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武田勝頼 part19

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0001人間七七四年2019/06/05(水) 15:51:51.10ID:z2iG/d+P
http://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1557227300

前スレ18

ねえが出没しています。
皆さん、相手にしないようにして下さい。
0567人間七七四年2019/06/09(日) 15:07:16.88ID:QIjqnT9O
信玄や勝頼って領土欲は異常に強かったのに
得た領土を有効利用する事にかけてはどこまでも欲が薄かったように見える。
土地さえ得ればそこがボロボロの焦土になってようが人民が逃散してしてようが
生産力がゼロだろうが大満足という感じで。
0568人間七七四年2019/06/09(日) 15:16:22.05ID:AQibU+8u
そりゃ武田の外征目的は領土獲得ではなく略奪だし
0569人間七七四年2019/06/09(日) 15:33:49.38ID:PtEnY/nN
また、どうしようもなかったとかめちゃくちゃな訳を
0570人間七七四年2019/06/09(日) 16:01:27.70ID:a39ifbrd
>>567
そもそも信玄、勝頼が奪った山間部をどうやって有効利用するのか? 林業を盛んにするの? 木曽の木材は良質だから。
0571人間七七四年2019/06/09(日) 16:01:42.35ID:PtEnY/nN
>>489
長良川で武儀郡にまで50石船が遡ったりしてるので
木曽川もやろうと思えばもっと上流にまで行けると思う
当時は無理かもしれんが

>>491
河川舟運の場合、下流中流の水量川幅が多い個所は帆を使う櫂を使うとかで
更に急流の場合は斜めに引っ張ってジグザグに遡る、淀川とかが有名

>>494
>河川水運で遡る時はどこも塩か海産物を運ぶだけ
つ淀川
まあ大消費地が淀川の中流域にある京都が例外で
他は需給の関係で平時は農作物や木材を上流から下流に流すのがほとんどだが
0572人間七七四年2019/06/09(日) 16:05:38.38ID:CwTSPB5f
一般に言われてるのは小岩岳城であってないか?
0573人間七七四年2019/06/09(日) 16:08:40.96ID:Tugsl4fx
>>566
>小岩嶽じゃないんだがな。
ほう。では何の戦いですかね。先にその事をご提示の方をお願いいたしますかね。
>あんた適当な知識で言ってないか? さっきからひどすぎる。
具体的にご提示の方をお願いいたしますかね。
資料とかも合わせてご説明の方などをお願いいたしますかね。
>>569
いや、普通にそんな感じの意味合いだと思いますが。
具体的にご説明の方をお願いいたしますかね。
>>568 >>567
普通にその領土を制圧して、放任主義の信長とかと比しても
具体的な軍役命令とか領国への命令とかをしてますが。
>>570
山以外の土地も普通に多数制圧してたはずなのですが。
0574人間七七四年2019/06/09(日) 16:10:12.90ID:Tugsl4fx
>>572
ですよね。なんでか小岩嶽城の戦いを敗北とカウントした歴史本とか存在してますしね。
0575人間七七四年2019/06/09(日) 16:12:46.88ID:a39ifbrd
>>572
常田の戦いだろ。
1552年3月6日の。
軍鑑だと、品30に武田が勝利したように書かれてるけど。

長尾と村上の連合軍と、武田軍の戦い。
結構乱戦で、長尾村上が700余、武田が400余の死者出してる。数だけ見れば連合軍の負けだが、武田はこの戦いで小山田某一人が戦死し、原ともう一人が重傷になってるし、村上の領地に攻め入れず撤退してるから、負けと見られても仕方ない。
0576人間七七四年2019/06/09(日) 16:14:51.32ID:a39ifbrd
>>573
信長が放任主義とか、何言ってんだ?
0577人間七七四年2019/06/09(日) 16:16:33.88ID:CwTSPB5f
訳すなら
あんな負け方しなかっただろうに
って感じか
0578人間七七四年2019/06/09(日) 16:22:03.98ID:TbQakGuj
信長亡き後は秀吉が織田を引き継いで統一したが
信玄亡き後は重臣は長篠でみんな死んでるから
武田って実は大して強くないのは周知の事実だよね
0579人間七七四年2019/06/09(日) 16:24:47.15ID:6bGDm3Qj
貧乏なのによく頑張ったよ武田は
アンチがやたら多いけど
0580人間七七四年2019/06/09(日) 16:26:52.88ID:TbQakGuj
アンチが急増したのは今もこのスレ荒らしてるあいつのせい
0581人間七七四年2019/06/09(日) 16:28:49.05ID:Tugsl4fx
>>575
常田合戦は軍鑑にしか存在しない架空の戦いというのが普通の説では?
小山田は病死だったと思いますし。
>>576
信長は武田信玄・上杉謙信・北条氏康、とかがやったような、
配下武将に対して、いざ合戦の時には槍兵〜人、騎馬兵〜人、鉄砲兵〜人、
というような感じの具体的な軍役命令とかがろくに存在せず、
佐久間折檻状を考慮しましても、基本的にいざ合戦の時に如何程の軍勢を整えて
参戦していくか、は配下武将達の自由だったようですしね。
>>577
「何(いず)れともなすべからず候ひし」が原文ですから、
普通にどうしようもなかった、と訳すのが自然なのでは。
0582人間七七四年2019/06/09(日) 16:30:32.08ID:Tugsl4fx
>>578
重臣達の反対意見を拒否して陣城を攻めて敗北したのが勝頼ですのに、
そんな事を書いても、と思うのですが。
>>580
何をおっしゃっているのでしょうか、貴方は。
そもそも、その菅沼とかいうのは、前スレだけでも何人もの人が認定をされていて、
そのすべてが私と別人なのですが、同一とおっしゃるのですかね?私はまったくそのような名前ではないのですが。

そもそも、といいますか、貴方は>>81 >>85のレスを考慮しますに、
普通にIDチェンジをしてるようですが、 それで相手側をIDチェンジがどうとかいってきましたのは、どうなのでしょうかね。
0583人間七七四年2019/06/09(日) 16:55:35.27ID:6z3tMDA1
>>581
軍役命令ないから放任主義?

信長はめちゃくちゃ配下に口出ししてるぞ。
秀吉、家康、勝家らには軍監付けてるし。
秀吉は常に信長に伺い立ててる。
勝家も家康も同じこと。
だから信長の中央司令部が遊撃になったりもしてるのに。

軍役命令ないから放任主義はまずいよ。
0584人間七七四年2019/06/09(日) 17:04:30.69ID:PtEnY/nN
>>572
>>575
一般と言うか江戸時代に作られた講談の各大名の勝敗数だな
上田原戸石小岩岳が信玄の負けとされた

>>577
原文は何れともなすべからず候ひし
だから意訳するならそんな感じか
0585人間七七四年2019/06/09(日) 17:39:37.65ID:TbQakGuj
あいつや荒らしとしか言ってないのに
反応してるってことは荒らし行為と分かってて
やってるんだな
やっぱNGにするべきだな
0586人間七七四年2019/06/09(日) 17:41:40.45ID:HKyS6UCH
いちいち細かい指示出すより現場に任せた方が効率的だろ
もちろんいざというときはトップダウンやる必要もある
いちいち判子もらうような信玄なやり方は非効率この上ない
それは信長や元就の出した成果と比べれば明らか
0587人間七七四年2019/06/09(日) 17:44:06.21ID:6bGDm3Qj
>>586
信玄はいちいち判子もらうのが必要な体制だったのか?
0588人間七七四年2019/06/09(日) 18:03:35.53ID:QIjqnT9O
織田家は師団制になってて一々信長が動かんでも師団長に命じて成敗させに行かせるケースが
後半増えてたよな。
でも序盤はほぼ全ての戦いに親征してたから国力が大きくなったおかげで師団制にできたんだろうけど
0589人間七七四年2019/06/09(日) 18:59:32.54ID:I3SXVUhJ
重臣筆頭だった佐久間を怠惰だと言って追放してる信長が放任主義???
0590人間七七四年2019/06/09(日) 19:10:33.97ID:SdEz2ohd
北条の場合、官僚制度が出来てしまったから、あんなに弱体化したのかな? 氏政と氏直時代の北条軍てかなり弱いよね。

長篠後の勝頼に上野で押されまくり、氏政は当方滅亡とか言い出す。
天正壬午では5万の北条が1万の徳川に勝てない。
小田原攻めでも、山中はたった半日で陥落。鉢形と韮山除いてほとんど瞬殺されてる。

軍役制度を固める→システムを構築してしまう→人材が現れなくなるってことなのかな?

武田も長篠後の人材不足は酷いし。
0591人間七七四年2019/06/09(日) 19:35:43.34ID:pocPCixM
今の日本と同じで組織が硬直化し現場レベルでの柔軟な対応ができなくなってるんだろ
近代現代の例を出すのはいささか見当違いかもしれんが
WW2のフランスがそんな感じだ
現場は精鋭で装備も優秀だったが意表を突いてアルデンヌをドイツ軍が突破して来ると
現場の裁量で部隊を動かす事ができなかった為に崩壊してしまった
0592人間七七四年2019/06/09(日) 19:37:58.60ID:1m38ZlIC
>>590
小田原攻めは秀吉の経済力に支えられた人海戦術があまりにも強すぎる
一応秀吉軍にも被害出てるし多少はね?

関ヶ原すら寡兵の小城に苦戦する戦いも多いし(上杉景勝も序盤までは人海戦術で快勝してたけど)
っというか島原の乱の時代すらある程度鉄砲揃えて籠城決め込むと落とすのは困難

経済力は正義だよ(震え声)
0593人間七七四年2019/06/09(日) 20:09:45.48ID:SdEz2ohd
軍役命令がない。

つまり織田って完全な成果、実力主義ってことでしょ?

信長の眼鏡にかなわない働きなら、処罰される。他家みたいに軍役そろえていたら問題ないでは済まないってことでは?
0594人間七七四年2019/06/09(日) 20:44:40.07ID:I3SXVUhJ
勝頼みたいに信豊のような無能を一族だからという理由で重用して
好き勝手無能なことさせておいて処罰せずに重用し続けりゃ、そりゃ武田は滅ぶわな
0595人間七七四年2019/06/09(日) 21:17:40.02ID:SdEz2ohd
>>594
信豊って本当に信繁の嫡男なのかな?
父親と比較するとあまりに酷いし。
0596人間七七四年2019/06/09(日) 21:22:15.04ID:pocPCixM
中途半端に優秀なヤツだと信玄から警戒されて義信の二の舞になりかねない
0597人間七七四年2019/06/09(日) 21:32:32.94ID:I3SXVUhJ
義信が優秀かというと家臣の賛同も得ずに飯富らに担がれて粛清された無能
0598人間七七四年2019/06/09(日) 21:43:47.71ID:PtEnY/nN
何かの現代訳本で
何れともなすべからず
を変な訳し方でもしてんのかな
まあネットでそんな訳してるのは一人だけだろうが
0599人間七七四年2019/06/09(日) 21:44:09.74ID:PtEnY/nN
>>595
長男ではないな
0600人間七七四年2019/06/09(日) 21:45:21.59ID:s4IvqPol
いやあほ義信が飫富を巻き込んだんだろ
0601人間七七四年2019/06/09(日) 21:59:41.03ID:eKagDWrj
あれ???
もしかして荒らされてるの?
0602人間七七四年2019/06/09(日) 22:07:33.05ID:pocPCixM
粘着荒らし君が先週から荒してるよ
0603人間七七四年2019/06/09(日) 23:07:55.92ID:Tugsl4fx
>>583
軍監とかは他の大名とかも普通にしてますし、
家臣がお伺いをして、というのも普通の事ですしね。
で、信長は貴方的には放任主義じゃない!と書きたいのでしょうが、
仮に信長が放任主義じゃない、というのでしたら、
同時代の武田や上杉や北条はやってますのに、
家臣がいざ合戦の時に如何程の軍勢を整えて参戦していくか、
というのも定めていない、命令していない、というのは
どういう事なのでしょうか。
普通に武田・上杉・北条とかと比して、織田が放任主義的な軍制だった、
というのが自然な話なのではないでしょうかね。
0604人間七七四年2019/06/09(日) 23:18:05.20ID:Tugsl4fx
>>584
ちょっと待ってください。「何(いず)れともなすべからず候ひし」が原文、というのは、
>>581で私が普通に書いてますが、この文章で何をどうやったら、
「あんな負け方しなかっただろうに」っていう訳となっていくんですか?
普通に私が書いたように、「どうしようもなかった。」と訳すのが自然なのでは?
普通に、貴方の書いたのだと、原文とまったく違う文章のように思うのですが。
0605人間七七四年2019/06/09(日) 23:20:12.17ID:0mowe/FF
放任型というか、所帯が小さかった頃は信長個人が直接命令してて、領国が大きくなったら
いわゆる方面軍司令官クラスは、信長が期待してそうなタスクを察して、普通の大名並みの
知行を与えられているんだから兵員・兵站をそれで賄って、結果を出して当然みたいな気風の
統治だったのかもね。

佐久間追放は、昔の恨みを急に思い出して腹が立ったとか、信忠に政権を譲る前に大身の
古参を減らしておきたいとか以外に、叱責の書状からすると「俺の期待を汲み取って、本願寺を
さっさと下すべきだったのに、やってねーじゃん!」てな文面だし。
0606人間七七四年2019/06/09(日) 23:22:13.97ID:PtEnY/nN
自然なわけないだろ
どっからそうしようもないとかが出てくるんだ?意味不明すぎる
0607人間七七四年2019/06/09(日) 23:22:51.34ID:Tugsl4fx
>>585
いや、普通にここまででも、貴方が私に何度も菅沼なんとか認定をしてきたのは、
多くの事例が存在してますように思うのですが。
>>586 >>587 >>588 >>589
そのように、武田や上杉や北条のような具体的な軍役命令を信長がしなかった結果、
佐久間とかのように、拝領した領土の収入でろくに軍勢を整えようとしない武将がいても、
直接的に非難をしていく事ができず、結局何年もたった後で、本願寺との戦いが終了した後で、
戦功が多くないという理由で非難をしていくしかない、という事になったのですが。
(その佐久間折檻状の別の項では、「調略とかで戦功をあげてもよかったのに、そのような事もしなかった。」
的に書いてあって、謀略とか調略とかで戦功をあげていた場合は、特に非難をしていく理由もなかったようで。)
で、このような放任主義的な軍制では非効率、という事で、秀吉も家康も、武田・上杉・北条のような、
具体的な軍役指示をしていく方式をとっていく事になったのですが。
0608人間七七四年2019/06/09(日) 23:25:21.50ID:CwTSPB5f
あれだな菅沼は一度言葉の意味を辞書で調べるべきだな
0609人間七七四年2019/06/09(日) 23:30:46.56ID:Tugsl4fx
>>606
じゃあ、お聞きしますが、
「何(いず)れともなすべからず候ひし」の原文で、
どうやった場合に、貴方の訳の「あんな負け方しなかっただろうに」
となっていきますのか、文言と対応させての訳をお願いしていいですかね。
普通に私の「いずれとも=どのようにも」「なすべからず=なしようがない、しようがない」
で「どうしようもなかった。」という要約の方が自然と思いますが。

>>605
>所帯が小さかった頃は信長個人が直接命令してて、
特にそんな命令も残ってないのですが。
佐久間に関しては、普通に佐久間が受領した領土の収入で軍勢を整えようとせず、
自身で貯めこんで何年も過ごしていた事とかが普通に書いてあって、
信長はその事を非難していくのに、「武辺道」という抽象的な概念を
用いていくしかなかったわけで。
このような方式では非効率なので、秀吉や家康も武田や北条や上杉のような
具体的な軍役命令の方式をしていくようになったと思うのですが。
0610人間七七四年2019/06/09(日) 23:32:47.74ID:Tugsl4fx
>>608
何をおっしゃっているのでしょうか、貴方は。そもそも、その菅沼とかいうのは、前スレだけでも何人もの人が認定をされていて、
そのすべてが私と別人なのですが、同一とおっしゃるのですかね?私はまったくそのような名前ではないのですが。

そもそも、といいますか、貴方は>>81 >>85のレスを考慮しますに、
普通にIDチェンジをしてるようですが、 それで相手側をIDチェンジがどうとかいってきましたのは、どうなのでしょうかね。

そのようにいつも資料とかを基にしないで抽象的にいうのではなく、
具体的に述べて欲しいと思うので、
ご説明の方をお願いいたしますかね。
0611人間七七四年2019/06/09(日) 23:35:42.38ID:9IuOgNrx
軍役制度も無いのに、あれだけ広範囲の軍勢をまとめあげていた織田信長ってやっぱり天才なんだな。放任主義にしていてあれだけ勢力拡大ができたのもやはり凄いとしか言えないわ。

むしろ軍役制度を固めていた勢力のほうが、拡大ができてないのは情けないな。
0612人間七七四年2019/06/09(日) 23:38:11.43ID:QWfpk9W2
畿内と甲信越じゃ才能が違いすぎたか
0613人間七七四年2019/06/09(日) 23:44:00.98ID:Tugsl4fx
>>590
小田原遠征では北条側は豊臣側が兵糧的に問題が出てきた程に
よく戦ってますので、そこまで悪くないと思うのですがね。
武田の長篠は重臣とかが多く死亡したので、そういう書き方はどうかと思うのですが。
>>591
普通にそのように、武田や上杉や北条のような具体的な軍役命令を信長がしなかった結果、
佐久間とかのように、拝領した領土の収入でろくに軍勢を整えようとしない武将がいても、
直接的に非難をしていく事ができず、結局何年もたった後で、本願寺との戦いが終了した後で、
戦功が多くないという理由で非難をしていくしかない、という事になったのですが。
(その佐久間折檻状の別の項では、「調略とかで戦功をあげてもよかったのに、そのような事もしなかった。」
的に書いてあって、謀略とか調略とかで戦功をあげていた場合は、特に非難をしていく理由もなかったようで。)
で、このような放任主義的な軍制では非効率、という事で、秀吉も家康も、武田・上杉・北条のような、
具体的な軍役指示をしていく方式をとっていく事になったのですが。
>>593
単に室町風軍役のように、家臣が如何程の軍勢を養い、如何程の軍勢を率いて参戦していくか、が
家臣達の自由だった、というだけのように思うのですが。
実際に後の時代の秀吉や家康は、武田や北条や上杉のような具体的な軍役命令の方式をしていくようになってますしね。
普通に信長のは室町時代的な放任主義的な軍制で、
具体的な軍役命令の方式と比較して、効率的ではなかった、という話なのではないかと思うのですが。
>>594 >>595
織田も普通に一族武将は重く活用してますけどね。
単に死亡武将が多かったので、本能寺の時に残ったのが少なかっただけで。
>>596
義信は普通に自身で謀反を起こして幽閉、という感じですのに、どうして貴方にとってはそんな話になったのですかね。
0614人間七七四年2019/06/09(日) 23:46:50.42ID:rQNYBkjQ
いやw
織田はどうみても同時侵攻したせいで中央がスカスカになって本能寺が起きたんだろ
四国攻めの信孝なんて兵が集められなくて子供老人から牢人からもかき集めてやっと1万4000
ほんでいざ本能寺が起きたときに動かせた兵が4000しかいなくて、秀吉に先を越されたと

織田は見かけほど余裕はなかったと思うよ
0615人間七七四年2019/06/09(日) 23:49:37.63ID:QIjqnT9O
信長ってどう見ても生き急いでたよな
0616人間七七四年2019/06/09(日) 23:51:12.55ID:Tugsl4fx
>>598
じゃあ、お聞きしますが、
「何(いず)れともなすべからず候ひし」の原文で、
どうやった場合に、貴方の訳の「あんな負け方しなかっただろうに」
となっていきますのか、
文言と対応させての訳をお願いしていいですかね。
普通に私の「いずれとも=どのようにも」「なすべからず=なしてはいけない、なしようがない」
で「どうしようもなかった。」という要約の方が自然と思いますが。
>>601 >>602
何をおっしゃっているのでしょうか、貴方は。そもそも、その菅沼とかいうのは、前スレだけでも何人もの人が認定をされていて、
そのすべてが私と別人なのですが、同一とおっしゃるのですかね?私はまったくそのような名前ではないのですが。

そもそも、といいますか、貴方は>>81 >>85のレスを考慮しますに、
普通にIDチェンジをしてるようですが、 それで相手側をIDチェンジがどうとかいってきましたのは、どうなのでしょうかね。

そして、貴方はスレの平和とか言いますが、前スレを読みますと、
織田ファンのように思えます人が、信玄叩きとか武田叩きのレスをして、
それに反論をしようとする人とかを菅沼なんとか認定をして、
煽り罵倒して言論封じをしようとしていた事とかが、
多数の書き込みで残っていると思うのですが。これが平和なのですか?
0617人間七七四年2019/06/09(日) 23:52:38.73ID:PtEnY/nN
10年ぐらい前に書いたが
『何れともなす』に『どのようにも』なんて意味はない
優劣がないとか比較して差がないって意味
『べからず』は基本的には否定『してはいけない』『するべきではない』とかだけど
細かくいうなら『べす』の方は推量で『ず』は否定

なので
優劣が付くことは無かっただろう≒負けることはなかっただろう
みたいな感じの訳になる
0618人間七七四年2019/06/09(日) 23:55:31.68ID:QIjqnT9O
意外と信長って学習能力が無いだろ。
京を留守にするたびに三好が御所を襲ったり松永が裏切ったり本願寺が暴れたり
将軍が挙兵したりで「京を留守にしてはいけない。一定数の兵を常置しなきゃいけない」という
簡単な原則を最後まで学ばなかった。結局、それが原因で本能寺だしアスペかよw
0619人間七七四年2019/06/09(日) 23:56:33.60ID:Tugsl4fx
>>612 >>613
信長は桶狭間のラッキーパンチや、
三好政権の家臣達の対立によっての弱体化や、
武田信玄・上杉謙信・斎藤義龍、のちょうどいい時においての死亡、
などで勢力を向上させていきましたが、
その放任主義的な統治や軍制は、家臣達の多くの反乱などを起こしていきましたし、
最終的に本能寺になったわけですしね。
0620人間七七四年2019/06/09(日) 23:56:40.83ID:PtEnY/nN
多分現代語の『何れも』や『いずれにしても』がALLみたいな意味だから勘違いしたんだろうけど
『何れともなし』の意味は違う

あと「あんな負け方しなかっただろうに」と訳したのは俺じゃないぞ
まあ意訳すればそんな感じでもいいと思うが 
0621人間七七四年2019/06/09(日) 23:58:44.64ID:9IuOgNrx
Tugsl4fxと言う人が言ってることまとめると、

武田領は非常に豊かで、あちこちに市場があり、信玄が職人や商人も育成していたから織田に匹敵あるいはそれ以上の経済力。軍役制度もあり、長期戦も可能。

織田は武田にビビりの勢力。貿易で得られる利益など数万石だから全く問題にならない。軍役制度が無いから後進的で放任主義。武田と婚姻結んだのも、同盟破棄したのも、徳川家康を抑えようとしなかったのも全て信長のせいであり、信玄には何も非はない。

何で武田信玄ここまで恵まれていて織田信長ごときを倒せなかったんだ? 不思議すぎる。
0622人間七七四年2019/06/09(日) 23:59:03.08ID:PtEnY/nN
まあ優劣をつけようとすべきではなかった≒決戦を挑むべきではなかった
とも訳せそうだけど
0623人間七七四年2019/06/09(日) 23:59:11.08ID:QIjqnT9O
逆に信玄はパパが甲府を留守にしたのが原因でクーデターで追放されたものだから
自分は同じ轍を踏むまいと用もないのにいそいそと躑躅ヶ岬館に帰って
無駄な時間を過ごしまくってた。こいつも逆の意味でアスペだな。
0624人間七七四年2019/06/10(月) 00:00:33.17ID:KJe/29ry
>>619
運も実力のうちじゃないの?

軍役制度があっても、武田も上杉も反乱起きてるが? 特に上杉なんか酷すぎるが?
0625人間七七四年2019/06/10(月) 00:00:51.40ID:ATouWsp8
信玄が一生のほとんどを温泉巡りをしたり躑躅ヶ館でぐうたらしていた原因を誰も突き止められず
新田次郎は「信玄は若くして結核にかかったため」という仮説を作って説明してたな。
0626人間七七四年2019/06/10(月) 00:06:23.40ID:ATouWsp8
普通に考えたら弟の信繁に甲府のお留守番をさせて信玄自身は信濃を統一するまでは
帰国すべきじゃなかったのだが猜疑心が強い信玄は自分が弟や息子にクーデター起こされて
追放される幻影に怯えて頻繁に帰国しなければ気が済まなかったんだろうな。
0627人間七七四年2019/06/10(月) 00:10:51.66ID:fKkrZB/G
>>617
その訳し方で言いましても、貴方が最初に書いた、
「あんな負け方しなかっただろう。」ではなくて、
普通に貴方自身が書いています、「負けることはなかっただろう」という訳の方が正しい、という事になって、
つまり、織田勢は結局、武田勢が動かなかった場合は、武田勢を負けさせる事ができなかった、という意味合いにしか
なってないと思うのですが、どうなのでしょうかね。
0628人間七七四年2019/06/10(月) 00:11:37.44ID:tapEi3o5
武田信玄って経済力も軍事力も恵まれて、先進的な軍役制度も導入していて、なぜ織田信長と同盟結んだりしたの? さっさと美濃に攻め入って倒したらよかったのに。バカなの?
0629人間七七四年2019/06/10(月) 00:13:31.87ID:ATouWsp8
信濃統一までほぼ一生かけちまう時点でセンスねえよ
諏訪を倒した流れでさっさと信濃統一しなきゃ駄目だろホモ助は
0630人間七七四年2019/06/10(月) 00:13:45.00ID:fKkrZB/G
>>620 >>622
いや、さすがに、「あんな負け方しなかっただろう。」で訳すのは無理だと思うのですが。
貴方的な訳し方でも、普通に、「負けることはなかっただろう」という訳がそのまんま、という感じですし、
その場合、織田勢は結局、
武田勢が動かなかった場合は、武田勢を負けさせる事ができなかった、という意味合いにしか
なってないと思うのですが、どうなのでしょうかね。
0631人間七七四年2019/06/10(月) 00:19:16.88ID:fKkrZB/G
>>626 >>625 >>623
何度も書いてますが、普通に信長も、岐阜城時代には畿内に遠征をして、
律儀に岐阜城に戻っていく、というのを何度も行ってますが。
>>624
武田上杉と比しても、織田の領国の離反反乱敵対は多いと思うのですが。
>>621
>武田領は非常に豊かで、
相応に豊か、としか書いてないような。
>織田に匹敵あるいはそれ以上の経済力。
こんな事、どこにも書いてないと思うのですが。
>貿易で得られる利益など数万石だから全く問題にならない。
信長は別に勘合貿易とかしてないと思うのですが。
その利益数万石って大内の勘合貿易の話だったと思いますしね。

普通に信玄が西上の時に死亡した事が要因かと思うのですが。
0632人間七七四年2019/06/10(月) 00:22:01.27ID:ATouWsp8
>>631
尾張には戻らなかったわけだ。

さらに反省して安土に居を移してる
0633人間七七四年2019/06/10(月) 00:22:37.12ID:fKkrZB/G
>>628
信長と同盟をした時は、普通に上杉と西上野攻略戦争をしてましたしね。
>>629
信濃で一生?信玄は甲斐・信濃のほぼ全て・西上野・駿河・北遠江・東美濃・飛騨・東遠江・北三河、
という感じで120万石余の勢力を構築したように思うのですが、どうなのでしょうかね。
0634人間七七四年2019/06/10(月) 00:25:21.77ID:fKkrZB/G
>>632
長篠で勝利して東の脅威が減少した後で安土に、という感じで、
その時までは普通に畿内まで行って岐阜に戻って、というのを律儀にやってますので、
普通に織田も戦略的な理由で、主城を動かさない、という事も普通にしてた、という話でして。
0635人間七七四年2019/06/10(月) 00:27:15.74ID:tapEi3o5
>>633
何で西上野行く必要があるの?
そもそも1565年の時点で石倉とか落として箕輪城以外は奪ってる。わざわざ逆方向に行く理由がわからん。孤城ひとつにこだわるの?

貴方の言うところでは、織田信長が先に武田側に手を出して来たんだから大義名分もバッチリ。信濃から美濃へ侵攻したらいいだろ。武田は長期戦も可能な経済力もあるんだし。

あの時点なら斎藤も弱体化はしているが健在だから、攻めたら勝てただろ。なのに西上野に行くとか、信玄には戦略眼が無いの?
0636人間七七四年2019/06/10(月) 00:28:46.66ID:Weynl/ip
信玄は満で51歳で死去か?
信玄死去時に38歳の信長にあっという間に抜かれて、そのまま後塵を拝することしかできなかったんだから才能の差だろ
0637人間七七四年2019/06/10(月) 00:38:20.36ID:tapEi3o5
>>633
甲斐の全てと、信濃佐久郡は信虎がすでに平定していたはずですが。
0638人間七七四年2019/06/10(月) 00:39:15.03ID:fKkrZB/G
>>635
西上野攻略戦争は長尾上杉も主力を率いて何度も来援とかをしていた、
武田と長尾上杉の戦争ですので、あの状況で美濃に武田が向かった場合、
長尾上杉が大喜びで北信濃か西上野を攻めていくだけの話と思うのですが。
>>636
信長は桶狭間のラッキーパンチや、
三好政権の家臣達の対立によっての弱体化や、
武田信玄・上杉謙信・斎藤義龍、のちょうどいい時においての死亡、
などで勢力を向上させていきましたが、
その放任主義的な統治や軍制は、家臣達の多くの反乱などを起こしていきましたし、
最終的に本能寺になったわけですしね。
0639人間七七四年2019/06/10(月) 00:42:06.60ID:fKkrZB/G
>>637
佐久の一部しか信虎は制圧してないですよ。
甲斐については、そもそも、私はトータル120万石余の勢力を構築した、
的にしか書いてないと思うのですが。
そもそも、貴方の主張的には信濃に一生、という話だったので、
私は他の多数の領国などを提示したわけなのですが。
0640人間七七四年2019/06/10(月) 00:44:51.09ID:xXEjkhJL
>>627
むしろ『どうしようもなかった』と『負けることはなかっただろう』の方がよほど意味合いが異なると思うが
決戦を挑むべきではなかったで訳すならもっと武田に否定的な意味になるし
『べからず』を『してはいけない』的にとらえるなら、更に否定的になる
0641人間七七四年2019/06/10(月) 00:47:20.76ID:tapEi3o5
>>638
そもそもなぜ上杉謙信倒せないの?
織田と同盟したなら、後顧の憂いなく上杉潰したらいいじゃん。

貴方が言うには、武田領は豊かで市場もあちこちにあり、信玄が職人や商人を育成していたから経済力が豊富で長期戦も可能何でしょ?

信越国境は木曽、東美濃みたいに苦しい道じゃないしさ。補給も問題ないと思うよ。

貴方が言うには、貿易はたかだか数万石の利益でしかないんでしょ? 上杉は直江津の利益があるけど、数万石なら大した問題にもならない。

何で織田信長と同盟したなら、すぐに北条誘って上杉攻めないの? 武田の豊かな経済力なら可能でしょ?
0642人間七七四年2019/06/10(月) 00:47:22.17ID:T6Hdn55r
市販の現代訳本はなんて訳してるんだ?
ぶっちゃけそれでいいだろ。
0643人間七七四年2019/06/10(月) 00:48:26.68ID:Weynl/ip
>>638
信長は山のような謀反や反乱があって、その中を藻掻きながら、やっとこさ勢力を広げたっていうことか
その間に信玄は特に何もしてなかったから抜かれたってことでいいな
だって信長は畿内でみじめにのたうち回ってたのに信玄は上杉今川北条相手に圧倒的な優位に立ってたんだから
0644人間七七四年2019/06/10(月) 00:52:32.93ID:fKkrZB/G
>>640
そんな事もないと思うのですがね。
この文章は、「(長篠周辺の地形説明があった後で)勝頼が鳶の巣山において、
居陣をした場合、『何(いず)れともなすべからず候ひし』」と書いてますので、
貴方的な訳で「負けることはなかっただろう」と訳す場合、
織田勢が武田勢を敗北させていく事ができなかった、という意味合いになって、
織田勢はどうしようもなかった、的な意味合いと同じと思うのですが。
「あのような負け方はしなかっただろう」とかいう、あのような負け方云々、は
原文にはまったく同じような要素がないと思う次第でして。
0645人間七七四年2019/06/10(月) 00:52:59.00ID:82VUO3vM
>>628
結果論から言うと先進的でも何でもない全く役立たずの軍役制度だった
トップダウンor現場に丸投げの織田の方が柔軟性があり広大な領土を獲得したしね
これは現代でも言えるが硬直した制度は害になるだけ
実際武田の制度を取り入れた徳川幕府は烏合の衆の豊臣軍に苦戦するし時代が下って幕末では圧倒的有利なのに惨敗する始末

>>635
信玄じゃ信長相手に勝ち目はないよ
戦やるたびに重臣死にまくりの戦下手だよ?信玄は
まあ勝ち目が無いからこそさっさと美濃から手を引いて駿河攻めに方針転換したんだろうね
要するに信長が尾張を統一したあとからじゃ遅い
0646人間七七四年2019/06/10(月) 00:58:35.30ID:fKkrZB/G
>>641
なんか時系列が不可思議な事になってませんかね。
1565年 武田と織田が不戦的な同盟。
1566年 西上野の要衝箕輪城を武田側が攻略。
1567年 西上野の白井城を武田側が攻略して、西上野攻略戦争がひと段落。
この後で武田と今川の関係が不和に。武田はかなり最後の方まで今川との同盟に固執していくが、
今川が上杉と組んで武田を包囲していく動きを示した事から、1568年の7月には織田徳川と
対今川の同盟を結び、1568年の12月に今川との戦争を開始。

という感じなのですが。
正直な話、貴方は普通の史実の経緯とかを基にして話をしていただきたいのですが。
>>643
同格、もしくは格上の長尾上杉や北条と戦って勢力を向上させていったのが信玄だったのですしね。
0647人間七七四年2019/06/10(月) 01:01:33.18ID:Weynl/ip
>>646
甲斐の名門武田家が長尾上杉や伊勢北条より格下なわけが無いだろうが
生まれたときから遥かに格上じゃ
0648人間七七四年2019/06/10(月) 01:01:49.42ID:tapEi3o5
>>646
織田は1565年の時点で同格ではないの?
私は1565年に織田と同盟したなら、なぜ西上野を平定した後に越後を攻めないのと言ってるのよ。貴方は武田領は経済力に恵まれて、長期戦も可能だと言ってるしね。
0649人間七七四年2019/06/10(月) 01:05:31.83ID:xXEjkhJL
>>644
>>>616
>普通に私の「いずれとも=どのようにも」
まずこれは間違っていることは理解したか

で機械的に訳すなら、武田が勝つことも無いわけで
織田勢はどうしようもなかった、的な意味合いにはならないだろう
0650人間七七四年2019/06/10(月) 01:06:55.91ID:fKkrZB/G
>>647
勢力的には、関東管領山之内上杉となって、関東諸侯を従えた長尾上杉、
関東に大領土を保有した北条氏、の方が武田氏と戦った時は勢力的に格上、だったと思うのですが。
>>645
いや、普通に信長自身が配下武将の佐久間とかが、軍勢とかを養おうとしないのを、
非難もできずに何年も過ごしていて、秀吉は具体的な軍役制度を基にして、天下統一戦争や、
朝鮮出兵などを行っていくのですが。

普通に信長の敗北数は多いですし、死亡した武将も非常に織田家は多いのですが。
>>648
ですから、西上野攻略戦争の終結が1567年で、その時に同盟国だった今川と武田の不和が問題となってきて、
田はかなり最後の方まで今川との同盟に固執していくが、
今川が上杉と組んで武田を包囲していく動きを示した事から、1568年の7月には織田徳川と
対今川の同盟を結び、1568年の12月に今川との戦争を開始。という経緯で、
上杉を攻めていく、ではなく、先に今川を攻めていく必要性があった、という話なわけで。
0651人間七七四年2019/06/10(月) 01:10:41.22ID:fKkrZB/G
>>649
織田勢としては、長篠の救援に来てたわけで、
武田勢を敗北させていく事が出来ない、という場合、
普通に武田勢が長篠城を攻略して戦略的な目的達成、という事だと思うのですが。
で、そうしますと、織田勢としては、どうしようもなかったので、
織田も陣城を構築して待機しかしてなかったわけで。
勝頼が設楽に来た時に「天の与える所だ!」と大喜びした、と公記は書いてまして、
普通に織田勢が「勝頼が鳶ヶ巣にいた場合、どうしようもなかった。」という状況だと思うのですが。
0652人間七七四年2019/06/10(月) 01:11:12.90ID:Weynl/ip
>>650
武田家は国内豊かで人材も豊富
勢力面では常に長尾北条よりも上だぞ不届き者め
0653人間七七四年2019/06/10(月) 01:13:32.31ID:fKkrZB/G
>>650 を一部訂正
×田はかなり最後の方まで今川との同盟に固執していくが、
〇武田はかなり最後の方まで今川との同盟に固執していくが、
0654人間七七四年2019/06/10(月) 01:18:03.13ID:fKkrZB/G
>>652
そんな事どこにも書いてないと思うのですが。
越後一国に上野一国武蔵北部、までを制圧して関東諸侯も従えた長尾上杉と
第4次川中島の時の武田の50万石余ほどでは長尾上杉が格上ですし、
駿河攻略戦争でも、武田が80万石余で、北条が100数十万石程ですので、
北条が格上ですしね。
0655人間七七四年2019/06/10(月) 01:21:53.55ID:T6Hdn55r
>>651
長篠城落ちたら織田の負けになるから、優劣ついてね?
0656人間七七四年2019/06/10(月) 01:25:27.80ID:fKkrZB/G
>>655
武田勢としては、織田側主力の攻撃を防衛して、
決戦で勝利、という感じではないので、「(織田勢主力には)負けなかっただろうに」
しかし、そのままの状況が続いていけば、長篠城を攻略して、戦略的な勝利、
織田はそのままでは武田を敗北させていく事ができなかったので、
どうしようもない状況だった、的な意味合いになっていくと思うのですが。
0657人間七七四年2019/06/10(月) 01:25:32.76ID:xXEjkhJL
>>651
>普通に武田勢が長篠城を攻略して戦略的な目的達成、という事だと思うのですが。
それだと『何れともなすべからず』とはならない
0658人間七七四年2019/06/10(月) 01:28:14.26ID:fKkrZB/G
>>657
いや、なるでしょ。
織田勢主力と武田勢主力の戦いにおいては、
武田勢は「負けない」という話で、
その状況を維持していく事で、
結果として戦略的な勝利になっていく、という話して。

で、実際に織田も陣城を構築して待機しかしてなかったわけで。
勝頼が設楽に来た時に「天の与える所だ!」と大喜びした、と公記は書いてまして
普通に織田勢はどうしようもなかった、というのを公記が記述してますが。
0659人間七七四年2019/06/10(月) 01:28:56.55ID:fKkrZB/G
×話して
〇話でして
0660人間七七四年2019/06/10(月) 01:37:08.78ID:nnK9LHBE
>>651
>勝頼が設楽に来た時に「天の与える所だ!」と大喜びした、と公記は書いてまして、

幾つかのプランの中のもっとも織田に有利なプランに武田が乗ってきたから喜んだだけだろ

ちなみに現代語訳の中川版には
>「天の与える所だ!」と大喜びした
なんて現代語訳はしていない

今回こんな近くに対陣できたのは天の恵みであるから武田兵を残さず討ち果たし、味方には損害がでないように作戦を練った
ということが書いてある
0661人間七七四年2019/06/10(月) 01:42:51.11ID:fKkrZB/G
>>660
そんな事ないでしょうに。
そんな話だという場合、さっさと陣城とかを構築しないで、
武田勢に攻めていけばよかったでしょうに。

公記では勝頼が設楽まできて布陣した事を受けて
「今回敵が近くまできたのは天の与える所なので、
武田勢を悉く討ち果たそう、と信長は考え」的に書いていて、
普通に武田勢が設楽まで来た事を、
天の与える所だと信長は喜んだわけでして。
0662人間七七四年2019/06/10(月) 01:43:02.36ID:QbhYMj6f
実際の甲斐

ドケチな甲斐の商人は儲からないから他で金を落とす
気候も厳しく農地になると土地がすくなかった
娯楽が育たず文化後進国だった
地場の寄生虫でバタバタ死人が出ていた。体が浸かるだけで死ぬ池や沼がつい最近まで存在した
根絶宣言したのが1995年

こんな国じゃ、天下を狙うのなんて無理
他の大名もこんな土地はいらんでしょう
0663人間七七四年2019/06/10(月) 01:47:16.82ID:fKkrZB/G
>>662
普通に信玄時代は武田領土として甲斐では相応に商業・農業などの政策を行っていて
相応に効果をあげていましたしね。
風土病も甲斐の一部の話であって、甲斐全土でもないですしね。
0664人間七七四年2019/06/10(月) 01:50:46.95ID:nnK9LHBE
>>661
罠を仕掛けたところに鴨が葱背負ってやってきたってことだろ
駄目なら二の矢、三の矢があるのが戦だと思うが
武田だって本来は出張る必要が無かったんだから

天の恵みとは書いてあるが、喜んだとまでは書かれてないんだよ
むしろその先の「作戦を練った。酒井忠次を呼び長篠城救援部隊を編成し」のほうが大事じゃないかな
信長は淡々と事を進めた的に現代語訳してる
0665人間七七四年2019/06/10(月) 01:55:56.86ID:fKkrZB/G
>>664
長篠城は兵糧も少なくなっていて、武田勢の攻略が近い状況だった事は、
信長も鳥居強右衛門の報告で知っていたはずですので、
「攻めていって勝てたという場合は」陣城を構築して待機、
という状況ではなかったはずでは。
武田がそのまま設楽に来ないで、待機していた場合、
織田の陣城は無駄になって、
そのまま長篠城が降伏していた可能性も高かったですしね。

しっかりと「天の与える所」だと信長が思った、と書いてますのに、
喜んでない、というのは非常に無理な話だと思うのですが。
0666人間七七四年2019/06/10(月) 02:01:30.25ID:T6Hdn55r
当時の基準で引き分けみたいな結果に終わるってことだから長篠城落ちると言うのはまずないんじゃ。
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