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豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2

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0001人間七七四年2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO
豊臣(羽柴)秀吉が一代で築き上げた豊臣政権は秀長や利休などの
身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう

次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします

前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/

過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0002人間七七四年2021/07/31(土) 04:55:12.66ID:QKgmqYOy
>>1
0003人間七七四年2021/08/01(日) 15:26:11.96ID:hacvwXHq
清華成の上格として中納言以上は大名を強制引退させて、定府勤務で内閣的な仕事に付くシステムにしてたらどうだろうか?
豊臣政権の権力なら徳川も秀康と秀忠と四天王ぐらいに独立分割出来そうだし
島津も義久(薩摩10万石)、義弘(大隅日向10万石)、以久(種子島1万石)、忠棟(庄内8万石)、/58万石、給人分26万石+蔵入地他と分解一歩前、、、()内は直轄地
0004人間七七四年2021/08/02(月) 23:23:46.92ID:aKvOfx54
敗因は完璧に秀次虐殺だろ
小学生でも知っとるわ

終了
0005人間七七四年2021/08/03(火) 01:07:13.91ID:vp6lqMK7
秀次統治領での逃散やら秀吉との政治対立があるから、秀次も秀次で結構やらかしてんのよね
少なくとも気が弱くて秀吉に柔順とか、そういう人物ではない
0006人間七七四年2021/08/06(金) 19:36:52.62ID:+9hPUQ+d
秀長も人格者みたいに言われているけど、ならかしとか言う強制高利貸しをやっていて
金に対して執着してたみたいだしな
同じくブレーンだった利休も金には汚かったみたいだけど、こっちは元々商人だしな
0007人間七七四年2021/08/06(金) 21:25:07.19ID:Q23qaSqk
>>6
人格者と金に対して執着が何の関係があるんだ
0008人間七七四年2021/08/06(金) 21:28:09.88ID:JIwzFV+j
>>7
一般的に金に執着する人間を人格者とは呼ばないと思うが
0009人間七七四年2021/08/06(金) 21:57:31.60ID:j0Rw08C8
純粋にその高利貸っぷりで非常に評判がよろしくない
政権的にはそれは人望にも直結するんでかなり問題ではある、確か横領みたいな事件にもなって秀吉も冷遇することになってたしね
0010人間七七四年2021/08/07(土) 04:16:19.12ID:sYuwmkR5
豊臣政権の崩壊には関係ないな
0011人間七七四年2021/08/07(土) 08:31:54.00ID:Kh/6uF+D
>>9
ただでさえ人材不足の政権なのに、数少ない身内の弟ですらこれではなあ
0012人間七七四年2021/08/07(土) 10:47:12.24ID:D5OTNPc/
豊臣政権が存続するとしたら、やはり秀次生存一択なんかね
秀次族滅後はどう考えても詰んだということでFAかな
0013人間七七四年2021/08/07(土) 12:34:05.54ID:UBI+4rn+
大和大納言も秀吉も史実通りの寿命としたら秀次殺したらアウトやろな
0014人間七七四年2021/08/07(土) 13:08:48.86ID:0dhStpIc
>>12
『豊臣家が天下の主導権を握っている状態での、豊臣政権の存続』という意味でなら
一番可能性が高い選択ではあると思うね、秀次生存は
史実の様に譜代はいないわ、一門は壊滅だわ、子飼いは深刻レベルの対立抱えてるわ、
地方大大名の制御が死ぬほど面倒だわの状況で、政権の権威の象徴たる役職にすら
就任出来てない幼児が政権のトップに立つよりは余程ましだろう
ぶっちゃけ秀吉個人の感傷や思惑を抜きにすれば、秀次が有害レベルの当主でも
秀頼就任よりずっといいと言いきっていいレベルですらあるよ
0015人間七七四年2021/08/07(土) 13:55:18.91ID:nojJPxpR
秀次は豊臣家の心臓
その心臓を潰した奴が豊臣殺害犯
0016人間七七四年2021/08/07(土) 15:43:26.58ID:MNoQXgSd
確かに秀次が生きてることが重要なんだが、秀吉死後を上手くさばいていくには相当な手腕が必要だよな。
0017人間七七四年2021/08/07(土) 17:22:48.32ID:UBI+4rn+
秀吉死後の上手くさばき方に相当な手腕が必要になったのは
秀次殺したからじゃないかという揚げ足
0018人間七七四年2021/08/07(土) 17:37:19.96ID:wPklLkOO
その秀次にしても秀吉死後に三成ら奉行衆と対立しただろうしなあ。
0019人間七七四年2021/08/07(土) 17:40:17.91ID:0dhStpIc
>>17
問題がさらに増加したことは確かだけど、元々問題が多いのは確かだよ
譜代がそもそもおらず、一門も秀次生存でも正直薄いからね
そのうえ、唐入りという超巨大プロジェクトも中途半端なままだし
おまけに豊臣政権自体が秀吉という超優秀な個人の英雄に依存する政権だったのは
正直否めないから、どう贔屓目に見ても秀吉より器量が大幅に劣る秀次では
政権運営が非常に厳しいものになるのは避けられないよ(勿論秀頼よりはマシ)
0020人間七七四年2021/08/07(土) 17:49:42.67ID:0dhStpIc
>>18
そもそも秀次後継パターンの場合、史実の奉行衆がその立場にいる事が
出来るのかどうか、少々怪しい(大老奉行制度自体がない可能性もある)
秀次は自身の家臣団を持っているから、秀吉死後は当然そいつらが政権中枢に入る
そこに秀吉側近の居場所があるかな、少なくとも肩身は狭くなりそう
秀頼の場合、本人が幼少過ぎて自前の子飼いを持てなかったから
秀吉側近がそのままスライドしただけだし(だから三成らが秀次を讒言説がある)
0021人間七七四年2021/08/07(土) 18:58:48.28ID:t9/HxqsY
器量でいったら十分あると思われる家康でさえ
反乱を抑えることができなかったんだから問うだけ無駄じゃないの
問題は秀吉の権力の継承に意義がつくかつかないかの差では
0022人間七七四年2021/08/07(土) 19:23:41.77ID:27oZta8P
ただ秀次が後継だとすると、
朝鮮関係が非常にマズい事態になるぞ。
朝鮮が日本と講和する気になったのは「日本の支配者が秀吉とは関係ない徳川家康になったから」って報告とかが関係してる。
そうだとしても対馬攻撃の噂があったりと最悪な状態でおそらく秀次は朝鮮に行くハメになるだろうし、下手すると更に長期化した恐れもある…
0023人間七七四年2021/08/07(土) 20:21:12.93ID:OhfZBZvs
十人衆ってネームバリューが今一だよな
機能してたのかよって
0024人間七七四年2021/08/07(土) 22:45:50.02ID:wPklLkOO
そもそも奉行衆ですら、秀吉の時代から組織として連携して仕事してたわけでも何でも無く、
個々で自分のナワバリ設定して勝手にやってたわけで
0025人間七七四年2021/08/07(土) 23:16:54.70ID:F3IyOXIl
ノルマさえこなせば裏で何してても知らない、というか確認できる余裕もシステムもない
っていう状態なのよね、秀吉存命時でも
そりゃまぁバレなきゃええやろの精神にもなろうよ
大坂城でも盗みやらが多発してたりと、秀吉政権は秀吉が直接見れない範囲はかなり風紀が乱れてる
0026人間七七四年2021/08/08(日) 02:28:58.86ID:xng8j7Ft
>>19
秀次政権の場合でも最大の問題は徳川家康ですからね。

何せ、当人が小牧長久手で惨敗してみるも哀れな状況で敗走したって事実がある。
ある意味史実の流れよりも、徳川にたいする風当たりが強くなると思うね。

家康は250万石で最大八万、秀次が動員して25万くらい「多分最大でそれくらい他に抑えもいるし」なら無茶な
口実でも徳川潰そうとすると思うぞ、三倍くらいだと達人ならって成るし。
家康其の儘では夜も眠れんだろ、なんせ野戦で襤褸負けした相手だ。

大坂の陣みたいに、無茶な言いがかりで徳川征伐が起きそう。
0027人間七七四年2021/08/08(日) 03:34:00.60ID:RGTevuCC
>>26
いや家康は葛西大崎一揆の時は秀次の下で彼の補佐をしていて、一揆の収拾に成功させているし
両者の関係に特に問題はなく、また秀次事件の時、秀吉は徳川が秀次に付くことを警戒していた節があり、
秀吉がそう考える程度には両者は良い関係だったということだろう。
0028人間七七四年2021/08/08(日) 06:47:50.39ID:vtlBpCv/
>>24
そうとばかりでもないでしょ
関東東北取次も家康に加えて景勝のラインもあるし
島津の検知を幽斎と三成がやっていたり
朝鮮の戦目付も各軍複数で連署していたり
時間とともに萌芽は複合化して組織は結実する過程にあった

江戸幕府の老中制だって家光の側近からの発展だから制度化や組織の熟成には時間が必要
0029人間七七四年2021/08/08(日) 07:01:18.75ID:96lPsqAn
>>27
小田原の役でも秀次・信雄・家康が山中城あたりでクツワを並べてるね
0030人間七七四年2021/08/08(日) 09:16:57.18ID:p7hc5b5f
秀次が生存ルートで頑張って、秀吉死後上手くいっても10年後にくる今度は秀頼への対応も難しいですよね。

秀次としては、さっさと秀頼に引き継いで逃げるかどうするか。下手するとクーデターとか内乱になりますし。
0031人間七七四年2021/08/08(日) 13:13:35.88ID:3hDWG61R
当初の計画通り秀頼と秀次の娘を婚姻させてその跡取りを徳川の子と婚姻させる
結果徳川に乗っ取られて傀儡化するかもしれんが史実よりは百倍マシ
0032人間七七四年2021/08/08(日) 13:37:23.10ID:+aflipgS
>>30
秀次が素直に譲らなかった場合、秀頼は義祖父の家康を頼るだろう。
10年で政権中枢は秀次家臣団に移ってるだろうけど、
秀次家臣団で家康に対抗できるか。
史実では徳川派の最上とか伊達とかは秀次派だろう。
政権中枢から排除されてるだろう、秀吉時代の奉行衆はどう動くか。
0033人間七七四年2021/08/08(日) 13:45:01.83ID:RGTevuCC
秀頼が誕生した上で仮に秀次政権が成立したと得してもそれは内外から暫定政権とみなさざるを得ず、少なくとも当面は関ケ原までの家康政権がそうであったように、
その権威権力も限られたものにならざるを得なかっただろう。
0034人間七七四年2021/08/08(日) 13:53:11.08ID:frL5HC/v
>>32
家康はむしろ秀次の統治の後ろ盾よね
0035人間七七四年2021/08/08(日) 14:03:05.06ID:RGTevuCC
つかまあ、秀吉晩年の段階では、秀次にせよ秀頼にせよ政権を回すなら
家康を後ろ盾にせざるを得ないだろう。秀吉だってそのつもりで徳川との
縁組を様々に進めたんだろうし。
0036人間七七四年2021/08/08(日) 15:05:43.43ID:HLQjidpF
豊臣政権の十人衆
富田一白、佐々行政、寺西正勝、毛利吉成、堀田一継、石田正澄、片桐貞隆、石川光元、山中長俊、木下延重

毛利吉成だけやけに大身だな
0037人間七七四年2021/08/08(日) 17:20:05.66ID:lwWTIHqs
秀次が存命なら秀頼の婚約相手は秀次の娘になってるんじゃないかなあ
秀吉が秀次の後を秀頼に継がせるつもりならその方が万事都合がいいし
その一方で史実のように淀と家康の縁組を指示する可能性はありうるが
0038人間七七四年2021/08/08(日) 18:36:23.93ID:NQKymJAu
>>37
それはまあ、そうだろうね、秀頼と千姫の婚姻は秀次事件の後に決まってるし
それどころか家康が内大臣になったのも大老奉行制度が出来て家康が筆頭大老に
なったのも全部秀次事件の後だから、秀吉が秀次の穴埋め役を
誰に求めていたかは大体想像がつく(利家も大納言に就任しているが)
0039人間七七四年2021/08/08(日) 18:36:24.14ID:NQKymJAu
>>37
それはまあ、そうだろうね、秀頼と千姫の婚姻は秀次事件の後に決まってるし
それどころか家康が内大臣になったのも大老奉行制度が出来て家康が筆頭大老に
なったのも全部秀次事件の後だから、秀吉が秀次の穴埋め役を
誰に求めていたかは大体想像がつく(利家も大納言に就任しているが)
0040人間七七四年2021/08/09(月) 10:19:48.56ID:nhJY1wnA
三好長慶が将軍を追放して数年とは言え天下を維持した時から天下人は血筋じゃなくて実効的な力を持った者が務めることになっていたから

秀吉も長慶信長が踏んだ段階を踏襲して天下人になった。当然その後もまた別の実力者が天下人になることは想定していたのでは

むしろ徳川がその流れを止めてまた天下人を世襲することに成功した要因を考えた方がなぜ豊臣政権が終わったのかが分かるかも
0041人間七七四年2021/08/09(月) 10:22:35.66ID:nhJY1wnA
>>27
家康は豊臣政権一門衆筆頭だからな
0042人間七七四年2021/08/09(月) 14:24:55.76ID:B5qxE6Me
三好長慶も信長も当然自分の権力勢力の継承を目指していて、
そのための安宅冬康粛清だったり、佐久間信盛らの追放だったりするのだろうが、
結局その死後、家臣団の分裂によりその政権は崩壊した。
秀吉も秀次を排除したのは後継者を秀頼に一本化して豊臣家の分裂を回避するのが、
やはり意図としては大きかったと思うが、それでもなお家臣団は分裂した。

家康の場合は、既に元服し政務にも深く参画していた嫡子としての秀忠がいた事と、
家康の生前に既に秀忠の次の家光まで継承者として決定していたことが、政権の安定と
継続にとって大きかったのだと思う。
0043人間七七四年2021/08/09(月) 18:21:29.02ID:2lf8Ca1G
>>37
秀吉が秀次を残すルートを選んだとしても
その秀次の後に秀頼に継がす事を諦めなければ
どのみち死後に内乱コースだろうなあ
0044人間七七四年2021/08/09(月) 18:38:14.99ID:nhJY1wnA
大体名代とか正嫡が成人するまでの代理ってその後スムーズに正嫡に継承されないもんだしな
当人が身を引く気でも代理にくっついて栄達した周りが許さない。秀次になると都合の悪い連中が秀次を積極的に排除したみたいにな
0045人間七七四年2021/08/09(月) 19:10:37.28ID:qsTyvFj8
一番謎なのが秀吉が秀頼をあれだけ強硬に、秀次を殺してまで跡取りにした理由
自分の種じゃないことは淀が懐妊した時の記録的に分かってたはず
それなら秀次の方が血は繋がってるし良いのにな
0046人間七七四年2021/08/09(月) 20:28:12.74ID:d9PumVyV
別に秀頼が実の子ではないなんてのはなんの証拠もないよ、扱いとしては常に秀吉の実子として扱われてる
いくらなんでも雑に語りすぎよ
0047人間七七四年2021/08/09(月) 20:37:46.05ID:ZP8QvfPX
家臣の中でも最古参ぽい蜂須賀、前野のうち
後者を秀次と一緒に潰しちゃったのも問題だよな
0048人間七七四年2021/08/09(月) 21:26:22.07ID:CuDDVwvW
>>40
徳川の成功要因は権力体(共同幻想)の意志決定に於ける徹底した属人性の排除にある。
世襲将軍と雖も共同幻想を構成する一装置に過ぎないというシステムを初期のうちに強固に組み上げてしまった。
その一方、徳川家康は死に臨んで世襲の自明性を否定する訓戒を秀忠及び側近に遺したとも伝える。

ここから貴論に従って考えを遡らせるならば
羽柴「豊臣」権力体短期終焉の根本原因が属人性の排除を成し得なかったことにあるのは論を俟たない。
で、権力体がその方向へ走るに至った決定的或いは象徴的な事案は何かということを考えあぐねている。

羽柴秀吉という個人が一装置を超えるカリスマを身に纏わざるを得なくなった契機ということなのだが…、
結局は「大返し〜山崎の戦に至る経緯の非常識性」、
謂わば羽柴権力成立そのものが短期崩壊の原因であるというパラドクスに行き着いてしまう。
0049人間七七四年2021/08/10(火) 17:46:16.68ID:2+7rr9Hh
なに言ってんのか全然わかんない
0050人間七七四年2021/08/10(火) 18:19:56.91ID:+AlOdom3
難しい言葉を使いたいだけの馬鹿っているよね
0051人間七七四年2021/08/10(火) 18:24:28.10ID:zcT3X+GE
>>47
最初はもう実子は諦めて秀次に豊臣を託すつもりだったからねえ
当然秀吉死後に豊臣政権を安定させるために秀吉が信用できる家臣たちを秀次に回して組織作りさせようとするわな
そこから一転して秀次を処分した結果、関白まで譲った身内を処分したことを周囲に納得させる正当性が必要になったから厳しくやらざるを得なくなったんだろうな
0052人間七七四年2021/08/10(火) 21:52:07.44ID:4OBR4jD7
>>51
その肝心の秀頼に権威の象徴たる関白を継承できずに終わったのが痛すぎる
なる可能性がある、なれる立場である事と、実際になったは全く違うからな
というより、権威の象徴を関白にした事のデメリットがもろに出た
秀頼が就任可能年齢になる前に(前例がないという意味で)秀吉が死んだからな
この点将軍は便利なんだよな、権威の上では関白>将軍なのは確かだけど
将軍は幼少でも就任出来るっぽいんで政権の権威を維持しやすいんだよ
0053人間七七四年2021/08/10(火) 22:23:30.51ID:f8O7jcCn
将軍は幼少でもいいってのは鎌倉・室町の積み重ねがあったからな
いっそのこと豊臣家の家職も新設するなり独占しやすいものにすれば違ったかも
秀吉の関白就任ははたまたま転がり込んできたようなものだったし
0054人間七七四年2021/08/10(火) 23:28:01.74ID:rA02LkwO
どっちにせよ豊臣の実力が秀吉だけのものだからまるで安定しないのがなぁ
家が作れてない以上自分一人だけでなんでもできる秀吉じゃないと治まらん
0055人間七七四年2021/08/10(火) 23:37:57.85ID:dRCFvRE8
幼少どころか別に他家の貴種でも別に構わんってのが便利よね>将軍
江戸幕府でも宮様将軍制度が現実化しかけた事もあった訳だし
0056人間七七四年2021/08/11(水) 00:05:50.74ID:jSul4wX/
>>55
> 江戸幕府でも宮様将軍制度が現実化しかけた事も
それデマが記録されただけだぞ
0057人間七七四年2021/08/11(水) 00:07:42.38ID:joVASR/p
>>56
え?そうなんだw
学研の慶喜の本とか、風雲児たちとかに堂々と書かれてたから知らんかったw
0058人間七七四年2021/08/11(水) 00:09:27.22ID:jSul4wX/
>>57
風雲児たちを信じるのは本当に止めたほうが良いぞ。アレはただのマンガだ。
0059人間七七四年2021/08/11(水) 00:17:57.82ID:joVASR/p
>>58
んだなーすまん
0060人間七七四年2021/08/12(木) 02:46:48.15ID:zOHXECqA
学会員にとっちゃ、あんなもんでもありがたいんだろ
0061人間七七四年2021/08/13(金) 12:50:56.75ID:pB5I4yx8
将軍とか関白とかの役職の前に、国をあげた大遠征が大失敗の途中でカリスマ的指導者が亡くなってしまったのが痛いよな。
ほとんど領土とかもなにも取れなかったわけだし。

遠征軍の引き上げと、慰労のための加増とか一時金とかを出して人心を惹きつけないと。
秀頼が成人してても大変な舵取りだったのだろうと思われる。
0062人間七七四年2021/08/13(金) 14:20:38.89ID:eTTQaK66
肥後の加藤なんかは財政火の車になってたし水夫なんかも連れてってて人手不足も激しかったね
0063人間七七四年2021/08/13(金) 14:22:58.93ID:wwvJ0aSP
まあ南朝鮮くらいは欲しかったよな最低
0064人間七七四年2021/08/13(金) 14:27:10.69ID:AP+AO8Ut
>>61
遠征しない方が戦果を挙げられるチャンスを簒われたと認識した有能大名の反乱を喚起するとか思わない?
今まで拡張システムできていた矛盾が噴出したら大坂役の数倍の戦乱になってたかもしれんし
0065人間七七四年2021/08/13(金) 18:12:40.90ID:aJXWNTqA
秀吉の中で朝鮮出兵が目的と化してたのがマズい
戦争は手段であって目的であるはずもないのに。
0066人間七七四年2021/08/13(金) 19:39:17.90ID:cIjjeDJH
>>64
そりゃ大名達が以前からしょっちゅう海外遠征してた国だったらそうかもしれんが秀吉が言い出すまでまで考えもしなかったんじゃないか?
まあ元寇の後に報復で半島に侵攻するか検討はされたけど結局実行されなかっっし
0067人間七七四年2021/08/13(金) 21:13:38.75ID:L6mwb0mW
>>65
朝鮮侵攻は羽柴秀吉個人の耄碌・乱心の産物などではなくて惣無事と一体不可分の国策だった
−−という見方も有力なわけで、
その場合これが最初から「戦争を目的とする戦争」だったのは不可避のことと見るしかない。
となると、それを招来したのは惣無事の形態・方法論だったということになる。
政権倒壊の根本原因がそこにあるとすれば実に皮肉なことだと思わざるを得ない。
0068人間七七四年2021/08/13(金) 21:13:53.06ID:1X90On/A
朝鮮人とは関わらない方がいい
0069人間七七四年2021/08/13(金) 22:20:05.85ID:L6mwb0mW
朝鮮だったのは偶々一番手近なのがそこだっただけのことで、国外でありさえすれば何処でも良かったんだろう。
0070人間七七四年2021/08/14(土) 00:09:09.25ID:NLN3viVU
そもそも「唐入り」だしなあ。朝鮮は通り道に過ぎない
0071人間七七四年2021/08/14(土) 13:47:39.25ID:L5MooL3W
便宜上当初の目的であった唐入りと呼ばれるけど
秀吉の目的自体も途中からぶれにブレてるよ
0072人間七七四年2021/08/14(土) 15:57:26.18ID:JXlcS8NZ
通り道に負けたってことやん
0073人間七七四年2021/08/14(土) 16:17:28.03ID:4J+E5D3/
いや宗主国様からの大軍がやってきたから
それがなかったら今も日本の朝鮮県として存続しているよ
0074人間七七四年2021/08/14(土) 16:21:30.30ID:JXlcS8NZ
援軍のおかげでも勝ちは勝ちじゃん
0075人間七七四年2021/08/14(土) 16:22:02.23ID:y/K70ju8
朝鮮が降伏したと嘘の報告をした小西行長は、
その後明が降伏したと嘘の報告をする。
何も学んでいない…
0076人間七七四年2021/08/14(土) 16:25:05.82ID:qmMcYyN5
>>71
目的はブレていない、と云うかブレようがなかったんじゃないか。
領土拡大や勝利よりも国外で戦争をすることそのものが目的だった筈だから。

惣無事とは、
中央権力体の超越的な暴力によって下位権力体群の暴力を封鎖すること−−だった。
しかし暴力の封鎖はしたが収奪・独占まではできなかった(できてりゃそれは近代国家だ)。
となると封鎖の時点で静止を強要された暴力装置群に残るポテンシャルエネルギーを何らかの形で解放・費消しなければ惣無事=「豊臣の平和」は安定しない。
その為の政策の一つが「暴力の移出」即ち朝鮮役だった。
そして確かに厖大な暴力がそこで費消されたわけだから、一般には大失敗と評される朝鮮役も政治目的については一定の成果を上げたとも考えられる。

勿論そこに現出した地獄絵図はまた別の議論だし、
「成果」を手にしたのは豊臣権力体ではない別の者だったわけだが。
0077人間七七四年2021/08/14(土) 17:14:31.37ID:cqoeBc1N
まあ朝鮮軍自体は早期に壊滅していて
外交交渉も朝鮮は蚊帳の外だったしなあ
0078人間七七四年2021/08/14(土) 17:37:48.07ID:L5MooL3W
最初は唐入り
次の目標は講話条件が認められなくての行動とブレてるよ
海外で戦争することだけが目標でした、なんて言ってる研究者も当時の史料からそう読み取れるものもない
0079人間七七四年2021/08/14(土) 18:24:00.96ID:qmMcYyN5
>>78
表層の具象だけ切り離して見ても何も見えては来ない。
物事は根本から結果に至る構造として考えないと。

幾つかあるが、最も端的にはこれ↓かな。
https://i.imgur.com/z9QpOgE.jpg
0080人間七七四年2021/08/14(土) 18:32:35.03ID:L5MooL3W
誰の本よそれ
俺は本質だけ見れてるみたいな寝ぼけた事を言い出す前に出典と実証でしょ
陰謀論者と同じ事いいだしてんじゃないよ
0081人間七七四年2021/08/14(土) 18:39:10.69ID:qmMcYyN5
>>80
藤木久志氏の『雑兵たちの戦場』。
0082人間七七四年2021/08/14(土) 18:43:50.35ID:L5MooL3W
へー、藤木久志そんな論述してるんだ
そこだけ切り取ると随分ロマンだけで語ってるやばい人としか読み取れないな
0083人間七七四年2021/08/14(土) 18:56:51.58ID:qmMcYyN5
ついでに
黒田基樹氏『百姓から見た戦国大名』。
https://i.imgur.com/mRHhis3.jpg
0084人間七七四年2021/08/14(土) 19:04:13.94ID:L5MooL3W
少なくとも小西が上げた偽の冊封リストに激怒した後、改めて秀吉が作った冊封リストがあることからも
秀吉がかならずしも慶長の役まで君の言ってるその海外で戦闘することが目的であるが続いてるとは頷きづらいな
0085人間七七四年2021/08/14(土) 19:44:06.67ID:Bt7XHFEH
>>75
小西の娘婿だった宗氏はその後徳川政権になっても
家光の代まで国書偽造を続けたとさ
0086人間七七四年2021/08/14(土) 20:20:03.51ID:NLN3viVU
>>81
申し訳ないがその本の戦国認識はもう古い、相当古い。
0087人間七七四年2021/08/14(土) 20:34:04.44ID:qmMcYyN5
>>86
わかった。
2006年の著書だからこれが「古い」のはその通りとして、新しい認識だと;
イ) 「戦国」の定義は何か
ロ) 戦国状況は何故発生したか
ハ) 戦国状況は何故継続したか
ニ) 「戦国」は如何にして止揚されたか
の四点がどういうものになるのか御教示願いたい。
特に四点目は当スレの主旨に直結するものだから、是非。
0088人間七七四年2021/08/14(土) 22:30:24.57ID:d70l7L/s
>>76の「惣無事」理解が古いってことだろ、たぶん
たしかWikipediaにも藤木説への批判が載ってたよ
0089人間七七四年2021/08/14(土) 23:49:57.06ID:dTU6GmSf
>>88
その藤木説を流用してさらに酷い解釈したのが井沢元彦や百田尚樹、
 総無事令は明冊封体制打破して日本新秩序によるアジア解放のためだ、
と(´・ω・`)
0090人間七七四年2021/08/15(日) 00:05:29.81ID:GET26mK0
>>88
キ印ホイホイのwikiは読みたくないが、読んだ。
これは惣無事「令」を巡る法規論の対立ですな。
要は形式論。

形式がどうあれ「豊臣」権力体がその超越的暴力による制圧(北條等)、恫喝(島津等)を通じて下位権力体群の暴力を封鎖した事実には変わりはない。
またそれ故にこそ「異なる手段における暴力の継続」(クラウゼヴィッツさんごめんなさい)とワンセットじゃなきゃならなかった、
という藤木説の本質に影響を与えるものではないんじゃないか、と。

これよりは、市村高男氏あたりがムキになって力説する権力者主導論=「喰う為の戦争」論否定の方がまだしも説得力がある。
0091人間七七四年2021/08/15(日) 00:06:50.78ID:GET26mK0
>>89
馬鹿が伝染りそうだから百田や井沢には触りたくない。
0092人間七七四年2021/08/15(日) 00:22:11.38ID:5YRoJLc4
朝鮮出兵とか阿保なことをやってるから、
ダメになった!
よって糞吉<<家康
0093人間七七四年2021/08/15(日) 01:16:36.76ID:Aa7suwnr
>>90
>暴力を封鎖 ←どういう意味?
0094人間七七四年2021/08/15(日) 01:19:33.53ID:GET26mK0
>>93
「暴力」という術語の定義から説明する必要があるのか、
それとも、
 

 
 
 
 
釣りか?
0095人間七七四年2021/08/15(日) 01:26:42.66ID:Aa7suwnr
えーと、、、じゃあ聞き方を変えよう
「封鎖」ってのは辞書とおんなじ意味で使ってんの?

[名](スル)
1 出入りまたは出し入れをできないように封じ閉ざすこと。「出入り口を封鎖する」「国境封鎖」
0096人間七七四年2021/08/15(日) 01:57:05.63ID:GET26mK0
>>95
その通りですな。

惣無事はまた「喧嘩停止(ケンクワチヤウジ)」とも表現された。
必然か偶然か、喧嘩のことを「出入」と云う。
正に出入を止めること。
即ち、理由の如何を問わず戦争行為そのものの禁止。
日本国内における暴力発動主体は「豊臣」権力体以外には存在させないということ。
0097人間七七四年2021/08/15(日) 02:02:44.05ID:GET26mK0
附記。
敢えて封鎖という語を使ったのは、
暴力装置はそのままにその発動を封じ込めるという意味も込めた。
「収奪・独占までは…」というくだりで察しはつくと思うが。
0098人間七七四年2021/08/15(日) 16:25:23.09ID:Aa7suwnr
証拠不十分なのに前のめり過ぎ、という感想しかないな
特に>>90の又書き部分とかそれってあなたの(ry
0099人間七七四年2021/08/15(日) 16:57:09.12ID:GET26mK0
>>98
>>79の写真の「むしろ国内の戦場を」以下のくだりを読めば藤木氏の論の核心部分であることは解ろうものを。
写真は同書の中の摘要部分であって実際にはかなりの紙数を費やして詳説している。

ついでに一言。
5ちゃんねるに於ける混ぜっ返しの常套句として「それ、あなたの感想ですよね」というのが乱用されているが、愚かなことだと思う。
情報提供スレ等ならばともかく、
当スレのような議論・考察スレで、どんなに稚拙だろうが浅薄だろうが自分の考えを自分の言葉で語らずしてどうしようというのか。
たとえ権威の説を引用しようともそれを咀嚼して内化した上で書くのがむしろ正道ではないのか。
0100人間七七四年2021/08/15(日) 17:07:14.08ID:GET26mK0
>>98
では当方からも質問。
証拠「十分」なところで考えられる豊臣権力体による天下一統の構造とは?
またその崩壊の構造とは?
貴論を伺いたい。
0101人間七七四年2021/08/15(日) 17:14:30.95ID:ARi8vwyj
自分の考えよりはまず何が主張の根拠になってるのかのが重要
それなしで自分の考えお出しするようなのはそもそも議論ではないかな
むしろ摘要部分ではなく詳説の部分が重要よね、筋道こそが重要なんだから
0102人間七七四年2021/08/18(水) 04:19:20.15ID:+FPGgiGU
うるせえ例え話すっぞコラ
0103人間七七四年2021/08/18(水) 07:53:19.10ID:/qxXa67r
朝鮮遠征が豊臣政権に必須だったかはともかく、敗戦の途中で秀吉が亡くなってしまって後処理が大変だよな。
ある意味家康でさえ後処理を失敗して、関ヶ原を招いているからな。意図的かどうかわからないけど。
並大抵の手腕では解決できない。
0104人間七七四年2021/08/18(水) 09:05:19.61ID:8OCT2xRu
そりゃ秀吉は唐入りについて何も言い残さず死んでるし政権の内部抗争で足の引っ張り合いはあるし
戦争の元凶である豊臣の看板のままじゃ撤兵まではできても和平交渉は難航するでしょう
むしろ関ヶ原で家康が勝って対抗勢力が一掃され
明と冊封関係を結んだことがあり印象が悪くなかった源氏将軍になったことで交渉が進展したのでは

この家康の将軍就任、朝廷からのプッシュ相当あったと思うなぁ
明朝鮮からの報復恐くて早く和平交渉進めてほしかったろうし
0105人間七七四年2021/08/18(水) 09:40:15.29ID:0Bt8DGyU
一応言うと、源氏姓自体は秀吉の意向で秀吉生前からなってるからね
0106人間七七四年2021/08/18(水) 12:40:05.34ID:DTbvejZH
>>104
秀吉が死んだ後は地獄の日程だからね。
日本には明・朝鮮人が居てそいつらが秀吉の死を本国に報告する可能性が高く、また朝鮮には明軍数十万が集結して日本軍を踏み潰そうとしているという情報もあった。
この中で家康筆頭の政府は「日本が敗走したという形にならないように撤退」するよう指示。
その結果島津が海戦で李将軍を粉砕した。
更に島津が交渉担当になって終戦交渉が始まる。
朝鮮には外交官姜より「日本の主導者は秀吉とは関係ない源家康になった」報告が入り交渉は始まったけどうまくいかない。
その内、明・朝鮮が対馬を攻撃するとの噂が流れたりするも、日本も「家康が都合の悪い前田利長・上杉景勝を朝鮮に出兵させる」と情報戦を展開する等ごたつく。
最終的にはなんとか収まったが。
0107人間七七四年2021/08/18(水) 13:56:38.21ID:FMgvtCuF
>>1
石田三成の台頭だろうね
関ケ原の戦いでも三成がいなければ豊臣軍は負けなかった
西軍VS東軍の構図は間違いで実は三成VS反三成勢力だった
0108人間七七四年2021/08/19(木) 00:06:05.20ID:NjE6uhHz
>>106
明にそんな余力は無いんじゃないかな
ただでさえ財政状況が悪かったのに朝鮮への援軍でより悪化したし
なにより日本との戦いに気を取られてるうちに満洲のヌルハチの強大化を見過ごしてしまったのが痛かった
0109人間七七四年2021/08/19(木) 00:20:39.49ID:e+Gz/Bfu
明自体は実際余力ないだろうけど
日本側からはそんな内情わからないからね
実際どうかとどう見られてたかはこれまた別
0110人間七七四年2021/08/19(木) 00:31:04.36ID:e1J9zeci
>>107
浅いなあ。
>>1への答えとして「石田の台頭」を挙げるなら、
何故それは起きたのか?
石田は「豊臣」権力体の中で如何なる機能を担う装置だったのか?
それを必要とした権力体の構造とは?
その構造は何に根差すのか?
−−と考察を進めなければ原因を論じたことにはならないだろうに。
0111人間七七四年2021/08/19(木) 00:32:56.83ID:NjE6uhHz
でも秀吉死後の諸大名の行動とかみても
その辺りの危機感が余り感じられないような
0112人間七七四年2021/08/19(木) 05:03:17.11ID:iib3BFZP
>>43
これが難しいね。
秀次自身が諦めても、秀次が率いるこういった連中が諦めない

木村重これ、前野長康、池田輝政、田中吉政、前野景定、白江成定、
熊谷直澄、粟野秀用、一柳可遊、一柳直盛、服部一忠らが引退を許さない。

だから、内紛になる可能性は高いと言わざるを得ない。
0113人間七七四年2021/08/19(木) 05:50:42.39ID:1ygGxTBw
秀頼が元服の年齢まで無事成長したとしても秀次まだ40くらいやしな・・・
0114人間七七四年2021/08/19(木) 05:52:02.38ID:VHXQDnCz
>>112
ただ、結果論になってしまうが宗家内紛の御家騒動の方が
史実の御家滅亡よりは豊臣宗家存続の可能性はかったように思えるな
政権自体は室町と化すかもしれんが、それでも崩壊よりはマシだ
まあ我が子がかわいいってのはわかる、わかるんだが…やっぱ生まれるタイミングが
あまりにも悪すぎるよ、秀頼は
なんでよりにもよって秀次に一旦家督継承した後に誕生しちゃうかな
0115人間七七四年2021/08/19(木) 05:54:53.55ID:1ygGxTBw
>>114
明らかに高いと思うわ
なんせ秀次は跡継ぎ量産マシーンだから秀次がどうこうなっても代わりがいるから
0116人間七七四年2021/08/19(木) 06:00:33.57ID:0Ypt9aiu
>>108
ヌルハチが蜂起していたら嵩にかかった交渉も出来たんだろうけど、目立った反乱が無いと中々ね…
下手すると国内のガス抜きに日本攻撃なんてする危険性もあったし(相手が暴君ほどやる可能性高い)
0117人間七七四年2021/08/19(木) 06:33:49.33ID:2WCZeZQI
>>116
皇帝自体は政治に全く関心がない万暦帝だから
日本征服なんて考えないだろうけど
政権争い次第かな
0118人間七七四年2021/08/19(木) 11:30:01.58ID:llzufEzd
こんな感じの流れだっけ

秀吉が朝鮮侵攻

明が主力を出して助ける

満州族に勝てなくなる

明滅亡
0119人間七七四年2021/08/19(木) 15:02:43.38ID:SXOoxviZ
>>118
単純化しすぎ。明滅亡の直接的な原因は崇禎帝の時代の全国的な飢饉によって国内に多くの反乱が
起こったことであり、明を亡ぼしたのは李自成。秀吉の朝鮮出兵も清の勃興も明にとっては基本的には
辺境の出来事でしか無かった。
0120人間七七四年2021/08/19(木) 15:32:47.26ID:llzufEzd
>>119
そうか
うろ覚えだったわ
0121人間七七四年2021/08/19(木) 16:42:55.31ID:CJyd3eS/
秀次が生きていたら、秀頼成人後に権力争いが起こる、と思い込んでたけど、
関白を秀頼に譲って太閤になった後で、いわゆる大御所政治を続ける選択肢もあるな。
秀頼が秀次を誅しようとしない限り、何も起こらないだろうし、秀頼が決起しようとしたところで、
秀頼付きの老臣がいない状況ではなにもできないだろう。
それとも、秀次グループとは別の秀頼家臣団を秀吉が準備するかな?
でも、豊臣家の直臣で残っているメンバーがいない。
前田をお守り役にして宇喜多とか小早川とかを側近につけて置く?
そうしたら秀次家臣団と勝負になるだろうか
0122人間七七四年2021/08/19(木) 22:15:41.57ID:UBAiOFdO
秀次政権だと、いわゆる5奉行が参加出来ないから‥
関ヶ原と同じことが起きるかもね。

関ヶ原見てもわかるけど、忠義とかよりも自分たちの都合で動いてるわけだし。
0123人間七七四年2021/08/19(木) 22:23:08.51ID:vGBxL1aV
徳川幕府でも大御所の側近と将軍の側近で溝ができたし
揉め事はあるだろうね
0124人間七七四年2021/08/19(木) 22:26:22.45ID:ppWkzTaC
>>119
明の滅亡の淵源は所謂「北虜南倭」による疲弊にあるとも云われている。
大清グルンの勃興は正に北虜そのものだし、
豊臣権力の朝鮮侵攻は亜細亜史的には「倭寇的状況」と呼称される運動の文脈で捉えられている。
明の権力中枢の主観は措くとしても、最後までこの二つの要素に祟られたことは客観的に否めない。
しかもこれらの外寇自体もまた各々の本国における飢餓貧困に起因する。
中世に於ける地球寒冷化の影響の深さ広さはまことに測り知れない。
0125人間七七四年2021/08/19(木) 22:31:52.19ID:ppWkzTaC
因みに史上最大の倭寇を発動した羽柴秀吉の晩年に於ける災害飢饉状況。
https://i.imgur.com/v3QEAJL.jpg

豊臣権力の崩壊を語るスレでこれに触れる書込が見当たらないのは如何なものか。
0126人間七七四年2021/08/19(木) 23:22:26.98ID:ulTXLrQG
>>125
武田氏滅亡は浅間山噴火のせい、と同じ着眼点、
それなら江戸初期元和の頃の東北大地震など災害多発を徳川はなぜ乗り切れたか、と論議したい
0127人間七七四年2021/08/19(木) 23:39:52.55ID:ppWkzTaC
>>126
正にそういう比較議論からこそ豊臣権力崩壊の要因が見えて来るんじゃないかな。
0128人間七七四年2021/08/20(金) 00:45:30.29ID:R9Sq4sPr
>>124
だからといって秀吉や清を過大評価しすぎるのもどうかと思うぞ。彼らの拡大は決して明の滅亡の主因ではない

>>126
> それなら江戸初期元和の頃の東北大地震など災害多発を徳川はなぜ乗り切れたか

全国的な合戦の停止による耕地の大拡大はやはり大きいだろうな。中世の慢性的飢餓状態の解消。
0129人間七七四年2021/08/20(金) 04:28:07.10ID:8v7Fwg6e
そう言えば豊臣政権の内政では江戸時代でよく聞く新田開発ってあまり聞いたことないな
検地とか石高制とか一地一作人とかは既にあるものからいかに効率よく収奪するかの施策で
農地を拡げて食糧生産を増やそうという発想が見られない
そこまでいくには統治期間が短かったのかも知れないが総じて唐入りの軍役算定のための内政って感じ
0130人間七七四年2021/08/20(金) 08:47:51.93ID:ql3GSEe6
>>122
加藤清正とかw
0131人間七七四年2021/08/20(金) 13:58:00.36ID:J+E5aDXd
>>110
浅くはないよ
石田三成の台頭と我儘のせいで豊臣の軍勢の数多くが加藤清正側についたのだからね
その加藤清正が頼りにしたのが徳川家康
西軍の多くは加藤清正側についた
だから毛利軍は動かなかったし島津義久は関ケ原でほとんど義弘に兵を送らなかった
関ケ原の敗北は多くは石田三成の行動に起因している
特に加藤清正を巻き込んでの争いは致命的だった
ここで豊臣の家臣の清正などが離れて西軍の過半数が清正側についた
その加藤清正を取り入れたのが家康だった
0132人間七七四年2021/08/20(金) 14:52:16.82ID:hmWhc95O
まずここと、この前スレで話されてたことくらいはせめて読もうか
0133人間七七四年2021/08/20(金) 15:18:19.24ID:y9Ax2x9d
>>132
やだよ
暇なニートじゃあるまいし
0134人間七七四年2021/08/20(金) 15:23:06.97ID:hmWhc95O
研究読まなそうだからせめて話がどう進んでるのか程度は掴んで欲しいけど、それすら億劫がる様子じゃなぁ
0135人間七七四年2021/08/20(金) 15:49:32.32ID:J+E5aDXd
石田三成の一番の罪は加藤清正らを敵に回したことだと思うけど
秀次の処分でも石田三成讒言説があるくらいだからね
豊臣家臣の武断派の七将の三成邸襲撃は致命的だった

この前に加藤清正に土下座して許しを請うていれば豊臣家崩壊はなかった
石田三成も関ケ原の戦いで死ぬことはなかった
0136人間七七四年2021/08/20(金) 16:35:16.24ID:myWL8OZc
加藤清正が石田三成を殺したい程憎んでいた事はあると思うが、
問題は一体何に腹立てたんだろう。
一番あり得るのは朝鮮出兵だけど、石田三成が出たのは文禄の役だけ。
偽装和睦等あり得そうな案件は多いけど恨まれるべきは小西行長で、三成は…証拠が無いからなぁ
0137人間七七四年2021/08/20(金) 18:12:25.35ID:sDERYnPm
三成の姻族で軍監だった福原と熊谷の存在とかいろいろとあったんだろうな
01381102021/08/20(金) 20:18:14.35ID:SMnS9ehA
>>131
何を「浅い」と云われたのかも解らなかったか…。

貴公が手間を掛けて並べてくれたのは全て表層の具象だけ。
「豊臣」の如き大規模統治権力体の崩壊を語るのにその構造や統治原理を考察せずに済むわけも無いし、
ましてや史料に名前が残るような特定少数のヒト個体の営為だけを眺めていても何も見えては来ない。
そういうことを云っている。
0139人間七七四年2021/08/20(金) 20:19:03.47ID:PVB6tacf
>>131
いや浅すぎてジャブジャブ池のレベル
真田太平記を読んで、得意げに戦国を語る小学生の甥っ子レベル
0140人間七七四年2021/08/20(金) 21:58:14.56ID:kzv27Jlb
織田がつき豊臣がこねた餅とか言うけど結局徳川が自力で生き残っただけだよな
三成も秀頼も何で徳川相手に戦起こして勝てると思ったのか謎なレベルの実力差
0141人間七七四年2021/08/20(金) 21:59:40.15ID:rX9Shp/u
>>138
はぁ?何言ってんの?
浅いのはお前だろうよ?

>ましてや史料に名前が残るような特定少数のヒト個体の営為だけを眺めていても何も見えては来ない。

石田三成襲撃事件の七将は秀吉の子飼いとされる城主と言うか大名で
福島正則(尾張清洲城主)
加藤清正(肥後熊本城主)
池田輝政(三河吉田城主)
細川忠興(丹後宮津城主)
浅野幸長(甲斐甲府城主)
加藤嘉明(伊予松山城主)
黒田長政(豊前中津城主)
だからな
みんな名のある武将だぞ

それプラス(七将+脇坂安治、蜂須賀家政、藤堂高虎)
の説もある
何処をどう見れば特定少数なんだよ

実際に石田三成はあちこちに逃げ回っていた
最後には家康に助けてもらう始末

どこが浅い事件なんだよ

>>139
マジでお前の方が浅いわ
逆に呆れるわ
0142人間七七四年2021/08/20(金) 22:01:31.96ID:rX9Shp/u
>>138
しかしお前は何を偉そうに人さまに意見しているのやら
マジで浅いのはお前自身なのにな
0143人間七七四年2021/08/20(金) 22:08:51.34ID:rX9Shp/u
>>1
まあ三成が豊臣方の将を敵に回さなければ家康にも負けなかったものを
豊臣方の有力武将を分断させた三成
加藤清正らを特定少数武将とか言う小学生並みのバカが現代もいるからどうしようもないけどな
01441102021/08/20(金) 22:16:09.94ID:SMnS9ehA
>>141
真性の脳味噌鏡面仕上げだったか。
たださえ浅い池を自分で干拓までしてやがる。

一言だけ忠告しとく。
歴史系の板じゃなくてゲーム板か文学板に行った方が幸せになれるぞ。
0145人間七七四年2021/08/20(金) 22:40:25.62ID:ryfgzzs+
>>140
関ヶ原は三成の発案では無い、って話もあるが兎にも角にも上杉討伐と関係しとる。
徳川はこの時点で前田も勢力下に組み込んで圧倒的な勢力になってる。この上上杉までやられたらもう反徳川勢力に勝ち目は無い。
つまり、勝算があるギリギリのラインで戦争して負けた、って話なのだ。
0146人間七七四年2021/08/20(金) 23:05:33.32ID:SMnS9ehA
>>140 >>145
もう少し鳥瞰的な視座から見たい。

関ヶ原も両度の大坂陣もそこに集った兵たちの内実や彼等がそこで何をしたかを見れば、
必ずしも石田や「豊臣」の(或いは徳川の)自由意志や勝算勘定で起こした戦争ではないと考えることができる。
秀吉期の「豊臣」権力体が封鎖した下位権力体群の暴力を解放費消する筈だった朝鮮の戦場もまた封鎖されてしまった時、
戦国状況を生んだ与件(恒常的飢餓)が変化していない以上は再び国内にその代替が求められるのは謂わば社会の「生理的」必然だった。

そこに於ける個人の資質や意志などは無視し得るノイズでしかない。
石田三成にせよ「豊臣」秀頼にせよ、ただその歴史段階に居合わせてしまった人、というだけのことだろう。
0147人間七七四年2021/08/20(金) 23:20:43.72ID:BZW0OCL2
>>146
はぁ?人をさんざんバカにした癖に
そんな曖昧な意見しか述べる事ができないとはな
アホ相手にして損したわ
0148人間七七四年2021/08/20(金) 23:23:32.14ID:BZW0OCL2
>>144
ろくな反論もなく相手を罵るだけのお前に言われたくないわ
投稿も極めてあいまいなアホのような意見しかねーし
0149人間七七四年2021/08/20(金) 23:24:31.14ID:BZW0OCL2
>>146
お前はもう少し具体的な投稿をしろよ
マジでくだらんのな
0150人間七七四年2021/08/20(金) 23:39:49.82ID:hmWhc95O
少なくとも、西軍は豊臣ではないよね
本家の信任すら受けてないし
どこまで行ってもクーデターの軍だよね
0151人間七七四年2021/08/21(土) 00:16:35.23ID:8mS8AXOc
>>141
キミの七将襲撃の話が、既に小説じゃん
元史料を教えてよ?
三成が逃げまわってたって、何に記載されてんの?
0152人間七七四年2021/08/21(土) 00:28:56.29ID:uyAtJqO3
>>151
もう>>141くんのことは放っといてさしあげなさい。
まだ中学校は夏休み、要するにそういうことだ。
0153人間七七四年2021/08/21(土) 00:33:30.40ID:gNNU6BpG
>>151 >>152
なんでこんな事も知らないバカがここにいるのかな?
小学生以下のアホが一々日本の歴史に口出すなよ
0154人間七七四年2021/08/21(土) 00:35:22.97ID:gNNU6BpG
>>146
俯瞰的とか、お前何様
なーんも知らんただの恥知らずのバカの癖に
0155人間七七四年2021/08/21(土) 00:46:18.58ID:mss2zzg3
>>146
難しい言葉を使いたいだけの馬鹿
0156人間七七四年2021/08/21(土) 00:52:23.37ID:O+nMxdpt
特に戦国時代は虚構と脚色入りまくった話が通りまくってるから、どの史料?とかどの研究?って聞かれたらこれだよって答えられる状態でいた方がいいかな
ほんとえっ、それ創作だったのかみたいなの多いから
0157人間七七四年2021/08/21(土) 01:04:31.94ID:cQDwS0uU
まあ「ストーリー」になっているものはほぼ全部創作と考えたほうが良い。
0158人間七七四年2021/08/21(土) 01:07:17.86ID:8mS8AXOc
>>153
回答になってないよ?
そういう煽りは回答してからでないとみっともないよ。
では2回目ね。
元史料を教えてよ?
三成が逃げまわってたって、何に記載されてんの?
0159人間七七四年2021/08/21(土) 01:22:17.84ID:gNNU6BpG
>>158
お前な、人様の投稿にさんざんケチつけてその口のきき方はないぞ
まずは謝罪して教えを請えよ
0160人間七七四年2021/08/21(土) 01:25:27.88ID:cQDwS0uU
>>159
お前が聞かれたことをちゃんと書き込めば相手も尊敬してくれるよ。
出来なきゃただただ馬鹿にされるだけだ。
0161人間七七四年2021/08/21(土) 01:31:35.79ID:8mS8AXOc
>>159
結局、回答できないんだろ?
予言しよう。
キミは次のレスでも回答しない(笑
0162人間七七四年2021/08/21(土) 11:50:12.45ID:JzuhhxA+
>>159
でたらめばっか言って謝罪しろってチョンか?
0163人間七七四年2021/08/21(土) 12:26:25.82ID:05Skcs02
>>158
横からだけど、
慶長四年閏三月四日に石田三成は大坂から伏見に移動していることが、言経卿記・卜斎記に記されてる。
この時、三成には伏見に公務があった形跡は無いしまた移動する理由もない。
この理由を慶長著聞集では「三成を襲撃しようという計画を知って伏見に逃げた」と記してる。
おそらくこれは真実だろう、というのが笠谷氏の主張だけど
三成には伏見に来た後立て篭もり事件を起こしてる。大坂から逃げたというのは間違いなかろう。
0164人間七七四年2021/08/21(土) 12:28:12.76ID:KPD2SlhH
>>162
石田三成邸襲撃事件も知らないバカのお前がチョンだろうが
アホは黙っていろ
0165人間七七四年2021/08/21(土) 12:46:07.61ID:KPD2SlhH
>>1 七将の三成襲撃事件なんて基本的な事を知らないとはマジで呆れる
それでよく関ケ原の戦いの勝敗の原因とか語れるよな
バカの書いた投稿なんてアホ丸出しだし 例えばこれ → >>146
0166人間七七四年2021/08/21(土) 12:50:46.86ID:UapbzAUE
おっ、久しぶりに来てみたら新キャラが登場してるじゃん
0167人間七七四年2021/08/21(土) 12:56:43.57ID:O+nMxdpt
で、その言経卿記や卜斎記、慶長著聞集らが噂を集めただけのもので信憑性に疑問があるよねって話をずっとされてた訳だけど、そこに何か進展はあったの?
0168人間七七四年2021/08/21(土) 13:18:21.42ID:KPD2SlhH
三成襲撃事件で、三成が家康の屋敷に逃げ込んだと言うのが怪しいと言うのなら理解できるが襲撃事件そのものが怪しいとか言うのはここの連中だけだろうな
0169人間七七四年2021/08/21(土) 13:23:15.97ID:O+nMxdpt
怪しいっていうか否定されてるじゃろ家康屋敷に入ったなんてのは
0170人間七七四年2021/08/21(土) 13:26:00.86ID:O+nMxdpt
世間的に常識として語られてる戦国時代の話は研究ではまるで違うことが本当に多いので
誰それの研究を基にしてますあるいはこの史料を基にしてて史料の信憑性はこう担保されてます、程度は出せないと
0171人間七七四年2021/08/21(土) 18:31:06.74ID:05Skcs02
>>167
そんなの言い出す奴は歴史が好きっていうより降霊術とかのオカルト好きだと思った方が良いよ。
この史料にはこう書いてある、っていうのを他の史料を提示して説を擦り合わせるのが歴史好き。
写真も無い時代の史料が噂話だろとか言い出したら歴史を語ることは不可能になる。
例えば三成が逃げ込んだのは伏見の自分の屋敷だった話だけどこれも「噂話」として本当は家康のところに逃げ込んだんだ!って言えるようになる
そうしたらもうメチャクチャよ。
0172人間七七四年2021/08/21(土) 18:37:04.82ID:O+nMxdpt
そのすり合わせが不十分だって話も散々されてたんでしょ?
どうして一度指摘されたことをろくに直しもしないでもう一度言い出したの?
0173人間七七四年2021/08/21(土) 18:39:29.27ID:2oZ3rl14
>>171
> この史料にはこう書いてある、っていうのを他の史料を提示して説を擦り合わせる

最近はそれに理工系の学術成果も、かな。
1990年代以降、気象学、地質学、生物学、材料工学などの御蔭で戦国時代を考えるパラダイムは劇的に変わった。
0174人間七七四年2021/08/21(土) 20:00:26.79ID:05Skcs02
>>172
史料提示してるならもうそこで主張側の仕事はお終いだし。
批判する方が史料を持ってきて初めて擦り合わせる事になる。
研究家はおろか小説家だってそうするさ。
0175人間七七四年2021/08/21(土) 20:24:58.73ID:PTPrXFGK

自分で出した史料の信頼性は検証しないのかよ
0176人間七七四年2021/08/21(土) 20:34:33.23ID:O+nMxdpt
提示する際に自分でも史料の信憑性の検証しなきゃいけないのは当たり前だし、批判してた人も襲撃側に摂州が入ってるほど噂としての信憑性の低いものを用いるなって、これまたさんざっぱら言ってたよね
それらをずっと無視してる時点で批判もろくに聞く気がない、自分の主張に酔ってるだけって言われて然るべきじゃないか?
0177人間七七四年2021/08/21(土) 21:05:45.07ID:m4n2F3SX
七将の三成襲撃事件と言うけど実際には加藤清正らは三成を捕縛しようとしただけの事
つまり実際の戦闘はないからな
日記などには書かれていないケースもあるのは仕方ないよな

まあでもいろいろなものにこの件は記述されているからな

七将の三成襲撃事件はあったとして問題なのはその七将が誰かであろうよ
七将は『関ヶ原始末記』を典拠とした説で、『徳川実紀』などでも同様の構成である。
『慶長年中卜斎記』では池田輝政が消えて脇坂安治が加えられている。
1599年(慶長4年)閏3月5日付徳川家康書状の宛所と比べてみると池田輝政と加藤嘉明が除かれ、新たに蜂須賀家政(阿波徳島城主)、藤堂高虎(伊予宇和島城主)が加えられている。

『義演准后日記』の慶長4年閏3月10日条には、石田三成の佐和山城隠居にかけて、「大名十人とやらん、申し合わせて訴訟すと云々」と記されている。

この事件は西軍のやる気のなさと中途半端な態度を取った大名らの理由つけにもなる
0178人間七七四年2021/08/21(土) 21:12:34.25ID:m4n2F3SX
『村井勘十郎覚書』
殿様逝去三日の七時より世上騒出

『言経卿記』
「一昨日ヨリ大坂ニ雑説有云」「大野伊兵衛尉大坂ヘ下向也トテイトマコイニ來了、雑説ニ付テ下也云 」(3月29日)
「石田治卩少輔入道、去四日ニ大坂ヨリ伏見へ被行也云 、今日も騒動了」

石田三成は伏見に逃げて家康により和談が成立。
三成は五奉行の座を退き、閏3月10日、佐和山城に帰城した。
0179人間七七四年2021/08/21(土) 21:22:08.32ID:m4n2F3SX
この事件は家康により仕組まれた部分がある
細川忠興はこの事件前に家康より豊後国内に6万石を加増されていた
また事件の前の年
徳川家康は同年10月から12月にかけて京極高次、細川幽斎ら諸大名を訪問した
また水面下で福島正則、黒田長政、蜂須賀家政ら武断派諸侯と婚姻関係を結ぼうとしていた。
0180人間七七四年2021/08/21(土) 21:22:18.55ID:PTPrXFGK
石田治卩少輔入道って石田は入道してたのか
大徳寺と信仰あったみたいだしそこかな
0181人間七七四年2021/08/21(土) 21:30:03.18ID:O+nMxdpt
また書かれてないことを勝手に妄想で埋めてくやつ出てくるし、なんなんだよ今日は
0182人間七七四年2021/08/21(土) 22:24:04.92ID:Wj60DTnp
>>181
黙れよ。お前みたいな臭い爺さんは糞して寝ろ
0183人間七七四年2021/08/21(土) 22:49:10.51ID:Vev2XlFr
>>179
研究と史料の関係は裁判と証拠の関係に近いんだわ
関係あるように見える事例「だけ」引っ張ってきてほら、疑惑あるでしょは通らんのよ
直接仕組んだとわかるものもないのにその手のことするのは、いわゆる陰謀論でしかないの、わかる?
0184人間七七四年2021/08/22(日) 00:04:19.61ID:lMbOne4C
>>175
提示されてる史料が現代、若しくは戦前の陸軍研究所とかが作ったものとか、幕末期なら兎も角
言経卿記にしろ卜斎記にしろ同時代の史料だから疑う事が難しい。
確かに、それらは伝聞情報かもしらんがこの時代の史料は当事者(徳川や毛利、七将らの史料)を除くと伝聞なのは当たり前。「伝聞だから」で排除してたら研究の余地は無くなる。小説家は喜ぶかな?
最近は小さなところをつついていかにも史料批判してます、みたいななんちゃって研究書が多いけどそのレベルにはなりたくないね。
0185人間七七四年2021/08/22(日) 00:19:02.17ID:eE9x7ffd
>>183
実にくだらん言い訳
反論するなら物証を持ち出すなり、矛盾点を指摘するなりで反論しろよ
関係あるように見える事例を否定できるだけのものでも引っ張って来いよ
0186人間七七四年2021/08/22(日) 00:24:34.13ID:fS71jaS9
>>185


>細川忠興はこの事件前に家康より豊後国内に6万石を加増されていた

>また事件の前の年
>徳川家康は同年10月から12月にかけて京極高次、細川幽斎ら諸大名を訪問した

>また水面下で福島正則、黒田長政、蜂須賀家政ら武断派諸侯と婚姻関係を結ぼうとしていた。

それとこの事件とどう関係があるのか、お前の脳内ソース以外の理由を述べよ
0187人間七七四年2021/08/22(日) 00:37:41.09ID:4C/tKuem
むしろ因果関係の証明をせにゃならんのは主張者側なんだわ、これをくだらないとか言い出す時点で、正直ろくに論理思考を指導教員なりから学ばなかったのかと疑う

そして伝聞情報に明らかに事実と異なる情報が混じってるレベルの情報を、信用できるとするなら補強史料なりが必要だろうが、それを持ってこない時点でやっぱり牽強付会に過ぎる
伝聞だから駄目なんじゃなく伝聞な上に正確な情報じゃないのがわかってるものをゴリ押ししてるからだめって言ってんの
0188人間七七四年2021/08/22(日) 01:40:20.48ID:eE9x7ffd
>>187
だからお前の抽象論なんざどうでもいいんだわ
何処がどうデタラメなのか指摘してみろよ
0189人間七七四年2021/08/22(日) 01:51:56.74ID:4C/tKuem
前年細川らが加増されたことや諸侯を訪問したことなどを家康が事件に加担した理由に述べてたけどそれらは全く因果関係の認められてないものだろって他の人にもツッコまれてるでしょ
これが関係するんですと言い張るならそれを証明する史料を出さなければならない、少しはものを考えてから喋りなさい
0190人間七七四年2021/08/22(日) 01:54:45.12ID:4C/tKuem
コーヒー飲んだ後車運転して事故ったからコーヒーは飲んだ人の判断能力を鈍らせるとか言い出す間抜けがいたら、判断能力の低下とコーヒーの因果関係の証明しろとしか言えないだろ
そのレベルの話をお前はわからんと喚いてるんだよ、クソガキ
0191人間七七四年2021/08/22(日) 02:20:00.36ID:6YaV1PoD
実際というか結局、三成が逃げまわってたっていう史料はないわけだよね?
三成が大阪から伏見に移動したことを、『逃げた』と小説よろしく解釈しただけの話だわな
0192人間七七四年2021/08/22(日) 02:34:12.44ID:eE9x7ffd
>>189
まあ代表的な事件だけ出しておいたけどわからなかったようだね

しかしお前はマジでなーんも知らないのな
屁理屈だけは御大層なものだが

ただ代表的な4人と家康との交流だけ書いておくな
その他の3人も似たり寄ったりだけどな

加藤清正
慶長3年(1598年)、秀吉が死去すると、五大老の徳川家康に接近し、家康の養女を継室として娶った。
慶長4年(1599年)3月28日、前田利家が死去すると、福島正則や浅野幸長ら七将の一人として石田三成暗殺未遂事件を起こし、これに失敗するとさらに家康への接近を強めた。

福島正則
正則は石田三成らと朝鮮出兵を契機としてその仲が一気に険悪になり、慶長4年(1599年)の前田利家の死後、朋友の加藤清正らと共に三成を襲撃するなどの事件も起こしている。
この時は徳川家康に慰留され襲撃を翻意したが、その経緯から家康の昵懇大名の一人となる。
また、姉の子で正則の養子になっていた正之と家康の養女・満天姫との婚姻を実現させた。これは諸大名の私婚を禁じた秀吉の遺命に反するものだった。

細川忠興
文禄4年(1595年)の秀次事件では、秀吉の甥・豊臣秀次に借金があったために秀吉に嫌疑をかけられたが松井康之が奔走し、金子を用立て秀吉に返納した。この時に金子用立てに力を貸したのが徳川家康である(『細川家記』『松井家譜』)。
慶長3年(1598年)8月に秀吉が死去すると、石田三成らと対立し、徳川家康に誼を通じた。慶長4年(1599年)には加藤清正・福島正則・加藤嘉明・浅野幸長・池田輝政・黒田長政らと共に三成襲撃に加わった。
同年、豊臣家の大老の筆頭であった家康の推挙で、丹後12万石に加え豊後国杵築6万石が加増され、城代として重臣の松井康之・有吉立行を置いた。これにより、都合18万石の大名となった。
徳川家康からの「味方につけば丹後の隣国である但馬一国(10万石)を進ぜよう」という言を受け慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与した。
このとき、豊臣恩顧の有力大名である上、父と正室が在京していたため、その去就が注目されたが、東軍に入ることをいち早く表明したため、他の豊臣恩顧の大名に影響を与えたと言われている。

黒田長政
慶長3年(1598年)8月、秀吉が死去すると、三成ら文治派との路線対立から五大老の徳川家康に接近し、先に結婚していた蜂須賀正勝の娘・糸姫と離別し、家康の養女の栄姫(保科正直の娘)を新たに正室に迎えた。
慶長4年(1599年)閏3月、前田利家が死去すると、長政は福島正則や加藤清正ら武断派(いわゆる七将)と共に三成を襲撃した。この頃、根岸兎角ら優秀な鉄砲の遣い手を多数召抱えている。
0193人間七七四年2021/08/22(日) 02:36:29.54ID:eE9x7ffd
しかしここの三成襲撃事件なかった派のアホってマジで話にならんよな
ただのバカだろうよ
話すだけ時間の無駄だと理解したわ
0194人間七七四年2021/08/22(日) 02:56:20.57ID:4C/tKuem
交流があるから事件と関わったっていうバカな主張繰り出すばっかりで肝心要の因果関係も出さないし、ほんとに脳タリンなんだな君

歴史僕こんなに知ってるよって浅い知識でイキる前にまず、論理的思考くらい培ってから人と喋ろうとしな
ここの人間はお前が言ってる程度のことは知った上で、それらはよく言われるが本当に正しいか、史料の信憑性や研究の動向を追って喋ってるんだわ
んで、その程度のことを知ってるのもスレ遡って読んでりゃわかる程度のことなんだわ
研究読まないスレがどういう流れを踏まえてるのかも知らないでバカ晒してるの、みっともないよ?
0195人間七七四年2021/08/22(日) 03:37:31.67ID:eE9x7ffd
>>194
だからな、交流とかいうレベルじゃねーんだよ
マジでアホだよな、お前は
家康は文禄4年(1595年)8月に禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行っているんだよ

豊臣秀吉の死後、内大臣の家康が朝廷の官位で最高位になり、また秀吉から「秀頼が成人するまで政事を家康に託す」という遺言を受けていたため五大老筆頭と目されるようになる。
また生前の秀吉により文禄4年(1595年)8月に禁止と定められた、合議による合意を得ない大名家同士の婚姻を行う。婚約した娘は、全て家康の養女とし、その内容は次の通りである。
伊達政宗の長女・五郎八姫と家康の六男・松平忠輝。
松平康元(家康の甥)の娘と福島正之(福島正則の養子)。
蜂須賀至鎮(蜂須賀家政の世子)と小笠原秀政の娘(家康の外孫で養女)。
水野忠重(家康の叔父)の娘と加藤清正。
保科正直の娘・栄姫(家康の姪で養女)と黒田長政(黒田孝高の嫡男)。
0196人間七七四年2021/08/22(日) 03:44:25.19ID:4C/tKuem
あー、その私婚事件についても散々ここで話されてるし、合議も秀吉の遺言じゃねーよねって話もしてあるの
こんだけ言われてるんだから少しはスレ遡ってどんな話あったのか確認する程度のオツムもないの自分で証明してくれてありがとね
そもそも政務任された家康がその補強のために行う婚姻はおかしくないって主張する本多隆成氏などの研究者もいるんだわ

その上で、三成襲撃に直接関わったと確認できる史料なんかねーだろって話もしてんの
0197人間七七四年2021/08/22(日) 03:48:56.96ID:4C/tKuem
この研究者からの主張ですとかこの史料から引っ張ってきたとか一切出ないで、ウィキペディアやら参考文献も書かないyoutubeの歴史まとめレベルの情報しか出てこないんだが、お前ろくに研究1つ読んでねーだろ
性根叩き直してから出直してこいクソガキ
0198人間七七四年2021/08/22(日) 09:21:32.70ID:lMbOne4C
三成襲撃事件があったか無かったかと言うと
無かった事は間違いない。
何故なら三成は閏三月四日に伏見に逃げており
大坂の襲撃は失敗してるから。
存在しない人間は襲撃できない。
三成が伏見に逃げ込んだ理由は襲撃計画を知ったからという逸話以外存在しない以上、これを前提にするしかない(また、それ以上説得力のある説が存在しない)
またこれは単純な訴訟沙汰でも無い。
伏見で三成は毛利に挙兵依頼、立て篭もり、小規模な軍事行動とかなり危険な活動に立てる。
そして京・大坂は武装兵が溢れて危険な空気になっていた。
0199人間七七四年2021/08/22(日) 11:02:19.21ID:q4hZyets
挙兵を依頼したってのも、別の時期に書かれた書状だろって指摘を研究者の研究付でされてるよね?
なぜその辺りに明確な反論をしないで自分の願望だけを垂れ流すの?
議論をしたいんじゃなく思い込み垂れ流したいだけなら荒らしと変わらなくね?
0200人間七七四年2021/08/22(日) 11:16:41.37ID:QXXDf3d+
>>198
キミって、前スレで散々嘘ついて、史料・論文を一つも出さないで独り言を繰り返してる人だよね?
使ってるフレーズですぐわかる
0201人間七七四年2021/08/22(日) 12:59:30.75ID:EoK20DaX
>>199
この書状(46号書状か)を慶長五年とするのは白峰氏なんだろうが、無理がある。
一つ目は、この書状が西軍蹶起の挙兵だとすると毛利が主導者だった証になる。そんな危険な書状を毛利が残すだろうか。
二つ目に、当該書状では三成が小西と寺澤を輝元に送っている。佐和山で謹慎していた三成がどうしてこの二人を送れたのか。
仮に友情が三成を助けたとしても、問題がある。
ここにある寺澤は寺沢正成の事だろうが、彼は確かに小西の友人ではあるが慶長四年四月から徳川派に転向してる(関ヶ原では東軍に与する)
そんな男を急使に立てるだろうか。三成らが見抜けてなかったとすると要は西軍の挙兵は徳川の周知だった事の証拠にはなるので確かに小説の題材にはなるが…
三つ目は、この書状では「増田長盛が昨日、徳川と上杉の縁辺が整ったと言ってきた」とある。
慶長五年六月だとすると上杉討伐が決定されていた筈でこんな話がくる筈が無い。長盛が嘘を言ったとしてもそんな嘘を言う理由は相当難しい(敢えて考えると、西軍蹶起を止めようとしたのだろうか)
この様な点から、慶長五年ではなく慶長四年に書かれたものであろう。
伏見に逃げた三成からの挙兵要請を受諾していてもそこまで問題は無いからである。何しろ敵の七将は武力行使をしてるんだからね。
0202人間七七四年2021/08/22(日) 13:20:08.34ID:lMbOne4C
白峰氏は三成を贔屓にしとる節があるしね。
彼がこの書状を1600年とするのには、
一つは関ヶ原は毛利が主体となってるという主張。
それよりも大きいのは、関ヶ原の西軍挙兵は徳川の策謀の結果であるって言うことか。
何しろ東軍の寺沢が三成らと行動してたんだ。
だから上杉討伐は家康の陰謀だと。
このスレでもそういう主張の人が多いってことなんかなぁ。
0203人間七七四年2021/08/22(日) 13:28:52.86ID:3vnVdW6B
>>201

> >>199
> この書状(46号書状か)を慶長五年とするのは白峰氏なんだろうが、無理がある。
> 一つ目は、この書状が西軍蹶起の挙兵だとすると毛利が主導者だった証になる。そんな危険な書状を毛利が残すだろうか。
> 二つ目に、当該書状では三成が小西と寺澤を輝元に送っている。佐和山で謹慎していた三成がどうしてこの二人を送れたのか。
> 仮に友情が三成を助けたとしても、問題がある。
> ここにある寺澤は寺沢正成の事だろうが、彼は確かに小西の友人ではあるが慶長四年四月から徳川派に転向してる(関ヶ原では東軍に与する)
> そんな男を急使に立てるだろうか。三成らが見抜けてなかったとすると要は西軍の挙兵は徳川の周知だった事の証拠にはなるので確かに小説の題材にはなるが…
> 三つ目は、この書状では「増田長盛が昨日、徳川と上杉の縁辺が整ったと言ってきた」とある。
> 慶長五年六月だとすると上杉討伐が決定されていた筈でこんな話がくる筈が無い。長盛が嘘を言ったとしてもそんな嘘を言う理由は相当難しい(敢えて考えると、西軍蹶起を止めようとしたのだろうか)
> この様な点から、慶長五年ではなく慶長四年に書かれたものであろう。
> 伏見に逃げた三成からの挙兵要請を受諾していてもそこまで問題は無いからである。何しろ敵の七将は武力行使をしてるんだからね。

こういう反論を本来は>>202が自分で出さないから揉めた訳でしょ
0204人間七七四年2021/08/22(日) 13:57:07.96ID:2OqX2u1h
>>201>>202は自演
...の人ね
0205人間七七四年2021/08/22(日) 14:44:52.00ID:Vv0N6yKH
>>198
一連の事件それを含めて三成襲撃事件だろうよ
だからあったと主張する意見も通るだろうよ
0206人間七七四年2021/08/22(日) 15:05:35.22ID:Vv0N6yKH
>>196
伊達政宗除いて残りは7将候補だからな
十分に間接的な関与はあるだろうな
頭に血が上るとまともな判断ができなくなるよ
0207人間七七四年2021/08/22(日) 15:23:32.00ID:4C/tKuem
間接的に指示しましたなんてわかる史料もなければ、七将以外とも普通に交流もしてるな
それをわざわざ七将のみ書き立ててほら関係してるでしょは通らないと言っている
頭に血が登るではなく、ろくな証拠にもならないもので断言するアホに憤ってるだけ
0208人間七七四年2021/08/22(日) 15:28:56.48ID:4C/tKuem
七将に指示してたなり言いたいならまさに七将に三成襲撃指示出してる史料なりを出さなきゃだめだろ
それも出さないで自分の主張に都合の宜しい部分だけ書き出してるののどこが客観的な書き方なの?
それとも都合の悪い文書は全部家康が消したんだ!だから証拠ないけど俺ならわかるとか例え話みたいなこと言い出す気か?
0209人間七七四年2021/08/22(日) 15:37:57.51ID:Vv0N6yKH
ダメだこりゃ(いかりや風)
0210人間七七四年2021/08/22(日) 15:56:39.83ID:4C/tKuem
呆れてるようで悪いが、このスレは前からこの手の話してるし毎回そこで間接的に関わってたとか言い出すアホはろくな史料も研究も出してこないんだわ、少しは遡って読んだら?
0211人間七七四年2021/08/22(日) 15:57:48.46ID:cA3dA6Tf
>>209
研究者の著書や論文の名前出して、自分に都合の良い嘘ばっかり言ってる人もいるけど、あなたの場合はそもそもそういった書籍すら読んでないでしょ?
0212人間七七四年2021/08/22(日) 18:31:46.26ID:sCArQQmT
研究やら論文も読まないで、なんならその手法も知らないで何か語れると自惚れるバカが毎回湧くのはなんなのかね
0213人間七七四年2021/08/22(日) 21:12:50.44ID:AipCPV8Y
>>212
ゲームやらマンガやら、低俗なメディアの影響だろうよ。
0214人間七七四年2021/08/23(月) 08:32:42.59ID:txERweLv
>>212
でもここ5ちゃんねるだぞ
何で君は研究室で勉強してないの?
どこ大学のどこの研究室やゼミなの?
0215人間七七四年2021/08/23(月) 09:35:48.29ID:EEluWxxU
5chを言い訳にしようとするやついるけど、自分がそれなりに興味のあるもんろくに調べることすらしないで何なら調べるんだよ、興味あるもん調べるくらい遊びの範疇だろ
つかせめて窘められたら素直に引っ込めよ
0216人間七七四年2021/08/23(月) 09:38:06.99ID:EEluWxxU
自由に語ると無責任に語るは全然違う行為だし、少なくともこのスレはそれなりに調べた上で語ろうって人間のが多いな
0217人間七七四年2021/08/23(月) 09:59:47.70ID:6i7lUYrd
>>214
いや、マンガとか小説とかゲームの武将キャラの話がしたいなら別板で好きなだけどうぞ、って話だよ。
少なくとも、史実に基づいた話をしたい人が、あーでもないこーでもないと楽しんでるわけだから。
0218人間七七四年2021/08/23(月) 12:54:53.03ID:Yyafiic2
>>198
そんな理由で三成襲撃事件がなかったと主張する事はできないだろうよ
書き直しを命じる
0219人間七七四年2021/08/23(月) 13:02:50.19ID:Yyafiic2
>>207
交流はともかく合議による合意を得ない大名家同士の婚姻は伊達政宗除いて七将だけだからな
その反論は普通に通らないぞ
0220人間七七四年2021/08/23(月) 14:20:49.67ID:X36Q9D4/
>>219
そもそも「七将」なるものが誰7日固定化出来ない、架空の存在でしか無い
0221人間七七四年2021/08/23(月) 14:21:12.66ID:qypYfosQ
>>219
合議による合意を得た大名家同士の婚姻(もちろん一方は徳川家縁故)て、どこがあるの?
0222人間七七四年2021/08/23(月) 14:33:31.40ID:yrQSmrX3
唐入りの件で騒動起こしそうなのを予め止めるために婚姻しようとしたかもしらんし
婚姻止められたのを遺恨に思って自発的にしたかもしらんし
それだけだと因果関係の証明になってねーよ

直接仕組んだとわかる史料はないんだろ?
0223人間七七四年2021/08/23(月) 21:36:45.06ID:WzDgOQzt
>>220
わけわからん、誤字なのか?
もう一度書き直せ
0224人間七七四年2021/08/23(月) 21:46:11.06ID:WzDgOQzt
>>222
史料にこだわるね
そんなに都合よく何もかもが資料になるかよ
俺は家康が七将に三成襲撃を命じたとは一言も書いていないからな
誤解はするなよ
ただこの時期に反三成派の七将らと家康が接近して理解を示していると言いたいだけだ
0225人間七七四年2021/08/23(月) 21:48:26.63ID:txERweLv
>>217
いや研究とかだったら大学でしろよここは5ちゃんねる
別の板も何もここでやる板なんだからw

お前ひとり浮いてるんだよ
0226人間七七四年2021/08/23(月) 21:50:50.85ID:EEluWxxU
別に接近してると言いたいならそれでいいよ、そこ否定する気はないがな
この話は元々七将襲撃を家康が仕組んだとか言い出したのから始まってるんだから
あと史料にこだわるのが研究の基本やから、なんでもかんでも都合よく史料になるかよじゃなくそういう史料がない限り断定しないのが研究の常道よ
0227人間七七四年2021/08/23(月) 21:53:09.89ID:EEluWxxU
研究を読んだり研究に沿って話すのは大学以外の趣味でも匿名でもできるしここでそれなりにやってることだぞ
なんで研究は大学だけとか研究は趣味にならないとか勝手に思い込んでるかしらんが
0228人間七七四年2021/08/23(月) 21:57:58.56ID:znLjw2kS
>>225
自分が知識・情報がないだけの話じゃん
なんでレベルの低い奴に話を合わせなきゃならんの?(笑
0229人間七七四年2021/08/23(月) 22:07:24.39ID:aKufHPs7
ここは5chなんだから、俺のわからない話はしないでくれよ、って言われてもなぁ(笑
0230人間七七四年2021/08/23(月) 22:09:43.96ID:txERweLv
>>228
何でレベルの高い人間が研究室ではなく5ちゃんねるでマウントとっているんだw

>>229
他人の言葉じゃなくて自分の思考で述べることできない雑魚に何言われてもなぁw
0231人間七七四年2021/08/23(月) 22:17:17.60ID:VeaKmJJb
>>230
この話自体が不毛だよね?
そもそもこの議論いる?
議論してるのなら、要求されたものを出せば問題ないのでは?
出せないなら引っ込むべきだし、『5chなんだから難しい事いうな』というのはおかしいと思うよ。
0232人間七七四年2021/08/23(月) 22:30:15.55ID:eVj2fSGh
>>225
全くだな
学問カテゴリの歴史板と違って、なぜここが趣味カテゴリの板なのか判ってない奴が多すぎるわ

あと研究の常道というのも全然違う、日本の歴史学者(日本限定ね)がそれに凝り固まってそう思い込んでるだけ
これには理由があって明治時代のお雇い外国人で歴史学者のリースがたまたまランケの弟子だったため極端な文献史料至上主義者だったから
このリースに教わって、この手法こそ唯一絶対正義だと刷り込まれた者がまた別の場所で歴史学を教えるという感じでこの手法だけが広まり
それが一旦権威となって固まってしまうと外圧無しには覆せなくなる日本人の悪癖もあってずっと続いてるだけ
日本史ってのはそれ自体が当然ながら日本だけのガラパゴス分野なので130年前の呪縛が未だ溶けてない

この点世界史はだいぶマシなんだけどね、世界の歴史という分野の性質上、他国の歴史学者の研究も無視できないわけで
実はランケ学派が欧州ではかなり批判されてることや、その批判的な立場の学者の研究も入ってきて、
本当にリースのこの手法でだけ良いのだろうか?他の方法もあるんじゃないか?と問い直すことも出来た

一番馬鹿馬鹿しいのが
仮に明治に最初に来日したのがリースじゃなくて他の学派の学者だったら、ここの奴等も今頃別の事言ってるだろうってことw
なんなんだろうね、自分が学生時代に教わった手法が唯一無二の絶対正義で絶対ここから動かないぞみたいな発想
権威主義なのかね?130年前の欧州でも実は権威のひとつにすぎないのにね、たまたま日本に伝わったのがそれだったというだけの話でさ
0233人間七七四年2021/08/23(月) 22:37:11.29ID:fCtn31p+
>>232
一番馬鹿馬鹿しいのは、キミだと思うよ
これは満場一致だと思う
0234人間七七四年2021/08/23(月) 22:44:51.99ID:EEluWxxU
史料で担保もしない証明でどんだけアホなこと言い出すのか見ものやね
0235人間七七四年2021/08/23(月) 22:48:59.26ID:VeaKmJJb
そんな難しい話じゃないと思うんだよ。
このスレに書き込んでる人は、程度の差こそあれ、基本的には史実に基づいた話をしたいのは確かでしょ?
で、その根拠は何なの?って話。
原文を文法通り口語訳を付して説明できればいいんだろうけど、それは流石に難しい。
次が、研究者の著書や論文を引用するケースだよね。
これ以外に、史実に近づけた議論はできないと思うんだけど、どうだろうね?
そもそも『史実とかどうでもいいです』って話なら、入口から噛み合ってない。
『5chなんだからさ』という不毛な話が始まっちゃうわけ。
0236人間七七四年2021/08/23(月) 22:56:02.95ID:1N42QgA6
>>201
三成が小西・寺澤を使者として輝元に遣わしたではなく「自治少・小西・寺澤被越候ハ」だから
三成・小西・寺澤方より輝元に使者もしくは書状が遣わされたになるんじゃないか

時代は少し遡るが
(文禄4年)5月24日付島津忠恒宛石田三成書状では
「小西摂津守・寺澤志广守両人ニ、諸事可有御相談候、此両人拙子別而無等閑候、御隔心有之間敷候」
と三成は小西・寺澤とは特に仲良くしているから、忠恒もこの二人には何でも
相談して隔心なく付き合ってほしいと述べており、両者とは特に親密な様子が伺える
三成自身も寺澤とは相当親密に交流していたようだ

寺澤が東軍に与したのは周知の事実だが、通説の秀吉死後すぐに家康に近づき取り入ったというよりは、
寺澤が家康から命じられていた庄内の乱の収拾の際に、同じ解決のため奔走していた山口直友を通じて
徐々に家康と昵懇になっていき、状況を見極めた末に関ヶ原合戦の数ヶ月前に
旗幟を鮮明にして家康に与したという見方もできるんじゃないかな
まあこれに関しては根拠となる史料がないから個人的な推論になってしまうけど
この辺り白峰氏は慶長5年6月上旬の時点で寺澤は反家康のスタンスだとだけ述べており、特に深堀りはしてないね

あと「上様被仰置之由候而、昨日内府・景勝縁邊之使、互ニ増右案内者にて調候」は
上様(秀頼)の仰せで家康と景勝の使者が互いに増田の仲介にて話を調えた
つまり両者の衝突を危惧した秀頼&淀殿が和睦目的で両者に縁辺之儀を勧めた
と見れば別に筋が通らない話ではないな
すぐ後に続く文でこれは不調に終わりそうだと輝元は言ってるが
0237人間七七四年2021/08/23(月) 23:13:13.61ID:JEm7eDEh
ここ暫く続く石田三成と内訳未確定の「七将」との確執に関する詳細議論、
それはそれで興味深く拝読してるんだが根本的な疑問がある。

その件が
「豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件」
なんだろうか。

当たり前だとお叱りを受けそうだが、どうも焦点がぼやけているように思われてならない。
仮令それが直接の契機になった事象だとしても(そうは見えないが)、
コトの本質はそんなことが崩壊に繋がってしまう豊臣政権の構造、更にその構造を生んだものの方に在るんじゃないだろうか。
0238人間七七四年2021/08/24(火) 08:41:12.89ID:J+DRAJDm
光成氏だとかも
文禄四年の時点では寺沢正成を「文治派」に置いてるから、毛利輝元書状(46号書状)が七将襲撃事件の際に、三成から挙兵の依頼人として送られてもおかしい話じゃ無い。
問題は文禄五年、しかも六月という上杉征伐が決定したタイミングだとすると
寺沢は裏切りでは無く最初から東軍として働いているから、
要は西軍の決起計画は全て家康に筒抜けだったという事になる。
のみならず、寺沢は奉行職に才能ある人物で朝鮮出兵で兵站維持等で賞賛されたとか逸話のある人物なので
西軍の戦力や物資、戦略を正確に掴んでいた可能性が高い。当然これは徳川に報告されて徳川はこれを基にシュミレーションしていた事になる。
0239人間七七四年2021/08/24(火) 09:39:05.40ID:t/vMg0M8
決起計画に寺澤がどの程度関与してたかはわからんでしょ、首脳じゃないんだから
三成ですらいつから計画に加わったのかも不明瞭なのに
0240人間七七四年2021/08/24(火) 09:42:47.47ID:Hz2euEzM
三好長慶が将軍抜きで天下を数年支配してから天下は血統ではなく実力者が仕切ることになった
武士のトップの証明は戦争に勝つことと知行割り当てを仕切ること。それを満たしたことで秀吉も家康も主家を超えて天下を支配することになった
なので家康に天下人の要件を満たさせないように誘導しないとどうしようもない
0241人間七七四年2021/08/24(火) 10:08:18.18ID:t/vMg0M8
ならそもそも豊臣政権は秀吉没後に必ず滅びる形になるね
結局のところ家が殆ど形成されておらず秀吉個人の力だけで支えてた政権だし
豊臣家、として残すなら徳川の力を借りる形、つまり縁戚として実効力は徳川に任せて名目上その上にいる存在としていれば良かった
まあそれも西軍挙兵で崩れたけど
0242人間七七四年2021/08/24(火) 11:09:12.68ID:QelDMJvh
結局秀次とその一族を消したことに尽きるんだよな
せっかく豊臣政権の存続に不可欠な「家」の形成を秀次の代でやれそうだったのに台無しにしてしまった
何度も言ってるけど幼い秀頼たった1人にした時点で政権を担う存在としての豊臣家は終了
主家として統制の機能を喪失したんだから
後はもう豊臣家は完全に蚊帳の外でアレクサンドロス三世の遺言「最強の者が継承せよ」の通り
実力者同士での主導権争いになるしかなかった
場合によっては戦国に逆戻りも十分あり得た
0243人間七七四年2021/08/24(火) 11:57:17.88ID:DoJcIeS+
秀次が承継したところで、変わらんと思うね
巨頭家康主導の秀吉遺言体制ですら、史実の有様だからね
秀吉死亡でヒャッハーを目論む潜在的反豊臣勢力(上杉や毛利など)に徳川も加わるだけ
0244人間七七四年2021/08/24(火) 12:22:56.89ID:uGXEZCrt
三好以来の流れを徳川が断ち切ってまた血統主義に戻ったんだから秀吉も徳川と同じ事をやればよかっただけだよね。というか秀次に譲った所までは一緒なんだよな
後は関白秀次が全国の大名の任官と知行割りを進めていけばよかっただけ
0245人間七七四年2021/08/24(火) 13:25:26.57ID:EWH4qjTd
ちょっと注意しておきたいこと
ここは5chだからいろいろな人間が書き込む
当然常連みたいな人間もいるわけだが
IDが固定化しておらず文や支持している説で相手を判断している人間もいるみたいだが、時々異なる人間にも関わらずに勘違いで同一人物とみなして口撃してくる人間もいる

一応不特定多数のいろいろな人間が書き込んでいる以上、あまり勘違いしないようにした方がいいと思う
0246人間七七四年2021/08/24(火) 15:41:47.30ID:fmTebkWQ
>>244
戦国大名家を、巨大な外様大名として残している時点で、全然違うでしょ
0247人間七七四年2021/08/24(火) 18:55:19.56ID:J+DRAJDm
>>239
白峰氏が主張する、毛利家46号書状が西軍決起計画に関係するものだとしたら三成・行長と共に来てる正成(光成氏の解釈だと三成からの使者だけど)が西軍の計画に関わってないとする方が難しい(使者の中で正成だけ外す、なんて出来ない)
白峰氏は時を1600年6月とするけど、16日には家康は天皇と秀頼からの援助を受けて出撃してる訳だからね。
寺沢正成は裏切りとかではなく最初から東軍だったって話なので、使者になった時点で徳川派。
なら己がアクセス出来る情報は全て家康に伝えてる。間違い無く46号書状の会合は筒抜け。
しかも正成は奉行職だったから兵站等の情報も流してたろう。
正成が情報を流してなかったとすると
「正成は元々西軍になる予定だったが、16日までに突然考えを改めた。でも友を売るには忍びないので黙ってました」
という話になる。流石に支離滅裂過ぎる。
白峰説を採るなら、西軍の挙兵は徳川の知るところ(というか挙兵されるから上杉征伐を強行した)ことになる(更に言うと戦後の毛利との和睦も徳川の茶番劇となる)
光成説を採ると、この書状は七将に襲撃された三成の救援要請。正成はこの時期文治派なのでいてもおかしくない。
七将の武力攻撃に反撃を試みる事は流石に非難出来ないので捨て置かれてた、となる。
0248人間七七四年2021/08/24(火) 19:07:35.43ID:PNvnOGL6
関ヶ原直前だとすると
一 e増右被申事ニ、とかく治少より身を引候ハてハ、すミ候ましく候、と被申たる由候、

この一文が個人的には納得できない
 
白峰氏は論文で
「下線eは、増田長盛が言うには、「とにかく石田三成が身を引かなければ、(この反家康の決起
 はこのままでは)決して済まない(=もっと拡大する)だろう」(25)と述べた、としている。この
 ことは、反家康の決起の中心人物が石田三成であったことを示している。」
と述べているが家康が会津に向けて出発していないうちから隠居の三成が行動するのは流石に
0249人間七七四年2021/08/24(火) 20:29:06.05ID:5WQ4qZI7
白峰説だと挙兵聞いて家康が慌ててるのの説明にもならないし、普通に白峰訳が無理ありそうよな
つか挙兵させずにタレコミで謀反の証拠ありで処罰すりゃいいし
0250人間七七四年2021/08/24(火) 22:02:18.01ID:HJtLU8sI
>>231
ふむふむ

要するに高卒って事かな?
自分で思考する能力が無いから他人の研究に頼り
仮説を立てる人達を全否定するわけだね。
よくある高卒脳の典型だねw
0251人間七七四年2021/08/24(火) 22:06:28.68ID:HJtLU8sI
>>232
ごもっとも他人のふんどしを借りてマウントとって自分の意見を述べることができない
アカデミックな考えとして糞みたいな仮説でも1000立てて1当たればいいという
大学における学問の研究をしていない奴が、凝り固まった古い文献でああだこうだ言うのに似ている。
これは上杉鷹山が米沢城内で見た家臣団が古い文献をみてああだこうだとつまらない議論をしていて
無駄に時間を過ごしていたのに似ている。権威主義の塊の奴がここでマウントとっているのが受ける。

またどこの研究室出身なのか誰ゼミかも言えないレベルでどこの大学と聞かれても答えられない。
多分、他社の引用しか出来ないところを見るとせいぜいFランク出てるかどうかの人間だと思う。
0252人間七七四年2021/08/24(火) 22:30:00.53ID:tF+Zzabu
薄い内容をだらだらした長文で書き、たった5行の文章中に2つもの矛盾を仕込むお馬鹿さん
日本語の勉強をしなさい
0253人間七七四年2021/08/24(火) 22:35:00.88ID:vv69Dj+t
>>250
その仮説の根拠を示せ、って話でしょ
不毛な話に落とし所を作ってくれた空気を読めないかな?
0254人間七七四年2021/08/24(火) 23:11:04.52ID:t/vMg0M8
学問を主としてる大学出てたらまず根拠となる出典書けってイヤほど教わるし、それを他人の褌だなんていいだしたら指導教員にしこたま叱られると思うが
一体どこの大学で根拠となる出典や研究もなしに論文やらレポート書けと言われるんだ?
0255人間七七四年2021/08/24(火) 23:16:49.67ID:t/vMg0M8
普通は匿名でも社会的なリスクを考えて出身大学がどんなに良かろうと書かないのが普通だし、その煽りをするならぜひともご自分がどちらの大学のどこのゼミ出たバカたれなのか率先垂範して頂きたいな
書けないようなら程度が相当に悪いということらしいので楽しみだ
0256人間七七四年2021/08/24(火) 23:25:52.83ID:HJtLU8sI
>>255
質問に質問で返した時点で君の負けだよw
0257人間七七四年2021/08/24(火) 23:43:07.80ID:IazX+yKC
>>256
という事は、>>250で質問に質問で返したお前の負けだなw
0258人間七七四年2021/08/24(火) 23:47:14.75ID:t/vMg0M8
あまりにもバカげたことを言うと程度が知れる好例ってやつだね
結局大学名も上げないし、彼の言うとおりなら彼は自分でご自分がよくてかなり程度の低い大学の出だと示した訳だ

根拠もなしにこういう決めつけが起きないよう、根拠が必要なのもついでによくわかるね
0259人間七七四年2021/08/25(水) 02:16:41.99ID:IabJOldS
大学とか以前に、あまりにも幼稚すぎる主張や言動からして中学生ぐらいだろうよ
ちょっと齧った知識で背伸びしてみたが、引くに引けなくなっちゃったんだろう?
0260人間七七四年2021/08/25(水) 07:30:00.34ID:muz9QeY5
反論できなくなると人格攻撃か
立派だね
0261人間七七四年2021/08/25(水) 11:58:20.58ID:oeE5g7hY
学歴ネタって、完全な勝ち組と完全な負け組は、自分もしっかり自覚してるから、まぁ触れないもんなんだよ
なので、学歴でワーワー言ってるのは、MARCH〜日東駒専のレンジで間違いないと思って良い
0262人間七七四年2021/08/25(水) 12:00:01.97ID:L9Atcw7j
結局214の質問に誰も答えられていない事と
最後は人格攻撃で終わる
レベルの低い人が他人の論文を有難がっているだけの権威主義のスレと言う事だな。
0263人間七七四年2021/08/25(水) 12:10:42.87ID:7/+WtMNX
>>262
いや、>>214は、持論の根拠を示せないお前の『負け犬の遠吠えレス』でしょw
0264人間七七四年2021/08/25(水) 12:25:27.74ID:GdDS5q3M
人格否定もなぜか学歴の問題持ち出し始めた根拠持ってこない君が言い出したことを玩具にしてる訳で、それでマウント取ろうとするのはブーメラン投げてるのよな
んで、名前の言えないならFランク以下の人ってのも自分で決めたルールなのにやっぱり言わないし
自分で勝手に言い出したことを自分にまず適用されたら被害者面するの、厚かましいにも程があるな
0265人間七七四年2021/08/25(水) 13:06:25.42ID:L9Atcw7j
>>264
学歴どうこうじゃなくて論文や研究というのであればそれは大学や学会、研究室やゼミでやればいいのでは?
単にここで論文論文いっている人は自分の意見を述べない権威主義なんじゃないかと言いたい。
そもそも論文や研究をする立場の人って他人の論文を引用するけどその論文に自分なりの考えを乗せるわけであって
ここにいる論文の人はただ単に他人の研究におんぶにだっこなので基本的に研究とかしている人なのかと疑問に思っただけ

多分君に何言ってもオウム返しで議論にならないと思うけどね。
あと上の奴の様に単発の煽り屋が多いけど、多分、君の事を支持してる人っていないんじゃないか?
研究研究言う割に他人とのコミュニケーションを遮断している傾向がある
(これはあなたに対する個人攻撃ではなく率直な分析)それでここで大多数の2ちゃんというか5ちゃんという
気楽に楽しく歴史を語りたい人が去って、君個人のスレになっているとしか思えないんだけどね。
0266人間七七四年2021/08/25(水) 13:09:27.39ID:L9Atcw7j
265の3行目が所謂高卒脳の典型という意味

論文引用した上で自分の意見を書かないと言う事
そもそも高卒脳の定義自体理解できないからマウント取られたのだと怒っちゃたんだろうね。
説明不足だった点は謝罪するよw
0267人間七七四年2021/08/25(水) 13:15:04.21ID:Ovy1bACp
>>260
褒めてくれてありがとね
0268人間七七四年2021/08/25(水) 13:23:44.74ID:GdDS5q3M
史料や研究以外で客観的に根拠となりうるもの提示できるならやってみてね
人様と議論、をするにおいてはやはり客観的な根拠が必要になる訳、上で235さんが非常にわかりやすーく説明してくれてたんだけど、それでも君の頭では理解できなかったか
君の脳内妄想がソースだったら、それこそここじゃなくチラシの裏に書くといいよ、1つ賢くなれたね
0269人間七七四年2021/08/25(水) 13:26:57.53ID:GdDS5q3M
単発煽りが多いのもそれだけ君の言説がまるで的を射てなくて不特定多数から君が玩具にされてるだけ、とも推測してあげよう
君の的外れで一切根拠のない分析よりは当たってると思うよ?
0270人間七七四年2021/08/25(水) 14:29:39.99ID:IabJOldS
>>266
そもそもこのスレは史料や研究を重視し、可能な限り俗説等の不確実性を排除する事で議論の精度を深めていったのよね
君はこのスレにおいてはただの荒らしだよ
0271人間七七四年2021/08/25(水) 14:50:32.36ID:+JrVBJoU
>>265
権威主義というより、あえて言うなら実証主義なのでは?
キミも史実に基づいた話をしたいのは間違いないでしょ?
繰り返すけど、原文を引っ張り出してイチから現代語訳することは誰にでも出来ることではない。
であれば次段として、研究者の著書や論文を引用することに違和感はないよ。
もちろん、それを要求する事も。
私的には、主張者が根拠を示す事については、100%支持だね。
0272人間七七四年2021/08/25(水) 14:52:32.08ID:L9Atcw7j
>>268
仮説も立てられなくて、既存の事しか語れないのであれば
ここで書き込まないで普通に研究資料見てればいいって事でしょ
ここは5ちゃん掲示板なんだから掲示板として機能しないとね

>>269
単発煽りは同一人物としか言いようがないのだけどね

>>270
だったら研究と史料を重視したらこのスレこれにて終了って事でいいですよね?

じゃあ以後スレは立てない事でOK?
0273人間七七四年2021/08/25(水) 14:56:23.05ID:L9Atcw7j
>>271
ごめんこれ以上史料だけで話すならここは掲示板として機能しないと思うんだ
君の意見と270の意見が支持されるなら
ここのスレはこのスレで終了でいいって事だね。

史料と研究だけの話であればこれ以上の発展性はない。
仮説をだしたところで事実に基づかない妄想
荒らし行為認定なんだろ

だったらもうこのスレは終わりでいい。
最後にどの資料とどの資料を目を通してねリストを作って終了でいいのでは?
0274人間七七四年2021/08/25(水) 14:58:49.78ID:L9Atcw7j
歴史と言うのは結局のところその時代に生きてみた人はいないし
その資料だって伝聞で100%正しいわけでもないまた権力者による改竄等あるので
史料が100%正しいなどはないし、どんな些細な仮説でも真摯に受け止めるべきなのに
ここのスレの住民はそれは完全シャットアウトしている

と、いう事はもうここはスレとして成立しないのだから次スレは立てない方針でいいと思う。
270と271の史料に目を通せでここのスレは成立するのだから。
0275人間七七四年2021/08/25(水) 15:00:07.85ID:+JrVBJoU
>>273
でもさ、著書や論文を出しても、それが必ず正解とも思ってないよ。
根拠を示す、という事以上の意味はないと思ってる。
0276人間七七四年2021/08/25(水) 15:04:20.37ID:L9Atcw7j
>>275
でも、ここは完全に終わりでいいよ。発展性が無い。
0277人間七七四年2021/08/25(水) 15:07:11.08ID:XiR6N7Wc
お前が退場すればいいだけでは?
0278人間七七四年2021/08/25(水) 15:08:28.60ID:GdDS5q3M
ここは史料と研究を重視して、この研究者ならこの説を出してる、俺はこの説を支持するって話もしてるんだわ、他人と話してれば知らない説の話もできるしね
お前がそれを無駄だと思うのは勝手だが、それをこっちに押し付けてくるな
IDちがうのに勝手に同一人物だと思い込まないようにねーって注意もこないだ誰かが書いてくれてたな、また思い込みだけで的外れ批判だ
そして誰もその研究や史料が百パー正しいなんて話もしてない、蓋然性が現状高いのはこれじゃねって話をしてる、新史料で信憑性が高いと判断されればああだこうだいいながらその説の話をするんだよ
お前にとってはつまんなくて意味なく見えるかもしらんが、俺たちはこういうので遊んでんだよ、他人の遊びが理解できないからって邪魔しにくるな、躾がなってないぞ
0279人間七七四年2021/08/25(水) 15:20:16.51ID:L9Atcw7j
>>277
君が退場したらするよw
>>278
いやもうその時点でここで語り合う必要はないこのスレは終了でいいと思う。
0280人間七七四年2021/08/25(水) 15:22:57.84ID:JtyyWEsC
自分の意見が通らない、受容されないと発狂とかガキかよ
終わりでいいかどうかはお前が決めることじゃないし嫌ならお前が消えればいいだけ
0281人間七七四年2021/08/25(水) 15:29:52.19ID:xU8WNI7i
無視すればいいんじゃねー?(ハナホジ)
0282人間七七四年2021/08/25(水) 15:33:05.91ID:GdDS5q3M
他にも言ってる人いるが、君はこのスレの性格にあってないんだから来なくていいよ、誰も強制すらしてないしつか来られるとこのスレの大多数に迷惑
このスレはこのまま史料と研究を軸に据えて話してくよ、君にそれを勝手に止める権利はない、続けるかどうかはまた都度みんなで考えることだわ
まともな人として扱ってほしいなら分別くらいつけな、大変みっともない
0283人間七七四年2021/08/25(水) 15:39:03.44ID:GdDS5q3M
いくら研究が日進月歩とはいえ毎日十も二十も書くことがあるもんでもなく、本来は一週間に数度書き込みあるレベルでもおかしくはないんだわ、つかこないだそうだったし
そういう所にこういう声だけ大きいバカが来ると、そういうのがぱっと見のさばってるように見えちゃうのよ
0284人間七七四年2021/08/25(水) 18:18:53.37ID:1xjCtUMV
白峰氏は他にも、関ヶ原の布陣がはっきりしないことから寺沢正成は関ヶ原に居なかった、
なんて説を発表してるけど
これも氏の思想が垣間見える。
寺沢正成が戦後頂戴した天草四万石が、関ヶ原で小西行長と大谷吉継を押し潰した功績によるものでないとしたら一体何の恩賞なんだ?
寺沢が毛利・石田の戦争計画を正確に報告したから。こう繋がることになる。
とどのつまりは総て徳川の陰謀だった、というのが白峰氏の主張な訳だが…
0285人間七七四年2021/08/25(水) 18:46:54.00ID:9WXRkP3U
>>284
君も要求された史料は出すべきだし、嘘をつくのもやめた方が良い。
0286人間七七四年2021/08/26(木) 08:53:18.51ID:zLRB1pIb
海外への興味から家康に最初から野心ありと言ってるのは
「関ヶ原への道」出した水野氏だっけ
ただ室町時代だって大内氏みたいに幕府とは別に貿易やっていた家はあったしな
0287人間七七四年2021/08/26(木) 12:43:58.92ID:o610iqEM
>>286
その論は全く成り立たないようにも思えるが、本文読んだら納得できる内容なのかな
0288人間七七四年2021/08/26(木) 12:45:56.08ID:eM/IGjLd
軍目付の位置付けって少し変わって行ったのかな?
今話題に上がった寺沢なんかは慶長の役では中央寄りで指示を中継していたようだけど

文禄の役
石田三成、増田長盛、大谷吉継、長谷川秀一、前野長康、木村重政茲、加藤光泰

慶長の役
太田一吉、毛利重政、竹中隆重、垣見一直、毛利高政、早川長政、熊谷直盛、
0289人間七七四年2021/08/26(木) 17:22:36.64ID:gkLxYnqS
文禄の軍目付は秀吉の命令を待たずに行動出来たけど
慶長の軍目付は秀吉の命令に支配されていたって話はあった気がする
まぁ距離的な問題かもしらんが(文禄では秀吉は名護屋にいて十日くらいで命令が往復出来るけど慶長では二十日くらい掛かる)
0290人間七七四年2021/08/27(金) 07:33:46.02ID:TXnmi8tB
>>284
どちらの妄想の粋だな
0291人間七七四年2021/08/27(金) 08:09:45.02ID:NTWnfMYA
「輝元家臣の内藤隆春が八月十九日付で出した書状は、死を目前にした秀吉が大名たちと最期の別れをした九日の様子を克明に伝えている。(『荻藩閥閲録遺漏』)。
この中で、毛利輝元が秀吉から西国の儀を任せ置かれると言われたとあるらしいけど、本当のことは不明だよな。真実としても、こっそり言われたのか皆の前で言われたのか不明だし。
0292人間七七四年2021/08/27(金) 08:54:35.46ID:mux/UOWq
>>291
下記のようにそれ以前から言われてることだから
秀吉にそういう構想があったってのは間違いないと思うよ

(文禄4年)7月徳川家康・毛利輝元・小早川隆景連署起請文案
「坂東法度置目公事篇、順路憲法之上をもつて、家康可申付候、坂西之儀者、輝元并隆景可申付候事」
東国の法度・置目・公事については、公平・公正を以て家康に申し付ける。西国については輝元と隆景に申し付ける。

(文禄4年)8月3日付児玉元次宛毛利輝元書状
「東ハ家康、西ハ我々へまかせ被置之由候、面目此事候、大慶不可過之候」
東は家康へ、西は我々にお任せくださるとのことだそうだ。面目躍如たることで、大慶これに過ぎるものはない。
0293人間七七四年2021/08/27(金) 09:08:53.60ID:YMxRuYfu
秀吉ってやっぱり本気で大陸に進出して豊臣の本拠地にするつもりだったのかな
日本は徳川と毛利で分割統治させときゃいいくらいの認識だったのか
0294人間七七四年2021/08/27(金) 09:30:51.67ID:NTWnfMYA
とすると、関ヶ原で毛利勢が四国に出兵も多少説明つくのか。
0295人間七七四年2021/08/27(金) 09:50:38.26ID:Wnv/97V/
隆景がいる前提なのかどうかだよなぁ
隆景死後は小早川家を秀秋が家臣も引き継がずにまるまる名字だけ一緒の全く別の家にしてるし、毛利本家とは別に秀元に毛利領から知行差し引いて家を立てさせようとしてるしで
毛利本家から勢力削ごうとしてるようにも見える
0296人間七七四年2021/08/27(金) 12:23:20.50ID:NNgDU/n7
「徳川四天王」、「東三河筆頭」としても有名な酒井忠次の家臣に。
石原ずんと右衛門と言う人がいた。

…ずんと右衛門である。なんだそりゃと思われても、そう記録されているんだから仕方がない。
とにかく石原ずんと右衛門と言う人がいたのだ。

このずんと右衛門、姉川の戦いの時酒井帯の先鋒を指揮し、300の備を酒井本隊の筋違い、
丁度酒井本隊の脇に置いていた。

さて合戦が始まる。織田軍は浅井軍の猛攻に本陣まで攻め寄せられた。
この時ずんと右衛門の部隊が浅井に攻撃を仕掛けた!
実は彼らが最初位置どった場所が丁度、浅井軍の横を付く形になっており、これに
浅井はたまらず攻勢の足が止まった。

この頃徳川軍が、ついに朝倉軍への反撃に成功していたが、守勢に立った朝倉軍は
浅井の足が止まったのを見て撤退を開始、浅井もこれにつられ軍を返し、ここに姉川合戦は
織田徳川連合軍の勝利に終わった。

合戦の後信長は、この酒井隊の働きを激賞し、忠次に従四位下「左衛門督」の官位を与えた。
が、忠次の方は「こっちのほうが言いやすいから」と言う理由で後々まで、本来従五位の官位である
「左衛門尉」と呼ばせていたそうだ。

ずんと右衛門のこの時の働き、人々は長く称えたとのことである。
0297人間七七四年2021/08/27(金) 12:25:07.96ID:NNgDU/n7
上杉憲政の老臣・長尾意玄は北条氏康の勢力が日に日に強大になるのを
憂いて、本間近江と井俣左近を氏康に仕えさせてその内情を視察させた。

やがて平井に戻って来た二人によると、
「氏康の人となりを熟視したところ、沈着剛毅にして測られず、剛にして
柔であり、書を読んだり刀槍の訓練をし、礼節は正しく、威厳があります。

また下賤であっても功を賞し、士を用いる時には老少問わずその器量に
適した用い方をしています。その子弟は嫡子でなくとも皆俸禄を与えて
仕事をさせ、功があればすぐに昇進しています。

そうした理由から配下は畏怖しつつも氏康を愛し、人々は奮い立って
死を致す覚悟です。しかも上杉の将士は皆密かによしみを通じています。
通じていない者はわずかに九人しかおりません」とのことであった。

意玄は二人の報告を引き合いにして憲政の非を諫言した。
これを聞いて憲政はようやくその非を改めた。ところが程なくすると、
菅野信方と上原兵庫の言葉を用いて、また大いに政事を怠るようになった。

――『名将言行録』
0298人間七七四年2021/08/27(金) 12:27:56.95ID:NNgDU/n7
長谷堂城の戦いから、直江兼続軍の撤退の時、最上領谷地の城に下次右衛門(秀久)が残し置かれており、
周辺の仕置を申し付けられていたが、彼は石田三成が滅亡した以上、行く末上杉家頼りなしと思い、
最上に従い、最上衆を庄内に引き入れ切り取らせた。
そうなれば、直江さえ会津に呼び返される程であったので、庄内に置かれた城持ち衆も留守居を
少々残して皆会津に召喚されており、そのためやすやすと、何の手間取ることもなく庄内三郡は
最上義光の手に入った。

この次右衛門は謙信公の下男であったのを、御眼力を以て御取り立てになり、騎馬の列になさて、
その御推察の如く数度武功を顕したことで次第に立身した。この者は隠れなき算術の上手であった。

景勝公の御代に、四人御領分として、勘定奉行の下次右衛門は庄内を、川村彦左衛門は佐渡国、
窪田源右衛門は信州川中島、山田喜右衛門は越後国旗本に有り、その様子、御仕置の作法は
武道の助けとされた。

今度、最上へ直江が出陣した折、谷地、寒川江の領城を乗っ取れたのは、この下次右衛門の分別
宜しき故であった。しかし武道は良しと雖も、元来下臈であるため義理を知らぬため逆心した。
然れば、その原因は直江が谷地城に次右衛門を残し置いた為であり、直江の誤りと見るのが
正道である。

(管窺武鑑)
0299人間七七四年2021/08/27(金) 12:30:21.47ID:NNgDU/n7
「石田三成が上方に於いて逆謀の色を顕せば、諸国より三成と内通していた者達が打って出て、
徳川家康と取合いを始めるだろう。私はそれを聞いて兵を発し、奥羽筋を打って上方と首尾を
あわせるべきか。であれば、仙台の(伊達)政宗(筆者注・この頃は岩出山城)、出羽の最上(義光)、
越後の堀(秀治)、この三人は燐競にて大身であると雖も、三人共にこの景勝の、物の敵とは思われない。
何故ならば、

一に、堀久太郎(秀治)は昨今の若将であり、弓矢の術を知らず、家法正しからずして家中は
二、三に割れ、殊に上方風であり。押し掛けには強いが後道に弱く、領民は堀家の新仕置に飽きはて、
古主である上杉家を慕っている。
また堀家を取り立てた太閤の御厚恩を忘れて家康に従う不義の兵であるから、これを踏み潰すに
手間はいらないだろう。

二に、伊達政宗は久しき家では有るが、その父である輝宗より二代に渡って境争い、坪弓箭をも
賢く取り、政宗一身の覚悟も無類で、能き大将である。
しかし家中は前代の悪風儀に慣れ、我儘を仕る士共は、現代の新仕置を迷惑がり、それを実行しようとすと、
手荒き政宗であるとし、心で疎み身を虚しくして。家中は意志が一致していない。

また大敵であると言っても上杉家と比べれば小身である。七手組の頭が、一両備えで押し向かえば、
政宗が手を出すことは出来ないだろう。
殊に政宗の心の有り様は、弓箭の正道について誠の吟味も入れようとせず、ただその時節に任せて
敵にも成り味方にも成り、自分の家を恙無く相続する事こそ至高であるとの奥意であるから、
我が方に少しでも強みがあると判断すれば、すぐに手のひらを返し当方に頼み従うだろう。

三に、出羽の最上(義光)は数代相続の家であるが、弓箭について然りとするような誉れが無く、
身にかかる火を払うばかりにて、他国遠国へ取り掛かるような武道のこだわりも無く、
家中の者共は事毎に居丈高にばかり仕り、武功誉れの者が有っても、新参譜代筋どちらでも、
小身であれば家老や出頭人の前では頭を挙げさせぬ故に、彼らが十考えている内三、四を言ってすら、
家老や出頭人の威に押され、一言を躓いただけでも善悪の批判を受ける。

そのため言葉少なく手短に計り言おうとして、その理屈が伝わらず、四つ言ったとしてもその内三つは
みな戯言となり、残った一つの理も、相手には生聞こえとなり、それを言った人物が不合点者と
取りなされる。故に以後は控えて物も言わなくなる。或いは、いかほど能き者であっても、口が
不調法であっては面出しも成らぬ。故に下の理が上に達しない。

最上家中では新参であっても大身であれば、譜代を押しのけ上座に在り、我意を振る舞う。
元より古参にて大身であれば、心は鈍くても我儘に口をきく。
執権に於いてこのような国法なのだから、軍法も未練なものであろう。であれば、上杉家に対せば
手に立つような事はない。

三家については以上の通りであり、であれば、石田が上方にて兵を起こせば、私は奥北国を
討ち靡かせるか、でなければこの大身の三家には押さえを置いて、家康の持つ関東へ働き出れば、
常陸の佐竹を始め当方への志の衆、東国にも多いのだから、攻め上がり家康を取り挟んで
一戦を遂げれば勝利を得るだろう。」

(管窺武鑑)
0300人間七七四年2021/08/27(金) 12:31:25.92ID:NNgDU/n7
(慶長四年二月、徳川家康は石田三成等による伏見の家康屋敷襲撃の風聞などにより、伏見城の支城である
向島城へと移ったが)
「向島に御座されるのは如何か、伏見の城を明けるのでお移り然るべし」と、三奉行(長束正家、
増田長盛、前田玄以)が頻りに申してきた。大谷刑部少輔(吉継)が内々の使いとして肝煎と成り、
雅楽頭(酒井忠世)、帯刀(安藤直次)、式部少輔(榊原康政)が表の使いとしてこれに合意し、
四月六日、伏見城にお移りと成った。(創業記に閏三月十三日午の刻伏見の城お移りとあり)

鑓五十本持たせ、御先の小姓、その他の詰衆五十余輩が歩行にて御供をした。御乗物、鑓二本、
長刀一、挟箱二、御跡に三河守殿(結城秀康)が馬に御乗りになり、白き袷袴にて、供の衆二十人ばかり
お連れに成った。御家人については、いつであっても罷り出て御目に掛かるべしとの事で、
この日は上記の人々のみで、他には誰も御供には罷り出なかった。

(慶長年中卜齋記)
0301人間七七四年2021/08/27(金) 12:32:01.96ID:NNgDU/n7
伏見の島津屋敷に於いて、伊集院幸侃(忠棟)を島津中将(忠恒)が茶湯に呼び、そこで成敗した。
(慶長四年三月九日)

俄のことであり家康公も殊の外ご不審遊ばした。伊集院幸侃の息子たち五人は、薩摩に於いて領分に
立て籠もったが、家康公はこの扱い(和解)のため、山口官兵衛(直友)を二度、伊奈図書(昭綱)を
一度薩摩へ遣わした。その時、治部少(石田三成)と争いになった。落着については薩摩の者が
存じている。(伊集院成敗は、根本は治部の計らいであると後に人々言い合った)

家康公は、兵庫頭(島津義弘)に殊の外御懇情であり、彼に借金がある旨を聞かれると、それを
完済するように、その借金七百枚を遣わした。

慶長五年、家康公が会津征伐のため大阪をお立ちになる頃、伏見城松の丸を兵庫頭に御預けになるのでは、
との沙汰があったが、御預けは無く、若狭少将(木下勝俊)殿へお預けに成った。少将殿は
武田万千代(家康息:武田信吉)殿の舅であった。そして伏見の城は難しい沙汰(西軍による攻撃)
出来て、少将殿は松の丸を明けて若狭国へ引き退かれた。

乱後に万千代殿御内がどのように成ったのかは詳しく知らない。

(慶長年中卜齋記)
0302人間七七四年2021/08/27(金) 12:32:30.82ID:NNgDU/n7
文禄四年、関白豊臣秀次にこの頃御謀反の企てが露見したとの事で、七月八日、関白秀次は
聚楽を退出し高野山へ上り、同十五日、腹を御切りになった。

秀次の若君二人(一、二歳の孩児であった)并びに近習、女房の三十余輩、洛中を引き廻され切り捨てられた。

誠は秀次の逆心は虚言であるのだが、行跡が穏便では無かった故に、治部少(石田三成)の讒言によって
かくの如く成ったのだという。

聚楽城、并びに諸侍の家門は伏見に引き移された。

『当代記』
0303人間七七四年2021/08/27(金) 12:33:05.84ID:NNgDU/n7
細川忠興様は豊臣秀次公より別して御懇にされており、どうしたわけか、黄金百枚を拝領していた。
その上秀次の家老である前野但馬守(長康)殿の子息・出雲守(景定)は忠興様の聟であり、
秀次事件が起こると、御縁者故「秀次の一味である」と治部少(石田三成)の申立があり、これに
是非無く思し召され、聚楽の屋敷へは米田助右衛門(是政)殿が遣わされ、伏見での状況次第では、
御上様(正妻)、御子様たちを仕舞(生害)させ、御屋敷へ火を掛け、助右衛門殿は切腹するようにと、
忠興様は命ぜられた。

伏見に於いて、黄金百枚の儀は、「薬院法印(施薬院全宗)の肝煎りで秀吉公(秀次の間違いか)より借用した
ものであって、拝領ではない。」との弁明を、米田助右衛門、徳善院(前田玄以)より、太閤様へ申し上げた所、
太閤様はこのように仰せになった

「先年、明智謀反の時、信長公への御恩を存じ出、明智に一味しなかった。
たとえ今度、秀次と一味したとしても、その時の忠節により赦免しよう。」

この旨を徳善院が仰せ渡すと、忠興様は御安堵なされ、この時も助右衛門殿の一命をとした御奉公であったと、
忠興様より度々そのお話を承った。

(細川忠興軍功記)
0304人間七七四年2021/08/27(金) 12:35:10.81ID:NNgDU/n7
秀吉公御卒去の折、諸大名五奉行は大坂に参会した。この時、伏見で石田(三成)をこのついでに諸将は
殺すべく評議した。これに神君(徳川家康)は、密かに石田を御助けして御落としなされた。寄り合った
諸将は石田を重々憎み、殺したく思いなさった。しかしながら、家康公に従い奉るべしとは思わなかった
のだという。

この時に石田を御囲いなされたことは、本多佐渡(正信)の申し上げ故である。佐渡が申すには、

「只今石田を殺したならば諸将は皆公に背き申しましょう。今は石田を憎んで皆公に組しています。石田
の様子は、この分際でいるような者ではありません。大いに催して打ち出ることでしょう。その時に討ち
果たしなさるべきなのです。これ当理の謀なり」

案の如く石田は関ヶ原で大勢を語らい打ち出た。これ皆佐渡の智謀なり。後々年に至り、公が佐渡の申す
ことに御同心無き時に「何ぞ杉戸の際で申したことを御失念なされましたか」と度々申し上げられたのは
この事である。

黒田甲斐守(長政。原注:如水軒)が申されるには、「あの折に伏見で治部少輔を重々殺したく思った。
しかしながら、家康公に従い奉るとは思わなかった」と後々申されたのだという。(原注:右は如水軒が
光政公へ御直談申したのを(光政が)仰せられたと覚え申すものである)

――『烈公間話』
0305人間七七四年2021/08/27(金) 13:09:20.21ID:Wnv/97V/
>>296
あわてんぼうさん、スレを間違えてらっしゃいますよ
0306人間七七四年2021/08/27(金) 15:13:25.22ID:NNgDU/n7
大家族・青木家は全国に大きな感動を呼びましたが、番組終了後に母親の連れ子である次女の青木あざみさんが、父親の青木信義さんに性的虐待をうけていたと暴露して話題を呼びました。



その衝撃の告白を聞いた多くの人たちは当時は同情の声をあげていました。しかし現在ではその話は嘘だったのではないか?ともいわれています。ブログも特定の人しかみれないようにパスワードが掛かっていて、閲覧することができないので真偽は不明となっています。



今回は青木あざみさんは本当に父親の青木信義さんから性的虐待を受けていたのか?また、現在青木家の他の子供たちはどのような暮らしをしているのかについて詳しくまとめてみました。
0307人間七七四年2021/08/27(金) 15:13:49.60ID:NNgDU/n7
誤爆スレ間違い
0308人間七七四年2021/08/28(土) 13:50:01.34ID:IhLXEr2y
リンゴ
知力20
体力100
調理70
特殊3 嗅覚UP80 重力UP100  空中浮遊100

全体で1位の得体の持ち主。知力がひくいのが弱みだがトータル的に高い戦闘力である。
0309人間七七四年2021/08/28(土) 13:52:57.19ID:IhLXEr2y
セイジ
知力80
体力30
調理50
特殊2 変身200 延伸能力200

知力タイプで特殊能力系。直接のバトルでは足手まといになる傾向がある。
0310人間七七四年2021/08/28(土) 13:56:01.50ID:IhLXEr2y
クミン
知力90
体力70
調理60
特殊2 言語能力100 便利道具2000

最年少ながら特別な訓練を受けているエリート。特殊道具使いで最強クラスと言える存在。
0311人間七七四年2021/08/28(土) 13:59:22.02ID:IhLXEr2y
イチゴ
知力60
体力90
調理80
特殊0

小柄だが運動神経が抜群で調理技術も高い。ただ歴代で職種能力が無いセンターは彼女だけである。
0312人間七七四年2021/08/28(土) 14:03:06.94ID:IhLXEr2y
アオイ
知力90
体力60
調理10
特殊1 発光能力(太陽拳相当)

高身長だが動くが遅く知能は高いサポート系である。
0313人間七七四年2021/08/28(土) 14:04:15.34ID:WfPXgI+H
生田勇人(39)
高知市朝倉中学校卒業
恐喝と暴行、偽証、傷害容疑で逮捕、起訴。
togetter.com/li/1227954
pbs.twimg.com/media/DbUOGw1VQAAqJcx.jpg:large
i.imgur.com/tuUldwv.jpg
www.youtube.com/watch?v=UyNXI8usCrM
取り調べで「事実無根」と容疑を否認。
卓球所に松岡学(39)と出入りし賭け試合を被害者に強要、一回ミスったら1000円払えと発言。
2万円を取ろうとした。親にチクったらただじゃ済まんぞと被害者の胸倉をつかみ壁の隅に叩き付け
1分間つかみ続けた。2000円を脅し取り、後日腹を殴った疑い。
生田勇人の両親も被害者の親にたかっており親子でたかっていた疑惑がある。
0314人間七七四年2021/08/28(土) 14:07:17.48ID:IhLXEr2y
アオイの発光能力は50

ハッサク
知力60
体力50
調理50
特殊1 変身200

戦闘力は低め。変身能力があるのでサポート系で活躍。
0315人間七七四年2021/08/28(土) 14:11:18.91ID:IhLXEr2y
アズキ
知力100
体力70
調理100
特殊2 絨毯物理攻撃1000 トルネード攻撃500

特殊能力以外では最強キャラ。調理の腕は世界屈指のシェフの母親譲り。
0316人間七七四年2021/08/28(土) 14:14:34.67ID:IhLXEr2y
マロン
知力10
体力50
調理10
特殊1 変身1000

ルックス以外は役立たずだが変身能力が群を抜いているのでその点だけでも有能と言える。
0317人間七七四年2021/08/28(土) 14:18:59.51ID:IhLXEr2y
茶太郎
知力100
体力30
調理10
特殊2 鑑定100 変化能力2000

知力が姉(アズキ)と同様高い。特殊能力もクミン同様に高いが料理は姉任せである。
0318人間七七四年2021/08/28(土) 14:52:57.66ID:yk+qHXpP
バカな事言ってるのが大多数から叱られたら今度は連投荒らしか
0319人間七七四年2021/08/28(土) 17:38:54.84ID:7VT3JjZZ
馬鹿だねえ…
0320人間七七四年2021/08/28(土) 17:41:46.90ID:IhLXEr2y
末尾Mはアホさらしたから埋めようとしてるんかw
0321人間七七四年2021/08/28(土) 18:10:17.94ID:IhLXEr2y
>>318
こういうデマ書くようなのが暴れてんだな
0322人間七七四年2021/08/28(土) 19:28:12.49ID:j08mCJGd
埋めているのはお前
0323人間七七四年2021/08/28(土) 19:49:15.60ID:AQ42HwBC
連投荒らしの出てくるタイミングが勘繰りたくなるようなタイミングね
0324人間七七四年2021/08/28(土) 23:28:59.40ID:IhLXEr2y
アユ
知力50
体力30
調理05
特殊2 変身2000 絨毯物理攻撃1000

基本能力はクミン、アズキには劣るが本作最強キャラ。ただし致命的な料理下手。
0325人間七七四年2021/08/28(土) 23:31:37.06ID:IhLXEr2y
コムギ
知力90
体力70
調理90
特殊 噴粉攻撃100 球体攻撃100

基本的スペックが高い。大きなお友達に人気が高い。
0326人間七七四年2021/08/28(土) 23:33:51.11ID:IhLXEr2y
フキノスケ
知力85
体力65
調理20
特殊2 防御100 変顔能力05

エリート学校に入学できる分知力は高いがそれ以外は特殊能力の防御系がある。
0327人間七七四年2021/08/28(土) 23:40:03.60ID:IhLXEr2y
クミン=アユ>アズキ>茶太郎>コムギ>他

アズキと茶太郎は姉弟なので基本的スペックが高く母親がチート級の戦士なので強い
料理能力はアズキとコムギが高く、平均的スペックはアズキ、コムギが高い。
特殊能力でアユが最強キャラといえる。だが、基礎体力を含めたトータル的には時間操作ができるクミンが最強と言える。
0328人間七七四年2021/08/29(日) 17:53:48.44ID:648c/fwz
2021年8月28日の出場選手登録、登録抹消
セントラル・リーグ(追加分)
出場選手登録
阪神タイガース 投手 41 村上 頌樹
広島東洋カープ 投手 39 菊池 保則

出場選手登録抹消
阪神タイガース 投手 36 浜地 真澄
広島東洋カープ 投手 46 高橋 樹也
※9月7日以後でなければ出場選手の再登録はできません。

パシフィック・リーグ(追加分)
出場選手登録
千葉ロッテマリーンズ 投手 17 佐々木 朗希
オリックス・バファローズ 投手 59 C.バルガス

出場選手登録抹消
千葉ロッテマリーンズ 投手 18 二木 康太
オリックス・バファローズ 投手 26 能見 篤史
※9月7日以後でなければ出場選手の再登録はできません。
https://npb.jp/announcement/roster/roster_0828.html
0329人間七七四年2021/08/29(日) 17:54:32.86ID:648c/fwz
ウェイトレス「!?」チラッ俺を見る

俺「ブンブン」必死に首を振る

ウェイトレス「素晴らしく統率の取れた御社、感服致しました。こちらサービスの牛丼大盛り3つですどそコトッ。あ〜あ、人生が二回あったら私も御社みたいな会社に入社したかったなぁ…」


ウェイトレスが常識人で助かったわ…
0330人間七七四年2021/08/29(日) 17:55:03.31ID:648c/fwz
ウェイトレス「!?」チラッ俺を見る

俺「ブンブン」必死に首を振る

ウェイトレス「素晴らしく統率の取れた御社、感服致しました。こちらサービスの牛丼大盛り3つですどそコトッ。あ〜あ、人生が二回あったら私も御社みたいな会社に入社したかったなぁ…」


ウェイトレスが常識人で助かったわ…
0331人間七七四年2021/08/29(日) 17:57:35.28ID:648c/fwz
歴史家の深い闇
天海=明智光秀説
「光秀は生き延びて天海という僧侶になり家康を陰で操っていた」
光秀は明智城出身だが可児市には長山城しかない
恵那にある明知城の城主、遠山景行宗寂は明智光安(光廉)宗寂、三宅長閑斎とも称した
明智光秀が遠山家出身なら前半生が不明なのも当然である
本能寺のあと
妻、煕子の実家、妻木家は交代寄合、のち断絶
光秀の遠山家は明知城は廃城、明知陣屋は代官に任せた
左馬助秀満の三宅家は細川家の家老となり、のちに天草の乱で戦死した
これらの家が衰退していったのは天海が光秀ではないからである
光秀は土岐家と斎藤家の残党を迎え入れており、身内に甘い人物であった
0332人間七七四年2021/08/29(日) 18:01:38.70ID:648c/fwz
医師になるのは、めちゃくちゃ簡単だよ。
どんな馬鹿医大でも国家試験の合格率7割以上はあるし、自治医大以上ならほぼ100%。

弁護士の場合は難関ロースクールを卒業しても、国家試験を通るのは10%程度。

医師になるには金と時間がかかるが、試験自体は簡単。
うちは従兄弟三人医師になったが、英検二級すら落ちるレベルの頭だからね。

医師国家試験の合格率ランキング見てみ。
一番低い帝京大学ですら、79.4%。

奈良県立大以上の偏差値の25校は95.0%超え。

これのどこが難関試験なの?
医学部に学費を支払える財力のハードルが高いだけで、医師にはバカでもなれる。

弁護士、司法書士、会計士、英検1級あたりは、バカには絶対に無理。

まとめると
医師国家試験→バカでも受かる。しかし、医学部6年間で1,000万以上かかる学費のハードルが高い。
司法試験→ロースクール卒業しても、合格できるのはごく一部。非常に難関な試験。
司法書士→ロースクールに行かなくても受験できるが、難易度は司法試験並み。
英検1級→英語がずば抜けて優秀でないと合格できない。英語の偏差値100必要。(実際にはそんな偏差値はないが)
会計士→おそらく、最難関試験か。会計大学院修了者の合格率は7.6%しかない。
不動産鑑定士→鑑定理論が地獄。単体の科目としては最難関の一つ。経済学などは公務員試験より簡単か。
0333人間七七四年2021/08/29(日) 18:51:04.14ID:v51RUMyo
これ、完全に逆恨みの荒らしだよな?
人格攻撃云々言ってたけど、コイツが一番クソだせー奴だったと(笑
0334人間七七四年2021/08/29(日) 19:28:43.89ID:DfwESP7d
こういう荒らしは何かしら精神病んでるのかねぇ
哀れさすら覚える
0335人間七七四年2021/08/29(日) 22:42:19.36ID:JO3m+4IF
信忠スレにもやたら小説調の駄文連投するやつがいたけど
同一人物かねえ?

あっちは進行止まってるようだから、そっち行って盛り上げてこいよなあ
0336人間七七四年2021/08/29(日) 22:45:25.20ID:0AQZ0SU3
この板アレが発狂した時しか1日に何十レスもつかないよね
0337人間七七四年2021/08/30(月) 12:14:48.24ID:xmwkf9GF
0338人間七七四年2021/08/30(月) 12:15:42.01ID:xmwkf9GF
当時の状況を少しでも調べてから発言しないと馬鹿だと思われるぞ
0339人間七七四年2021/08/30(月) 12:17:59.02ID:xmwkf9GF
つうか秀次の力を恐れる意味もないんだけどな。
だって秀次政権前提で進んでたし、有力大名も秀次に世話してもらってるし割と秀次政権は安泰だっただろう。伊達も本心は秀次派だろ?
最上も秀次派だし、東北安定してりゃ家康だって動けんだろ
0340人間七七四年2021/08/30(月) 12:18:48.16ID:+oslY4EB
そもそも家康だって秀次派だ
豊臣一門衆筆頭だからな
0341人間七七四年2021/08/30(月) 12:18:59.14ID:xmwkf9GF
晩年の秀吉は自分と自分のコピーの秀頼がかわいいだけの老人にすぎない
彼にとっては秀次どころか豊臣政権自体、秀頼の生存のためにはどーでもよくなっている
武家としての教育を受けていないってこういうことなんだろうな
0342人間七七四年2021/08/30(月) 12:19:26.15ID:xmwkf9GF
秀吉の頭の中だと
「家康が天下を取るには秀頼の権威が必要になる。だから最悪でも秀頼を殺すことは無い」
「しかし秀次が天下を取ろうと思えば日々成長していく秀頼が邪魔になる。おそらく秀頼は成人する前に病死ないし事故死させられるだろう」
以上から秀吉主観では秀次は絶対に生かしてはおけない存在で、家康はかまわないということになる
0343人間七七四年2021/08/30(月) 12:22:17.23ID:xmwkf9GF
本来の関白職は持ちまわり制だから後継者への移譲そのものが異例
だから従来の関白職と同一視することはできん。豊臣の関白は武家関白で世襲アピールの
ために移譲したのだから、できない理由はないでしょ、すでに異例な事やってるし
だから秀吉は秀頼を関白にすることはしなかったが、これを「できなかった」とする主張には賛同しかねる

鎌倉幕府を見る限り、将軍空位の時期も結構あるが、これは征夷大将軍よりも鎌倉殿という私的地位
が重要でこれで政権保たせていたから、諸大名に豊臣姓を与え、自らはその長者とする事で、そし
て諸大名が臣下の礼を取り、誓詞を交わしていただけで十分担保されると考えたのだろ
0344人間七七四年2021/08/30(月) 12:22:38.78ID:xmwkf9GF
名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/10/21(日) 00:52:43.02 ID:ZazY9GE8
秀吉の決定は秀頼成人まで関白は置かぬという話だったと記憶する
関ケ原以降に増長した家康によって公家衆に返還されたので武家関白制は
あいまいになったが、一方で家康も関白にはなり難いものになった
その上、豊臣家が本質的には摂関家の一つである事には変わらないまま
家康は将軍職を選ぶことになるが、家格は江戸時代を通して豊臣家を超える事は不可能となった
0345人間七七四年2021/08/30(月) 13:45:48.29ID:C/fGOt/n
秀次死後すぐ秀頼を関白にしておけばよかったのに
0346人間七七四年2021/08/30(月) 13:54:30.21ID:T9i7JEkx
関白職は幼少だとなれんぞ
建前でも成人した天皇の補佐役なんだから
0347人間七七四年2021/08/30(月) 13:58:25.94ID:T9i7JEkx
別に秀吉は家康を特別他大名と比べて警戒してもいないしなんなら政権の重鎮として重用してる
秀吉没後の揉め事は奉行らや毛利の蠢動のが大きいかな
0348人間七七四年2021/08/30(月) 14:01:42.94ID:dV/l8qPj
将軍だったら満4歳でもなれたのにな
0349人間七七四年2021/08/30(月) 14:33:54.24ID:BWk1lJMz
>>346
そんなもん秀吉が金と恫喝でもって脅せばどうにでもなる
0350人間七七四年2021/08/30(月) 15:02:03.66ID:xmwkf9GF
家格なんてのは氏も素性もない秀吉が朝廷官位の権威を借りて
諸侯を従わせるために無理矢理武家に当てはめたもので豊臣家の勢威が衰えれば大した意味は持たないし
家康は公家官位に土足で踏み込んで公家衆にも迷惑かけた武家関白なぞには興味がなく
正当な武家政権の復活を企図したんだろう
征夷大将軍になれば歴史の浅い武家関白制などより遥かに実績も伝統もある将軍の秩序で諸侯を統制できるし
将軍の権威などはしっかり実力をもって政権運営していけばいくらでも回復させられる

家康が関白を五摂家に返したのは興味がなかったのと、もともと秀吉1代限りで次は近衛に
譲ると約束したのを反故にしていたんだからその約束を履行しただけだろ
すぐにではないが秀吉に騙された近衛は後でちゃんと関白になってる
0351人間七七四年2021/08/30(月) 15:02:30.32ID:xmwkf9GF
徳川の将軍就任早いのを上げるとこんな感じだけどな
4代:11歳
7代:3歳
11代:15歳
14代:13歳
0352人間七七四年2021/08/30(月) 15:15:29.25ID:xmwkf9GF
「秀頼をお頼み申す」についてなら家康は十分に秀吉との約束は守ってるでしょう。
本気で殺す気だったのなら10年も待たないし、国替えか浪人を追い出せば許すとかわざわざ勧告出す必要も無いんだ。
加藤清正が必死こいて作った延命の機会を無駄にした秀頼自身が愚か者だったとしか言い様がない。
0353人間七七四年2021/08/30(月) 17:16:55.58ID:dV/l8qPj
>>351
7代は満4歳数え5歳じゃろ?
0354人間七七四年2021/08/30(月) 17:17:21.38ID:2za0ZfxW
秀吉は織田家を屈服させて家臣団に編成できたのに家康は出来なかったんだな
0355人間七七四年2021/08/30(月) 17:22:42.33ID:dV/l8qPj
秀吉も信長が指定した後継者が若年とはいえ生きてたら屈服無理ゲーだったんじゃないすか
0356人間七七四年2021/08/30(月) 17:30:50.65ID:Z6jlgDlt
関白でもなく将軍でもないので
関ケ原後の秀頼と同じようになる
0357人間七七四年2021/08/30(月) 17:35:00.19ID:2za0ZfxW
信忠や秀次がいたら秀吉も家康も主家の家老として一生を終えてたよ
武家の棟梁は戦争に勝てること、子分の領土を保証すること、働いた子分に新たな領土を与えることが仕事だから
信長や秀吉が死んだ時点ではそれを行える実力者が求められていたということ
0358人間七七四年2021/08/30(月) 17:50:37.21ID:bA9qwIth
>>349
ならなかったんだよなぁ。
伝統と先例主義の朝廷からしたら豊臣が関白になることすら虫唾が走るってやつだった訳だし。
だから関白職に関する先例は秀吉にもどうしようも出来なかった。
いっそ関白は捨てて別の職を目指せば良かったんだが…
0359人間七七四年2021/08/30(月) 18:12:39.22ID:s1Sgf2Mm
早々に後継者を固定して将軍位を世襲させて実力主義を終わらせた家康はさすがよくわかってた
信長も家康も身内の統制に苦労したからね。秀吉が出来なかった経験だ
0360人間七七四年2021/08/30(月) 22:02:32.43ID:aCGm28J8
>>359
『六韜』を引いて「秀忠がウツケだったらさっさと潰して取って代わって良いぞ」と遺言したそうだが。
0361人間七七四年2021/08/30(月) 22:11:36.89ID:lRtLrUjJ
そういうエピソードは間違いなく創作と思った方がよろしいぞ
少なくとも出典追う癖はつけた方がよろしいかと
0362人間七七四年2021/08/30(月) 22:31:39.31ID:aCGm28J8
>>361
出典がアレなのは百も承知。
しかし「武野燭談」が成立した時代を考慮すると、妙な話だが却って真実性が感じられる。
江戸幕府の盛期、「将軍は別に徳川じゃなくても良いからよー」なんて台詞を臣下が勝手に捏造できるもんじゃないだろう。
根拠も無しにそんなことを書いたら確実に首と胴との泣き別れ、だ。
少なくともコアになる台詞を狸が吐いた、或いは吐いたと信じられていたと見るべきだろう。

江戸幕府永続の真髄は世襲制に在るわけじゃない。
将軍がどんな餓鬼でも馬鹿でも権力体として揺るがない、徹底した属人性の排除にこそ在る。
0363人間七七四年2021/08/30(月) 23:27:59.32ID:lRtLrUjJ
いや思わないしお前が根拠なしにそう思ったのをこっちに押し付けてくるな
0364人間七七四年2021/08/30(月) 23:33:28.76ID:lRtLrUjJ
史料の信憑性も考えずにそれっぽいこと言ったに違いないとかマジでふざけたこと言わないでほしい
別に徳川は毎年ご家庭一軒一軒訪問して焚書してる訳でもない、1700年辺りに成立したものからふざけた断定をするならまず史料の信憑性がどう断定されてるのか位は学んでほしい
0365人間七七四年2021/08/30(月) 23:56:31.42ID:VqTugORo
清華成の上格として中納言以上は大名を強制引退させて、定府勤務で内閣的な仕事に付くシステムにしてたらどうだろうか?
豊臣政権の権力なら徳川も秀康と秀忠と四天王ぐらいに独立分割出来そうだし
島津も義久(薩摩10万石)、義弘(大隅日向10万石)、以久(種子島1万石)、忠棟(庄内8万石)、/58万石、給人分26万石+蔵入地他と分解一歩前、、、()内は直轄地
0366人間七七四年2021/08/30(月) 23:57:13.77ID:VqTugORo
秀長も人格者みたいに言われているけど、ならかしとか言う強制高利貸しをやっていて
金に対して執着してたみたいだしな
同じくブレーンだった利休も金には汚かったみたいだけど、こっちは元々商人だしな
0367人間七七四年2021/08/30(月) 23:58:00.38ID:VqTugORo
『豊臣家が天下の主導権を握っている状態での、豊臣政権の存続』という意味でなら
一番可能性が高い選択ではあると思うね、秀次生存は
史実の様に譜代はいないわ、一門は壊滅だわ、子飼いは深刻レベルの対立抱えてるわ、
地方大大名の制御が死ぬほど面倒だわの状況で、政権の権威の象徴たる役職にすら
就任出来てない幼児が政権のトップに立つよりは余程ましだろう
ぶっちゃけ秀吉個人の感傷や思惑を抜きにすれば、秀次が有害レベルの当主でも
秀頼就任よりずっといいと言いきっていいレベルですらあるよ
0368人間七七四年2021/08/30(月) 23:58:20.30ID:VqTugORo
そもそも秀次後継パターンの場合、史実の奉行衆がその立場にいる事が
出来るのかどうか、少々怪しい(大老奉行制度自体がない可能性もある)
秀次は自身の家臣団を持っているから、秀吉死後は当然そいつらが政権中枢に入る
そこに秀吉側近の居場所があるかな、少なくとも肩身は狭くなりそう
秀頼の場合、本人が幼少過ぎて自前の子飼いを持てなかったから
秀吉側近がそのままスライドしただけだし(だから三成らが秀次を讒言説がある)
0369人間七七四年2021/08/30(月) 23:58:46.68ID:VqTugORo
秀次が素直に譲らなかった場合、秀頼は義祖父の家康を頼るだろう。
10年で政権中枢は秀次家臣団に移ってるだろうけど、
秀次家臣団で家康に対抗できるか。
史実では徳川派の最上とか伊達とかは秀次派だろう。
政権中枢から排除されてるだろう、秀吉時代の奉行衆はどう動くか。
0370人間七七四年2021/08/30(月) 23:59:20.73ID:VqTugORo
史料の信憑性も考えずにそれっぽいこと言ったに違いないとかマジでふざけたこと言わないでほしい
別に徳川は毎年ご家庭一軒一軒訪問して焚書してる訳でもない、1700年辺りに成立したものからふざけた断定をするならまず史料の信憑性がどう断定されてるのか位は学んでほしい
0371人間七七四年2021/08/30(月) 23:59:37.57ID:VqTugORo
信忠や秀次がいたら秀吉も家康も主家の家老として一生を終えてたよ
武家の棟梁は戦争に勝てること、子分の領土を保証すること、働いた子分に新たな領土を与えることが仕事だから
信長や秀吉が死んだ時点ではそれを行える実力者が求められていたということ
0372人間七七四年2021/08/31(火) 00:19:02.11ID:Wir0H4pa
オウム返し荒らしかぁ
自分が鳥頭なんですとでも言いたいのかな
0373人間七七四年2021/08/31(火) 00:21:38.01ID:KsCi9xrM
>>364
それが正に近視眼的思考停止。
二次以下の史料は信憑性が低い、で考えるのを止めるべきではない。

いつ、誰の手で、如何にして成立したかを掘り下げなければ見えるものも見えない。
成立期の自然/社会/産業/政治/軍事等の状況はどうだったのか、
筆者はどんな立場の人間で記述内容に対してどんな利害を有するのか、
筆者の自発意志で書かれたのかそれとも他者の指示によるものか、
等々考えるべきことを考えれば採るべき記事と捨てるべき記事は自ずと見えてくる。

考察するというのはそういうことだ。
0374人間七七四年2021/08/31(火) 00:25:00.23ID:wcXfCPBb
掘り下げとしてもド甘いにもほどがあるって言ってんのがわからんのか
お前の好みの話引っ張ってくるためだけに屁理屈くっつけただけじゃん
少なくとも史料比定の様子学んでたらあんな雑な方法でそれっぽい事言ったに違いないとか言えないわ
少しは反省くらいしろよ、お前割と前からずっと同じ事で他の人からも叱られてるのにまだ自覚がないのか
0375人間七七四年2021/08/31(火) 00:48:03.99ID:KsCi9xrM
>>374
人違いだよ。
誰と混同しているのか知らないが、覚えの無いことでキャンキャン吠えつかれても迷惑なだけだ。

それはそれとして、
少なくとも「文字になっていることの解釈」から一歩も出ようとしない貴公よりは物事を相対化して眺める術は身に付けている。
いつぞやの繰り返しになるが、物事は全て因果律の一断面だ。
史料であれば史料それ自体の信憑性がどうあろうとも因果関係を追うことで多くのことが分かる。
所謂文系脳と云うのか、貴公は「論理を積み重ねること」を忌避しているようにしか見えない。
0376人間七七四年2021/08/31(火) 01:19:28.16ID:wcXfCPBb
因果関係が必ずしも君の思ってるように繋がってるわけでもない
それこそ、何故か別のやつがふざけたこと言ってるのに対して注意してるのに割り込みましたとも言わずに反論してきて人違いだと言い張るようなのもいるくらいだ
自分なら因果関係を正しく見れるという思い上がりこそ、最も研究にあってはいけない思考だろ
逆説の日本史なりが史学者になぜ批判されたのかくらい、学んできたらどうだ
0377人間七七四年2021/08/31(火) 01:37:54.35ID:KsCi9xrM
>>376
因果律に関する俺の見方については各自の立場から批判があって然るべきだが、
少なくとも因果律の考察を放棄した貴公よりは上等であると考えている。
0378人間七七四年2021/08/31(火) 01:48:01.18ID:wcXfCPBb
実証から離れた論理はそれっぽいだけで、正しいだろうと比定できる根拠はなにもない、納得優先の独りよがりのものでしかない
史料の信憑性がありきで考えるべきで因果律だどうこう言い出すのははっきり言って陰謀論者と大差ない、井沢元彦あたりとどっこいだよ
どんだけ注意した所で浮かれた頭には入らないだろうが、お前は学んだ気になってるだけでその実何も学べてないまま天狗になってるだけだから、人にその寝ぼけた話押し付ける前にちゃんとなぜ史料の信憑性がここまで重視されてるのか、客観性と実証ってどういうことなのかから学び直してこい
0379人間七七四年2021/08/31(火) 02:00:52.41ID:KsCi9xrM
>>378
何度も云うが、史料の記事は無限に連続する因果律のほんの一断面の、そのまた細片に過ぎない。
その間を繋ぐものは論理しかない。
論理なくしては如何なる考察もあり得ない。

なに、論理と云っても大したことはない。
「必然」と「必然に近い蓋然」を積み重ねていけば良い。
但し。
基礎理論や思考の約束を身に付けていない貴公のような御仁には困難なことだろうが。
0380人間七七四年2021/08/31(火) 02:07:19.02ID:wcXfCPBb
お前がなんと言おうと、お前の論理というのは実証がなされていない妄想というものでしかない
因果関係がどうこういうならまず第一に理解しておかなければならない点をお前は学ばないまま喋っても片腹痛いだけだよ
お前にわかる気がないならそもそもこちらに喋りかけてくるな
0381人間七七四年2021/08/31(火) 02:19:19.41ID:wcXfCPBb
御大層な因果律の御高説の結果が
1700年辺りの記述でそれ以前の遡りの厳しい史料を
幕臣がこんな事言ったら首切られるはずなのに書いたから真実味がある
なんだから、どんだけ当人ののたまう因果関係とか言うものが贔屓の引き倒しで主観に偏ってて信憑性がないのかよくわかりますね
0382人間七七四年2021/08/31(火) 02:34:30.42ID:KsCi9xrM
>>380
軽薄な言葉遣いをしない方が良い。
先程から盛んに「実証」なる単語を振り回しているようだが、その定義は何か。
工学畠を歩く者から云わせて頂くと、実証とは現物、現実、或いは再現試験データによる証明行為のみを意味する。
貴公は史料の記事を何を以て「実証」すると云うのか。
貴公の主張は例えば考古学成果物や遺構や遺物によって「実証」されているのか。
貴公が語っているのは書面上の文字の「解釈」だけだろう。

歴史は決して再現できない。
厳密な意味に於いては実証もできない。
それでもそれを考察していこうとするならば論理を重ねていくしかないし、
その論理は普遍(=不変)の基礎理論や物理法則に従うものでありさえすれば足りる。
0383人間七七四年2021/08/31(火) 02:52:47.31ID:wcXfCPBb
論理を本当に正しく使ってるなら上みたいな穴だらけの主張はしない、論理って言葉を主観の屁理屈の言い換えに使うなよ、虫酸が走るわ
堅苦しい言葉を使ってるだけでその本質をろくに理解もしないでいるだけの人間にはわからんだろうね、賢い言葉いっぱいつかえて偉いですねと褒められたいだけなら母親にでもやっときなさい、お前のその史料研究ろくに学ばないで唾吐くような態度にこちらはよほど腹立ってんだから
さっきも言ったが、理解する気が毛頭ないのに喋りかけてくるなよ、さらさらわかる気がないのにご自分の妄想は通せとわめき倒すわがままが通ると思うなよ
0384人間七七四年2021/08/31(火) 10:27:29.32ID:xniXoF5Q
ノルマさえこなせば裏で何してても知らない、というか確認できる余裕もシステムもない
っていう状態なのよね、秀吉存命時でも
そりゃまぁバレなきゃええやろの精神にもなろうよ
大坂城でも盗みやらが多発してたりと、秀吉政権は秀吉が直接見れない範囲はかなり風紀が乱れてる
0385人間七七四年2021/08/31(火) 10:27:55.22ID:xniXoF5Q
秀次が素直に譲らなかった場合、秀頼は義祖父の家康を頼るだろう。
10年で政権中枢は秀次家臣団に移ってるだろうけど、
秀次家臣団で家康に対抗できるか。
史実では徳川派の最上とか伊達とかは秀次派だろう。
政権中枢から排除されてるだろう、秀吉時代の奉行衆はどう動くか。
0386人間七七四年2021/08/31(火) 10:28:59.66ID:xniXoF5Q
三好長慶が将軍を追放して数年とは言え天下を維持した時から天下人は血筋じゃなくて実効的な力を持った者が務めることになっていたから

秀吉も長慶信長が踏んだ段階を踏襲して天下人になった。当然その後もまた別の実力者が天下人になることは想定していたのでは

むしろ徳川がその流れを止めてまた天下人を世襲することに成功した要因を考えた方がなぜ豊臣政権が終わったのかが分かるかも
0387人間七七四年2021/08/31(火) 10:29:41.17ID:xniXoF5Q
三好長慶も信長も当然自分の権力勢力の継承を目指していて、
そのための安宅冬康粛清だったり、佐久間信盛らの追放だったりするのだろうが、
結局その死後、家臣団の分裂によりその政権は崩壊した。
秀吉も秀次を排除したのは後継者を秀頼に一本化して豊臣家の分裂を回避するのが、
やはり意図としては大きかったと思うが、それでもなお家臣団は分裂した。

家康の場合は、既に元服し政務にも深く参画していた嫡子としての秀忠がいた事と、
家康の生前に既に秀忠の次の家光まで継承者として決定していたことが、政権の安定と
継続にとって大きかったのだと思う。
0388人間七七四年2021/08/31(火) 10:30:49.03ID:xniXoF5Q
徳川の成功要因は権力体(共同幻想)の意志決定に於ける徹底した属人性の排除にある。
世襲将軍と雖も共同幻想を構成する一装置に過ぎないというシステムを初期のうちに強固に組み上げてしまった。
その一方、徳川家康は死に臨んで世襲の自明性を否定する訓戒を秀忠及び側近に遺したとも伝える。

ここから貴論に従って考えを遡らせるならば
羽柴「豊臣」権力体短期終焉の根本原因が属人性の排除を成し得なかったことにあるのは論を俟たない。
で、権力体がその方向へ走るに至った決定的或いは象徴的な事案は何かということを考えあぐねている。

羽柴秀吉という個人が一装置を超えるカリスマを身に纏わざるを得なくなった契機ということなのだが…、
結局は「大返し〜山崎の戦に至る経緯の非常識性」、
謂わば羽柴権力成立そのものが短期崩壊の原因であるというパラドクスに行き着いてしまう。
0389人間七七四年2021/08/31(火) 10:32:53.32ID:xniXoF5Q
日本には明・朝鮮人が居てそいつらが秀吉の死を本国に報告する可能性が高く
、また朝鮮には明軍数十万が集結して日本軍を踏み潰そうとしているという情報もあった。
この中で家康筆頭の政府は「日本が敗走したという形にならないように撤退」するよう指示。
その結果島津が海戦で李将軍を粉砕した。
更に島津が交渉担当になって終戦交渉が始まる。
朝鮮には外交官姜より「日本の主導者は秀吉とは関係ない源家康になった」報告が入り
交渉は始まったけどうまくいかない。
その内、明・朝鮮が対馬を攻撃するとの噂が流れたりするも、
日本も「家康が都合の悪い前田利長・上杉景勝を朝鮮に出兵させる」と情報戦を展開する等ごたつく。
最終的にはなんとか収まった
0390人間七七四年2021/08/31(火) 10:34:09.96ID:xniXoF5Q
明の滅亡の淵源は所謂「北虜南倭」による疲弊にあるとも云われている。
大清グルンの勃興は正に北虜そのものだし、
豊臣権力の朝鮮侵攻は亜細亜史的には「倭寇的状況」と呼称される運動の文脈で捉えられている。
明の権力中枢の主観は措くとしても、最後までこの二つの要素に祟られたことは客観的に否めない。
しかもこれらの外寇自体もまた各々の本国における飢餓貧困に起因する。
中世に於ける地球寒冷化の影響の深さ広さはまことに測り知れない。
0391人間七七四年2021/08/31(火) 18:39:21.26ID:gNbzHlD4
>>360
それむしろ恫喝やん
0392人間七七四年2021/08/31(火) 21:02:13.47ID:TJ2xm+hi
>>385
秀次が生きてれば、秀頼の義父は秀次だぞ。
家康は秀吉の義弟だから、義理の叔父だな。
0393人間七七四年2021/08/31(火) 21:58:34.12ID:Ktficwut
そこの連投荒らしは昔書かれた他人の書き込み上げてるだけのクズだから、触らない方がいいよ
0394人間七七四年2021/09/01(水) 23:04:26.46ID:I+oZookQ
秀吉はどうすれば徳川の台頭を抑えられたのか?
ttps://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1592562643/
このスレの住人ときたら、「太閤殿下の遺した体制は完璧、ただ家康一人だけが性悪だったから
豊臣の天下が奪われた」という至極簡単な事実も認められない神君史観論者ばかりです
あんな低レベルなスレも関が原スレのように潰していただけないでしょうか?
0395人間七七四年2021/09/01(水) 23:07:55.75ID:I+oZookQ
俺が史料を解釈するに
毛利輝元を中心とした反家康勢力が家康の上杉討伐を好機だと勇足してしまったら
上杉討伐で東国勢が家康方として靡いてるのをみて戦況の不利を悟ったがひっこみがつかず
空気読めない石田三成らが岐阜周辺で徹底抗戦して壊滅したのをいいことに
責任をなすりつけただけとしか思えないのだが

毛利家の安国寺恵瓊などもお家を守るためにスケープゴートにされたんだろうねえ
織田秀信は周囲よ甘言にのせられてお花畑すぎるし長宗我部盛親はボヤボヤしすぎや

それ考えると西国に位置しながら断固として東軍につく腹積もりをしてた小早川秀秋の果断さが光ってくる
0396人間七七四年2021/09/01(水) 23:55:32.96ID:MfnpAU2R
こないだからよく荒らしが来るが、狂人は狂人を呼ぶんだなぁ
0397人間七七四年2021/09/01(水) 23:56:49.15ID:O9P4wbgC
>>394 >>395
表層の政治・軍事動向だけ切り出して突っついて何かが解るという軽薄な価値観はゲーム脳マンガ脳ラノベ脳の証。
0398人間七七四年2021/09/02(木) 10:04:51.54ID:Xa/BcFa8
目障りな存在だったんだろうな
逆に言えば滅んだからこそ、三成びいきが増えただけだろ
0399人間七七四年2021/09/02(木) 10:06:18.25ID:Xa/BcFa8
>>396
その代表が君なのか?
0400人間七七四年2021/09/02(木) 10:48:02.13ID:O5EWF//E
>>292
この輝元とともに隆景が名を連ねたり、我々という記述的にも
西国惣無事はあくまで隆景もいる前提な方が自然な気がするね
文禄3年に養子縁組した秀秋が、その後すぐ当主になって更に小早川家臣団を解体しきってほぼ完全に違う家状態にまで持っていくけど、ここに秀吉の意向はどこまであったのかとかってわかりますか?
0401人間七七四年2021/09/02(木) 20:20:15.43ID:MI/wLa4B
弾正忠家は分家で信秀の代で頭角を表したけど確かに織田本家というか岩倉織田氏は由緒あるね
例えば山内盛豊は岩倉織田の家老だけど貴になるのかな?
現在の感覚だと身分が高いと思ってしまうが多分昔の感覚と違うのだろう
当時の貴の人たちから見れば兄弟姉妹が読み書きできる階級でも秀吉は下賤からの成り上がりなんだろう
秀吉や秀長がはっきりと出自を記さなかったのは何故なのか
0402人間七七四年2021/09/02(木) 20:47:16.78ID:O5EWF//E
秀吉当人は自身を天皇のご落胤って言ってますよね
0403人間七七四年2021/09/02(木) 23:00:26.01ID:MI/wLa4B
織田家臣時代『出自がなんぼのもんじゃ、この世は実力主義だぜ』
天下人時代『やはり出自が良くなければ人は言うことを聞いてくれぬ。天皇の落胤だと出自を捏造するぜ』
0404人間七七四年2021/09/06(月) 09:28:11.56ID:2hT7+FvQ
>>392
千姫のことを言ってんじゃないの?
0405人間七七四年2021/09/06(月) 09:46:46.46ID:ApjljUp/
生後2ヶ月で秀次の娘と婚約してるんじゃなかった?
0406人間七七四年2021/09/06(月) 15:37:58.82ID:kHuGcxYw
>>395
斬新な意見だな
0407人間七七四年2021/09/06(月) 19:23:21.96ID:xb9qtmXo
>>404
秀次が生きてたら、秀次娘が正室に決まってるから、千姫を嫁にもらうとしたら側室になる。
絶対ない、とは言わないけど、そうなったら外戚争いが始まるな
0408人間七七四年2021/09/07(火) 14:57:05.60ID:R6dhtuCh
Yahooニュースに渡邊大門という方が、『関ヶ原の戦いで西軍から東軍に寝返った武将4選』という記事出してるけど、寝返ったという表現には違和感があるよな‥別に西軍首脳と最初から君臣の仲というわけでもないのに。
0409人間七七四年2021/09/07(火) 15:08:01.51ID:GlnZTgpI
渡邊大門氏は割とこう、腰が軽いというかそういう書き方をよくする人だからまぁいつものだなーと
0410人間七七四年2021/09/07(火) 15:55:51.63ID:NqRW+nQb
大門氏毎日記事書いてるよな。
よく続くもんだが、流石に書き殴りみたいな記事もある。
0411人間七七四年2021/09/07(火) 16:13:50.99ID:1mHtX8kM
あの筆の速さはすごいよね
0412人間七七四年2021/09/07(火) 20:07:55.57ID:J3KZ8mZG
まぁ確かに、そもそも味方じゃなくて言ってみれば「表返っただけ」な連中ばっかりな訳だけど
それでも西軍と行動を共にしてた以上、タイトルとしては寝返ったと付けるのが自然というか簡潔だし
0413人間七七四年2021/09/08(水) 11:05:27.67ID:vKTN1sym
大門氏は常日頃から金欠を訴えていて生活保護を受けているようなことを言っているが
印税や公演費ってそんなにないのかな?
0414人間七七四年2021/09/08(水) 11:39:52.07ID:Lr7gTSQ6
研究書は高いからなあ
0415人間七七四年2021/09/08(水) 12:05:29.69ID:TqxEXlId
石田三成の長男をを許したり、秀頼の娘を助けた徳川家康は
秀次一族を根絶やしにした秀吉に比べるとかなり甘ちょろい男だな。
0416人間七七四年2021/09/08(水) 12:26:00.94ID:e41k/vdo
>>415
その生き残りが徳川幕府を
滅ぼすとは知らずになw
0417人間七七四年2021/09/08(水) 12:53:46.54ID:wqWZARCI
何度も言うけど260年も政権維持できたんだから
わずか10年程度で終わった豊臣政権にくらべりゃ大成功だよ
負け惜しみはやめときなって
0418人間七七四年2021/09/08(水) 13:02:41.25ID:5kmNaxlZ
その論法でいけるなら
アメリカに開国されられた日本がアメリカに潰されたとか
まあ言いたい放題よ
0419人間七七四年2021/09/08(水) 13:10:17.58ID:ZTCTCVer
負け惜しみというか、普通に見方として偏っててよろしくないって感じ
逆説でものを見るとか後から見た視点で語るは一番やっちゃいけないことかな
0420人間七七四年2021/09/08(水) 18:22:56.47ID:+4Ow1Dsy
徳川幕府が長く続いたのは家康だけのおかげでもないから
そこを過剰には推さないでほしいな
秀忠以降の将軍や老中たちの奮進あってこそ
0421人間七七四年2021/09/08(水) 18:45:15.16ID:SFXWsQsG
徳川幕府が長く続くような基盤を作ったのは間違いなく家康
あと家臣団が優秀だったから
0422人間七七四年2021/09/08(水) 18:46:26.89ID:5kmNaxlZ
状況が良かったのはたしかよね
成人した手堅い二代目がいて、しかも信康ほど年嵩ではない
そこにしっかり教育された家老たちが固める

まあ二代目はともかく家老たちを育成したのは家康か
0423人間七七四年2021/09/09(木) 04:52:44.23ID:29w7IpX9
>>405
文禄3年(1594年)、秀次の正室の若政所が、秀次の娘である八百姫
(豊臣秀頼の許嫁だったとされる)の平癒祈祷のため、書状を送った
記録が残っている。なお、両名とも秀次事件で刑死している。
0424人間七七四年2021/09/09(木) 04:54:52.40ID:29w7IpX9
>>416
これに関しては、池田輝政を始末し損ねた秀吉も同様。
池田輝政は姫路城に封じられ(当然わざと)、大坂の陣直前に
死ぬまで秀頼と敵対している。
0425人間七七四年2021/09/09(木) 07:06:48.74ID:m7hJlREX
>>422
なお二代目は実母に洗脳教育された模様
0426人間七七四年2021/09/09(木) 08:16:19.08ID:trBtoIZj
家綱までの一門と家臣団の充実ぶりは日本史上でもちょっと壮観じゃないの
ただそんな徳川幕府でも完全に安定するまでに4〜5代かかってることからも
大事な創業期に家も家臣もすっからかんにして秀頼1人にした秀吉の行為がいかに自殺行為だったかわかるし
秀吉個人の権勢に従っていたに過ぎない外様大名の相互牽制で秀頼成人までもたせられるなんて発想がいかにお花畑かわかる
0427人間七七四年2021/09/09(木) 10:47:26.02ID:Y/9McohO
いまだに池田がわざと姫路に封じられて豊臣本家と対立してたとか言ってるのがいるのか
0428人間七七四年2021/09/09(木) 16:47:48.81ID:bT+uMV6d
>>426
秀頼への継承について晩年の秀吉は試行錯誤を続けているうちに時間切れになっただけで万全だなんて考えていなかったと思う
0429人間七七四年2021/09/10(金) 02:20:49.49ID:N6W2VQ8y
小なりとも、どこかの地方領主とか豪族とかだったら違ったんだろうけどなぁ
0430人間七七四年2021/09/10(金) 09:23:32.86ID:hKX/phdu
まあ秀頼の生まれついて置かれた状況って凄まじいな
秀吉のような独裁者になれる確率は万に一つもなく
人の傀儡になるか殺されるかどちらかしかない人生だった
0431人間七七四年2021/09/10(金) 09:36:52.95ID:SMImtyKa
そんな中、畿内で大大名として残れたんだから割と万々歳な着地点してたのにな
そっから滅亡までは秀吉関係なく完全に秀頼の器量の問題
0432人間七七四年2021/09/10(金) 10:14:20.97ID:OUUkKnPT
>>431
大名棄てて公卿の道もあったけど、結局無理だったしな。
多分摂関職は奪回した五摂家が絶対手放さないだろうし。
0433人間七七四年2021/09/10(金) 11:30:37.73ID:aJcMSJNB
朝廷が徳川に豊臣を処分させようとしてたフシがあるもんなぁ。
生き残ることすらさせないだろうし。
0434人間七七四年2021/09/10(金) 12:12:50.27ID:dqjia4oT
>>433
朝敵認定する?って徳川に打診したことを指してるの?
0435人間七七四年2021/09/11(土) 07:12:03.72ID:Ctrl6azL
>>432
後知恵ではあるけど、摂関家側に関白に代わりうる地位と立場、権威のある
役職を用意する事で、関白を豊臣が独占できるようにしておくべきだったのかね
まあ正直、何を用意しても伝統が足りないから無駄な気もするけど
0436人間七七四年2021/09/11(土) 08:23:30.13ID:eihQW7St
摂関家として残るには武家としての領土が過剰
関ヶ原後の65万石でも有数の動員力だもの

武家として残るなら征夷大将軍への服属は
むしろ当然で服属拒んだ武家を放置するのは
幕府として無理でしょう

大阪の役開戦直前に示された和解案のうち
秀頼の参勤と淀の江戸在住は
当時まだ明文化はされた法ではないが
全国の大名に進められてた政策

拒否って軍拡進めてるんだから
そりゃもう討つしかなくなるわなって話で
普通に武家として残るのはあり得た
0437人間七七四年2021/09/11(土) 09:04:17.46ID:l0gs86as
>>436
そ、公卿として生き残るには「大名を棄てて」が絶対の前提条件。
でも豊臣が棄てられる訳がないんよ、激減したとはいえ65万石とそれの支配を。普通に考えてもあり得ない。
それが出来るなら秀頼の江戸参勤や淀殿の江戸在府なんてムチャクチャハードルが低い。

まあそれに例え公卿の道を選んでも所領ゼロでは無いが皇室・五摂家の所領を越えない程度のショボい数千石でそれから堪えられるのか
若しくは少しでも越えてたら公卿としてやっていくのは軋轢キツだろなぁと。
もし豊臣が朝廷内で最大の所領を安堵されたりするなら、家康が余程秀頼を信頼して「豊臣に朝廷の管理監督を委任する」って危険かつトンでもない事を意味しかねない。
五摂家が朝廷内で最大の所領を安堵されてたのは五摂家に朝廷の監督を任すって意味だったんだし。
0438人間七七四年2021/09/11(土) 09:38:40.41ID:eihQW7St
そう
秀頼個人の処遇問題じゃないからね

65万石にはそこから扶持を受ける家臣がいる訳で
それぞれが家族を養い自分の家(と禄)を守りながら
そのためにこそ主家を盛り立ててる

その豊臣家の舵取りなんで65万石をむざむざ
手放すなんて結論は出ようがないのよ
(相談するのも家中の人間なんだから)

江戸に参勤する、母を人質(江戸住み)にする
(京都から離れた)地方への転封を受け入れる
というのが開戦前の妥協案だけど
それってつまり普通の武家として
家を守ってくって選択なのよね

その案を出したのは片桐且元だけど
豊臣家の禄を食む家臣団の代表としては
時流を鑑みたら至極真っ当な選択
逆言えば幕閣とやり取りする中で
それは可能と観てたということでもある

その提案に追放でもって報いてる時点で
そりゃもう戦争なんよね
徳川方が無理矢理戦争に持っていったと
言われることが多いけどその辺感覚おかしい
0439人間七七四年2021/09/11(土) 09:47:55.98ID:N+r3YNjg
しっかしループするけどなんであんな秀次一族を残虐にぶち殺したのかねぇ
0440人間七七四年2021/09/11(土) 09:53:59.18ID:tEA9EitD
>>434
秀忠の官位で怪しい点があるからね。
公卿補任だと秀忠は慶長十年に正二位に上がってる。この時点で秀頼も正二位ってことを踏まえるとかなり怪しい動きといえる(しかも慶長十五年には秀忠は従二位となってるし)
0441人間七七四年2021/09/11(土) 09:56:46.90ID:tEA9EitD
>>439
1 秀頼を確実に豊臣宗家にする方法は秀次とその一族を処分する他ない
2 秀吉と秀次は仲が悪い
この二つが合体してヤバい事になったんだろうなぁ。
0442人間七七四年2021/09/11(土) 10:52:42.29ID:1vWdSRsg
慶長10年の秀忠の昇官は続く
征夷大将軍任官に繋がる一連の流れよ

その時点で幕府も朝廷も天下は徳川が回し
家康から秀忠に継承される方針が固まってたが
それと豊臣断絶はイコールではない

むしろこの期に及んでまだ秀頼に
秀忠より上席の右大臣与える遠慮がある
という点がおもしろい
0443人間七七四年2021/09/11(土) 11:29:22.93ID:jROBQgzV
65万石の領地すら自前で治められず徳川に助けてもらってたほど一大名としても実力がなかったんだから
実力がなきゃやってけない大名を捨てて官位と虚飾だけの公家になるのはむしろ身の丈に合ってたと言えるな
秀吉死後の豊臣家は「家」と言えるほどの実質を持たずただ過去の栄光にあぐらをかいてるだけで主体性も何もない
0444人間七七四年2021/09/11(土) 11:44:32.88ID:makcv46y
戦争に勝って子分の領土の保証と新しい領土の分配をすることで武家の棟梁になれる。肩書きはその後についてくるものなんだな

関ヶ原は豊臣の内紛だっていう意見が強いけど、関ヶ原で勝った家康はその後独断で領土の保証と分配をやっているからその時点で徳川の天下にもう変わってしまったと言える

そこで家康の戦後処理に何も出来なかった時点で豊臣はもう終わってる
0445人間七七四年2021/09/11(土) 11:55:04.70ID:T4HlhVhs
秀頼自身の性格として、朝廷儀礼を殆ど覚えようとせずにいたんで公家も難しい
てか公家は公家で大変だしね
0446人間七七四年2021/09/11(土) 11:57:48.63ID:AecndAT0
戦後処理によりも、関ヶ原というか西軍決起に豊臣家として対処出来なかったのが痛いよな。出来ないのだけど。
0447人間七七四年2021/09/11(土) 12:23:54.99ID:1vWdSRsg
>>443
65万石の家禄があればそれで生活してる
万単位の人間がいてその政治によむて成り立つのが
「豊臣家」という武家なんだよ

現代の個人の転職のように考えたらちょっと違う
0448人間七七四年2021/09/11(土) 13:23:56.02ID:Af64Y6ga
>>447
>>443ばかりじゃないが、
「戦国大名」を個人のことと勘違いしてる人が多過ぎる。
「戦国大名」とは地域独立権力体そのもののことであって、
羽柴秀頼だの徳川家康だのというのはその構造内の一つの装置に与えられた呼称、謂わば記号に過ぎない。
そんな立派な名前じゃなくて「引き籠りのデブ」でも「狸」でも構わないわけだ。
当然、デブも狸も構造に規定された機能を果たしているだけであって個性などという要素はノイズ程度の影響さえ無い。
その辺を理解できないから大名権力体の行動の動機を個人の意志や性格などに帰する講談的俗論が跡を絶たないんだろう。
0449人間七七四年2021/09/11(土) 14:48:41.52ID:T4HlhVhs
いや、意思決定は大名個人が最終的にするものだし個人の性質はわりと寄与するよ、まあ正確には大名近習含めての性格だろうが
現代の大きな組織一つ取っても長が誰かで方針ごろっと変わるでしょ
理想で言えば大名は装置たるべきだが実際は個々人の性格に思いっきり引っ張られるよ
0450人間七七四年2021/09/11(土) 14:52:01.23ID:ieq8N4Rh
個人の資質が関係ないのなら
長尾は謙信の兄でよかったし
今川は氏真でも滅亡しなかっただろう
0451人間七七四年2021/09/11(土) 15:32:04.52ID:j6s/BrQI
他にも立派な名前はむしろ権力構造を
機能させるため必要とか
講談はその辺の構造踏まえてた時代からあるから
お家の為の忠義とか主題になるんだとかあるが
まあ言わんとすることはわかるよ

戦国大名権力に限らないのだが
家というものが当時の社会を構成する
重要な法人格であって
個人の果たす役割も決断も
それと切り離して考えられないてことやね
0452人間七七四年2021/09/11(土) 15:37:25.06ID:l0gs86as
豊臣に即して言えば、家督を継がせた秀次が自害したのを切欠に秀次一族を断絶させ家督相続人を事実上幼少の秀頼のみにして
候補を単一化させ得たが豊臣存続の不安定要素をも作ったのは秀吉個人の意向だし
片桐且元の当時としては御家存続のため状況に応じたといえる和解策を蹴って、逆に追放処分にしたのは豊臣こそ天下人の家との認識に固執した秀頼や淀殿を始めとした豊臣首脳陣。
その本来権力体たる御家の「顔」のみの筈の当主の意向が、よくも悪くもノイズを越えて権力体そのものの意志となり行動に繋がってしまうことはままある。
勿論顔たる当主の意向はノイズのまま、御家自体は御家存続のため機能的にちゃんと現実に即した行動となるのも当たり前にある事であるけど
戦国大名の面倒な所はそれらが綯交ぜになって現出し、結構個人の意向により権力体たる御家も存続を危ぶむ形で振り回される事例も多い事。
それ故多くの大名家で御家存続のために不才や幼少の継承者を嫌って家督争いがよく起こるのだし、後世の人間もそれを見て誤解しついつい顔たる当主のみで毎度安易に論じる現象が絶えない。
0453人間七七四年2021/09/11(土) 15:45:32.62ID:Af64Y6ga
>>449
それはヒトという生物に対する過大評価だと思う。

意志決定の前提となる環境、状況、与件、要件を解析していくと選択肢の幅は極めて狭いものになる場合が殆どだろう。
例えば武田勝頼は何故あんな無茶な外征を?と云ったって甲斐國は一国で成り立って行ける国ではない以上それは不可避の選択でしかない。
現に信縄信虎信玄と無茶を続けてきていた。
仮に甲斐國主なる装置が「上杉謙信」や「織田信長」と呼ばれるものだったとしても、
権力体が動員できる資源が甲斐國レベルでは判断からその結果まで史実と変わることは無いだろう。

そもそも「戦国大名」なる存在自体が気候変動や地殻変動等の抗し難い与件に強要されて生まれたものでしかないしな。
0454人間七七四年2021/09/11(土) 15:52:09.28ID:Af64Y6ga
>>450
> 今川は氏真でも滅亡しなかっただろう

逆。
駿河國主が「松平元康」でも「北条氏康」でも没落(念の為に云うと滅亡はしていない)していただろう。
氏真もまた、あの状況の中で不可避・不可抗の選択をしただけに見える。
0455人間七七四年2021/09/11(土) 16:31:19.62ID:T4HlhVhs
んー、詭弁的かな
そらそのレベルのマクロさで見れば大概のものは個人の資質とか関係ないように見えるだけ
0456人間七七四年2021/09/11(土) 16:31:22.00ID:j6s/BrQI
すまんやっぱ俺の意見とはちょっと違うわ

俺はトップ個人の決断といえど家という
組織の論理を無視しては成立しないという考えで
歴史の動きが全て自然環境に導かれたもので
人意の介在する余地がないとまでは思わんわ
0457人間七七四年2021/09/11(土) 16:39:02.60ID:Af64Y6ga
>>456
それぞれ考えが違うのは当たり前で、すまんとかいうようなことじゃないよ。
こうやって違う意見を交換(本来の意味のinter-view)できること自体に意味があるわけで。
0458人間七七四年2021/09/11(土) 18:27:33.47ID:z/y46K1I
武家の頭がまずやらなきゃいけないのは戦うことなんだよ
秀頼にしろ氏真にしろボンボンだったせいかその辺わかってなかったんじゃねーの?戦って勝たなきゃいけない局面で動けない奴は子分に示しがつかないってわけ
逆に信長なんかはここで劣勢のまま終わると周囲に対して示しがつかないって時は損害も自分の身も度外視で命がけで戦ってたからな
0459人間七七四年2021/09/11(土) 18:58:49.43ID:O3wG3/9H
>>458
三方ヶ原の家康とか
0460人間七七四年2021/09/11(土) 19:22:36.89ID:wbboYFx5
戦に強いと味方が集まる

戦争に勝った後負けた相手から分捕った土地を集まった味方に配る

武家の親分の完成。肩書きは後からついてくる
0461人間七七四年2021/09/11(土) 19:24:51.70ID:Af64Y6ga
>>458
違うと思う。
最初にやらなきゃいけないのは「喰わせること」。
それは何を措いても果たすべき至上命題。
戦争をすること、勝つことはその為の手段。
特に飢饉地獄の中世では喰わせることのできない國主や屋形は追放されるか殺されるか。
0462人間七七四年2021/09/11(土) 20:21:51.75ID:j6s/BrQI
むしろ戦って食わせられる時代じゃ
ないってのが分かってない悲劇よな

単純な話秀頼が個人的に思い立って
「よし65万石捨てて公家として生きよう」
と決断してもそれは通らん

何故ならその意思を外部に表明するにも
65万石によって生きているたくさんの
家臣の手を経て行われるから

100%止められるしそもそも
そんな破滅的なことを主君に吹き込む
阿呆も現れないだろう
0463人間七七四年2021/09/11(土) 21:13:22.45ID:4dcHIZct
家を捨てて出奔した大名家当主って結構いる気がするけどな。
上杉謙信とか、足利尊氏とか

千姫連れて京都所司代に出頭して、「もうあの家無理です。助けてください」
っていえば、高家扱いぐらいで残してもらえると思う。
0464人間七七四年2021/09/11(土) 21:37:46.13ID:l0gs86as
>>463
でもそんなタイミングって秀頼にあったんだろうか?
大坂の陣終盤まで奥には強硬派のオカン、表には大野兄弟などの家臣が詰め
城中全体は片桐が屋敷から逃げる前から既にやってきだした大量の有象無象の浪人衆。
方広寺事件前までは秀頼も安閑としていたから、逃げようなんて万一にも思いもしないからあり得んし
浪人衆が集まり血の気の増え出す頃にマズいと感付く時には、もう城中から逃げられないという。
大坂夏の陣で表の家臣が出払って浪人衆を城外出陣と騙しても、まず京都所か近くの徳川の陣へも辿り着けないだろう。浪人衆が秀頼様守護と称しくっついて離れないから。
封禄と所領安堵に飢えた浪人衆なんか集めた時点で、もう色々秀頼個人の運命は完全に詰んでいたとしか。
0465人間七七四年2021/09/11(土) 21:45:03.54ID:T4HlhVhs
強硬派はむしろ秀頼の近習だね
淀君は融和派
大坂の陣は秀頼がやる気満々と考えるべきだよ
0466人間七七四年2021/09/11(土) 21:57:18.50ID:ACCcZVfS
>>442
重要な点は慶長十年時点だと秀頼が正二位っていうこと。
家康>秀頼なのはまぁ堪忍出来る(家康は秀頼の義理の祖父な訳で)としても、ここで秀忠と秀吉の官位が同じになるってことは豊臣にとって面白くないことなのは確か。
しかも秀忠は将軍になってる訳で何の職も無い秀頼よりも上位という事になりかねない。
つまり朝廷としては、秀頼と豊臣を滅殺する作戦の一環として秀忠を正二位にしたかった。
そんな中、秀頼は慶長十二年右大臣を辞任することになる…
0467人間七七四年2021/09/12(日) 00:47:57.51ID:EtaFN+i8
>>466
いやだからその時点で朝廷的にはもはや
天下人は征夷大将軍である家康で
秀忠が継ぐ前提での昇官でしょ

もちろん摂関家としては秀吉に騙し取られた
関白位を取り戻したかったし
朝廷としても秀次の死後に空位が続いてたのは
当然解消したいという思惑はあった

だがそれは関ヶ原の翌年に九条兼孝が関白就任し
天正10年にはとっくに解消済みだった

豊臣がおもしろくなかろうと秀忠の昇官は
けして豊臣滅殺に直接繋がる話ではないし
それを朝廷が主導したというのも飛躍してる
実力は完全に逆転してる秀頼をわざわざ
右大臣に昇官させるのは秀頼の政治生命を
抹殺したいなら全くちぐはぐだしね
0468人間七七四年2021/09/12(日) 03:41:59.92ID:jspmu7KY
徳川も朝廷も大坂の陣で一線越えられるまでは豊臣家を前天下人の家として敬意払った対応してるよね
その敬意を履き違えたのか知らんがとんでもない事をしでかす訳だけど
0469人間七七四年2021/09/12(日) 03:50:08.90ID:/yYF6ZzI
どう考えても幼君抱えて家臣団も分裂してドンパチやって崩壊してんだから
名誉だけを糧にして黙って捲土重来狙ってけばよかった

って後世の俺ならおもっちゃうけどそうはいかんかったんだろかなー
0470人間七七四年2021/09/12(日) 03:52:51.59ID:ofsTfoaa
つか大阪の陣の起こった理由は、本質的には反幕府云々以前の
豊臣家内部のお家騒動だからなあ。
それを自分たちで収拾できなかったという話で
0471人間七七四年2021/09/12(日) 05:52:22.79ID:MUWebpUJ
一応家康は関ヶ原後も何度か秀頼の所に出仕してるからね
0472人間七七四年2021/09/12(日) 07:39:43.44ID:A7AkaNp6
>>466
そもそも秀忠、秀頼の舅なんだから秀頼は敬意を払わなくては駄目だろ
0473人間七七四年2021/09/12(日) 09:32:36.37ID:ek+B4oz4
>>467
事はそんなに単純じゃない。何故なら、秀忠が何年に正二位に上がったかが分かってないから。
公卿補任では慶長十年から十八年まで秀忠の位階は正二位と従二位で混乱している。で、改訂版では編者もわからなかったらしく従二位(正カ)として判断を保留している。
この事から秀忠の位階は正当な昇進ではなく何者かがゴリ押しした結果と見られる。
ただ、徳川がゴリ押ししたとは思えない。
徳川が朝廷を強迫したなら、秀忠の位階は正二位から変わらないはず(朝廷の密かな反抗とも思えない)
ならゴリ押したのは朝廷ということになる。
おそらく、秀忠の将軍任命と同時に正二位の話もされたんだろう。
だが家康はこれを断って従二位で妥当とした。
ところが、朝廷は正二位を与える旨を通知していたので彼方此方で混乱が起きた。
ではこのゴリ押しの真意は?秀頼の位階が正二位である事と全く無関係なのだろうか?
0474人間七七四年2021/09/12(日) 13:57:48.79ID:s7w3IaN6
想像力豊かで陰謀論が好きな人おるな
0475人間七七四年2021/09/12(日) 15:45:00.91ID:i0+SZ3U3
>>471
最期の出仕はいつだった?
0476人間七七四年2021/09/13(月) 08:28:03.17ID:eEYO1vA9
>>473
無理矢理難しく考えすぎ
天正10年に正二位でないなら秀頼との
位階の差の問題自体が存在しないことになる

1.朝廷が徳川に豊臣を始末させようとした
2.そのために秀忠を昇官させた
というロジックそのものが成り立たず
1.の根拠は何も示されてないということでいいか?

家康が秀忠の昇官を断ったというのも根拠不明だ
将軍宣下の段階であわただしくそんなやりとりあって
それが残らないのは謎すぎる

また家康から天下人を継ぐ秀忠の位階を
一大名に成り行く秀頼より上にするという発想は
むしろ自然なものだろう
豊臣滅殺の陰謀と結びつくものではない

むしろ天下人以上の位階の大名なんてもの
いるだけで治世の障りになるので
秀忠昇官がなかった(根拠は薄い)とする方が
衝突に繋がる蓋然性はまだ高い

はっきり言って「朝廷の陰謀」という
結果ありきで考えすぎだろ
0477人間七七四年2021/09/13(月) 09:42:56.35ID:AEZ9ogFV
すまん天正10年じゃない慶長10年

秀忠の官位の混乱についてはふと思ったが
その後の徳川将軍との兼ね合いもあると思う
家光以降、正二位、内大臣
征夷大将軍・源氏長者宣下
がセットで受けるのが通例化する

この通例化は江戸初期に確立したと考えるべきだが
秀忠の時点ではもちろんそんな前例もない
でも仮に慶長10年の将軍宣下の段階では
従二位だったとして後世から観たら
「これおかしくない?」てなるわな
0478人間七七四年2021/09/13(月) 10:56:59.13ID:6xvkL3VZ
問題なのは公卿補任で何故秀忠の位階が混乱しているのか、と言う点。
朝廷が官位を指令する以上そこに間違いがある筈がない。更に、もし秀忠が正二位を授与されていたなら何故それ以後従二位としてる記録もあるのかが説明出来ない(かなり失礼な記録になるから)
そしてこの混乱には原因があるだろう。
つまり朝廷は秀忠を正二位にするつもりだったしその通知もしたが、徳川はそれを断った。
だから誰もが秀忠が正二位か従二位かわからなかった(その上、徳川は武家政権なので正直位階はどうでもよかったんだろう)
だが、豊臣からするとどうか?家康が秀頼より上なのはまだ我慢出来る。
だが秀忠が秀頼と同じ位階に着くとなると…
当然、豊臣からすると面白くないし面白くないとなれば徳川との軋轢にもなろう。
朝廷からするとそれを期待して一連の動きをしていて、そして徳川はそれを避ける為に正二位授与は辞退したんだろう。
朝廷からするとアテが外れてしまったが、その代わり戦法を変えて秀頼を右大臣からクビにした。
0479人間七七四年2021/09/13(月) 12:41:36.58ID:Hhj5eg7D
荒らされてるね・・・
0480人間七七四年2021/09/13(月) 20:55:36.23ID:nTH+yL3m
秀頼が関白になったところで、全てが解決するとも思えないけど、どうなんだろうか。秀吉は他者を圧倒する武力、経済力があったが。
0481人間七七四年2021/09/13(月) 21:01:44.97ID:mazs0ERa
いつの時代も、権威は大切だけど権威だけじゃ何にも出来ない
0482人間七七四年2021/09/13(月) 21:57:43.82ID:tLHf6uoN
よくて関白持ち回り組に豊臣が入るだけな気がする
0483人間七七四年2021/09/13(月) 22:01:58.65ID:eEYO1vA9
>>478
断ったならその経緯は何故完全に
誰の記録からも抹消されてんの?
そこまで徹底した情報統制が可能なのに
何故公卿補任には残ってんの?

全く説明できてないのだけど
0484人間七七四年2021/09/13(月) 22:02:04.56ID:1PikWFaK
持ち回りで戻ってきた関白位じゃあ意味は薄いよな
むしろ豊臣家の復権を完全に否定する結果になりかねない
0485人間七七四年2021/09/13(月) 22:29:55.15ID:3VDKiKy1
根本的な疑問たが、
豊臣政権は本当に 崩 壊 したのかな。
崩壊したのは豊臣政権から切断された羽柴家だろう。
その辺を混同してやしないだろうか。

豊臣政権二代目主宰者徳川家康はやがて自前の幕府を立てて政権機能を漸次移行していった、
という方が事実に近いように見える。
その過程は漸進的なもので、崩壊などという断層的なものじゃなかったと思うんだが。
敢えて言うなら豊臣政権は役割を終えてフェードアウトしていった、と。

茶々や羽柴秀頼の主観はどうだか知らないけれど。
0486人間七七四年2021/09/14(火) 11:16:44.24ID:G7XNP87m
>>483
史実と逆のパターン、つまり朝廷が正二位を与えたく無いのに徳川がゴリ押しして正二位を奪い取ったなら記録に残ってるだろうね。
公卿補任では秀忠が慶長十年に正二位になったのか従二位になったのかが定かでは無い。だから昭和に改訂版を出した時に従二位(正カ)としている
つまり、朝廷としては秀忠に正二位を与えるつもりだった。というか決定していた。
これはとても名誉な事なので断る事は有り得ないから誰もが「秀忠さまは正二位になったらしい」と思った。
だけど公卿補任で従二位の記録があるからこれは流れた事になる。それはつまり徳川が断った事に他ならない。
朝廷がこの様な動きをしたのは、同じく正二位の秀頼の存在が大きいだろうさ。
そうでなければ、正二位を徳川が断る道理が無いからね。
0487人間七七四年2021/09/14(火) 13:47:16.06ID:LcQCJUM0
思い込みを入れすぎ
他ならないって言ってる部分は何故そうなったのかわからないであるべきでそこに想像をいれるべきでない
0488人間七七四年2021/09/14(火) 22:15:17.08ID:EG6gVxfg
>>482
天皇の即位灌頂の本読んでたんだが、東山天皇の時に関白の一条家は伝授の実績が無く
伝授をよく行っていた二条家の当主も難があって天皇に伝授出来ない可能性が出てきて
五摂家内でああでもないこうでもないと霊元上皇も絡んで色々あったのだという。
それまでは五摂家全てにそれぞれ伝承があり、理屈としては何処でも天皇に伝授出来たらしいのだがこの争論以降は即位灌頂の伝授は二条家が占有する儀礼とする流れになったという。
さて、こんな状況下に豊臣がいたとするならどんなだろうと考えたんだが
豊臣って一切の有職故実を有しない、単に二代関白を出しただけの家でしかなく
朝廷を運営するのに必要な物が色々欠けていたのを秀吉の権力と武力でゴリ押ししてただけなのに気付いた。
即位灌頂は天照大神と藤原氏の祖神天児屋根命との君臣の繋りに基づくという伝承が室町までに成立していて、神同士の聖なる盟約のようなものとされてたという。
いわば皇室と藤原氏のみの儀礼たいなもので、他家の関わる事が出来ない性格の儀礼だった。
こんな事態になった時に豊臣が関白していたとするなら、朝廷最高位の筈の関白が全く役立たずな上に蚊帳の外になるのは必定な訳で
公卿の道もあると過去レスに書いたんだが、実際豊臣は朝廷に入れたとしても関白としての業務出来ないんじゃねえかと思った。
0489人間七七四年2021/09/14(火) 22:29:53.26ID:LcQCJUM0
>>488
秀頼当人もその辺りの勉強を短期間でやめてるしね
ゆえに良くてと書かせてもらった
0490人間七七四年2021/09/14(火) 22:31:46.44ID:Od/YSvrC
>>467
五摂家が、九条が関白になっただけで関白が摂家に戻ってきたとは思ってなかったろう。
慶長五年、太政大臣は廃位となったから大臣職は左右内大臣のみ。そして左大臣が関白も兼ねる体制となってる。
仮にこの状況下で関白=左大臣が死去すると、
朝廷のトップは右大臣の豊臣秀頼ということになる。
関白は基本的には未経験者優遇という先例があるらしいので関白就任レースから秀頼を排除するのはかなり難しい。
朝廷、というか五摂家としては豊臣の勢力を朝廷から追い出す為に秀頼とその一族の死を願っただろうし、最低でも京から追い出すくらいは考えていただろうさ。
0491人間七七四年2021/09/14(火) 23:09:55.71ID:BxFcMb4U
尾張生まれの成金百姓一家だもんなー
関白てなんのジョークだよって話
0492人間七七四年2021/09/15(水) 08:30:09.25ID:mmnCD6w6
>>491
百姓? 農民ってこと?
別のスレで農民出は否定されてたぞ
0493人間七七四年2021/09/15(水) 08:33:20.32ID:mmnCD6w6
詳しくはこのスレで

秀吉の出自を徹底議論
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1610667352/
0494人間七七四年2021/09/15(水) 08:46:10.73ID:ZBb6j9M7
>>486
1行目から理解不能
朝廷が働きかけて拒否されても
働きかけた記録拒否された記録が
残らないというのが謎すぎる
0495人間七七四年2021/09/15(水) 08:48:41.34ID:ZBb6j9M7
>>486
昭和から見たら正二位と征夷大将軍が
セットなのが既に慣例化してて
何故従二位とされてるかわからないので
「正二位カ」になるのはわかるべ

なんでその昭和の記述から
当時の状況がわかるのか飛躍してるが
多分あなた自身が自説を信じ込んで
そこが見えなくなってる
0496人間七七四年2021/09/15(水) 08:53:10.60ID:ZBb6j9M7
通常起こり得ないとしてる昇官を断る例だが
織田信長の際には当たり前に記録されてる

実際に昇官する際には勅使が来る
それがないのに「昇官した」と認識されてた
というのは話がおかしいし
勅使が出たのに断ったならそれこそ
大騒ぎになって記録されないのはおかしい
0497人間七七四年2021/09/15(水) 09:09:57.57ID:g9JN9aDw
>>493
そこは秀吉の出自をなにがなんでも高貴の出としたい
キチガイが一匹いるから論外
0498人間七七四年2021/09/15(水) 09:42:21.92ID:71W+csMZ
諸々の記録が江戸時代の慣例に沿って
「訂正」された結果記録が混乱するってのは
ありそう(「正カ」もそれっぽい)

当時の秀忠への官位の決定権を握ってたのは
最終的には家康なのはまず間違いない
が、それと対立する「朝廷」の意思を
想定する理由は薄いかなあ

新たな天下人を昇官させようという意向は
官位の大盤振る舞いをした豊臣政権の経緯から
朝廷、武家両方にあったと思うよ
0499人間七七四年2021/09/15(水) 09:57:46.39ID:skE8lHmZ
>>495
だとしたら「正二位(従カ)」と書くと思うよ。
公卿補任における秀忠の位階はある年は正二位、ある年は従二位になってたはず。
具体的には慶長十一、十二は正二位(十一年は散位で従二位)、慶長十六年以降は従二位と記載される。
何の意味も無く位階は上がったり下がったりする事は有り得ない。
明治期に改訂版の編纂者も困ったろうが正二位を与えたと意味も無く記録はしないという点と、
徳川実記等の資料を照らし合わして正二位としたんだろう。
昭和期新訂版の編纂者も困ったろう。
彼は「本当に正二位を賜ったならそれ以後に従二位とは書かない。なら慶長十年時点では従二位の可能性が高い」として「慶長十年内大臣従二位(正カ)」としたんだろう。
0500人間七七四年2021/09/15(水) 20:43:58.04ID:ZBb6j9M7
>>499
悪いが1行目何が言いたいかわからない
元レスで書いてるのは2点

・江戸時代の慣例が将軍宣下時に正二位なので
 そこから正二位が正しいと考えるのは自然
・後世の註釈者は当時の細かい事情がわからない
 なのにそこから陰謀論を導くのはおかしい

その何が「従カ」と書くと思う理由になるんだ?

その後長々書いたことは基本的に同意
言うまでもないと思ってあえて書かなかったが
上がるのはともかく下がるのはおかしい
勅使が派遣されて断るのと同様大事件だ

だからどちらも記録にない以上
そんなことは起きてない
0501人間七七四年2021/09/16(木) 00:08:07.79ID:OutKi1zw
重箱の隅を突っつく議論も嫌いじゃないし結構面白く拝読してるんだが、
徳川秀忠の官位が豊臣政権崩壊にどう繋がって行くのか、そろそろ考察の展開を頼む。
0502人間七七四年2021/09/16(木) 01:01:26.46ID:xRjjnYUB
つか大坂の陣の前に秀頼が関白になってたとしても、豊臣家は滅んでいたよなあ。
官位、権威は豊臣家の滅亡と関係ない。
0503人間七七四年2021/09/16(木) 01:13:06.96ID:hGgpjNwy
関ヶ原で勝った家康は独断で知行の分配をした。この時点で実質家康の天下
その後朝廷工作と畿内の制圧のために畿内に留まり、将軍宣下を受けてから関東に帰った
その間に家康を抑えつける手段が豊臣側には皆無だったんだからどうしようもないわな
0504人間七七四年2021/09/16(木) 01:33:07.44ID:1przx3+M
元々秀吉死後、政権の政務任されてるしな、家康
んで別に豊臣を立ててない訳でもなく秀吉の死亡で天下人としての機能を失った豊臣が段々求心力が下がって、その分天下人の機能を成り立たせてた徳川に求心力が上がり、ゆるやかに主従関係が逆転していく感じ

年頭礼見てるとわかりやすいよね
0505人間七七四年2021/09/16(木) 01:35:42.92ID:xRjjnYUB
そもそも家康が秀吉への臣従のため上洛した時点で既に、
家康は征夷大将軍に成るという風聞があったことが宣教師の記録などに
見えるので、家康が潜在的な征夷大将軍位の有資格者、という世間的認識は
かなり早くから有ったのだろう。
0506人間七七四年2021/09/16(木) 01:46:54.34ID:FufWsU2i
仮に秀頼が関白に就任していたとしても、
既に現役関白だった秀次を、秀吉が家父長権を以て
滅ぼした先例があるので、秀頼の舅である秀忠の段階でもう
それを行なう事ができる。
0507人間七七四年2021/09/16(木) 01:48:32.42ID:1przx3+M
秀吉自身が源氏の家康ってのをかなりプロパガンダしてた節があるって話もあるね
勿論源氏だから征夷大将軍になる訳ではないが
0508人間七七四年2021/09/16(木) 02:06:01.38ID:a5L3kl++
でも秀吉に臣従した段階だとまだ藤原じゃないっけ?家康
0509人間七七四年2021/09/16(木) 02:14:16.79ID:1przx3+M
秀吉が源氏姓を家康に与えるのをお膳立てしたね
0510人間七七四年2021/09/16(木) 08:04:46.05ID:aGH1Ms0R
「豊臣政権」の存続で言ったら

秀吉健在のうちに無理矢理にでも秀頼関白就任させて
実務は徳川内府家独占で関白はお飾りの体制を
確立させちゃうしかないんでは?

>>502>>507
むしろ関白になってしまっていたら
武家関白と幕府の二重政権状態で衝突不可避
幕府体制下の一大名として残る可能性も失う
0511人間七七四年2021/09/16(木) 08:41:27.13ID:e12GcoAp
豊臣が傀儡でしかなくなったらそれはもう徳川政権やし
後世でも徳川政権と呼ばれることになるだろう
0512人間七七四年2021/09/16(木) 08:56:06.27ID:aGH1Ms0R
北条執権や室町管領家がしきってても
鎌倉幕府室町幕府でしょ
徳川時代も一般的には江戸幕府江戸時代で
将軍独裁なんて続いてない

というか豊臣政権だけそう言われてんのって
短命だからで軌道に乗って何十年と経てば
伏見政権とか大阪時代になってたんじゃね?
0513人間七七四年2021/09/16(木) 09:54:32.46ID:CwklY50i
これまでの関白は別に天下人だった訳でもなく、関白になることと政務を徳川が行うことは普通に並立しないか?
権威と武力が両輪揃って天下人にはなるけど、基本武力に従って権威がついてくる感じじゃね?武力というと聞こえはあれだけど言ってしまえば裁定の執行力な訳で
諸侯も執行する力がないのに権威だけの人間に裁定されても納得しないし、そんなのに付いていこうとはならない
0514人間七七四年2021/09/16(木) 11:23:04.87ID:PwOFOjeB
>>513
だから半端に大坂城という城塞に籠もってないで武力を放棄して公家になる
道はあったんじゃないかと思うね
家康が保護した他の元名門武家たちの中のトップクラスの待遇は受けられたんじゃないか
まああそこから天下を取り返すのは絶対無理だわ
0515人間七七四年2021/09/16(木) 12:28:15.08ID:1tUbDeMc
>>513
それには豊臣内部が「もうウチは天下人じゃないし、これ以降天下人の家であり続ける必要も無いんだ」と一致して割りきらないと無理だろなぁと。
それが出来なかったから大坂の陣が起きた訳で。
かなり豊臣家自体が内的変化を遂げないと難しいかと思う。
昨夜のBSで秀吉が最
晩年建てた京都新城の話があったけど、公家屋敷も兼ねていたというこの城が関ヶ原前に破却されたのは
公家として生きる道すら喪っていく豊臣の将来を表すようだなと思ったよ。
0516人間七七四年2021/09/16(木) 12:31:56.96ID:CeArTaJb
関ヶ原後の秀頼は伊達政宗もあのまま大坂に置いてたら危ないと忠告したくらいだからな
もう時代に取り残されてる感があるのにいまだに前時代の意識で居座っていて
結果的には秀頼自身をも滅ぼすほど政治的に中途半端で危険な存在になってた
政宗だけでなく全ての大名が思ってたろうけど
0517人間七七四年2021/09/16(木) 13:07:01.64ID:l2XWKTrU
>>516
宣教師とかキリシタンの武将があつまるからでしょ
伊達家でも北の留守とか白石とか亘理の領地にはキリシタンの残党とか多くいて
伊達宗家も黙認していたけど仙台とか岩沼とか亘理とか伊達宗家と近いところの領地には
いなかったわけで、わざと領地の辺境にキリシタン置いていたわけだし
政宗は領内でのキリシタンの不穏な動きに対応してたからな。
キリシタンとかいない大名はキリシタンの恐ろしさを身に感じていないし
西国には秀頼のシンパが多いから、そいつらとは違うよと秀忠にアピールしていたんじゃないかな
(あと100万石のお墨付きを反古されているからチャンスがあれば貰う気満々だったし)
0518人間七七四年2021/09/16(木) 13:13:34.66ID:/bt10gbV
100万石のお墨付きってあれ自分で切り取れたらって話じゃねーの
あと西国の秀頼のシンパとかキリシタンとかって何の話よ?
0519人間七七四年2021/09/16(木) 14:17:33.10ID:elXvGWp1
>>500
まず、江戸時代の先例云々はあんまり関係無い。
仮に昭和版公卿補任の編纂者が徳川家先例に熟知していたとしても、公卿補任に「秀忠の位階は従二位」と記されているんだから。
昭和版の編纂者は「秀忠が正二位を慶長十年に貰っていたら、その後はずっと正二位と記録される筈だ、つまり慶長十年では秀忠は従二位だったんだ」と考えた。だが、徳川実記等慶長十年に秀忠が正二位に昇った事を記録してる史料があるのも事実。
だから昭和版編纂者は、附記でこの点も記した。
それが「従二位(正カ)」って事。昭和版では慶長十年に秀忠が貰ったのは従二位としてる訳。
もし、徳川の先例から正二位だと思っていたら「正二位(従カ)」と書くだろう?だって正二位になってるはずなんだから。
勿論、これが朝廷のささやかな嫌がらせって可能性も無いわけじゃ無いよ?東侍に正二位なんか与えられん!っていうね。
…まぁそもそも、徳川家康が征夷大将軍になった時は「従一位・右大臣・源氏長者」だった筈なんだけどね。
秀忠が正二位を貰っていたら、その後に従二位とは記載されないだろう。つまり、公卿補任の記録は混乱してる事になる。その混乱の原因は編纂者が考える事でもない。
だが、慶長十年時点では秀頼が正二位である事を踏まえれば、大体の事情は見えてくる。
0520人間七七四年2021/09/16(木) 16:03:22.04ID:l2XWKTrU
>>518
仙台市博物館にあるものをちゃんと読みなさいよw

これでもみたら?
https://www.youtube.com/watch?v=GovLgFe5n6k
0521人間七七四年2021/09/16(木) 16:06:42.11ID:l2XWKTrU
>>518
     覚

  一、苅田 一、伊達 一、信夫 一、二本松 一、藍松 
  一、田村 一、長井

   右七ヶ所御本領之事候間、御家老衆中へ為可被宛行進之候、仍如件、

 慶長五年八月廿二日            家康(花押)

                    大崎少将殿
             (『伊達政宗卿伝記史料』596頁)

どこに切り取り次第と書いているのかな?
0522人間七七四年2021/09/16(木) 16:45:46.06ID:/bt10gbV
出典史料も出してない動画とか、あんまり人に勧めない方がいいぞ?
あとその史料のどこに100万石がうんたらと書かれてると主張してる訳?
0523人間七七四年2021/09/16(木) 17:00:06.71ID:/bt10gbV
自分はこの辺りについて詳しくないんだけども、伊達の加増は結局自分で奪った苅田郡のみな訳でしょ?
当時の常識としてその書状が同心しただけで必ずあげますなのか自力で切り取ったらなのかが知りたいな
この辺りの研究をしてる研究者は誰かいない?
0524人間七七四年2021/09/16(木) 18:37:26.49ID:l69RSQmJ
それらの領地がタダで保証されてるなら
関ヶ原の翌年春頃まで軍事行動続けてないんじゃないか
別に攻め落とす必要ないんだし
0525人間七七四年2021/09/16(木) 19:39:40.86ID:m5QnuC06
>>523
一次史料だと前田は北陸切り取り次第もらってて黒田は九州切り取り次第を要請してる等
本戦組はともかく地方組で東北だけ「味方しただけで差し上げます」は、まず考えられない
0526人間七七四年2021/09/16(木) 20:26:57.83ID:g8ZiYwL8
>>519
だから誰も正カを根拠に話してないよ
あなた以外はな

あなたはそれと「事情は見えてくる」とか
濁すだけの適当な思わせぶりだけで
朝廷の陰謀とか任官拒否事件とかその隠蔽とか
無理のある主張を繰り返してる

でもその根拠は何も示せずにいる
ただそれだけ
0527人間七七四年2021/09/16(木) 20:57:15.35ID:aGH1Ms0R
政権ではなく豊臣家の存続についての話になっちゃうが
関白として残るにはさらに領土を削らないと
幕府にとって脅威を残しすぎて通らないだろう

そして65万石の召し上げを前提に考えるのは
「豊臣家」という集団にとっては自殺に等しいので
かなり難しいと思う
自分とその家臣家族が露頭に迷っても主家を残す
という奇特な集団である必要がある
0528人間七七四年2021/09/16(木) 21:00:45.45ID:/xSvI5tL
>>525
ありがとー、やっぱり同心するだけで領地拡張できますなんて甘すぎる話はなさそうなんすね
0529人間七七四年2021/09/16(木) 21:06:22.12ID:aGH1Ms0R
慶長5年には関白位は元の摂関家に戻される
この時点で朝廷、幕府ともに武家関白制は
今後の予定には入れてないと見るべきかと
(だから滅殺を狙ってるとまでは言えない)

そこで残るは一大名として残るという道で
それは豊臣家臣として家を残すには現実的な妥協案
片桐且元が提案したのもまあ頷ける

結局は主流派に拒否されて追放された訳だが
一応は豊臣家内部にもその道を模索した者がいて
派閥政治を勝ち抜いてたらあり得た未来だと思う
0530人間七七四年2021/09/16(木) 21:13:59.76ID:aGH1Ms0R
武家政権として残るにはやっぱ秀吉生前に
体制を確立させるしかないと思うわ

当初の秀次への政権移譲路線を堅持して
実質的な武力に裏打ちされた政権として残る
というのが一つ(秀頼は出家させるとかな)

秀次横死後ならむしろ徳川に権力集中させて
秀頼はお飾りにする方がまだ可能性ある
0531人間七七四年2021/09/17(金) 12:29:05.50ID:9EMUrmLE
>>522
計算できない可哀想な子なんだなw

>>523
じゃあ結城秀康は上杉領に45万石位切り取ったわけなんだw
0532人間七七四年2021/09/17(金) 13:14:49.89ID:7XTJHesh
家康の子で上杉南下の抑えしてた結城と一緒くたに考えるつもり?釣り針としても大きすぎるよ
とりあえず出典のない動画を見せてきた時点でもちょっとアレな人だなーと思ってたけども
0533人間七七四年2021/09/17(金) 15:38:56.34ID:9EMUrmLE
>>532
逃げないで答えて下さい。切り取り次第前提であれば、例え子供だろうが他人だろうが(でも息子の嫁の父親だけど)
条件は同じになるはずだけど

残念な返ししか出来ないのかな?
0534人間七七四年2021/09/17(金) 15:47:42.60ID:7XTJHesh
なんで子供まで同条件になるなんて言い出したの?誰もそんな事言ってないよね
織田政権において家臣たちに切り取り次第が出たからって息子にも同条件が課されたことなんてあった?
逃げるとかじゃなく勝手な脳内ルールを持ち出してこないでもらえる?
0535人間七七四年2021/09/17(金) 16:25:50.45ID:Uuwv4W/+
外様と一門が条件同じなわけがないだろう
こんな当然の事も分からんのに人様に噛み付くんじゃあないよ
0536人間七七四年2021/09/17(金) 16:35:56.42ID:3di08Q9d
東軍にとっての最悪は上杉南下による秀忠隊や家康隊への被害
それをさせない為に守りを固めてる結城秀康と
むしろ積極的に攻撃しなくちゃ上杉が南下始めた場合牽制にならない位置取りの伊達
一緒くたに語るのはどう考えてもダメな例でしょ
0537人間七七四年2021/09/17(金) 16:57:53.15ID:nQqB1YAS
>>525
黒田も要請のお伺いを立てた後に井伊直政通して家康から
九州切り取り勝手の許可の返事(慶長5年8月25日付黒田長政宛井伊直政書状)もらってたな
まあ普通に考えて何もせずに加増なんかしてもらえるはずないわな
0538人間七七四年2021/09/17(金) 19:48:33.35ID:xB/RJVmf
伊達と比べるなら最上がいい例だろう
最上も伊達同様関が原の後も上杉と戦って得た庄内地方を丸々貰ってる
0539人間七七四年2021/09/17(金) 20:26:23.23ID:YwIdib8P
細川忠興が記した書物の裏に石田三成らの自筆書状
ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20210917/k10013263731000.html

>石田三成の書状では、秀吉から受け取った金の使いみちについて
>忠興に「自分たちは恵まれているのだから、金をため込むのではなく周りに配るよう」説いていて、
>専門家は押しつけがましいともとれるほど生真面目な三成の性格や人間性がよく表れているとしています。

>また、古田織部の書状は、織部を名乗る前の「左助」という名前で「刀を貸してほしい」という趣旨が記されていて、
>専門家はほとんど残っていない織部の若い頃の書状だとしています。

書状を裏紙に使っているので金をため込むと思われても仕方ない気がする
0540人間七七四年2021/09/17(金) 20:28:24.16ID:jWvq4BOh
前田利長は北陸切り取り次第を許可されたが(8月26日付村井長頼(芳春院)宛徳川家康直筆書状)
実際に切り取れた小松領・大聖寺領だけ加増+弟領

黒田如水は九州切り取り次第を要求したが(九月一五日付藤堂高虎宛黒田如水書状)
本戦で決着済みと受け入れられず森領のみ切り取り次第

加藤清正は肥後筑後切り取り次第を許可されて(八月一二日付加藤清正宛徳川家康書状 )
切り取った宇土領を加増

遠藤慶隆は旧領切り取り次第を得て(七月二九日付遠藤慶隆・胤直宛徳川家康書)
切り取った旧領復帰

最上義光は切り取った庄内領を加増

伊達政宗は切り取った白石領を加増

ざっと有名なの並べると関ヶ原の地方組には切り取り次第の原則が分かりやすく出てることが多く
政宗だけ特別扱いする理由が見い出せないし俗にいう百万石のお墨付きは成立しにくいね
8月22日付伊達知行宛行状もまぁ出された意図が不明瞭だし上杉征伐のあかつきには旧領に戻してあげるよくらいの話じゃないのかな
0541人間七七四年2021/09/18(土) 10:49:06.09ID:1560V2v0
>>539
紙自体の価値が現在と桁違いなんで
機密性高かったり残す必要あるあったりしなきゃ
忠興に限らず結構使い回してたみたいよ

書状を自著に使ってたなんてまだ上等で
屏風の裏から出てきたりする
0542人間七七四年2021/09/18(土) 17:35:48.87ID:jg7rlLh2
紙の再利用なんて当たり前やでなケチとは違う
0543人間七七四年2021/09/18(土) 18:21:17.74ID:iwDTxuAA
旧家とかでふすなどま再利用されていのは見かけるけど、自分の書物の裏紙にしてたのは初見だ
0544人間七七四年2021/09/18(土) 19:31:39.52ID:NLaYfO11
>>540
最上は庄内切り取ってないのでは?
0545人間七七四年2021/09/18(土) 20:11:13.30ID:Y7Yr55+I
ウィキペディア知識で申し訳ないが
最上勢は下秀久を先手とした最上義康の軍が庄内地方の尾浦城を1600年、翌年3月に酒田東禅寺城を攻略したとなってるね
0546人間七七四年2021/09/19(日) 00:37:38.76ID:SIFznKUm
下秀久って上杉方だったけど直江兼続の撤退を知らされなかったために孤立して、最上に攻められて降伏した人だっけ
元々尾浦城主だったが最上方として尾浦城を攻め落として、尾浦城主に復帰したとか
0547人間七七四年2021/09/19(日) 10:51:54.13ID:fe99dDKF
小和田氏がご自分のyoutubeチャンネルで公開が初となる秀次宛家康文書の軽い解説をなされてたね
奥州仕置時の秀次の補佐として動いてる家康の報告書であると
浅野弾正からの情報を秀次に上げてるみたいで、関係の把握に便利そうね
0548人間七七四年2021/09/19(日) 11:43:17.43ID:vf+cpQLH
浅野の報告で政宗が我々の味方で相違ないって秀次に報告してる書状か
新出の書状とは言え、同じ日付(天正18年12月8日付)で伊達家文書で既に知られている
津田盛月・富田一白宛家康書状と全く同じ内容なんだよな
伊達家文書の方は秀吉に報告したものだから文末に「此旨可然様可預御披露候」と付け加えてるが内容は一緒
0549人間七七四年2021/09/20(月) 10:29:29.98ID:n9NbmPOt
>>500
公卿補任は平安時代から続く官位任命の記録書なので「江戸時代の慣例」がなんで出てくるのさ?
記録者が未来の慣例を予測して書いたとか?
あるとしたら「征夷大将軍の官位相当は正二位」って事じゃ無いの?でも征夷大将軍って従三位、若しくは従二位あれば足りるらしいけど。
公卿補任は重要史料だから何回か調査・編集がされてるけど(明治版と昭和版)
仮に思想的偏見があったとしても、公卿補任の内容を勝手に変更はしないと思うぞ。
明治版は秀忠の官位変遷が妙だと思ったけど、史料に忠実に編集した。
昭和版は朝廷の常識(位階は安易に上下しない)を重視して慶長十年の秀忠位階は従二位としつつ、
史料も鑑みて附記で(正カ)とした。
0550人間七七四年2021/09/20(月) 13:19:11.73ID:AzchdU9K
>>549
注釈は後から入ってるから
0551人間七七四年2021/09/22(水) 01:45:36.33ID:6zEEAOuw
【豊臣】 秀吉の遺影を「宇宙」へ 地球上のどこからでも参拝できます 人工衛星の「寺院」計画 [朝一から閉店までφ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1632220456/1
0552人間七七四年2021/09/22(水) 09:29:57.55ID:DZiy2xwo
NHKBSでやってた秀吉の城跡の特集でも
秀次事件のシーンでは出演者全員「・・ないわーこれで崩壊したろ」
みたいな感じで草だった
0553人間七七四年2021/09/22(水) 12:02:49.54ID:fgRF0xLo
>>552
出演者は何の知識もないからね
そこだけ見せられたらそう思うだろう
0554人間七七四年2021/09/22(水) 12:09:04.72ID:sRuQOyjn
普通に考えれば秀次事件で豊臣政権存続のハードルがかなり上がったのは
よほどの豊臣びいきでない限りわかりそうなものだけどな
豊臣家単独で政権を担当できなくなり他家大名に依存もしくは寄生しなきゃやってけなくなったってことなんだから
0555人間七七四年2021/09/22(水) 12:21:40.09ID:lxh/AYya
>>552
そりゃ当然ながら現代の我々は学者一般人問わず後世の人間だから「後知恵」ってフィルターがあるからだけど、秀吉没直前の時点で豊臣政権後継者が幼少の秀頼のみしか想定されてなくて小早川秀秋始め他家に入った親族に後継の目が無い状態では、スペアも無いのにメインの部品がもうすぐ無くなるって状態な訳で
当時でもマズい状態なのは明らかだもの。
秀吉が秀頼成年まで元気に後見するのが大前提の継承策って、どう考えても当時の人間の寿命を思えば相当困難。
0556人間七七四年2021/09/22(水) 12:31:55.33ID:sRuQOyjn
実際誰よりもやばいと思ったのは秀吉でしょうな
秀次事件以後の徳川への傾斜っぷりでわかる
0557人間七七四年2021/09/22(水) 18:37:38.28ID:b+Ks3Ui4
秀次排除したのもそうだけど、武家関白をトップとする政権の筈なのに、その関白を排除したっていう事実がマズ過ぎる
0558人間七七四年2021/09/22(水) 19:46:29.15ID:PSf0Id/h
それでも関ヶ原に出陣してれば高確率で家康単独の天下にはならなかったよね
武家のトップ張りたかったらここぞという時には身体張らないとな
0559人間七七四年2021/09/22(水) 20:15:07.87ID:qpqx3u0t
戦場まで行ってたら豊臣も担ぎ出したやつも逆に長く続かなかった気がする
仮に決戦に勝てたとして、一回でも担ぎ出されれば他勢力に利用される恐れもある
0560人間七七四年2021/09/22(水) 20:20:40.82ID:K0afEccf
関が原で東軍として戦うってことじゃないの?
0561人間七七四年2021/09/22(水) 20:29:53.50ID:a2GmGOs6
秀吉がそもそも構想として政権と家を分離させてるっぽい遺言だしなぁ
0562人間七七四年2021/09/22(水) 20:53:32.51ID:qpqx3u0t
秀頼を会津征伐に連れて行くの?
それはそれで道中の不慮やら従軍しない将の反発がありそうな気もするが

仮に政権のトップが出陣するなら小田原征伐などと同規模の動員が必要になってくるのでは
0563人間七七四年2021/09/22(水) 21:14:19.14ID:lxh/AYya
>>562
政務を代務する大老格の家康が軍を率いて上杉に直接糾問する体裁だから、ここで秀頼出陣となると糾問でなく
0564人間七七四年2021/09/22(水) 21:25:32.90ID:lxh/AYya
上杉を完全に征伐する事になる。
とてもじゃないが状況としても大仰に過ぎるし、以前の前田なんか秀頼が出張る兆しすら無かったんだもの。
それに征伐となったら必ず秀頼出陣というのもどうなんだと。
でも本当に秀頼に将来政権を託す、特に「武家」関白という公家・文官でない関白の有り様の実地経験を積ませるなら
例え幼少からでも戦場に出すのは有りと云えば有りでもあるけどね。
0565人間七七四年2021/09/22(水) 21:34:48.91ID:YRYvGTH9
>>564
> 上杉を完全に征伐する事になる。

え。
徳川羽柴に上杉も加わって反転して石田を征伐するのかと思った。
そうなったらもちろん毛利も島津も東軍になって石田を。
0566人間七七四年2021/09/22(水) 21:49:20.73ID:AdDv0Zas
西軍が挙兵してからだとそもそも家康との合流が事実上不可能では?
西軍は家康らが会津へ行ってる留守に乱起こして、しかも秀頼を錦の御旗にしたくて軟禁してるんだから
たとえ西軍の大軍詰めてる大坂城脱出できたとしても関東まで逃げ切れないでしょ、伏見の城に鳥居らと一緒にこもるの?
0567人間七七四年2021/09/22(水) 21:56:45.86ID:K0afEccf
秀頼が毛利輝元を一喝し東軍に寝返らせ毛利軍を率いて関が原に向かうんやろ
0568人間七七四年2021/09/22(水) 22:02:28.91ID:YRYvGTH9
>>567
ついでに石田も一喝して東軍に。
0569人間七七四年2021/09/22(水) 23:28:48.11ID:E2uA/x5J
単純な話「今後秀次が政権トップで行きますんで」
って約束を「やっぱなし物心付いてない幼児がトップです」
「この子何の役にも立たんけどお前ら盛り立てて」
ってなった訳だからね

そりゃ皆んなバカバカしいと思うし
好き勝手やらせてもらうわって思うやつは多いわな
0570人間七七四年2021/09/23(木) 09:46:07.90ID:vBIiEHTo
>>550
公卿補任は朝廷の公的な記録なので何らかの改竄をする時には徹底的に改竄する。
つまり、秀忠が慶長十年に正二位になった事が「正史」になったのなら従二位の記録は存在する筈がない。
それに、秀忠を将軍にするのは家康の意向なので位階を拒否しても騒ぎにはならないよ。
家康が正二位を辞退したのは秀頼が正二位だからだろう。
だとすると、朝廷が秀忠に正二位を与えようとしたのは徳川と豊臣を争わせるため、はっきり言うと豊臣を暴走させて徳川に始末させるため。
だからこそ、家康が断ったにも関わらず公家にも武家にも秀忠正二位の話が残ってるんだろう。
0571人間七七四年2021/09/23(木) 12:10:26.71ID:WUblfZ3+
矛盾がある公卿補任に矛盾があるとか
天下人が昇官拒否しても何の痕跡も残らないとか
どっちも独自解釈すぎてお前の中ではそうなんだろなとしか
0572人間七七四年2021/09/27(月) 06:52:45.66ID:Mw6EESmJ
>>554
そりゃあ、成人した当主も居なければ後見人にふさわしい親族も、譜代の家老も居ないって
形になったんだもん。
冷静に考えればその後見人の立場に一番ふさわしいのは秀次なんだけど。

普通に秀次の娘が秀頼の正室で済みそうなのに、何故あそこまでこじれたのかね?

そして一番得したのは誰が考えても家康「小牧長久手で秀次惨敗してるし」なんだよな
0573人間七七四年2021/09/27(月) 07:20:58.37ID:EpwOsaeA
>>572
秀次が完全に排除された事で秀次側近も事実上排除されたことを考えると、
秀吉側近も充分得をしたとは言えるけどね
秀吉死後に秀次が健在で後見人になった場合、当然政権中枢は秀次側近が占めるから
そこに先代側近の居場所があるとは思えん、まあ肩身が狭くなるのは確定だろう
秀頼は秀頼で当然自分の側近を取り立てたいだろうし
あの時点で秀次を排除すると、秀吉死亡時に秀頼幼少のままの可能性が高くなるから
(実際そうなった)先代、つまり秀吉側近が引き続き権限を持ち続けられるからな
0574人間七七四年2021/09/27(月) 07:40:55.56ID:Pf2hnPKq
そもそも秀次の弾劾に実際動いてんのは
秀吉奉行衆だからな
0575人間七七四年2021/09/27(月) 08:31:59.63ID:ZDFW3Xi9
秀次の後見と補佐してる家康は全く得にならんぞ
つか一戦の一勝一敗をそんな根に持つもんでもないし、見方が雑にすぎる
0576人間七七四年2021/09/28(火) 12:45:26.83ID:4uBG2jKh
小牧長久手の秀次ってお飾りやろ?14歳か15歳じゃなかったっけ
0577人間七七四年2021/09/28(火) 17:36:58.75ID:T3X9FrLV
16歳やね
お飾りという年齢ではないが
百戦錬磨の徳川勢相手に総大将務めるにはいかにも不安という微妙な年代
0578人間七七四年2021/09/28(火) 18:21:07.69ID:EwxKXiAg
そこはブレーンをベテラン勢で固めたのでは?
0579人間七七四年2021/09/28(火) 18:50:46.61ID:hpegDJ+A
>>571
幾ら公卿補任の記録者がうっかりさんでも正二位を賜った人を従二位で記録はしないだろう。
下手すると朝廷人事への批判になるんだから。
それに、秀忠への任官を家康が辞退してもそんなに騒ぎにはならないぞ。
朝廷が秀忠に宣下してそれを土壇場で拒否したら確かに騒ぎになるけどそういうケースじゃない。
現将軍・家康が息子に禅譲すると朝廷に打診(拒否される筈もないし実質宣言)しただけ。
おそらくその返答として朝廷は正二位・内大臣・征夷大将軍を提案したんだろう。でも家康は正二位のみ辞退した。先例上従二位でも将軍には足りる筈だし何の問題も無い。交渉段階だから騒ぎにもならない(ついでにいうとここで秀忠は従三位から従二位に昇官は果たしてる)
公卿補任で慶長十年に正二位としてるのは朝廷で人事担当から情報を受けてたからだろう。
ところが実際は従二位だったから妙な混乱を招いてしまった。
0580人間七七四年2021/09/28(火) 20:12:40.29ID:Dcv6IZ4E
>>579
もはや何を言いたいのかわからん

従二位を正二位と書くのも同様に
人事批判と取られかねない間違いだ

土壇場で覆ったわけでもなく宣下されてないなら
公卿補任に記載されるのはやはりおかしい

結局朝廷の陰謀なる結論ありきで見る理由はないが
そんなおかしな見方してるから
これしかありえないと考えてしまうんだよ
0581人間七七四年2021/09/29(水) 18:29:57.42ID:xkzmeW+l
宇喜多秀家の立ち位置ってなんだったのかな。
前に、熱く猶子で実子と同じと力説してる人がいたけど。そのわりには、秀頼の後見となるわけでもなく、参加した西軍の総大将になるわけでもない。西軍の有力大名として、参加し、善戦したに留まっている。
0582人間七七四年2021/09/29(水) 20:08:22.02ID:5oucSHpA
毛利への牽制用なのかねぇ、本来期待された役割は
猶子はどこまで行っても家を継がせる養子とは違うしで、あくまでも大名宇喜多家への後援なのよねあれ
0583人間七七四年2021/09/29(水) 20:23:18.25ID:KK4GJd2f
大名宇喜多家自体が豊臣政権と一心同体だからなー
秀吉がいたから秀家が継いで成立したようなもんだし
0584人間七七四年2021/09/29(水) 21:04:28.93ID:jp4YM/D9
秀吉の時代の秀家の立ち位置は、徹頭徹尾秀吉らが溺愛した豪姫の「婿」であり
それ以上でもそれ以下でもない
0585人間七七四年2021/09/29(水) 21:27:49.34ID:2ixUuhgW
>>580
正二位を貰うという確定情報が公卿補任の著者に入ってたんだろう。事実、徳川の史料では正二位になってる(公卿補任では慶長十五年では従二位)
武家である徳川には位階なんて興味薄だろうが、それでも実際に宣下を受けた徳川が正二位を記録してるのは何故か?朝廷の人事権者からリークがあったから。家康が辞退したのに広がってるから朝廷は意図的にリークしたんだろう。
そして故に、公卿補任も秀忠を正二位で記録した(これは当然、江戸時代の慣例とは無関係)
どうして朝廷の人事権者を疑うだろうか?
勿論、騒ごうと思えば騒げるが朝廷からすると秀忠を秀頼と同じ正二位にして豊臣を刺激するってのはちょっとしたイタズラに過ぎない。
本命は秀忠将軍就任によって、秀頼を関白の座から叩き落とす事。
尚更、騒ぎには出来ない。ま、仕込みはしておくに越したことは無かったんだろうけど。
0586人間七七四年2021/09/29(水) 21:29:10.65ID:aJtxjGnB
秀家が猶子になってたという確かな史料はないはず
ただ娘婿として秀吉の身内扱いはされてた
0587人間七七四年2021/09/30(木) 09:54:35.04ID:zhqS6Pma
>>585
公卿補任は個人の著作物ではなく朝廷の記録
0588人間七七四年2021/10/01(金) 01:22:27.68ID:J13LHDfF
そういえば、毛利方の史料だとどうやら輝元と隆景で西国の惣無事とされてたらしいけど、実際惣無事らしい行動って何かやってたのかわかるものってあるのかな
あまり毛利が西国の取次やら西国事情の報告なんかしてる様子があるってのを聞いたことがないけど
0589人間七七四年2021/10/01(金) 17:14:40.80ID:Uio0KYOe
丹羽を残しとけばまだ何とかなったかも・・・
0590人間七七四年2021/10/01(金) 21:49:07.72ID:23MjuwJF
豊臣政権の関東支配は家康入部で成り
東北仕置きは秀次-家康ラインで処理された

けど西国遠征における毛利家の役割は
案内役先陣としてけして小さなものではないものの
そこまでのものだったとも言い難いのではないかな

西国を毛利に任せたというのが毛利独自の主張か
晩年の秀吉が実際にそう言ったのかは定かでないが
後者だとしたら耄碌してたんかなという印象
0591人間七七四年2021/10/01(金) 21:52:34.98ID:k3jXIa3b
毛利の史料で輝元単独ではなく、あくまで小早川隆景とセットというのが胆だとおもうぞ。
輝元個人に対しては、秀吉は尊重はしているものの決して重用も信頼もしていない。
0592人間七七四年2021/10/01(金) 23:50:34.98ID:J13LHDfF
ふむ、やっぱり毛利は西国惣無事らしい行動取ったっぽい史料はないですか
ありがとう
0593人間七七四年2021/10/02(土) 01:11:56.51ID:Zs/QW5FY
庄内の乱のときに輝元が島津義弘に書状送ってなかったっけ
0594人間七七四年2021/10/02(土) 04:40:09.46ID:S9zv9/tX
庄内の乱まで行くと秀吉没後に政権内で勢力広げたかった行為の一環かもしれんしで
秀吉から西国惣無事として任じられての行動かどうか判じられないのよねぇ
0595人間七七四年2021/10/02(土) 05:55:15.44ID:HFh41SI+
それで惣無事だと島津の書状取り次いだり
諸々指導してる三成は西国惣無事みたいな
変な話になってきちゃわね?

まあ関ヶ原で多方面侵略してんのも
惣無事らしいといえばらしいのかもしれんし
割と真面目にやる気だったんじゃね?
西国における政権権力の奪取を
0596人間七七四年2021/10/02(土) 06:32:32.77ID:HEdeYimu
1.秀吉が死んで、戦国に戻ると思った各大名家が武装強化を開始
2.上杉家に勝手に軍事道路を建設された最上が、豊臣公儀に上杉を告発
3.豊臣公儀としての召喚を、上杉がガン無視
4.放っておけないので、家康が豊臣公儀として上杉討伐軍を興す
 (ただ、進軍が遅いのを見ると、上杉がごめんなさいしてくるの待ってたんじゃないかな)
5.毛利が家康主導の政権に反発する奉行衆を抱きこんで、大坂を武装占拠
  豊臣公儀の名前で家康を告発。西国各地に侵攻を開始
6.東軍は家康支持でがっちり固まる。上杉は東軍の進軍を妨害せず、
  清州城が速攻で落ちて、防衛ライン構想が瓦解。
  毛利家及び擁立した旧領主の軍勢、西国各地で敗れる。
7.輝元、三成をスケープゴートにして停戦交渉を開始。
  ぶっちゃけ、関ヶ原なんてなくても、この時点でクーデターは終わってる。
8.関ヶ原
9.大老は家康以外権威を失い、奉行は浅野以外免職。
  豊臣公儀体制が崩壊し、徳川家の家内機関による公儀運営を開始。
  豊臣の家内機関も崩壊したが、本来秀吉の代行をすべき高台院が隠居
  しているため、淀殿が表に出ざるを得なくなる。

大体、毛利が悪いと思う
0597人間七七四年2021/10/02(土) 07:27:46.02ID:2ndKVS7m
輝元ってどこを見てもろくな書かれ方をしていないよね
元の位置が高かったから目立たないだけで織田信雄レベルのアレだったのでは
0598人間七七四年2021/10/02(土) 08:19:10.93ID:Fo6LzMuR
まぁ戦国大名としては標準的謀略なんか普通にアリな人物で
豊臣惣無事体制のような固定された世界で生きたくない、普通に所領や勢力は増やしたい
そんな人物だったんだろう。
三成なんかは本人にもそれなりに問題があったにせよ、西軍成立期には
到底反徳川の諸侯を糾合出来る立場になく、毛利などの動きこそ真の主体だろうから
体よく安国寺らと共にスケープゴートにした訳で。
でも結局権力抗争に敗れたので能力はアレ呼ばわりになるが
普通に戦国大名のメンタリティーを持ったままの人だったのだろう。
0599人間七七四年2021/10/02(土) 08:30:58.14ID:oXABoVIb
四国や九州に手を出すのは家風だからなあ
家康が関東管領なら輝元は九州探題ぐらいの意気込みだったんじゃないの?
0600人間七七四年2021/10/02(土) 09:27:09.84ID:2ndKVS7m
安国寺なんて毛利家内の政争の生け贄にされたようなもんだしほんとかわいそう
0601人間七七四年2021/10/02(土) 09:30:21.91ID:S9zv9/tX
群雄割拠とはまた違った泳ぎ方が必要だった訳で、仮に毛利元就が同じように豊臣政権下にあったとしても史実ほどの活躍ができたかは怪しいしね
あんな大乱起こせる状態に持ち込んだだけ能力あると思うよ、二の丸殿事件とか小西行長の息子への扱いとか性格面がちょっと腰軽い癖に尻尾の切り捨て方があけすけで嫌われやすくてろくな書かれ方がされにくいってだけじゃないかな
0602人間七七四年2021/10/02(土) 09:36:59.73ID:HFh41SI+
家康みたく最後勝ったてわけでもなく
三成みたく華々しく散ったわけでもなく
最後矢面に立つのを避けたから仕方ないとは思う

が大国の君主として不利な戦をしないのは
むしろ必要な資質なんじゃないかと
同じ五大老の上杉宇喜多と比べて
妙に辛く見られてる気がすることはある
0603人間七七四年2021/10/02(土) 09:40:41.22ID:2ndKVS7m
不利だったのかねえ
石田宇喜多大谷なんかは関ヶ原に秀頼の御座所を用意して輝元と秀頼の出馬を待ってたらしいじゃん
関ヶ原で西軍が敗走した後も西軍最強だった立花宗茂と小早川秀包の軍は健在で輝元に籠城を主張したりもしてた

普通に覚悟を決めて家康と決戦してれば日本の西半分の大将に君臨できたと思うけどなあ
0604人間七七四年2021/10/02(土) 10:01:58.60ID:HEdeYimu
秀頼が輝元を支持していない以上、それやろうと思えば大坂城本丸に攻め込んで
身柄を押さえるしかない。
なんの言い訳もできないほど、毛利家主導のクーデター丸出しだし、
東軍に秀頼を助ける大義名分を与えるだけ。
0605人間七七四年2021/10/02(土) 12:21:25.51ID:+loZ60vA
てか秀頼も良くない。
家康か輝元に討伐命令書状を出して立場をはっきりさせないといけないのに。
0606人間七七四年2021/10/02(土) 13:43:03.68ID:a1u54H6f
当時8歳のこどもの責任を問われても・・・
てのもあるし本人と政権のためを考えても
軽率にどちらかに肩入れして
もっと酷い目にあう可能性もあるでしょ

政権として正式決定した会津征伐中に
突然クーデター起こしたのが西軍な訳で
それに政権賭ける選択普通できないでしょ

かと言って突然兵隊連れて入城されて
居座った連中反乱軍扱いして討てとか言うと
何されるかわからんやん?

西軍挙兵は豊臣御為に立ち上がった義挙
みたいなバイアス排除してみると実は
挙兵された時点でめっちゃ迷惑だし実質詰み
0607人間七七四年2021/10/02(土) 13:48:36.80ID:Zs/QW5FY
秀頼の手足となって動くべきだった側衆も西軍に付きたくなくても
断れば大坂で乱になってしまうしで選択肢はなかったでしょうね

こういうときに先頭に立つべきだった前田はいないし
0608人間七七四年2021/10/02(土) 14:07:28.48ID:e6GUhvOW
>>593
確かに輝元は慶長4年に度々島津とやり取りしてることが確認できるけど
輝元が何か手立てを講じようとしたが家康から島津に使者が遣わされたから
その意を汲んで行動しようと思うって言ってるから主導権は家康にあり、輝元主導では何もできなかったのが実情だな
島津家文書で見ても実際乱の平定に向け動いてたのは家康、山口直友、寺沢正成だしな
0609人間七七四年2021/10/02(土) 14:09:43.38ID:S9zv9/tX
豊臣本家に選択させないためにも毛利は大坂にあの大規模の兵を留め置いたんだろね
0610人間七七四年2021/10/02(土) 16:14:50.55ID:+loZ60vA
秀頼八歳とはいえ、当時は十三には戦争で大将張ってる奴もいる時代なんだ。しかも天下人秀吉の息子なんだから当然ここで将器を見せつけんといかん。
どのみち傍観してたら勝者に天下人は取られてしまうんだし。
0611人間七七四年2021/10/02(土) 16:25:03.07ID:2ndKVS7m
家康が勝っても豊臣家には関係ないとでも思ってたのかな
0612人間七七四年2021/10/02(土) 17:12:21.42ID:zUWazw+w
秀吉が没した時点で天下差配できるだけの器量がもう豊臣家にはなくて、天下人じゃなくなるというならすでにこの時点で天下人じゃない、というか秀吉も遺言で豊臣家と政務を分けた書き方してるしね
あとは政務を血縁の家康に任せて前の天下人の家として敬意払われる名誉的な立ち位置は確立できてるし、わざわざとんでもなく実務の多い天下人をやりたがる意味も必要もないかな
0613人間七七四年2021/10/02(土) 17:24:31.48ID:2ndKVS7m
>>612
豊臣家がそう考えていたなら滅亡してないんじゃないかね
0614人間七七四年2021/10/02(土) 17:27:05.77ID:js4/hLf6
>>610
そういう状況なの分かってて挙兵するなよ西軍、って話ではある
まあ、大坂押さえて伏見落として内府違いの条々バラまけば
諸侯の大半はこっちになびくだろうから、これで徳川に勝利!みたいな
すげえ甘い予測で挙兵してるっぽいからどうしようもねえんだが
0615人間七七四年2021/10/02(土) 17:42:32.50ID:9P0bSx8a
少なくとも秀吉は遺言でもって家と政権を分けたね
淀においても秀頼の当主代行してる間はつつがなく徳川とのゆるやかな上下関係の逆転は認めてるし
あるとするなら秀頼当人が弁えてなかったって感じ
ただこの辺もどちらかといえば淀から秀頼に当主が切り替わるにあたっての派閥の摩擦による御家騒動な性質が強いのよね、大坂の陣に至るまでの片桐追放までの流れ
0616人間七七四年2021/10/02(土) 17:57:00.15ID:iVLUovBH
>>613
羽柴家が政権から切断されることは共通認識として武家政界一般に共有されていた(伊達政宗書状等)にしても、
切断後の羽柴家の具体的な取扱方について
政権継承者=江戸幕府と羽柴家との間に温度差があったということなんじゃないか。
所謂「ボタンの掛け違い」という奴。
0617人間七七四年2021/10/02(土) 18:10:20.41ID:HEdeYimu
>>611
家康が勝っても、輝元が勝っても、豊臣公儀の機構が瓦解して
勝った方が政権をとることになるのはわかってたんじゃね?
だからどっちにも味方したくなかったんだろうし。
0618人間七七四年2021/10/02(土) 18:15:21.07ID:HEdeYimu
>>616
豊臣家「実質的な政権は徳川家がとることになっても、鎌倉幕府の宮将軍のように
     名目的な君主は豊臣家が続ける」
徳川家「豊臣家は官位も官職もないし、儀礼的な君主につく資格がない。
     旧主の子供としての敬意は払うが、君主としては扱わない」
こんな感じ?
0619人間七七四年2021/10/02(土) 18:20:08.15ID:+loZ60vA
せめて家康に討伐命令と恩賞を約束しておけば良かった。
そうすれば家康の出す恩賞はイコールで豊臣が出す恩賞になるから太閤恩顧の連中に少しは効果があったかもしれない(大坂の陣に味方してくれるみたいな事は無かったろうけど)
傍観決め込んだ結果、領土だけ取られて人々の敬意は徳川とかやってられませんよー。
0620人間七七四年2021/10/02(土) 18:23:23.97ID:S9zv9/tX
天領はそもそも政権に帰属するから、豊臣の本領は減ってないんじゃないか
0621人間七七四年2021/10/02(土) 18:31:23.18ID:iVLUovBH
>>618
大体その辺りかな、と。
0622人間七七四年2021/10/02(土) 18:41:40.86ID:0ouNWt64
色々意見があるけど豊臣家がやったことはどっちつかずで中途半端だったよね
0623人間七七四年2021/10/02(土) 18:55:11.37ID:js4/hLf6
>>622
と言うより、豊臣家が天下に大乱や混乱が起きた際に、そういう中途半端な立場を
当主幼少故に取らざるを得ない状況になってたのが、秀吉死亡直後の状況だからな
いっちゃあなんだが、この状況で政権内最大勢力である徳川の支持を
(たとえ専横に近い状態にせざるを得なかったとしても)取り付けた状態にしたのは
老いたりとはいえ、さすが秀吉とは言えると思う
まあ残念ながら2年しかもたなかったけれども
0624人間七七四年2021/10/02(土) 19:04:36.68ID:0ouNWt64
関ヶ原でああいうスタンスだったんだからその後も徳川の天下運営を支持して大人しく言うことを聞いておくべきだったな

伊達政宗が言ってたみたいに家康に養育してもらって一門衆として扱ってもらった方がよかったのかも
0625人間七七四年2021/10/03(日) 12:36:32.72ID:KhUXzgpg
自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則の意味が全くわからなかったんだけど
徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。
0626人間七七四年2021/10/03(日) 13:16:11.50ID:9Zy62rxz
まずその話はほぼ確実に創作
初出が改正三河後風土記でしょ?たしか
0627人間七七四年2021/10/03(日) 13:44:12.24ID:BNTGrHAR
信長の孫だから簡単には命取らんやろ
0628人間七七四年2021/10/03(日) 13:56:51.80ID:KhUXzgpg
主旨があってれば、創作でも良いですね
徳川史が初出なら、徳川家視点の『豊臣家こうあるべきだった』という間接証明と言えますよね
当時から、敬意を払われるだけの存在になるべき、という見方があったと言えます
0629人間七七四年2021/10/03(日) 14:02:57.80ID:BDVYgDQG
>>628
> 旨があってれば、創作でも良いですね
良いわけねーだろアホか。「改正三河風土記」の編纂の時点に於いてでそういう認識があった、ということに過ぎない
0630人間七七四年2021/10/03(日) 15:13:06.71ID:KhUXzgpg
だから、それで良いじゃないですか?
話の主旨があってれば
0631人間七七四年2021/10/03(日) 15:20:28.25ID:Bof3AF3S
つまり秀頼の時は福島のように戦功に代えてでも助命を願った大名武将は一人もいなかったということかな
0632人間七七四年2021/10/03(日) 15:22:46.11ID:cG5EpsTQ
片桐且元が一応助命嘆願してなかった?

だとすると且元さんマジで聖人だが
0633人間七七四年2021/10/03(日) 15:26:46.71ID:BDVYgDQG
>>630
「改正三河風土記」の成立は1837年(天保8)だぞ?関ヶ原から230年後だ
君の言う「当時」っていつのことよ
0634人間七七四年2021/10/03(日) 15:28:42.16ID:Bof3AF3S
まあ秀信は西軍全体で見れば首謀者でもなくさほどの大物でもないし
助けたところで禍根を残すような危険性も無かったろうから
0635人間七七四年2021/10/03(日) 17:13:08.51ID:KhUXzgpg
>>633
1837年で良いのでは?
つまり、初出の時
この話、史実性ではなく解釈の問題なんですけど
0636人間七七四年2021/10/03(日) 17:16:12.38ID:KhUXzgpg
>>625に対して、『いやその解釈はおかしい。正則はこういうつもりだったはずだ』とかの反論ならわかるんですけど…
0637人間七七四年2021/10/03(日) 17:40:06.84ID:9Zy62rxz
いや、福島がそんな事をした事実もないのに625のまるで福島がやったかのように語ってるのは明確におかしいでしょ
0638人間七七四年2021/10/03(日) 17:43:21.71ID:9Zy62rxz
後世出来上がった逸話は精々その成立時にその人物がそういう事してもおかしくねーな、と思われてた程度のものでしかない
変に意図を汲み取ろうとしなさんな
0639人間七七四年2021/10/03(日) 18:13:12.34ID:033057mJ
そもそも西軍に加担した連中が軒並み命を奪われているわけではないからな
秀信が切腹や斬首に相当するようなことをしているというとこから説明しないと
0640人間七七四年2021/10/03(日) 18:55:21.47ID:iHr5wrXN
↓この話に「史実性」が無いなら、それ以降はID:KhUXzgpgの妄想に過ぎず、「そう解釈()したいなら勝手にしろよ」以外の言葉がない
>自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則

つまり、まず一次史料を持ってこい。話はそれからだ。
0641人間七七四年2021/10/03(日) 19:06:07.40ID:KhUXzgpg
そう?
>>625を読んで貰えば、私の想像だとわかると思うけど(『気がする』って書いてるよね)
自分が>>625を読み間違えて、話に乗っかってきたくせに、みっともないよ?

私の勝手な解釈に異論があるならどうぞ、って話でしょ、最初から
史実性の話はしてないんだから、一次史料持ってきてからだ、とか意味不明

話に乗ってこなきゃ良いだけでは?
0642人間七七四年2021/10/03(日) 19:31:25.91ID:UbGPxLxs
やばいですね
0643人間七七四年2021/10/03(日) 19:40:12.07ID:LHAU4X4K
もう触れないでおこう
0644人間七七四年2021/10/03(日) 19:44:49.67ID:9Zy62rxz
アレな頭の人だったか
0645人間七七四年2021/10/03(日) 19:56:06.96ID:9Zy62rxz
>>625
> 自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則の意味が全くわからなかったんだけど
> 徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
> つまり、敬意だけは失わないでくれ、的な。

はい、この書き方の場合読解として常識的な受け取り方は
自分の恩賞と引き換えに、織田秀信の助命嘆願をした福島正則
を事実として鵜呑みにした上で
徳川の世における秀頼への接し方を、秀信と自分に置き換えて示したような気がする
と、この事象に関する感想を述べたととるのが普通

少なくともこの事象を創作と思ってる書き方とは読み取れない
意図しない読み取り方されてるー!って言い出す前に、自分の書き方が創作を鵜呑みにしてると取れる書き方をしたことを反省するのが、まともな人のする事だと思うよ
まあここまでの書き込みの時点で相当ヤバい奴だとは思うので、そんな事しないし逆ギレかますのがオチとは思うが
0646人間七七四年2021/10/03(日) 20:25:18.24ID:+08HeQ2i
>>606

226の時に先帝陛下だったと考えたらたらよくわかる話だわ。
0647人間七七四年2021/10/03(日) 20:54:09.19ID:abY4L3QR
>>645
ID変わったけど、625ね。
それについては、>>626でほぼ創作と指摘されたので、>>628で創作でも構わない旨回答してるけど?

キミみたいな人達が噛みついてきたのはその後。
0648人間七七四年2021/10/03(日) 21:04:57.99ID:abY4L3QR
でも、よくこんなくだらない話続けられると感心するよ。
どうあれ、>>625が解釈の問題と認識したわけだし、それに異論があれば回答すればいいだけだし、
史実性に拘りたければ無視すればいいだけ

議論の目的がマウントとる事にズレてて、失笑せざるを得ない
0649人間七七四年2021/10/03(日) 21:18:28.93ID:9Zy62rxz
な?言われてこれなんだからそりゃやばいやつ認定しかされないんだわ
内容以前に反省もろくにできないその態度に怒られたら、うわ噛み付いてきたとか言い出すその性根をなんとかするか、喋らない方がいいよ
他人を不快にさせるだけで、君の発言も全く議論の進展に繋がらないから
0650人間七七四年2021/10/03(日) 21:32:45.43ID:cG5EpsTQ
ただ秀信が許された理由ってなんなんだろうな
東軍に属するつもりが西軍に寝返ったってパターンらしいけど、もう大物でも無いからと哀れまれたのか?
0651人間七七四年2021/10/03(日) 21:37:41.60ID:LHAU4X4K
織田右府の嫡孫って簡単に殺せる相手なのかね
0652人間七七四年2021/10/03(日) 21:40:40.94ID:9Zy62rxz
言っても西軍についたので死罪になったのかなり少なくないか?
大概は改易
0653人間七七四年2021/10/03(日) 21:45:18.68ID:UbGPxLxs
早死しなければ復帰の目はあったかもしれんね
0654人間七七四年2021/10/03(日) 21:46:37.24ID:yz7012eE
そもそも秀信って割とガチな西軍のイメージなんだが
家臣の一部は東軍に味方した方がよいと考えてた節はあるっぽいけど
なんか本人に東軍に味方する気があったって話があるなら教えてほしい
まあ秀信は立場的に相当ズルい立ち回りをしても許されそうではあるけどね
それこそ京極みたいな動きをしてもOKだったとは思う
結構早死にだし、もうちょっと長生きできれば大名復帰、
或いは信雄のように大坂で御伽衆になるパターンもあったんじゃないの
0655人間七七四年2021/10/03(日) 21:51:04.40ID:cG5EpsTQ
長束や福原、九鬼といった連中も自刃して果ててる。西軍諸将でも結構、自刃が命じられてはいるみたい。勝手に刃を呑んだ連中もいるだろうが…
織田秀信は確かに盟友織田信長の孫ではあるんだが所詮は13万石の大名、小西はおろか石田よりも少ないんだ。マジで信長の七光しかない。
織田の名を警戒するならサクッとやられててもおかしくは無さそうではある。
福島の助命嘆願とやらが効いたのか?でも助命されても徳川の邪魔になるなら容赦は無い筈だけど…
0656人間七七四年2021/10/03(日) 22:04:34.46ID:UbGPxLxs
当時の秀信の境遇だと大坂方に取り込まれそうな気もする
元家臣以外、信雄・有楽のように徳川方にコネがある感じでもないし
0657人間七七四年2021/10/03(日) 22:04:43.30ID:abY4L3QR
>>649
な? キミの結論は、>>625とは全く関係ないでしょ?
結局、私に対する人格攻撃なわけ
このスレで、キミはかなり人を不愉快にしてるみたいだけどね
そっくり返しときます
0658人間七七四年2021/10/03(日) 22:06:50.90ID:9Zy62rxz
長束は徳川からの命での切腹か怪しいはず
九鬼も徳川からは許し出てたけど家臣の独断じゃなかったけかな

どちらにせよ腹切らされてる方が珍しいくらいやね
0659人間七七四年2021/10/03(日) 22:09:32.80ID:/ll3j16R
人格攻撃だとか言い出す前にまじでその話の流れも読めなけりゃ話のゴールポストずらしまくって自己内省もしないゴミみたいな性格なんとかしろよ、性格が悪いから性格悪いと言われてんだろ、くどいしみっともない
0660人間七七四年2021/10/03(日) 22:14:50.62ID:cG5EpsTQ
関ヶ原の西軍諸将だと、
処刑者5名、自刃者18名、戦死者8名、暗殺3名…
らしいけど、
本多忠勝が真田を助命した、みたいな話が他にも残ってるのかもね。ここら辺はコネの世界だし。
0661人間七七四年2021/10/03(日) 22:35:51.07ID:abY4L3QR
>>659
自演お疲れさま
0662人間七七四年2021/10/03(日) 23:02:14.39ID:lXdktaP/
コネといえば聞こえが悪いけど信用できる人物からの身柄の保証だものね
逆にいえばここでコネがないのは大名としての普段の外交能力にも疑問符がつくと考えられそう
0663人間七七四年2021/10/04(月) 06:25:56.06ID:sfnHPr24
毛利も広家がコネでなんとか交渉することを期待してるしまぁ人脈って大事

翻っていうと徳川にとっては織田はもう敵では無かっんだろうか…
0664人間七七四年2021/10/04(月) 06:45:28.85ID:k7Vnu3TQ
>>663
織田家全体で見た場合、有楽が東軍だから保険はかかってるし問題ないだろ
最終的には信雄の系統も残ったから信長からの流れも残ったとは言えるし
御家が二家も残ったなら一家絶えても別に…いやそりゃ多い方がいいとは思うけど
0665人間七七四年2021/10/04(月) 08:04:57.51ID:45BIJR4G
家康は律儀者だから信長が死んだ後もずっと織田家の同盟者として振る舞ってるからね
家督だか名代だかになった信雄が秀吉に屈服した時点で織田家への義理立ては終わった
0666人間七七四年2021/10/04(月) 12:13:28.93ID:Ipba3SjN
家康にとってもう織田とか息の根止める必要も無い存在だったのか…

そういや信雄さんも何となく西軍に参加して何となく改易食らってましたね…
0667人間七七四年2021/10/04(月) 13:15:21.46ID:SNnC0mOD
織田弾正忠家自体元が陪臣の出で勢力急拡張の始まった信長時代から仕えだしたのも多いし、譜代は信長の叱責で追放されたり秀吉と対立の末敗死したりだしね
織田の求心力は秀吉の天下の時点で大分なくなってそう
なんか頼長は大坂の陣に託けて織田家でまた一旗上げたがってたみたいだけど
0668人間七七四年2021/10/04(月) 13:35:27.55ID:45BIJR4G
織田政権は尾張美濃政権
羽柴政権は近江政権だからまあ

本能寺で終わっちゃったせいで織田家の時代に活躍した信長の側近とか影薄いからねえ
0669人間七七四年2021/10/04(月) 18:35:10.38ID:Ipba3SjN
>>667
頼長「総大将は私がやりたい!」
秀頼「ダメです」
頼長「は?トップがバカで戦争できんわ」→大坂城最大の弱点南口を預かりながら一切の戦闘行為を禁止にするサボタージュを敢行
これホント酷い。豊臣家を何だと思ってたんだよ…
0670人間七七四年2021/10/04(月) 19:45:40.13ID:SNnC0mOD
豊臣家を自分の踏み台と思ってたんでしょ頼長
研究者にすらこいつかぶき者すぎて意味わからんみたいに言われてるし
0671人間七七四年2021/10/04(月) 19:50:39.22ID:IvfLC70h
そう考えると、天下人確定から一大名に落とされた意趣返しだったのかもしれんな…
0672人間七七四年2021/10/04(月) 20:48:14.98ID:k7Vnu3TQ
いとこにあたる信雄や、父である長益と比べても格落ち感が否めないからな、頼長
確かに大坂の陣時点だとこんなのでも大物の方だろうから
総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)
官位も従四位下・侍従だから地味に高いな、立場違うけど三成より官位上だし
0673人間七七四年2021/10/04(月) 21:31:29.81ID:J0msf97e
>>672
> 総大将になりたいと希望するのも無理ないが(浪人を総大将にも出来んし)

いや、総大将って、議論の余地も無く羽柴秀頼さん二十二歳じゃなかったのか。
相手は古稀を過ぎた狸が闘気満々で(実質)総大将をやってるってえのに…。
こりゃあ負けるわけだ。
0674人間七七四年2021/10/04(月) 21:49:51.85ID:afnK9uZA
実戦経験ゼロの若造がどうして総大将になれる?
いや、実戦経験ゼロの若造が血筋だけで総大将なら織田信長の血を引く俺だって…

ってなったんだろうさ。そして配下は牢人衆とかいう地獄。
0675人間七七四年2021/10/04(月) 22:16:33.24ID:k7Vnu3TQ
>>674
細かいツッコミだが長益の子だから信長の血は引いてないだろ、織田家の血だな
0676人間七七四年2021/10/04(月) 22:52:48.96ID:oMkEF168
> 実戦経験ゼロの若造がどうして総大将になれる?

戦国期に初陣で総大将って例はそこそこあったよな、とポツポツ思い出してみると、
実は北條氏康にせよ長尾景虎にせよ「その戦で実働した軍団の総大将」ではあっても一国のそれではなかった(景虎は虚構説もあり)。
正真正銘の初陣総大将は今川氏親と(一応)山内顕定ぐらいしか知らない。
他には例があるかな。
0677人間七七四年2021/10/05(火) 00:11:09.03ID:zMdGAgBx
初陣だろうと豊臣家が滅ぶかどうかの乾坤一擲の戦に総大将にならないってのがなー
なんかやっぱり武家より公家として育てられてしまったんだろうな
自分は高貴な血なんだから戦のような荒事は卑しい下々の武士どもにやらせてその戦果にただ乗りするだけみたいな
最期まで自ら出陣しないし落城して蔵に逃げ込んで命乞いするあたりもどうにも公家臭長袖者臭がする
0678人間七七四年2021/10/05(火) 00:18:43.85ID:FJaA6Us5
公家の勉強も嫌がって短期間でやめてるし公家もそんなはんなりしたもんじゃない
ただただ生来のもん
0679人間七七四年2021/10/05(火) 00:26:56.73ID:8pb3Km7g
小牧長久手の時の秀次なんて満15歳で総大将やってたよね
0680人間七七四年2021/10/05(火) 00:35:44.30ID:7IMjwDdi
総大将…?
0681人間七七四年2021/10/05(火) 00:48:48.77ID:OT5YB6fD
「公家?なりたかったねえ…(遠い目)。でもさ、なろうったってなれるもんじゃないのよ。侍は死ぬまで侍をやらされるの。俺も厭だったんだけどさ。ナニ言われてもさ、生き残んなきゃなんないの、恥を晒して嗤いモノになってもさ。侍だから。親父の人質だった奴にアタマ下げたり爺さんの部下だった家に厄介になったりして、さあ…。俺がいくらお坊ちゃまだってそんくらいの覚悟はあったよ。ヒデヨリ…さん?だっけ?まあ直接面識はないんだけどさ、覚悟が足んなかったんじゃないの、その辺のさ。」
(静岡県出身 男性 サッカー選手)
0682人間七七四年2021/10/05(火) 01:10:12.47ID:9T53zW4+
>>681
まあアンタん家は元々堂上家じゃなくて、運良く公家仲間になれて堂上に行けても半家止まりだものね。多分。
武家官位や序列だけど高家で公家っぽくなれて良かったんじゃないかなあ。
秀頼クンは、ねぇ、摂関家格だけど多分他の五摂家がマトモにやらせてくれなかったと思う。だって連中ほら生粋のイケズな京都人だしさ(いや待て)。
0683人間七七四年2021/10/05(火) 07:40:25.81ID:OOPVnBnX
加藤清正が言ったとされる
「秀頼さまは武家なのか公家なのか」
ってのが答えだよなぁ。
ホント傅役はなにしてたん…
0684人間七七四年2021/10/05(火) 07:56:31.09ID:FJaA6Us5
そりゃ小さい頃に秀吉が猫かわいがりしすぎたんじゃないの
秀頼が気に入らない女中いたら言いなさい、折檻するからって書状はやっぱり当時としても異質すぎる
0685人間七七四年2021/10/05(火) 08:17:44.72ID:yyN+LfA7
武家なのか公家なのか天下人なのか大名なのか
はっきりせん状態で放り出されたのが秀頼だからな
どう育ちゃいいのか誰も正解がわからんかったろ

長益の息子は親父と同時期に退去してるし
サボタージュも和平派の親父の方針じゃねえかな
色々無茶したし仲間には調子いいこと言うけど
家には逆らえない放蕩息子ってイメージ
0686人間七七四年2021/10/05(火) 08:29:59.98ID:+lyR/KhO
織田一族って身内と言っていい淀がいたから大坂城に溜まってたけどヤベエから捨てて皆逃げたって印象だな
信雄とかも散々豊臣の情報を流した挙げ句逃亡したんじゃなかったっけ?
0687人間七七四年2021/10/05(火) 08:41:52.73ID:FJaA6Us5
信雄はむしろなんとか軟着陸させようとしたら大坂城がどんどん過激になっていって、下手すりゃ総大将にまで仕立てあげられそうになって手に負えなくなった泥船から脱出した感じ
片桐追放でやばくなった時もいち早く徳川に対しての遺恨じゃないんですって弁明出してるしね
自分が秀吉相手に戦争する契機になったやらかしをまんま目の前でやられただけあってやばさ分かってる

偉大な先代が散々甘やかした相手を厳しく躾けられるのってどんくらいいたんだろな
正直この辺は教育がどうこうじゃなく性格のもんだと思ってるけど
0688人間七七四年2021/10/05(火) 12:06:17.81ID:fgCxSbnT
大阪の陣で、現役大名で大阪方に味方するのがいなかった理由について、「大阪方に勝ち目が無かったから」と書いてる人がいた。
こう書くと、大名達が自己保身のために味方しなかったように聞こえるよな。
0689人間七七四年2021/10/05(火) 12:24:09.18ID:+lyR/KhO
そりゃ着々と幕府を固めてる徳川と付き合ってきた諸大名からしたら今更何やってんの?って話だろう
0690人間七七四年2021/10/05(火) 12:24:40.37ID:9T53zW4+
>>687
その躾を没後させようとしてたのが利家だけど、秀吉の後を追うように死んでるから秀頼の教育面ではその時点でアウトになってるんだろう。
後は淀の方位しかマトモに意見出来ないが唯一の息子だから余りいわなかったろう。
片桐すら居られない大坂城で秀頼を制御する役は誰も居ない。秀吉は傅役もだが、師に成り得る人物も決めておく必要があったな。
でも多分それは自分の役だと死を覚悟するまで
0691人間七七四年2021/10/05(火) 12:26:58.48ID:LFDeABVn
長束の嫁さんって本多平八の娘さんなんでしょ?
可哀想な最後だよな
0692人間七七四年2021/10/05(火) 12:31:07.39ID:9T53zW4+
思ってたんだろう。結局豊臣政権を秀頼に委譲するには秀頼成年(元服でなく)まで秀吉が存命して権力を掌握し続けるしか道が無い。

>>688
いや全くその通りで、各大名家だって自己と家臣の存続の為に色々してるのだから
単なる恩顧のみで大坂の陣のような不利な状態の博打をしはしない。
0693人間七七四年2021/10/05(火) 13:05:13.80ID:eUkbG15O
主従は恩顧なんて文字通り恩着せがましいものじゃなく御恩と奉公の関係であるべきだし、豊臣は御恩を履行できてないからね
実務能力がないのに担がれる訳がないし実務能力がないなら弁えなきゃいけないんよな、本来は
0694人間七七四年2021/10/05(火) 13:08:05.06ID:vmxC2zyQ
信雄にしろ長益にしろ普通に穏健派というか
現実的に幕府に勝てるわけないと
わかってただけだと思うわ
0695人間七七四年2021/10/05(火) 13:59:20.29ID:zMdGAgBx
もともと武士の主従関係ってギブアンドテイクのものすごくドライなもので
一門譜代などの運命共同体でもない限り頼み甲斐が無くなれば主をあっさり捨てるなんて当たり前なのに
治世安定期の江戸時代に作られた湿っぽい忠義思想でこの時期を見るからおかしなことになる
秀吉が天下取れたのも家康が天下取れたのも諸侯が自家と所領を安堵してくれる君主盟主として認め推戴したからというのは間違いなくある
織田は信長信忠が、豊臣は秀吉秀次が死んでその機能を失ったから諸侯から見限られた
当たり前だけどみんな自分の利益第一最優先だから
0696人間七七四年2021/10/05(火) 14:58:03.35ID:+lyR/KhO
関ヶ原後の論功行賞を家康が全部勝手にやった時点で終わってるんだよな
武家の棟梁の仕事だからね。子分に土地を差配するのって
その時点で豊臣家臣団は徳川家臣団に置き換えられたと言っていい
0697人間七七四年2021/10/05(火) 15:21:04.82ID:fgCxSbnT
勝手にというけど、その関ヶ原、天下を二分する大乱で豊臣家としてほとんど対応出来なかったからな…
0698人間七七四年2021/10/05(火) 16:04:15.88ID:FJaA6Us5
政務任されてるしな家康
それと豊臣のその論功行賞ができそうな人物が軒並み西軍だった点もね
勝手にというよりはできる人がもう徳川しかいない
0699人間七七四年2021/10/05(火) 16:09:26.77ID:DqCiYL5r
もし徳川負けたとして毛利に政権運営できたのかと言うね
0700人間七七四年2021/10/05(火) 17:14:10.71ID:Y43yG8Oa
秀次殺すからだよ・・・ループ
0701人間七七四年2021/10/05(火) 17:14:26.18ID:+lyR/KhO
西軍は負けたら終わりって感じだったけど東軍が負けても徳川は滅ばなかったよね。秀忠の主力が無傷だし本拠地は遠い関東だったわけで
全国が分裂状態になったんじゃないかなあ。そう思って動いてた人もいたみたいだし
0702人間七七四年2021/10/05(火) 18:31:55.74ID:bN4zoBjq
>>698
というより、論功行賞しない方がマズイ
ただでさえ、秀吉末期の大プロジェクトであった唐入りにおいて
諸侯への論功行賞等がきちんと行われてたか微妙なのに
これほどはっきりとした大勝利で諸侯に恩賞を渡さない、或いは保留などという
態度を取ったら、本当に豊臣政権は諸侯の支持を失ってしまうよ
0703人間七七四年2021/10/05(火) 18:42:13.30ID:KaDIylgw
武家の棟梁の資格って子分の領地を保証したり子分が働いたらちゃんとご褒美に新しい領地を与えることだからね。肩書きはそれに付随してくるものでしかない

関ヶ原後に論功行賞は僕がやる!と秀頼が出て来ても結局秀頼の裁定を保障するものは家康の武力でしかないんだよね

まあ関ヶ原で家康を勝たせてしまった時点で豊臣の天下は終わってる
0704人間七七四年2021/10/05(火) 18:46:19.59ID:9T53zW4+
>>701
九州のKさんとかSさんとか東北のDさんとかだな。
西軍呼ばわりされるけど本来は関係無く頭の重しが無くなったから惣無事ひっくり返したかっただけのUさんもそうだろう。
日本国内の平安とか安定は眼中に無く「よっしゃあ、惣無事規制キャンセルのチャンスやで!」な思考ばっかりの。
秀吉という重しがあったから大人しかっただけで、全然牙は抜けてなくったという。
0705人間七七四年2021/10/05(火) 18:49:55.66ID:KaDIylgw
信長が死んだ後もそうなりかけてたな
秀吉が速やかに織田勢力をまとめ上げたからならなかったけど
0706人間七七四年2021/10/05(火) 18:50:13.57ID:OOPVnBnX
関ヶ原の前に、つまり西軍が蹶起した時点で徳川に西軍討伐指令を送っておけば一応、秀頼がトップではいられた。
最終的には形だけのトップにはなるけど、それでも名誉は残ったろう。
でもそれが出来なかったからなぁ…
0707人間七七四年2021/10/05(火) 19:02:58.40ID:vmstHM8g
実務能力がないのに天下人でございは通らないからね、関ヶ原で家康が勝つとか関係なくまとめられる秀吉が没した時点で天下人ではないよ豊臣は
慶長4年の時点で家康が朝廷から三献の儀を受けて天下人扱いされてることからもね
あとはいかに前の天下人っていうネームバリューと徳川と姻族であることを活かしてうまいこと脛齧ってくかだけだったけど、そこを長じた秀頼だけがわかってなかったってだけの話と思うの
0708人間七七四年2021/10/05(火) 19:14:05.88ID:32GSuwo6
そもそも秀吉遺言の段階で秀頼は形だけのトップだし
0709人間七七四年2021/10/05(火) 19:22:27.60ID:FJaA6Us5
>>704
大意には同意なんだけど一点だけ
九州の黒田官兵衛は常に家康と連絡取り合いつつ吉川広家宛にお前から輝元にすぐ家康に詫び入れるよう伝えなさいって書状出すくらいバリッバリの親家康で
惣無事キャンセルよりは公儀に従って美味しい思いしたい方だよ
0710人間七七四年2021/10/05(火) 22:37:39.11ID:w2ZCPRq9
>>688
他に何があると云うのか。
0711人間七七四年2021/10/05(火) 22:40:54.17ID:w2ZCPRq9
>>709
> 書状出すくらいバリッバリの親家康で

「書状とな。して、その書状はどちらの手で書いた?」
0712人間七七四年2021/10/05(火) 23:20:56.53ID:K7Wn7WQ/
まぁ黒田官兵衛も秀吉の逆鱗に触れて切腹まで覚悟したっていう経歴あるしな…
0713人間七七四年2021/10/06(水) 06:58:05.98ID:d/dWtwou
自己の保身というと、正義の豊臣家に味方しなかったように聞こえるけど、豊臣家の行動自体に疑問を持たれたのではと思うのだが。
0714人間七七四年2021/10/06(水) 07:39:59.76ID:d/gRCnQH
家康は律儀者で三成にはアンチが多かった
家康が豊臣政権を仕切った方が秀頼様も安泰って思ってた人が多かったのでは

家康の行動は信長の同盟者だった頃から関ヶ原まで非難するようなところは何もないもんな
0715人間七七四年2021/10/06(水) 09:00:29.76ID:HKlBPsWt
>>714
本多作左「とんでもないっ!我が主はいつも不心得で軽率なことばかりなさっておいでじゃっ!!全く世話が焼けてかなわんっ!!!」
0716人間七七四年2021/10/06(水) 09:06:21.01ID:HKlBPsWt
「鬼作左」みたいな家来がいなかったのが羽柴秀頼の不幸だったな。
0717人間七七四年2021/10/06(水) 12:57:50.48ID:zNEeJyUm
片桐さんが悲しそうにこちらを見ています
0718人間七七四年2021/10/06(水) 13:24:26.51ID:2GNhP0VG
徳川よりも朝廷が豊臣に敵意丸出しってのがね。
豊臣が天下人になれたのは朝廷あっての事なので余程上手くやらないと朝廷と敵対した時打つ手がなくなってしまう。
0719人間七七四年2021/10/06(水) 15:02:09.64ID:XhdfaMwp
そりゃ摂関家を騙しちゃったからね
争論に割り込んで関白をぶんどって、次は返すからと言っておいて甥に禅譲してしまう
家柄によって決まる官位がすべての貴族共からしたら許し難い行為だよ。秀吉1代限りならあれはノーカンで済ませられるけど危うく関白を取り上げられるところだったわけで
0720人間七七四年2021/10/06(水) 19:55:21.35ID:cznJ9qLd
お互い様なところはあると思うがな
秀吉が朝廷を利用したように朝廷も秀吉の武威を利用した

秀吉が関白っていう権威を使ってくれたことで朝廷も威信の回復に役立った
0721人間七七四年2021/10/06(水) 20:06:55.96ID:d/gRCnQH
>>720
秀吉一代限りと豊臣のものにするとでは全然話が違うと思うよ
0722人間七七四年2021/10/06(水) 20:15:03.29ID:EBArTBGi
関白もあるけど、
秀吉が関白を独占する為に大臣以上を任命しない→権大納言以下に摂家が渋滞する→そこが極官だった連中が出世出来なくなる
この混乱で公家社会の憎悪を買ったっぽいんだよなぁ
0723人間七七四年2021/10/06(水) 20:21:47.40ID:cznJ9qLd
そうですね、秀吉個人に対しての朝廷感情というつもりで書きましたので
秀吉の構想としては唐入り成功させて秀次に関白として日本まとめさせようとしたんでしょう
鶴松死亡などで唐入りにしか興味がなくなったと思われる
0724人間七七四年2021/10/06(水) 20:22:06.09ID:d/gRCnQH
公家にとって官位こそすべてだからな
親が大納言だから子供も大納言
何かやらかして中納言までしかいけなかったりするとそれが子々孫々まで響くのが公家社会
0725人間七七四年2021/10/06(水) 20:29:25.02ID:EBArTBGi
凄い気になるのは、なんで秀吉は関白に拘ったんだろう。
関白って語弊を恐れず言えば何の権威も無い(例えば朝廷軍が使えるとかそんなこともない)訳で
要は秀吉が凄いのであって関白が凄いんじゃない
だからとっとと日本なり中国なりの古例から適当な職を見つけて武家関白と公家関白を分けとけばよかったんじゃなかろうか。
朝廷への権威としては適当な財産をちょこっと貰えば良いし。
そこまで公家関白に拘ったのは何故なんだろう…
0726人間七七四年2021/10/06(水) 20:34:47.80ID:vqGBZadC
令外官で前例として中央政権掌握できてたまたま空けられそうなのがそれ位しかちょうどなかったんじゃないの?
将軍はほれ、義昭との兼ね合いが大きいし
0727人間七七四年2021/10/06(水) 20:36:37.02ID:45TQFuLe
>>725
権威の意味が分かってないようだね
0728人間七七四年2021/10/06(水) 20:39:36.01ID:7r+YlSGL
正直、征夷大将軍になれなくて困ってるときに、
棚ぼたで手に入った極官ってだけだと思う。
けど、自分がその権限を使って武家を官位で統制するシステムを作っちゃった以上、
誰かに関白を譲ると政治上の頂点を譲ることになっちゃう。
やるとしたら、関白より上位の官職、それこそ日本国王とかに天皇から任命してもらうしかないと思う。

武家官位制は秀吉と朝廷のトラブルをみた上で家康が考案したものだから、
それを最初から思いつけって言うのは無理だと思う。
0729人間七七四年2021/10/06(水) 20:41:30.11ID:d/gRCnQH
征夷大将軍になれないって何でなんだろうね?信長は本能寺直前に将軍に推任されてたよね?
0730人間七七四年2021/10/06(水) 20:49:21.08ID:ZCnwnPLg
義昭が抵抗したからだろうな
0731人間七七四年2021/10/06(水) 20:52:50.91ID:cznJ9qLd
武家で太政大臣は清盛の先例
征夷大将軍は室町のgdgdが最近まで
となると残りは関白になるが関白は常設職なんだよなあ
0732人間七七四年2021/10/06(水) 20:55:02.60ID:ShGg2qo4
>>723
羽柴秀次や同鶴松の動向と「唐入り」即ち対外戦争は本質的には関係の無い話。
また羽柴秀吉個人の意志によるものでもない。
惣無事を達成した権力体が次に踏むべき必然の−−というよりも惣無事と表裏一体の不可避な政治段階だから、
何はどうあれ「豊臣」権力体は全力でこれを遂行するしかなかった。
0733人間七七四年2021/10/06(水) 20:57:31.94ID:tYS2coWk
百姓出身とみんな知ってたので清和源氏の血統をでっち上げられなかったからじゃないのか?
0734人間七七四年2021/10/06(水) 21:00:43.89ID:EBArTBGi
秀吉も将軍の手軽さは解ってた筈だし、ならなかったと言う事はなれなかったんだろうけど…
まさかに彼が出自にコンプレックスがあったとかは信じたくはない。
でも秀吉に関白ってそんな重要だとは思えないのよね。関白になったところで何がかわるでもなし
むしろ関白は一家独占出来ないのだから重荷でしかない。
将軍にクラスチェンジするのも嫌ならいっそ新しい役職を作って先例の魁になりゃ…
0735人間七七四年2021/10/06(水) 21:14:21.58ID:0sZSMaes
あえて横車を通すってのが一番わかりやすいマウンティングの仕方だし
本人の性格的にもそういうの好きそう
当時の秀吉には権力の誇示が必要だったということでは
その時には自分の死後のことまで考えてなんかいないでしょう
0736人間七七四年2021/10/06(水) 22:58:05.33ID:ShGg2qo4
「ワッハッハッハ、将軍だ?関白だ?ヒデヨシくん、小さい。小さいなあ君は。ガッハッハ、男なら、だ、いいか、天皇を目指せ天皇を。ドーンと。グワッハッハッハカンラカンラ。」
(京都府[本籍栃木県] 男性 僧職兼太政天皇兼日本国王)
0737人間七七四年2021/10/06(水) 23:26:14.56ID:d/gRCnQH
>>733
源氏とか関係なかったっぽいんだよね
朝廷は信長を将軍にしようとしてたわけで
0738人間七七四年2021/10/06(水) 23:40:24.84ID:EBArTBGi
実際になれなかった奴を挙げてもどうしようもない。
征夷大将軍は源氏長者と深い関係があるから、公家源氏の連中から何らかの突き上げがあったんだろう。
信長は公家源氏筆頭・久我氏の下半身スキャンダルをなんとか穏便に済ませようとしてたからもし養子になれば将軍になれたかもしれない…
秀吉の場合足利義昭と公家源氏と敵が二つもいて割り込む隙が無かったのかもしれん。
…かもしれんが、秀吉のパワーはもう誰の目からしても明らかなんだし関白や将軍といった過去の先例に囚われなくても良かったと思うんだがなぁ…
そうしていれば豊臣政権もワンチャン、なんとかなったかもしれん。
0739人間七七四年2021/10/06(水) 23:44:03.98ID:LDAMFvF2
秀吉が本気で征夷大将軍望めばオッケーだったんじゃないかなとか
適当に思ってたんだけどやっぱ駄目だったの?
0740人間七七四年2021/10/06(水) 23:52:02.97ID:zMVx6l4z
新皇とか旭将軍とかみたいに
超イカした新しい肩書きを作るのはどうだろう(提案)
0741人間七七四年2021/10/07(木) 00:04:48.97ID:UPAw7fSz
>>739
不可能じゃなかった筈だけど、
より困難で天下人に相応しく無い関白を無理矢理取りに行った事を考えるとマジで無理だった可能性もあるんだよなぁ…
将軍は無理だとしても正直だから何?なのが秀吉だろうし、関白取った後公家は公家武家は武家で仲良く分けていれば…
まぁ武家関白に幼少の秀頼がなったとしてもどのみち争いが起きて滅んでいたかもしれないけど
0742人間七七四年2021/10/07(木) 00:12:02.87ID:XM7HrF67
>>738
かもも何も信長の使者に立った貴族が日記に信長に将軍就任を要請したって
0743人間七七四年2021/10/07(木) 00:22:25.48ID:ISiCFkV/
朝廷は先例主義だから実際に就任してないとあんま意味ないのがね…
0744人間七七四年2021/10/07(木) 00:39:28.05ID:LQc7q9N8
とはいえ、
当時豊臣権力体が発動し得る暴力の規模と強度を考えれば朝廷に対して如何なる恣意的な措置を強要することも可能だった筈。
そして羽柴秀吉こそは「暴力こそ正義」という本質を身を以て知り尽くした権力体主宰者だった筈。
それを敢えてしなかった/できなかったのは何故なのか、
そこを構造的に解かないことには豊臣権力体が目指していた政治形態も、
ひいてはそれが徳川権力体によって簒奪的に承継された理由も見えては来ないと思う。
0745人間七七四年2021/10/07(木) 00:43:19.15ID:uHb/dl5k
>>740
豊臣っていう超イカした新しい名字貰ってるからなー
0746人間七七四年2021/10/07(木) 06:52:34.92ID:V2vsIV+V
個人的に秀吉は嫌いだ
信長亡き後の織田家への扱い、秀次への扱い
学や真のプライドのない成り上がりのビジョン無き下品な暴君
0747人間七七四年2021/10/07(木) 07:20:35.25ID:ISiCFkV/
豊臣って姓も朝廷からのトラップだからね。
朝廷で関白になれるのは藤氏の五摂家のみ。
だから秀吉は近衛家の養子になってる。
その秀吉に豊臣姓を与えて、つまり秀吉は近衛家の人間じゃないから近衛家は継げない=豊臣は関白になれない、というかなり言っちゃ悪いが陰湿な罠。
まぁ朝廷からすると当然の動きなんだろうけど
0748人間七七四年2021/10/07(木) 07:24:50.69ID:63B2L01y
単純な話、権威の上でははっきりと関白>将軍なのだから
関白に就任出来る以上、将軍になるメリットが皆無だったってだけだと思うんだがな
ただ、関白が本当に難しいのは権威を維持するのが大変という点だ
別に文書等ではっきり定められてる話じゃないけど、関白は
十六歳未満での就任前例が存在しないので、常に後継に成人男性がいないと
関白を継承できるか分からなくなってしまう
藤原氏でさえ、家を五家に分割して継承者が絶えない工夫をしている
将軍なら後継幼児でもなれるから、この点では便利なんだが(権威を維持しやすい)
0749人間七七四年2021/10/07(木) 07:49:26.46ID:DJehbza+
>>740
>>745
短命フラグやんけ・・・
0750人間七七四年2021/10/07(木) 08:06:24.95ID:6snhH0Fb
>>738
征夷大将軍と源氏長者に何の関係もないよ
両者を初めて兼ねたのは徳川家康
源頼朝も足利尊氏も源氏全体としてみると傍流に過ぎない
0751人間七七四年2021/10/07(木) 08:08:24.20ID:6snhH0Fb
>>731
関白は摂政が必要ない時だけ置くのが、本来の役割じゃない?
0752人間七七四年2021/10/07(木) 08:20:08.97ID:1NbfuG4K
関白だろうが将軍だろうが就任する個人もしくは家・勢力が朝廷はもちろん
政権の根幹の武家を統制できる実力を保持し続けられることが大前提でしょう
権威だけあっても室町幕府の二の舞になるだけ
豊臣はそもそもが一人親方の属人的な政権で持続可能性が危うかったのに
持続可能な組織を作れるかも知れなかった秀次を潰して自らその芽を絶ってしまった
0753人間七七四年2021/10/07(木) 08:22:05.28ID:Raazrot2
関白就任は無理矢理ってほど
そんな大変じゃなかったと思うぞ
本当摂関家の争いが持ち込まれた棚ぼたで

んで新しい肩書きは「豊臣氏」かと
源平藤橘でない新たな氏の創出なんて
それこそ前代未聞の権力者にしかなし得ない
支配者として最高の権威付だった

それも絶大な兵権を握る秀吉がいなくなったら
意味がなかったというだけの話で

仮に着いたのが征夷大将軍でもウルトラ天皇でも
無理矢理のゴリ押しで幼児関白も不可能ではなかろうが
後継者やその補佐役も兵権を行使できないなら
同じことになってたと思うがね
0754人間七七四年2021/10/07(木) 08:22:46.97ID:Raazrot2
>>747
豊臣秀次が関白になってますが
0755人間七七四年2021/10/07(木) 08:25:57.65ID:IT5dSxol
>>746
家康より織田家の扱いはちゃんとしてたと思うけどなあ
秀信には織田家の拠点である岐阜城を与えて若くして中納言の官位も与えているし、信雄はアホだっただけで本来家康と肩を並べ、官位的には家康より上位になる豊臣政権屈指の大大名になるはずだったわけで
0756人間七七四年2021/10/07(木) 08:26:49.90ID:IT5dSxol
>>750
室町将軍は代々朝廷から要請されてなかったっけ?
0757人間七七四年2021/10/07(木) 08:29:51.20ID:ISiCFkV/
>>754
秀吉が不法に譲ったに過ぎない。
だから豊臣は滅ぼされた。
無理が通れば道理が引っ込むとは言うけど、
道理を軽んじるとこうした目に遭うのさ。
0758人間七七四年2021/10/07(木) 08:30:29.23ID:IT5dSxol
秀吉一代の約束だったのに違えたからな
0759人間七七四年2021/10/07(木) 08:42:08.28ID:Raazrot2
いやだからそんなん豊臣家の権勢と
武力があれば関係なく無視できた
それを継承できなかった時点で
どんな肩書きだろうと意味ないんよ
0760人間七七四年2021/10/07(木) 08:47:03.88ID:Z+KI1znV
ウルトラ天皇という言葉を初めて見た
0761人間七七四年2021/10/07(木) 08:53:46.47ID:Raazrot2
家康と徳川幕府はその辺非常に上手くやった
その徳川幕府で考えると豊臣政権はどうか

秀忠を将軍宣下後に切腹させて
大粛清の果てに幼児後継者に指名した上
幕閣には兵の動員令出す権限認めず
外様の伊達や毛利に後を頼んで死ぬ

くらい無茶な状況
0762人間七七四年2021/10/07(木) 09:00:11.56ID:E8m7HTH4
>>755
まあなんやかんやいって最低限の引き際は心得てたからな秀頼と違って
0763人間七七四年2021/10/07(木) 10:42:01.07ID:SVCKdSdt
関白は狙ってる一族が多過ぎる。
朝廷の最高位である藤原氏の象徴みたいなもんだから独占なんか許さないし、何より公家社会のルールに精通しないといけないから相当の実力が居る。
将軍は確かに源氏長者が絡むから反対する一族はいるんだけど、そいつらは源氏長者とそこに絡む財産が必要で将軍なんかどーでもいい。
だから武家は武家、公家は公家で棲み分け出来るから天下人には丁度いい。
0764人間七七四年2021/10/07(木) 13:37:39.27ID:/qbOYgmj
徳川が公家と武家で官位別にしたのはいい手だったな
0765人間七七四年2021/10/07(木) 19:19:42.47ID:itTcM0Q8
秀吉は藤原氏として関白になったけど途中で豊臣に改姓したから
豊臣氏の関白がいたという先例にはなったんじゃないか

秀次が豊臣氏として継いだから言うまでもないが
07667502021/10/07(木) 19:23:33.38ID:6snhH0Fb
>>756
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E9%95%B7%E8%80%85
ウィキペでごめん。家康が最初の武家の源氏長者は間違いだった。
でも、室町時代には源氏長者と将軍は連動してなかったっぽい。
0767人間七七四年2021/10/07(木) 20:16:36.94ID:Raazrot2
先例と言っても別にガチガチに先例遵守して例外がないて訳ではなく
富と権力と武力で無理を通せたからこそ成立した豊臣政権だからな

それを行使する者がいたらまだまだ無理は通ったろうし
今度はその無理が先例になっていく
でもそんな存在秀吉死後にいなかった訳で
0768人間七七四年2021/10/07(木) 20:32:01.77ID:UWbe+JBW
>>766
だって徳川が将軍と長者を兼帯するまで、源氏長者は室町頃はほぼ久我家独占の名跡で源氏将軍初代の頼朝自体兼帯してない(大体摂津源氏で公家でもないから源氏諸流内でもそんなに家格が高い訳でない)。
足利も源氏内の家格としてはさして高く無い。将軍になったのは結局家格でなく武威があったからこそ。
対して源氏長者は全ての源氏諸流の長として家格が問われるので、自ずと公家など貴種でなくてはならず久我家など公家が持ち回りしてる名跡だった。
これを本来家格としては新田源氏(それとて無理矢理系譜操作して仮冒)で到底長者に補せられるものでないのに、天下人となり将軍に叙任された事で家格でなく「武威による政治的に実力者」である事が始めて長者に補せられる根拠となった。
0769人間七七四年2021/10/07(木) 20:35:29.99ID:O+XvFS7O
せっかく天下統一をして、権力だけでなく莫大な富も手に入れたのに、戦いを辞めることをせずに消耗し続けた姿を見ると、すごくもったいない気がする。でも、これは後世だから言えることなんだろうな。
0770人間七七四年2021/10/07(木) 21:20:56.96ID:UWbe+JBW
なんせ事実上の配下となった大名達からして、本来領地切り取り放題の戦国に戻りたくて仕方ない連中ばかり揃ってるし
大名達への御恩は単なる金品石高のみでなく領地安堵と更なる給付でなくては収まらない時代だから、大名潰して与えたり或いは唐入りでフロンティア開拓しないとならない。
戦を続けて大名を消耗、若しくは血の気の多い現役世代には亡くなって頂いて権威に大人しく従う若い世代へ交代してもらうなどして兎に角牙を抜く過程が必須だったもの。
徳川ですら綱吉の代までひたすら些細な事を言いがかりに改易断絶を繰り返し
大名と土地との繋りをシャッフルしまくる事で漸く安定へ辿り着いたが、秀吉一代だけではとてもじゃないが全然足りなかった。
0771人間七七四年2021/10/07(木) 22:10:10.30ID:kSA1e/9L
上の人の言う通りなので、フロンティア開拓の唐入りが泥沼化した時点で詰んでるのよね、豊臣政権
俺はうるさいけど俺に付いてくればいい思いさせてやるってのから利益はくれないのに出費は強いる政権になってしまったから
長い戦乱期から初統一の政権がお約束で抱える宿痾を、統一した時点ですでに結構な歳の人間が背負う羽目になった
0772人間七七四年2021/10/07(木) 22:26:13.45ID:HkIi3+Ap
>>770
> 戦を続けて大名を消耗、若しくは血の気の多い現役世代には亡くなって頂いて

唐入りは(大普請と共に)正にそれを目的とした政策だからな。
それが未完のまま破綻を来した後、最後は羽柴家自身が国内になおも残る暴力ポテンシャルを費消させる為の装置となって消滅した、と。
その後には江戸幕府による二百数十年の天下泰平。
羽柴秀吉が推し進めた惣無事路線は斯様にして実に綺麗に完遂されたわけだ。

となると、スレの結論が見えて来るんじゃないか。
「豊臣」政権は崩壊していない。
それは江戸幕府によって発展的に承継された。
これと切断された羽柴家が崩壊消滅した理由は、
「滅亡することによって羽柴秀吉の政治目標を実現する装置」として位置付けられたこと。
構造的理解としてはそんな所か。
0773人間七七四年2021/10/07(木) 22:33:35.13ID:XM7HrF67
源氏長者足利にってのはあれでしょ?
室町時代にいよいよもって運営が厳しくなった朝廷が、足利君ちゃんと朝廷の世話頼むよ!って意味で将軍に長者になるよう要請してたってやつ
0774人間七七四年2021/10/07(木) 22:36:19.06ID:nLFhWT6D
信長=清盛
秀吉=頼朝
家康=北条得宗家
的な?
0775人間七七四年2021/10/07(木) 22:55:29.43ID:lnosLbb9
>>774
源頼朝(家)と北条得宗家は思想を共有してるけど
平清盛(家)と源頼朝(家)との戦争はイデオロギー闘争でもあるからなあ…。
それを本質と見るか、平安鎌倉の時代性に由来するノイズと見るかでその比定の当否評価は分かれると思う。
0776人間七七四年2021/10/07(木) 23:17:55.06ID:UWbe+JBW
>>773
その通りです。
その頃までに天皇の力の根源だった長講堂領なんか蚕食されて急速に機能しなくなり、公家各家の荘園も粗方目減りして公家当主が自ら管理しに下向し始める体たらく
仕方ないんで足利将軍におねだりした件です。
0777人間七七四年2021/10/07(木) 23:33:46.49ID:UWbe+JBW
よく考えると、天下統一で言えば信長はまだ道半ばで死んだけど
もし本能寺無しで九州・四国平定まで成したとしても五十は確実に過ぎるし、まだ北条以北はまだ手付かず状況。
本当に秀吉が達成したレベルの天下統一を成し遂げるとするなら秀吉よりも高齢かもしれない。
この豊臣政権が抱えた統一後の統治という難題を、そして秀吉の頃(りももっと血の気の多すぎる連中がうろつく世界を秀吉よりも高齢者が対峙するって
凄まじい事になるなあ、と。
0778人間七七四年2021/10/07(木) 23:41:49.33ID:lnosLbb9
>>777
IFに付き合うのも気が引けるが、念の為に。
状況に対峙するのは生身の個人ではなくて権力体だから、年齢を語ることに意味は無い。
その権力体が状況を消化し得る能力を有しているかどうか、問題はそれだけ。
0779人間七七四年2021/10/07(木) 23:43:07.31ID:XM7HrF67
秀吉は織田軍団を掌握するのに何年か使ってるんだから本能寺がなかったらもっと早く統一されていたのでは

とは言っても信長が関東や奥州まで軍を進める気があったかは謎だけど。滝川一益みたいに柴田は越後、羽柴は毛利領のどこかにまで飛ばされるのは想像がつくけど
0780人間七七四年2021/10/08(金) 00:47:18.22ID:W7vNW3OZ
信長さんってなんか持病もってたりはしなかったのかな
なんとなく体脂肪率低そうっていうか引き締まった健康体おっさんのイメージがある
0781人間七七四年2021/10/08(金) 08:48:08.59ID:6xVBVbFE
>>778
ドヤ顔で書いてそう
0782人間七七四年2021/10/08(金) 10:45:01.13ID:1PNPdGXx
ドヤッ! ( ̄^ ̄)=з
0783人間七七四年2021/10/08(金) 11:35:38.28ID:l4By7sba
>>777
だから戦場には信忠が出て政治向きに集中できる体制にしてたんだろな

秀吉の場合秀次に関白として国内任せて自分が外征進めようとしたけど
その時点で年齢的にもやはりかなり無理があったな
0784人間七七四年2021/10/08(金) 12:55:39.80ID:7a6A2vv6
下剋上のパターンは領地を離れて畿内の抗争に首を突っ込んでる内に領内での守護代や家宰の支配力が増して実効支配されるパターンが大半

信長はそれが分かっていたから義昭を上洛させた当初は協力者として軍事的に支援はするけど畿内は幕府に任せて拠点は岐阜のままで戦国大名織田家の当主として振る舞ってた

戦国大名と天下支配は両立しないんだよね。特に信長は尾張も美濃も北伊勢も征服して年数が浅かったし離れて畿内の争いに没頭してると自分の領地がどうなるか分からない
0785人間七七四年2021/10/08(金) 14:05:34.97ID:IyhXRYy4
大名も天下人も多分に属人的だから
どうしたって実力あると目される人物とその血統で少なくとも成人してる後継の両輪揃ってないと厳しいよね
実力がある人物に仕えたり任せたりしたいんだから
0786人間七七四年2021/10/08(金) 14:14:08.03ID:LwNyjYM6
幼主からの成功例って足利義満くらいしか思い当たらないよな?
他はだいたい簒奪されたり、権力が縮小したりしてる。
0787人間七七四年2021/10/08(金) 22:12:51.13ID:ymkyaJPO
>>786
足利義満と同様、既に確立済の強固なシステムを前提にした幼主で良ければ成功例は他にも幾人かいるように思う。
すぐに思い付くのは応神天皇と北条貞時。
長尾景虎…は…、一応名目上の当主が他にいたから非該当か。
0788人間七七四年2021/10/09(土) 11:54:49.17ID:bQ3BxKyR
家綱も11歳で将軍になったが保科正之やら寛永の遺老やらのチート級家臣団がいたし
尾張紀伊水戸の主要一門も変に野心持たず篤実だった
やっぱ組織が続くにはひと握りの天才より多くの優秀で篤実な人材の総合力結束力ということ
0789人間七七四年2021/10/09(土) 14:41:55.94ID:FoUn/qgx
家康が小牧長久手の後重病で死に掛けた時、
家康「俺が死んでもお前たちは徳川を支えてくれ」
作左「貴方が死んだら北条に狙われて徳川は終わりだ。よしんば生き残ってもアレが主家を潰して無様に生きてる鬼作左よと笑われるだけ。ですので腹切ってお供します」
ってやり取りの結果家康は医者にかかって全快したらしいけど、
この時既に「家臣団」の変革を考えていたんだろうな。優秀な人間が主人が死んだからでリタイアしてたら主人の寿命が家の寿命になってしまうから。
0790人間七七四年2021/10/09(土) 18:09:19.38ID:l66jBKe8
逸話の出典は?
0791人間七七四年2021/10/09(土) 18:24:23.10ID:layJaAjU
うんこドリル
0792人間七七四年2021/10/09(土) 18:53:18.38ID:fNHIX5dU
出典警察が来たぞーっ。
0793人間七七四年2021/10/09(土) 18:59:01.12ID:YaCOFA7g
当たり前だと思うが
お前は情報のソースも洗わないで鵜呑みにするの?
0794人間七七四年2021/10/09(土) 19:22:40.96ID:BwqVp4n2
>>780
史料を見る限りだと塩辛いものが好きで朝やたらと早く起きたそうだから典型的な高血圧症だな
たぶん脳か心臓の病気でそのうち死んでいたと思う
0795人間七七四年2021/10/10(日) 01:50:18.75ID:W14t7O8j
>>794
当時と年齢の基準が違うとはいえ50そこそこで死んでるから
後10年生きたらなんか持病が顕在化したかもしれんね確かに
0796人間七七四年2021/10/10(日) 21:54:40.47ID:67XFhLvP
まあでも秀吉が61歳で亡くなった時秀次は数え4歳
家康が62歳で将軍宣下を受けた時秀忠は24歳

と考えたら信長48歳で亡くなった時信忠25歳
というのはだいぶ条件としてはいいと思う
0797人間七七四年2021/10/10(日) 21:55:24.73ID:67XFhLvP
ごめん1行目秀次じゃなく秀頼
0798人間七七四年2021/10/11(月) 07:47:54.14ID:aAm2NLWE
こうやって並べると秀吉はアレだが
家康もずいぶん年寄りっ子だね
50前後で死んだらスゲー揉めそう
0799人間七七四年2021/10/11(月) 08:00:41.62ID:vwNzpIFY
信康が家康10代の時の製造だからそうでもないんじゃね
その後女子が続いて秀康が出るまでちょっと空いてるみたいだけど
0800人間七七四年2021/10/12(火) 17:51:50.97ID:q4Cqz+VM
結局家康に土下座するしかないんだけど、それも難しいんだよなぁ
つくづく、あの役に立たん奉行衆がよろしくない
0801人間七七四年2021/10/15(金) 22:19:41.73ID:KB4epIDn
家康を関東送りにしたときは
秀吉の親族は鶴松2歳、秀長51歳、秀次23歳、秀勝22歳、秀保12歳、宇喜多秀家19歳、小早川秀秋(木下秀俊)9歳、あと秀康17歳もいる
家康は秀忠12歳と忠吉信吉、あとは異父弟

直系こそ少ないけど
秀吉の一族が徳川家より決して見劣りしてたわけではなかったのよね

なお
0802人間七七四年2021/10/15(金) 23:11:07.15ID:qFswkrGE
秀次を養子に出してた三好家の家格上昇とかあんまりないみたいだが、豊臣政権下での三好家ってどうなってたんだろ
0803人間七七四年2021/10/15(金) 23:45:47.43ID:dXdqil/r
>801
センゴクとそのツイッターだと秀忠も羽柴政権の後継候補に挙がってたな
0804人間七七四年2021/10/16(土) 00:10:27.16ID:MYzB5DE6
つか宇喜多秀家入れるんだったら秀忠も入らないとおかしいわな
0805人間七七四年2021/10/16(土) 00:28:03.54ID:qJ55oja9
>>804
秀忠さんだけじゃない。
秀吉さんの義弟で家康さんという人もいるのだぞ。
0806人間七七四年2021/10/16(土) 01:27:20.24ID:+G2H9g3I
豊臣っていう姓には悪意を感じるんだよな
成金、成り上がりっていう
0807人間七七四年2021/10/16(土) 02:17:52.45ID:hgrLx9G7
どちらかと言うと、豊の字よりも臣の字の方に意図を感じる
0808人間七七四年2021/10/16(土) 02:42:53.17ID:qJ55oja9
どっちにしても「豊臣」は多分に作為的/政治的/概念的な姓であることは間違いない。
一般世間は勿論、「豊臣」権力体に一定水準以上の関心を有する筈の当スレ住人までもが「豊臣」と羽柴の関係について無頓着に過ぎると思っている。
0809人間七七四年2021/10/16(土) 04:02:29.13ID:+G2H9g3I
>>808
「こいつは下賤だったが豊かになり力がある、しかし帝の臣下であることは譲れない」という姓にしか思えん
そこら辺の史料を知らないのでなんとも言えないが
0810人間七七四年2021/10/16(土) 08:44:47.38ID:ug5h0OBf
朝廷は先例主義だし、何かから引っ張り出したのが「豊臣」だとは思うんだけど、
何から持ってきたんだろ…
0811人間七七四年2021/10/16(土) 11:11:28.87ID:MYzB5DE6
まあ「中臣」だろうな
0812人間七七四年2021/10/16(土) 17:03:51.51ID:hgrLx9G7
中臣から藤原だからか
成程、関白の姓に相応しい
0813人間七七四年2021/10/16(土) 17:08:19.12ID:hgrLx9G7
戦国時代の朝廷は貧乏で苦労したみたいだし、そのへんから豊の字が来たのかも
0814人間七七四年2021/10/16(土) 17:53:43.62ID:FzEwRd4E
足利義教が暗殺されて足利将軍家の力がガッツリ落ちてから譲位することもできず、色んな儀礼もやれなくなるぐらい貧乏になった。天皇自ら内職してたぐらい
信長が現れるまでずっとそんな感じ。その後信長が畿内での闘争に忙殺されて提案しながらもできなかった譲位を秀吉が実現してくれたというのがあるから、朝廷を豊にしれくれた臣みたいな意味は含むのかもね
0815人間七七四年2021/10/16(土) 17:56:16.18ID:8feylCvK
朝廷から姓を賜るってのは凄い名誉

名誉なんだけどそれは秀吉は「豊臣」であって「藤原」では無いから関白は継げないよ気をつけてねっていう朝廷からのメッセージでもあるんだよな…とはいえ関白なんてそんなにいらなかった筈だが…
0816人間七七四年2021/10/16(土) 18:19:11.39ID:sS7mu8w0
要は所領を保証する、手柄に応じて新しい所領を与える。それが武家の棟梁になるための必要要件であって官位は後から付いてくるものなんだよね
信長なんかはそれが分かっていたのか朝廷が必死に信長を取り込もうとしていたけど信長自身はあまり官位に積極的じゃなかった
0817人間七七四年2021/10/16(土) 18:34:11.58ID:+G2H9g3I
>>815
朝廷の位階官職に諸大名を落とし込むって政権をやったわけだから、関白は必須でしょう
江戸幕府は同時に朝廷を締め付けたけど
後付けにせよ源氏長者ってのも大きい
0818人間七七四年2021/10/16(土) 19:30:51.43ID:MYzB5DE6
>>813
豊はほぼ間違いなく「豊葦原」
0819人間七七四年2021/10/16(土) 20:40:28.80ID:hgrLx9G7
>>818
豊葦原の中つ国から中臣と藤原をひっかけて豊臣なのか
0820人間七七四年2021/10/17(日) 08:25:27.79ID:e3XPDAC5
まあたぶん朝廷が独断でというわけではなくて秀吉側と相談して決めたんだろうからそんな悪い意味はなさそう
0821人間七七四年2021/10/17(日) 08:27:51.36ID:wwecyzBl
朝廷は何かあってもこれは特例ってことで伝統に組み込まないで済ませる自衛手段がある
強力なパトロンである秀吉一代限りにおいては好意的だったと思うよ。豊臣家が関白を独占するとなった時にどうしたかは興味深い
0822人間七七四年2021/10/17(日) 08:36:02.34ID:KSiRkfaw
流れ的には、菊亭晴季からの要請も踏まえて
近衛家の養子になった秀吉(近衛秀吉)を関白にして、その直後豊臣姓を下賜した。
つまり秀吉は近衛家の人間だったから関白になれるが、藤原氏じゃないから関白を独占する事は出来ない。
ところが秀吉は、豊臣姓下賜の後関白の宣下を受けたと書類を改ざんして秀次に関白を渡した
…こんな流れだったとは聞いたが…だとすると朝廷の感情は悪かろうな
0823人間七七四年2021/10/17(日) 08:41:39.40ID:wwecyzBl
武家には征夷大将軍、近衛大将っていう所謂朝廷が武家に用意した官位があるからねえ
足利義満や在位が異常に長くてジワジワ官位が上がった徳川家斉だって太政大臣にはなったが摂関にはなってない
公家の領域に割り込んでそのまま永続化したらどうなったのか
0824人間七七四年2021/10/17(日) 10:28:30.56ID:zu4kKuyI
>>821
歴史的には秀次存命パターンがその可能性があったんだよな。子女の多さは将来の継承と閨閥形成に最適だった。
ご存知の通り晩年の秀吉が目指したかもしれない(厳密には遺言に秀頼の目指すべき官職は示されていないので真意は不詳)秀頼関白ルートは無理だったから。秀頼の強力な輔弼として置いた筈の利家が亡くなり家康が天下人となって、その流れは理由はどうあれ破綻した。
無論秀次の子がその関白独占固定の端緒となるか秀頼なのかは当然わからないんだけど。
0825人間七七四年2021/10/17(日) 11:57:41.52ID:KW82NKws
利家がどの程度任されてたのか、遺言でこそ家康に次いで書かれてるけど
秀吉死後に私婚事件以外の行動が殆どなくてどの程度任されてたのかわからんのよな
0826人間七七四年2021/10/17(日) 12:34:06.02ID:zu4kKuyI
>>825
通常は傅役だから豊臣家(事実上秀頼中心の)家政とされてるけど、それで言えばむしろ利家が家康の領分のである表の政治向きの大名私婚問題に捲き込まれるのもどうかな感じではある。
結局の所秀吉死去まで、両者のその範囲と対処事項の細かい所を詰めきれなかったんだろうな。
0827人間七七四年2021/10/17(日) 12:50:35.37ID:wwecyzBl
信長の路線を引き継いで天下を支配することになったけど、自分が天下人になると想定せずに生きてきた分最後時間が足りなかった感じだね
0828人間七七四年2021/10/17(日) 12:53:53.50ID:bbP7T4U9
つか私婚問題についても結局利家は家康のもとに出向いて和解、というか詫び入れてるんで、
そういった事についての権限は家康にあるって認めてた事になるんじゃないかな?
0829人間七七四年2021/10/17(日) 13:27:05.44ID:KW82NKws
本多隆成氏も私婚事件は元来政務任されてる家康に他奉行、大老が口出すのはお門違いって論出してるね
豊臣の家政についても家康が北政所の化粧料のことについて任されてるし、利家は家政についても権限弱いんじゃねーかなぁ
結局利家が秀頼になんかしたのかって部分が自分が知らないだけかもしれないけど、ないっぽいのよね
0830人間七七四年2021/10/17(日) 15:00:52.67ID:SsqHeWas
「守役」ってそのまんま考えると、教育とか日常生活とかの世話でしょ?
もっと成長して、秀頼が政治を見るようになれば、助言とかするんだろうけど、
あの時点では記録に残るようなことをやりようがないと思う。
0831人間七七四年2021/10/17(日) 17:07:21.13ID:QKcg6xmP
とはいえ傅役なんだしなんかちょっと一家言残しとくとかあったとは思うの
0832人間七七四年2021/10/17(日) 18:41:55.70ID:wwecyzBl
中国にも太傅っていう地位は高いけど実権がない名誉職があるよな
織田家の場合も堀秀政が三法師の傅役をするけど政治は4人の宿老で回すと清須会議で決定してたし
0833人間七七四年2021/10/17(日) 20:44:50.08ID:MMaZh0YA
>>809
逆に朝廷の臣下でないという姓あり得なかろ
そいつは何者になるんだ?朝敵なのか?
0834人間七七四年2021/10/17(日) 21:28:25.79ID:N4lbZEE/
>>833
安東氏は長髄彦を始祖としていた筈。
その叛骨が良い。
0835人間七七四年2021/10/17(日) 21:34:53.79ID:N4lbZEE/
建御名方を始祖とする諏訪氏もヤマト王権の「臣下」とは云い難いかな。
0836人間七七四年2021/10/17(日) 21:52:34.42ID:MMaZh0YA
改めて関白になった家に下す姓を
朝臣でないという意味にする方が罠だろ
0837人間七七四年2021/10/17(日) 21:56:15.36ID:MMaZh0YA
利家については元々は家政を預かる筈だったんじゃないかな
それが表向きの政争に駆り出されさらに秀吉の死後半年で死んでしまった

その後継者であるはずの利長はその政争から離れるために
国許に帰り(家康の勧めと言われる)以降は家康に一本化されたんじゃないかと
0838人間七七四年2021/10/17(日) 22:13:38.31ID:KW82NKws
家康の勧めは三壺聞書っていう江戸中期の書物からだから除外して考えた方がいいよ
0839人間七七四年2021/10/17(日) 22:15:45.81ID:KW82NKws
政争から離れるためだったのかも正直わからん
領国内での問題対処も普通にある位前田家も揉めてる
0840人間七七四年2021/10/17(日) 22:20:57.30ID:KSiRkfaw
利長が国に帰った事が家康の勧めかはわからんけど、
家康に全く関わりが無いはずがない。だってそれって謀反って事になるんじゃない?
だからどうあれ、「内府さまの許し/勧めがあった」という事実はあったと思う。それが真実かはともかくとして。
0841人間七七四年2021/10/17(日) 22:28:39.53ID:KW82NKws
上杉家譜だと無断帰国と書かれてて
少なくとも帰国の翌月には揉めかけてるのよね
0842人間七七四年2021/10/18(月) 01:10:01.31ID:GDAGm66H
無断だったら帰国の当日には揉めてないと
0843人間七七四年2021/10/18(月) 08:24:06.46ID:uGr120os
状況的に一応は利家が詫びて治ったとはいえ
政争中何の断りもなく国許に帰ったら
兵をまとめに行ったのかと大騒ぎになりそう
0844人間七七四年2021/10/18(月) 08:58:43.34ID:+BAVuoNG
>>835
関白って位人臣に就かせるんだから
そこに下賤への嫌味があるといってるのに、臣下だからとかは的外れだよ
あなたの論じゃないだろうが、一応
0845人間七七四年2021/10/18(月) 12:17:18.39ID:mex3guDL
増田長盛の陰謀、みたいな説もあったな。
だから思うに、長盛のミスコミュニケーションだったんじゃないか?
利長が本国に問題があって帰国したがってたから長盛が帰国の許しを内府に取りに行く…はずが、
うっかり赦しの無い状態で帰国させちゃって大騒動に
0846人間七七四年2021/10/18(月) 13:06:29.92ID:kMnxrklT
確かにそれだと上杉家譜の記述の無断帰国も細川家譜の方の奉行の勧めで帰国も双方成り立つね
断定できる史料がほしいなぁ
0847人間七七四年2021/10/18(月) 21:41:45.61ID:mex3guDL
この辺りは政争でしっちゃかめっちかだからね…
99年8月に利長が帰国してからだけど、まず9月に利長の上洛禁止が沙汰される。ついで加藤清正も上洛が禁止されてる。
面白いのはここで利長の上洛阻止を命令されたのは大谷吉継と石田三成(島津忠恒宛 島津義弘書状)これが噂になったのか看羊録では「利長と清正らが家康暗殺を企み、それを近江にいた三成が知って家康に報告した」と書いてる。
流石に暗殺計画なんて無いだろうけど、クソ几帳面ってキャラ設定される三成の事だし利長帰国を報告してた可能性はあると思うんだ。
家康が三成を守人に指定したのは踏み絵だったのか、石田家への信頼と期待だったのかはわからんけど…
0848人間七七四年2021/10/18(月) 21:47:15.07ID:mex3guDL
多分加藤清正の状況禁止は薩摩の庄内の乱で伊集院に物資を提供してた件での処置で暗殺計画とは全く関係ないはず。それが連続した騒動で一つになってしまった。
利長は長盛との会話で帰国が許されたと思って帰ってこれを知って最初は家康による前田潰しと激昂しただろう。でもよくよく考えると公儀からの許しが全く無い。あるのは奉行の話だけ。その内大坂だと前田と加藤が結んで謀反って話まで聞こえてきて真っ青に。
10月にまつを江戸に送ってなんとか前田討伐は防いだけど、家康がその気だったら風聞だけで潰せてた筈でまぁ良く無事だったねとしか…
0849人間七七四年2021/10/18(月) 22:10:37.15ID:55elioPD
庄内の乱の時伊集院方に物資提供してたのって清正が有名だけど、伊東祐兵も物資流してたんだよな
義弘の書状で「それは一揆に同意したも同然の行為で、あなたの為にならない」とすぐやめるように言われてるな
0850人間七七四年2021/10/19(火) 12:24:38.20ID:0OJlLWAk
>>804
秀宗もw
0851人間七七四年2021/10/19(火) 12:29:10.94ID:0OJlLWAk
「秀」をもらった人物
・結城秀康(徳川家康の次男、秀吉の養子となる)
・徳川秀忠(徳川家康の三男)
・宇喜多秀家(秀吉の猶子、養女の婿)
・毛利秀元(毛利元就の四男、穂井田元清の子、毛利輝元の養子となる)
・毛利秀就(毛利輝元の子)
・小早川秀包(毛利元就の七男、小早川隆景の養子となるが、秀秋が養子に来ると別家を立てた)
・伊達秀宗
・織田秀信
・織田秀雄(織田信雄の長男)
「吉」をもらった、もしくはもらったと思われる人物
・大谷吉継
・木下吉隆(秀吉の祐筆。木下の名字ももらった可能性あり。秀次に連座し、薩摩へ配流の後、自害)
・毛利吉成(秀吉古参の家臣。豊前小倉七万石の大名となり、朝鮮の役で活躍するが、関ヶ原で正軍について失領)
・毛利吉政(吉成の子。大阪の陣で西軍につき、自害。勝永とも言う)
・木村吉清(天下統一後、葛西・大崎二十万石の大名となるが、一揆が起きた責任を問われ、改易。後九州の大名に返り咲く)
・大友吉統(宗麟の子。朝鮮の役で失態を犯し、改易。関ヶ原で西軍につき、敗北)
・堀尾吉晴
0852人間七七四年2021/10/20(水) 00:08:15.97ID:nxU8utPo
>>851
なんで子飼い勢で大谷吉継だけもらったんだろう
0853人間七七四年2021/10/20(水) 00:17:34.90ID:Rxs9hVod
大谷の吉って通字では?
0854人間七七四年2021/10/20(水) 09:44:20.14ID:Yld/rTMH
>>848
奉行と家康の連絡ミスや手続き認識のミス
という感じなのかなあ

ある奉行的には通ると思って帰国勧めたけど
徳川や他の奉行に問題視されて大事になってしまい
さりとて誰も戦争望んでないから穏便に・・・ていう
0855人間七七四年2021/10/20(水) 19:16:11.99ID:op0OOtcg
認識の違いってのもあったのかもね。
七将襲撃事件が穏便に(当社比)済んだ後で家康ら豊臣上層部は庄内の乱をどう治めるかを考えていた筈。
多分そんな中前田家の内紛も少し話題に上がったんだろう。そこでの家康の個人的な発言を奉行が公的な発言として伝えて利長が信じ切ってしまって帰ってしまったと。
だとしたら殆どの史料に矛盾しないし、前田家の焦りようも説明つくし。
0856人間七七四年2021/10/20(水) 20:33:55.81ID:3lkk6yKb
そこ辺りは史料出てこないとなんとでも言えてしまうから研究が進むことを願うばかりだね
0857人間七七四年2021/10/21(木) 00:13:28.33ID:JUOmcvSd
江戸時代だと帰国の際の挨拶も定型化してるけど
秀吉時代とその死後はどうなってたんだろうな
0858人間七七四年2021/10/23(土) 09:07:03.33ID:0tHmkBms
正直しっかりとは決まってなかったんじゃないかと
本質的にはそこの問題だと思うのよね

太閤の遺言とされるものを読んでも正直
一部で言われてるほど家康利長と奉行の職分は
明確にはされてないと思うんよね

行間読んだり当時の慣例や事例と重ねて
こう言う意味だと類推はできるが
逆言うとそういう解釈の余地はある

となるとお互い自分の都合の良いように解釈して
綱引きが始まるのが人の常であって・・・
0859人間七七四年2021/10/23(土) 09:35:07.36ID:sPinDE9b
書状は当時の常識とか慣習を踏まえてる前提で書かれるもんだしね
とはいえどの時代においても顔見せずに帰るはヤバイかな
領地帰って反乱の準備でもする気なん?ってなっちゃう
0860人間七七四年2021/10/26(火) 18:11:13.31ID:5TH6YRcZ
前田にとって幸いだったのは、前田には特定の敵が居なかったこと。
上杉なんて自業自得だが堀氏と敵対関係になってた結果、堀氏が徳川に急接近して何か上杉が怪しい動きをしたら即通報する気だったからね。
案の定通報されて、ごめんなさいし損ねてヤバいことに。
0861人間七七四年2021/10/26(火) 20:11:37.96ID:JbgOyAkA
初めからそれを狙ってたんじゃないの?
0862人間七七四年2021/10/26(火) 21:09:25.98ID:TvP73XfS
織田五軍団長vs豊臣五大老

羽柴秀吉vs徳川家康
明智光秀vs毛利輝元
柴田勝家vs前田利家
滝川一益vs上杉景勝
丹羽長秀vs宇喜多秀家
0863人間七七四年2021/10/26(火) 21:20:40.84ID:jjXZSIwT
性質が違いすぎる
0864人間七七四年2021/10/28(木) 05:02:15.36ID:ZhGHYOJG
>>830
傅役って要するに後見人で、主君が幼少の場合は主君に罰与えても良いって事だぞ。
このね、主君が幼少の場合は罰を与える事すら正当化されるって部分が強大。

現代でも、両親事故死の場合に祖父母や叔父が後見人に成る事は普通に行われてる
そんで、後見人に両親の遺産横領される事件も多発。

前田利家に野心あれば、明らかに家康より有利な立場なんですよ。
「傅役で有る私が、秀頼様に害があると認定した」で大義名分は十分だし
0865人間七七四年2021/10/28(木) 08:15:44.25ID:e+QCm/87
な訳ねーだろと
つーか後見人って立場なら家康も正しく後見人でもあるわ
0866人間七七四年2021/10/28(木) 08:22:52.18ID:e+QCm/87
現代の後見人制度と明らかに違うものをたとえで出したり、たちの悪さが相変わらずすぎる
0867人間七七四年2021/10/28(木) 08:29:52.91ID:8lZOIgqS
足利義満みたいな例もあるがあれはまあ義満自体が化け物だったのもあるし、有力大名がほぼ横並びだったのもあるな
五大老の力が拮抗してれば秀頼が成人するまで上手くいったかもしれない
0868人間七七四年2021/10/28(木) 08:53:21.75ID:2f5Vj3co
家康一人のみが200万石ではねえ…
秀吉は一体何を考えてたのやら
0869人間七七四年2021/10/28(木) 08:56:30.41ID:g6PMLZan
>>868
関東ですぐ死ぬと楽観してたのかな
0870人間七七四年2021/10/28(木) 09:08:04.00ID:JHlWI7Kd
少なくともこのスレを遡るくらいしてから発言した方が良いよ
スレがどういう筋道を辿って現状どういう結論になってるか、それを把握できてないと話にならないから
0871人間七七四年2021/10/28(木) 09:15:50.46ID:DYc2f8DD
五大老と言っても家康と利家の二大巨頭に過ぎんし、十人衆と言っても五大老とその他愉快な仲間達に過ぎない。
政治機構としては割と歪というか破綻は目前なんだよなぁ。
0872人間七七四年2021/10/28(木) 10:31:34.37ID:z/Wwg3mW
>>871
前田なんか100万石もなかったら巨頭でもなんでもないよ
利家が死んだら利長はあっさりと家康に屈服している
200万石ぐらいあったら対抗していたと思うがね
0873人間七七四年2021/10/28(木) 11:44:16.01ID:v0QLTfxl
ずっと、「家康が全て悪いから家康倒せばどうにかなる」と「豊臣政権の構造上の問題だから、家康倒せば良いというものではない」が対立してるよな。
0874人間七七四年2021/10/28(木) 12:14:52.04ID:rj328o1j
議論をしたいなら史料と研究持ち出してやるべきことなんだけど
それをしない人は今自分がそう信じてることを吐き出してくだけだからね
ゆえにそもそも話が成り立たないし、信仰に近いから批判を耳に入れようとしないからね
0875人間七七四年2021/10/28(木) 12:16:04.98ID:hG1VZh4g
この板そういう人が多くて話が停滞するよね
0876人間七七四年2021/10/28(木) 12:19:45.38ID:8lZOIgqS
君たちは史料も読まないのかね?ってマウント取りながらデマカセ連投して荒らしてる奴なら知ってるわ
0877人間七七四年2021/10/28(木) 12:26:32.82ID:hG1VZh4g
心当たりがあるのか?
0878人間七七四年2021/10/28(木) 13:03:17.61ID:Yh6dQBID
家康がいなかったら崩壊しなかったのかな
0879人間七七四年2021/10/28(木) 13:06:45.05ID:Rz4rvhop
しなかったよ
全ては家康のせい
0880人間七七四年2021/10/28(木) 13:22:58.11ID:rj328o1j
また荒らしが湧いて出るようになったなぁ
0881人間七七四年2021/10/28(木) 14:01:57.82ID:3MU9ALdi
なんで秀頼なんて担いでなきゃならんのだ
秀頼でいいなら他の誰でもいいだろ
0882人間七七四年2021/10/28(木) 14:02:15.82ID:i15665lb
>>878
家康がいないとして、他の大老がうまく協調出来るのが条件かな
大老同士が覇権争いはじめたりしたらアウト
むしろ家康より戦乱の収拾が遅れそう
0883人間七七四年2021/10/28(木) 14:28:01.02ID:wPrUrSeg
遺言無視して越後攻めたかったり、遺言無視して奉行と結託してる連中がいるのにその前提は遠回しに無理って言ってるよね
0884人間七七四年2021/10/28(木) 14:57:42.40ID:8lZOIgqS
その辺の小物は所詮豊臣政権下の主導権争いでしょ
0885人間七七四年2021/10/28(木) 15:03:33.59ID:d2kmcLwe
五大老とは笑止千万
実態は一大老と四老中
0886人間七七四年2021/10/28(木) 19:15:55.50ID:VNiAjSRu
>>884
その小物共が豊臣政権下での主導権争いの一線超えをやらかしたんだぞ
0887人間七七四年2021/10/28(木) 22:06:46.53ID:v4jc0KsO
むしろバラバラの大老奉行が結託したら
家康に勝てるかもくらいには拮抗してたから
関ヶ原という大乱が起きて別の政権が成立した

秀吉生前に徳川に権力集中させて
そのかわりお飾りの秀頼を推戴する
鎌倉幕府のような体制を作れてたらワンチャン
0888人間七七四年2021/10/29(金) 05:38:31.80ID:wP0rKAIZ
>>876
印象論だけで史料に基づかない人間はどこでも馬鹿にされる
当たり前の話だ
0889人間七七四年2021/10/29(金) 06:39:42.76ID:yRhttnN3
>>888
文章読んだら?そいつは史料にある(捏造)してるドクズだからね
間違ってると指摘されると逆ギレ発狂連投始めるしホンマモンのキチガイ
0890人間七七四年2021/10/29(金) 11:46:58.89ID:wdh2tRzh
家康がいなければ確かに関ヶ原はなかったろうが…
じゃあ秀頼が天下人になれてたかっていうと多分そうじゃないだろうなってのが
0891人間七七四年2021/10/29(金) 12:31:16.45ID:PJBtqjkG
>>887
野党連合みたいだな(笑)
0892人間七七四年2021/10/29(金) 13:21:24.74ID:JTBQqMzZ
仮に徳川がいなかったとして
奉行や毛利上杉宇喜多その他諸侯が秀頼を秀吉のような独裁者にしてその下に甘んじると思うか?って話
それで豊臣政権がうまくやってけると思うのはよほどの楽観主義だし
奉行毛利上杉宇喜多その他大諸侯を意志のない奴隷と同じにみなすむしろ彼らをバカにした認識
0893人間七七四年2021/10/29(金) 13:45:52.91ID:+oOiqDob
なんか最近親説増えすぎじゃね?
そうしないとメシ食っていけないのは分かるが何が定説なのかサッパリ分からんくなってきた
二重公儀説とか今どうなったんだ
0894人間七七四年2021/10/29(金) 13:48:18.56ID:dCfDM4nH
前田利家、秀吉死後公家から挨拶に来ると言ったことが殆どなくなってたみたいね
やはり周りからも影響力のある人物とは見なされてないようで
0895人間七七四年2021/10/29(金) 14:55:29.51ID:Nom0KfOc
100万石もないからな
所詮はその程度の人物
0896人間七七四年2021/10/29(金) 15:46:16.90ID:NvCDpPER
二重公議説とかは陰謀論なんかと違って
物の見方の問題だからな
0897人間七七四年2021/10/29(金) 17:35:32.74ID:wdh2tRzh
まぁこの船はオーナーが動かしてるのか船長が動かしてるのか船乗りが動かしてるのかっていう観念的問題だからねぇ…
とは言え関ヶ原の処理を放棄した時点で豊臣は公儀ではなくなったんじゃなかろうか。
0898人間七七四年2021/10/29(金) 18:43:26.04ID:hlN1ApSA
関ヶ原の処理以前から秀吉の遺言で政務家康に丸投げしてる訳で
執行してない、できないって時点で公儀じゃないよ豊臣家
0899人間七七四年2021/10/29(金) 22:54:41.76ID:IETqlMCA
家康さえやっつければ、みんな勢力が拮抗するから豊臣政権は長続きする。といった人がいるけど、毛利や上杉、奉行たちが心を合わせることが出来たら、秀頼幼少の時に軍事蜂起なんかしないと思うのだが。
0900人間七七四年2021/10/29(金) 23:15:46.91ID:sHci/OnT
>>872
姻戚関係を無視するなよ、確かに太閤薨去時点での前田領は約80万石ですが、宇喜多秀家の
正室は太閤の養女で前田利家の実の娘だぞ。
その他にも豊臣系大名との縁組があり、それ加えると実質150万石以上は有ります。

そして注目すべきは、この前田中心の姻戚関係は太閤の生前に作られてる訳で。
家康が勝手にやった私婚とかと違い太閤公認の上で前田派作ってたんだよ。
太閤が徳川牽制の切り札と認識してるのは明白
0901人間七七四年2021/10/29(金) 23:52:32.39ID:hlN1ApSA
太閤の実子の兄と太閤の義弟がある家のことを抜いて
さらに都合よく前田側の縁組だけを見てる
まあいつも通りの例え話だね

>>900
お前さんに随分前からずっと求め続けてる遺言の箇所はどこか、早く言ってから他人に絡めよ
バカの一つ覚えで同じ事ほとぼり冷めたら言いに来るたちの悪いことしてないで
0902人間七七四年2021/10/29(金) 23:56:03.17ID:WLiyrdYk
>>900
> その他にも豊臣系大名との縁組があり、それ加えると実質150万石以上

どういう理屈が有って加えるのか?利家にそれらの家に対する指揮権があるわけでもなんでも無いのに
0903人間七七四年2021/10/30(土) 00:01:01.07ID:n2u/cuyG
>>900
逃げるなよ?
早く5/12にお前が太閤遺言を要約したらあったと言ってる朝鮮出兵についての論功行賞を行わないだか書いてある箇所はどの秀吉遺言のどの部分に書いてあるか
さっさと言えよ
0904人間七七四年2021/10/30(土) 08:24:06.10ID:wUxPgGo1
>>895
お前ごときが上から目線で
言うことでもない
0905人間七七四年2021/10/30(土) 12:08:25.88ID:A2tk1IuM
朝鮮出兵の論功行賞を行わないってのが何なのか知らんけど(行わないなんて秀吉が決めるとも思えない。それは御恩と奉公の否定で豊臣公儀が揺らぐから)
秀吉が意図的に利家をパンプアップさせようとしてた可能性はあるんじゃない?
秀吉の構想としては家康利家の巨頭政治だったろう。これは諸将が家康利家に誓紙を出してることからも明らか(御掟で誰もが誓紙をかわしてはならないとしてるから秀吉の意向で出されてる)
でも徳川二百万石と前田百万石では差があり過ぎるから政治的にこの差を埋めようとしたとしてもおかしくは無いと思う。
0906人間七七四年2021/10/30(土) 12:35:42.26ID:i0bE+M8V
おかしくないだけならなんとでも言えるから
こうである蓋然性が高いと言うために史料が必要な訳

で、この有名な例え話荒らしは毎回史料を出さないか都合のいいところだけ掻い摘んで出して、そこ批判されたらレッテル張りながら雲隠れ
ほとぼり冷めたと思ったらまた同じこと性懲りもなく言い出すの
この利家の血縁がどうたらも何度も批判受けてるのにまた言い出したこと
0907人間七七四年2021/10/30(土) 23:15:43.29ID:tGAZc5ec
【日本史】豊臣秀頼は、豊臣秀吉の実子ではなかったのか。 [ボラえもん★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1635597627/1
0908人間七七四年2021/10/30(土) 23:31:55.89ID:2IbLg3J0
この板は本当に幼稚なのが多いからな
史料読むのが基本の基本
0909人間七七四年2021/10/31(日) 01:40:02.19ID:m+5YbbCQ
昌幸が元気で夏の陣に参加できてたらちょっと延命か奇跡でいい条件で和議できたかな?
0910人間七七四年2021/10/31(日) 02:01:48.04ID:Y80QSy3u
>>908
> 史料読むのが基本の基本

正にその通り、正に「基本の基本」。
必須の前提であり、そしてそれ以上でもそれ以下でもない。

本当に大事なのはその先の「構造」の考察なんだが、
文系脳の弊害か、プロの史学者から素人まで史料の一言半句の解釈で不毛な袋小路に迷い込む手合いの多いことに驚く。
当スレも含めて戦国板のスレの殆どがその弊から免れるを得ていない。
何と愚かなことか。
0911人間七七四年2021/10/31(日) 03:14:57.08ID:+SB1kgmR
>>910
え?だからお前の直感だか妄想だかの謎解釈を受け入れろって?
いいか、プロの一言半句の解釈っていうのはその文章の成立した当時の文法、社会常識、社会情勢、地域事情、
そういったものを複合的に考えた上での解釈で、お前みたいに偏った断片的な知識と思い込みでやってるわけじゃないんだぞ
0912人間七七四年2021/10/31(日) 10:20:57.71ID:gJtOOk0a
十把一絡げにしてプロすら舐めてその先の構造がわかっちゃう人間、まあまずろくな人間ではない
0913人間七七四年2021/10/31(日) 11:07:48.82ID:wDrwCX6C
おいおいオマイラ、たかが5chでなにイキり合ってるんだよ。
0914人間七七四年2021/10/31(日) 12:32:58.88ID:eiHtjqcb
>>913
うちらネット弁慶やからね
0915人間七七四年2021/10/31(日) 13:19:00.75ID:YgeJw0gU
こういうのでたかが5chでとか言うやつ、ほんとろくなやつじゃないんだろなって
主張する時はちゃんと根拠になるものを持ってって言ってるだけでそうやって場を言い訳に使おうとするんだから
0916人間七七四年2021/10/31(日) 14:11:09.46ID:AX6FsjBf
ここは「学問・文系」の日本史関係スレじゃなくて、「趣味」の戦国スレ
どっちも、もうちょっと緩く楽しくやろうよ
0917人間七七四年2021/10/31(日) 14:35:35.95ID:rQbWh4xE
仕事ならイヤイヤもあるだろうけど、自分が趣味にしてる事ですらその程度の事を調べもしないのか、そして絡んでくるのかよ、程度のイヤミは言いたいかな
趣味って言葉はちゃんと調べつつ楽しんでる人に妄想で絡んだり水差していい免罪符なのかね?
0918人間七七四年2021/10/31(日) 14:45:59.14ID:Y80QSy3u
>>911
嗚呼、典型的な文系思考停止…。
0919人間七七四年2021/10/31(日) 14:46:13.19ID:d6/bEo6q
ずっといがみ合いしてるからこれからも変わらないよ
0920人間七七四年2021/10/31(日) 15:02:53.83ID:MsGcIsIh
楽しくやるのは同意だな
別に他人にマウント取ったりいがみ合いながら議論する必要は全くない
でも史料のソースくらいは出そうよ
考察するにしても史料を根拠にしないとできないし、全部個人的な推論だけじゃねぇ
0921人間七七四年2021/10/31(日) 15:32:09.45ID:G6SLAaR3
史料があっても解釈がデタラメ
どの道話が通じない
0922人間七七四年2021/10/31(日) 15:33:07.08ID:anG68pUP
>>916
緩いというか根拠無しが楽しいという人もいるのかもしれないが
史料などの根拠ょがあったほうが楽しいという人がいるのも忘れないで欲しい
0923人間七七四年2021/11/01(月) 07:46:45.76ID:1gl4i//9
>>915
なんも主張してないんだが・・
なんでオレまでなんか主張してることになってんだ?

第三者が「まぁまぁ双方落ち着けよ」ってのも何かの資料を出して根拠を示さないといけないのかしら?
何の資料?
0924人間七七四年2021/11/01(月) 08:30:27.55ID:xt5E7r2t
変な煽りいれてる辺り、本当にろくなやつじゃないな君
お前が主張した、じゃなく主張に根拠持って来なかったり構造がうんたら言ってるやつに怒ってる話の後にお前が茶々入れたから言われてるんだろうに
0925人間七七四年2021/11/01(月) 17:22:21.33ID:OWehWtGm
もっとだ、もっと醜く争え
0926人間七七四年2021/11/01(月) 18:37:40.19ID:pbz8sZ4U
>>924
あ、この人真性のバカだ。
リアルでは嫌われてるからこんなところでしか威張れないんだな。
自業自得だから可愛そうとも思わんが。
0927人間七七四年2021/11/01(月) 18:47:54.20ID:OWehWtGm
そうだ、もっとだ、もっと醜く争え
わしは飽食じゃ
0928人間七七四年2021/11/01(月) 18:57:03.07ID:XZH6OKo2
逐一煽るな
バカだと思うなら構わなきゃいいだろ、史料持ってこないだどーたらと違って黙っとけば被害増えないんだから
ヒートアップさせたいのか
0929人間七七四年2021/11/02(火) 01:14:39.95ID:Bmws+hB9
史料ガーって言ってるアホが捏造をして荒らし回ってるのは皆分かってること
0930人間七七四年2021/11/02(火) 02:03:31.50ID:HgQRPCde
まともな人が軽く窘めてくれてるのにこれ以上そういうことやるの、ほんと百害あって一利なしだからもし良識があるならやめときなさい
いま打ち止め時を見極めないで煽るのは荒らしだから

主張をするならソースとなる史料なり研究なり出す、見当違いの解釈はしない、他者から根拠ある批判されたら素直に受け止める、捏造なんて以ての外

これら守って行こうって話でいいんじゃないの?
これ以降煽るようなことしないようにしよ
0931人間七七四年2021/11/02(火) 03:10:02.13ID:O+G97pJ7
ガー
0932人間七七四年2021/11/02(火) 05:01:35.37ID:Bmws+hB9
>>930
お前が黙れば荒れないんだから黙ってろよキチガイ
0933人間七七四年2021/11/02(火) 08:33:06.33ID:Sv7efVCE
自分の癇に障る事書く人間は全部同じ荒らしだし、皆も同じ認識してる筈だと思い込んじゃってる人か
本気で書いてるなら相当にアレな人だな
0934人間七七四年2021/11/02(火) 08:38:04.62ID:wx3Q1Bv0
この過疎板で異常にスレが伸びる時ってアレが発狂してる時だけだからな
もうちょい人がいる板でやりゃ紛れるのにアホすぎるだろw
0935人間七七四年2021/11/02(火) 09:52:20.36ID:qOvz4+Yx
実際、徳川家康の信頼度すごくない?
朝鮮出兵や関ヶ原その他諸々、家康が差配したんだろうに不平の声は少ない。
対して三成さん…そんなにやってないのに依怙贔屓の化身みたく…
0936人間七七四年2021/11/02(火) 11:08:43.24ID:balOmZnc
根回しとか口の聞き方とかも関係してるんじゃないかな。
 

(注 : ちなみにこれは個人的なイメージで、深い根拠も正しい資料もありません)
0937人間七七四年2021/11/02(火) 11:57:31.23ID:TTn54NWn
>>935
そりゃあ250万石も持ってはるからな
19万石程度しかない三成はどうしたって舐められる
0938人間七七四年2021/11/02(火) 12:03:13.31ID:ztJvZP1G
最近見つかった細川への書状でカネの使い方について書いてたらしいけど
余程親しく無いと嫌われるってかウザがられるぞそれは…
0939人間七七四年2021/11/02(火) 12:22:15.60ID:OzJC4G71
細川忠興が書いた書物の紙として石田三成や古田織部の書状が再利用されてたんだっけ

三成が当時の人にどう思われてたか知らんけど現代だと正論吐いてウザがられるタイプだな
0940人間七七四年2021/11/02(火) 14:09:06.84ID:So5vzzwV
三成「なんかお前さん、最近色々カネ遣ってるって聞いたけど、本来俺たちは天下の為にカネ使わないといけないんだからな?」
みたいな内容だったか。人によってはガチギレされそう。
0941人間七七四年2021/11/02(火) 14:16:06.03ID:uTJZptwF
しかも相手は忠興だからな
0942人間七七四年2021/11/02(火) 14:44:58.48ID:rYevtaSO
紙背文書は男のロマン
0943人間七七四年2021/11/02(火) 16:29:35.12ID:fh2Q6ubR
綿考輯録だと、忠興が秀次からカネを借りてたのを三成が讒訴して危うく切腹になりそうだったのを必死の弁明と根回しで生き残ったって話が残ってるらしいが
本当なら日頃ネチネチ嫌味言われるわ些細な借金で命を潰されかけるわで忠興の三成評暴落してそう。
そんでこの中で「三成に讒訴されて死刑になるなら三成をぶっ殺して伏見を火の海にしてから腹切ってやる!」とガチギレしてる忠興さん。後の三成襲撃事件はまだセーブした方だったのか…
0944人間七七四年2021/11/02(火) 17:49:20.34ID:RkNfljOm
>>942
Twitterやらのメッセージ機能で喧嘩してる感
0945人間七七四年2021/11/02(火) 17:54:49.36ID:rYevtaSO
>>944
発見されると、上司の悪口を間違えて上司のLINEに送った感も出る
0946人間七七四年2021/11/02(火) 21:18:24.72ID:4ildoZez
>943
霜女覚書でも「治部少輔と三斎様とはかねがね御間悪しく候由〜」とは書いてあるな
0947人間七七四年2021/11/02(火) 21:38:18.31ID:So5vzzwV
浅野長政と仲悪かったり、細川忠興と仲悪かったりと全方面と仲悪いなぁ三成…そしてそんな関係なのに金遣いについて忠告するんじゃないよ…

でもそんな三成を秀吉死後、多分唯一評価してた奴がよりにもよって徳川家康っぽいんだよなぁ。
三成は家康を仮想敵にしてたみたいだけど、家康が三成を嫌ってたって話は残ってないし、
死を要求された三成を助けたり、嫡男の出仕を認めたり、家康暗殺計画の時には三成に守備隊の命令出したりと割と好意的。
家康と三成が友好関係を保ってたら歴史はどうなっていたやら…
0948人間七七四年2021/11/02(火) 22:18:12.61ID:MGSSpYOR
>>947
> 家康と三成が友好関係を保ってたら歴史はどうなっていたやら…

家康の天下になるだけだな。
0949人間七七四年2021/11/02(火) 22:33:03.54ID:jiyzJckn
>>945
上司の悪口というと吉川広家宛に黒田官兵衛が書いた
私らは上様(秀吉)に不足とは思わないけど世の人はふのあしき殿と呼んでて〜みたいに書いてて
官兵衛本人が含みもたせてるかはともかく、世間的評判の悪さを伝えてるね
0950人間七七四年2021/11/02(火) 22:52:11.05ID:jPiyaJwV
>>949
その書状、さては左手で書いたな。
0951人間七七四年2021/11/02(火) 22:58:10.85ID:OzJC4G71
>>949
余談だけどその書状の前半部分は如水が秀吉の死を知ったのは8月24日だと書いてるんだよな
8月18日に秀吉が亡くなってるから如水は6日後に知ったわけだ
0952人間七七四年2021/11/02(火) 23:02:17.41ID:v0HZCB3+
>>947
秀吉の側近筆頭と豊臣政権の筆頭なんだから交流は頻繁にあったはず
能力と忠誠は秀吉を通じて評価しあってると思う
ただ秀吉が消えちゃうと仲立ちできる人もいなくなったんだろう
0953人間七七四年2021/11/02(火) 23:29:23.03ID:EVzTmo2b
>>947
少なくとも輝元のクーデターのスケープゴートにされるのだけは回避出来たかもしれない。
ただ他の大名と異なり秀吉の最側近の奉行であったから、そのまま家康の下にすんなり付き辛く立場として面倒な状況にはなるだろうけど。
0954人間七七四年2021/11/03(水) 00:51:03.80ID:WGjLkfyU
元々が地侍石田家の次男坊だから、境遇から考えればすでに大出世も大出世ではあるんよね
奉行として中央政権の手足になりつつ、大名として認められて新しく家興してるし
0955人間七七四年2021/11/04(木) 21:25:36.13ID:D/QyzoDU
>>951
黒田官兵衛はその後、大坂から自分の居城の豊前中津までのリレー早船システムを作って、
上方の情勢をいちはやく(3日程度で)中津にいる自分の耳に届ける制度を整えた
0956人間七七四年2021/11/04(木) 21:56:26.96ID:zjxOek6+
石田三成の息子、重家は大谷吉継と一緒に上杉討伐に加わるべく大坂城に入ったところで止められて「人質」として大坂城に押し込められた、って悲しい話があるけど、
これが人質にならないで東軍に参加してたらどーなってたんだろうか…
0957人間七七四年2021/11/04(木) 22:03:08.33ID:hIoa/5hD
家が存続しただろうね
京阪での挙兵だから大量の巻き込まれが生まれたんで(というかそれを狙っての挙兵だし)重家のみの不幸ではないけども
0958人間七七四年2021/11/04(木) 22:08:31.34ID:VfojvwkQ
>>955
秀吉死去の報も早舟によりもたらされたもので、この頃既に早舟のシステムは整備されてた
この書状でも22日に大坂を出た早舟が中津に到着して、24日に秀吉の死を知ったと如水は言ってる
0959人間七七四年2021/11/04(木) 22:13:19.93ID:bNMd5sQq
>>956
> どーなってたんだろうか…

どうにもならない。
大局から見ればノイズ未満。

親子が敵対して殺し合うなんざ戦国乱世に珍しくもない。
自発意志にせよ浮世の義理にせよ、事例は売るほどある。
0960人間七七四年2021/11/04(木) 22:44:52.03ID:Ir5stzPX
西軍挙兵のあと伏見城落城の情報を手に入れた如水が広家を通じて、輝元の頭を家康へ下げさせるように伝える書状出したりと如水の情報収集能力がかなり高いとは思ってたけど、早舟のシステムを構築してたのね
0961人間七七四年2021/11/04(木) 23:33:14.73ID:VfojvwkQ
広家の肝煎で輝元が無事済むよう家康に取りなすように言ってる如水の書状は
8月1日付だから伏見城落城の報は流石に如水の耳にまだ届いてない
伏見城落城が8月1日だしね
0962人間七七四年2021/11/05(金) 09:01:00.50ID:eJSPTGlu
>>961
内容勘違いして覚えてたみたい、訂正ありがとう
0963人間七七四年2021/11/05(金) 10:08:47.71ID:nU3Ms29H
>>954
うんだから、自分の身の安全と石田家の所領の安堵のみが目的なら何をすれば良いのか
明白なんですよね

徳川の走狗に成り、接局的に豊臣家潰す工作に加われば良いだけで。
そうすれば最低でも所領安堵、上手くすれば加増転封で50万石くらいの大名になれる。
実際、黒田や藤堂がそうなってるので、出来ない事もないよ。

何しろ豊臣家の奉行だから、鬼平で言う盗賊団に店の鍵あける引き込み役になれる。
只、この場合秀吉は無茶苦茶哀れで惨めな老人と思われただろう。

あれだけ恩顧掻けて誰も秀頼守ってくれないのだから
0964人間七七四年2021/11/05(金) 10:16:32.56ID:nU3Ms29H
>>935
誰だって真実を見たくない時もあるというだけさ。
太閤薨去直後のあの時期、どの大名も太閤の恩顧に対して後ろめたい気持ちがある。

じぶんの本音言えないんだよ面子上、自分の本音を公言すれば只の射恩知らずに。
まさか「秀頼様が哀れではないかと?うん心配だし気の毒だね、でもあの人が俺の領地安堵
してくれると思えないんだよ、滅びたくない」とかいえんでしょ

後ろめたさを解消するための生贄が必要なだけさ、それが奉行衆。
0965人間七七四年2021/11/05(金) 10:47:29.51ID:eJSPTGlu
>>963
またかよ例え話荒らし
持ってくるべき史料と研究をちゃんと持ってきてから話せ、批判に対してなにほっかむりして逃げてんだよ
あるいは単にお前の妄想を吐き出したいだけならここはそういう所じゃないから別のとこでやれって何度も何度も言われてんだろ

自分の妄想が正しい、批判は一切聞きませんは人と相対してやる態度じゃねーんだよ
0966人間七七四年2021/11/05(金) 10:57:04.06ID:eJSPTGlu
>>903

> >>900
> 逃げるなよ?
> 早く5/12にお前が太閤遺言を要約したらあったと言ってる朝鮮出兵についての論功行賞を行わないだか書いてある箇所はどの秀吉遺言のどの部分に書いてあるか
> さっさと言えよ

議論の俎上にあげてほしいのなら、まず第一歩としてお前が半年近くもろくに答えもしてない捏造についてやるべき事をしてから喋れよ
もちろんお前に求められてるのはそれ1つだけじゃないが、対話したいならまず失った信用を取り戻そうっていう誠意を見せてからだろ
数年前から反省もしない、批判も聞かない、自分の妄想だけは一方的にペラペラ喋って他人に絡む
嘘も百回言えば相手が根負けして真実扱いされるみたいなデマの手法やめろや
0967人間七七四年2021/11/05(金) 12:42:49.15ID:rgTJzCME
本当に三成が心底豊臣家と豊臣政権のことを思っていたのなら家と所領をなげうち身体をはってでも秀次事件を止めなきゃいかんだろ
どう考えてもあの事件から危うくバランスが保たれていた政権の均衡が一気に崩れ豊臣家弱体化徳川一強に突き進んで行ったのだから
三成にそれが見通せなかったのならその程度の人物だったということだし
見通せていたのだとしたら何か腹に秘めていたと思われても仕方がない
実際秀次政権では冷や飯組のはずだったのが中枢に復帰できたわけだし
徳川の走狗になるより豊臣の看板で権勢の座にいるほうが三成にとってはるかにいいだろうしな
0968人間七七四年2021/11/05(金) 14:06:56.08ID:lh2kz+sl
秀次派が粛清されて奉行達は畿内のいいところに領地もらいまくったんだぜ
0969人間七七四年2021/11/05(金) 14:20:38.38ID:/7F8548Y
まあまあ、憶測というか妄想で喋る相手を窘める時に、その可能性があるだけのもので喋るのはやめときましょうよ
あくまでも議論として必要なものは史料と研究とに沿った、そうであると判断できうる全うな解釈ですから
0970人間七七四年2021/11/05(金) 14:30:11.28ID:tgBJnmgS
例え話くんが典型なんだけど、奉行たちと譜代武将たち、大名たちを一色単に捉えて、忠義だの太閤の恩義だの語るのにはすごく疑問が残る。
立場も恩義も全然違うし、西軍の奉行たちに従うのも豊臣家の御為とも言えないし。

上杉家も父祖の土地を奪われ、家臣を引き抜こうとされたりしてるし、豊臣政権から離脱する行動とっても当たり前なんだよな。
0971人間七七四年2021/11/05(金) 15:16:00.23ID:Zt2BsL2l
石田三成が秀次を讒訴したって話は前田家・浅野家・細川家に残っているので大分信じられてる話ではあったんだろう。
でも正直、秀次だけでなくその一族まで皆殺しにされてるから事の震源地は秀吉だろう。三成ら奉行衆には秀次一族まで怨みは無い筈だし秀吉をそこまで動かせるとも思えないから。
三成が秀次事件に託けて都合の悪い連中を陥れようとしたって話もあるけど、三成が家康暗殺事件を密告したなんて話からするとコイツそんな大それた考えは無く単に報告魔だっただけかもしれない(法に違反してたら「自分に親しくなかったら」チクるタイプ)
どのみちやられた方は怨みを持つしそれはやがて…
0972人間七七四年2021/11/05(金) 18:27:10.92ID:U6pYzBPO
秀次事件で三成(奉行)に問題があるとしたら秀次排除を行う秀吉を
止めなかった(止められなかった)事位じゃないかな
そして止められなかったメンバーには当然、家康や利家も含まれるだろう
その後、大半が出世したり畿内転封されてる点も、諸侯の中にはムッとしたのがいそう
しかし家康と利家(勿論秀吉も)に喧嘩を売るような対応は流石にマズイだろうとなると…
そう考えると奉行も損な役回りを背負ったなとは思える

ただ、嫌味ったらしいかもしれないが、文字通り命や御家をかけての
諫言をこの時期から死ぬまでの間の秀吉に出来なかった時点で
奉行衆の豊臣に対する忠義など『その程度のものだった』とは言えてしまうだろうな
0973人間七七四年2021/11/05(金) 21:13:17.97ID:7TzE4MpB
「殿っ!殿っっ!!とぉのぉっっっ!!!これを御覧あれっ。後世の若輩者どもでさえこれぐらいは解っておりますぞっ。それも解らぬ殿は全く心得違いの大ウツケとしか(以下略)」
と云いながらドヤ顔で>>972を主君に読ませる本多作左。
0974人間七七四年2021/11/05(金) 21:40:53.28ID:/HBS4Xx0
三成ら奉行衆に秀吉が止められるかな?
例えば三成は朝鮮出兵に反対していたけど、秀吉を止められなかった。
俺の話を聞いてくれるはずだ、という信頼があるなら命懸けで諫言も出来るけどそもそも話聞いてくれなさそうなのに無駄死に覚悟で諫言するが忠臣ぞ、なんてのは少し酷な気が…
0975人間七七四年2021/11/05(金) 22:02:47.50ID:U6pYzBPO
>>974
三成らがそう考えていたかは知らないが、もしそうなら
『その程度の認識の奴に忠義や御為を口にしてもらいたくはない』な、自分は
楠木正成のように勝てない、死ぬとわかっていても主君の命令だからと
湊川で壊滅するまで戦う位の根性見せてるならともかく、
ここで諫言しても無駄死にだとか、どうせこちらの声は届くまいとか
そんな道理で言うべきこと言わない奴なんか駄目でしょう
三成が真に忠臣なら、家康をそんなに脅威だと思ってるのなら、秀吉死後に
こそこそ誓紙交わすような真似などしないで、堂々と秀吉の面前で家康を非難して
奉行衆に秀頼成人までの政権運営を一任するべきだ、位の諫言はすべきだろう
忠臣であるかの判定をするのなら、最低でもそれ位の事はしてほしい
0976人間七七四年2021/11/05(金) 22:08:13.53ID:cdoha7JP
まず三成を忠臣としている文献などを紹介してください
0977人間七七四年2021/11/05(金) 22:33:01.11ID:eJSPTGlu
>>972
他の諸侯の動向は不勉強で知らないけど
秀次事件って家康帰国した時に起きたはずだから、少なくとも家康からしたら寝耳に水よ
穿った見方をすれば家康に諌められかねないから帰った時見計らってやったのかもだけど、ここはもうちょい史料ほしいね

秀吉政権において諫言で秀吉の裁定を緩くした例とかまとめてる本とかないかな
0978人間七七四年2021/11/05(金) 22:58:17.39ID:7TzE4MpB
>>975
楠木正成の湊川は忠義よりも絶望によると見る方が史実経過との折り合いがつく。
0979人間七七四年2021/11/06(土) 19:47:27.33ID:dXuNB/Zp
政権として「秀次の謀反」を問題化してしまった
7月3日の糾問の使者は
前田玄以・増田長盛・石田三成・富田一白

謀反の事実自体が根拠不明でこの糾問自体が
秀吉近辺でどういう経緯で問題化されたかはわからん
が、その後の事態推移を見たら穏便に済ますより
秀次の政治的立場を損なうのが目的なので
となると使者の人選もその方向を望むものたちが
選ばれたと考える方が自然よね

秀次に同情的な人に任せたら「事実無根でした」
で丸く治めてしまいかねない訳だからね
実際秀次はそう主張して素直に誓紙を出した

ところが直後の7月5日に石田三成から秀吉に
秀次が前年毛利と密約を交わしたと訴えがある
この辺が石田三成が首謀者とされる由縁やね
一度消えかけた疑獄を即座に再燃させた訳だから
0980人間七七四年2021/11/06(土) 19:50:04.58ID:dXuNB/Zp
これを受けて秀吉の元に出頭しろと言うことになり
7月8日に渋る秀次に正式な使者が立てられる
前田玄以・宮部継潤・中村一氏・堀尾吉晴・山内一豊

彼らは以前秀次付きだった老臣たち(宮部に至っては義父)
彼らが選ばれた理由は
老臣たちに対する踏み絵的な意図があるとか
秀次に彼らも味方ではないという無言の圧力とか
硬化してる秀次を説得するための人選とか
色々言われるけどそのどれもあるんだろう

いずれにしろその説得で秀吉に会いに行った秀次は
門前払いで高野山へ行きそこで切腹となる
妻妾や家臣の捕縛も高野行きとほぼ同時に
始まっていて早い者は秀次より先に切腹してる

切腹の沙汰を伝えた福島正則・池田秀雄・福原長堯
秀吉の甥、信長の代からの近江衆、三成の妹婿
という構成

福原がいるのに三成の意思を感じるという見方もある
福島正則は血縁的に近い秀次の処分に不満だったと
されることが多いが政治的立場としては実はこの頃までは
奉行衆と利害は一致してたという見方もできる
0981人間七七四年2021/11/06(土) 20:18:32.61ID:dXuNB/Zp
長々書いたけど三成は秀次弾劾に積極的に動いてて
秀吉が言うから仕方なくってのは言い訳にしても
かなりダサいと状況的には思うけどね
0982人間七七四年2021/11/06(土) 23:25:08.77ID:x2Pp9SG0
>>980
次スレどうしますか?
結論的なものも、ずっと読んでた人の中ではある程度共有できてる気もするし
逆に細かなところはもう少し詰められそうな気もしますし
0983人間七七四年2021/11/07(日) 06:13:24.23ID:c7wH+6kk
いらんて人多いなら立てないけどどうなんだろ
0984人間七七四年2021/11/07(日) 11:28:34.93ID:xIGy4OdA
細かなところとか新研究があれば話を詰めていきたいけど
スレで進んだ話の前提を読まないとか、わざと無視する荒らしで毎回話が堂々巡りする面倒くささを考えると
新研究で目ぼしいのが出た時まで立てないか、立てるにしてもある程度注意書きをするかが必要かなーって私的には思う
0985人間七七四年2021/11/07(日) 11:29:47.91ID:4M5zXOvz
新しい人間が見に来てて被った話ししてるなら放っておきゃいいだろ
0986人間七七四年2021/11/07(日) 11:57:12.81ID:xIGy4OdA
無視しても向こうが絡んできたりするんよね
あと無視してたらわざと荒らしたいのがのさばろうとしてくるし
0987人間七七四年2021/11/07(日) 12:44:37.92ID:5V3KtrSW
私見では、もう立てなくて良いと思う。
最近は重箱の隅を突っついて文献の一言半句の解釈を争うような書込ばかりで、スレタイの主旨から遠く離れていくばかりだから。
巨大な権力体の終焉に関わる話題なのに権力論や社会構造論から考察するようなことも殆ど見かけない。
新スレが立ってもこの流れが続くんだろうし、意義ある議論は期待できないかな、と。
0988人間七七四年2021/11/07(日) 12:59:06.18ID:LZ4L1rTa
>>986
だからって荒らしに構ったら駄目よ
NGして無視が一番
0989人間七七四年2021/11/07(日) 13:09:38.58ID:Wko2aHxb
やりたい奴がやればいい
誰もやらないなら立たないだろうし
自分がもう興味のない話ししかしないならもうこのスレを続けるなっていうのは傲慢に過ぎる。ただの雑談掲示板だぞ
0990人間七七四年2021/11/07(日) 13:23:48.35ID:xIGy4OdA
>>988
そうなんだけどねぇ
数回なら無視できても、何度も何度もこっちの我慢を越えるまで続くのよね
ましてや明らかにいつもそれをやってるやつだと分かるレベルのがいるし
0991人間七七四年2021/11/07(日) 13:29:49.17ID:DqnQohIU
次スレがなければあなたが我慢する必要もないんだし建てない方向で
0992人間七七四年2021/11/07(日) 13:58:00.45ID:4M5zXOvz
見なきゃ良いだけなのに何が言いたいんだこの人は
もうここでは語り尽くしたなあで卒業すりゃいいだろw
0993人間七七四年2021/11/07(日) 14:10:20.65ID:y3iJxrlD
君もわざわざ要らん一言を言わなきゃ良いと思うよ
史料研究に精通した人と話したいのにノイズを撒き散らされるのが多いって話をしてるんだから
0994人間七七四年2021/11/07(日) 14:45:57.81ID:4M5zXOvz
匿名掲示板の使い方知らんのか?頭大丈夫か?
あんたみたいなことをしたい奴らは身内で集まれる別のところでやってると思うぞ
0995人間七七四年2021/11/07(日) 14:56:20.40ID:9UHYsLvB
こういう物言いしてわざわざ不快にさせるのがいるんだから、次スレやめた方がいいかもね
物の言い方一つにも気を使えないのが何度も書き込むんだから
0996人間七七四年2021/11/07(日) 15:01:26.03ID:5V3KtrSW
とりあえず埋めますか
0997人間七七四年2021/11/07(日) 15:01:37.57ID:4M5zXOvz
勝手に匿名掲示板を仕切って俺がもうやりたくないから終わり終わりとかもうちょっとネットのお勉強をした方が良いと思うよ
IDコロコロ変える知恵はあるのにガキ過ぎるだろ
0998人間七七四年2021/11/07(日) 15:06:35.20ID:4RXqfdAh
外出してるとそこらのワイファイ拾ってID変わっちゃうんだよ、ごめんな?分かりづらいことしちゃって
でも君のそのクソったれな物言いも直した方がいいぞ?
便所の落書きだつっても最低限対話者に対する態度ってもんがあるんだからさ
0999人間七七四年2021/11/07(日) 15:08:26.42ID:4RXqfdAh
煽られても無視しとけはその通りだが、そもそも煽るような物言いするのは最高にクソだってのは理解してほしいな
1000人間七七四年2021/11/07(日) 15:09:01.10ID:4M5zXOvz
ハイハイ終わりマチュよ
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