ふんことの(村井豊後長頼)   はひ(羽柴肥前、前田利長)
                        まいる
金法印(金森長近)よりひきやく給候、しうちやく申候、 我々事七月廿六日ニ小松おもてへはたらき候所に、

ふしミのしろせめ申候由うけ給候間、八月一日ニ大せう寺へはたらき、ふしミのしろのたよりにもなり可申候と存、三日に大せう寺へ取かけ、

そくしニせめほし、山口おやこ(山口宗永・修弘)うち取候、すなわち越前へはたらき可申と存候所に、

ふしミのしろ一日ニおち申候由候、其上越後いつき(一揆)おこり申候由、久太(堀秀治)よりちうしん(注進)候間、まつ人しゆうち入候て、

おいさし物いけなをし申候而、二日中ニはたらき可申候と存候、 孫四郎(前田利政)おんなとも、上方にい申ニつゐて、

孫四郎色々の申分候、のとい申人しゆおたて候ましきよし申候間、此中もしゆえことわり申候、なかはにやかてもさかいめへ出度候所に、

かやうの事にてはかゆかす候事、てんとうつき申かと存候、かやうの申ひらき、大ふへ申されす候事候間、

われ?のめいわくすいれう候へく候、左馬助なとハわれ?かたへ人しちを出し申候、其ほかの人もちも、大方人しちを出し申候、孫四郎かたよりわれ?に、

色々さま?のふそくかましき事申候、此ひころ、おとゝいのなかにても、一人ならてハなく候間、あらけなくいけんを一つ申さす候間、とうさめこ上方に候つるとて、

がてんすまざる事申候、此よしかうしつへもよく申度候、大なこん殿おり、色々せいしなとおもいさせ候、、其上かうしつなとも、其方に御いり候間、

一かとせいおも入候て、よく候所に、かやうにふんへつちかい候事、われ?しやわせあしきゆへニ候、めことも上方に御入候物とも何ほとも御入候、

孫四郎ハよ人にかわり、かうしつをゑとにおき、其上われ?をしうにもおやにももち申候間、おんなめこらをすて候てくるしからぬ事候、

おかしきしやわせ候、しかしなからせかれの事候間、くるしからぬ事、心やすかるへく候、

大せう寺の事にひきやくまいらせ候へハ、ろしにとゝこうりあるへく候、 かしく

九月五日