戦国ちょっと悪い話47
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0026人間七七四年
2019/05/12(日) 22:30:14.96ID:gJMRiBMX勝瑞事件の後に三好実休の舅であり、細川持隆の家臣の久米安芸守義広が
三好実休の主君殺しに怒って仇討のために起こした乱(鑓場の戦い、鑓場の義戦)があるけど
自分の娘をさしおいて主君の妾を奪うとは!という動機もあったとかなかったとか。
ついでにこのとき、久米義広に従って三好実休と戦い、ともに討ち死にした者に佐野丹波守(丹後守?)範房という人物がいた。
「源氏赤松之族 阿波佐野氏系図」によれば範房(系図には「丹波守 三好乱軍之節討死」とある)には
持貞という兄弟がいたようだが、佐野持貞については
18世紀末から19世紀初めにかけて徳島藩により成立した「阿波志」第六巻(三好郡)に記述があり、それを読むと
「源持貞 佐野次郎左衛門。赤松の族。三好に従い阪東に戦う。
持貞の子・左馬允範成、平義広(久米義広)の女を娶る。
源義賢(三好実休)が持貞に与えた感状を代々伝えている。」
「持」は細川持隆からの偏諱だろうから
主君と、兄弟と、息子の舅の仇から感状をもらった、という戦国らしいどろどろしたお話。
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