戦国ちょっと悪い話47
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0087人間七七四年
2019/05/30(木) 18:47:21.84ID:Oa0G9WWv琉球の防衛側の武装については島津に比べほとんど不明。
おそらくは原始的でないにしろ島津より劣っていただろう。
もともと日本や明から武器を輸入していたのだが、1450年代の倭寇のせいで明の福建の商人が琉球に武器を売らなくなってしまった。
また明同様、日本刀は珍重されていたが長いkatanaは実用的ではないため短いwakizashiを使っていたと思われる。
木製の盾も使っていた。
おそらく日中折衷の武装で弓、刀、槍、銃、ハルバード(中国式の広い刃か日本式のnaginata)も使っていた。
琉球の王は早くから火器を取り入れており、1450年代の朝鮮の漂流民は琉球での火器仕様について触れている。
喜安日記には「敵軍(島津)は弾を浴びせながら橋を攻略してきた。我々はそのような銃は知らなかった」と書いてあるが
それは一斉射撃を知らなかっただけで火縄銃自体はあったと思われる。
また石火矢という琉球製の大砲もあり、1貫(3.75kg)の弾を発射したとされるが、
これは首里城から発掘された直径7-9cmの弾と合致する。
また石火矢は那覇港にも設置された。
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