或いは曰く、毛利元就は陶晴賢が厳島に渡海することを聞いて、元就より、追手の物見を二人、
搦手の物見には志路源蔵を遣わした。この時、厳島社に元就より病気回復の願書を納めさせ、
源蔵は神主の姿で参拝した。故にこれを咎める者は無かった。

その願書を陶晴賢が見て、元就の病気を真と思い喜んだという。

この願書には弘治元年(天文二十四年)十月二十八日とあるという。(筆者注:厳島合戦は十月一日であり、
この日付は九月二十八日の間違いと思われる)

(毛利元就記)