豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2
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0001人間七七四年
2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう
次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします
前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/
過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0003人間七七四年
2021/08/01(日) 15:26:11.96ID:hacvwXHq豊臣政権の権力なら徳川も秀康と秀忠と四天王ぐらいに独立分割出来そうだし
島津も義久(薩摩10万石)、義弘(大隅日向10万石)、以久(種子島1万石)、忠棟(庄内8万石)、/58万石、給人分26万石+蔵入地他と分解一歩前、、、()内は直轄地
0004人間七七四年
2021/08/02(月) 23:23:46.92ID:aKvOfx54小学生でも知っとるわ
終了
0005人間七七四年
2021/08/03(火) 01:07:13.91ID:vp6lqMK7少なくとも気が弱くて秀吉に柔順とか、そういう人物ではない
0006人間七七四年
2021/08/06(金) 19:36:52.62ID:+9hPUQ+d金に対して執着してたみたいだしな
同じくブレーンだった利休も金には汚かったみたいだけど、こっちは元々商人だしな
0009人間七七四年
2021/08/06(金) 21:57:31.60ID:j0Rw08C8政権的にはそれは人望にも直結するんでかなり問題ではある、確か横領みたいな事件にもなって秀吉も冷遇することになってたしね
0010人間七七四年
2021/08/07(土) 04:16:19.12ID:sYuwmkR50011人間七七四年
2021/08/07(土) 08:31:54.00ID:Kh/6uF+Dただでさえ人材不足の政権なのに、数少ない身内の弟ですらこれではなあ
0012人間七七四年
2021/08/07(土) 10:47:12.24ID:D5OTNPc/秀次族滅後はどう考えても詰んだということでFAかな
0013人間七七四年
2021/08/07(土) 12:34:05.54ID:UBI+4rn+0014人間七七四年
2021/08/07(土) 13:08:48.86ID:0dhStpIc『豊臣家が天下の主導権を握っている状態での、豊臣政権の存続』という意味でなら
一番可能性が高い選択ではあると思うね、秀次生存は
史実の様に譜代はいないわ、一門は壊滅だわ、子飼いは深刻レベルの対立抱えてるわ、
地方大大名の制御が死ぬほど面倒だわの状況で、政権の権威の象徴たる役職にすら
就任出来てない幼児が政権のトップに立つよりは余程ましだろう
ぶっちゃけ秀吉個人の感傷や思惑を抜きにすれば、秀次が有害レベルの当主でも
秀頼就任よりずっといいと言いきっていいレベルですらあるよ
0015人間七七四年
2021/08/07(土) 13:55:18.91ID:nojJPxpRその心臓を潰した奴が豊臣殺害犯
0016人間七七四年
2021/08/07(土) 15:43:26.58ID:MNoQXgSd0017人間七七四年
2021/08/07(土) 17:22:48.32ID:UBI+4rn+秀次殺したからじゃないかという揚げ足
0018人間七七四年
2021/08/07(土) 17:37:19.96ID:wPklLkOO0019人間七七四年
2021/08/07(土) 17:40:17.91ID:0dhStpIc問題がさらに増加したことは確かだけど、元々問題が多いのは確かだよ
譜代がそもそもおらず、一門も秀次生存でも正直薄いからね
そのうえ、唐入りという超巨大プロジェクトも中途半端なままだし
おまけに豊臣政権自体が秀吉という超優秀な個人の英雄に依存する政権だったのは
正直否めないから、どう贔屓目に見ても秀吉より器量が大幅に劣る秀次では
政権運営が非常に厳しいものになるのは避けられないよ(勿論秀頼よりはマシ)
0020人間七七四年
2021/08/07(土) 17:49:42.67ID:0dhStpIcそもそも秀次後継パターンの場合、史実の奉行衆がその立場にいる事が
出来るのかどうか、少々怪しい(大老奉行制度自体がない可能性もある)
秀次は自身の家臣団を持っているから、秀吉死後は当然そいつらが政権中枢に入る
そこに秀吉側近の居場所があるかな、少なくとも肩身は狭くなりそう
秀頼の場合、本人が幼少過ぎて自前の子飼いを持てなかったから
秀吉側近がそのままスライドしただけだし(だから三成らが秀次を讒言説がある)
0021人間七七四年
2021/08/07(土) 18:58:48.28ID:t9/HxqsY反乱を抑えることができなかったんだから問うだけ無駄じゃないの
問題は秀吉の権力の継承に意義がつくかつかないかの差では
0022人間七七四年
2021/08/07(土) 19:23:41.77ID:27oZta8P朝鮮関係が非常にマズい事態になるぞ。
朝鮮が日本と講和する気になったのは「日本の支配者が秀吉とは関係ない徳川家康になったから」って報告とかが関係してる。
そうだとしても対馬攻撃の噂があったりと最悪な状態でおそらく秀次は朝鮮に行くハメになるだろうし、下手すると更に長期化した恐れもある…
0023人間七七四年
2021/08/07(土) 20:21:12.93ID:OhfZBZvs機能してたのかよって
0024人間七七四年
2021/08/07(土) 22:45:50.02ID:wPklLkOO個々で自分のナワバリ設定して勝手にやってたわけで
0025人間七七四年
2021/08/07(土) 23:16:54.70ID:F3IyOXIlっていう状態なのよね、秀吉存命時でも
そりゃまぁバレなきゃええやろの精神にもなろうよ
大坂城でも盗みやらが多発してたりと、秀吉政権は秀吉が直接見れない範囲はかなり風紀が乱れてる
0026人間七七四年
2021/08/08(日) 02:28:58.86ID:xng8j7Ft秀次政権の場合でも最大の問題は徳川家康ですからね。
何せ、当人が小牧長久手で惨敗してみるも哀れな状況で敗走したって事実がある。
ある意味史実の流れよりも、徳川にたいする風当たりが強くなると思うね。
家康は250万石で最大八万、秀次が動員して25万くらい「多分最大でそれくらい他に抑えもいるし」なら無茶な
口実でも徳川潰そうとすると思うぞ、三倍くらいだと達人ならって成るし。
家康其の儘では夜も眠れんだろ、なんせ野戦で襤褸負けした相手だ。
大坂の陣みたいに、無茶な言いがかりで徳川征伐が起きそう。
0027人間七七四年
2021/08/08(日) 03:34:00.60ID:RGTevuCCいや家康は葛西大崎一揆の時は秀次の下で彼の補佐をしていて、一揆の収拾に成功させているし
両者の関係に特に問題はなく、また秀次事件の時、秀吉は徳川が秀次に付くことを警戒していた節があり、
秀吉がそう考える程度には両者は良い関係だったということだろう。
0028人間七七四年
2021/08/08(日) 06:47:50.39ID:vtlBpCv/そうとばかりでもないでしょ
関東東北取次も家康に加えて景勝のラインもあるし
島津の検知を幽斎と三成がやっていたり
朝鮮の戦目付も各軍複数で連署していたり
時間とともに萌芽は複合化して組織は結実する過程にあった
江戸幕府の老中制だって家光の側近からの発展だから制度化や組織の熟成には時間が必要
0030人間七七四年
2021/08/08(日) 09:16:57.18ID:p7hc5b5f秀次としては、さっさと秀頼に引き継いで逃げるかどうするか。下手するとクーデターとか内乱になりますし。
0031人間七七四年
2021/08/08(日) 13:13:35.88ID:3hDWG61R結果徳川に乗っ取られて傀儡化するかもしれんが史実よりは百倍マシ
0032人間七七四年
2021/08/08(日) 13:37:23.10ID:+aflipgS秀次が素直に譲らなかった場合、秀頼は義祖父の家康を頼るだろう。
10年で政権中枢は秀次家臣団に移ってるだろうけど、
秀次家臣団で家康に対抗できるか。
史実では徳川派の最上とか伊達とかは秀次派だろう。
政権中枢から排除されてるだろう、秀吉時代の奉行衆はどう動くか。
0033人間七七四年
2021/08/08(日) 13:45:01.83ID:RGTevuCCその権威権力も限られたものにならざるを得なかっただろう。
0035人間七七四年
2021/08/08(日) 14:03:05.06ID:RGTevuCC家康を後ろ盾にせざるを得ないだろう。秀吉だってそのつもりで徳川との
縁組を様々に進めたんだろうし。
0036人間七七四年
2021/08/08(日) 15:05:43.43ID:HLQjidpF富田一白、佐々行政、寺西正勝、毛利吉成、堀田一継、石田正澄、片桐貞隆、石川光元、山中長俊、木下延重
毛利吉成だけやけに大身だな
0037人間七七四年
2021/08/08(日) 17:20:05.66ID:lwWTIHqs秀吉が秀次の後を秀頼に継がせるつもりならその方が万事都合がいいし
その一方で史実のように淀と家康の縁組を指示する可能性はありうるが
0038人間七七四年
2021/08/08(日) 18:36:23.93ID:NQKymJAuそれはまあ、そうだろうね、秀頼と千姫の婚姻は秀次事件の後に決まってるし
それどころか家康が内大臣になったのも大老奉行制度が出来て家康が筆頭大老に
なったのも全部秀次事件の後だから、秀吉が秀次の穴埋め役を
誰に求めていたかは大体想像がつく(利家も大納言に就任しているが)
0039人間七七四年
2021/08/08(日) 18:36:24.14ID:NQKymJAuそれはまあ、そうだろうね、秀頼と千姫の婚姻は秀次事件の後に決まってるし
それどころか家康が内大臣になったのも大老奉行制度が出来て家康が筆頭大老に
なったのも全部秀次事件の後だから、秀吉が秀次の穴埋め役を
誰に求めていたかは大体想像がつく(利家も大納言に就任しているが)
0040人間七七四年
2021/08/09(月) 10:19:48.56ID:nhJY1wnA秀吉も長慶信長が踏んだ段階を踏襲して天下人になった。当然その後もまた別の実力者が天下人になることは想定していたのでは
むしろ徳川がその流れを止めてまた天下人を世襲することに成功した要因を考えた方がなぜ豊臣政権が終わったのかが分かるかも
0042人間七七四年
2021/08/09(月) 14:24:55.76ID:B5qxE6Meそのための安宅冬康粛清だったり、佐久間信盛らの追放だったりするのだろうが、
結局その死後、家臣団の分裂によりその政権は崩壊した。
秀吉も秀次を排除したのは後継者を秀頼に一本化して豊臣家の分裂を回避するのが、
やはり意図としては大きかったと思うが、それでもなお家臣団は分裂した。
家康の場合は、既に元服し政務にも深く参画していた嫡子としての秀忠がいた事と、
家康の生前に既に秀忠の次の家光まで継承者として決定していたことが、政権の安定と
継続にとって大きかったのだと思う。
0043人間七七四年
2021/08/09(月) 18:21:29.02ID:2lf8Ca1G秀吉が秀次を残すルートを選んだとしても
その秀次の後に秀頼に継がす事を諦めなければ
どのみち死後に内乱コースだろうなあ
0044人間七七四年
2021/08/09(月) 18:38:14.99ID:nhJY1wnA当人が身を引く気でも代理にくっついて栄達した周りが許さない。秀次になると都合の悪い連中が秀次を積極的に排除したみたいにな
0045人間七七四年
2021/08/09(月) 19:10:37.28ID:qsTyvFj8自分の種じゃないことは淀が懐妊した時の記録的に分かってたはず
それなら秀次の方が血は繋がってるし良いのにな
0046人間七七四年
2021/08/09(月) 20:28:12.74ID:d9PumVyVいくらなんでも雑に語りすぎよ
0047人間七七四年
2021/08/09(月) 20:37:46.05ID:ZP8QvfPX後者を秀次と一緒に潰しちゃったのも問題だよな
0048人間七七四年
2021/08/09(月) 21:26:22.07ID:CuDDVwvW徳川の成功要因は権力体(共同幻想)の意志決定に於ける徹底した属人性の排除にある。
世襲将軍と雖も共同幻想を構成する一装置に過ぎないというシステムを初期のうちに強固に組み上げてしまった。
その一方、徳川家康は死に臨んで世襲の自明性を否定する訓戒を秀忠及び側近に遺したとも伝える。
ここから貴論に従って考えを遡らせるならば
羽柴「豊臣」権力体短期終焉の根本原因が属人性の排除を成し得なかったことにあるのは論を俟たない。
で、権力体がその方向へ走るに至った決定的或いは象徴的な事案は何かということを考えあぐねている。
羽柴秀吉という個人が一装置を超えるカリスマを身に纏わざるを得なくなった契機ということなのだが…、
結局は「大返し〜山崎の戦に至る経緯の非常識性」、
謂わば羽柴権力成立そのものが短期崩壊の原因であるというパラドクスに行き着いてしまう。
0049人間七七四年
2021/08/10(火) 17:46:16.68ID:2+7rr9Hh0050人間七七四年
2021/08/10(火) 18:19:56.91ID:+AlOdom30051人間七七四年
2021/08/10(火) 18:24:28.10ID:zcT3X+GE最初はもう実子は諦めて秀次に豊臣を託すつもりだったからねえ
当然秀吉死後に豊臣政権を安定させるために秀吉が信用できる家臣たちを秀次に回して組織作りさせようとするわな
そこから一転して秀次を処分した結果、関白まで譲った身内を処分したことを周囲に納得させる正当性が必要になったから厳しくやらざるを得なくなったんだろうな
0052人間七七四年
2021/08/10(火) 21:52:07.44ID:4OBR4jD7その肝心の秀頼に権威の象徴たる関白を継承できずに終わったのが痛すぎる
なる可能性がある、なれる立場である事と、実際になったは全く違うからな
というより、権威の象徴を関白にした事のデメリットがもろに出た
秀頼が就任可能年齢になる前に(前例がないという意味で)秀吉が死んだからな
この点将軍は便利なんだよな、権威の上では関白>将軍なのは確かだけど
将軍は幼少でも就任出来るっぽいんで政権の権威を維持しやすいんだよ
0053人間七七四年
2021/08/10(火) 22:23:30.51ID:f8O7jcCnいっそのこと豊臣家の家職も新設するなり独占しやすいものにすれば違ったかも
秀吉の関白就任ははたまたま転がり込んできたようなものだったし
0054人間七七四年
2021/08/10(火) 23:28:01.74ID:rA02LkwO家が作れてない以上自分一人だけでなんでもできる秀吉じゃないと治まらん
0055人間七七四年
2021/08/10(火) 23:37:57.85ID:dRCFvRE8江戸幕府でも宮様将軍制度が現実化しかけた事もあった訳だし
0060人間七七四年
2021/08/12(木) 02:46:48.15ID:zOHXECqA0061人間七七四年
2021/08/13(金) 12:50:56.75ID:pB5I4yx8ほとんど領土とかもなにも取れなかったわけだし。
遠征軍の引き上げと、慰労のための加増とか一時金とかを出して人心を惹きつけないと。
秀頼が成人してても大変な舵取りだったのだろうと思われる。
0062人間七七四年
2021/08/13(金) 14:20:38.89ID:eTTQaK660063人間七七四年
2021/08/13(金) 14:22:58.93ID:wwvJ0aSP0064人間七七四年
2021/08/13(金) 14:27:10.69ID:AP+AO8Ut遠征しない方が戦果を挙げられるチャンスを簒われたと認識した有能大名の反乱を喚起するとか思わない?
今まで拡張システムできていた矛盾が噴出したら大坂役の数倍の戦乱になってたかもしれんし
0065人間七七四年
2021/08/13(金) 18:12:40.90ID:aJXWNTqA戦争は手段であって目的であるはずもないのに。
0066人間七七四年
2021/08/13(金) 19:39:17.90ID:cIjjeDJHそりゃ大名達が以前からしょっちゅう海外遠征してた国だったらそうかもしれんが秀吉が言い出すまでまで考えもしなかったんじゃないか?
まあ元寇の後に報復で半島に侵攻するか検討はされたけど結局実行されなかっっし
0067人間七七四年
2021/08/13(金) 21:13:38.75ID:L6mwb0mW朝鮮侵攻は羽柴秀吉個人の耄碌・乱心の産物などではなくて惣無事と一体不可分の国策だった
−−という見方も有力なわけで、
その場合これが最初から「戦争を目的とする戦争」だったのは不可避のことと見るしかない。
となると、それを招来したのは惣無事の形態・方法論だったということになる。
政権倒壊の根本原因がそこにあるとすれば実に皮肉なことだと思わざるを得ない。
0068人間七七四年
2021/08/13(金) 21:13:53.06ID:1X90On/A0069人間七七四年
2021/08/13(金) 22:20:05.85ID:L6mwb0mW0070人間七七四年
2021/08/14(土) 00:09:09.25ID:NLN3viVU0071人間七七四年
2021/08/14(土) 13:47:39.25ID:L5MooL3W秀吉の目的自体も途中からぶれにブレてるよ
0072人間七七四年
2021/08/14(土) 15:57:26.18ID:JXlcS8NZ0073人間七七四年
2021/08/14(土) 16:17:28.03ID:4J+E5D3/それがなかったら今も日本の朝鮮県として存続しているよ
0074人間七七四年
2021/08/14(土) 16:21:30.30ID:JXlcS8NZ0075人間七七四年
2021/08/14(土) 16:22:02.23ID:y/K70ju8その後明が降伏したと嘘の報告をする。
何も学んでいない…
0076人間七七四年
2021/08/14(土) 16:25:05.82ID:qmMcYyN5目的はブレていない、と云うかブレようがなかったんじゃないか。
領土拡大や勝利よりも国外で戦争をすることそのものが目的だった筈だから。
惣無事とは、
中央権力体の超越的な暴力によって下位権力体群の暴力を封鎖すること−−だった。
しかし暴力の封鎖はしたが収奪・独占まではできなかった(できてりゃそれは近代国家だ)。
となると封鎖の時点で静止を強要された暴力装置群に残るポテンシャルエネルギーを何らかの形で解放・費消しなければ惣無事=「豊臣の平和」は安定しない。
その為の政策の一つが「暴力の移出」即ち朝鮮役だった。
そして確かに厖大な暴力がそこで費消されたわけだから、一般には大失敗と評される朝鮮役も政治目的については一定の成果を上げたとも考えられる。
勿論そこに現出した地獄絵図はまた別の議論だし、
「成果」を手にしたのは豊臣権力体ではない別の者だったわけだが。
0077人間七七四年
2021/08/14(土) 17:14:31.37ID:cqoeBc1N外交交渉も朝鮮は蚊帳の外だったしなあ
0078人間七七四年
2021/08/14(土) 17:37:48.07ID:L5MooL3W次の目標は講話条件が認められなくての行動とブレてるよ
海外で戦争することだけが目標でした、なんて言ってる研究者も当時の史料からそう読み取れるものもない
0079人間七七四年
2021/08/14(土) 18:24:00.96ID:qmMcYyN5表層の具象だけ切り離して見ても何も見えては来ない。
物事は根本から結果に至る構造として考えないと。
幾つかあるが、最も端的にはこれ↓かな。
https://i.imgur.com/z9QpOgE.jpg
0080人間七七四年
2021/08/14(土) 18:32:35.03ID:L5MooL3W俺は本質だけ見れてるみたいな寝ぼけた事を言い出す前に出典と実証でしょ
陰謀論者と同じ事いいだしてんじゃないよ
0081人間七七四年
2021/08/14(土) 18:39:10.69ID:qmMcYyN5藤木久志氏の『雑兵たちの戦場』。
0082人間七七四年
2021/08/14(土) 18:43:50.35ID:L5MooL3Wそこだけ切り取ると随分ロマンだけで語ってるやばい人としか読み取れないな
0083人間七七四年
2021/08/14(土) 18:56:51.58ID:qmMcYyN5黒田基樹氏『百姓から見た戦国大名』。
https://i.imgur.com/mRHhis3.jpg
0084人間七七四年
2021/08/14(土) 19:04:13.94ID:L5MooL3W秀吉がかならずしも慶長の役まで君の言ってるその海外で戦闘することが目的であるが続いてるとは頷きづらいな
0087人間七七四年
2021/08/14(土) 20:34:04.44ID:qmMcYyN5わかった。
2006年の著書だからこれが「古い」のはその通りとして、新しい認識だと;
イ) 「戦国」の定義は何か
ロ) 戦国状況は何故発生したか
ハ) 戦国状況は何故継続したか
ニ) 「戦国」は如何にして止揚されたか
の四点がどういうものになるのか御教示願いたい。
特に四点目は当スレの主旨に直結するものだから、是非。
0088人間七七四年
2021/08/14(土) 22:30:24.57ID:d70l7L/sたしかWikipediaにも藤木説への批判が載ってたよ
0089人間七七四年
2021/08/14(土) 23:49:57.06ID:dTU6GmSfその藤木説を流用してさらに酷い解釈したのが井沢元彦や百田尚樹、
総無事令は明冊封体制打破して日本新秩序によるアジア解放のためだ、
と(´・ω・`)
0090人間七七四年
2021/08/15(日) 00:05:29.81ID:GET26mK0キ印ホイホイのwikiは読みたくないが、読んだ。
これは惣無事「令」を巡る法規論の対立ですな。
要は形式論。
形式がどうあれ「豊臣」権力体がその超越的暴力による制圧(北條等)、恫喝(島津等)を通じて下位権力体群の暴力を封鎖した事実には変わりはない。
またそれ故にこそ「異なる手段における暴力の継続」(クラウゼヴィッツさんごめんなさい)とワンセットじゃなきゃならなかった、
という藤木説の本質に影響を与えるものではないんじゃないか、と。
これよりは、市村高男氏あたりがムキになって力説する権力者主導論=「喰う為の戦争」論否定の方がまだしも説得力がある。
0091人間七七四年
2021/08/15(日) 00:06:50.78ID:GET26mK0馬鹿が伝染りそうだから百田や井沢には触りたくない。
0092人間七七四年
2021/08/15(日) 00:22:11.38ID:5YRoJLc4ダメになった!
よって糞吉<<家康
0093人間七七四年
2021/08/15(日) 01:16:36.76ID:Aa7suwnr>暴力を封鎖 ←どういう意味?
0094人間七七四年
2021/08/15(日) 01:19:33.53ID:GET26mK0「暴力」という術語の定義から説明する必要があるのか、
それとも、
釣りか?
0095人間七七四年
2021/08/15(日) 01:26:42.66ID:Aa7suwnr「封鎖」ってのは辞書とおんなじ意味で使ってんの?
[名](スル)
1 出入りまたは出し入れをできないように封じ閉ざすこと。「出入り口を封鎖する」「国境封鎖」
0096人間七七四年
2021/08/15(日) 01:57:05.63ID:GET26mK0その通りですな。
惣無事はまた「喧嘩停止(ケンクワチヤウジ)」とも表現された。
必然か偶然か、喧嘩のことを「出入」と云う。
正に出入を止めること。
即ち、理由の如何を問わず戦争行為そのものの禁止。
日本国内における暴力発動主体は「豊臣」権力体以外には存在させないということ。
0097人間七七四年
2021/08/15(日) 02:02:44.05ID:GET26mK0敢えて封鎖という語を使ったのは、
暴力装置はそのままにその発動を封じ込めるという意味も込めた。
「収奪・独占までは…」というくだりで察しはつくと思うが。
0098人間七七四年
2021/08/15(日) 16:25:23.09ID:Aa7suwnr特に>>90の又書き部分とかそれってあなたの(ry
0099人間七七四年
2021/08/15(日) 16:57:09.12ID:GET26mK0>>79の写真の「むしろ国内の戦場を」以下のくだりを読めば藤木氏の論の核心部分であることは解ろうものを。
写真は同書の中の摘要部分であって実際にはかなりの紙数を費やして詳説している。
ついでに一言。
5ちゃんねるに於ける混ぜっ返しの常套句として「それ、あなたの感想ですよね」というのが乱用されているが、愚かなことだと思う。
情報提供スレ等ならばともかく、
当スレのような議論・考察スレで、どんなに稚拙だろうが浅薄だろうが自分の考えを自分の言葉で語らずしてどうしようというのか。
たとえ権威の説を引用しようともそれを咀嚼して内化した上で書くのがむしろ正道ではないのか。
0100人間七七四年
2021/08/15(日) 17:07:14.08ID:GET26mK0では当方からも質問。
証拠「十分」なところで考えられる豊臣権力体による天下一統の構造とは?
またその崩壊の構造とは?
貴論を伺いたい。
0101人間七七四年
2021/08/15(日) 17:14:30.95ID:ARi8vwyjそれなしで自分の考えお出しするようなのはそもそも議論ではないかな
むしろ摘要部分ではなく詳説の部分が重要よね、筋道こそが重要なんだから
0102人間七七四年
2021/08/18(水) 04:19:20.15ID:+FPGgiGU0103人間七七四年
2021/08/18(水) 07:53:19.10ID:/qxXa67rある意味家康でさえ後処理を失敗して、関ヶ原を招いているからな。意図的かどうかわからないけど。
並大抵の手腕では解決できない。
0104人間七七四年
2021/08/18(水) 09:05:19.61ID:8OCT2xRu戦争の元凶である豊臣の看板のままじゃ撤兵まではできても和平交渉は難航するでしょう
むしろ関ヶ原で家康が勝って対抗勢力が一掃され
明と冊封関係を結んだことがあり印象が悪くなかった源氏将軍になったことで交渉が進展したのでは
この家康の将軍就任、朝廷からのプッシュ相当あったと思うなぁ
明朝鮮からの報復恐くて早く和平交渉進めてほしかったろうし
0105人間七七四年
2021/08/18(水) 09:40:15.29ID:0Bt8DGyU0106人間七七四年
2021/08/18(水) 12:40:05.34ID:DTbvejZH秀吉が死んだ後は地獄の日程だからね。
日本には明・朝鮮人が居てそいつらが秀吉の死を本国に報告する可能性が高く、また朝鮮には明軍数十万が集結して日本軍を踏み潰そうとしているという情報もあった。
この中で家康筆頭の政府は「日本が敗走したという形にならないように撤退」するよう指示。
その結果島津が海戦で李将軍を粉砕した。
更に島津が交渉担当になって終戦交渉が始まる。
朝鮮には外交官姜より「日本の主導者は秀吉とは関係ない源家康になった」報告が入り交渉は始まったけどうまくいかない。
その内、明・朝鮮が対馬を攻撃するとの噂が流れたりするも、日本も「家康が都合の悪い前田利長・上杉景勝を朝鮮に出兵させる」と情報戦を展開する等ごたつく。
最終的にはなんとか収まったが。
0107人間七七四年
2021/08/18(水) 13:56:38.21ID:FMgvtCuF石田三成の台頭だろうね
関ケ原の戦いでも三成がいなければ豊臣軍は負けなかった
西軍VS東軍の構図は間違いで実は三成VS反三成勢力だった
0108人間七七四年
2021/08/19(木) 00:06:05.20ID:NjE6uhHz明にそんな余力は無いんじゃないかな
ただでさえ財政状況が悪かったのに朝鮮への援軍でより悪化したし
なにより日本との戦いに気を取られてるうちに満洲のヌルハチの強大化を見過ごしてしまったのが痛かった
0109人間七七四年
2021/08/19(木) 00:20:39.49ID:e+Gz/Bfu日本側からはそんな内情わからないからね
実際どうかとどう見られてたかはこれまた別
0110人間七七四年
2021/08/19(木) 00:31:04.36ID:e1J9zeci浅いなあ。
>>1への答えとして「石田の台頭」を挙げるなら、
何故それは起きたのか?
石田は「豊臣」権力体の中で如何なる機能を担う装置だったのか?
それを必要とした権力体の構造とは?
その構造は何に根差すのか?
−−と考察を進めなければ原因を論じたことにはならないだろうに。
0111人間七七四年
2021/08/19(木) 00:32:56.83ID:NjE6uhHzその辺りの危機感が余り感じられないような
0112人間七七四年
2021/08/19(木) 05:03:17.11ID:iib3BFZPこれが難しいね。
秀次自身が諦めても、秀次が率いるこういった連中が諦めない
木村重これ、前野長康、池田輝政、田中吉政、前野景定、白江成定、
熊谷直澄、粟野秀用、一柳可遊、一柳直盛、服部一忠らが引退を許さない。
だから、内紛になる可能性は高いと言わざるを得ない。
0113人間七七四年
2021/08/19(木) 05:50:42.39ID:1ygGxTBw0114人間七七四年
2021/08/19(木) 05:52:02.38ID:VHXQDnCzただ、結果論になってしまうが宗家内紛の御家騒動の方が
史実の御家滅亡よりは豊臣宗家存続の可能性はかったように思えるな
政権自体は室町と化すかもしれんが、それでも崩壊よりはマシだ
まあ我が子がかわいいってのはわかる、わかるんだが…やっぱ生まれるタイミングが
あまりにも悪すぎるよ、秀頼は
なんでよりにもよって秀次に一旦家督継承した後に誕生しちゃうかな
0115人間七七四年
2021/08/19(木) 05:54:53.55ID:1ygGxTBw明らかに高いと思うわ
なんせ秀次は跡継ぎ量産マシーンだから秀次がどうこうなっても代わりがいるから
0116人間七七四年
2021/08/19(木) 06:00:33.57ID:0Ypt9aiuヌルハチが蜂起していたら嵩にかかった交渉も出来たんだろうけど、目立った反乱が無いと中々ね…
下手すると国内のガス抜きに日本攻撃なんてする危険性もあったし(相手が暴君ほどやる可能性高い)
0117人間七七四年
2021/08/19(木) 06:33:49.33ID:2WCZeZQI皇帝自体は政治に全く関心がない万暦帝だから
日本征服なんて考えないだろうけど
政権争い次第かな
0118人間七七四年
2021/08/19(木) 11:30:01.58ID:llzufEzd秀吉が朝鮮侵攻
↓
明が主力を出して助ける
↓
満州族に勝てなくなる
↓
明滅亡
0119人間七七四年
2021/08/19(木) 15:02:43.38ID:SXOoxviZ単純化しすぎ。明滅亡の直接的な原因は崇禎帝の時代の全国的な飢饉によって国内に多くの反乱が
起こったことであり、明を亡ぼしたのは李自成。秀吉の朝鮮出兵も清の勃興も明にとっては基本的には
辺境の出来事でしか無かった。
0121人間七七四年
2021/08/19(木) 16:42:55.31ID:CJyd3eS/関白を秀頼に譲って太閤になった後で、いわゆる大御所政治を続ける選択肢もあるな。
秀頼が秀次を誅しようとしない限り、何も起こらないだろうし、秀頼が決起しようとしたところで、
秀頼付きの老臣がいない状況ではなにもできないだろう。
それとも、秀次グループとは別の秀頼家臣団を秀吉が準備するかな?
でも、豊臣家の直臣で残っているメンバーがいない。
前田をお守り役にして宇喜多とか小早川とかを側近につけて置く?
そうしたら秀次家臣団と勝負になるだろうか
0122人間七七四年
2021/08/19(木) 22:15:41.57ID:UBAiOFdO関ヶ原と同じことが起きるかもね。
関ヶ原見てもわかるけど、忠義とかよりも自分たちの都合で動いてるわけだし。
0123人間七七四年
2021/08/19(木) 22:23:08.51ID:vGBxL1aV揉め事はあるだろうね
0124人間七七四年
2021/08/19(木) 22:26:22.45ID:ppWkzTaC明の滅亡の淵源は所謂「北虜南倭」による疲弊にあるとも云われている。
大清グルンの勃興は正に北虜そのものだし、
豊臣権力の朝鮮侵攻は亜細亜史的には「倭寇的状況」と呼称される運動の文脈で捉えられている。
明の権力中枢の主観は措くとしても、最後までこの二つの要素に祟られたことは客観的に否めない。
しかもこれらの外寇自体もまた各々の本国における飢餓貧困に起因する。
中世に於ける地球寒冷化の影響の深さ広さはまことに測り知れない。
0125人間七七四年
2021/08/19(木) 22:31:52.19ID:ppWkzTaChttps://i.imgur.com/v3QEAJL.jpg
豊臣権力の崩壊を語るスレでこれに触れる書込が見当たらないのは如何なものか。
0126人間七七四年
2021/08/19(木) 23:22:26.98ID:ulTXLrQG武田氏滅亡は浅間山噴火のせい、と同じ着眼点、
それなら江戸初期元和の頃の東北大地震など災害多発を徳川はなぜ乗り切れたか、と論議したい
0127人間七七四年
2021/08/19(木) 23:39:52.55ID:ppWkzTaC正にそういう比較議論からこそ豊臣権力崩壊の要因が見えて来るんじゃないかな。
0128人間七七四年
2021/08/20(金) 00:45:30.29ID:R9Sq4sPrだからといって秀吉や清を過大評価しすぎるのもどうかと思うぞ。彼らの拡大は決して明の滅亡の主因ではない
>>126
> それなら江戸初期元和の頃の東北大地震など災害多発を徳川はなぜ乗り切れたか
全国的な合戦の停止による耕地の大拡大はやはり大きいだろうな。中世の慢性的飢餓状態の解消。
0129人間七七四年
2021/08/20(金) 04:28:07.10ID:8v7Fwg6e検地とか石高制とか一地一作人とかは既にあるものからいかに効率よく収奪するかの施策で
農地を拡げて食糧生産を増やそうという発想が見られない
そこまでいくには統治期間が短かったのかも知れないが総じて唐入りの軍役算定のための内政って感じ
0131人間七七四年
2021/08/20(金) 13:58:00.36ID:J+E5aDXd浅くはないよ
石田三成の台頭と我儘のせいで豊臣の軍勢の数多くが加藤清正側についたのだからね
その加藤清正が頼りにしたのが徳川家康
西軍の多くは加藤清正側についた
だから毛利軍は動かなかったし島津義久は関ケ原でほとんど義弘に兵を送らなかった
関ケ原の敗北は多くは石田三成の行動に起因している
特に加藤清正を巻き込んでの争いは致命的だった
ここで豊臣の家臣の清正などが離れて西軍の過半数が清正側についた
その加藤清正を取り入れたのが家康だった
0132人間七七四年
2021/08/20(金) 14:52:16.82ID:hmWhc95O0134人間七七四年
2021/08/20(金) 15:23:06.97ID:hmWhc95O0135人間七七四年
2021/08/20(金) 15:49:32.32ID:J+E5aDXd秀次の処分でも石田三成讒言説があるくらいだからね
豊臣家臣の武断派の七将の三成邸襲撃は致命的だった
この前に加藤清正に土下座して許しを請うていれば豊臣家崩壊はなかった
石田三成も関ケ原の戦いで死ぬことはなかった
0136人間七七四年
2021/08/20(金) 16:35:16.24ID:myWL8OZc問題は一体何に腹立てたんだろう。
一番あり得るのは朝鮮出兵だけど、石田三成が出たのは文禄の役だけ。
偽装和睦等あり得そうな案件は多いけど恨まれるべきは小西行長で、三成は…証拠が無いからなぁ
0137人間七七四年
2021/08/20(金) 18:12:25.35ID:sDERYnPm0138110
2021/08/20(金) 20:18:14.35ID:SMnS9ehA何を「浅い」と云われたのかも解らなかったか…。
貴公が手間を掛けて並べてくれたのは全て表層の具象だけ。
「豊臣」の如き大規模統治権力体の崩壊を語るのにその構造や統治原理を考察せずに済むわけも無いし、
ましてや史料に名前が残るような特定少数のヒト個体の営為だけを眺めていても何も見えては来ない。
そういうことを云っている。
0139人間七七四年
2021/08/20(金) 20:19:03.47ID:PVB6tacfいや浅すぎてジャブジャブ池のレベル
真田太平記を読んで、得意げに戦国を語る小学生の甥っ子レベル
0140人間七七四年
2021/08/20(金) 21:58:14.56ID:kzv27Jlb三成も秀頼も何で徳川相手に戦起こして勝てると思ったのか謎なレベルの実力差
0141人間七七四年
2021/08/20(金) 21:59:40.15ID:rX9Shp/uはぁ?何言ってんの?
浅いのはお前だろうよ?
>ましてや史料に名前が残るような特定少数のヒト個体の営為だけを眺めていても何も見えては来ない。
石田三成襲撃事件の七将は秀吉の子飼いとされる城主と言うか大名で
福島正則(尾張清洲城主)
加藤清正(肥後熊本城主)
池田輝政(三河吉田城主)
細川忠興(丹後宮津城主)
浅野幸長(甲斐甲府城主)
加藤嘉明(伊予松山城主)
黒田長政(豊前中津城主)
だからな
みんな名のある武将だぞ
それプラス(七将+脇坂安治、蜂須賀家政、藤堂高虎)
の説もある
何処をどう見れば特定少数なんだよ
実際に石田三成はあちこちに逃げ回っていた
最後には家康に助けてもらう始末
どこが浅い事件なんだよ
>>139
マジでお前の方が浅いわ
逆に呆れるわ
0142人間七七四年
2021/08/20(金) 22:01:31.96ID:rX9Shp/uしかしお前は何を偉そうに人さまに意見しているのやら
マジで浅いのはお前自身なのにな
0143人間七七四年
2021/08/20(金) 22:08:51.34ID:rX9Shp/uまあ三成が豊臣方の将を敵に回さなければ家康にも負けなかったものを
豊臣方の有力武将を分断させた三成
加藤清正らを特定少数武将とか言う小学生並みのバカが現代もいるからどうしようもないけどな
0144110
2021/08/20(金) 22:16:09.94ID:SMnS9ehA真性の脳味噌鏡面仕上げだったか。
たださえ浅い池を自分で干拓までしてやがる。
一言だけ忠告しとく。
歴史系の板じゃなくてゲーム板か文学板に行った方が幸せになれるぞ。
0145人間七七四年
2021/08/20(金) 22:40:25.62ID:ryfgzzs+関ヶ原は三成の発案では無い、って話もあるが兎にも角にも上杉討伐と関係しとる。
徳川はこの時点で前田も勢力下に組み込んで圧倒的な勢力になってる。この上上杉までやられたらもう反徳川勢力に勝ち目は無い。
つまり、勝算があるギリギリのラインで戦争して負けた、って話なのだ。
0146人間七七四年
2021/08/20(金) 23:05:33.32ID:SMnS9ehAもう少し鳥瞰的な視座から見たい。
関ヶ原も両度の大坂陣もそこに集った兵たちの内実や彼等がそこで何をしたかを見れば、
必ずしも石田や「豊臣」の(或いは徳川の)自由意志や勝算勘定で起こした戦争ではないと考えることができる。
秀吉期の「豊臣」権力体が封鎖した下位権力体群の暴力を解放費消する筈だった朝鮮の戦場もまた封鎖されてしまった時、
戦国状況を生んだ与件(恒常的飢餓)が変化していない以上は再び国内にその代替が求められるのは謂わば社会の「生理的」必然だった。
そこに於ける個人の資質や意志などは無視し得るノイズでしかない。
石田三成にせよ「豊臣」秀頼にせよ、ただその歴史段階に居合わせてしまった人、というだけのことだろう。
0147人間七七四年
2021/08/20(金) 23:20:43.72ID:BZW0OCL2はぁ?人をさんざんバカにした癖に
そんな曖昧な意見しか述べる事ができないとはな
アホ相手にして損したわ
0148人間七七四年
2021/08/20(金) 23:23:32.14ID:BZW0OCL2ろくな反論もなく相手を罵るだけのお前に言われたくないわ
投稿も極めてあいまいなアホのような意見しかねーし
0149人間七七四年
2021/08/20(金) 23:24:31.14ID:BZW0OCL2お前はもう少し具体的な投稿をしろよ
マジでくだらんのな
0150人間七七四年
2021/08/20(金) 23:39:49.82ID:hmWhc95O本家の信任すら受けてないし
どこまで行ってもクーデターの軍だよね
0151人間七七四年
2021/08/21(土) 00:16:35.23ID:8mS8AXOcキミの七将襲撃の話が、既に小説じゃん
元史料を教えてよ?
三成が逃げまわってたって、何に記載されてんの?
0152人間七七四年
2021/08/21(土) 00:28:56.29ID:uyAtJqO3もう>>141くんのことは放っといてさしあげなさい。
まだ中学校は夏休み、要するにそういうことだ。
0153人間七七四年
2021/08/21(土) 00:33:30.40ID:gNNU6BpGなんでこんな事も知らないバカがここにいるのかな?
小学生以下のアホが一々日本の歴史に口出すなよ
0154人間七七四年
2021/08/21(土) 00:35:22.97ID:gNNU6BpG俯瞰的とか、お前何様
なーんも知らんただの恥知らずのバカの癖に
0156人間七七四年
2021/08/21(土) 00:52:23.37ID:O+nMxdptほんとえっ、それ創作だったのかみたいなの多いから
0157人間七七四年
2021/08/21(土) 01:04:31.94ID:cQDwS0uU0158人間七七四年
2021/08/21(土) 01:07:17.86ID:8mS8AXOc回答になってないよ?
そういう煽りは回答してからでないとみっともないよ。
では2回目ね。
元史料を教えてよ?
三成が逃げまわってたって、何に記載されてんの?
0159人間七七四年
2021/08/21(土) 01:22:17.84ID:gNNU6BpGお前な、人様の投稿にさんざんケチつけてその口のきき方はないぞ
まずは謝罪して教えを請えよ
0160人間七七四年
2021/08/21(土) 01:25:27.88ID:cQDwS0uUお前が聞かれたことをちゃんと書き込めば相手も尊敬してくれるよ。
出来なきゃただただ馬鹿にされるだけだ。
0163人間七七四年
2021/08/21(土) 12:26:25.82ID:05Skcs02横からだけど、
慶長四年閏三月四日に石田三成は大坂から伏見に移動していることが、言経卿記・卜斎記に記されてる。
この時、三成には伏見に公務があった形跡は無いしまた移動する理由もない。
この理由を慶長著聞集では「三成を襲撃しようという計画を知って伏見に逃げた」と記してる。
おそらくこれは真実だろう、というのが笠谷氏の主張だけど
三成には伏見に来た後立て篭もり事件を起こしてる。大坂から逃げたというのは間違いなかろう。
0164人間七七四年
2021/08/21(土) 12:28:12.76ID:KPD2SlhH石田三成邸襲撃事件も知らないバカのお前がチョンだろうが
アホは黙っていろ
0165人間七七四年
2021/08/21(土) 12:46:07.61ID:KPD2SlhHそれでよく関ケ原の戦いの勝敗の原因とか語れるよな
バカの書いた投稿なんてアホ丸出しだし 例えばこれ → >>146
0166人間七七四年
2021/08/21(土) 12:50:46.86ID:UapbzAUE0167人間七七四年
2021/08/21(土) 12:56:43.57ID:O+nMxdpt0168人間七七四年
2021/08/21(土) 13:18:21.42ID:KPD2SlhH0169人間七七四年
2021/08/21(土) 13:23:15.97ID:O+nMxdpt0170人間七七四年
2021/08/21(土) 13:26:00.86ID:O+nMxdpt誰それの研究を基にしてますあるいはこの史料を基にしてて史料の信憑性はこう担保されてます、程度は出せないと
0171人間七七四年
2021/08/21(土) 18:31:06.74ID:05Skcs02そんなの言い出す奴は歴史が好きっていうより降霊術とかのオカルト好きだと思った方が良いよ。
この史料にはこう書いてある、っていうのを他の史料を提示して説を擦り合わせるのが歴史好き。
写真も無い時代の史料が噂話だろとか言い出したら歴史を語ることは不可能になる。
例えば三成が逃げ込んだのは伏見の自分の屋敷だった話だけどこれも「噂話」として本当は家康のところに逃げ込んだんだ!って言えるようになる
そうしたらもうメチャクチャよ。
0172人間七七四年
2021/08/21(土) 18:37:04.82ID:O+nMxdptどうして一度指摘されたことをろくに直しもしないでもう一度言い出したの?
0173人間七七四年
2021/08/21(土) 18:39:29.27ID:2oZ3rl14> この史料にはこう書いてある、っていうのを他の史料を提示して説を擦り合わせる
最近はそれに理工系の学術成果も、かな。
1990年代以降、気象学、地質学、生物学、材料工学などの御蔭で戦国時代を考えるパラダイムは劇的に変わった。
0174人間七七四年
2021/08/21(土) 20:00:26.79ID:05Skcs02史料提示してるならもうそこで主張側の仕事はお終いだし。
批判する方が史料を持ってきて初めて擦り合わせる事になる。
研究家はおろか小説家だってそうするさ。
0175人間七七四年
2021/08/21(土) 20:24:58.73ID:PTPrXFGK自分で出した史料の信頼性は検証しないのかよ
0176人間七七四年
2021/08/21(土) 20:34:33.23ID:O+nMxdptそれらをずっと無視してる時点で批判もろくに聞く気がない、自分の主張に酔ってるだけって言われて然るべきじゃないか?
0177人間七七四年
2021/08/21(土) 21:05:45.07ID:m4n2F3SXつまり実際の戦闘はないからな
日記などには書かれていないケースもあるのは仕方ないよな
まあでもいろいろなものにこの件は記述されているからな
七将の三成襲撃事件はあったとして問題なのはその七将が誰かであろうよ
七将は『関ヶ原始末記』を典拠とした説で、『徳川実紀』などでも同様の構成である。
『慶長年中卜斎記』では池田輝政が消えて脇坂安治が加えられている。
1599年(慶長4年)閏3月5日付徳川家康書状の宛所と比べてみると池田輝政と加藤嘉明が除かれ、新たに蜂須賀家政(阿波徳島城主)、藤堂高虎(伊予宇和島城主)が加えられている。
『義演准后日記』の慶長4年閏3月10日条には、石田三成の佐和山城隠居にかけて、「大名十人とやらん、申し合わせて訴訟すと云々」と記されている。
この事件は西軍のやる気のなさと中途半端な態度を取った大名らの理由つけにもなる
0178人間七七四年
2021/08/21(土) 21:12:34.25ID:m4n2F3SX殿様逝去三日の七時より世上騒出
『言経卿記』
「一昨日ヨリ大坂ニ雑説有云」「大野伊兵衛尉大坂ヘ下向也トテイトマコイニ來了、雑説ニ付テ下也云 」(3月29日)
「石田治卩少輔入道、去四日ニ大坂ヨリ伏見へ被行也云 、今日も騒動了」
石田三成は伏見に逃げて家康により和談が成立。
三成は五奉行の座を退き、閏3月10日、佐和山城に帰城した。
0179人間七七四年
2021/08/21(土) 21:22:08.32ID:m4n2F3SX細川忠興はこの事件前に家康より豊後国内に6万石を加増されていた
また事件の前の年
徳川家康は同年10月から12月にかけて京極高次、細川幽斎ら諸大名を訪問した
また水面下で福島正則、黒田長政、蜂須賀家政ら武断派諸侯と婚姻関係を結ぼうとしていた。
0180人間七七四年
2021/08/21(土) 21:22:18.55ID:PTPrXFGK大徳寺と信仰あったみたいだしそこかな
0181人間七七四年
2021/08/21(土) 21:30:03.18ID:O+nMxdpt0182人間七七四年
2021/08/21(土) 22:24:04.92ID:Wj60DTnp黙れよ。お前みたいな臭い爺さんは糞して寝ろ
0183人間七七四年
2021/08/21(土) 22:49:10.51ID:Vev2XlFr研究と史料の関係は裁判と証拠の関係に近いんだわ
関係あるように見える事例「だけ」引っ張ってきてほら、疑惑あるでしょは通らんのよ
直接仕組んだとわかるものもないのにその手のことするのは、いわゆる陰謀論でしかないの、わかる?
0184人間七七四年
2021/08/22(日) 00:04:19.61ID:lMbOne4C提示されてる史料が現代、若しくは戦前の陸軍研究所とかが作ったものとか、幕末期なら兎も角
言経卿記にしろ卜斎記にしろ同時代の史料だから疑う事が難しい。
確かに、それらは伝聞情報かもしらんがこの時代の史料は当事者(徳川や毛利、七将らの史料)を除くと伝聞なのは当たり前。「伝聞だから」で排除してたら研究の余地は無くなる。小説家は喜ぶかな?
最近は小さなところをつついていかにも史料批判してます、みたいななんちゃって研究書が多いけどそのレベルにはなりたくないね。
0185人間七七四年
2021/08/22(日) 00:19:02.17ID:eE9x7ffd実にくだらん言い訳
反論するなら物証を持ち出すなり、矛盾点を指摘するなりで反論しろよ
関係あるように見える事例を否定できるだけのものでも引っ張って来いよ
0186人間七七四年
2021/08/22(日) 00:24:34.13ID:fS71jaS9>細川忠興はこの事件前に家康より豊後国内に6万石を加増されていた
>また事件の前の年
>徳川家康は同年10月から12月にかけて京極高次、細川幽斎ら諸大名を訪問した
>また水面下で福島正則、黒田長政、蜂須賀家政ら武断派諸侯と婚姻関係を結ぼうとしていた。
それとこの事件とどう関係があるのか、お前の脳内ソース以外の理由を述べよ
0187人間七七四年
2021/08/22(日) 00:37:41.09ID:4C/tKuemそして伝聞情報に明らかに事実と異なる情報が混じってるレベルの情報を、信用できるとするなら補強史料なりが必要だろうが、それを持ってこない時点でやっぱり牽強付会に過ぎる
伝聞だから駄目なんじゃなく伝聞な上に正確な情報じゃないのがわかってるものをゴリ押ししてるからだめって言ってんの
0188人間七七四年
2021/08/22(日) 01:40:20.48ID:eE9x7ffdだからお前の抽象論なんざどうでもいいんだわ
何処がどうデタラメなのか指摘してみろよ
0189人間七七四年
2021/08/22(日) 01:51:56.74ID:4C/tKuemこれが関係するんですと言い張るならそれを証明する史料を出さなければならない、少しはものを考えてから喋りなさい
0190人間七七四年
2021/08/22(日) 01:54:45.12ID:4C/tKuemそのレベルの話をお前はわからんと喚いてるんだよ、クソガキ
0191人間七七四年
2021/08/22(日) 02:20:00.36ID:6YaV1PoD三成が大阪から伏見に移動したことを、『逃げた』と小説よろしく解釈しただけの話だわな
0192人間七七四年
2021/08/22(日) 02:34:12.44ID:eE9x7ffdまあ代表的な事件だけ出しておいたけどわからなかったようだね
しかしお前はマジでなーんも知らないのな
屁理屈だけは御大層なものだが
ただ代表的な4人と家康との交流だけ書いておくな
その他の3人も似たり寄ったりだけどな
加藤清正
慶長3年(1598年)、秀吉が死去すると、五大老の徳川家康に接近し、家康の養女を継室として娶った。
慶長4年(1599年)3月28日、前田利家が死去すると、福島正則や浅野幸長ら七将の一人として石田三成暗殺未遂事件を起こし、これに失敗するとさらに家康への接近を強めた。
福島正則
正則は石田三成らと朝鮮出兵を契機としてその仲が一気に険悪になり、慶長4年(1599年)の前田利家の死後、朋友の加藤清正らと共に三成を襲撃するなどの事件も起こしている。
この時は徳川家康に慰留され襲撃を翻意したが、その経緯から家康の昵懇大名の一人となる。
また、姉の子で正則の養子になっていた正之と家康の養女・満天姫との婚姻を実現させた。これは諸大名の私婚を禁じた秀吉の遺命に反するものだった。
細川忠興
文禄4年(1595年)の秀次事件では、秀吉の甥・豊臣秀次に借金があったために秀吉に嫌疑をかけられたが松井康之が奔走し、金子を用立て秀吉に返納した。この時に金子用立てに力を貸したのが徳川家康である(『細川家記』『松井家譜』)。
慶長3年(1598年)8月に秀吉が死去すると、石田三成らと対立し、徳川家康に誼を通じた。慶長4年(1599年)には加藤清正・福島正則・加藤嘉明・浅野幸長・池田輝政・黒田長政らと共に三成襲撃に加わった。
同年、豊臣家の大老の筆頭であった家康の推挙で、丹後12万石に加え豊後国杵築6万石が加増され、城代として重臣の松井康之・有吉立行を置いた。これにより、都合18万石の大名となった。
徳川家康からの「味方につけば丹後の隣国である但馬一国(10万石)を進ぜよう」という言を受け慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与した。
このとき、豊臣恩顧の有力大名である上、父と正室が在京していたため、その去就が注目されたが、東軍に入ることをいち早く表明したため、他の豊臣恩顧の大名に影響を与えたと言われている。
黒田長政
慶長3年(1598年)8月、秀吉が死去すると、三成ら文治派との路線対立から五大老の徳川家康に接近し、先に結婚していた蜂須賀正勝の娘・糸姫と離別し、家康の養女の栄姫(保科正直の娘)を新たに正室に迎えた。
慶長4年(1599年)閏3月、前田利家が死去すると、長政は福島正則や加藤清正ら武断派(いわゆる七将)と共に三成を襲撃した。この頃、根岸兎角ら優秀な鉄砲の遣い手を多数召抱えている。
0193人間七七四年
2021/08/22(日) 02:36:29.54ID:eE9x7ffdただのバカだろうよ
話すだけ時間の無駄だと理解したわ
0194人間七七四年
2021/08/22(日) 02:56:20.57ID:4C/tKuem歴史僕こんなに知ってるよって浅い知識でイキる前にまず、論理的思考くらい培ってから人と喋ろうとしな
ここの人間はお前が言ってる程度のことは知った上で、それらはよく言われるが本当に正しいか、史料の信憑性や研究の動向を追って喋ってるんだわ
んで、その程度のことを知ってるのもスレ遡って読んでりゃわかる程度のことなんだわ
研究読まないスレがどういう流れを踏まえてるのかも知らないでバカ晒してるの、みっともないよ?
0195人間七七四年
2021/08/22(日) 03:37:31.67ID:eE9x7ffdだからな、交流とかいうレベルじゃねーんだよ
マジでアホだよな、お前は
家康は文禄4年(1595年)8月に禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行っているんだよ
豊臣秀吉の死後、内大臣の家康が朝廷の官位で最高位になり、また秀吉から「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という遺言を受けていたため五大老筆頭と目されるようになる。
また生前の秀吉により文禄4年(1595年)8月に禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行う。婚約した娘は、全て家康の養女とし、その内容は次の通りである。
伊達政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝。
松平康元(家康の甥)の娘と福島正之(福島正則の養子)。
蜂須賀至鎮(蜂須賀家政の世子)と小笠原秀政の娘(家康の外孫で養女)。
水野忠重(家康の叔父)の娘と加藤清正。
保科正直の娘・栄姫(家康の姪で養女)と黒田長政(黒田孝高の嫡男)。
0196人間七七四年
2021/08/22(日) 03:44:25.19ID:4C/tKuemこんだけ言われてるんだから少しはスレ遡ってどんな話あったのか確認する程度のオツムもないの自分で証明してくれてありがとね
そもそも政務任された家康がその補強のために行う婚姻はおかしくないって主張する本多隆成氏などの研究者もいるんだわ
その上で、三成襲撃に直接関わったと確認できる史料なんかねーだろって話もしてんの
0197人間七七四年
2021/08/22(日) 03:48:56.96ID:4C/tKuem性根叩き直してから出直してこいクソガキ
0198人間七七四年
2021/08/22(日) 09:21:32.70ID:lMbOne4C無かった事は間違いない。
何故なら三成は閏三月四日に伏見に逃げており
大坂の襲撃は失敗してるから。
存在しない人間は襲撃できない。
三成が伏見に逃げ込んだ理由は襲撃計画を知ったからという逸話以外存在しない以上、これを前提にするしかない(また、それ以上説得力のある説が存在しない)
またこれは単純な訴訟沙汰でも無い。
伏見で三成は毛利に挙兵依頼、立て篭もり、小規模な軍事行動とかなり危険な活動に立てる。
そして京・大坂は武装兵が溢れて危険な空気になっていた。
0199人間七七四年
2021/08/22(日) 11:02:19.21ID:q4hZyetsなぜその辺りに明確な反論をしないで自分の願望だけを垂れ流すの?
議論をしたいんじゃなく思い込み垂れ流したいだけなら荒らしと変わらなくね?
0200人間七七四年
2021/08/22(日) 11:16:41.37ID:QXXDf3d+キミって、前スレで散々嘘ついて、史料・論文を一つも出さないで独り言を繰り返してる人だよね?
使ってるフレーズですぐわかる
0201人間七七四年
2021/08/22(日) 12:59:30.75ID:EoK20DaXこの書状(46号書状か)を慶長五年とするのは白峰氏なんだろうが、無理がある。
一つ目は、この書状が西軍蹶起の挙兵だとすると毛利が主導者だった証になる。そんな危険な書状を毛利が残すだろうか。
二つ目に、当該書状では三成が小西と寺澤を輝元に送っている。佐和山で謹慎していた三成がどうしてこの二人を送れたのか。
仮に友情が三成を助けたとしても、問題がある。
ここにある寺澤は寺沢正成の事だろうが、彼は確かに小西の友人ではあるが慶長四年四月から徳川派に転向してる(関ヶ原では東軍に与する)
そんな男を急使に立てるだろうか。三成らが見抜けてなかったとすると要は西軍の挙兵は徳川の周知だった事の証拠にはなるので確かに小説の題材にはなるが…
三つ目は、この書状では「増田長盛が昨日、徳川と上杉の縁辺が整ったと言ってきた」とある。
慶長五年六月だとすると上杉討伐が決定されていた筈でこんな話がくる筈が無い。長盛が嘘を言ったとしてもそんな嘘を言う理由は相当難しい(敢えて考えると、西軍蹶起を止めようとしたのだろうか)
この様な点から、慶長五年ではなく慶長四年に書かれたものであろう。
伏見に逃げた三成からの挙兵要請を受諾していてもそこまで問題は無いからである。何しろ敵の七将は武力行使をしてるんだからね。
0202人間七七四年
2021/08/22(日) 13:20:08.34ID:lMbOne4C彼がこの書状を1600年とするのには、
一つは関ヶ原は毛利が主体となってるという主張。
それよりも大きいのは、関ヶ原の西軍挙兵は徳川の策謀の結果であるって言うことか。
何しろ東軍の寺沢が三成らと行動してたんだ。
だから上杉討伐は家康の陰謀だと。
このスレでもそういう主張の人が多いってことなんかなぁ。
0203人間七七四年
2021/08/22(日) 13:28:52.86ID:3vnVdW6B> >>199
> この書状(46号書状か)を慶長五年とするのは白峰氏なんだろうが、無理がある。
> 一つ目は、この書状が西軍蹶起の挙兵だとすると毛利が主導者だった証になる。そんな危険な書状を毛利が残すだろうか。
> 二つ目に、当該書状では三成が小西と寺澤を輝元に送っている。佐和山で謹慎していた三成がどうしてこの二人を送れたのか。
> 仮に友情が三成を助けたとしても、問題がある。
> ここにある寺澤は寺沢正成の事だろうが、彼は確かに小西の友人ではあるが慶長四年四月から徳川派に転向してる(関ヶ原では東軍に与する)
> そんな男を急使に立てるだろうか。三成らが見抜けてなかったとすると要は西軍の挙兵は徳川の周知だった事の証拠にはなるので確かに小説の題材にはなるが…
> 三つ目は、この書状では「増田長盛が昨日、徳川と上杉の縁辺が整ったと言ってきた」とある。
> 慶長五年六月だとすると上杉討伐が決定されていた筈でこんな話がくる筈が無い。長盛が嘘を言ったとしてもそんな嘘を言う理由は相当難しい(敢えて考えると、西軍蹶起を止めようとしたのだろうか)
> この様な点から、慶長五年ではなく慶長四年に書かれたものであろう。
> 伏見に逃げた三成からの挙兵要請を受諾していてもそこまで問題は無いからである。何しろ敵の七将は武力行使をしてるんだからね。
こういう反論を本来は>>202が自分で出さないから揉めた訳でしょ
0206人間七七四年
2021/08/22(日) 15:05:35.22ID:Vv0N6yKH伊達政宗除いて残りは7将候補だからな
十分に間接的な関与はあるだろうな
頭に血が上るとまともな判断ができなくなるよ
0207人間七七四年
2021/08/22(日) 15:23:32.00ID:4C/tKuemそれをわざわざ七将のみ書き立ててほら関係してるでしょは通らないと言っている
頭に血が登るではなく、ろくな証拠にもならないもので断言するアホに憤ってるだけ
0208人間七七四年
2021/08/22(日) 15:28:56.48ID:4C/tKuemそれも出さないで自分の主張に都合の宜しい部分だけ書き出してるののどこが客観的な書き方なの?
それとも都合の悪い文書は全部家康が消したんだ!だから証拠ないけど俺ならわかるとか例え話みたいなこと言い出す気か?
0209人間七七四年
2021/08/22(日) 15:37:57.51ID:Vv0N6yKH0210人間七七四年
2021/08/22(日) 15:56:39.83ID:4C/tKuem0211人間七七四年
2021/08/22(日) 15:57:48.46ID:cA3dA6Tf研究者の著書や論文の名前出して、自分に都合の良い嘘ばっかり言ってる人もいるけど、あなたの場合はそもそもそういった書籍すら読んでないでしょ?
0212人間七七四年
2021/08/22(日) 18:31:46.26ID:sCArQQmT0213人間七七四年
2021/08/22(日) 21:12:50.44ID:AipCPV8Yゲームやらマンガやら、低俗なメディアの影響だろうよ。
0214人間七七四年
2021/08/23(月) 08:32:42.59ID:txERweLvでもここ5ちゃんねるだぞ
何で君は研究室で勉強してないの?
どこ大学のどこの研究室やゼミなの?
0215人間七七四年
2021/08/23(月) 09:35:48.29ID:EEluWxxUつかせめて窘められたら素直に引っ込めよ
0216人間七七四年
2021/08/23(月) 09:38:06.99ID:EEluWxxU0217人間七七四年
2021/08/23(月) 09:59:47.70ID:6i7lUYrdいや、マンガとか小説とかゲームの武将キャラの話がしたいなら別板で好きなだけどうぞ、って話だよ。
少なくとも、史実に基づいた話をしたい人が、あーでもないこーでもないと楽しんでるわけだから。
0219人間七七四年
2021/08/23(月) 13:02:50.19ID:Yyafiic2交流はともかく合議による合意を得ない大名家同士の婚姻は伊達政宗除いて七将だけだからな
その反論は普通に通らないぞ
0222人間七七四年
2021/08/23(月) 14:33:31.40ID:yrQSmrX3婚姻止められたのを遺恨に思って自発的にしたかもしらんし
それだけだと因果関係の証明になってねーよ
直接仕組んだとわかる史料はないんだろ?
0224人間七七四年
2021/08/23(月) 21:46:11.06ID:WzDgOQzt史料にこだわるね
そんなに都合よく何もかもが資料になるかよ
俺は家康が七将に三成襲撃を命じたとは一言も書いていないからな
誤解はするなよ
ただこの時期に反三成派の七将らと家康が接近して理解を示していると言いたいだけだ
0225人間七七四年
2021/08/23(月) 21:48:26.63ID:txERweLvいや研究とかだったら大学でしろよここは5ちゃんねる
別の板も何もここでやる板なんだからw
お前ひとり浮いてるんだよ
0226人間七七四年
2021/08/23(月) 21:50:50.85ID:EEluWxxUこの話は元々七将襲撃を家康が仕組んだとか言い出したのから始まってるんだから
あと史料にこだわるのが研究の基本やから、なんでもかんでも都合よく史料になるかよじゃなくそういう史料がない限り断定しないのが研究の常道よ
0227人間七七四年
2021/08/23(月) 21:53:09.89ID:EEluWxxUなんで研究は大学だけとか研究は趣味にならないとか勝手に思い込んでるかしらんが
0229人間七七四年
2021/08/23(月) 22:07:24.39ID:aKufHPs70230人間七七四年
2021/08/23(月) 22:09:43.96ID:txERweLv何でレベルの高い人間が研究室ではなく5ちゃんねるでマウントとっているんだw
>>229
他人の言葉じゃなくて自分の思考で述べることできない雑魚に何言われてもなぁw
0231人間七七四年
2021/08/23(月) 22:17:17.60ID:VeaKmJJbこの話自体が不毛だよね?
そもそもこの議論いる?
議論してるのなら、要求されたものを出せば問題ないのでは?
出せないなら引っ込むべきだし、『5chなんだから難しい事いうな』というのはおかしいと思うよ。
0232人間七七四年
2021/08/23(月) 22:30:15.55ID:eVj2fSGh全くだな
学問カテゴリの歴史板と違って、なぜここが趣味カテゴリの板なのか判ってない奴が多すぎるわ
あと研究の常道というのも全然違う、日本の歴史学者(日本限定ね)がそれに凝り固まってそう思い込んでるだけ
これには理由があって明治時代のお雇い外国人で歴史学者のリースがたまたまランケの弟子だったため極端な文献史料至上主義者だったから
このリースに教わって、この手法こそ唯一絶対正義だと刷り込まれた者がまた別の場所で歴史学を教えるという感じでこの手法だけが広まり
それが一旦権威となって固まってしまうと外圧無しには覆せなくなる日本人の悪癖もあってずっと続いてるだけ
日本史ってのはそれ自体が当然ながら日本だけのガラパゴス分野なので130年前の呪縛が未だ溶けてない
この点世界史はだいぶマシなんだけどね、世界の歴史という分野の性質上、他国の歴史学者の研究も無視できないわけで
実はランケ学派が欧州ではかなり批判されてることや、その批判的な立場の学者の研究も入ってきて、
本当にリースのこの手法でだけ良いのだろうか?他の方法もあるんじゃないか?と問い直すことも出来た
一番馬鹿馬鹿しいのが
仮に明治に最初に来日したのがリースじゃなくて他の学派の学者だったら、ここの奴等も今頃別の事言ってるだろうってことw
なんなんだろうね、自分が学生時代に教わった手法が唯一無二の絶対正義で絶対ここから動かないぞみたいな発想
権威主義なのかね?130年前の欧州でも実は権威のひとつにすぎないのにね、たまたま日本に伝わったのがそれだったというだけの話でさ
0234人間七七四年
2021/08/23(月) 22:44:51.99ID:EEluWxxU0235人間七七四年
2021/08/23(月) 22:48:59.26ID:VeaKmJJbこのスレに書き込んでる人は、程度の差こそあれ、基本的には史実に基づいた話をしたいのは確かでしょ?
で、その根拠は何なの?って話。
原文を文法通り口語訳を付して説明できればいいんだろうけど、それは流石に難しい。
次が、研究者の著書や論文を引用するケースだよね。
これ以外に、史実に近づけた議論はできないと思うんだけど、どうだろうね?
そもそも『史実とかどうでもいいです』って話なら、入口から噛み合ってない。
『5chなんだからさ』という不毛な話が始まっちゃうわけ。
0236人間七七四年
2021/08/23(月) 22:56:02.95ID:1N42QgA6三成が小西・寺澤を使者として輝元に遣わしたではなく「自治少・小西・寺澤被越候ハ」だから
三成・小西・寺澤方より輝元に使者もしくは書状が遣わされたになるんじゃないか
時代は少し遡るが
(文禄4年)5月24日付島津忠恒宛石田三成書状では
「小西摂津守・寺澤志广守両人ニ、諸事可有御相談候、此両人拙子別而無等閑候、御隔心有之間敷候」
と三成は小西・寺澤とは特に仲良くしているから、忠恒もこの二人には何でも
相談して隔心なく付き合ってほしいと述べており、両者とは特に親密な様子が伺える
三成自身も寺澤とは相当親密に交流していたようだ
寺澤が東軍に与したのは周知の事実だが、通説の秀吉死後すぐに家康に近づき取り入ったというよりは、
寺澤が家康から命じられていた庄内の乱の収拾の際に、同じ解決のため奔走していた山口直友を通じて
徐々に家康と昵懇になっていき、状況を見極めた末に関ヶ原合戦の数ヶ月前に
旗幟を鮮明にして家康に与したという見方もできるんじゃないかな
まあこれに関しては根拠となる史料がないから個人的な推論になってしまうけど
この辺り白峰氏は慶長5年6月上旬の時点で寺澤は反家康のスタンスだとだけ述べており、特に深堀りはしてないね
あと「上様被仰置之由候而、昨日内府・景勝縁邊之使、互ニ増右案内者にて調候」は
上様(秀頼)の仰せで家康と景勝の使者が互いに増田の仲介にて話を調えた
つまり両者の衝突を危惧した秀頼&淀殿が和睦目的で両者に縁辺之儀を勧めた
と見れば別に筋が通らない話ではないな
すぐ後に続く文でこれは不調に終わりそうだと輝元は言ってるが
0237人間七七四年
2021/08/23(月) 23:13:13.61ID:JEm7eDEhそれはそれで興味深く拝読してるんだが根本的な疑問がある。
その件が
「豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件」
なんだろうか。
当たり前だとお叱りを受けそうだが、どうも焦点がぼやけているように思われてならない。
仮令それが直接の契機になった事象だとしても(そうは見えないが)、
コトの本質はそんなことが崩壊に繋がってしまう豊臣政権の構造、更にその構造を生んだものの方に在るんじゃないだろうか。
0238人間七七四年
2021/08/24(火) 08:41:12.89ID:J+DRAJDm文禄四年の時点では寺沢正成を「文治派」に置いてるから、毛利輝元書状(46号書状)が七将襲撃事件の際に、三成から挙兵の依頼人として送られてもおかしい話じゃ無い。
問題は文禄五年、しかも六月という上杉征伐が決定したタイミングだとすると
寺沢は裏切りでは無く最初から東軍として働いているから、
要は西軍の決起計画は全て家康に筒抜けだったという事になる。
のみならず、寺沢は奉行職に才能ある人物で朝鮮出兵で兵站維持等で賞賛されたとか逸話のある人物なので
西軍の戦力や物資、戦略を正確に掴んでいた可能性が高い。当然これは徳川に報告されて徳川はこれを基にシュミレーションしていた事になる。
0239人間七七四年
2021/08/24(火) 09:39:05.40ID:t/vMg0M8三成ですらいつから計画に加わったのかも不明瞭なのに
0240人間七七四年
2021/08/24(火) 09:42:47.47ID:Hz2euEzM武士のトップの証明は戦争に勝つことと知行割り当てを仕切ること。それを満たしたことで秀吉も家康も主家を超えて天下を支配することになった
なので家康に天下人の要件を満たさせないように誘導しないとどうしようもない
0241人間七七四年
2021/08/24(火) 10:08:18.18ID:t/vMg0M8結局のところ家が殆ど形成されておらず秀吉個人の力だけで支えてた政権だし
豊臣家、として残すなら徳川の力を借りる形、つまり縁戚として実効力は徳川に任せて名目上その上にいる存在としていれば良かった
まあそれも西軍挙兵で崩れたけど
0242人間七七四年
2021/08/24(火) 11:09:12.68ID:QelDMJvhせっかく豊臣政権の存続に不可欠な「家」の形成を秀次の代でやれそうだったのに台無しにしてしまった
何度も言ってるけど幼い秀頼たった1人にした時点で政権を担う存在としての豊臣家は終了
主家として統制の機能を喪失したんだから
後はもう豊臣家は完全に蚊帳の外でアレクサンドロス三世の遺言「最強の者が継承せよ」の通り
実力者同士での主導権争いになるしかなかった
場合によっては戦国に逆戻りも十分あり得た
0243人間七七四年
2021/08/24(火) 11:57:17.88ID:DoJcIeS+巨頭家康主導の秀吉遺言体制ですら、史実の有様だからね
秀吉死亡でヒャッハーを目論む潜在的反豊臣勢力(上杉や毛利など)に徳川も加わるだけ
0244人間七七四年
2021/08/24(火) 12:22:56.89ID:uGXEZCrt後は関白秀次が全国の大名の任官と知行割りを進めていけばよかっただけ
0245人間七七四年
2021/08/24(火) 13:25:26.57ID:EWH4qjTdここは5chだからいろいろな人間が書き込む
当然常連みたいな人間もいるわけだが
IDが固定化しておらず文や支持している説で相手を判断している人間もいるみたいだが、時々異なる人間にも関わらずに勘違いで同一人物とみなして口撃してくる人間もいる
一応不特定多数のいろいろな人間が書き込んでいる以上、あまり勘違いしないようにした方がいいと思う
0247人間七七四年
2021/08/24(火) 18:55:19.56ID:J+DRAJDm白峰氏が主張する、毛利家46号書状が西軍決起計画に関係するものだとしたら三成・行長と共に来てる正成(光成氏の解釈だと三成からの使者だけど)が西軍の計画に関わってないとする方が難しい(使者の中で正成だけ外す、なんて出来ない)
白峰氏は時を1600年6月とするけど、16日には家康は天皇と秀頼からの援助を受けて出撃してる訳だからね。
寺沢正成は裏切りとかではなく最初から東軍だったって話なので、使者になった時点で徳川派。
なら己がアクセス出来る情報は全て家康に伝えてる。間違い無く46号書状の会合は筒抜け。
しかも正成は奉行職だったから兵站等の情報も流してたろう。
正成が情報を流してなかったとすると
「正成は元々西軍になる予定だったが、16日までに突然考えを改めた。でも友を売るには忍びないので黙ってました」
という話になる。流石に支離滅裂過ぎる。
白峰説を採るなら、西軍の挙兵は徳川の知るところ(というか挙兵されるから上杉征伐を強行した)ことになる(更に言うと戦後の毛利との和睦も徳川の茶番劇となる)
光成説を採ると、この書状は七将に襲撃された三成の救援要請。正成はこの時期文治派なのでいてもおかしくない。
七将の武力攻撃に反撃を試みる事は流石に非難出来ないので捨て置かれてた、となる。
0248人間七七四年
2021/08/24(火) 19:07:35.43ID:PNvnOGL6一 e増右被申事ニ、とかく治少より身を引候ハてハ、すミ候ましく候、と被申たる由候、
この一文が個人的には納得できない
白峰氏は論文で
「下線eは、増田長盛が言うには、「とにかく石田三成が身を引かなければ、(この反家康の決起
はこのままでは)決して済まない(=もっと拡大する)だろう」(25)と述べた、としている。この
ことは、反家康の決起の中心人物が石田三成であったことを示している。」
と述べているが家康が会津に向けて出発していないうちから隠居の三成が行動するのは流石に
0249人間七七四年
2021/08/24(火) 20:29:06.05ID:5WQ4qZI7つか挙兵させずにタレコミで謀反の証拠ありで処罰すりゃいいし
0250人間七七四年
2021/08/24(火) 22:02:18.01ID:HJtLU8sIふむふむ
要するに高卒って事かな?
自分で思考する能力が無いから他人の研究に頼り
仮説を立てる人達を全否定するわけだね。
よくある高卒脳の典型だねw
0251人間七七四年
2021/08/24(火) 22:06:28.68ID:HJtLU8sIごもっとも他人のふんどしを借りてマウントとって自分の意見を述べることができない
アカデミックな考えとして糞みたいな仮説でも1000立てて1当たればいいという
大学における学問の研究をしていない奴が、凝り固まった古い文献でああだこうだ言うのに似ている。
これは上杉鷹山が米沢城内で見た家臣団が古い文献をみてああだこうだとつまらない議論をしていて
無駄に時間を過ごしていたのに似ている。権威主義の塊の奴がここでマウントとっているのが受ける。
またどこの研究室出身なのか誰ゼミかも言えないレベルでどこの大学と聞かれても答えられない。
多分、他社の引用しか出来ないところを見るとせいぜいFランク出てるかどうかの人間だと思う。
0252人間七七四年
2021/08/24(火) 22:30:00.53ID:tF+Zzabu日本語の勉強をしなさい
0254人間七七四年
2021/08/24(火) 23:11:04.52ID:t/vMg0M8一体どこの大学で根拠となる出典や研究もなしに論文やらレポート書けと言われるんだ?
0255人間七七四年
2021/08/24(火) 23:16:49.67ID:t/vMg0M8書けないようなら程度が相当に悪いということらしいので楽しみだ
0256人間七七四年
2021/08/24(火) 23:25:52.83ID:HJtLU8sI質問に質問で返した時点で君の負けだよw
0258人間七七四年
2021/08/24(火) 23:47:14.75ID:t/vMg0M8結局大学名も上げないし、彼の言うとおりなら彼は自分でご自分がよくてかなり程度の低い大学の出だと示した訳だ
根拠もなしにこういう決めつけが起きないよう、根拠が必要なのもついでによくわかるね
0259人間七七四年
2021/08/25(水) 02:16:41.99ID:IabJOldSちょっと齧った知識で背伸びしてみたが、引くに引けなくなっちゃったんだろう?
0260人間七七四年
2021/08/25(水) 07:30:00.34ID:muz9QeY5立派だね
0261人間七七四年
2021/08/25(水) 11:58:20.58ID:oeE5g7hYなので、学歴でワーワー言ってるのは、MARCH〜日東駒専のレンジで間違いないと思って良い
0262人間七七四年
2021/08/25(水) 12:00:01.97ID:L9Atcw7j最後は人格攻撃で終わる
レベルの低い人が他人の論文を有難がっているだけの権威主義のスレと言う事だな。
0264人間七七四年
2021/08/25(水) 12:25:27.74ID:GdDS5q3Mんで、名前の言えないならFランク以下の人ってのも自分で決めたルールなのにやっぱり言わないし
自分で勝手に言い出したことを自分にまず適用されたら被害者面するの、厚かましいにも程があるな
0265人間七七四年
2021/08/25(水) 13:06:25.42ID:L9Atcw7j学歴どうこうじゃなくて論文や研究というのであればそれは大学や学会、研究室やゼミでやればいいのでは?
単にここで論文論文いっている人は自分の意見を述べない権威主義なんじゃないかと言いたい。
そもそも論文や研究をする立場の人って他人の論文を引用するけどその論文に自分なりの考えを乗せるわけであって
ここにいる論文の人はただ単に他人の研究におんぶにだっこなので基本的に研究とかしている人なのかと疑問に思っただけ
多分君に何言ってもオウム返しで議論にならないと思うけどね。
あと上の奴の様に単発の煽り屋が多いけど、多分、君の事を支持してる人っていないんじゃないか?
研究研究言う割に他人とのコミュニケーションを遮断している傾向がある
(これはあなたに対する個人攻撃ではなく率直な分析)それでここで大多数の2ちゃんというか5ちゃんという
気楽に楽しく歴史を語りたい人が去って、君個人のスレになっているとしか思えないんだけどね。
0266人間七七四年
2021/08/25(水) 13:09:27.39ID:L9Atcw7j論文引用した上で自分の意見を書かないと言う事
そもそも高卒脳の定義自体理解できないからマウント取られたのだと怒っちゃたんだろうね。
説明不足だった点は謝罪するよw
0268人間七七四年
2021/08/25(水) 13:23:44.74ID:GdDS5q3M人様と議論、をするにおいてはやはり客観的な根拠が必要になる訳、上で235さんが非常にわかりやすーく説明してくれてたんだけど、それでも君の頭では理解できなかったか
君の脳内妄想がソースだったら、それこそここじゃなくチラシの裏に書くといいよ、1つ賢くなれたね
0269人間七七四年
2021/08/25(水) 13:26:57.53ID:GdDS5q3M君の的外れで一切根拠のない分析よりは当たってると思うよ?
0270人間七七四年
2021/08/25(水) 14:29:39.99ID:IabJOldSそもそもこのスレは史料や研究を重視し、可能な限り俗説等の不確実性を排除する事で議論の精度を深めていったのよね
君はこのスレにおいてはただの荒らしだよ
0271人間七七四年
2021/08/25(水) 14:50:32.36ID:+JrVBJoU権威主義というより、あえて言うなら実証主義なのでは?
キミも史実に基づいた話をしたいのは間違いないでしょ?
繰り返すけど、原文を引っ張り出してイチから現代語訳することは誰にでも出来ることではない。
であれば次段として、研究者の著書や論文を引用することに違和感はないよ。
もちろん、それを要求する事も。
私的には、主張者が根拠を示す事については、100%支持だね。
0272人間七七四年
2021/08/25(水) 14:52:32.08ID:L9Atcw7j仮説も立てられなくて、既存の事しか語れないのであれば
ここで書き込まないで普通に研究資料見てればいいって事でしょ
ここは5ちゃん掲示板なんだから掲示板として機能しないとね
>>269
単発煽りは同一人物としか言いようがないのだけどね
>>270
だったら研究と史料を重視したらこのスレこれにて終了って事でいいですよね?
じゃあ以後スレは立てない事でOK?
0273人間七七四年
2021/08/25(水) 14:56:23.05ID:L9Atcw7jごめんこれ以上史料だけで話すならここは掲示板として機能しないと思うんだ
君の意見と270の意見が支持されるなら
ここのスレはこのスレで終了でいいって事だね。
史料と研究だけの話であればこれ以上の発展性はない。
仮説をだしたところで事実に基づかない妄想
荒らし行為認定なんだろ
だったらもうこのスレは終わりでいい。
最後にどの資料とどの資料を目を通してねリストを作って終了でいいのでは?
0274人間七七四年
2021/08/25(水) 14:58:49.78ID:L9Atcw7jその資料だって伝聞で100%正しいわけでもないまた権力者による改竄等あるので
史料が100%正しいなどはないし、どんな些細な仮説でも真摯に受け止めるべきなのに
ここのスレの住民はそれは完全シャットアウトしている
と、いう事はもうここはスレとして成立しないのだから次スレは立てない方針でいいと思う。
270と271の史料に目を通せでここのスレは成立するのだから。
0275人間七七四年
2021/08/25(水) 15:00:07.85ID:+JrVBJoUでもさ、著書や論文を出しても、それが必ず正解とも思ってないよ。
根拠を示す、という事以上の意味はないと思ってる。
0276人間七七四年
2021/08/25(水) 15:04:20.37ID:L9Atcw7jでも、ここは完全に終わりでいいよ。発展性が無い。
0277人間七七四年
2021/08/25(水) 15:07:11.08ID:XiR6N7Wc0278人間七七四年
2021/08/25(水) 15:08:28.60ID:GdDS5q3Mお前がそれを無駄だと思うのは勝手だが、それをこっちに押し付けてくるな
IDちがうのに勝手に同一人物だと思い込まないようにねーって注意もこないだ誰かが書いてくれてたな、また思い込みだけで的外れ批判だ
そして誰もその研究や史料が百パー正しいなんて話もしてない、蓋然性が現状高いのはこれじゃねって話をしてる、新史料で信憑性が高いと判断されればああだこうだいいながらその説の話をするんだよ
お前にとってはつまんなくて意味なく見えるかもしらんが、俺たちはこういうので遊んでんだよ、他人の遊びが理解できないからって邪魔しにくるな、躾がなってないぞ
0279人間七七四年
2021/08/25(水) 15:20:16.51ID:L9Atcw7j君が退場したらするよw
>>278
いやもうその時点でここで語り合う必要はないこのスレは終了でいいと思う。
0280人間七七四年
2021/08/25(水) 15:22:57.84ID:JtyyWEsC終わりでいいかどうかはお前が決めることじゃないし嫌ならお前が消えればいいだけ
0281人間七七四年
2021/08/25(水) 15:29:52.19ID:xU8WNI7i0282人間七七四年
2021/08/25(水) 15:33:05.91ID:GdDS5q3Mこのスレはこのまま史料と研究を軸に据えて話してくよ、君にそれを勝手に止める権利はない、続けるかどうかはまた都度みんなで考えることだわ
まともな人として扱ってほしいなら分別くらいつけな、大変みっともない
0283人間七七四年
2021/08/25(水) 15:39:03.44ID:GdDS5q3Mそういう所にこういう声だけ大きいバカが来ると、そういうのがぱっと見のさばってるように見えちゃうのよ
0284人間七七四年
2021/08/25(水) 18:18:53.37ID:1xjCtUMVなんて説を発表してるけど
これも氏の思想が垣間見える。
寺沢正成が戦後頂戴した天草四万石が、関ヶ原で小西行長と大谷吉継を押し潰した功績によるものでないとしたら一体何の恩賞なんだ?
寺沢が毛利・石田の戦争計画を正確に報告したから。こう繋がることになる。
とどのつまりは総て徳川の陰謀だった、というのが白峰氏の主張な訳だが…
0286人間七七四年
2021/08/26(木) 08:53:18.51ID:zLRB1pIb「関ヶ原への道」出した水野氏だっけ
ただ室町時代だって大内氏みたいに幕府とは別に貿易やっていた家はあったしな
0288人間七七四年
2021/08/26(木) 12:45:56.08ID:eM/IGjLd今話題に上がった寺沢なんかは慶長の役では中央寄りで指示を中継していたようだけど
文禄の役
石田三成、増田長盛、大谷吉継、長谷川秀一、前野長康、木村重政茲、加藤光泰
慶長の役
太田一吉、毛利重政、竹中隆重、垣見一直、毛利高政、早川長政、熊谷直盛、
0289人間七七四年
2021/08/26(木) 17:22:36.64ID:gkLxYnqS慶長の軍目付は秀吉の命令に支配されていたって話はあった気がする
まぁ距離的な問題かもしらんが(文禄では秀吉は名護屋にいて十日くらいで命令が往復出来るけど慶長では二十日くらい掛かる)
0290人間七七四年
2021/08/27(金) 07:33:46.02ID:TXnmi8tBどちらの妄想の粋だな
0291人間七七四年
2021/08/27(金) 08:09:45.02ID:NTWnfMYAこの中で、毛利輝元が秀吉から西国の儀を任せ置かれると言われたとあるらしいけど、本当のことは不明だよな。真実としても、こっそり言われたのか皆の前で言われたのか不明だし。
0292人間七七四年
2021/08/27(金) 08:54:35.46ID:mux/UOWq下記のようにそれ以前から言われてることだから
秀吉にそういう構想があったってのは間違いないと思うよ
(文禄4年)7月徳川家康・毛利輝元・小早川隆景連署起請文案
「坂東法度置目公事篇、順路憲法之上をもつて、家康可申付候、坂西之儀者、輝元并隆景可申付候事」
東国の法度・置目・公事については、公平・公正を以て家康に申し付ける。西国については輝元と隆景に申し付ける。
(文禄4年)8月3日付児玉元次宛毛利輝元書状
「東ハ家康、西ハ我々へまかせ被置之由候、面目此事候、大慶不可過之候」
東は家康へ、西は我々にお任せくださるとのことだそうだ。面目躍如たることで、大慶これに過ぎるものはない。
0293人間七七四年
2021/08/27(金) 09:08:53.60ID:YMxRuYfu日本は徳川と毛利で分割統治させときゃいいくらいの認識だったのか
0294人間七七四年
2021/08/27(金) 09:30:51.67ID:NTWnfMYA0295人間七七四年
2021/08/27(金) 09:50:38.26ID:Wnv/97V/隆景死後は小早川家を秀秋が家臣も引き継がずにまるまる名字だけ一緒の全く別の家にしてるし、毛利本家とは別に秀元に毛利領から知行差し引いて家を立てさせようとしてるしで
毛利本家から勢力削ごうとしてるようにも見える
0296人間七七四年
2021/08/27(金) 12:23:20.50ID:NNgDU/n7石原ずんと右衛門と言う人がいた。
…ずんと右衛門である。なんだそりゃと思われても、そう記録されているんだから仕方がない。
とにかく石原ずんと右衛門と言う人がいたのだ。
このずんと右衛門、姉川の戦いの時酒井帯の先鋒を指揮し、300の備を酒井本隊の筋違い、
丁度酒井本隊の脇に置いていた。
さて合戦が始まる。織田軍は浅井軍の猛攻に本陣まで攻め寄せられた。
この時ずんと右衛門の部隊が浅井に攻撃を仕掛けた!
実は彼らが最初位置どった場所が丁度、浅井軍の横を付く形になっており、これに
浅井はたまらず攻勢の足が止まった。
この頃徳川軍が、ついに朝倉軍への反撃に成功していたが、守勢に立った朝倉軍は
浅井の足が止まったのを見て撤退を開始、浅井もこれにつられ軍を返し、ここに姉川合戦は
織田徳川連合軍の勝利に終わった。
合戦の後信長は、この酒井隊の働きを激賞し、忠次に従四位下「左衛門督」の官位を与えた。
が、忠次の方は「こっちのほうが言いやすいから」と言う理由で後々まで、本来従五位の官位である
「左衛門尉」と呼ばせていたそうだ。
ずんと右衛門のこの時の働き、人々は長く称えたとのことである。
0297人間七七四年
2021/08/27(金) 12:25:07.96ID:NNgDU/n7憂いて、本間近江と井俣左近を氏康に仕えさせてその内情を視察させた。
やがて平井に戻って来た二人によると、
「氏康の人となりを熟視したところ、沈着剛毅にして測られず、剛にして
柔であり、書を読んだり刀槍の訓練をし、礼節は正しく、威厳があります。
また下賤であっても功を賞し、士を用いる時には老少問わずその器量に
適した用い方をしています。その子弟は嫡子でなくとも皆俸禄を与えて
仕事をさせ、功があればすぐに昇進しています。
そうした理由から配下は畏怖しつつも氏康を愛し、人々は奮い立って
死を致す覚悟です。しかも上杉の将士は皆密かによしみを通じています。
通じていない者はわずかに九人しかおりません」とのことであった。
意玄は二人の報告を引き合いにして憲政の非を諫言した。
これを聞いて憲政はようやくその非を改めた。ところが程なくすると、
菅野信方と上原兵庫の言葉を用いて、また大いに政事を怠るようになった。
――『名将言行録』
0298人間七七四年
2021/08/27(金) 12:27:56.95ID:NNgDU/n7周辺の仕置を申し付けられていたが、彼は石田三成が滅亡した以上、行く末上杉家頼りなしと思い、
最上に従い、最上衆を庄内に引き入れ切り取らせた。
そうなれば、直江さえ会津に呼び返される程であったので、庄内に置かれた城持ち衆も留守居を
少々残して皆会津に召喚されており、そのためやすやすと、何の手間取ることもなく庄内三郡は
最上義光の手に入った。
この次右衛門は謙信公の下男であったのを、御眼力を以て御取り立てになり、騎馬の列になさて、
その御推察の如く数度武功を顕したことで次第に立身した。この者は隠れなき算術の上手であった。
景勝公の御代に、四人御領分として、勘定奉行の下次右衛門は庄内を、川村彦左衛門は佐渡国、
窪田源右衛門は信州川中島、山田喜右衛門は越後国旗本に有り、その様子、御仕置の作法は
武道の助けとされた。
今度、最上へ直江が出陣した折、谷地、寒川江の領城を乗っ取れたのは、この下次右衛門の分別
宜しき故であった。しかし武道は良しと雖も、元来下臈であるため義理を知らぬため逆心した。
然れば、その原因は直江が谷地城に次右衛門を残し置いた為であり、直江の誤りと見るのが
正道である。
(管窺武鑑)
0299人間七七四年
2021/08/27(金) 12:30:21.47ID:NNgDU/n7徳川家康と取合いを始めるだろう。私はそれを聞いて兵を発し、奥羽筋を打って上方と首尾を
あわせるべきか。であれば、仙台の(伊達)政宗(筆者注・この頃は岩出山城)、出羽の最上(義光)、
越後の堀(秀治)、この三人は燐競にて大身であると雖も、三人共にこの景勝の、物の敵とは思われない。
何故ならば、
一に、堀久太郎(秀治)は昨今の若将であり、弓矢の術を知らず、家法正しからずして家中は
二、三に割れ、殊に上方風であり。押し掛けには強いが後道に弱く、領民は堀家の新仕置に飽きはて、
古主である上杉家を慕っている。
また堀家を取り立てた太閤の御厚恩を忘れて家康に従う不義の兵であるから、これを踏み潰すに
手間はいらないだろう。
二に、伊達政宗は久しき家では有るが、その父である輝宗より二代に渡って境争い、坪弓箭をも
賢く取り、政宗一身の覚悟も無類で、能き大将である。
しかし家中は前代の悪風儀に慣れ、我儘を仕る士共は、現代の新仕置を迷惑がり、それを実行しようとすと、
手荒き政宗であるとし、心で疎み身を虚しくして。家中は意志が一致していない。
また大敵であると言っても上杉家と比べれば小身である。七手組の頭が、一両備えで押し向かえば、
政宗が手を出すことは出来ないだろう。
殊に政宗の心の有り様は、弓箭の正道について誠の吟味も入れようとせず、ただその時節に任せて
敵にも成り味方にも成り、自分の家を恙無く相続する事こそ至高であるとの奥意であるから、
我が方に少しでも強みがあると判断すれば、すぐに手のひらを返し当方に頼み従うだろう。
三に、出羽の最上(義光)は数代相続の家であるが、弓箭について然りとするような誉れが無く、
身にかかる火を払うばかりにて、他国遠国へ取り掛かるような武道のこだわりも無く、
家中の者共は事毎に居丈高にばかり仕り、武功誉れの者が有っても、新参譜代筋どちらでも、
小身であれば家老や出頭人の前では頭を挙げさせぬ故に、彼らが十考えている内三、四を言ってすら、
家老や出頭人の威に押され、一言を躓いただけでも善悪の批判を受ける。
そのため言葉少なく手短に計り言おうとして、その理屈が伝わらず、四つ言ったとしてもその内三つは
みな戯言となり、残った一つの理も、相手には生聞こえとなり、それを言った人物が不合点者と
取りなされる。故に以後は控えて物も言わなくなる。或いは、いかほど能き者であっても、口が
不調法であっては面出しも成らぬ。故に下の理が上に達しない。
最上家中では新参であっても大身であれば、譜代を押しのけ上座に在り、我意を振る舞う。
元より古参にて大身であれば、心は鈍くても我儘に口をきく。
執権に於いてこのような国法なのだから、軍法も未練なものであろう。であれば、上杉家に対せば
手に立つような事はない。
三家については以上の通りであり、であれば、石田が上方にて兵を起こせば、私は奥北国を
討ち靡かせるか、でなければこの大身の三家には押さえを置いて、家康の持つ関東へ働き出れば、
常陸の佐竹を始め当方への志の衆、東国にも多いのだから、攻め上がり家康を取り挟んで
一戦を遂げれば勝利を得るだろう。」
(管窺武鑑)
0300人間七七四年
2021/08/27(金) 12:31:25.92ID:NNgDU/n7向島城へと移ったが)
「向島に御座されるのは如何か、伏見の城を明けるのでお移り然るべし」と、三奉行(長束正家、
増田長盛、前田玄以)が頻りに申してきた。大谷刑部少輔(吉継)が内々の使いとして肝煎と成り、
雅楽頭(酒井忠世)、帯刀(安藤直次)、式部少輔(榊原康政)が表の使いとしてこれに合意し、
四月六日、伏見城にお移りと成った。(創業記に閏三月十三日午の刻伏見の城お移りとあり)
鑓五十本持たせ、御先の小姓、その他の詰衆五十余輩が歩行にて御供をした。御乗物、鑓二本、
長刀一、挟箱二、御跡に三河守殿(結城秀康)が馬に御乗りになり、白き袷袴にて、供の衆二十人ばかり
お連れに成った。御家人については、いつであっても罷り出て御目に掛かるべしとの事で、
この日は上記の人々のみで、他には誰も御供には罷り出なかった。
(慶長年中卜齋記)
0301人間七七四年
2021/08/27(金) 12:32:01.96ID:NNgDU/n7(慶長四年三月九日)
俄のことであり家康公も殊の外ご不審遊ばした。伊集院幸侃の息子たち五人は、薩摩に於いて領分に
立て籠もったが、家康公はこの扱い(和解)のため、山口官兵衛(直友)を二度、伊奈図書(昭綱)を
一度薩摩へ遣わした。その時、治部少(石田三成)と争いになった。落着については薩摩の者が
存じている。(伊集院成敗は、根本は治部の計らいであると後に人々言い合った)
家康公は、兵庫頭(島津義弘)に殊の外御懇情であり、彼に借金がある旨を聞かれると、それを
完済するように、その借金七百枚を遣わした。
慶長五年、家康公が会津征伐のため大阪をお立ちになる頃、伏見城松の丸を兵庫頭に御預けになるのでは、
との沙汰があったが、御預けは無く、若狭少将(木下勝俊)殿へお預けに成った。少将殿は
武田万千代(家康息:武田信吉)殿の舅であった。そして伏見の城は難しい沙汰(西軍による攻撃)
出来て、少将殿は松の丸を明けて若狭国へ引き退かれた。
乱後に万千代殿御内がどのように成ったのかは詳しく知らない。
(慶長年中卜齋記)
0302人間七七四年
2021/08/27(金) 12:32:30.82ID:NNgDU/n7聚楽を退出し高野山へ上り、同十五日、腹を御切りになった。
秀次の若君二人(一、二歳の孩児であった)并びに近習、女房の三十余輩、洛中を引き廻され切り捨てられた。
誠は秀次の逆心は虚言であるのだが、行跡が穏便では無かった故に、治部少(石田三成)の讒言によって
かくの如く成ったのだという。
聚楽城、并びに諸侍の家門は伏見に引き移された。
『当代記』
0303人間七七四年
2021/08/27(金) 12:33:05.84ID:NNgDU/n7その上秀次の家老である前野但馬守(長康)殿の子息・出雲守(景定)は忠興様の聟であり、
秀次事件が起こると、御縁者故「秀次の一味である」と治部少(石田三成)の申立があり、これに
是非無く思し召され、聚楽の屋敷へは米田助右衛門(是政)殿が遣わされ、伏見での状況次第では、
御上様(正妻)、御子様たちを仕舞(生害)させ、御屋敷へ火を掛け、助右衛門殿は切腹するようにと、
忠興様は命ぜられた。
伏見に於いて、黄金百枚の儀は、「薬院法印(施薬院全宗)の肝煎りで秀吉公(秀次の間違いか)より借用した
ものであって、拝領ではない。」との弁明を、米田助右衛門、徳善院(前田玄以)より、太閤様へ申し上げた所、
太閤様はこのように仰せになった
「先年、明智謀反の時、信長公への御恩を存じ出、明智に一味しなかった。
たとえ今度、秀次と一味したとしても、その時の忠節により赦免しよう。」
この旨を徳善院が仰せ渡すと、忠興様は御安堵なされ、この時も助右衛門殿の一命をとした御奉公であったと、
忠興様より度々そのお話を承った。
(細川忠興軍功記)
0304人間七七四年
2021/08/27(金) 12:35:10.81ID:NNgDU/n7殺すべく評議した。これに神君(徳川家康)は、密かに石田を御助けして御落としなされた。寄り合った
諸将は石田を重々憎み、殺したく思いなさった。しかしながら、家康公に従い奉るべしとは思わなかった
のだという。
この時に石田を御囲いなされたことは、本多佐渡(正信)の申し上げ故である。佐渡が申すには、
「只今石田を殺したならば諸将は皆公に背き申しましょう。今は石田を憎んで皆公に組しています。石田
の様子は、この分際でいるような者ではありません。大いに催して打ち出ることでしょう。その時に討ち
果たしなさるべきなのです。これ当理の謀なり」
案の如く石田は関ヶ原で大勢を語らい打ち出た。これ皆佐渡の智謀なり。後々年に至り、公が佐渡の申す
ことに御同心無き時に「何ぞ杉戸の際で申したことを御失念なされましたか」と度々申し上げられたのは
この事である。
黒田甲斐守(長政。原注:如水軒)が申されるには、「あの折に伏見で治部少輔を重々殺したく思った。
しかしながら、家康公に従い奉るとは思わなかった」と後々申されたのだという。(原注:右は如水軒が
光政公へ御直談申したのを(光政が)仰せられたと覚え申すものである)
――『烈公間話』
0306人間七七四年
2021/08/27(金) 15:13:25.22ID:NNgDU/n7その衝撃の告白を聞いた多くの人たちは当時は同情の声をあげていました。しかし現在ではその話は嘘だったのではないか?ともいわれています。ブログも特定の人しかみれないようにパスワードが掛かっていて、閲覧することができないので真偽は不明となっています。
今回は青木あざみさんは本当に父親の青木信義さんから性的虐待を受けていたのか?また、現在青木家の他の子供たちはどのような暮らしをしているのかについて詳しくまとめてみました。
0307人間七七四年
2021/08/27(金) 15:13:49.60ID:NNgDU/n70308人間七七四年
2021/08/28(土) 13:50:01.34ID:IhLXEr2y知力20
体力100
調理70
特殊3 嗅覚UP80 重力UP100 空中浮遊100
全体で1位の得体の持ち主。知力がひくいのが弱みだがトータル的に高い戦闘力である。
0309人間七七四年
2021/08/28(土) 13:52:57.19ID:IhLXEr2y知力80
体力30
調理50
特殊2 変身200 延伸能力200
知力タイプで特殊能力系。直接のバトルでは足手まといになる傾向がある。
0310人間七七四年
2021/08/28(土) 13:56:01.50ID:IhLXEr2y知力90
体力70
調理60
特殊2 言語能力100 便利道具2000
最年少ながら特別な訓練を受けているエリート。特殊道具使いで最強クラスと言える存在。
0311人間七七四年
2021/08/28(土) 13:59:22.02ID:IhLXEr2y知力60
体力90
調理80
特殊0
小柄だが運動神経が抜群で調理技術も高い。ただ歴代で職種能力が無いセンターは彼女だけである。
0312人間七七四年
2021/08/28(土) 14:03:06.94ID:IhLXEr2y知力90
体力60
調理10
特殊1 発光能力(太陽拳相当)
高身長だが動くが遅く知能は高いサポート系である。
0313人間七七四年
2021/08/28(土) 14:04:15.34ID:WfPXgI+H高知市朝倉中学校卒業
恐喝と暴行、偽証、傷害容疑で逮捕、起訴。
togetter.com/li/1227954
pbs.twimg.com/media/DbUOGw1VQAAqJcx.jpg:large
i.imgur.com/tuUldwv.jpg
www.youtube.com/watch?v=UyNXI8usCrM
取り調べで「事実無根」と容疑を否認。
卓球所に松岡学(39)と出入りし賭け試合を被害者に強要、一回ミスったら1000円払えと発言。
2万円を取ろうとした。親にチクったらただじゃ済まんぞと被害者の胸倉をつかみ壁の隅に叩き付け
1分間つかみ続けた。2000円を脅し取り、後日腹を殴った疑い。
生田勇人の両親も被害者の親にたかっており親子でたかっていた疑惑がある。
0314人間七七四年
2021/08/28(土) 14:07:17.48ID:IhLXEr2yハッサク
知力60
体力50
調理50
特殊1 変身200
戦闘力は低め。変身能力があるのでサポート系で活躍。
0315人間七七四年
2021/08/28(土) 14:11:18.91ID:IhLXEr2y知力100
体力70
調理100
特殊2 絨毯物理攻撃1000 トルネード攻撃500
特殊能力以外では最強キャラ。調理の腕は世界屈指のシェフの母親譲り。
0316人間七七四年
2021/08/28(土) 14:14:34.67ID:IhLXEr2y知力10
体力50
調理10
特殊1 変身1000
ルックス以外は役立たずだが変身能力が群を抜いているのでその点だけでも有能と言える。
0317人間七七四年
2021/08/28(土) 14:18:59.51ID:IhLXEr2y知力100
体力30
調理10
特殊2 鑑定100 変化能力2000
知力が姉(アズキ)と同様高い。特殊能力もクミン同様に高いが料理は姉任せである。
0318人間七七四年
2021/08/28(土) 14:52:57.66ID:yk+qHXpP0319人間七七四年
2021/08/28(土) 17:38:54.84ID:7VT3JjZZ0320人間七七四年
2021/08/28(土) 17:41:46.90ID:IhLXEr2y0321人間七七四年
2021/08/28(土) 18:10:17.94ID:IhLXEr2yこういうデマ書くようなのが暴れてんだな
0322人間七七四年
2021/08/28(土) 19:28:12.49ID:j08mCJGd0323人間七七四年
2021/08/28(土) 19:49:15.60ID:AQ42HwBC0324人間七七四年
2021/08/28(土) 23:28:59.40ID:IhLXEr2y知力50
体力30
調理05
特殊2 変身2000 絨毯物理攻撃1000
基本能力はクミン、アズキには劣るが本作最強キャラ。ただし致命的な料理下手。
0325人間七七四年
2021/08/28(土) 23:31:37.06ID:IhLXEr2y知力90
体力70
調理90
特殊 噴粉攻撃100 球体攻撃100
基本的スペックが高い。大きなお友達に人気が高い。
0326人間七七四年
2021/08/28(土) 23:33:51.11ID:IhLXEr2y知力85
体力65
調理20
特殊2 防御100 変顔能力05
エリート学校に入学できる分知力は高いがそれ以外は特殊能力の防御系がある。
0327人間七七四年
2021/08/28(土) 23:40:03.60ID:IhLXEr2yアズキと茶太郎は姉弟なので基本的スペックが高く母親がチート級の戦士なので強い
料理能力はアズキとコムギが高く、平均的スペックはアズキ、コムギが高い。
特殊能力でアユが最強キャラといえる。だが、基礎体力を含めたトータル的には時間操作ができるクミンが最強と言える。
0328人間七七四年
2021/08/29(日) 17:53:48.44ID:648c/fwzセントラル・リーグ(追加分)
出場選手登録
阪神タイガース 投手 41 村上 頌樹
広島東洋カープ 投手 39 菊池 保則
出場選手登録抹消
阪神タイガース 投手 36 浜地 真澄
広島東洋カープ 投手 46 高橋 樹也
※9月7日以後でなければ出場選手の再登録はできません。
パシフィック・リーグ(追加分)
出場選手登録
千葉ロッテマリーンズ 投手 17 佐々木 朗希
オリックス・バファローズ 投手 59 C.バルガス
出場選手登録抹消
千葉ロッテマリーンズ 投手 18 二木 康太
オリックス・バファローズ 投手 26 能見 篤史
※9月7日以後でなければ出場選手の再登録はできません。
https://npb.jp/announcement/roster/roster_0828.html
0329人間七七四年
2021/08/29(日) 17:54:32.86ID:648c/fwz俺「ブンブン」必死に首を振る
ウェイトレス「素晴らしく統率の取れた御社、感服致しました。こちらサービスの牛丼大盛り3つですどそコトッ。あ〜あ、人生が二回あったら私も御社みたいな会社に入社したかったなぁ…」
ウェイトレスが常識人で助かったわ…
0330人間七七四年
2021/08/29(日) 17:55:03.31ID:648c/fwz俺「ブンブン」必死に首を振る
ウェイトレス「素晴らしく統率の取れた御社、感服致しました。こちらサービスの牛丼大盛り3つですどそコトッ。あ〜あ、人生が二回あったら私も御社みたいな会社に入社したかったなぁ…」
ウェイトレスが常識人で助かったわ…
0331人間七七四年
2021/08/29(日) 17:57:35.28ID:648c/fwz天海=明智光秀説
「光秀は生き延びて天海という僧侶になり家康を陰で操っていた」
光秀は明智城出身だが可児市には長山城しかない
恵那にある明知城の城主、遠山景行宗寂は明智光安(光廉)宗寂、三宅長閑斎とも称した
明智光秀が遠山家出身なら前半生が不明なのも当然である
本能寺のあと
妻、煕子の実家、妻木家は交代寄合、のち断絶
光秀の遠山家は明知城は廃城、明知陣屋は代官に任せた
左馬助秀満の三宅家は細川家の家老となり、のちに天草の乱で戦死した
これらの家が衰退していったのは天海が光秀ではないからである
光秀は土岐家と斎藤家の残党を迎え入れており、身内に甘い人物であった
0332人間七七四年
2021/08/29(日) 18:01:38.70ID:648c/fwzどんな馬鹿医大でも国家試験の合格率7割以上はあるし、自治医大以上ならほぼ100%。
弁護士の場合は難関ロースクールを卒業しても、国家試験を通るのは10%程度。
医師になるには金と時間がかかるが、試験自体は簡単。
うちは従兄弟三人医師になったが、英検二級すら落ちるレベルの頭だからね。
医師国家試験の合格率ランキング見てみ。
一番低い帝京大学ですら、79.4%。
奈良県立大以上の偏差値の25校は95.0%超え。
これのどこが難関試験なの?
医学部に学費を支払える財力のハードルが高いだけで、医師にはバカでもなれる。
弁護士、司法書士、会計士、英検1級あたりは、バカには絶対に無理。
まとめると
医師国家試験→バカでも受かる。しかし、医学部6年間で1,000万以上かかる学費のハードルが高い。
司法試験→ロースクール卒業しても、合格できるのはごく一部。非常に難関な試験。
司法書士→ロースクールに行かなくても受験できるが、難易度は司法試験並み。
英検1級→英語がずば抜けて優秀でないと合格できない。英語の偏差値100必要。(実際にはそんな偏差値はないが)
会計士→おそらく、最難関試験か。会計大学院修了者の合格率は7.6%しかない。
不動産鑑定士→鑑定理論が地獄。単体の科目としては最難関の一つ。経済学などは公務員試験より簡単か。
0333人間七七四年
2021/08/29(日) 18:51:04.14ID:v51RUMyo人格攻撃云々言ってたけど、コイツが一番クソだせー奴だったと(笑
0334人間七七四年
2021/08/29(日) 19:28:43.89ID:DfwESP7d哀れさすら覚える
0335人間七七四年
2021/08/29(日) 22:42:19.36ID:JO3m+4IF同一人物かねえ?
あっちは進行止まってるようだから、そっち行って盛り上げてこいよなあ
0336人間七七四年
2021/08/29(日) 22:45:25.20ID:0AQZ0SU30337人間七七四年
2021/08/30(月) 12:14:48.24ID:xmwkf9GF0338人間七七四年
2021/08/30(月) 12:15:42.01ID:xmwkf9GF0339人間七七四年
2021/08/30(月) 12:17:59.02ID:xmwkf9GFだって秀次政権前提で進んでたし、有力大名も秀次に世話してもらってるし割と秀次政権は安泰だっただろう。伊達も本心は秀次派だろ?
最上も秀次派だし、東北安定してりゃ家康だって動けんだろ
0340人間七七四年
2021/08/30(月) 12:18:48.16ID:+oslY4EB豊臣一門衆筆頭だからな
0341人間七七四年
2021/08/30(月) 12:18:59.14ID:xmwkf9GF彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
武家としての教育を受けていないってこういうことなんだろうな
0342人間七七四年
2021/08/30(月) 12:19:26.15ID:xmwkf9GF「家康が天下を取るには秀頼の権威が必要になる。だから最悪でも秀頼を殺すことは無い」
「しかし秀次が天下を取ろうと思えば日々成長していく秀頼が邪魔になる。おそらく秀頼は成人する前に病死ないし事故死させられるだろう」
以上から秀吉主観では秀次は絶対に生かしてはおけない存在で、家康はかまわないということになる
0343人間七七四年
2021/08/30(月) 12:22:17.23ID:xmwkf9GFだから従来の関白職と同一視することはできん。豊臣の関白は武家関白で世襲アピールの
ために移譲したのだから、できない理由はないでしょ、すでに異例な事やってるし
だから秀吉は秀頼を関白にすることはしなかったが、これを「できなかった」とする主張には賛同しかねる
鎌倉幕府を見る限り、将軍空位の時期も結構あるが、これは征夷大将軍よりも鎌倉殿という私的地位
が重要でこれで政権保たせていたから、諸大名に豊臣姓を与え、自らはその長者とする事で、そし
て諸大名が臣下の礼を取り、誓詞を交わしていただけで十分担保されると考えたのだろ
0344人間七七四年
2021/08/30(月) 12:22:38.78ID:xmwkf9GF秀吉の決定は秀頼成人まで関白は置かぬという話だったと記憶する
関ケ原以降に増長した家康によって公家衆に返還されたので武家関白制は
あいまいになったが、一方で家康も関白にはなり難いものになった
その上、豊臣家が本質的には摂関家の一つである事には変わらないまま
家康は将軍職を選ぶことになるが、家格は江戸時代を通して豊臣家を超える事は不可能となった
0345人間七七四年
2021/08/30(月) 13:45:48.29ID:C/fGOt/n0346人間七七四年
2021/08/30(月) 13:54:30.21ID:T9i7JEkx建前でも成人した天皇の補佐役なんだから
0347人間七七四年
2021/08/30(月) 13:58:25.94ID:T9i7JEkx秀吉没後の揉め事は奉行らや毛利の蠢動のが大きいかな
0348人間七七四年
2021/08/30(月) 14:01:42.94ID:dV/l8qPj0350人間七七四年
2021/08/30(月) 15:02:03.66ID:xmwkf9GF諸侯を従わせるために無理矢理武家に当てはめたもので豊臣家の勢威が衰えれば大した意味は持たないし
家康は公家官位に土足で踏み込んで公家衆にも迷惑かけた武家関白なぞには興味がなく
正当な武家政権の復活を企図したんだろう
征夷大将軍になれば歴史の浅い武家関白制などより遥かに実績も伝統もある将軍の秩序で諸侯を統制できるし
将軍の権威などはしっかり実力をもって政権運営していけばいくらでも回復させられる
家康が関白を五摂家に返したのは興味がなかったのと、もともと秀吉1代限りで次は近衛に
譲ると約束したのを反故にしていたんだからその約束を履行しただけだろ
すぐにではないが秀吉に騙された近衛は後でちゃんと関白になってる
0351人間七七四年
2021/08/30(月) 15:02:30.32ID:xmwkf9GF4代:11歳
7代:3歳
11代:15歳
14代:13歳
0352人間七七四年
2021/08/30(月) 15:15:29.25ID:xmwkf9GF本気で殺す気だったのなら10年も待たないし、国替えか浪人を追い出せば許すとかわざわざ勧告出す必要も無いんだ。
加藤清正が必死こいて作った延命の機会を無駄にした秀頼自身が愚か者だったとしか言い様がない。
0354人間七七四年
2021/08/30(月) 17:17:21.38ID:2za0ZfxW0355人間七七四年
2021/08/30(月) 17:22:42.33ID:dV/l8qPj0356人間七七四年
2021/08/30(月) 17:30:50.65ID:Z6jlgDlt関ケ原後の秀頼と同じようになる
0357人間七七四年
2021/08/30(月) 17:35:00.19ID:2za0ZfxW武家の棟梁は戦争に勝てること、子分の領土を保証すること、働いた子分に新たな領土を与えることが仕事だから
信長や秀吉が死んだ時点ではそれを行える実力者が求められていたということ
0358人間七七四年
2021/08/30(月) 17:50:37.21ID:bA9qwIthならなかったんだよなぁ。
伝統と先例主義の朝廷からしたら豊臣が関白になることすら虫唾が走るってやつだった訳だし。
だから関白職に関する先例は秀吉にもどうしようも出来なかった。
いっそ関白は捨てて別の職を目指せば良かったんだが…
0359人間七七四年
2021/08/30(月) 18:12:39.22ID:s1Sgf2Mm信長も家康も身内の統制に苦労したからね。秀吉が出来なかった経験だ
0360人間七七四年
2021/08/30(月) 22:02:32.43ID:aCGm28J8『六韜』を引いて「秀忠がウツケだったらさっさと潰して取って代わって良いぞ」と遺言したそうだが。
0361人間七七四年
2021/08/30(月) 22:11:36.89ID:lRtLrUjJ少なくとも出典追う癖はつけた方がよろしいかと
0362人間七七四年
2021/08/30(月) 22:31:39.31ID:aCGm28J8出典がアレなのは百も承知。
しかし「武野燭談」が成立した時代を考慮すると、妙な話だが却って真実性が感じられる。
江戸幕府の盛期、「将軍は別に徳川じゃなくても良いからよー」なんて台詞を臣下が勝手に捏造できるもんじゃないだろう。
根拠も無しにそんなことを書いたら確実に首と胴との泣き別れ、だ。
少なくともコアになる台詞を狸が吐いた、或いは吐いたと信じられていたと見るべきだろう。
江戸幕府永続の真髄は世襲制に在るわけじゃない。
将軍がどんな餓鬼でも馬鹿でも権力体として揺るがない、徹底した属人性の排除にこそ在る。
0363人間七七四年
2021/08/30(月) 23:27:59.32ID:lRtLrUjJ0364人間七七四年
2021/08/30(月) 23:33:28.76ID:lRtLrUjJ別に徳川は毎年ご家庭一軒一軒訪問して焚書してる訳でもない、1700年辺りに成立したものからふざけた断定をするならまず史料の信憑性がどう断定されてるのか位は学んでほしい
0365人間七七四年
2021/08/30(月) 23:56:31.42ID:VqTugORo豊臣政権の権力なら徳川も秀康と秀忠と四天王ぐらいに独立分割出来そうだし
島津も義久(薩摩10万石)、義弘(大隅日向10万石)、以久(種子島1万石)、忠棟(庄内8万石)、/58万石、給人分26万石+蔵入地他と分解一歩前、、、()内は直轄地
0366人間七七四年
2021/08/30(月) 23:57:13.77ID:VqTugORo金に対して執着してたみたいだしな
同じくブレーンだった利休も金には汚かったみたいだけど、こっちは元々商人だしな
0367人間七七四年
2021/08/30(月) 23:58:00.38ID:VqTugORo一番可能性が高い選択ではあると思うね、秀次生存は
史実の様に譜代はいないわ、一門は壊滅だわ、子飼いは深刻レベルの対立抱えてるわ、
地方大大名の制御が死ぬほど面倒だわの状況で、政権の権威の象徴たる役職にすら
就任出来てない幼児が政権のトップに立つよりは余程ましだろう
ぶっちゃけ秀吉個人の感傷や思惑を抜きにすれば、秀次が有害レベルの当主でも
秀頼就任よりずっといいと言いきっていいレベルですらあるよ
0368人間七七四年
2021/08/30(月) 23:58:20.30ID:VqTugORo出来るのかどうか、少々怪しい(大老奉行制度自体がない可能性もある)
秀次は自身の家臣団を持っているから、秀吉死後は当然そいつらが政権中枢に入る
そこに秀吉側近の居場所があるかな、少なくとも肩身は狭くなりそう
秀頼の場合、本人が幼少過ぎて自前の子飼いを持てなかったから
秀吉側近がそのままスライドしただけだし(だから三成らが秀次を讒言説がある)
0369人間七七四年
2021/08/30(月) 23:58:46.68ID:VqTugORo10年で政権中枢は秀次家臣団に移ってるだろうけど、
秀次家臣団で家康に対抗できるか。
史実では徳川派の最上とか伊達とかは秀次派だろう。
政権中枢から排除されてるだろう、秀吉時代の奉行衆はどう動くか。
0370人間七七四年
2021/08/30(月) 23:59:20.73ID:VqTugORo別に徳川は毎年ご家庭一軒一軒訪問して焚書してる訳でもない、1700年辺りに成立したものからふざけた断定をするならまず史料の信憑性がどう断定されてるのか位は学んでほしい
0371人間七七四年
2021/08/30(月) 23:59:37.57ID:VqTugORo武家の棟梁は戦争に勝てること、子分の領土を保証すること、働いた子分に新たな領土を与えることが仕事だから
信長や秀吉が死んだ時点ではそれを行える実力者が求められていたということ
0372人間七七四年
2021/08/31(火) 00:19:02.11ID:Wir0H4pa自分が鳥頭なんですとでも言いたいのかな
0373人間七七四年
2021/08/31(火) 00:21:38.01ID:KsCi9xrMそれが正に近視眼的思考停止。
二次以下の史料は信憑性が低い、で考えるのを止めるべきではない。
いつ、誰の手で、如何にして成立したかを掘り下げなければ見えるものも見えない。
成立期の自然/社会/産業/政治/軍事等の状況はどうだったのか、
筆者はどんな立場の人間で記述内容に対してどんな利害を有するのか、
筆者の自発意志で書かれたのかそれとも他者の指示によるものか、
等々考えるべきことを考えれば採るべき記事と捨てるべき記事は自ずと見えてくる。
考察するというのはそういうことだ。
0374人間七七四年
2021/08/31(火) 00:25:00.23ID:wcXfCPBbお前の好みの話引っ張ってくるためだけに屁理屈くっつけただけじゃん
少なくとも史料比定の様子学んでたらあんな雑な方法でそれっぽい事言ったに違いないとか言えないわ
少しは反省くらいしろよ、お前割と前からずっと同じ事で他の人からも叱られてるのにまだ自覚がないのか
0375人間七七四年
2021/08/31(火) 00:48:03.99ID:KsCi9xrM人違いだよ。
誰と混同しているのか知らないが、覚えの無いことでキャンキャン吠えつかれても迷惑なだけだ。
それはそれとして、
少なくとも「文字になっていることの解釈」から一歩も出ようとしない貴公よりは物事を相対化して眺める術は身に付けている。
いつぞやの繰り返しになるが、物事は全て因果律の一断面だ。
史料であれば史料それ自体の信憑性がどうあろうとも因果関係を追うことで多くのことが分かる。
所謂文系脳と云うのか、貴公は「論理を積み重ねること」を忌避しているようにしか見えない。
0376人間七七四年
2021/08/31(火) 01:19:28.16ID:wcXfCPBbそれこそ、何故か別のやつがふざけたこと言ってるのに対して注意してるのに割り込みましたとも言わずに反論してきて人違いだと言い張るようなのもいるくらいだ
自分なら因果関係を正しく見れるという思い上がりこそ、最も研究にあってはいけない思考だろ
逆説の日本史なりが史学者になぜ批判されたのかくらい、学んできたらどうだ
0377人間七七四年
2021/08/31(火) 01:37:54.35ID:KsCi9xrM因果律に関する俺の見方については各自の立場から批判があって然るべきだが、
少なくとも因果律の考察を放棄した貴公よりは上等であると考えている。
0378人間七七四年
2021/08/31(火) 01:48:01.18ID:wcXfCPBb史料の信憑性がありきで考えるべきで因果律だどうこう言い出すのははっきり言って陰謀論者と大差ない、井沢元彦あたりとどっこいだよ
どんだけ注意した所で浮かれた頭には入らないだろうが、お前は学んだ気になってるだけでその実何も学べてないまま天狗になってるだけだから、人にその寝ぼけた話押し付ける前にちゃんとなぜ史料の信憑性がここまで重視されてるのか、客観性と実証ってどういうことなのかから学び直してこい
0379人間七七四年
2021/08/31(火) 02:00:52.41ID:KsCi9xrM何度も云うが、史料の記事は無限に連続する因果律のほんの一断面の、そのまた細片に過ぎない。
その間を繋ぐものは論理しかない。
論理なくしては如何なる考察もあり得ない。
なに、論理と云っても大したことはない。
「必然」と「必然に近い蓋然」を積み重ねていけば良い。
但し。
基礎理論や思考の約束を身に付けていない貴公のような御仁には困難なことだろうが。
0380人間七七四年
2021/08/31(火) 02:07:19.02ID:wcXfCPBb因果関係がどうこういうならまず第一に理解しておかなければならない点をお前は学ばないまま喋っても片腹痛いだけだよ
お前にわかる気がないならそもそもこちらに喋りかけてくるな
0381人間七七四年
2021/08/31(火) 02:19:19.41ID:wcXfCPBb1700年辺りの記述でそれ以前の遡りの厳しい史料を
幕臣がこんな事言ったら首切られるはずなのに書いたから真実味がある
なんだから、どんだけ当人ののたまう因果関係とか言うものが贔屓の引き倒しで主観に偏ってて信憑性がないのかよくわかりますね
0382人間七七四年
2021/08/31(火) 02:34:30.42ID:KsCi9xrM軽薄な言葉遣いをしない方が良い。
先程から盛んに「実証」なる単語を振り回しているようだが、その定義は何か。
工学畠を歩く者から云わせて頂くと、実証とは現物、現実、或いは再現試験データによる証明行為のみを意味する。
貴公は史料の記事を何を以て「実証」すると云うのか。
貴公の主張は例えば考古学成果物や遺構や遺物によって「実証」されているのか。
貴公が語っているのは書面上の文字の「解釈」だけだろう。
歴史は決して再現できない。
厳密な意味に於いては実証もできない。
それでもそれを考察していこうとするならば論理を重ねていくしかないし、
その論理は普遍(=不変)の基礎理論や物理法則に従うものでありさえすれば足りる。
0383人間七七四年
2021/08/31(火) 02:52:47.31ID:wcXfCPBb堅苦しい言葉を使ってるだけでその本質をろくに理解もしないでいるだけの人間にはわからんだろうね、賢い言葉いっぱいつかえて偉いですねと褒められたいだけなら母親にでもやっときなさい、お前のその史料研究ろくに学ばないで唾吐くような態度にこちらはよほど腹立ってんだから
さっきも言ったが、理解する気が毛頭ないのに喋りかけてくるなよ、さらさらわかる気がないのにご自分の妄想は通せとわめき倒すわがままが通ると思うなよ
0384人間七七四年
2021/08/31(火) 10:27:29.32ID:xniXoF5Qっていう状態なのよね、秀吉存命時でも
そりゃまぁバレなきゃええやろの精神にもなろうよ
大坂城でも盗みやらが多発してたりと、秀吉政権は秀吉が直接見れない範囲はかなり風紀が乱れてる
0385人間七七四年
2021/08/31(火) 10:27:55.22ID:xniXoF5Q10年で政権中枢は秀次家臣団に移ってるだろうけど、
秀次家臣団で家康に対抗できるか。
史実では徳川派の最上とか伊達とかは秀次派だろう。
政権中枢から排除されてるだろう、秀吉時代の奉行衆はどう動くか。
0386人間七七四年
2021/08/31(火) 10:28:59.66ID:xniXoF5Q秀吉も長慶信長が踏んだ段階を踏襲して天下人になった。当然その後もまた別の実力者が天下人になることは想定していたのでは
むしろ徳川がその流れを止めてまた天下人を世襲することに成功した要因を考えた方がなぜ豊臣政権が終わったのかが分かるかも
0387人間七七四年
2021/08/31(火) 10:29:41.17ID:xniXoF5Qそのための安宅冬康粛清だったり、佐久間信盛らの追放だったりするのだろうが、
結局その死後、家臣団の分裂によりその政権は崩壊した。
秀吉も秀次を排除したのは後継者を秀頼に一本化して豊臣家の分裂を回避するのが、
やはり意図としては大きかったと思うが、それでもなお家臣団は分裂した。
家康の場合は、既に元服し政務にも深く参画していた嫡子としての秀忠がいた事と、
家康の生前に既に秀忠の次の家光まで継承者として決定していたことが、政権の安定と
継続にとって大きかったのだと思う。
0388人間七七四年
2021/08/31(火) 10:30:49.03ID:xniXoF5Q世襲将軍と雖も共同幻想を構成する一装置に過ぎないというシステムを初期のうちに強固に組み上げてしまった。
その一方、徳川家康は死に臨んで世襲の自明性を否定する訓戒を秀忠及び側近に遺したとも伝える。
ここから貴論に従って考えを遡らせるならば
羽柴「豊臣」権力体短期終焉の根本原因が属人性の排除を成し得なかったことにあるのは論を俟たない。
で、権力体がその方向へ走るに至った決定的或いは象徴的な事案は何かということを考えあぐねている。
羽柴秀吉という個人が一装置を超えるカリスマを身に纏わざるを得なくなった契機ということなのだが…、
結局は「大返し〜山崎の戦に至る経緯の非常識性」、
謂わば羽柴権力成立そのものが短期崩壊の原因であるというパラドクスに行き着いてしまう。
0389人間七七四年
2021/08/31(火) 10:32:53.32ID:xniXoF5Q、また朝鮮には明軍数十万が集結して日本軍を踏み潰そうとしているという情報もあった。
この中で家康筆頭の政府は「日本が敗走したという形にならないように撤退」するよう指示。
その結果島津が海戦で李将軍を粉砕した。
更に島津が交渉担当になって終戦交渉が始まる。
朝鮮には外交官姜より「日本の主導者は秀吉とは関係ない源家康になった」報告が入り
交渉は始まったけどうまくいかない。
その内、明・朝鮮が対馬を攻撃するとの噂が流れたりするも、
日本も「家康が都合の悪い前田利長・上杉景勝を朝鮮に出兵させる」と情報戦を展開する等ごたつく。
最終的にはなんとか収まった
0390人間七七四年
2021/08/31(火) 10:34:09.96ID:xniXoF5Q大清グルンの勃興は正に北虜そのものだし、
豊臣権力の朝鮮侵攻は亜細亜史的には「倭寇的状況」と呼称される運動の文脈で捉えられている。
明の権力中枢の主観は措くとしても、最後までこの二つの要素に祟られたことは客観的に否めない。
しかもこれらの外寇自体もまた各々の本国における飢餓貧困に起因する。
中世に於ける地球寒冷化の影響の深さ広さはまことに測り知れない。
0393人間七七四年
2021/08/31(火) 21:58:34.12ID:Ktficwut0394人間七七四年
2021/09/01(水) 23:04:26.46ID:I+oZookQttps://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1592562643/
このスレの住人ときたら、「太閤殿下の遺した体制は完璧、ただ家康一人だけが性悪だったから
豊臣の天下が奪われた」という至極簡単な事実も認められない神君史観論者ばかりです
あんな低レベルなスレも関が原スレのように潰していただけないでしょうか?
0395人間七七四年
2021/09/01(水) 23:07:55.75ID:I+oZookQ毛利輝元を中心とした反家康勢力が家康の上杉討伐を好機だと勇足してしまったら
上杉討伐で東国勢が家康方として靡いてるのをみて戦況の不利を悟ったがひっこみがつかず
空気読めない石田三成らが岐阜周辺で徹底抗戦して壊滅したのをいいことに
責任をなすりつけただけとしか思えないのだが
毛利家の安国寺恵瓊などもお家を守るためにスケープゴートにされたんだろうねえ
織田秀信は周囲よ甘言にのせられてお花畑すぎるし長宗我部盛親はボヤボヤしすぎや
それ考えると西国に位置しながら断固として東軍につく腹積もりをしてた小早川秀秋の果断さが光ってくる
0396人間七七四年
2021/09/01(水) 23:55:32.96ID:MfnpAU2R0397人間七七四年
2021/09/01(水) 23:56:49.15ID:O9P4wbgC表層の政治・軍事動向だけ切り出して突っついて何かが解るという軽薄な価値観はゲーム脳マンガ脳ラノベ脳の証。
0398人間七七四年
2021/09/02(木) 10:04:51.54ID:Xa/BcFa8逆に言えば滅んだからこそ、三成びいきが増えただけだろ
0399人間七七四年
2021/09/02(木) 10:06:18.25ID:Xa/BcFa8その代表が君なのか?
0400人間七七四年
2021/09/02(木) 10:48:02.13ID:O5EWF//Eこの輝元とともに隆景が名を連ねたり、我々という記述的にも
西国惣無事はあくまで隆景もいる前提な方が自然な気がするね
文禄3年に養子縁組した秀秋が、その後すぐ当主になって更に小早川家臣団を解体しきってほぼ完全に違う家状態にまで持っていくけど、ここに秀吉の意向はどこまであったのかとかってわかりますか?
0401人間七七四年
2021/09/02(木) 20:20:15.43ID:MI/wLa4B例えば山内盛豊は岩倉織田の家老だけど貴になるのかな?
現在の感覚だと身分が高いと思ってしまうが多分昔の感覚と違うのだろう
当時の貴の人たちから見れば兄弟姉妹が読み書きできる階級でも秀吉は下賤からの成り上がりなんだろう
秀吉や秀長がはっきりと出自を記さなかったのは何故なのか
0402人間七七四年
2021/09/02(木) 20:47:16.78ID:O5EWF//E0403人間七七四年
2021/09/02(木) 23:00:26.01ID:MI/wLa4B天下人時代『やはり出自が良くなければ人は言うことを聞いてくれぬ。天皇の落胤だと出自を捏造するぜ』
0405人間七七四年
2021/09/06(月) 09:46:46.46ID:ApjljUp/0407人間七七四年
2021/09/06(月) 19:23:21.96ID:xb9qtmXo秀次が生きてたら、秀次娘が正室に決まってるから、千姫を嫁にもらうとしたら側室になる。
絶対ない、とは言わないけど、そうなったら外戚争いが始まるな
0408人間七七四年
2021/09/07(火) 14:57:05.60ID:R6dhtuCh0409人間七七四年
2021/09/07(火) 15:08:01.51ID:GlnZTgpI0410人間七七四年
2021/09/07(火) 15:55:51.63ID:NqRW+nQbよく続くもんだが、流石に書き殴りみたいな記事もある。
0411人間七七四年
2021/09/07(火) 16:13:50.99ID:1mHtX8kM0412人間七七四年
2021/09/07(火) 20:07:55.57ID:J3KZ8mZGそれでも西軍と行動を共にしてた以上、タイトルとしては寝返ったと付けるのが自然というか簡潔だし
0413人間七七四年
2021/09/08(水) 11:05:27.67ID:vKTN1sym印税や公演費ってそんなにないのかな?
0414人間七七四年
2021/09/08(水) 11:39:52.07ID:Lr7gTSQ60415人間七七四年
2021/09/08(水) 12:05:29.69ID:TqxEXlId秀次一族を根絶やしにした秀吉に比べるとかなり甘ちょろい男だな。
0417人間七七四年
2021/09/08(水) 12:53:46.54ID:wqWZARCIわずか10年程度で終わった豊臣政権にくらべりゃ大成功だよ
負け惜しみはやめときなって
0418人間七七四年
2021/09/08(水) 13:02:41.25ID:5kmNaxlZアメリカに開国されられた日本がアメリカに潰されたとか
まあ言いたい放題よ
0419人間七七四年
2021/09/08(水) 13:10:17.58ID:ZTCTCVer逆説でものを見るとか後から見た視点で語るは一番やっちゃいけないことかな
0420人間七七四年
2021/09/08(水) 18:22:56.47ID:+4Ow1Dsyそこを過剰には推さないでほしいな
秀忠以降の将軍や老中たちの奮進あってこそ
0421人間七七四年
2021/09/08(水) 18:45:15.16ID:SFXWsQsGあと家臣団が優秀だったから
0422人間七七四年
2021/09/08(水) 18:46:26.89ID:5kmNaxlZ成人した手堅い二代目がいて、しかも信康ほど年嵩ではない
そこにしっかり教育された家老たちが固める
まあ二代目はともかく家老たちを育成したのは家康か
0423人間七七四年
2021/09/09(木) 04:52:44.23ID:29w7IpX9文禄3年(1594年)、秀次の正室の若政所が、秀次の娘である八百姫
(豊臣秀頼の許嫁だったとされる)の平癒祈祷のため、書状を送った
記録が残っている。なお、両名とも秀次事件で刑死している。
0424人間七七四年
2021/09/09(木) 04:54:52.40ID:29w7IpX9これに関しては、池田輝政を始末し損ねた秀吉も同様。
池田輝政は姫路城に封じられ(当然わざと)、大坂の陣直前に
死ぬまで秀頼と敵対している。
0425人間七七四年
2021/09/09(木) 07:06:48.74ID:m7hJlREXなお二代目は実母に洗脳教育された模様
0426人間七七四年
2021/09/09(木) 08:16:19.08ID:trBtoIZjただそんな徳川幕府でも完全に安定するまでに4〜5代かかってることからも
大事な創業期に家も家臣もすっからかんにして秀頼1人にした秀吉の行為がいかに自殺行為だったかわかるし
秀吉個人の権勢に従っていたに過ぎない外様大名の相互牽制で秀頼成人までもたせられるなんて発想がいかにお花畑かわかる
0427人間七七四年
2021/09/09(木) 10:47:26.02ID:Y/9McohO0428人間七七四年
2021/09/09(木) 16:47:48.81ID:bT+uMV6d秀頼への継承について晩年の秀吉は試行錯誤を続けているうちに時間切れになっただけで万全だなんて考えていなかったと思う
0429人間七七四年
2021/09/10(金) 02:20:49.49ID:N6W2VQ8y0430人間七七四年
2021/09/10(金) 09:23:32.86ID:hKX/phdu秀吉のような独裁者になれる確率は万に一つもなく
人の傀儡になるか殺されるかどちらかしかない人生だった
0431人間七七四年
2021/09/10(金) 09:36:52.95ID:SMImtyKaそっから滅亡までは秀吉関係なく完全に秀頼の器量の問題
0432人間七七四年
2021/09/10(金) 10:14:20.97ID:OUUkKnPT大名棄てて公卿の道もあったけど、結局無理だったしな。
多分摂関職は奪回した五摂家が絶対手放さないだろうし。
0433人間七七四年
2021/09/10(金) 11:30:37.73ID:aJcMSJNB生き残ることすらさせないだろうし。
0435人間七七四年
2021/09/11(土) 07:12:03.72ID:Ctrl6azL後知恵ではあるけど、摂関家側に関白に代わりうる地位と立場、権威のある
役職を用意する事で、関白を豊臣が独占できるようにしておくべきだったのかね
まあ正直、何を用意しても伝統が足りないから無駄な気もするけど
0436人間七七四年
2021/09/11(土) 08:23:30.13ID:eihQW7St関ヶ原後の65万石でも有数の動員力だもの
武家として残るなら征夷大将軍への服属は
むしろ当然で服属拒んだ武家を放置するのは
幕府として無理でしょう
大阪の役開戦直前に示された和解案のうち
秀頼の参勤と淀の江戸在住は
当時まだ明文化はされた法ではないが
全国の大名に進められてた政策
拒否って軍拡進めてるんだから
そりゃもう討つしかなくなるわなって話で
普通に武家として残るのはあり得た
0437人間七七四年
2021/09/11(土) 09:04:17.46ID:l0gs86asそ、公卿として生き残るには「大名を棄てて」が絶対の前提条件。
でも豊臣が棄てられる訳がないんよ、激減したとはいえ65万石とそれの支配を。普通に考えてもあり得ない。
それが出来るなら秀頼の江戸参勤や淀殿の江戸在府なんてムチャクチャハードルが低い。
まあそれに例え公卿の道を選んでも所領ゼロでは無いが皇室・五摂家の所領を越えない程度のショボい数千石でそれから堪えられるのか
若しくは少しでも越えてたら公卿としてやっていくのは軋轢キツだろなぁと。
もし豊臣が朝廷内で最大の所領を安堵されたりするなら、家康が余程秀頼を信頼して「豊臣に朝廷の管理監督を委任する」って危険かつトンでもない事を意味しかねない。
五摂家が朝廷内で最大の所領を安堵されてたのは五摂家に朝廷の監督を任すって意味だったんだし。
0438人間七七四年
2021/09/11(土) 09:38:40.41ID:eihQW7St秀頼個人の処遇問題じゃないからね
65万石にはそこから扶持を受ける家臣がいる訳で
それぞれが家族を養い自分の家(と禄)を守りながら
そのためにこそ主家を盛り立ててる
その豊臣家の舵取りなんで65万石をむざむざ
手放すなんて結論は出ようがないのよ
(相談するのも家中の人間なんだから)
江戸に参勤する、母を人質(江戸住み)にする
(京都から離れた)地方への転封を受け入れる
というのが開戦前の妥協案だけど
それってつまり普通の武家として
家を守ってくって選択なのよね
その案を出したのは片桐且元だけど
豊臣家の禄を食む家臣団の代表としては
時流を鑑みたら至極真っ当な選択
逆言えば幕閣とやり取りする中で
それは可能と観てたということでもある
その提案に追放でもって報いてる時点で
そりゃもう戦争なんよね
徳川方が無理矢理戦争に持っていったと
言われることが多いけどその辺感覚おかしい
0439人間七七四年
2021/09/11(土) 09:47:55.98ID:N+r3YNjg0440人間七七四年
2021/09/11(土) 09:53:59.18ID:tEA9EitD秀忠の官位で怪しい点があるからね。
公卿補任だと秀忠は慶長十年に正二位に上がってる。この時点で秀頼も正二位ってことを踏まえるとかなり怪しい動きといえる(しかも慶長十五年には秀忠は従二位となってるし)
0441人間七七四年
2021/09/11(土) 09:56:46.90ID:tEA9EitD1 秀頼を確実に豊臣宗家にする方法は秀次とその一族を処分する他ない
2 秀吉と秀次は仲が悪い
この二つが合体してヤバい事になったんだろうなぁ。
0442人間七七四年
2021/09/11(土) 10:52:42.29ID:1vWdSRsg征夷大将軍任官に繋がる一連の流れよ
その時点で幕府も朝廷も天下は徳川が回し
家康から秀忠に継承される方針が固まってたが
それと豊臣断絶はイコールではない
むしろこの期に及んでまだ秀頼に
秀忠より上席の右大臣与える遠慮がある
という点がおもしろい
0443人間七七四年
2021/09/11(土) 11:29:22.93ID:jROBQgzV実力がなきゃやってけない大名を捨てて官位と虚飾だけの公家になるのはむしろ身の丈に合ってたと言えるな
秀吉死後の豊臣家は「家」と言えるほどの実質を持たずただ過去の栄光にあぐらをかいてるだけで主体性も何もない
0444人間七七四年
2021/09/11(土) 11:44:32.88ID:makcv46y関ヶ原は豊臣の内紛だっていう意見が強いけど、関ヶ原で勝った家康はその後独断で領土の保証と分配をやっているからその時点で徳川の天下にもう変わってしまったと言える
そこで家康の戦後処理に何も出来なかった時点で豊臣はもう終わってる
0445人間七七四年
2021/09/11(土) 11:55:04.70ID:T4HlhVhsてか公家は公家で大変だしね
0446人間七七四年
2021/09/11(土) 11:57:48.63ID:AecndAT00447人間七七四年
2021/09/11(土) 12:23:54.99ID:1vWdSRsg65万石の家禄があればそれで生活してる
万単位の人間がいてその政治によむて成り立つのが
「豊臣家」という武家なんだよ
現代の個人の転職のように考えたらちょっと違う
0448人間七七四年
2021/09/11(土) 13:23:56.02ID:Af64Y6ga>>443ばかりじゃないが、
「戦国大名」を個人のことと勘違いしてる人が多過ぎる。
「戦国大名」とは地域独立権力体そのもののことであって、
羽柴秀頼だの徳川家康だのというのはその構造内の一つの装置に与えられた呼称、謂わば記号に過ぎない。
そんな立派な名前じゃなくて「引き籠りのデブ」でも「狸」でも構わないわけだ。
当然、デブも狸も構造に規定された機能を果たしているだけであって個性などという要素はノイズ程度の影響さえ無い。
その辺を理解できないから大名権力体の行動の動機を個人の意志や性格などに帰する講談的俗論が跡を絶たないんだろう。
0449人間七七四年
2021/09/11(土) 14:48:41.52ID:T4HlhVhs現代の大きな組織一つ取っても長が誰かで方針ごろっと変わるでしょ
理想で言えば大名は装置たるべきだが実際は個々人の性格に思いっきり引っ張られるよ
0450人間七七四年
2021/09/11(土) 14:52:01.23ID:ieq8N4Rh長尾は謙信の兄でよかったし
今川は氏真でも滅亡しなかっただろう
0451人間七七四年
2021/09/11(土) 15:32:04.52ID:j6s/BrQI機能させるため必要とか
講談はその辺の構造踏まえてた時代からあるから
お家の為の忠義とか主題になるんだとかあるが
まあ言わんとすることはわかるよ
戦国大名権力に限らないのだが
家というものが当時の社会を構成する
重要な法人格であって
個人の果たす役割も決断も
それと切り離して考えられないてことやね
0452人間七七四年
2021/09/11(土) 15:37:25.06ID:l0gs86as候補を単一化させ得たが豊臣存続の不安定要素をも作ったのは秀吉個人の意向だし
片桐且元の当時としては御家存続のため状況に応じたといえる和解策を蹴って、逆に追放処分にしたのは豊臣こそ天下人の家との認識に固執した秀頼や淀殿を始めとした豊臣首脳陣。
その本来権力体たる御家の「顔」のみの筈の当主の意向が、よくも悪くもノイズを越えて権力体そのものの意志となり行動に繋がってしまうことはままある。
勿論顔たる当主の意向はノイズのまま、御家自体は御家存続のため機能的にちゃんと現実に即した行動となるのも当たり前にある事であるけど
戦国大名の面倒な所はそれらが綯交ぜになって現出し、結構個人の意向により権力体たる御家も存続を危ぶむ形で振り回される事例も多い事。
それ故多くの大名家で御家存続のために不才や幼少の継承者を嫌って家督争いがよく起こるのだし、後世の人間もそれを見て誤解しついつい顔たる当主のみで毎度安易に論じる現象が絶えない。
0453人間七七四年
2021/09/11(土) 15:45:32.62ID:Af64Y6gaそれはヒトという生物に対する過大評価だと思う。
意志決定の前提となる環境、状況、与件、要件を解析していくと選択肢の幅は極めて狭いものになる場合が殆どだろう。
例えば武田勝頼は何故あんな無茶な外征を?と云ったって甲斐國は一国で成り立って行ける国ではない以上それは不可避の選択でしかない。
現に信縄信虎信玄と無茶を続けてきていた。
仮に甲斐國主なる装置が「上杉謙信」や「織田信長」と呼ばれるものだったとしても、
権力体が動員できる資源が甲斐國レベルでは判断からその結果まで史実と変わることは無いだろう。
そもそも「戦国大名」なる存在自体が気候変動や地殻変動等の抗し難い与件に強要されて生まれたものでしかないしな。
0454人間七七四年
2021/09/11(土) 15:52:09.28ID:Af64Y6ga> 今川は氏真でも滅亡しなかっただろう
逆。
駿河國主が「松平元康」でも「北条氏康」でも没落(念の為に云うと滅亡はしていない)していただろう。
氏真もまた、あの状況の中で不可避・不可抗の選択をしただけに見える。
0455人間七七四年
2021/09/11(土) 16:31:19.62ID:T4HlhVhsそらそのレベルのマクロさで見れば大概のものは個人の資質とか関係ないように見えるだけ
0456人間七七四年
2021/09/11(土) 16:31:22.00ID:j6s/BrQI俺はトップ個人の決断といえど家という
組織の論理を無視しては成立しないという考えで
歴史の動きが全て自然環境に導かれたもので
人意の介在する余地がないとまでは思わんわ
0457人間七七四年
2021/09/11(土) 16:39:02.60ID:Af64Y6gaそれぞれ考えが違うのは当たり前で、すまんとかいうようなことじゃないよ。
こうやって違う意見を交換(本来の意味のinter-view)できること自体に意味があるわけで。
0458人間七七四年
2021/09/11(土) 18:27:33.47ID:z/y46K1I秀頼にしろ氏真にしろボンボンだったせいかその辺わかってなかったんじゃねーの?戦って勝たなきゃいけない局面で動けない奴は子分に示しがつかないってわけ
逆に信長なんかはここで劣勢のまま終わると周囲に対して示しがつかないって時は損害も自分の身も度外視で命がけで戦ってたからな
0460人間七七四年
2021/09/11(土) 19:22:36.89ID:wbboYFx5↓
戦争に勝った後負けた相手から分捕った土地を集まった味方に配る
↓
武家の親分の完成。肩書きは後からついてくる
0461人間七七四年
2021/09/11(土) 19:24:51.70ID:Af64Y6ga違うと思う。
最初にやらなきゃいけないのは「喰わせること」。
それは何を措いても果たすべき至上命題。
戦争をすること、勝つことはその為の手段。
特に飢饉地獄の中世では喰わせることのできない國主や屋形は追放されるか殺されるか。
0462人間七七四年
2021/09/11(土) 20:21:51.75ID:j6s/BrQIないってのが分かってない悲劇よな
単純な話秀頼が個人的に思い立って
「よし65万石捨てて公家として生きよう」
と決断してもそれは通らん
何故ならその意思を外部に表明するにも
65万石によって生きているたくさんの
家臣の手を経て行われるから
100%止められるしそもそも
そんな破滅的なことを主君に吹き込む
阿呆も現れないだろう
0463人間七七四年
2021/09/11(土) 21:13:22.45ID:4dcHIZct上杉謙信とか、足利尊氏とか
千姫連れて京都所司代に出頭して、「もうあの家無理です。助けてください」
っていえば、高家扱いぐらいで残してもらえると思う。
0464人間七七四年
2021/09/11(土) 21:37:46.13ID:l0gs86asでもそんなタイミングって秀頼にあったんだろうか?
大坂の陣終盤まで奥には強硬派のオカン、表には大野兄弟などの家臣が詰め
城中全体は片桐が屋敷から逃げる前から既にやってきだした大量の有象無象の浪人衆。
方広寺事件前までは秀頼も安閑としていたから、逃げようなんて万一にも思いもしないからあり得んし
浪人衆が集まり血の気の増え出す頃にマズいと感付く時には、もう城中から逃げられないという。
大坂夏の陣で表の家臣が出払って浪人衆を城外出陣と騙しても、まず京都所か近くの徳川の陣へも辿り着けないだろう。浪人衆が秀頼様守護と称しくっついて離れないから。
封禄と所領安堵に飢えた浪人衆なんか集めた時点で、もう色々秀頼個人の運命は完全に詰んでいたとしか。
0465人間七七四年
2021/09/11(土) 21:45:03.54ID:T4HlhVhs淀君は融和派
大坂の陣は秀頼がやる気満々と考えるべきだよ
0466人間七七四年
2021/09/11(土) 21:57:18.50ID:ACCcZVfS重要な点は慶長十年時点だと秀頼が正二位っていうこと。
家康>秀頼なのはまぁ堪忍出来る(家康は秀頼の義理の祖父な訳で)としても、ここで秀忠と秀吉の官位が同じになるってことは豊臣にとって面白くないことなのは確か。
しかも秀忠は将軍になってる訳で何の職も無い秀頼よりも上位という事になりかねない。
つまり朝廷としては、秀頼と豊臣を滅殺する作戦の一環として秀忠を正二位にしたかった。
そんな中、秀頼は慶長十二年右大臣を辞任することになる…
0467人間七七四年
2021/09/12(日) 00:47:57.51ID:EtaFN+i8いやだからその時点で朝廷的にはもはや
天下人は征夷大将軍である家康で
秀忠が継ぐ前提での昇官でしょ
もちろん摂関家としては秀吉に騙し取られた
関白位を取り戻したかったし
朝廷としても秀次の死後に空位が続いてたのは
当然解消したいという思惑はあった
だがそれは関ヶ原の翌年に九条兼孝が関白就任し
天正10年にはとっくに解消済みだった
豊臣がおもしろくなかろうと秀忠の昇官は
けして豊臣滅殺に直接繋がる話ではないし
それを朝廷が主導したというのも飛躍してる
実力は完全に逆転してる秀頼をわざわざ
右大臣に昇官させるのは秀頼の政治生命を
抹殺したいなら全くちぐはぐだしね
0468人間七七四年
2021/09/12(日) 03:41:59.92ID:jspmu7KYその敬意を履き違えたのか知らんがとんでもない事をしでかす訳だけど
0469人間七七四年
2021/09/12(日) 03:50:08.90ID:/yYF6ZzI名誉だけを糧にして黙って捲土重来狙ってけばよかった
って後世の俺ならおもっちゃうけどそうはいかんかったんだろかなー
0470人間七七四年
2021/09/12(日) 03:52:51.59ID:ofsTfoaa豊臣家内部のお家騒動だからなあ。
それを自分たちで収拾できなかったという話で
0471人間七七四年
2021/09/12(日) 05:52:22.79ID:MUWebpUJ0472人間七七四年
2021/09/12(日) 07:39:43.44ID:A7AkaNp6そもそも秀忠、秀頼の舅なんだから秀頼は敬意を払わなくては駄目だろ
0473人間七七四年
2021/09/12(日) 09:32:36.37ID:ek+B4oz4事はそんなに単純じゃない。何故なら、秀忠が何年に正二位に上がったかが分かってないから。
公卿補任では慶長十年から十八年まで秀忠の位階は正二位と従二位で混乱している。で、改訂版では編者もわからなかったらしく従二位(正カ)として判断を保留している。
この事から秀忠の位階は正当な昇進ではなく何者かがゴリ押しした結果と見られる。
ただ、徳川がゴリ押ししたとは思えない。
徳川が朝廷を強迫したなら、秀忠の位階は正二位から変わらないはず(朝廷の密かな反抗とも思えない)
ならゴリ押したのは朝廷ということになる。
おそらく、秀忠の将軍任命と同時に正二位の話もされたんだろう。
だが家康はこれを断って従二位で妥当とした。
ところが、朝廷は正二位を与える旨を通知していたので彼方此方で混乱が起きた。
ではこのゴリ押しの真意は?秀頼の位階が正二位である事と全く無関係なのだろうか?
0474人間七七四年
2021/09/12(日) 13:57:48.79ID:s7w3IaN60476人間七七四年
2021/09/13(月) 08:28:03.17ID:eEYO1vA9無理矢理難しく考えすぎ
天正10年に正二位でないなら秀頼との
位階の差の問題自体が存在しないことになる
1.朝廷が徳川に豊臣を始末させようとした
2.そのために秀忠を昇官させた
というロジックそのものが成り立たず
1.の根拠は何も示されてないということでいいか?
家康が秀忠の昇官を断ったというのも根拠不明だ
将軍宣下の段階であわただしくそんなやりとりあって
それが残らないのは謎すぎる
また家康から天下人を継ぐ秀忠の位階を
一大名に成り行く秀頼より上にするという発想は
むしろ自然なものだろう
豊臣滅殺の陰謀と結びつくものではない
むしろ天下人以上の位階の大名なんてもの
いるだけで治世の障りになるので
秀忠昇官がなかった(根拠は薄い)とする方が
衝突に繋がる蓋然性はまだ高い
はっきり言って「朝廷の陰謀」という
結果ありきで考えすぎだろ
0477人間七七四年
2021/09/13(月) 09:42:56.35ID:AEZ9ogFV秀忠の官位の混乱についてはふと思ったが
その後の徳川将軍との兼ね合いもあると思う
家光以降、正二位、内大臣
征夷大将軍・源氏長者宣下
がセットで受けるのが通例化する
この通例化は江戸初期に確立したと考えるべきだが
秀忠の時点ではもちろんそんな前例もない
でも仮に慶長10年の将軍宣下の段階では
従二位だったとして後世から観たら
「これおかしくない?」てなるわな
0478人間七七四年
2021/09/13(月) 10:56:59.13ID:6xvkL3VZ朝廷が官位を指令する以上そこに間違いがある筈がない。更に、もし秀忠が正二位を授与されていたなら何故それ以後従二位としてる記録もあるのかが説明出来ない(かなり失礼な記録になるから)
そしてこの混乱には原因があるだろう。
つまり朝廷は秀忠を正二位にするつもりだったしその通知もしたが、徳川はそれを断った。
だから誰もが秀忠が正二位か従二位かわからなかった(その上、徳川は武家政権なので正直位階はどうでもよかったんだろう)
だが、豊臣からするとどうか?家康が秀頼より上なのはまだ我慢出来る。
だが秀忠が秀頼と同じ位階に着くとなると…
当然、豊臣からすると面白くないし面白くないとなれば徳川との軋轢にもなろう。
朝廷からするとそれを期待して一連の動きをしていて、そして徳川はそれを避ける為に正二位授与は辞退したんだろう。
朝廷からするとアテが外れてしまったが、その代わり戦法を変えて秀頼を右大臣からクビにした。
0479人間七七四年
2021/09/13(月) 12:41:36.58ID:Hhj5eg7D0480人間七七四年
2021/09/13(月) 20:55:36.23ID:nTH+yL3m0481人間七七四年
2021/09/13(月) 21:01:44.97ID:mazs0ERa0482人間七七四年
2021/09/13(月) 21:57:43.82ID:tLHf6uoN0483人間七七四年
2021/09/13(月) 22:01:58.65ID:eEYO1vA9断ったならその経緯は何故完全に
誰の記録からも抹消されてんの?
そこまで徹底した情報統制が可能なのに
何故公卿補任には残ってんの?
全く説明できてないのだけど
0484人間七七四年
2021/09/13(月) 22:02:04.56ID:1PikWFaKむしろ豊臣家の復権を完全に否定する結果になりかねない
0485人間七七四年
2021/09/13(月) 22:29:55.15ID:3VDKiKy1豊臣政権は本当に 崩 壊 したのかな。
崩壊したのは豊臣政権から切断された羽柴家だろう。
その辺を混同してやしないだろうか。
豊臣政権二代目主宰者徳川家康はやがて自前の幕府を立てて政権機能を漸次移行していった、
という方が事実に近いように見える。
その過程は漸進的なもので、崩壊などという断層的なものじゃなかったと思うんだが。
敢えて言うなら豊臣政権は役割を終えてフェードアウトしていった、と。
茶々や羽柴秀頼の主観はどうだか知らないけれど。
0486人間七七四年
2021/09/14(火) 11:16:44.24ID:G7XNP87m史実と逆のパターン、つまり朝廷が正二位を与えたく無いのに徳川がゴリ押しして正二位を奪い取ったなら記録に残ってるだろうね。
公卿補任では秀忠が慶長十年に正二位になったのか従二位になったのかが定かでは無い。だから昭和に改訂版を出した時に従二位(正カ)としている
つまり、朝廷としては秀忠に正二位を与えるつもりだった。というか決定していた。
これはとても名誉な事なので断る事は有り得ないから誰もが「秀忠さまは正二位になったらしい」と思った。
だけど公卿補任で従二位の記録があるからこれは流れた事になる。それはつまり徳川が断った事に他ならない。
朝廷がこの様な動きをしたのは、同じく正二位の秀頼の存在が大きいだろうさ。
そうでなければ、正二位を徳川が断る道理が無いからね。
0487人間七七四年
2021/09/14(火) 13:47:16.06ID:LcQCJUM0他ならないって言ってる部分は何故そうなったのかわからないであるべきでそこに想像をいれるべきでない
0488人間七七四年
2021/09/14(火) 22:15:17.08ID:EG6gVxfg天皇の即位灌頂の本読んでたんだが、東山天皇の時に関白の一条家は伝授の実績が無く
伝授をよく行っていた二条家の当主も難があって天皇に伝授出来ない可能性が出てきて
五摂家内でああでもないこうでもないと霊元上皇も絡んで色々あったのだという。
それまでは五摂家全てにそれぞれ伝承があり、理屈としては何処でも天皇に伝授出来たらしいのだがこの争論以降は即位灌頂の伝授は二条家が占有する儀礼とする流れになったという。
さて、こんな状況下に豊臣がいたとするならどんなだろうと考えたんだが
豊臣って一切の有職故実を有しない、単に二代関白を出しただけの家でしかなく
朝廷を運営するのに必要な物が色々欠けていたのを秀吉の権力と武力でゴリ押ししてただけなのに気付いた。
即位灌頂は天照大神と藤原氏の祖神天児屋根命との君臣の繋りに基づくという伝承が室町までに成立していて、神同士の聖なる盟約のようなものとされてたという。
いわば皇室と藤原氏のみの儀礼たいなもので、他家の関わる事が出来ない性格の儀礼だった。
こんな事態になった時に豊臣が関白していたとするなら、朝廷最高位の筈の関白が全く役立たずな上に蚊帳の外になるのは必定な訳で
公卿の道もあると過去レスに書いたんだが、実際豊臣は朝廷に入れたとしても関白としての業務出来ないんじゃねえかと思った。
0490人間七七四年
2021/09/14(火) 22:31:46.44ID:Od/YSvrC五摂家が、九条が関白になっただけで関白が摂家に戻ってきたとは思ってなかったろう。
慶長五年、太政大臣は廃位となったから大臣職は左右内大臣のみ。そして左大臣が関白も兼ねる体制となってる。
仮にこの状況下で関白=左大臣が死去すると、
朝廷のトップは右大臣の豊臣秀頼ということになる。
関白は基本的には未経験者優遇という先例があるらしいので関白就任レースから秀頼を排除するのはかなり難しい。
朝廷、というか五摂家としては豊臣の勢力を朝廷から追い出す為に秀頼とその一族の死を願っただろうし、最低でも京から追い出すくらいは考えていただろうさ。
0491人間七七四年
2021/09/14(火) 23:09:55.71ID:BxFcMb4U関白てなんのジョークだよって話
0493人間七七四年
2021/09/15(水) 08:33:20.32ID:mmnCD6w6↓
秀吉の出自を徹底議論
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1610667352/
0494人間七七四年
2021/09/15(水) 08:46:10.73ID:ZBb6j9M71行目から理解不能
朝廷が働きかけて拒否されても
働きかけた記録拒否された記録が
残らないというのが謎すぎる
0495人間七七四年
2021/09/15(水) 08:48:41.34ID:ZBb6j9M7昭和から見たら正二位と征夷大将軍が
セットなのが既に慣例化してて
何故従二位とされてるかわからないので
「正二位カ」になるのはわかるべ
なんでその昭和の記述から
当時の状況がわかるのか飛躍してるが
多分あなた自身が自説を信じ込んで
そこが見えなくなってる
0496人間七七四年
2021/09/15(水) 08:53:10.60ID:ZBb6j9M7織田信長の際には当たり前に記録されてる
実際に昇官する際には勅使が来る
それがないのに「昇官した」と認識されてた
というのは話がおかしいし
勅使が出たのに断ったならそれこそ
大騒ぎになって記録されないのはおかしい
0498人間七七四年
2021/09/15(水) 09:42:21.92ID:71W+csMZ「訂正」された結果記録が混乱するってのは
ありそう(「正カ」もそれっぽい)
当時の秀忠への官位の決定権を握ってたのは
最終的には家康なのはまず間違いない
が、それと対立する「朝廷」の意思を
想定する理由は薄いかなあ
新たな天下人を昇官させようという意向は
官位の大盤振る舞いをした豊臣政権の経緯から
朝廷、武家両方にあったと思うよ
0499人間七七四年
2021/09/15(水) 09:57:46.39ID:skE8lHmZだとしたら「正二位(従カ)」と書くと思うよ。
公卿補任における秀忠の位階はある年は正二位、ある年は従二位になってたはず。
具体的には慶長十一、十二は正二位(十一年は散位で従二位)、慶長十六年以降は従二位と記載される。
何の意味も無く位階は上がったり下がったりする事は有り得ない。
明治期に改訂版の編纂者も困ったろうが正二位を与えたと意味も無く記録はしないという点と、
徳川実記等の資料を照らし合わして正二位としたんだろう。
昭和期新訂版の編纂者も困ったろう。
彼は「本当に正二位を賜ったならそれ以後に従二位とは書かない。なら慶長十年時点では従二位の可能性が高い」として「慶長十年内大臣従二位(正カ)」としたんだろう。
0500人間七七四年
2021/09/15(水) 20:43:58.04ID:ZBb6j9M7悪いが1行目何が言いたいかわからない
元レスで書いてるのは2点
・江戸時代の慣例が将軍宣下時に正二位なので
そこから正二位が正しいと考えるのは自然
・後世の註釈者は当時の細かい事情がわからない
なのにそこから陰謀論を導くのはおかしい
その何が「従カ」と書くと思う理由になるんだ?
その後長々書いたことは基本的に同意
言うまでもないと思ってあえて書かなかったが
上がるのはともかく下がるのはおかしい
勅使が派遣されて断るのと同様大事件だ
だからどちらも記録にない以上
そんなことは起きてない
0501人間七七四年
2021/09/16(木) 00:08:07.79ID:OutKi1zw徳川秀忠の官位が豊臣政権崩壊にどう繋がって行くのか、そろそろ考察の展開を頼む。
0502人間七七四年
2021/09/16(木) 01:01:26.46ID:xRjjnYUB官位、権威は豊臣家の滅亡と関係ない。
0503人間七七四年
2021/09/16(木) 01:13:06.96ID:hGgpjNwyその後朝廷工作と畿内の制圧のために畿内に留まり、将軍宣下を受けてから関東に帰った
その間に家康を抑えつける手段が豊臣側には皆無だったんだからどうしようもないわな
0504人間七七四年
2021/09/16(木) 01:33:07.44ID:1przx3+Mんで別に豊臣を立ててない訳でもなく秀吉の死亡で天下人としての機能を失った豊臣が段々求心力が下がって、その分天下人の機能を成り立たせてた徳川に求心力が上がり、ゆるやかに主従関係が逆転していく感じ
年頭礼見てるとわかりやすいよね
0505人間七七四年
2021/09/16(木) 01:35:42.92ID:xRjjnYUB家康は征夷大将軍に成るという風聞があったことが宣教師の記録などに
見えるので、家康が潜在的な征夷大将軍位の有資格者、という世間的認識は
かなり早くから有ったのだろう。
0506人間七七四年
2021/09/16(木) 01:46:54.34ID:FufWsU2i既に現役関白だった秀次を、秀吉が家父長権を以て
滅ぼした先例があるので、秀頼の舅である秀忠の段階でもう
それを行なう事ができる。
0507人間七七四年
2021/09/16(木) 01:48:32.42ID:1przx3+M勿論源氏だから征夷大将軍になる訳ではないが
0508人間七七四年
2021/09/16(木) 02:06:01.38ID:a5L3kl++0509人間七七四年
2021/09/16(木) 02:14:16.79ID:1przx3+M0510人間七七四年
2021/09/16(木) 08:04:46.05ID:aGH1Ms0R秀吉健在のうちに無理矢理にでも秀頼関白就任させて
実務は徳川内府家独占で関白はお飾りの体制を
確立させちゃうしかないんでは?
>>502>>507
むしろ関白になってしまっていたら
武家関白と幕府の二重政権状態で衝突不可避
幕府体制下の一大名として残る可能性も失う
0511人間七七四年
2021/09/16(木) 08:41:27.13ID:e12GcoAp後世でも徳川政権と呼ばれることになるだろう
0512人間七七四年
2021/09/16(木) 08:56:06.27ID:aGH1Ms0R鎌倉幕府室町幕府でしょ
徳川時代も一般的には江戸幕府江戸時代で
将軍独裁なんて続いてない
というか豊臣政権だけそう言われてんのって
短命だからで軌道に乗って何十年と経てば
伏見政権とか大阪時代になってたんじゃね?
0513人間七七四年
2021/09/16(木) 09:54:32.46ID:CwklY50i権威と武力が両輪揃って天下人にはなるけど、基本武力に従って権威がついてくる感じじゃね?武力というと聞こえはあれだけど言ってしまえば裁定の執行力な訳で
諸侯も執行する力がないのに権威だけの人間に裁定されても納得しないし、そんなのに付いていこうとはならない
0514人間七七四年
2021/09/16(木) 11:23:04.87ID:PwOFOjeBだから半端に大坂城という城塞に籠もってないで武力を放棄して公家になる
道はあったんじゃないかと思うね
家康が保護した他の元名門武家たちの中のトップクラスの待遇は受けられたんじゃないか
まああそこから天下を取り返すのは絶対無理だわ
0515人間七七四年
2021/09/16(木) 12:28:15.08ID:1tUbDeMcそれには豊臣内部が「もうウチは天下人じゃないし、これ以降天下人の家であり続ける必要も無いんだ」と一致して割りきらないと無理だろなぁと。
それが出来なかったから大坂の陣が起きた訳で。
かなり豊臣家自体が内的変化を遂げないと難しいかと思う。
昨夜のBSで秀吉が最
晩年建てた京都新城の話があったけど、公家屋敷も兼ねていたというこの城が関ヶ原前に破却されたのは
公家として生きる道すら喪っていく豊臣の将来を表すようだなと思ったよ。
0516人間七七四年
2021/09/16(木) 12:31:56.96ID:CeArTaJbもう時代に取り残されてる感があるのにいまだに前時代の意識で居座っていて
結果的には秀頼自身をも滅ぼすほど政治的に中途半端で危険な存在になってた
政宗だけでなく全ての大名が思ってたろうけど
0517人間七七四年
2021/09/16(木) 13:07:01.64ID:l2XWKTrU宣教師とかキリシタンの武将があつまるからでしょ
伊達家でも北の留守とか白石とか亘理の領地にはキリシタンの残党とか多くいて
伊達宗家も黙認していたけど仙台とか岩沼とか亘理とか伊達宗家と近いところの領地には
いなかったわけで、わざと領地の辺境にキリシタン置いていたわけだし
政宗は領内でのキリシタンの不穏な動きに対応してたからな。
キリシタンとかいない大名はキリシタンの恐ろしさを身に感じていないし
西国には秀頼のシンパが多いから、そいつらとは違うよと秀忠にアピールしていたんじゃないかな
(あと100万石のお墨付きを反古されているからチャンスがあれば貰う気満々だったし)
0518人間七七四年
2021/09/16(木) 13:13:34.66ID:/bt10gbVあと西国の秀頼のシンパとかキリシタンとかって何の話よ?
0519人間七七四年
2021/09/16(木) 14:17:33.10ID:elXvGWp1まず、江戸時代の先例云々はあんまり関係無い。
仮に昭和版公卿補任の編纂者が徳川家先例に熟知していたとしても、公卿補任に「秀忠の位階は従二位」と記されているんだから。
昭和版の編纂者は「秀忠が正二位を慶長十年に貰っていたら、その後はずっと正二位と記録される筈だ、つまり慶長十年では秀忠は従二位だったんだ」と考えた。だが、徳川実記等慶長十年に秀忠が正二位に昇った事を記録してる史料があるのも事実。
だから昭和版編纂者は、附記でこの点も記した。
それが「従二位(正カ)」って事。昭和版では慶長十年に秀忠が貰ったのは従二位としてる訳。
もし、徳川の先例から正二位だと思っていたら「正二位(従カ)」と書くだろう?だって正二位になってるはずなんだから。
勿論、これが朝廷のささやかな嫌がらせって可能性も無いわけじゃ無いよ?東侍に正二位なんか与えられん!っていうね。
…まぁそもそも、徳川家康が征夷大将軍になった時は「従一位・右大臣・源氏長者」だった筈なんだけどね。
秀忠が正二位を貰っていたら、その後に従二位とは記載されないだろう。つまり、公卿補任の記録は混乱してる事になる。その混乱の原因は編纂者が考える事でもない。
だが、慶長十年時点では秀頼が正二位である事を踏まえれば、大体の事情は見えてくる。
0520人間七七四年
2021/09/16(木) 16:03:22.04ID:l2XWKTrU仙台市博物館にあるものをちゃんと読みなさいよw
これでもみたら?
https://www.youtube.com/watch?v=GovLgFe5n6k
0521人間七七四年
2021/09/16(木) 16:06:42.11ID:l2XWKTrU覚
一、苅田 一、伊達 一、信夫 一、二本松 一、藍松
一、田村 一、長井
右七ヶ所御本領之事候間、御家老衆中へ為可被宛行進之候、仍如件、
慶長五年八月廿二日 家康(花押)
大崎少将殿
(『伊達政宗卿伝記史料』596頁)
どこに切り取り次第と書いているのかな?
0522人間七七四年
2021/09/16(木) 16:45:46.06ID:/bt10gbVあとその史料のどこに100万石がうんたらと書かれてると主張してる訳?
0523人間七七四年
2021/09/16(木) 17:00:06.71ID:/bt10gbV当時の常識としてその書状が同心しただけで必ずあげますなのか自力で切り取ったらなのかが知りたいな
この辺りの研究をしてる研究者は誰かいない?
0524人間七七四年
2021/09/16(木) 18:37:26.49ID:l69RSQmJ関ヶ原の翌年春頃まで軍事行動続けてないんじゃないか
別に攻め落とす必要ないんだし
0525人間七七四年
2021/09/16(木) 19:39:40.86ID:m5QnuC06一次史料だと前田は北陸切り取り次第もらってて黒田は九州切り取り次第を要請してる等
本戦組はともかく地方組で東北だけ「味方しただけで差し上げます」は、まず考えられない
0526人間七七四年
2021/09/16(木) 20:26:57.83ID:g8ZiYwL8だから誰も正カを根拠に話してないよ
あなた以外はな
あなたはそれと「事情は見えてくる」とか
濁すだけの適当な思わせぶりだけで
朝廷の陰謀とか任官拒否事件とかその隠蔽とか
無理のある主張を繰り返してる
でもその根拠は何も示せずにいる
ただそれだけ
0527人間七七四年
2021/09/16(木) 20:57:15.35ID:aGH1Ms0R関白として残るにはさらに領土を削らないと
幕府にとって脅威を残しすぎて通らないだろう
そして65万石の召し上げを前提に考えるのは
「豊臣家」という集団にとっては自殺に等しいので
かなり難しいと思う
自分とその家臣家族が露頭に迷っても主家を残す
という奇特な集団である必要がある
0529人間七七四年
2021/09/16(木) 21:06:22.12ID:aGH1Ms0Rこの時点で朝廷、幕府ともに武家関白制は
今後の予定には入れてないと見るべきかと
(だから滅殺を狙ってるとまでは言えない)
そこで残るは一大名として残るという道で
それは豊臣家臣として家を残すには現実的な妥協案
片桐且元が提案したのもまあ頷ける
結局は主流派に拒否されて追放された訳だが
一応は豊臣家内部にもその道を模索した者がいて
派閥政治を勝ち抜いてたらあり得た未来だと思う
0530人間七七四年
2021/09/16(木) 21:13:59.76ID:aGH1Ms0R体制を確立させるしかないと思うわ
当初の秀次への政権移譲路線を堅持して
実質的な武力に裏打ちされた政権として残る
というのが一つ(秀頼は出家させるとかな)
秀次横死後ならむしろ徳川に権力集中させて
秀頼はお飾りにする方がまだ可能性ある
0531人間七七四年
2021/09/17(金) 12:29:05.50ID:9EMUrmLE計算できない可哀想な子なんだなw
>>523
じゃあ結城秀康は上杉領に45万石位切り取ったわけなんだw
0532人間七七四年
2021/09/17(金) 13:14:49.89ID:7XTJHeshとりあえず出典のない動画を見せてきた時点でもちょっとアレな人だなーと思ってたけども
0533人間七七四年
2021/09/17(金) 15:38:56.34ID:9EMUrmLE逃げないで答えて下さい。切り取り次第前提であれば、例え子供だろうが他人だろうが(でも息子の嫁の父親だけど)
条件は同じになるはずだけど
残念な返ししか出来ないのかな?
0534人間七七四年
2021/09/17(金) 15:47:42.60ID:7XTJHesh織田政権において家臣たちに切り取り次第が出たからって息子にも同条件が課されたことなんてあった?
逃げるとかじゃなく勝手な脳内ルールを持ち出してこないでもらえる?
0535人間七七四年
2021/09/17(金) 16:25:50.45ID:Uuwv4W/+こんな当然の事も分からんのに人様に噛み付くんじゃあないよ
0536人間七七四年
2021/09/17(金) 16:35:56.42ID:3di08Q9dそれをさせない為に守りを固めてる結城秀康と
むしろ積極的に攻撃しなくちゃ上杉が南下始めた場合牽制にならない位置取りの伊達
一緒くたに語るのはどう考えてもダメな例でしょ
0537人間七七四年
2021/09/17(金) 16:57:53.15ID:nQqB1YAS黒田も要請のお伺いを立てた後に井伊直政通して家康から
九州切り取り勝手の許可の返事(慶長5年8月25日付黒田長政宛井伊直政書状)もらってたな
まあ普通に考えて何もせずに加増なんかしてもらえるはずないわな
0538人間七七四年
2021/09/17(金) 19:48:33.35ID:xB/RJVmf最上も伊達同様関が原の後も上杉と戦って得た庄内地方を丸々貰ってる
0539人間七七四年
2021/09/17(金) 20:26:23.23ID:YwIdib8Pttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20210917/k10013263731000.html
>石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて
>忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて、
>専門家は押しつけがましいともとれるほど生真面目な三成の性格や人間性がよく表れているとしています。
>また、古田織部の書状は、織部を名乗る前の「左助」という名前で「刀を貸してほしい」という趣旨が記されていて、
>専門家はほとんど残っていない織部の若い頃の書状だとしています。
書状を裏紙に使っているので金をため込むと思われても仕方ない気がする
0540人間七七四年
2021/09/17(金) 20:28:24.16ID:jWvq4BOh実際に切り取れた小松領・大聖寺領だけ加増+弟領
黒田如水は九州切り取り次第を要求したが(九月一五日付藤堂高虎宛黒田如水書状)
本戦で決着済みと受け入れられず森領のみ切り取り次第
加藤清正は肥後筑後切り取り次第を許可されて(八月一二日付加藤清正宛徳川家康書状 )
切り取った宇土領を加増
遠藤慶隆は旧領切り取り次第を得て(七月二九日付遠藤慶隆・胤直宛徳川家康書)
切り取った旧領復帰
最上義光は切り取った庄内領を加増
伊達政宗は切り取った白石領を加増
ざっと有名なの並べると関ヶ原の地方組には切り取り次第の原則が分かりやすく出てることが多く
政宗だけ特別扱いする理由が見い出せないし俗にいう百万石のお墨付きは成立しにくいね
8月22日付伊達知行宛行状もまぁ出された意図が不明瞭だし上杉征伐のあかつきには旧領に戻してあげるよくらいの話じゃないのかな
0541人間七七四年
2021/09/18(土) 10:49:06.09ID:1560V2v0紙自体の価値が現在と桁違いなんで
機密性高かったり残す必要あるあったりしなきゃ
忠興に限らず結構使い回してたみたいよ
書状を自著に使ってたなんてまだ上等で
屏風の裏から出てきたりする
0542人間七七四年
2021/09/18(土) 17:35:48.87ID:jg7rlLh20543人間七七四年
2021/09/18(土) 18:21:17.74ID:iwDTxuAA0545人間七七四年
2021/09/18(土) 20:11:13.30ID:Y7Yr55+I最上勢は下秀久を先手とした最上義康の軍が庄内地方の尾浦城を1600年、翌年3月に酒田東禅寺城を攻略したとなってるね
0546人間七七四年
2021/09/19(日) 00:37:38.76ID:SIFznKUm元々尾浦城主だったが最上方として尾浦城を攻め落として、尾浦城主に復帰したとか
0547人間七七四年
2021/09/19(日) 10:51:54.13ID:fe99dDKF奥州仕置時の秀次の補佐として動いてる家康の報告書であると
浅野弾正からの情報を秀次に上げてるみたいで、関係の把握に便利そうね
0548人間七七四年
2021/09/19(日) 11:43:17.43ID:vf+cpQLH新出の書状とは言え、同じ日付(天正18年12月8日付)で伊達家文書で既に知られている
津田盛月・富田一白宛家康書状と全く同じ内容なんだよな
伊達家文書の方は秀吉に報告したものだから文末に「此旨可然様可預御披露候」と付け加えてるが内容は一緒
0549人間七七四年
2021/09/20(月) 10:29:29.98ID:n9NbmPOt公卿補任は平安時代から続く官位任命の記録書なので「江戸時代の慣例」がなんで出てくるのさ?
記録者が未来の慣例を予測して書いたとか?
あるとしたら「征夷大将軍の官位相当は正二位」って事じゃ無いの?でも征夷大将軍って従三位、若しくは従二位あれば足りるらしいけど。
公卿補任は重要史料だから何回か調査・編集がされてるけど(明治版と昭和版)
仮に思想的偏見があったとしても、公卿補任の内容を勝手に変更はしないと思うぞ。
明治版は秀忠の官位変遷が妙だと思ったけど、史料に忠実に編集した。
昭和版は朝廷の常識(位階は安易に上下しない)を重視して慶長十年の秀忠位階は従二位としつつ、
史料も鑑みて附記で(正カ)とした。
0551人間七七四年
2021/09/22(水) 01:45:36.33ID:6zEEAOuwhttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1632220456/1
0552人間七七四年
2021/09/22(水) 09:29:57.55ID:DZiy2xwo秀次事件のシーンでは出演者全員「・・ないわーこれで崩壊したろ」
みたいな感じで草だった
0554人間七七四年
2021/09/22(水) 12:09:04.72ID:sRuQOyjnよほどの豊臣びいきでない限りわかりそうなものだけどな
豊臣家単独で政権を担当できなくなり他家大名に依存もしくは寄生しなきゃやってけなくなったってことなんだから
0555人間七七四年
2021/09/22(水) 12:21:40.09ID:lxh/AYyaそりゃ当然ながら現代の我々は学者一般人問わず後世の人間だから「後知恵」ってフィルターがあるからだけど、秀吉没直前の時点で豊臣政権後継者が幼少の秀頼のみしか想定されてなくて小早川秀秋始め他家に入った親族に後継の目が無い状態では、スペアも無いのにメインの部品がもうすぐ無くなるって状態な訳で
当時でもマズい状態なのは明らかだもの。
秀吉が秀頼成年まで元気に後見するのが大前提の継承策って、どう考えても当時の人間の寿命を思えば相当困難。
0556人間七七四年
2021/09/22(水) 12:31:55.33ID:sRuQOyjn秀次事件以後の徳川への傾斜っぷりでわかる
0557人間七七四年
2021/09/22(水) 18:37:38.28ID:b+Ks3Ui40558人間七七四年
2021/09/22(水) 19:46:29.15ID:PSf0Id/h武家のトップ張りたかったらここぞという時には身体張らないとな
0559人間七七四年
2021/09/22(水) 20:15:07.87ID:qpqx3u0t仮に決戦に勝てたとして、一回でも担ぎ出されれば他勢力に利用される恐れもある
0560人間七七四年
2021/09/22(水) 20:20:40.82ID:K0afEccf0561人間七七四年
2021/09/22(水) 20:29:53.50ID:a2GmGOs60562人間七七四年
2021/09/22(水) 20:53:32.51ID:qpqx3u0tそれはそれで道中の不慮やら従軍しない将の反発がありそうな気もするが
仮に政権のトップが出陣するなら小田原征伐などと同規模の動員が必要になってくるのでは
0563人間七七四年
2021/09/22(水) 21:14:19.14ID:lxh/AYya政務を代務する大老格の家康が軍を率いて上杉に直接糾問する体裁だから、ここで秀頼出陣となると糾問でなく
0564人間七七四年
2021/09/22(水) 21:25:32.90ID:lxh/AYyaとてもじゃないが状況としても大仰に過ぎるし、以前の前田なんか秀頼が出張る兆しすら無かったんだもの。
それに征伐となったら必ず秀頼出陣というのもどうなんだと。
でも本当に秀頼に将来政権を託す、特に「武家」関白という公家・文官でない関白の有り様の実地経験を積ませるなら
例え幼少からでも戦場に出すのは有りと云えば有りでもあるけどね。
0565人間七七四年
2021/09/22(水) 21:34:48.91ID:YRYvGTH9> 上杉を完全に征伐する事になる。
え。
徳川羽柴に上杉も加わって反転して石田を征伐するのかと思った。
そうなったらもちろん毛利も島津も東軍になって石田を。
0566人間七七四年
2021/09/22(水) 21:49:20.73ID:AdDv0Zas西軍は家康らが会津へ行ってる留守に乱起こして、しかも秀頼を錦の御旗にしたくて軟禁してるんだから
たとえ西軍の大軍詰めてる大坂城脱出できたとしても関東まで逃げ切れないでしょ、伏見の城に鳥居らと一緒にこもるの?
0567人間七七四年
2021/09/22(水) 21:56:45.86ID:K0afEccf0568人間七七四年
2021/09/22(水) 22:02:28.91ID:YRYvGTH9ついでに石田も一喝して東軍に。
0569人間七七四年
2021/09/22(水) 23:28:48.11ID:E2uA/x5Jって約束を「やっぱなし物心付いてない幼児がトップです」
「この子何の役にも立たんけどお前ら盛り立てて」
ってなった訳だからね
そりゃ皆んなバカバカしいと思うし
好き勝手やらせてもらうわって思うやつは多いわな
0570人間七七四年
2021/09/23(木) 09:46:07.90ID:vBIiEHTo公卿補任は朝廷の公的な記録なので何らかの改竄をする時には徹底的に改竄する。
つまり、秀忠が慶長十年に正二位になった事が「正史」になったのなら従二位の記録は存在する筈がない。
それに、秀忠を将軍にするのは家康の意向なので位階を拒否しても騒ぎにはならないよ。
家康が正二位を辞退したのは秀頼が正二位だからだろう。
だとすると、朝廷が秀忠に正二位を与えようとしたのは徳川と豊臣を争わせるため、はっきり言うと豊臣を暴走させて徳川に始末させるため。
だからこそ、家康が断ったにも関わらず公家にも武家にも秀忠正二位の話が残ってるんだろう。
0571人間七七四年
2021/09/23(木) 12:10:26.71ID:WUblfZ3+天下人が昇官拒否しても何の痕跡も残らないとか
どっちも独自解釈すぎてお前の中ではそうなんだろなとしか
0572人間七七四年
2021/09/27(月) 06:52:45.66ID:Mw6EESmJそりゃあ、成人した当主も居なければ後見人にふさわしい親族も、譜代の家老も居ないって
形になったんだもん。
冷静に考えればその後見人の立場に一番ふさわしいのは秀次なんだけど。
普通に秀次の娘が秀頼の正室で済みそうなのに、何故あそこまでこじれたのかね?
そして一番得したのは誰が考えても家康「小牧長久手で秀次惨敗してるし」なんだよな
0573人間七七四年
2021/09/27(月) 07:20:58.37ID:EpwOsaeA秀次が完全に排除された事で秀次側近も事実上排除されたことを考えると、
秀吉側近も充分得をしたとは言えるけどね
秀吉死後に秀次が健在で後見人になった場合、当然政権中枢は秀次側近が占めるから
そこに先代側近の居場所があるとは思えん、まあ肩身が狭くなるのは確定だろう
秀頼は秀頼で当然自分の側近を取り立てたいだろうし
あの時点で秀次を排除すると、秀吉死亡時に秀頼幼少のままの可能性が高くなるから
(実際そうなった)先代、つまり秀吉側近が引き続き権限を持ち続けられるからな
0574人間七七四年
2021/09/27(月) 07:40:55.56ID:Pf2hnPKq秀吉奉行衆だからな
0575人間七七四年
2021/09/27(月) 08:31:59.63ID:ZDFW3Xi9つか一戦の一勝一敗をそんな根に持つもんでもないし、見方が雑にすぎる
0576人間七七四年
2021/09/28(火) 12:45:26.83ID:4uBG2jKh0577人間七七四年
2021/09/28(火) 17:36:58.75ID:T3X9FrLVお飾りという年齢ではないが
百戦錬磨の徳川勢相手に総大将務めるにはいかにも不安という微妙な年代
0578人間七七四年
2021/09/28(火) 18:21:07.69ID:EwxKXiAg0579人間七七四年
2021/09/28(火) 18:50:46.61ID:hpegDJ+A幾ら公卿補任の記録者がうっかりさんでも正二位を賜った人を従二位で記録はしないだろう。
下手すると朝廷人事への批判になるんだから。
それに、秀忠への任官を家康が辞退してもそんなに騒ぎにはならないぞ。
朝廷が秀忠に宣下してそれを土壇場で拒否したら確かに騒ぎになるけどそういうケースじゃない。
現将軍・家康が息子に禅譲すると朝廷に打診(拒否される筈もないし実質宣言)しただけ。
おそらくその返答として朝廷は正二位・内大臣・征夷大将軍を提案したんだろう。でも家康は正二位のみ辞退した。先例上従二位でも将軍には足りる筈だし何の問題も無い。交渉段階だから騒ぎにもならない(ついでにいうとここで秀忠は従三位から従二位に昇官は果たしてる)
公卿補任で慶長十年に正二位としてるのは朝廷で人事担当から情報を受けてたからだろう。
ところが実際は従二位だったから妙な混乱を招いてしまった。
0580人間七七四年
2021/09/28(火) 20:12:40.29ID:Dcv6IZ4Eもはや何を言いたいのかわからん
従二位を正二位と書くのも同様に
人事批判と取られかねない間違いだ
土壇場で覆ったわけでもなく宣下されてないなら
公卿補任に記載されるのはやはりおかしい
結局朝廷の陰謀なる結論ありきで見る理由はないが
そんなおかしな見方してるから
これしかありえないと考えてしまうんだよ
0581人間七七四年
2021/09/29(水) 18:29:57.42ID:xkzmeW+l前に、熱く猶子で実子と同じと力説してる人がいたけど。そのわりには、秀頼の後見となるわけでもなく、参加した西軍の総大将になるわけでもない。西軍の有力大名として、参加し、善戦したに留まっている。
0582人間七七四年
2021/09/29(水) 20:08:22.02ID:5oucSHpA猶子はどこまで行っても家を継がせる養子とは違うしで、あくまでも大名宇喜多家への後援なのよねあれ
0583人間七七四年
2021/09/29(水) 20:23:18.25ID:KK4GJd2f秀吉がいたから秀家が継いで成立したようなもんだし
0584人間七七四年
2021/09/29(水) 21:04:28.93ID:jp4YM/D9それ以上でもそれ以下でもない
0585人間七七四年
2021/09/29(水) 21:27:49.34ID:2ixUuhgW正二位を貰うという確定情報が公卿補任の著者に入ってたんだろう。事実、徳川の史料では正二位になってる(公卿補任では慶長十五年では従二位)
武家である徳川には位階なんて興味薄だろうが、それでも実際に宣下を受けた徳川が正二位を記録してるのは何故か?朝廷の人事権者からリークがあったから。家康が辞退したのに広がってるから朝廷は意図的にリークしたんだろう。
そして故に、公卿補任も秀忠を正二位で記録した(これは当然、江戸時代の慣例とは無関係)
どうして朝廷の人事権者を疑うだろうか?
勿論、騒ごうと思えば騒げるが朝廷からすると秀忠を秀頼と同じ正二位にして豊臣を刺激するってのはちょっとしたイタズラに過ぎない。
本命は秀忠将軍就任によって、秀頼を関白の座から叩き落とす事。
尚更、騒ぎには出来ない。ま、仕込みはしておくに越したことは無かったんだろうけど。
0586人間七七四年
2021/09/29(水) 21:29:10.65ID:aJtxjGnBただ娘婿として秀吉の身内扱いはされてた
0588人間七七四年
2021/10/01(金) 01:22:27.68ID:J13LHDfFあまり毛利が西国の取次やら西国事情の報告なんかしてる様子があるってのを聞いたことがないけど
0589人間七七四年
2021/10/01(金) 17:14:40.80ID:Uio0KYOe0590人間七七四年
2021/10/01(金) 21:49:07.72ID:23MjuwJF東北仕置きは秀次-家康ラインで処理された
けど西国遠征における毛利家の役割は
案内役先陣としてけして小さなものではないものの
そこまでのものだったとも言い難いのではないかな
西国を毛利に任せたというのが毛利独自の主張か
晩年の秀吉が実際にそう言ったのかは定かでないが
後者だとしたら耄碌してたんかなという印象
0591人間七七四年
2021/10/01(金) 21:52:34.98ID:k3jXIa3b輝元個人に対しては、秀吉は尊重はしているものの決して重用も信頼もしていない。
0592人間七七四年
2021/10/01(金) 23:50:34.98ID:J13LHDfFありがとう
0593人間七七四年
2021/10/02(土) 01:11:56.51ID:Zs/QW5FY0594人間七七四年
2021/10/02(土) 04:40:09.46ID:S9zv9/tX秀吉から西国惣無事として任じられての行動かどうか判じられないのよねぇ
0595人間七七四年
2021/10/02(土) 05:55:15.44ID:HFh41SI+諸々指導してる三成は西国惣無事みたいな
変な話になってきちゃわね?
まあ関ヶ原で多方面侵略してんのも
惣無事らしいといえばらしいのかもしれんし
割と真面目にやる気だったんじゃね?
西国における政権権力の奪取を
0596人間七七四年
2021/10/02(土) 06:32:32.77ID:HEdeYimu2.上杉家に勝手に軍事道路を建設された最上が、豊臣公儀に上杉を告発
3.豊臣公儀としての召喚を、上杉がガン無視
4.放っておけないので、家康が豊臣公儀として上杉討伐軍を興す
(ただ、進軍が遅いのを見ると、上杉がごめんなさいしてくるの待ってたんじゃないかな)
5.毛利が家康主導の政権に反発する奉行衆を抱きこんで、大坂を武装占拠
豊臣公儀の名前で家康を告発。西国各地に侵攻を開始
6.東軍は家康支持でがっちり固まる。上杉は東軍の進軍を妨害せず、
清州城が速攻で落ちて、防衛ライン構想が瓦解。
毛利家及び擁立した旧領主の軍勢、西国各地で敗れる。
7.輝元、三成をスケープゴートにして停戦交渉を開始。
ぶっちゃけ、関ヶ原なんてなくても、この時点でクーデターは終わってる。
8.関ヶ原
9.大老は家康以外権威を失い、奉行は浅野以外免職。
豊臣公儀体制が崩壊し、徳川家の家内機関による公儀運営を開始。
豊臣の家内機関も崩壊したが、本来秀吉の代行をすべき高台院が隠居
しているため、淀殿が表に出ざるを得なくなる。
大体、毛利が悪いと思う
0597人間七七四年
2021/10/02(土) 07:27:46.02ID:2ndKVS7m元の位置が高かったから目立たないだけで織田信雄レベルのアレだったのでは
0598人間七七四年
2021/10/02(土) 08:19:10.93ID:Fo6LzMuR豊臣惣無事体制のような固定された世界で生きたくない、普通に所領や勢力は増やしたい
そんな人物だったんだろう。
三成なんかは本人にもそれなりに問題があったにせよ、西軍成立期には
到底反徳川の諸侯を糾合出来る立場になく、毛利などの動きこそ真の主体だろうから
体よく安国寺らと共にスケープゴートにした訳で。
でも結局権力抗争に敗れたので能力はアレ呼ばわりになるが
普通に戦国大名のメンタリティーを持ったままの人だったのだろう。
0599人間七七四年
2021/10/02(土) 08:30:58.14ID:oXABoVIb家康が関東管領なら輝元は九州探題ぐらいの意気込みだったんじゃないの?
0600人間七七四年
2021/10/02(土) 09:27:09.84ID:2ndKVS7m0601人間七七四年
2021/10/02(土) 09:30:21.91ID:S9zv9/tXあんな大乱起こせる状態に持ち込んだだけ能力あると思うよ、二の丸殿事件とか小西行長の息子への扱いとか性格面がちょっと腰軽い癖に尻尾の切り捨て方があけすけで嫌われやすくてろくな書かれ方がされにくいってだけじゃないかな
0602人間七七四年
2021/10/02(土) 09:36:59.73ID:HFh41SI+三成みたく華々しく散ったわけでもなく
最後矢面に立つのを避けたから仕方ないとは思う
が大国の君主として不利な戦をしないのは
むしろ必要な資質なんじゃないかと
同じ五大老の上杉宇喜多と比べて
妙に辛く見られてる気がすることはある
0603人間七七四年
2021/10/02(土) 09:40:41.22ID:2ndKVS7m石田宇喜多大谷なんかは関ヶ原に秀頼の御座所を用意して輝元と秀頼の出馬を待ってたらしいじゃん
関ヶ原で西軍が敗走した後も西軍最強だった立花宗茂と小早川秀包の軍は健在で輝元に籠城を主張したりもしてた
普通に覚悟を決めて家康と決戦してれば日本の西半分の大将に君臨できたと思うけどなあ
0604人間七七四年
2021/10/02(土) 10:01:58.60ID:HEdeYimu身柄を押さえるしかない。
なんの言い訳もできないほど、毛利家主導のクーデター丸出しだし、
東軍に秀頼を助ける大義名分を与えるだけ。
0605人間七七四年
2021/10/02(土) 12:21:25.51ID:+loZ60vA家康か輝元に討伐命令書状を出して立場をはっきりさせないといけないのに。
0606人間七七四年
2021/10/02(土) 13:43:03.68ID:a1u54H6fてのもあるし本人と政権のためを考えても
軽率にどちらかに肩入れして
もっと酷い目にあう可能性もあるでしょ
政権として正式決定した会津征伐中に
突然クーデター起こしたのが西軍な訳で
それに政権賭ける選択普通できないでしょ
かと言って突然兵隊連れて入城されて
居座った連中反乱軍扱いして討てとか言うと
何されるかわからんやん?
西軍挙兵は豊臣御為に立ち上がった義挙
みたいなバイアス排除してみると実は
挙兵された時点でめっちゃ迷惑だし実質詰み
0607人間七七四年
2021/10/02(土) 13:48:36.80ID:Zs/QW5FY断れば大坂で乱になってしまうしで選択肢はなかったでしょうね
こういうときに先頭に立つべきだった前田はいないし
0608人間七七四年
2021/10/02(土) 14:07:28.48ID:e6GUhvOW確かに輝元は慶長4年に度々島津とやり取りしてることが確認できるけど
輝元が何か手立てを講じようとしたが家康から島津に使者が遣わされたから
その意を汲んで行動しようと思うって言ってるから主導権は家康にあり、輝元主導では何もできなかったのが実情だな
島津家文書で見ても実際乱の平定に向け動いてたのは家康、山口直友、寺沢正成だしな
0609人間七七四年
2021/10/02(土) 14:09:43.38ID:S9zv9/tX0610人間七七四年
2021/10/02(土) 16:14:50.55ID:+loZ60vAどのみち傍観してたら勝者に天下人は取られてしまうんだし。
0611人間七七四年
2021/10/02(土) 16:25:03.07ID:2ndKVS7m0612人間七七四年
2021/10/02(土) 17:12:21.42ID:zUWazw+wあとは政務を血縁の家康に任せて前の天下人の家として敬意払われる名誉的な立ち位置は確立できてるし、わざわざとんでもなく実務の多い天下人をやりたがる意味も必要もないかな
0614人間七七四年
2021/10/02(土) 17:27:05.77ID:js4/hLf6そういう状況なの分かってて挙兵するなよ西軍、って話ではある
まあ、大坂押さえて伏見落として内府違いの条々バラまけば
諸侯の大半はこっちになびくだろうから、これで徳川に勝利!みたいな
すげえ甘い予測で挙兵してるっぽいからどうしようもねえんだが
0615人間七七四年
2021/10/02(土) 17:42:32.50ID:9P0bSx8a淀においても秀頼の当主代行してる間はつつがなく徳川とのゆるやかな上下関係の逆転は認めてるし
あるとするなら秀頼当人が弁えてなかったって感じ
ただこの辺もどちらかといえば淀から秀頼に当主が切り替わるにあたっての派閥の摩擦による御家騒動な性質が強いのよね、大坂の陣に至るまでの片桐追放までの流れ
0616人間七七四年
2021/10/02(土) 17:57:00.15ID:iVLUovBH羽柴家が政権から切断されることは共通認識として武家政界一般に共有されていた(伊達政宗書状等)にしても、
切断後の羽柴家の具体的な取扱方について
政権継承者=江戸幕府と羽柴家との間に温度差があったということなんじゃないか。
所謂「ボタンの掛け違い」という奴。
0617人間七七四年
2021/10/02(土) 18:10:20.41ID:HEdeYimu家康が勝っても、輝元が勝っても、豊臣公儀の機構が瓦解して
勝った方が政権をとることになるのはわかってたんじゃね?
だからどっちにも味方したくなかったんだろうし。
0618人間七七四年
2021/10/02(土) 18:15:21.07ID:HEdeYimu豊臣家「実質的な政権は徳川家がとることになっても、鎌倉幕府の宮将軍のように
名目的な君主は豊臣家が続ける」
徳川家「豊臣家は官位も官職もないし、儀礼的な君主につく資格がない。
旧主の子供としての敬意は払うが、君主としては扱わない」
こんな感じ?
0619人間七七四年
2021/10/02(土) 18:20:08.15ID:+loZ60vAそうすれば家康の出す恩賞はイコールで豊臣が出す恩賞になるから太閤恩顧の連中に少しは効果があったかもしれない(大坂の陣に味方してくれるみたいな事は無かったろうけど)
傍観決め込んだ結果、領土だけ取られて人々の敬意は徳川とかやってられませんよー。
0620人間七七四年
2021/10/02(土) 18:23:23.97ID:S9zv9/tX0621人間七七四年
2021/10/02(土) 18:31:23.18ID:iVLUovBH大体その辺りかな、と。
0622人間七七四年
2021/10/02(土) 18:41:40.86ID:0ouNWt640623人間七七四年
2021/10/02(土) 18:55:11.37ID:js4/hLf6と言うより、豊臣家が天下に大乱や混乱が起きた際に、そういう中途半端な立場を
当主幼少故に取らざるを得ない状況になってたのが、秀吉死亡直後の状況だからな
いっちゃあなんだが、この状況で政権内最大勢力である徳川の支持を
(たとえ専横に近い状態にせざるを得なかったとしても)取り付けた状態にしたのは
老いたりとはいえ、さすが秀吉とは言えると思う
まあ残念ながら2年しかもたなかったけれども
0624人間七七四年
2021/10/02(土) 19:04:36.68ID:0ouNWt64伊達政宗が言ってたみたいに家康に養育してもらって一門衆として扱ってもらった方がよかったのかも
0625人間七七四年
2021/10/03(日) 12:36:32.72ID:KhUXzgpg徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。
0626人間七七四年
2021/10/03(日) 13:16:11.50ID:9Zy62rxz初出が改正三河後風土記でしょ?たしか
0627人間七七四年
2021/10/03(日) 13:44:12.24ID:BNTGrHAR0628人間七七四年
2021/10/03(日) 13:56:51.80ID:KhUXzgpg徳川史が初出なら、徳川家視点の『豊臣家こうあるべきだった』という間接証明と言えますよね
当時から、敬意を払われるだけの存在になるべき、という見方があったと言えます
0629人間七七四年
2021/10/03(日) 14:02:57.80ID:BDVYgDQG> 旨があってれば、創作でも良いですね
良いわけねーだろアホか。「改正三河風土記」の編纂の時点に於いてでそういう認識があった、ということに過ぎない
0630人間七七四年
2021/10/03(日) 15:13:06.71ID:KhUXzgpg話の主旨があってれば
0631人間七七四年
2021/10/03(日) 15:20:28.25ID:Bof3AF3S0632人間七七四年
2021/10/03(日) 15:22:46.11ID:cG5EpsTQだとすると且元さんマジで聖人だが
0633人間七七四年
2021/10/03(日) 15:26:46.71ID:BDVYgDQG「改正三河風土記」の成立は1837年(天保8)だぞ?関ヶ原から230年後だ
君の言う「当時」っていつのことよ
0634人間七七四年
2021/10/03(日) 15:28:42.16ID:Bof3AF3S助けたところで禍根を残すような危険性も無かったろうから
0636人間七七四年
2021/10/03(日) 17:16:12.38ID:KhUXzgpg0637人間七七四年
2021/10/03(日) 17:40:06.84ID:9Zy62rxz0638人間七七四年
2021/10/03(日) 17:43:21.71ID:9Zy62rxz変に意図を汲み取ろうとしなさんな
0639人間七七四年
2021/10/03(日) 18:13:12.34ID:033057mJ秀信が切腹や斬首に相当するようなことをしているというとこから説明しないと
0640人間七七四年
2021/10/03(日) 18:55:21.47ID:iHr5wrXN>自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則
つまり、まず一次史料を持ってこい。話はそれからだ。
0641人間七七四年
2021/10/03(日) 19:06:07.40ID:KhUXzgpg>>625を読んで貰えば、私の想像だとわかると思うけど(『気がする』って書いてるよね)
自分が>>625を読み間違えて、話に乗っかってきたくせに、みっともないよ?
私の勝手な解釈に異論があるならどうぞ、って話でしょ、最初から
史実性の話はしてないんだから、一次史料持ってきてからだ、とか意味不明
話に乗ってこなきゃ良いだけでは?
0642人間七七四年
2021/10/03(日) 19:31:25.91ID:UbGPxLxs0643人間七七四年
2021/10/03(日) 19:40:12.07ID:LHAU4X4K0644人間七七四年
2021/10/03(日) 19:44:49.67ID:9Zy62rxz0645人間七七四年
2021/10/03(日) 19:56:06.96ID:9Zy62rxz> 自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則の意味が全くわからなかったんだけど
> 徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
> つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。
はい、この書き方の場合読解として常識的な受け取り方は
自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則
を事実として鵜呑みにした上で
徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
と、この事象に関する感想を述べたととるのが普通
少なくともこの事象を創作と思ってる書き方とは読み取れない
意図しない読み取り方されてるー!って言い出す前に、自分の書き方が創作を鵜呑みにしてると取れる書き方をしたことを反省するのが、まともな人のする事だと思うよ
まあここまでの書き込みの時点で相当ヤバい奴だとは思うので、そんな事しないし逆ギレかますのがオチとは思うが
0647人間七七四年
2021/10/03(日) 20:54:09.19ID:abY4L3QRID変わったけど、625ね。
それについては、>>626でほぼ創作と指摘されたので、>>628で創作でも構わない旨回答してるけど?
キミみたいな人達が噛みついてきたのはその後。
0648人間七七四年
2021/10/03(日) 21:04:57.99ID:abY4L3QRどうあれ、>>625が解釈の問題と認識したわけだし、それに異論があれば回答すればいいだけだし、
史実性に拘りたければ無視すればいいだけ
議論の目的がマウントとる事にズレてて、失笑せざるを得ない
0649人間七七四年
2021/10/03(日) 21:18:28.93ID:9Zy62rxz内容以前に反省もろくにできないその態度に怒られたら、うわ噛み付いてきたとか言い出すその性根をなんとかするか、喋らない方がいいよ
他人を不快にさせるだけで、君の発言も全く議論の進展に繋がらないから
0650人間七七四年
2021/10/03(日) 21:32:45.43ID:cG5EpsTQ東軍に属するつもりが西軍に寝返ったってパターンらしいけど、もう大物でも無いからと哀れまれたのか?
0651人間七七四年
2021/10/03(日) 21:37:41.60ID:LHAU4X4K0652人間七七四年
2021/10/03(日) 21:40:40.94ID:9Zy62rxz大概は改易
0653人間七七四年
2021/10/03(日) 21:45:18.68ID:UbGPxLxs0654人間七七四年
2021/10/03(日) 21:46:37.24ID:yz7012eE家臣の一部は東軍に味方した方がよいと考えてた節はあるっぽいけど
なんか本人に東軍に味方する気があったって話があるなら教えてほしい
まあ秀信は立場的に相当ズルい立ち回りをしても許されそうではあるけどね
それこそ京極みたいな動きをしてもOKだったとは思う
結構早死にだし、もうちょっと長生きできれば大名復帰、
或いは信雄のように大坂で御伽衆になるパターンもあったんじゃないの
0655人間七七四年
2021/10/03(日) 21:51:04.40ID:cG5EpsTQ織田秀信は確かに盟友織田信長の孫ではあるんだが所詮は13万石の大名、小西はおろか石田よりも少ないんだ。マジで信長の七光しかない。
織田の名を警戒するならサクッとやられててもおかしくは無さそうではある。
福島の助命嘆願とやらが効いたのか?でも助命されても徳川の邪魔になるなら容赦は無い筈だけど…
0656人間七七四年
2021/10/03(日) 22:04:34.46ID:UbGPxLxs元家臣以外、信雄・有楽のように徳川方にコネがある感じでもないし
0657人間七七四年
2021/10/03(日) 22:04:43.30ID:abY4L3QRな? キミの結論は、>>625とは全く関係ないでしょ?
結局、私に対する人格攻撃なわけ
このスレで、キミはかなり人を不愉快にしてるみたいだけどね
そっくり返しときます
0658人間七七四年
2021/10/03(日) 22:06:50.90ID:9Zy62rxz九鬼も徳川からは許し出てたけど家臣の独断じゃなかったけかな
どちらにせよ腹切らされてる方が珍しいくらいやね
0659人間七七四年
2021/10/03(日) 22:09:32.80ID:/ll3j16R0660人間七七四年
2021/10/03(日) 22:14:50.62ID:cG5EpsTQ処刑者5名、自刃者18名、戦死者8名、暗殺3名…
らしいけど、
本多忠勝が真田を助命した、みたいな話が他にも残ってるのかもね。ここら辺はコネの世界だし。
0662人間七七四年
2021/10/03(日) 23:02:14.39ID:lXdktaP/逆にいえばここでコネがないのは大名としての普段の外交能力にも疑問符がつくと考えられそう
0663人間七七四年
2021/10/04(月) 06:25:56.06ID:sfnHPr24翻っていうと徳川にとっては織田はもう敵では無かっんだろうか…
0664人間七七四年
2021/10/04(月) 06:45:28.85ID:k7Vnu3TQ織田家全体で見た場合、有楽が東軍だから保険はかかってるし問題ないだろ
最終的には信雄の系統も残ったから信長からの流れも残ったとは言えるし
御家が二家も残ったなら一家絶えても別に…いやそりゃ多い方がいいとは思うけど
0665人間七七四年
2021/10/04(月) 08:04:57.51ID:45BIJR4G家督だか名代だかになった信雄が秀吉に屈服した時点で織田家への義理立ては終わった
0666人間七七四年
2021/10/04(月) 12:13:28.93ID:Ipba3SjNそういや信雄さんも何となく西軍に参加して何となく改易食らってましたね…
0667人間七七四年
2021/10/04(月) 13:15:21.46ID:SNnC0mOD織田の求心力は秀吉の天下の時点で大分なくなってそう
なんか頼長は大坂の陣に託けて織田家でまた一旗上げたがってたみたいだけど
0668人間七七四年
2021/10/04(月) 13:35:27.55ID:45BIJR4G羽柴政権は近江政権だからまあ
本能寺で終わっちゃったせいで織田家の時代に活躍した信長の側近とか影薄いからねえ
0669人間七七四年
2021/10/04(月) 18:35:10.38ID:Ipba3SjN頼長「総大将は私がやりたい!」
秀頼「ダメです」
頼長「は?トップがバカで戦争できんわ」→大坂城最大の弱点南口を預かりながら一切の戦闘行為を禁止にするサボタージュを敢行
これホント酷い。豊臣家を何だと思ってたんだよ…
0670人間七七四年
2021/10/04(月) 19:45:40.13ID:SNnC0mOD研究者にすらこいつかぶき者すぎて意味わからんみたいに言われてるし
0671人間七七四年
2021/10/04(月) 19:50:39.22ID:IvfLC70h0672人間七七四年
2021/10/04(月) 20:48:14.98ID:k7Vnu3TQ確かに大坂の陣時点だとこんなのでも大物の方だろうから
総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
官位も従四位下・侍従だから地味に高いな、立場違うけど三成より官位上だし
0673人間七七四年
2021/10/04(月) 21:31:29.81ID:J0msf97e> 総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
いや、総大将って、議論の余地も無く羽柴秀頼さん二十二歳じゃなかったのか。
相手は古稀を過ぎた狸が闘気満々で(実質)総大将をやってるってえのに…。
こりゃあ負けるわけだ。
0674人間七七四年
2021/10/04(月) 21:49:51.85ID:afnK9uZAいや、実戦経験ゼロの若造が血筋だけで総大将なら織田信長の血を引く俺だって…
ってなったんだろうさ。そして配下は牢人衆とかいう地獄。
0676人間七七四年
2021/10/04(月) 22:52:48.96ID:oMkEF168戦国期に初陣で総大将って例はそこそこあったよな、とポツポツ思い出してみると、
実は北條氏康にせよ長尾景虎にせよ「その戦で実働した軍団の総大将」ではあっても一国のそれではなかった(景虎は虚構説もあり)。
正真正銘の初陣総大将は今川氏親と(一応)山内顕定ぐらいしか知らない。
他には例があるかな。
0677人間七七四年
2021/10/05(火) 00:11:09.03ID:zMdGAgBxなんかやっぱり武家より公家として育てられてしまったんだろうな
自分は高貴な血なんだから戦のような荒事は卑しい下々の武士どもにやらせてその戦果にただ乗りするだけみたいな
最期まで自ら出陣しないし落城して蔵に逃げ込んで命乞いするあたりもどうにも公家臭長袖者臭がする
0678人間七七四年
2021/10/05(火) 00:18:43.85ID:FJaA6Us5ただただ生来のもん
0679人間七七四年
2021/10/05(火) 00:26:56.73ID:8pb3Km7g0680人間七七四年
2021/10/05(火) 00:35:44.30ID:7IMjwDdi0681人間七七四年
2021/10/05(火) 00:48:48.77ID:OT5YB6fD(静岡県出身 男性 サッカー選手)
0682人間七七四年
2021/10/05(火) 01:10:12.47ID:9T53zW4+まあアンタん家は元々堂上家じゃなくて、運良く公家仲間になれて堂上に行けても半家止まりだものね。多分。
武家官位や序列だけど高家で公家っぽくなれて良かったんじゃないかなあ。
秀頼クンは、ねぇ、摂関家格だけど多分他の五摂家がマトモにやらせてくれなかったと思う。だって連中ほら生粋のイケズな京都人だしさ(いや待て)。
0683人間七七四年
2021/10/05(火) 07:40:25.81ID:OOPVnBnX「秀頼さまは武家なのか公家なのか」
ってのが答えだよなぁ。
ホント傅役はなにしてたん…
0684人間七七四年
2021/10/05(火) 07:56:31.09ID:FJaA6Us5秀頼が気に入らない女中いたら言いなさい、折檻するからって書状はやっぱり当時としても異質すぎる
0685人間七七四年
2021/10/05(火) 08:17:44.72ID:yyN+LfA7はっきりせん状態で放り出されたのが秀頼だからな
どう育ちゃいいのか誰も正解がわからんかったろ
長益の息子は親父と同時期に退去してるし
サボタージュも和平派の親父の方針じゃねえかな
色々無茶したし仲間には調子いいこと言うけど
家には逆らえない放蕩息子ってイメージ
0686人間七七四年
2021/10/05(火) 08:29:59.98ID:+lyR/KhO信雄とかも散々豊臣の情報を流した挙げ句逃亡したんじゃなかったっけ?
0687人間七七四年
2021/10/05(火) 08:41:52.73ID:FJaA6Us5片桐追放でやばくなった時もいち早く徳川に対しての遺恨じゃないんですって弁明出してるしね
自分が秀吉相手に戦争する契機になったやらかしをまんま目の前でやられただけあってやばさ分かってる
偉大な先代が散々甘やかした相手を厳しく躾けられるのってどんくらいいたんだろな
正直この辺は教育がどうこうじゃなく性格のもんだと思ってるけど
0688人間七七四年
2021/10/05(火) 12:06:17.81ID:fgCxSbnTこう書くと、大名達が自己保身のために味方しなかったように聞こえるよな。
0689人間七七四年
2021/10/05(火) 12:24:09.18ID:+lyR/KhO0690人間七七四年
2021/10/05(火) 12:24:40.37ID:9T53zW4+その躾を没後させようとしてたのが利家だけど、秀吉の後を追うように死んでるから秀頼の教育面ではその時点でアウトになってるんだろう。
後は淀の方位しかマトモに意見出来ないが唯一の息子だから余りいわなかったろう。
片桐すら居られない大坂城で秀頼を制御する役は誰も居ない。秀吉は傅役もだが、師に成り得る人物も決めておく必要があったな。
でも多分それは自分の役だと死を覚悟するまで
0691人間七七四年
2021/10/05(火) 12:26:58.48ID:LFDeABVn可哀想な最後だよな
0692人間七七四年
2021/10/05(火) 12:31:07.39ID:9T53zW4+>>688
いや全くその通りで、各大名家だって自己と家臣の存続の為に色々してるのだから
単なる恩顧のみで大坂の陣のような不利な状態の博打をしはしない。
0693人間七七四年
2021/10/05(火) 13:05:13.80ID:eUkbG15O実務能力がないのに担がれる訳がないし実務能力がないなら弁えなきゃいけないんよな、本来は
0694人間七七四年
2021/10/05(火) 13:08:05.06ID:vmxC2zyQ現実的に幕府に勝てるわけないと
わかってただけだと思うわ
0695人間七七四年
2021/10/05(火) 13:59:20.29ID:zMdGAgBx一門譜代などの運命共同体でもない限り頼み甲斐が無くなれば主をあっさり捨てるなんて当たり前なのに
治世安定期の江戸時代に作られた湿っぽい忠義思想でこの時期を見るからおかしなことになる
秀吉が天下取れたのも家康が天下取れたのも諸侯が自家と所領を安堵してくれる君主盟主として認め推戴したからというのは間違いなくある
織田は信長信忠が、豊臣は秀吉秀次が死んでその機能を失ったから諸侯から見限られた
当たり前だけどみんな自分の利益第一最優先だから
0696人間七七四年
2021/10/05(火) 14:58:03.35ID:+lyR/KhO武家の棟梁の仕事だからね。子分に土地を差配するのって
その時点で豊臣家臣団は徳川家臣団に置き換えられたと言っていい
0697人間七七四年
2021/10/05(火) 15:21:04.82ID:fgCxSbnT0698人間七七四年
2021/10/05(火) 16:04:15.88ID:FJaA6Us5それと豊臣のその論功行賞ができそうな人物が軒並み西軍だった点もね
勝手にというよりはできる人がもう徳川しかいない
0699人間七七四年
2021/10/05(火) 16:09:26.77ID:DqCiYL5r0700人間七七四年
2021/10/05(火) 17:14:10.71ID:Y43yG8Oa0701人間七七四年
2021/10/05(火) 17:14:26.18ID:+lyR/KhO全国が分裂状態になったんじゃないかなあ。そう思って動いてた人もいたみたいだし
0702人間七七四年
2021/10/05(火) 18:31:55.74ID:bN4zoBjqというより、論功行賞しない方がマズイ
ただでさえ、秀吉末期の大プロジェクトであった唐入りにおいて
諸侯への論功行賞等がきちんと行われてたか微妙なのに
これほどはっきりとした大勝利で諸侯に恩賞を渡さない、或いは保留などという
態度を取ったら、本当に豊臣政権は諸侯の支持を失ってしまうよ
0703人間七七四年
2021/10/05(火) 18:42:13.30ID:KaDIylgw関ヶ原後に論功行賞は僕がやる!と秀頼が出て来ても結局秀頼の裁定を保障するものは家康の武力でしかないんだよね
まあ関ヶ原で家康を勝たせてしまった時点で豊臣の天下は終わってる
0704人間七七四年
2021/10/05(火) 18:46:19.59ID:9T53zW4+九州のKさんとかSさんとか東北のDさんとかだな。
西軍呼ばわりされるけど本来は関係無く頭の重しが無くなったから惣無事ひっくり返したかっただけのUさんもそうだろう。
日本国内の平安とか安定は眼中に無く「よっしゃあ、惣無事規制キャンセルのチャンスやで!」な思考ばっかりの。
秀吉という重しがあったから大人しかっただけで、全然牙は抜けてなくったという。
0705人間七七四年
2021/10/05(火) 18:49:55.66ID:KaDIylgw秀吉が速やかに織田勢力をまとめ上げたからならなかったけど
0706人間七七四年
2021/10/05(火) 18:50:13.57ID:OOPVnBnX最終的には形だけのトップにはなるけど、それでも名誉は残ったろう。
でもそれが出来なかったからなぁ…
0707人間七七四年
2021/10/05(火) 19:02:58.40ID:vmstHM8g慶長4年の時点で家康が朝廷から三献の儀を受けて天下人扱いされてることからもね
あとはいかに前の天下人っていうネームバリューと徳川と姻族であることを活かしてうまいこと脛齧ってくかだけだったけど、そこを長じた秀頼だけがわかってなかったってだけの話と思うの
0708人間七七四年
2021/10/05(火) 19:14:05.88ID:32GSuwo60709人間七七四年
2021/10/05(火) 19:22:27.60ID:FJaA6Us5大意には同意なんだけど一点だけ
九州の黒田官兵衛は常に家康と連絡取り合いつつ吉川広家宛にお前から輝元にすぐ家康に詫び入れるよう伝えなさいって書状出すくらいバリッバリの親家康で
惣無事キャンセルよりは公儀に従って美味しい思いしたい方だよ
0710人間七七四年
2021/10/05(火) 22:37:39.11ID:w2ZCPRq9他に何があると云うのか。
0711人間七七四年
2021/10/05(火) 22:40:54.17ID:w2ZCPRq9> 書状出すくらいバリッバリの親家康で
「書状とな。して、その書状はどちらの手で書いた?」
0712人間七七四年
2021/10/05(火) 23:20:56.53ID:K7Wn7WQ/0713人間七七四年
2021/10/06(水) 06:58:05.98ID:d/dWtwou0714人間七七四年
2021/10/06(水) 07:39:59.76ID:d/gRCnQH家康が豊臣政権を仕切った方が秀頼様も安泰って思ってた人が多かったのでは
家康の行動は信長の同盟者だった頃から関ヶ原まで非難するようなところは何もないもんな
0715人間七七四年
2021/10/06(水) 09:00:29.76ID:HKlBPsWt本多作左「とんでもないっ!我が主はいつも不心得で軽率なことばかりなさっておいでじゃっ!!全く世話が焼けてかなわんっ!!!」
0716人間七七四年
2021/10/06(水) 09:06:21.01ID:HKlBPsWt0717人間七七四年
2021/10/06(水) 12:57:50.48ID:zNEeJyUm0718人間七七四年
2021/10/06(水) 13:24:26.51ID:2GNhP0VG豊臣が天下人になれたのは朝廷あっての事なので余程上手くやらないと朝廷と敵対した時打つ手がなくなってしまう。
0719人間七七四年
2021/10/06(水) 15:02:09.64ID:XhdfaMwp争論に割り込んで関白をぶんどって、次は返すからと言っておいて甥に禅譲してしまう
家柄によって決まる官位がすべての貴族共からしたら許し難い行為だよ。秀吉1代限りならあれはノーカンで済ませられるけど危うく関白を取り上げられるところだったわけで
0720人間七七四年
2021/10/06(水) 19:55:21.35ID:cznJ9qLd秀吉が朝廷を利用したように朝廷も秀吉の武威を利用した
秀吉が関白っていう権威を使ってくれたことで朝廷も威信の回復に役立った
0722人間七七四年
2021/10/06(水) 20:15:03.29ID:EBArTBGi秀吉が関白を独占する為に大臣以上を任命しない→権大納言以下に摂家が渋滞する→そこが極官だった連中が出世出来なくなる
この混乱で公家社会の憎悪を買ったっぽいんだよなぁ
0723人間七七四年
2021/10/06(水) 20:21:47.40ID:cznJ9qLd秀吉の構想としては唐入り成功させて秀次に関白として日本まとめさせようとしたんでしょう
鶴松死亡などで唐入りにしか興味がなくなったと思われる
0724人間七七四年
2021/10/06(水) 20:22:06.09ID:d/gRCnQH親が大納言だから子供も大納言
何かやらかして中納言までしかいけなかったりするとそれが子々孫々まで響くのが公家社会
0725人間七七四年
2021/10/06(水) 20:29:25.02ID:EBArTBGi関白って語弊を恐れず言えば何の権威も無い(例えば朝廷軍が使えるとかそんなこともない)訳で
要は秀吉が凄いのであって関白が凄いんじゃない
だからとっとと日本なり中国なりの古例から適当な職を見つけて武家関白と公家関白を分けとけばよかったんじゃなかろうか。
朝廷への権威としては適当な財産をちょこっと貰えば良いし。
そこまで公家関白に拘ったのは何故なんだろう…
0726人間七七四年
2021/10/06(水) 20:34:47.80ID:vqGBZadC将軍はほれ、義昭との兼ね合いが大きいし
0728人間七七四年
2021/10/06(水) 20:39:36.01ID:7r+YlSGL棚ぼたで手に入った極官ってだけだと思う。
けど、自分がその権限を使って武家を官位で統制するシステムを作っちゃった以上、
誰かに関白を譲ると政治上の頂点を譲ることになっちゃう。
やるとしたら、関白より上位の官職、それこそ日本国王とかに天皇から任命してもらうしかないと思う。
武家官位制は秀吉と朝廷のトラブルをみた上で家康が考案したものだから、
それを最初から思いつけって言うのは無理だと思う。
0729人間七七四年
2021/10/06(水) 20:41:30.11ID:d/gRCnQH0730人間七七四年
2021/10/06(水) 20:49:21.08ID:ZCnwnPLg0731人間七七四年
2021/10/06(水) 20:52:50.91ID:cznJ9qLd征夷大将軍は室町のgdgdが最近まで
となると残りは関白になるが関白は常設職なんだよなあ
0732人間七七四年
2021/10/06(水) 20:55:02.60ID:ShGg2qo4羽柴秀次や同鶴松の動向と「唐入り」即ち対外戦争は本質的には関係の無い話。
また羽柴秀吉個人の意志によるものでもない。
惣無事を達成した権力体が次に踏むべき必然の−−というよりも惣無事と表裏一体の不可避な政治段階だから、
何はどうあれ「豊臣」権力体は全力でこれを遂行するしかなかった。
0733人間七七四年
2021/10/06(水) 20:57:31.94ID:tYS2coWk0734人間七七四年
2021/10/06(水) 21:00:43.89ID:EBArTBGiまさかに彼が出自にコンプレックスがあったとかは信じたくはない。
でも秀吉に関白ってそんな重要だとは思えないのよね。関白になったところで何がかわるでもなし
むしろ関白は一家独占出来ないのだから重荷でしかない。
将軍にクラスチェンジするのも嫌ならいっそ新しい役職を作って先例の魁になりゃ…
0735人間七七四年
2021/10/06(水) 21:14:21.58ID:0sZSMaes本人の性格的にもそういうの好きそう
当時の秀吉には権力の誇示が必要だったということでは
その時には自分の死後のことまで考えてなんかいないでしょう
0736人間七七四年
2021/10/06(水) 22:58:05.33ID:ShGg2qo4(京都府[本籍栃木県] 男性 僧職兼太政天皇兼日本国王)
0738人間七七四年
2021/10/06(水) 23:40:24.84ID:EBArTBGi征夷大将軍は源氏長者と深い関係があるから、公家源氏の連中から何らかの突き上げがあったんだろう。
信長は公家源氏筆頭・久我氏の下半身スキャンダルをなんとか穏便に済ませようとしてたからもし養子になれば将軍になれたかもしれない…
秀吉の場合足利義昭と公家源氏と敵が二つもいて割り込む隙が無かったのかもしれん。
…かもしれんが、秀吉のパワーはもう誰の目からしても明らかなんだし関白や将軍といった過去の先例に囚われなくても良かったと思うんだがなぁ…
そうしていれば豊臣政権もワンチャン、なんとかなったかもしれん。
0739人間七七四年
2021/10/06(水) 23:44:03.98ID:LDAMFvF2適当に思ってたんだけどやっぱ駄目だったの?
0740人間七七四年
2021/10/06(水) 23:52:02.97ID:zMVx6l4z超イカした新しい肩書きを作るのはどうだろう(提案)
0741人間七七四年
2021/10/07(木) 00:04:48.97ID:UPAw7fSz不可能じゃなかった筈だけど、
より困難で天下人に相応しく無い関白を無理矢理取りに行った事を考えるとマジで無理だった可能性もあるんだよなぁ…
将軍は無理だとしても正直だから何?なのが秀吉だろうし、関白取った後公家は公家武家は武家で仲良く分けていれば…
まぁ武家関白に幼少の秀頼がなったとしてもどのみち争いが起きて滅んでいたかもしれないけど
0743人間七七四年
2021/10/07(木) 00:22:25.48ID:ISiCFkV/0744人間七七四年
2021/10/07(木) 00:39:28.05ID:LQc7q9N8当時豊臣権力体が発動し得る暴力の規模と強度を考えれば朝廷に対して如何なる恣意的な措置を強要することも可能だった筈。
そして羽柴秀吉こそは「暴力こそ正義」という本質を身を以て知り尽くした権力体主宰者だった筈。
それを敢えてしなかった/できなかったのは何故なのか、
そこを構造的に解かないことには豊臣権力体が目指していた政治形態も、
ひいてはそれが徳川権力体によって簒奪的に承継された理由も見えては来ないと思う。
0746人間七七四年
2021/10/07(木) 06:52:34.92ID:V2vsIV+V信長亡き後の織田家への扱い、秀次への扱い
学や真のプライドのない成り上がりのビジョン無き下品な暴君
0747人間七七四年
2021/10/07(木) 07:20:35.25ID:ISiCFkV/朝廷で関白になれるのは藤氏の五摂家のみ。
だから秀吉は近衛家の養子になってる。
その秀吉に豊臣姓を与えて、つまり秀吉は近衛家の人間じゃないから近衛家は継げない=豊臣は関白になれない、というかなり言っちゃ悪いが陰湿な罠。
まぁ朝廷からすると当然の動きなんだろうけど
0748人間七七四年
2021/10/07(木) 07:24:50.69ID:63B2L01y関白に就任出来る以上、将軍になるメリットが皆無だったってだけだと思うんだがな
ただ、関白が本当に難しいのは権威を維持するのが大変という点だ
別に文書等ではっきり定められてる話じゃないけど、関白は
十六歳未満での就任前例が存在しないので、常に後継に成人男性がいないと
関白を継承できるか分からなくなってしまう
藤原氏でさえ、家を五家に分割して継承者が絶えない工夫をしている
将軍なら後継幼児でもなれるから、この点では便利なんだが(権威を維持しやすい)
0750人間七七四年
2021/10/07(木) 08:06:24.95ID:6snhH0Fb征夷大将軍と源氏長者に何の関係もないよ
両者を初めて兼ねたのは徳川家康
源頼朝も足利尊氏も源氏全体としてみると傍流に過ぎない
0752人間七七四年
2021/10/07(木) 08:20:08.97ID:1NbfuG4K政権の根幹の武家を統制できる実力を保持し続けられることが大前提でしょう
権威だけあっても室町幕府の二の舞になるだけ
豊臣はそもそもが一人親方の属人的な政権で持続可能性が危うかったのに
持続可能な組織を作れるかも知れなかった秀次を潰して自らその芽を絶ってしまった
0753人間七七四年
2021/10/07(木) 08:22:05.28ID:Raazrot2そんな大変じゃなかったと思うぞ
本当摂関家の争いが持ち込まれた棚ぼたで
んで新しい肩書きは「豊臣氏」かと
源平藤橘でない新たな氏の創出なんて
それこそ前代未聞の権力者にしかなし得ない
支配者として最高の権威付だった
それも絶大な兵権を握る秀吉がいなくなったら
意味がなかったというだけの話で
仮に着いたのが征夷大将軍でもウルトラ天皇でも
無理矢理のゴリ押しで幼児関白も不可能ではなかろうが
後継者やその補佐役も兵権を行使できないなら
同じことになってたと思うがね
0755人間七七四年
2021/10/07(木) 08:25:57.65ID:IT5dSxol家康より織田家の扱いはちゃんとしてたと思うけどなあ
秀信には織田家の拠点である岐阜城を与えて若くして中納言の官位も与えているし、信雄はアホだっただけで本来家康と肩を並べ、官位的には家康より上位になる豊臣政権屈指の大大名になるはずだったわけで
0757人間七七四年
2021/10/07(木) 08:29:51.20ID:ISiCFkV/秀吉が不法に譲ったに過ぎない。
だから豊臣は滅ぼされた。
無理が通れば道理が引っ込むとは言うけど、
道理を軽んじるとこうした目に遭うのさ。
0758人間七七四年
2021/10/07(木) 08:30:29.23ID:IT5dSxol0759人間七七四年
2021/10/07(木) 08:42:08.28ID:Raazrot2武力があれば関係なく無視できた
それを継承できなかった時点で
どんな肩書きだろうと意味ないんよ
0760人間七七四年
2021/10/07(木) 08:47:03.88ID:Z+KI1znV0761人間七七四年
2021/10/07(木) 08:53:46.47ID:Raazrot2その徳川幕府で考えると豊臣政権はどうか
秀忠を将軍宣下後に切腹させて
大粛清の果てに幼児後継者に指名した上
幕閣には兵の動員令出す権限認めず
外様の伊達や毛利に後を頼んで死ぬ
くらい無茶な状況
0763人間七七四年
2021/10/07(木) 10:42:01.07ID:SVCKdSdt朝廷の最高位である藤原氏の象徴みたいなもんだから独占なんか許さないし、何より公家社会のルールに精通しないといけないから相当の実力が居る。
将軍は確かに源氏長者が絡むから反対する一族はいるんだけど、そいつらは源氏長者とそこに絡む財産が必要で将軍なんかどーでもいい。
だから武家は武家、公家は公家で棲み分け出来るから天下人には丁度いい。
0764人間七七四年
2021/10/07(木) 13:37:39.27ID:/qbOYgmj0765人間七七四年
2021/10/07(木) 19:19:42.47ID:itTcM0Q8豊臣氏の関白がいたという先例にはなったんじゃないか
秀次が豊臣氏として継いだから言うまでもないが
0766750
2021/10/07(木) 19:23:33.38ID:6snhH0Fbttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E9%95%B7%E8%80%85
ウィキペでごめん。家康が最初の武家の源氏長者は間違いだった。
でも、室町時代には源氏長者と将軍は連動してなかったっぽい。
0767人間七七四年
2021/10/07(木) 20:16:36.94ID:Raazrot2富と権力と武力で無理を通せたからこそ成立した豊臣政権だからな
それを行使する者がいたらまだまだ無理は通ったろうし
今度はその無理が先例になっていく
でもそんな存在秀吉死後にいなかった訳で
0768人間七七四年
2021/10/07(木) 20:32:01.77ID:UWbe+JBWだって徳川が将軍と長者を兼帯するまで、源氏長者は室町頃はほぼ久我家独占の名跡で源氏将軍初代の頼朝自体兼帯してない(大体摂津源氏で公家でもないから源氏諸流内でもそんなに家格が高い訳でない)。
足利も源氏内の家格としてはさして高く無い。将軍になったのは結局家格でなく武威があったからこそ。
対して源氏長者は全ての源氏諸流の長として家格が問われるので、自ずと公家など貴種でなくてはならず久我家など公家が持ち回りしてる名跡だった。
これを本来家格としては新田源氏(それとて無理矢理系譜操作して仮冒)で到底長者に補せられるものでないのに、天下人となり将軍に叙任された事で家格でなく「武威による政治的に実力者」である事が始めて長者に補せられる根拠となった。
0769人間七七四年
2021/10/07(木) 20:35:29.99ID:O+XvFS7O0770人間七七四年
2021/10/07(木) 21:20:56.96ID:UWbe+JBW大名達への御恩は単なる金品石高のみでなく領地安堵と更なる給付でなくては収まらない時代だから、大名潰して与えたり或いは唐入りでフロンティア開拓しないとならない。
戦を続けて大名を消耗、若しくは血の気の多い現役世代には亡くなって頂いて権威に大人しく従う若い世代へ交代してもらうなどして兎に角牙を抜く過程が必須だったもの。
徳川ですら綱吉の代までひたすら些細な事を言いがかりに改易断絶を繰り返し
大名と土地との繋りをシャッフルしまくる事で漸く安定へ辿り着いたが、秀吉一代だけではとてもじゃないが全然足りなかった。
0771人間七七四年
2021/10/07(木) 22:10:10.30ID:kSA1e/9L俺はうるさいけど俺に付いてくればいい思いさせてやるってのから利益はくれないのに出費は強いる政権になってしまったから
長い戦乱期から初統一の政権がお約束で抱える宿痾を、統一した時点ですでに結構な歳の人間が背負う羽目になった
0772人間七七四年
2021/10/07(木) 22:26:13.45ID:HkIi3+Ap> 戦を続けて大名を消耗、若しくは血の気の多い現役世代には亡くなって頂いて
唐入りは(大普請と共に)正にそれを目的とした政策だからな。
それが未完のまま破綻を来した後、最後は羽柴家自身が国内になおも残る暴力ポテンシャルを費消させる為の装置となって消滅した、と。
その後には江戸幕府による二百数十年の天下泰平。
羽柴秀吉が推し進めた惣無事路線は斯様にして実に綺麗に完遂されたわけだ。
となると、スレの結論が見えて来るんじゃないか。
「豊臣」政権は崩壊していない。
それは江戸幕府によって発展的に承継された。
これと切断された羽柴家が崩壊消滅した理由は、
「滅亡することによって羽柴秀吉の政治目標を実現する装置」として位置付けられたこと。
構造的理解としてはそんな所か。
0773人間七七四年
2021/10/07(木) 22:33:35.13ID:XM7HrF67室町時代にいよいよもって運営が厳しくなった朝廷が、足利君ちゃんと朝廷の世話頼むよ!って意味で将軍に長者になるよう要請してたってやつ
0774人間七七四年
2021/10/07(木) 22:36:19.06ID:nLFhWT6D秀吉=頼朝
家康=北条得宗家
的な?
0775人間七七四年
2021/10/07(木) 22:55:29.43ID:lnosLbb9源頼朝(家)と北条得宗家は思想を共有してるけど
平清盛(家)と源頼朝(家)との戦争はイデオロギー闘争でもあるからなあ…。
それを本質と見るか、平安鎌倉の時代性に由来するノイズと見るかでその比定の当否評価は分かれると思う。
0776人間七七四年
2021/10/07(木) 23:17:55.06ID:UWbe+JBWその通りです。
その頃までに天皇の力の根源だった長講堂領なんか蚕食されて急速に機能しなくなり、公家各家の荘園も粗方目減りして公家当主が自ら管理しに下向し始める体たらく
仕方ないんで足利将軍におねだりした件です。
0777人間七七四年
2021/10/07(木) 23:33:46.49ID:UWbe+JBWもし本能寺無しで九州・四国平定まで成したとしても五十は確実に過ぎるし、まだ北条以北はまだ手付かず状況。
本当に秀吉が達成したレベルの天下統一を成し遂げるとするなら秀吉よりも高齢かもしれない。
この豊臣政権が抱えた統一後の統治という難題を、そして秀吉の頃(りももっと血の気の多すぎる連中がうろつく世界を秀吉よりも高齢者が対峙するって
凄まじい事になるなあ、と。
0778人間七七四年
2021/10/07(木) 23:41:49.33ID:lnosLbb9IFに付き合うのも気が引けるが、念の為に。
状況に対峙するのは生身の個人ではなくて権力体だから、年齢を語ることに意味は無い。
その権力体が状況を消化し得る能力を有しているかどうか、問題はそれだけ。
0779人間七七四年
2021/10/07(木) 23:43:07.31ID:XM7HrF67とは言っても信長が関東や奥州まで軍を進める気があったかは謎だけど。滝川一益みたいに柴田は越後、羽柴は毛利領のどこかにまで飛ばされるのは想像がつくけど
0780人間七七四年
2021/10/08(金) 00:47:18.22ID:W7vNW3OZなんとなく体脂肪率低そうっていうか引き締まった健康体おっさんのイメージがある
0782人間七七四年
2021/10/08(金) 10:45:01.13ID:1PNPdGXx0783人間七七四年
2021/10/08(金) 11:35:38.28ID:l4By7sbaだから戦場には信忠が出て政治向きに集中できる体制にしてたんだろな
秀吉の場合秀次に関白として国内任せて自分が外征進めようとしたけど
その時点で年齢的にもやはりかなり無理があったな
0784人間七七四年
2021/10/08(金) 12:55:39.80ID:7a6A2vv6信長はそれが分かっていたから義昭を上洛させた当初は協力者として軍事的に支援はするけど畿内は幕府に任せて拠点は岐阜のままで戦国大名織田家の当主として振る舞ってた
戦国大名と天下支配は両立しないんだよね。特に信長は尾張も美濃も北伊勢も征服して年数が浅かったし離れて畿内の争いに没頭してると自分の領地がどうなるか分からない
0785人間七七四年
2021/10/08(金) 14:05:34.97ID:IyhXRYy4どうしたって実力あると目される人物とその血統で少なくとも成人してる後継の両輪揃ってないと厳しいよね
実力がある人物に仕えたり任せたりしたいんだから
0786人間七七四年
2021/10/08(金) 14:14:08.03ID:LwNyjYM6他はだいたい簒奪されたり、権力が縮小したりしてる。
0787人間七七四年
2021/10/08(金) 22:12:51.13ID:ymkyaJPO足利義満と同様、既に確立済の強固なシステムを前提にした幼主で良ければ成功例は他にも幾人かいるように思う。
すぐに思い付くのは応神天皇と北条貞時。
長尾景虎…は…、一応名目上の当主が他にいたから非該当か。
0788人間七七四年
2021/10/09(土) 11:54:49.17ID:bQ3BxKyR尾張紀伊水戸の主要一門も変に野心持たず篤実だった
やっぱ組織が続くにはひと握りの天才より多くの優秀で篤実な人材の総合力結束力ということ
0789人間七七四年
2021/10/09(土) 14:41:55.94ID:FoUn/qgx家康「俺が死んでもお前たちは徳川を支えてくれ」
作左「貴方が死んだら北条に狙われて徳川は終わりだ。よしんば生き残ってもアレが主家を潰して無様に生きてる鬼作左よと笑われるだけ。ですので腹切ってお供します」
ってやり取りの結果家康は医者にかかって全快したらしいけど、
この時既に「家臣団」の変革を考えていたんだろうな。優秀な人間が主人が死んだからでリタイアしてたら主人の寿命が家の寿命になってしまうから。
0790人間七七四年
2021/10/09(土) 18:09:19.38ID:l66jBKe80791人間七七四年
2021/10/09(土) 18:24:23.10ID:layJaAjU0792人間七七四年
2021/10/09(土) 18:53:18.38ID:fNHIX5dU0793人間七七四年
2021/10/09(土) 18:59:01.12ID:YaCOFA7gお前は情報のソースも洗わないで鵜呑みにするの?
0794人間七七四年
2021/10/09(土) 19:22:40.96ID:BwqVp4n2史料を見る限りだと塩辛いものが好きで朝やたらと早く起きたそうだから典型的な高血圧症だな
たぶん脳か心臓の病気でそのうち死んでいたと思う
0795人間七七四年
2021/10/10(日) 01:50:18.75ID:W14t7O8j当時と年齢の基準が違うとはいえ50そこそこで死んでるから
後10年生きたらなんか持病が顕在化したかもしれんね確かに
0796人間七七四年
2021/10/10(日) 21:54:40.47ID:67XFhLvP家康が62歳で将軍宣下を受けた時秀忠は24歳
と考えたら信長48歳で亡くなった時信忠25歳
というのはだいぶ条件としてはいいと思う
0797人間七七四年
2021/10/10(日) 21:55:24.73ID:67XFhLvP0798人間七七四年
2021/10/11(月) 07:47:54.14ID:aAm2NLWE家康もずいぶん年寄りっ子だね
50前後で死んだらスゲー揉めそう
0799人間七七四年
2021/10/11(月) 08:00:41.62ID:vwNzpIFYその後女子が続いて秀康が出るまでちょっと空いてるみたいだけど
0800人間七七四年
2021/10/12(火) 17:51:50.97ID:q4Cqz+VMつくづく、あの役に立たん奉行衆がよろしくない
0801人間七七四年
2021/10/15(金) 22:19:41.73ID:KB4epIDn秀吉の親族は鶴松2歳、秀長51歳、秀次23歳、秀勝22歳、秀保12歳、宇喜多秀家19歳、小早川秀秋(木下秀俊)9歳、あと秀康17歳もいる
家康は秀忠12歳と忠吉信吉、あとは異父弟
直系こそ少ないけど
秀吉の一族が徳川家より決して見劣りしてたわけではなかったのよね
なお
0802人間七七四年
2021/10/15(金) 23:11:07.15ID:qFswkrGE0803人間七七四年
2021/10/15(金) 23:45:47.43ID:dXdqil/rセンゴクとそのツイッターだと秀忠も羽柴政権の後継候補に挙がってたな
0804人間七七四年
2021/10/16(土) 00:10:27.16ID:MYzB5DE60805人間七七四年
2021/10/16(土) 00:28:03.54ID:qJ55oja9秀忠さんだけじゃない。
秀吉さんの義弟で家康さんという人もいるのだぞ。
0806人間七七四年
2021/10/16(土) 01:27:20.24ID:+G2H9g3I成金、成り上がりっていう
0807人間七七四年
2021/10/16(土) 02:17:52.45ID:hgrLx9G70808人間七七四年
2021/10/16(土) 02:42:53.17ID:qJ55oja9一般世間は勿論、「豊臣」権力体に一定水準以上の関心を有する筈の当スレ住人までもが「豊臣」と羽柴の関係について無頓着に過ぎると思っている。
0809人間七七四年
2021/10/16(土) 04:02:29.13ID:+G2H9g3I「こいつは下賤だったが豊かになり力がある、しかし帝の臣下であることは譲れない」という姓にしか思えん
そこら辺の史料を知らないのでなんとも言えないが
0810人間七七四年
2021/10/16(土) 08:44:47.38ID:ug5h0OBf何から持ってきたんだろ…
0811人間七七四年
2021/10/16(土) 11:11:28.87ID:MYzB5DE60812人間七七四年
2021/10/16(土) 17:03:51.51ID:hgrLx9G7成程、関白の姓に相応しい
0813人間七七四年
2021/10/16(土) 17:08:19.12ID:hgrLx9G70814人間七七四年
2021/10/16(土) 17:53:43.62ID:FzEwRd4E信長が現れるまでずっとそんな感じ。その後信長が畿内での闘争に忙殺されて提案しながらもできなかった譲位を秀吉が実現してくれたというのがあるから、朝廷を豊にしれくれた臣みたいな意味は含むのかもね
0815人間七七四年
2021/10/16(土) 17:56:16.18ID:8feylCvK名誉なんだけどそれは秀吉は「豊臣」であって「藤原」では無いから関白は継げないよ気をつけてねっていう朝廷からのメッセージでもあるんだよな…とはいえ関白なんてそんなにいらなかった筈だが…
0816人間七七四年
2021/10/16(土) 18:19:11.39ID:sS7mu8w0信長なんかはそれが分かっていたのか朝廷が必死に信長を取り込もうとしていたけど信長自身はあまり官位に積極的じゃなかった
0817人間七七四年
2021/10/16(土) 18:34:11.58ID:+G2H9g3I朝廷の位階官職に諸大名を落とし込むって政権をやったわけだから、関白は必須でしょう
江戸幕府は同時に朝廷を締め付けたけど
後付けにせよ源氏長者ってのも大きい
0820人間七七四年
2021/10/17(日) 08:25:27.79ID:e3XPDAC50821人間七七四年
2021/10/17(日) 08:27:51.36ID:wwecyzBl強力なパトロンである秀吉一代限りにおいては好意的だったと思うよ。豊臣家が関白を独占するとなった時にどうしたかは興味深い
0822人間七七四年
2021/10/17(日) 08:36:02.34ID:KSiRkfaw近衛家の養子になった秀吉(近衛秀吉)を関白にして、その直後豊臣姓を下賜した。
つまり秀吉は近衛家の人間だったから関白になれるが、藤原氏じゃないから関白を独占する事は出来ない。
ところが秀吉は、豊臣姓下賜の後関白の宣下を受けたと書類を改ざんして秀次に関白を渡した
…こんな流れだったとは聞いたが…だとすると朝廷の感情は悪かろうな
0823人間七七四年
2021/10/17(日) 08:41:39.40ID:wwecyzBl足利義満や在位が異常に長くてジワジワ官位が上がった徳川家斉だって太政大臣にはなったが摂関にはなってない
公家の領域に割り込んでそのまま永続化したらどうなったのか
0824人間七七四年
2021/10/17(日) 10:28:30.56ID:zu4kKuyI歴史的には秀次存命パターンがその可能性があったんだよな。子女の多さは将来の継承と閨閥形成に最適だった。
ご存知の通り晩年の秀吉が目指したかもしれない(厳密には遺言に秀頼の目指すべき官職は示されていないので真意は不詳)秀頼関白ルートは無理だったから。秀頼の強力な輔弼として置いた筈の利家が亡くなり家康が天下人となって、その流れは理由はどうあれ破綻した。
無論秀次の子がその関白独占固定の端緒となるか秀頼なのかは当然わからないんだけど。
0825人間七七四年
2021/10/17(日) 11:57:41.52ID:KW82NKws秀吉死後に私婚事件以外の行動が殆どなくてどの程度任されてたのかわからんのよな
0826人間七七四年
2021/10/17(日) 12:34:06.02ID:zu4kKuyI通常は傅役だから豊臣家(事実上秀頼中心の)家政とされてるけど、それで言えばむしろ利家が家康の領分のである表の政治向きの大名私婚問題に捲き込まれるのもどうかな感じではある。
結局の所秀吉死去まで、両者のその範囲と対処事項の細かい所を詰めきれなかったんだろうな。
0827人間七七四年
2021/10/17(日) 12:50:35.37ID:wwecyzBl0828人間七七四年
2021/10/17(日) 12:53:53.50ID:bbP7T4U9そういった事についての権限は家康にあるって認めてた事になるんじゃないかな?
0829人間七七四年
2021/10/17(日) 13:27:05.44ID:KW82NKws豊臣の家政についても家康が北政所の化粧料のことについて任されてるし、利家は家政についても権限弱いんじゃねーかなぁ
結局利家が秀頼になんかしたのかって部分が自分が知らないだけかもしれないけど、ないっぽいのよね
0830人間七七四年
2021/10/17(日) 15:00:52.67ID:SsqHeWasもっと成長して、秀頼が政治を見るようになれば、助言とかするんだろうけど、
あの時点では記録に残るようなことをやりようがないと思う。
0831人間七七四年
2021/10/17(日) 17:07:21.13ID:QKcg6xmP0832人間七七四年
2021/10/17(日) 18:41:55.70ID:wwecyzBl織田家の場合も堀秀政が三法師の傅役をするけど政治は4人の宿老で回すと清須会議で決定してたし
0833人間七七四年
2021/10/17(日) 20:44:50.08ID:MMaZh0YA逆に朝廷の臣下でないという姓あり得なかろ
そいつは何者になるんだ?朝敵なのか?
0834人間七七四年
2021/10/17(日) 21:28:25.79ID:N4lbZEE/安東氏は長髄彦を始祖としていた筈。
その叛骨が良い。
0835人間七七四年
2021/10/17(日) 21:34:53.79ID:N4lbZEE/0836人間七七四年
2021/10/17(日) 21:52:34.42ID:MMaZh0YA朝臣でないという意味にする方が罠だろ
0837人間七七四年
2021/10/17(日) 21:56:15.36ID:MMaZh0YAそれが表向きの政争に駆り出されさらに秀吉の死後半年で死んでしまった
その後継者であるはずの利長はその政争から離れるために
国許に帰り(家康の勧めと言われる)以降は家康に一本化されたんじゃないかと
0838人間七七四年
2021/10/17(日) 22:13:38.31ID:KW82NKws0839人間七七四年
2021/10/17(日) 22:15:45.81ID:KW82NKws領国内での問題対処も普通にある位前田家も揉めてる
0840人間七七四年
2021/10/17(日) 22:20:57.30ID:KSiRkfaw家康に全く関わりが無いはずがない。だってそれって謀反って事になるんじゃない?
だからどうあれ、「内府さまの許し/勧めがあった」という事実はあったと思う。それが真実かはともかくとして。
0841人間七七四年
2021/10/17(日) 22:28:39.53ID:KW82NKws少なくとも帰国の翌月には揉めかけてるのよね
0842人間七七四年
2021/10/18(月) 01:10:01.31ID:GDAGm66H0843人間七七四年
2021/10/18(月) 08:24:06.46ID:uGr120os政争中何の断りもなく国許に帰ったら
兵をまとめに行ったのかと大騒ぎになりそう
0844人間七七四年
2021/10/18(月) 08:58:43.34ID:+BAVuoNG関白って位人臣に就かせるんだから
そこに下賤への嫌味があるといってるのに、臣下だからとかは的外れだよ
あなたの論じゃないだろうが、一応
0845人間七七四年
2021/10/18(月) 12:17:18.39ID:mex3guDLだから思うに、長盛のミスコミュニケーションだったんじゃないか?
利長が本国に問題があって帰国したがってたから長盛が帰国の許しを内府に取りに行く…はずが、
うっかり赦しの無い状態で帰国させちゃって大騒動に
0846人間七七四年
2021/10/18(月) 13:06:29.92ID:kMnxrklT断定できる史料がほしいなぁ
0847人間七七四年
2021/10/18(月) 21:41:45.61ID:mex3guDL99年8月に利長が帰国してからだけど、まず9月に利長の上洛禁止が沙汰される。ついで加藤清正も上洛が禁止されてる。
面白いのはここで利長の上洛阻止を命令されたのは大谷吉継と石田三成(島津忠恒宛 島津義弘書状)これが噂になったのか看羊録では「利長と清正らが家康暗殺を企み、それを近江にいた三成が知って家康に報告した」と書いてる。
流石に暗殺計画なんて無いだろうけど、クソ几帳面ってキャラ設定される三成の事だし利長帰国を報告してた可能性はあると思うんだ。
家康が三成を守人に指定したのは踏み絵だったのか、石田家への信頼と期待だったのかはわからんけど…
0848人間七七四年
2021/10/18(月) 21:47:15.07ID:mex3guDL利長は長盛との会話で帰国が許されたと思って帰ってこれを知って最初は家康による前田潰しと激昂しただろう。でもよくよく考えると公儀からの許しが全く無い。あるのは奉行の話だけ。その内大坂だと前田と加藤が結んで謀反って話まで聞こえてきて真っ青に。
10月にまつを江戸に送ってなんとか前田討伐は防いだけど、家康がその気だったら風聞だけで潰せてた筈でまぁ良く無事だったねとしか…
0849人間七七四年
2021/10/18(月) 22:10:37.15ID:55elioPD義弘の書状で「それは一揆に同意したも同然の行為で、あなたの為にならない」とすぐやめるように言われてるな
0850人間七七四年
2021/10/19(火) 12:24:38.20ID:0OJlLWAk秀宗もw
0851人間七七四年
2021/10/19(火) 12:29:10.94ID:0OJlLWAk・結城秀康(徳川家康の次男、秀吉の養子となる)
・徳川秀忠(徳川家康の三男)
・宇喜多秀家(秀吉の猶子、養女の婿)
・毛利秀元(毛利元就の四男、穂井田元清の子、毛利輝元の養子となる)
・毛利秀就(毛利輝元の子)
・小早川秀包(毛利元就の七男、小早川隆景の養子となるが、秀秋が養子に来ると別家を立てた)
・伊達秀宗
・織田秀信
・織田秀雄(織田信雄の長男)
「吉」をもらった、もしくはもらったと思われる人物
・大谷吉継
・木下吉隆(秀吉の祐筆。木下の名字ももらった可能性あり。秀次に連座し、薩摩へ配流の後、自害)
・毛利吉成(秀吉古参の家臣。豊前小倉七万石の大名となり、朝鮮の役で活躍するが、関ヶ原で正軍について失領)
・毛利吉政(吉成の子。大阪の陣で西軍につき、自害。勝永とも言う)
・木村吉清(天下統一後、葛西・大崎二十万石の大名となるが、一揆が起きた責任を問われ、改易。後九州の大名に返り咲く)
・大友吉統(宗麟の子。朝鮮の役で失態を犯し、改易。関ヶ原で西軍につき、敗北)
・堀尾吉晴
0853人間七七四年
2021/10/20(水) 00:17:34.90ID:Rxs9hVod0854人間七七四年
2021/10/20(水) 09:44:20.14ID:Yld/rTMH奉行と家康の連絡ミスや手続き認識のミス
という感じなのかなあ
ある奉行的には通ると思って帰国勧めたけど
徳川や他の奉行に問題視されて大事になってしまい
さりとて誰も戦争望んでないから穏便に・・・ていう
0855人間七七四年
2021/10/20(水) 19:16:11.99ID:op0OOtcg七将襲撃事件が穏便に(当社比)済んだ後で家康ら豊臣上層部は庄内の乱をどう治めるかを考えていた筈。
多分そんな中前田家の内紛も少し話題に上がったんだろう。そこでの家康の個人的な発言を奉行が公的な発言として伝えて利長が信じ切ってしまって帰ってしまったと。
だとしたら殆どの史料に矛盾しないし、前田家の焦りようも説明つくし。
0856人間七七四年
2021/10/20(水) 20:33:55.81ID:3lkk6yKb0857人間七七四年
2021/10/21(木) 00:13:28.33ID:JUOmcvSd秀吉時代とその死後はどうなってたんだろうな
0858人間七七四年
2021/10/23(土) 09:07:03.33ID:0tHmkBms本質的にはそこの問題だと思うのよね
太閤の遺言とされるものを読んでも正直
一部で言われてるほど家康利長と奉行の職分は
明確にはされてないと思うんよね
行間読んだり当時の慣例や事例と重ねて
こう言う意味だと類推はできるが
逆言うとそういう解釈の余地はある
となるとお互い自分の都合の良いように解釈して
綱引きが始まるのが人の常であって・・・
0859人間七七四年
2021/10/23(土) 09:35:07.36ID:sPinDE9bとはいえどの時代においても顔見せずに帰るはヤバイかな
領地帰って反乱の準備でもする気なん?ってなっちゃう
0860人間七七四年
2021/10/26(火) 18:11:13.31ID:5TH6YRcZ上杉なんて自業自得だが堀氏と敵対関係になってた結果、堀氏が徳川に急接近して何か上杉が怪しい動きをしたら即通報する気だったからね。
案の定通報されて、ごめんなさいし損ねてヤバいことに。
0861人間七七四年
2021/10/26(火) 20:11:37.96ID:JbgOyAkA0862人間七七四年
2021/10/26(火) 21:09:25.98ID:TvP73XfS羽柴秀吉vs徳川家康
明智光秀vs毛利輝元
柴田勝家vs前田利家
滝川一益vs上杉景勝
丹羽長秀vs宇喜多秀家
0863人間七七四年
2021/10/26(火) 21:20:40.84ID:jjXZSIwT0864人間七七四年
2021/10/28(木) 05:02:15.36ID:ZhGHYOJG傅役って要するに後見人で、主君が幼少の場合は主君に罰与えても良いって事だぞ。
このね、主君が幼少の場合は罰を与える事すら正当化されるって部分が強大。
現代でも、両親事故死の場合に祖父母や叔父が後見人に成る事は普通に行われてる
そんで、後見人に両親の遺産横領される事件も多発。
前田利家に野心あれば、明らかに家康より有利な立場なんですよ。
「傅役で有る私が、秀頼様に害があると認定した」で大義名分は十分だし
0865人間七七四年
2021/10/28(木) 08:15:44.25ID:e+QCm/87つーか後見人って立場なら家康も正しく後見人でもあるわ
0866人間七七四年
2021/10/28(木) 08:22:52.18ID:e+QCm/870867人間七七四年
2021/10/28(木) 08:29:52.91ID:8lZOIgqS五大老の力が拮抗してれば秀頼が成人するまで上手くいったかもしれない
0868人間七七四年
2021/10/28(木) 08:53:21.75ID:2f5Vj3co秀吉は一体何を考えてたのやら
0870人間七七四年
2021/10/28(木) 09:08:04.00ID:JHlWI7Kdスレがどういう筋道を辿って現状どういう結論になってるか、それを把握できてないと話にならないから
0871人間七七四年
2021/10/28(木) 09:15:50.46ID:DYc2f8DD政治機構としては割と歪というか破綻は目前なんだよなぁ。
0872人間七七四年
2021/10/28(木) 10:31:34.37ID:z/Wwg3mW前田なんか100万石もなかったら巨頭でもなんでもないよ
利家が死んだら利長はあっさりと家康に屈服している
200万石ぐらいあったら対抗していたと思うがね
0873人間七七四年
2021/10/28(木) 11:44:16.01ID:v0QLTfxl0874人間七七四年
2021/10/28(木) 12:14:52.04ID:rj328o1jそれをしない人は今自分がそう信じてることを吐き出してくだけだからね
ゆえにそもそも話が成り立たないし、信仰に近いから批判を耳に入れようとしないからね
0875人間七七四年
2021/10/28(木) 12:16:04.98ID:hG1VZh4g0876人間七七四年
2021/10/28(木) 12:19:45.38ID:8lZOIgqS0877人間七七四年
2021/10/28(木) 12:26:32.82ID:hG1VZh4g0878人間七七四年
2021/10/28(木) 13:03:17.61ID:Yh6dQBID0879人間七七四年
2021/10/28(木) 13:06:45.05ID:Rz4rvhop全ては家康のせい
0880人間七七四年
2021/10/28(木) 13:22:58.11ID:rj328o1j0881人間七七四年
2021/10/28(木) 14:01:57.82ID:3MU9ALdi秀頼でいいなら他の誰でもいいだろ
0882人間七七四年
2021/10/28(木) 14:02:15.82ID:i15665lb家康がいないとして、他の大老がうまく協調出来るのが条件かな
大老同士が覇権争いはじめたりしたらアウト
むしろ家康より戦乱の収拾が遅れそう
0883人間七七四年
2021/10/28(木) 14:28:01.02ID:wPrUrSeg0884人間七七四年
2021/10/28(木) 14:57:42.40ID:8lZOIgqS0885人間七七四年
2021/10/28(木) 15:03:33.59ID:d2kmcLwe実態は一大老と四老中
0887人間七七四年
2021/10/28(木) 22:06:46.53ID:v4jc0KsO家康に勝てるかもくらいには拮抗してたから
関ヶ原という大乱が起きて別の政権が成立した
秀吉生前に徳川に権力集中させて
そのかわりお飾りの秀頼を推戴する
鎌倉幕府のような体制を作れてたらワンチャン
0889人間七七四年
2021/10/29(金) 06:39:42.76ID:yRhttnN3文章読んだら?そいつは史料にある(捏造)してるドクズだからね
間違ってると指摘されると逆ギレ発狂連投始めるしホンマモンのキチガイ
0890人間七七四年
2021/10/29(金) 11:46:58.89ID:wdh2tRzhじゃあ秀頼が天下人になれてたかっていうと多分そうじゃないだろうなってのが
0892人間七七四年
2021/10/29(金) 13:21:24.74ID:JTBQqMzZ奉行や毛利上杉宇喜多その他諸侯が秀頼を秀吉のような独裁者にしてその下に甘んじると思うか?って話
それで豊臣政権がうまくやってけると思うのはよほどの楽観主義だし
奉行毛利上杉宇喜多その他大諸侯を意志のない奴隷と同じにみなすむしろ彼らをバカにした認識
0893人間七七四年
2021/10/29(金) 13:45:52.91ID:+oOiqDobそうしないとメシ食っていけないのは分かるが何が定説なのかサッパリ分からんくなってきた
二重公儀説とか今どうなったんだ
0894人間七七四年
2021/10/29(金) 13:48:18.56ID:dCfDM4nHやはり周りからも影響力のある人物とは見なされてないようで
0895人間七七四年
2021/10/29(金) 14:55:29.51ID:Nom0KfOc所詮はその程度の人物
0896人間七七四年
2021/10/29(金) 15:46:16.90ID:NvCDpPER物の見方の問題だからな
0897人間七七四年
2021/10/29(金) 17:35:32.74ID:wdh2tRzhとは言え関ヶ原の処理を放棄した時点で豊臣は公儀ではなくなったんじゃなかろうか。
0898人間七七四年
2021/10/29(金) 18:43:26.04ID:hlN1ApSA執行してない、できないって時点で公儀じゃないよ豊臣家
0899人間七七四年
2021/10/29(金) 22:54:41.76ID:IETqlMCA0900人間七七四年
2021/10/29(金) 23:15:46.91ID:sHci/OnT姻戚関係を無視するなよ、確かに太閤薨去時点での前田領は約80万石ですが、宇喜多秀家の
正室は太閤の養女で前田利家の実の娘だぞ。
その他にも豊臣系大名との縁組があり、それ加えると実質150万石以上は有ります。
そして注目すべきは、この前田中心の姻戚関係は太閤の生前に作られてる訳で。
家康が勝手にやった私婚とかと違い太閤公認の上で前田派作ってたんだよ。
太閤が徳川牽制の切り札と認識してるのは明白
0901人間七七四年
2021/10/29(金) 23:52:32.39ID:hlN1ApSAさらに都合よく前田側の縁組だけを見てる
まあいつも通りの例え話だね
>>900
お前さんに随分前からずっと求め続けてる遺言の箇所はどこか、早く言ってから他人に絡めよ
バカの一つ覚えで同じ事ほとぼり冷めたら言いに来るたちの悪いことしてないで
0902人間七七四年
2021/10/29(金) 23:56:03.17ID:WLiyrdYk> その他にも豊臣系大名との縁組があり、それ加えると実質150万石以上
どういう理屈が有って加えるのか?利家にそれらの家に対する指揮権があるわけでもなんでも無いのに
0903人間七七四年
2021/10/30(土) 00:01:01.07ID:n2u/cuyG逃げるなよ?
早く5/12にお前が太閤遺言を要約したらあったと言ってる朝鮮出兵についての論功行賞を行わないだか書いてある箇所はどの秀吉遺言のどの部分に書いてあるか
さっさと言えよ
0905人間七七四年
2021/10/30(土) 12:08:25.88ID:A2tk1IuM秀吉が意図的に利家をパンプアップさせようとしてた可能性はあるんじゃない?
秀吉の構想としては家康利家の巨頭政治だったろう。これは諸将が家康利家に誓紙を出してることからも明らか(御掟で誰もが誓紙をかわしてはならないとしてるから秀吉の意向で出されてる)
でも徳川二百万石と前田百万石では差があり過ぎるから政治的にこの差を埋めようとしたとしてもおかしくは無いと思う。
0906人間七七四年
2021/10/30(土) 12:35:42.26ID:i0bE+M8Vこうである蓋然性が高いと言うために史料が必要な訳
で、この有名な例え話荒らしは毎回史料を出さないか都合のいいところだけ掻い摘んで出して、そこ批判されたらレッテル張りながら雲隠れ
ほとぼり冷めたと思ったらまた同じこと性懲りもなく言い出すの
この利家の血縁がどうたらも何度も批判受けてるのにまた言い出したこと
0907人間七七四年
2021/10/30(土) 23:15:43.29ID:tGAZc5echttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1635597627/1
0908人間七七四年
2021/10/30(土) 23:31:55.89ID:2IbLg3J0史料読むのが基本の基本
0909人間七七四年
2021/10/31(日) 01:40:02.19ID:m+5YbbCQ0910人間七七四年
2021/10/31(日) 02:01:48.04ID:Y80QSy3u> 史料読むのが基本の基本
正にその通り、正に「基本の基本」。
必須の前提であり、そしてそれ以上でもそれ以下でもない。
本当に大事なのはその先の「構造」の考察なんだが、
文系脳の弊害か、プロの史学者から素人まで史料の一言半句の解釈で不毛な袋小路に迷い込む手合いの多いことに驚く。
当スレも含めて戦国板のスレの殆どがその弊から免れるを得ていない。
何と愚かなことか。
0911人間七七四年
2021/10/31(日) 03:14:57.08ID:+SB1kgmRえ?だからお前の直感だか妄想だかの謎解釈を受け入れろって?
いいか、プロの一言半句の解釈っていうのはその文章の成立した当時の文法、社会常識、社会情勢、地域事情、
そういったものを複合的に考えた上での解釈で、お前みたいに偏った断片的な知識と思い込みでやってるわけじゃないんだぞ
0912人間七七四年
2021/10/31(日) 10:20:57.71ID:gJtOOk0a0913人間七七四年
2021/10/31(日) 11:07:48.82ID:wDrwCX6C0915人間七七四年
2021/10/31(日) 13:19:00.75ID:YgeJw0gU主張する時はちゃんと根拠になるものを持ってって言ってるだけでそうやって場を言い訳に使おうとするんだから
0916人間七七四年
2021/10/31(日) 14:11:09.46ID:AX6FsjBfどっちも、もうちょっと緩く楽しくやろうよ
0917人間七七四年
2021/10/31(日) 14:35:35.95ID:rQbWh4xE趣味って言葉はちゃんと調べつつ楽しんでる人に妄想で絡んだり水差していい免罪符なのかね?
0918人間七七四年
2021/10/31(日) 14:45:59.14ID:Y80QSy3u嗚呼、典型的な文系思考停止…。
0919人間七七四年
2021/10/31(日) 14:46:13.19ID:d6/bEo6q0920人間七七四年
2021/10/31(日) 15:02:53.83ID:MsGcIsIh別に他人にマウント取ったりいがみ合いながら議論する必要は全くない
でも史料のソースくらいは出そうよ
考察するにしても史料を根拠にしないとできないし、全部個人的な推論だけじゃねぇ
0921人間七七四年
2021/10/31(日) 15:32:09.45ID:G6SLAaR3どの道話が通じない
0922人間七七四年
2021/10/31(日) 15:33:07.08ID:anG68pUP緩いというか根拠無しが楽しいという人もいるのかもしれないが
史料などの根拠ょがあったほうが楽しいという人がいるのも忘れないで欲しい
0923人間七七四年
2021/11/01(月) 07:46:45.76ID:1gl4i//9なんも主張してないんだが・・
なんでオレまでなんか主張してることになってんだ?
第三者が「まぁまぁ双方落ち着けよ」ってのも何かの資料を出して根拠を示さないといけないのかしら?
何の資料?
0924人間七七四年
2021/11/01(月) 08:30:27.55ID:xt5E7r2tお前が主張した、じゃなく主張に根拠持って来なかったり構造がうんたら言ってるやつに怒ってる話の後にお前が茶々入れたから言われてるんだろうに
0925人間七七四年
2021/11/01(月) 17:22:21.33ID:OWehWtGm0926人間七七四年
2021/11/01(月) 18:37:40.19ID:pbz8sZ4Uあ、この人真性のバカだ。
リアルでは嫌われてるからこんなところでしか威張れないんだな。
自業自得だから可愛そうとも思わんが。
0927人間七七四年
2021/11/01(月) 18:47:54.20ID:OWehWtGmわしは飽食じゃ
0928人間七七四年
2021/11/01(月) 18:57:03.07ID:XZH6OKo2バカだと思うなら構わなきゃいいだろ、史料持ってこないだどーたらと違って黙っとけば被害増えないんだから
ヒートアップさせたいのか
0929人間七七四年
2021/11/02(火) 01:14:39.95ID:Bmws+hB90930人間七七四年
2021/11/02(火) 02:03:31.50ID:HgQRPCdeいま打ち止め時を見極めないで煽るのは荒らしだから
主張をするならソースとなる史料なり研究なり出す、見当違いの解釈はしない、他者から根拠ある批判されたら素直に受け止める、捏造なんて以ての外
これら守って行こうって話でいいんじゃないの?
これ以降煽るようなことしないようにしよ
0931人間七七四年
2021/11/02(火) 03:10:02.13ID:O+G97pJ70933人間七七四年
2021/11/02(火) 08:33:06.33ID:Sv7efVCE本気で書いてるなら相当にアレな人だな
0934人間七七四年
2021/11/02(火) 08:38:04.62ID:wx3Q1Bv0もうちょい人がいる板でやりゃ紛れるのにアホすぎるだろw
0935人間七七四年
2021/11/02(火) 09:52:20.36ID:qOvz4+Yx朝鮮出兵や関ヶ原その他諸々、家康が差配したんだろうに不平の声は少ない。
対して三成さん…そんなにやってないのに依怙贔屓の化身みたく…
0936人間七七四年
2021/11/02(火) 11:08:43.24ID:balOmZnc(注 : ちなみにこれは個人的なイメージで、深い根拠も正しい資料もありません)
0938人間七七四年
2021/11/02(火) 12:03:13.31ID:ztJvZP1G余程親しく無いと嫌われるってかウザがられるぞそれは…
0939人間七七四年
2021/11/02(火) 12:22:15.60ID:OzJC4G71三成が当時の人にどう思われてたか知らんけど現代だと正論吐いてウザがられるタイプだな
0940人間七七四年
2021/11/02(火) 14:09:06.84ID:So5vzzwVみたいな内容だったか。人によってはガチギレされそう。
0941人間七七四年
2021/11/02(火) 14:16:06.03ID:uTJZptwF0942人間七七四年
2021/11/02(火) 14:44:58.48ID:rYevtaSO0943人間七七四年
2021/11/02(火) 16:29:35.12ID:fh2Q6ubR本当なら日頃ネチネチ嫌味言われるわ些細な借金で命を潰されかけるわで忠興の三成評暴落してそう。
そんでこの中で「三成に讒訴されて死刑になるなら三成をぶっ殺して伏見を火の海にしてから腹切ってやる!」とガチギレしてる忠興さん。後の三成襲撃事件はまだセーブした方だったのか…
0946人間七七四年
2021/11/02(火) 21:18:24.72ID:4ildoZez霜女覚書でも「治部少輔と三斎様とはかねがね御間悪しく候由〜」とは書いてあるな
0947人間七七四年
2021/11/02(火) 21:38:18.31ID:So5vzzwVでもそんな三成を秀吉死後、多分唯一評価してた奴がよりにもよって徳川家康っぽいんだよなぁ。
三成は家康を仮想敵にしてたみたいだけど、家康が三成を嫌ってたって話は残ってないし、
死を要求された三成を助けたり、嫡男の出仕を認めたり、家康暗殺計画の時には三成に守備隊の命令出したりと割と好意的。
家康と三成が友好関係を保ってたら歴史はどうなっていたやら…
0948人間七七四年
2021/11/02(火) 22:18:12.61ID:MGSSpYOR> 家康と三成が友好関係を保ってたら歴史はどうなっていたやら…
家康の天下になるだけだな。
0949人間七七四年
2021/11/02(火) 22:33:03.54ID:jiyzJckn上司の悪口というと吉川広家宛に黒田官兵衛が書いた
私らは上様(秀吉)に不足とは思わないけど世の人はふのあしき殿と呼んでて〜みたいに書いてて
官兵衛本人が含みもたせてるかはともかく、世間的評判の悪さを伝えてるね
0950人間七七四年
2021/11/02(火) 22:52:11.05ID:jPiyaJwVその書状、さては左手で書いたな。
0951人間七七四年
2021/11/02(火) 22:58:10.85ID:OzJC4G71余談だけどその書状の前半部分は如水が秀吉の死を知ったのは8月24日だと書いてるんだよな
8月18日に秀吉が亡くなってるから如水は6日後に知ったわけだ
0952人間七七四年
2021/11/02(火) 23:02:17.41ID:v0HZCB3+秀吉の側近筆頭と豊臣政権の筆頭なんだから交流は頻繁にあったはず
能力と忠誠は秀吉を通じて評価しあってると思う
ただ秀吉が消えちゃうと仲立ちできる人もいなくなったんだろう
0953人間七七四年
2021/11/02(火) 23:29:23.03ID:EVzTmo2b少なくとも輝元のクーデターのスケープゴートにされるのだけは回避出来たかもしれない。
ただ他の大名と異なり秀吉の最側近の奉行であったから、そのまま家康の下にすんなり付き辛く立場として面倒な状況にはなるだろうけど。
0954人間七七四年
2021/11/03(水) 00:51:03.80ID:WGjLkfyU奉行として中央政権の手足になりつつ、大名として認められて新しく家興してるし
0955人間七七四年
2021/11/04(木) 21:25:36.13ID:D/QyzoDU黒田官兵衛はその後、大坂から自分の居城の豊前中津までのリレー早船システムを作って、
上方の情勢をいちはやく(3日程度で)中津にいる自分の耳に届ける制度を整えた
0956人間七七四年
2021/11/04(木) 21:56:26.96ID:zjxOek6+これが人質にならないで東軍に参加してたらどーなってたんだろうか…
0957人間七七四年
2021/11/04(木) 22:03:08.33ID:hIoa/5hD京阪での挙兵だから大量の巻き込まれが生まれたんで(というかそれを狙っての挙兵だし)重家のみの不幸ではないけども
0958人間七七四年
2021/11/04(木) 22:08:31.34ID:VfojvwkQ秀吉死去の報も早舟によりもたらされたもので、この頃既に早舟のシステムは整備されてた
この書状でも22日に大坂を出た早舟が中津に到着して、24日に秀吉の死を知ったと如水は言ってる
0959人間七七四年
2021/11/04(木) 22:13:19.93ID:bNMd5sQq> どーなってたんだろうか…
どうにもならない。
大局から見ればノイズ未満。
親子が敵対して殺し合うなんざ戦国乱世に珍しくもない。
自発意志にせよ浮世の義理にせよ、事例は売るほどある。
0960人間七七四年
2021/11/04(木) 22:44:52.03ID:Ir5stzPX0961人間七七四年
2021/11/04(木) 23:33:14.73ID:VfojvwkQ8月1日付だから伏見城落城の報は流石に如水の耳にまだ届いてない
伏見城落城が8月1日だしね
0963人間七七四年
2021/11/05(金) 10:08:47.71ID:nU3Ms29Hうんだから、自分の身の安全と石田家の所領の安堵のみが目的なら何をすれば良いのか
明白なんですよね
徳川の走狗に成り、接局的に豊臣家潰す工作に加われば良いだけで。
そうすれば最低でも所領安堵、上手くすれば加増転封で50万石くらいの大名になれる。
実際、黒田や藤堂がそうなってるので、出来ない事もないよ。
何しろ豊臣家の奉行だから、鬼平で言う盗賊団に店の鍵あける引き込み役になれる。
只、この場合秀吉は無茶苦茶哀れで惨めな老人と思われただろう。
あれだけ恩顧掻けて誰も秀頼守ってくれないのだから
0964人間七七四年
2021/11/05(金) 10:16:32.56ID:nU3Ms29H誰だって真実を見たくない時もあるというだけさ。
太閤薨去直後のあの時期、どの大名も太閤の恩顧に対して後ろめたい気持ちがある。
じぶんの本音言えないんだよ面子上、自分の本音を公言すれば只の射恩知らずに。
まさか「秀頼様が哀れではないかと?うん心配だし気の毒だね、でもあの人が俺の領地安堵
してくれると思えないんだよ、滅びたくない」とかいえんでしょ
後ろめたさを解消するための生贄が必要なだけさ、それが奉行衆。
0965人間七七四年
2021/11/05(金) 10:47:29.51ID:eJSPTGluまたかよ例え話荒らし
持ってくるべき史料と研究をちゃんと持ってきてから話せ、批判に対してなにほっかむりして逃げてんだよ
あるいは単にお前の妄想を吐き出したいだけならここはそういう所じゃないから別のとこでやれって何度も何度も言われてんだろ
自分の妄想が正しい、批判は一切聞きませんは人と相対してやる態度じゃねーんだよ
0966人間七七四年
2021/11/05(金) 10:57:04.06ID:eJSPTGlu> >>900
> 逃げるなよ?
> 早く5/12にお前が太閤遺言を要約したらあったと言ってる朝鮮出兵についての論功行賞を行わないだか書いてある箇所はどの秀吉遺言のどの部分に書いてあるか
> さっさと言えよ
議論の俎上にあげてほしいのなら、まず第一歩としてお前が半年近くもろくに答えもしてない捏造についてやるべき事をしてから喋れよ
もちろんお前に求められてるのはそれ1つだけじゃないが、対話したいならまず失った信用を取り戻そうっていう誠意を見せてからだろ
数年前から反省もしない、批判も聞かない、自分の妄想だけは一方的にペラペラ喋って他人に絡む
嘘も百回言えば相手が根負けして真実扱いされるみたいなデマの手法やめろや
0967人間七七四年
2021/11/05(金) 12:42:49.15ID:rgTJzCMEどう考えてもあの事件から危うくバランスが保たれていた政権の均衡が一気に崩れ豊臣家弱体化徳川一強に突き進んで行ったのだから
三成にそれが見通せなかったのならその程度の人物だったということだし
見通せていたのだとしたら何か腹に秘めていたと思われても仕方がない
実際秀次政権では冷や飯組のはずだったのが中枢に復帰できたわけだし
徳川の走狗になるより豊臣の看板で権勢の座にいるほうが三成にとってはるかにいいだろうしな
0968人間七七四年
2021/11/05(金) 14:06:56.08ID:lh2kz+sl0969人間七七四年
2021/11/05(金) 14:20:38.38ID:/7F8548Yあくまでも議論として必要なものは史料と研究とに沿った、そうであると判断できうる全うな解釈ですから
0970人間七七四年
2021/11/05(金) 14:30:11.28ID:tgBJnmgS立場も恩義も全然違うし、西軍の奉行たちに従うのも豊臣家の御為とも言えないし。
上杉家も父祖の土地を奪われ、家臣を引き抜こうとされたりしてるし、豊臣政権から離脱する行動とっても当たり前なんだよな。
0971人間七七四年
2021/11/05(金) 15:16:00.23ID:Zt2BsL2lでも正直、秀次だけでなくその一族まで皆殺しにされてるから事の震源地は秀吉だろう。三成ら奉行衆には秀次一族まで怨みは無い筈だし秀吉をそこまで動かせるとも思えないから。
三成が秀次事件に託けて都合の悪い連中を陥れようとしたって話もあるけど、三成が家康暗殺事件を密告したなんて話からするとコイツそんな大それた考えは無く単に報告魔だっただけかもしれない(法に違反してたら「自分に親しくなかったら」チクるタイプ)
どのみちやられた方は怨みを持つしそれはやがて…
0972人間七七四年
2021/11/05(金) 18:27:10.92ID:U6pYzBPO止めなかった(止められなかった)事位じゃないかな
そして止められなかったメンバーには当然、家康や利家も含まれるだろう
その後、大半が出世したり畿内転封されてる点も、諸侯の中にはムッとしたのがいそう
しかし家康と利家(勿論秀吉も)に喧嘩を売るような対応は流石にマズイだろうとなると…
そう考えると奉行も損な役回りを背負ったなとは思える
ただ、嫌味ったらしいかもしれないが、文字通り命や御家をかけての
諫言をこの時期から死ぬまでの間の秀吉に出来なかった時点で
奉行衆の豊臣に対する忠義など『その程度のものだった』とは言えてしまうだろうな
0973人間七七四年
2021/11/05(金) 21:13:17.97ID:7TzE4MpBと云いながらドヤ顔で>>972を主君に読ませる本多作左。
0974人間七七四年
2021/11/05(金) 21:40:53.28ID:/HBS4Xx0例えば三成は朝鮮出兵に反対していたけど、秀吉を止められなかった。
俺の話を聞いてくれるはずだ、という信頼があるなら命懸けで諫言も出来るけどそもそも話聞いてくれなさそうなのに無駄死に覚悟で諫言するが忠臣ぞ、なんてのは少し酷な気が…
0975人間七七四年
2021/11/05(金) 22:02:47.50ID:U6pYzBPO三成らがそう考えていたかは知らないが、もしそうなら
『その程度の認識の奴に忠義や御為を口にしてもらいたくはない』な、自分は
楠木正成のように勝てない、死ぬとわかっていても主君の命令だからと
湊川で壊滅するまで戦う位の根性見せてるならともかく、
ここで諫言しても無駄死にだとか、どうせこちらの声は届くまいとか
そんな道理で言うべきこと言わない奴なんか駄目でしょう
三成が真に忠臣なら、家康をそんなに脅威だと思ってるのなら、秀吉死後に
こそこそ誓紙交わすような真似などしないで、堂々と秀吉の面前で家康を非難して
奉行衆に秀頼成人までの政権運営を一任するべきだ、位の諫言はすべきだろう
忠臣であるかの判定をするのなら、最低でもそれ位の事はしてほしい
0976人間七七四年
2021/11/05(金) 22:08:13.53ID:cdoha7JP0977人間七七四年
2021/11/05(金) 22:33:01.11ID:eJSPTGlu他の諸侯の動向は不勉強で知らないけど
秀次事件って家康帰国した時に起きたはずだから、少なくとも家康からしたら寝耳に水よ
穿った見方をすれば家康に諌められかねないから帰った時見計らってやったのかもだけど、ここはもうちょい史料ほしいね
秀吉政権において諫言で秀吉の裁定を緩くした例とかまとめてる本とかないかな
0978人間七七四年
2021/11/05(金) 22:58:17.39ID:7TzE4MpB楠木正成の湊川は忠義よりも絶望によると見る方が史実経過との折り合いがつく。
0979人間七七四年
2021/11/06(土) 19:47:27.33ID:dXuNB/Zp7月3日の糾問の使者は
前田玄以・増田長盛・石田三成・富田一白
謀反の事実自体が根拠不明でこの糾問自体が
秀吉近辺でどういう経緯で問題化されたかはわからん
が、その後の事態推移を見たら穏便に済ますより
秀次の政治的立場を損なうのが目的なので
となると使者の人選もその方向を望むものたちが
選ばれたと考える方が自然よね
秀次に同情的な人に任せたら「事実無根でした」
で丸く治めてしまいかねない訳だからね
実際秀次はそう主張して素直に誓紙を出した
ところが直後の7月5日に石田三成から秀吉に
秀次が前年毛利と密約を交わしたと訴えがある
この辺が石田三成が首謀者とされる由縁やね
一度消えかけた疑獄を即座に再燃させた訳だから
0980人間七七四年
2021/11/06(土) 19:50:04.58ID:dXuNB/Zp7月8日に渋る秀次に正式な使者が立てられる
前田玄以・宮部継潤・中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊
彼らは以前秀次付きだった老臣たち(宮部に至っては義父)
彼らが選ばれた理由は
老臣たちに対する踏み絵的な意図があるとか
秀次に彼らも味方ではないという無言の圧力とか
硬化してる秀次を説得するための人選とか
色々言われるけどそのどれもあるんだろう
いずれにしろその説得で秀吉に会いに行った秀次は
門前払いで高野山へ行きそこで切腹となる
妻妾や家臣の捕縛も高野行きとほぼ同時に
始まっていて早い者は秀次より先に切腹してる
切腹の沙汰を伝えた福島正則・池田秀雄・福原長堯
秀吉の甥、信長の代からの近江衆、三成の妹婿
という構成
福原がいるのに三成の意思を感じるという見方もある
福島正則は血縁的に近い秀次の処分に不満だったと
されることが多いが政治的立場としては実はこの頃までは
奉行衆と利害は一致してたという見方もできる
0981人間七七四年
2021/11/06(土) 20:18:32.61ID:dXuNB/Zp秀吉が言うから仕方なくってのは言い訳にしても
かなりダサいと状況的には思うけどね
0982人間七七四年
2021/11/06(土) 23:25:08.77ID:x2Pp9SG0次スレどうしますか?
結論的なものも、ずっと読んでた人の中ではある程度共有できてる気もするし
逆に細かなところはもう少し詰められそうな気もしますし
0983人間七七四年
2021/11/07(日) 06:13:24.23ID:c7wH+6kk0984人間七七四年
2021/11/07(日) 11:28:34.93ID:xIGy4OdAスレで進んだ話の前提を読まないとか、わざと無視する荒らしで毎回話が堂々巡りする面倒くささを考えると
新研究で目ぼしいのが出た時まで立てないか、立てるにしてもある程度注意書きをするかが必要かなーって私的には思う
0985人間七七四年
2021/11/07(日) 11:29:47.91ID:4M5zXOvz0986人間七七四年
2021/11/07(日) 11:57:12.81ID:xIGy4OdAあと無視してたらわざと荒らしたいのがのさばろうとしてくるし
0987人間七七四年
2021/11/07(日) 12:44:37.92ID:5V3KtrSW最近は重箱の隅を突っついて文献の一言半句の解釈を争うような書込ばかりで、スレタイの主旨から遠く離れていくばかりだから。
巨大な権力体の終焉に関わる話題なのに権力論や社会構造論から考察するようなことも殆ど見かけない。
新スレが立ってもこの流れが続くんだろうし、意義ある議論は期待できないかな、と。
0989人間七七四年
2021/11/07(日) 13:09:38.58ID:Wko2aHxb誰もやらないなら立たないだろうし
自分がもう興味のない話ししかしないならもうこのスレを続けるなっていうのは傲慢に過ぎる。ただの雑談掲示板だぞ
0990人間七七四年
2021/11/07(日) 13:23:48.35ID:xIGy4OdAそうなんだけどねぇ
数回なら無視できても、何度も何度もこっちの我慢を越えるまで続くのよね
ましてや明らかにいつもそれをやってるやつだと分かるレベルのがいるし
0991人間七七四年
2021/11/07(日) 13:29:49.17ID:DqnQohIU0992人間七七四年
2021/11/07(日) 13:58:00.45ID:4M5zXOvzもうここでは語り尽くしたなあで卒業すりゃいいだろw
0993人間七七四年
2021/11/07(日) 14:10:20.65ID:y3iJxrlD史料研究に精通した人と話したいのにノイズを撒き散らされるのが多いって話をしてるんだから
0994人間七七四年
2021/11/07(日) 14:45:57.81ID:4M5zXOvzあんたみたいなことをしたい奴らは身内で集まれる別のところでやってると思うぞ
0995人間七七四年
2021/11/07(日) 14:56:20.40ID:9UHYsLvB物の言い方一つにも気を使えないのが何度も書き込むんだから
0996人間七七四年
2021/11/07(日) 15:01:26.03ID:5V3KtrSW0997人間七七四年
2021/11/07(日) 15:01:37.57ID:4M5zXOvzIDコロコロ変える知恵はあるのにガキ過ぎるだろ
0998人間七七四年
2021/11/07(日) 15:06:35.20ID:4RXqfdAhでも君のそのクソったれな物言いも直した方がいいぞ?
便所の落書きだつっても最低限対話者に対する態度ってもんがあるんだからさ
0999人間七七四年
2021/11/07(日) 15:08:26.42ID:4RXqfdAh1000人間七七四年
2021/11/07(日) 15:09:01.10ID:4M5zXOvz10011001
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