昔、近衛殿(近衛信尹)が、どう言う仔細があったのだろうか、秀吉公の御時に、薩摩の坊津へ
流され、その後配所を鹿児島に移された。その頃詠まれたものが

 大臣の 車にはあらであはれにも のするかごしまになふほうのつ
 (大臣の車(牛車)ではなく哀れにも、乗り駕籠に棒で担がれている(駕籠と”鹿児島”、棒と”坊津”を
  かけている))

(きのふはけふの物語)