武田勝頼 PART18
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0088人間七七四年
2019/06/22(土) 10:39:35.91ID:3V/Jjf5g第二次合戦
晴信も旭山城の後詰として川中島へ出陣し、犀川を挟んで両軍は対峙した。
7月19日、長尾軍が犀川を渡って戦いをしかけるが決着はつかず、両軍は200日余に渡り対陣することになる。
兵站線(前線と根拠地の間の道)の長い武田軍は、兵糧の調達に苦しんだとされる。
長尾軍の中でも動揺が起こっていたらしく、景虎は諸将に忠誠を確認する誓紙を求めている。
長尾軍に呼応して一向一揆の抑えとして加賀に出兵していた朝倉宗滴が亡くなったことで、北陸方面への憂いが生じたこともあり、 閏10月15日、駿河国の今川義元の仲介で和睦が成立し、両軍は撤兵した。
和睦の条件として、晴信は須田氏、井上氏、島津氏など北信国衆の旧領復帰を認め、旭山城を破却することになった。
これにより長尾氏の勢力は、長野盆地の北半分(犀川以北)を確保したことになる。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています