>>154
国主と国衆の関係は専制君主の主従関係なのか寄り合い所帯なのかは、
時期や個々人によるケースバイケースでは?
信虎は専制君主を目指したが追放され、晴信が若くして国主になったが
専制君主路線は後退
晴信が版図を拡大して武名をあげていき、専制君主路線へカムバックできるように

つまり国主個人の「カリスマ性」によって、専制君主体制になったり寄り合い所帯になったりする