永禄九年、越府において、七組衆を初め諸侍は上杉謙信より正月の配膳を給わった。
御儀式は慣例通りに執り行われ、これが終わった後、御座間に於いて賞禄を給わった。
各々、名字を詳らかにせず加恩、与力を与えられ、御機嫌に預かる侍は、百二十余人に上った。

深淵金太夫という尾州浪人は、十年以来御家中にあった。この者が謙信の御座所の次の間において、
仙可という若年の童坊と些細な事で口論となり、金太夫は仙可を捕えて上に乗りかかり床に押さえつけた。

この事に気がついた謙信は、御腰から放さない貞宗の脇差にて、片手討ちに二人を重ねて一刀で、
四つに斬り放した。

仙可の親、内記という者は側でこれを見て憤激した
「金太夫はここでの儀を怖れぬ狼藉者でしたから、こうされるのも仕方ありません。ですが仙可は未だ
童の身であり、金太夫から遁れることが出来なかっただけで、科はありませんでした。それを同罪に
なされるとは、是非に及ばぬ!」

怒りの余り脇差を抜き、謙信公へ斬り掛かった。これに謙信公はあやまたず踏み掛かって、二刀で斬り
伏せられた。謙信公の最初の太刀は、内記もよく合わせこれを避けて身に当たらなかったが、後の太刀にて
右の腕を、手首から二寸ばかり残して斬り落とされた。それでも内記は左手に脇差を持って、猶も斬り合おうと
したが、これに謙信公の御小々姓である上村伊勢松が走り寄り、内記の高股を斬って討ち伏せ仕留めた。

謙信公は伊勢松に「今日は汝と相討ち(二人で相手を討つ事)した。」と、大いに笑われた。

(松隣夜話)