武田勝頼 パート15
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0727人間七七四年
2019/02/18(月) 08:01:40.76ID:nncDNtwWそれを物語るエピソードとして、後土御門天皇が亡くなった際、葬式代がないため、
40日間遺体が安置されたまま、なんてことがありました。
そんな時代、織田信秀は、外宮仮殿造営費用として、4000貫を朝廷
に献上しております。
1541(天文10)年のことでした。
それから2年後、台風のために、皇居の塀が倒れてしまいました。
しかし、その修理代が、ないのです。
それを聞いた信秀は、家臣の平手正秀を名代として京都に派遣し、修理代4000貫を献上しました。
天皇及び朝廷は感激し、信秀に奉書をくだしています。
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