>>81

英文だからしかたないが誤字ありますね
薩摩の琉球侵攻の薩摩・琉球それぞれの一次史料とされるのが、市来孫兵衛『琉球渡海日々記』、喜安『喜安日記』

影佐『琉球軍記(琉球入ノ記)』はさほど年月が経たない時期に書かれたとされていますが、七島衆(吐?喇列島)の
船頭衆が功績を誇示するためにかなり膨らませて書いたと考察されてますんで、あんま参考にしない方がいいかと思います

一次史料を見る限りは沖縄本島での戦闘は、首里の手前で100余人の琉球軍が薩摩軍の鉄砲で散々に打ち破られたという程度
(ただし薩摩軍は行く先々で放火してますが)
以前NHKの琉球特番でもやった、那覇港要塞の火砲で島津船団を撃退したというのは琉球軍記の記述です
でもこれもどうやら・・