>>423
地理の知識といいますが、織田も普通に美濃・信濃で侵攻して
その戦いで武田が滅亡してますし、1565年の戦いで織田側を武田側が撃退し、
織田側が慌てて同盟を求めた事を考慮しましても、
信玄西上の時に、信長が警戒しまくって美濃に留まり続けていた事を考慮しましても、
他ならぬ織田側が信濃・美濃で侵攻が可能、と想定していたとしか思えないのですが。

そもそも、信長公記の記述で考慮をしていけば、普通に
織田側は主力を岩村・伊那で侵攻させてますし、この事は
勝頼が東美濃攻防の時に美濃に侵攻した時、
あるいは、信玄が西上の時に
岩村城を橋頭保とした事、などと同様ですので、
武田が美濃に侵攻ができない、
という理由は存在しないように思いますが、
この事についてはどうでしょうかね。

このようにいくつもの歴史的な事実が存在していて、
当事者達も普通に信濃・美濃で侵攻は可能、という想定で動いてますのに、
貴方がそのように書いてもしょうがないと思うのですが。
信長に都合の悪い時や、信長が戦略的に不利な状況においてのみ、
貴方の祈りが時空を超越して信濃・美濃においての地理や地形が断崖絶壁に変化していく、
という事でもない場合、普通に信濃・美濃での侵攻は可能、という事でしかないと思うのですが、
どうなのでしょうかね。