未開の地、とか、通過不可能だ、というわけではなく、長期戦あるいは月またぎになると、兵站線の問題がモロに出てくるのが問題なのでは、その通路だと。

例えば、四国平定に従事していた長宗我部元親は、土佐から伊予に侵攻する際、宿毛から南予に攻め入ってますよね? 現在のR33の山越えしたら伊予の中心地である現在の松山市に出れるのに。

つまりは通行は可能だけど、その道は兵站線には余りに不向きだったのではないでしょうか?