>>119
明の滅亡の淵源は所謂「北虜南倭」による疲弊にあるとも云われている。
大清グルンの勃興は正に北虜そのものだし、
豊臣権力の朝鮮侵攻は亜細亜史的には「倭寇的状況」と呼称される運動の文脈で捉えられている。
明の権力中枢の主観は措くとしても、最後までこの二つの要素に祟られたことは客観的に否めない。
しかもこれらの外寇自体もまた各々の本国における飢餓貧困に起因する。
中世に於ける地球寒冷化の影響の深さ広さはまことに測り知れない。