すでに室町幕府が弱体化する中、朝廷はさらに落ちぶれ、貧乏に浸っていました。
それを物語るエピソードとして、後土御門天皇が亡くなった際、葬式代がないため、
40日間遺体が安置されたまま、なんてことがありました。
そんな時代、織田信秀は、外宮仮殿造営費用として、4000貫を朝廷
に献上しております。
1541(天文10)年のことでした。
それから2年後、台風のために、皇居の塀が倒れてしまいました。
しかし、その修理代が、ないのです。
それを聞いた信秀は、家臣の平手正秀を名代として京都に派遣し、修理代4000貫を献上しました。
天皇及び朝廷は感激し、信秀に奉書をくだしています。