではないと考えることができる。
秀吉期の「豊臣」権力体が封鎖した下位権力体群の暴力を解放費消する筈だった朝鮮の戦場もまた封鎖されてしまった時、
戦国状況を生んだ与件(恒常的飢餓)が変化していない以上は再び国内にその代替が求められるのは謂わば社会の「生理的」必然だった。

そこに於ける個人の資質や意志などは無視し得るノイズでしかない。
石田三成にせよ「豊臣」秀頼にせよ、ただその歴史段階に居合わせてしまった人、というだけのことだろう。