武田勝頼 パート13
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2018/12/22(土) 15:23:06.42ID:bgvHBf8g前スレ 武田勝頼 パート12
規則
「ねえ」の相手をしない。
「ねえ」は無視しよう。
「ねえ」に返信しないこと。
0336人間七七四年
2018/12/27(木) 07:02:53.72ID:PJ83Ghs50337人間七七四年
2018/12/27(木) 07:14:56.68ID:ONeWXN/Nどうかな?
信長が犠牲を顧みず兵力差で押しつぶすか、兵糧攻めに出てきたら、どのみち武田はアウトじゃないか?
武田は前月から遠征続きで、しかも三河の山奥だから補給に苦しくなる頃だし、経済差は明らか。兵力差で無理やりやってきたら織田徳川もそれなりの出血はあると思うが、やはり武田は押しつぶされるのでは?
0338人間七七四年
2018/12/27(木) 07:54:07.78ID:Rz2iqiVc勝頼は信繁と同じような名声を得てても不思議ではないな
外交しなくても良いし戦だけなら強い
諏訪勝頼だから担がれる心配もない
義信も勝頼に対しては諏訪勝頼にもかかわらず武田勝頼と手紙で書いてたり
かなり気を使ってるし勝頼も武田家中で疎まれた存在なのにかばってくれる義信に恩を感じてたはず
0339人間七七四年
2018/12/27(木) 08:04:07.83ID:jV2vWsRvその慎重論出せたのも、恐らくは十河や長宗我部を討ち取った実力があったからだろ?
勝頼なんてそんな評価される実力なかったじゃん
0340人間七七四年
2018/12/27(木) 08:11:54.33ID:5JDsdcVs実際、強い武力の勝頼より、なんかおひとよしの義信のほうが、
結果的には武田家を存続させた気がするな おそらく織田家臣として
0341人間七七四年
2018/12/27(木) 08:51:17.73ID:wND2eYqK0342人間七七四年
2018/12/27(木) 08:57:02.14ID:+rgYzNjZ同じ無茶でも防衛戦と侵攻戦だと評価は分けるべき
桶狭間もそうだけど強大な相手に対する防衛戦は多少無茶してでも引けない場面とも言える
助かったのは運でも挑んだことは否定されるべきじゃない
>>339
それでも尾藤以外は追撃を主張してるし、これが理由で尾藤は改易されてるのでそれくらいあり得ない判断だったと言える
島津が助かったのは運が良かったからなのは確か
0343人間七七四年
2018/12/27(木) 09:01:26.53ID:wND2eYqK鶏肋だとして侵略を諦めてくれたかもしれないわけで。
0344人間七七四年
2018/12/27(木) 09:05:59.12ID:pzEAkp3V書いた意図が伝わってないみたいだけど、俺が言いたかったのは何がベストの選択か
なんて誰にもわからないということだよ。勝率0%であっても例えば戦わずにジリ貧に
なって史実より早く滅んだりしたら戦った方がいいだろ?戦わなかった場合に
どうなるかは推測しかできない
もっと端的に言えば、AとBの選択肢があってAを選んで失敗したからBの方が正しい、
という法則は成り立たない。Bを選ぶと大失敗になる可能性もある
0347人間七七四年
2018/12/27(木) 09:57:19.15ID:wND2eYqKぶっちゃけ勝ち目のない戦ほどやっちゃいけないものはない。
それはWW2で日本人全員が経験した事ではないか。
0348人間七七四年
2018/12/27(木) 10:14:25.50ID:sYfgVFs0あの時は周りが同程度がそれ以下の勢力だからミスが響かなかっただけ感じあるけどね
1ミスが致命的すぎる状況で戦闘せざるを得なかった点は差っ引いて考えた方がいいかもしらん
0349人間七七四年
2018/12/27(木) 10:18:13.95ID:qvsMRj5F>勝率0%であっても例えば戦わずにジリ貧に
>なって史実より早く滅んだりしたら戦った方がいいだろ?
長篠合戦前は武田軍は徳川領を蹂躙して
家康は城に籠り信長に援軍要請するしかできなかった
長篠の大敗で重臣が尽く討ち死にして
長篠後はその徳川軍単体に蹂躙され出して
武田崩壊の切っ掛けになった高天神城も徳川による物だろ
0350人間七七四年
2018/12/27(木) 10:20:37.44ID:wND2eYqK短所
・石高と兵数が少なく貧乏所帯
長所
・地の利が凄い。計画的に引き込んで戦えば負けるわけがない。山岳戦の研究さえしとけば・・・
0351人間七七四年
2018/12/27(木) 10:30:19.46ID:eNtOf5O+高天神城もぶっちゃけ単体で落としても、あんま意味ない気がする
0352人間七七四年
2018/12/27(木) 10:32:35.51ID:Rz2iqiVc遠江の要は掛川城だよなぁ
高天神城が堅城なのは事実だけど戦略的な重要性という意味では掛川城の足元にも及ばない
0353人間七七四年
2018/12/27(木) 10:38:00.84ID:wND2eYqK上田城で勝っただけでなく徳川軍が負けた腹いせに丸子砦を叩こうとしたら
200人程度しか居ない丸子三郎にもフルボッコされたんだよな。
数千の兵を率いてたのに。 地の利というのはそれくらいデカイ。
0354人間七七四年
2018/12/27(木) 10:51:26.18ID:YSs78VRt東海道沿いの掛川城を奪えないなら、高天神城なんて放棄すべき程度の存在。逆に言えば、
高天神城を落とせたのなら、東濃と奥三河は守りに入って、掛川を全力で攻めるべきだった。
信長の援軍が今度は間に合ってしまうかも知れんが。
米豪遮断作戦が不可能になったのに、ソロモン諸島やニューギニアに執着して、多くの兵士を
戦死どころか餓死・病死させたり、艦艇・航空機を大量喪失したりした日本軍と同じ。
武田家は拡張期にも戦略的・経済的に大して価値がない土地を奪おうとするけど、損切りも下手。
0355人間七七四年
2018/12/27(木) 11:00:04.58ID:IYzahxaw石川家成は数正に旗頭を譲って引退してたし、当時の徳川にそんな戦巧者がいたのかな?
掛川城って規模から考えてそんなに堅城なのかな? なぜ信玄も勝頼もここを狙わなかったのか疑問すぎる。
0356人間七七四年
2018/12/27(木) 11:04:35.54ID:Rz2iqiVc裏切らない城主と信用できる兵を入れておけば
ほぼ落城しないのが掛川城
半年以上包囲すればさすがに降ってくるかもしれんが
そんな金は武田にはない
0357人間七七四年
2018/12/27(木) 11:37:15.81ID:+vZg7p5H確かに書いた意図が全く伝わっていないレスも見受けられるなw
でそれを踏まえたうえで
無謀でもどこかで決戦しないとジリ貧の可能性が高い
その戦略的な判断は間違いではないと思う
ただ決戦するにしても何であの場所で突撃なんだと
その戦術的な判断は間違いじゃないかと
ここで決戦するにしても他の選択肢はあっただろう
0358人間七七四年
2018/12/27(木) 11:46:07.34ID:+vZg7p5H長篠が無ければ守れたから無駄に領土広げたと言うより
ミッドウェー後の劣勢になった後に戦線の整理をしなかったが近いんじゃ
>>352
掛川を南からも圧迫という点では間違いじゃないんじゃ
掛川は朝比奈が籠った時は家康が付け城築いて長期包囲して開城にもちこんだような城で
力攻めで落とすのは難しいし、長期包囲は織田の援軍が来る
となると周りの城落として戦略的に孤立させて開城に持ち込むがベターなんじゃ
0359人間七七四年
2018/12/27(木) 11:52:09.25ID:IYzahxaw高天神城が落ちた後、掛川城は孤立したけど開城はしなかったよね。
0360人間七七四年
2018/12/27(木) 12:06:58.73ID:fhHgHUiU0361人間七七四年
2018/12/27(木) 12:11:02.70ID:+rgYzNjZ引退はしてない
旗頭としての地位は譲ったが隠居するまで掛川城主は家成のまま、と言うか城主になった時に譲ってる
むしろ掛川城主としての武田との国境を受け持つために旗頭を数正に任せて自身は東に専念したんだと思う
今川没落時の粘りは朝比奈泰朝の力量が大きいとは思うけど少なくとも弱い城ってことはなさそうだし城主は家康の腹心
落とせれば途方もなく大きいとは思うけど織田に援軍が来る前に落とせるかと言うとまず無理
0362人間七七四年
2018/12/27(木) 12:11:44.46ID:qvsMRj5F重臣と主力を失うほうが致命的だってのに
信用ガー云々とわけの分からんことを言い出すし
0363人間七七四年
2018/12/27(木) 12:13:58.01ID:+vZg7p5H石川家成が引退するのは石川康通に家督を譲った時
掛川城主の地位はそのままじゃ
>>359
そりゃそれだけで開城するわけないだろ
0364人間七七四年
2018/12/27(木) 12:23:34.03ID:5FLw7qmF周囲すべて味方にして孤立させて、ぐらいしないと。
0365人間七七四年
2018/12/27(木) 13:07:51.44ID:VZPttYQ5遠江の徳川領を東から順に削っていくか、西遠江か東三河で太平洋に出て徳川領国を
東西に分断(して家康を降伏又は殺害)するか、東濃でさっさと信長と決戦するか。
信玄末期から勝頼期にかけて、武田の戦略はどれも貫徹せず、虻蜂取らず過ぎた。
0366人間七七四年
2018/12/27(木) 15:00:12.57ID:XOH6bfRgそれを可能にするには長篠城を落として補給線確保しないとね
吉田城をもし落とせたとしても完全に敵中で孤立するから
結局長篠城は徳川叩き潰すための序曲に過ぎなかったはずが
信長出陣で情勢が劇的に変化しちゃったのが誤算
信長本体が来ると分かってれば1.5万で出陣してないのは明白
当初の予定が狂った時に退却できなかった武田軍のミスだわな
ここで織田軍を叩かないと差が開く云々は事実だけど
そもそも最初から織田軍と戦うために長篠まで来たんじゃないし
0367人間七七四年
2018/12/27(木) 17:38:20.59ID:qvsMRj5F1572年時点の信玄でさえ朝倉義景と協力しないと勝ち目はないと
思ってたから何回も朝倉に出陣要請してたわけで
あの時点で武田単独で織田と決戦すれば差が縮まると思ってたなら
他勢力の国力動向に相当疎いぞ
0368人間七七四年
2018/12/27(木) 18:11:35.96ID:pzEAkp3Vん?俺のこと?
>>344を読んで長篠の戦いで戦ったのが正しい選択で、戦わなければ
ジリ貧で負けていたと主張していると思われたなら、俺からはもう何も
言うことねーわ
0369人間七七四年
2018/12/27(木) 18:18:52.07ID:DjJrzXRi0370人間七七四年
2018/12/27(木) 18:22:59.34ID:fFA8gGjo織田には絶対勝てないが徳川単体なら何とか潰せると読んでたんだろ
徳川潰した後、和睦するなり臣従するなりするとしても
ノブに下手に手を出すと痛い目に遭うぞと思わせる為にも武力を誇示する必要がある
だから不利を承知で決戦を挑んだんじゃないか?
あとやっぱ本願寺との関係やな
長島見捨ててる後だけにあそこで一戦交えておかないと
タダでさえゼロに等しい武田の信用が底を割る
0371人間七七四年
2018/12/27(木) 18:26:29.50ID:ZOB/dPA3昔の太平洋戦争の日本軍みたい。
あの頃の日本軍も最初に大勝利をして後は外交で有利にカタつけよとか言ってたが。
そんな都合のいい外交やるのは余程のやり手でないと無理だよ。
0372人間七七四年
2018/12/27(木) 18:44:47.91ID:+rgYzNjZ・ただし時間は敵の味方
・同盟勢力は減少傾向、増える目処無し
・優位な戦力の無い状況での博打的な決戦はNG
勝頼が戦国大名甲斐武田家の当主としてこの先生きのこるにはどうすれば良かったのか
0375人間七七四年
2018/12/27(木) 19:13:13.78ID:LYq90Tfm0376人間七七四年
2018/12/27(木) 19:23:20.91ID:qvsMRj5Fジリ貧とか信用とか曖昧な言葉で誤魔化してるだけで
一番重要な武田が滅んだ原因から目を逸らしてるだけだろう
武田が滅亡した原因を遡ると
家臣の裏切りで武田軍崩壊
↑
裏切りの原因は高天神城見殺し
↑
高天神城の原因は北条の相手をしてるうちに
徳川に高天神城を完全包囲されてしまった
北条と徳川の二面攻撃が原因
↑
なぜ二面攻撃を受けたのか?
御館の乱の介入を経て北条との険悪化、北条と徳川の同盟に加え
徳川単体にさえ攻勢をかけられて対処に苦しむくらい弱体化していた
↑
徳川になぜこうも攻勢をかけられてしまったのか?
長篠合戦前までは徳川は武田の先鋒隊さえ追っ払えない弱小だったが
長篠の大敗で武田は重臣や主力を失い大幅弱体化したから
つまり武田が崩壊した原因は徳川の攻勢から始まってる
その徳川の単独での攻勢が始まったのは長篠の大敗後な
0378人間七七四年
2018/12/27(木) 19:53:23.19ID:eNtOf5O+0379人間七七四年
2018/12/27(木) 19:56:25.75ID:+rgYzNjZ長篠直後はともかく、高天神城見殺しは
・織田・徳川と和睦交渉を進めてたから戦いたく無かった(なので速やかな降伏を指示した)
・長篠直後の兵力再建前に高天神城周辺全てが徳川勢力になっている(条件は長篠より悪い)
・仮に大軍を起こして織田本隊と激突したら今度こそ終わり(本願寺が降伏してるのでそうなる可能性は高い)
あたりが要因
少なくとも北条と正面切って戦える戦力までは持ち直しているし、高天神城の攻城は半年におよぶのにその間ずっと北条と戦ってたわけもない
加えて徳川が武田相手に攻勢かけたのは長篠直後だけで、それ以降、甲斐征伐まで両国の国境はほとんど動いてない
あと本当に二正面作戦が原因なら御館の乱後の上野侵攻が悪手だっただけで長篠のせいにするのはおかしい
武田滅亡は御館の乱前後からの勝頼の立ち回りにこそ原因がある
0380人間七七四年
2018/12/27(木) 20:25:59.95ID:qvsMRj5F>・織田・徳川と和睦交渉を進めてたから戦いたく無かった(なので速やかな降伏を指示した)
長篠の書状では信長・家康の首を取ってくれるわと楽観的だったのにな
北条と徳川の二面攻撃で疲弊して和睦に期待するしかなかったんだよな
そして長篠の大敗から挽回できずに劣勢なのに和睦できるはずもなく…
>・長篠直後の兵力再建前に
長篠の大敗後に兵力再建しないといけないほど大損害になって
城を多く取られてるのが致命的でないと?
長篠で大敗せずに主力が生きていたら徳川単体で
多くの城なんて取れてないよね?
>仮に大軍を起こして織田本隊と激突したら今度こそ終わり
仮に史実の長篠後の徳川みたいに単体で
武田の城を攻めて来ても徳川は兵力8000規模
長篠で大敗せずに武田主力が健在なら2倍の兵力だから
三方ヶ原みたいに一日で終わるよ
だから徳川は史実みたいに徳川単体で攻勢に出られない
>加えて徳川が武田相手に攻勢かけたのは長篠直後だけで、それ以降、甲斐征伐まで両国の国境はほとんど動いてない
北条と武田の黄瀬川対陣してるときに
徳川は駿河に侵攻して当目坂&持船城を落城させ
水軍の城の持船城の三浦義鏡と向井正重らと多くが戦死させ船を焼き払い
その後に倉沢も焼き払って退却したり武田に損害を与えてるんだけどね
0381人間七七四年
2018/12/27(木) 20:39:12.79ID:sYfgVFs0御館の乱の発端自体上杉憲政が仲裁してるのに景勝が神余親綱へ容赦なさすぎて家臣団反発したのが原因だし、景勝マジ他人の仲裁聞かないマンすぎる
北条は北条で御館の乱の前から織田につく話進めてるし、口実にされた感
0382人間七七四年
2018/12/27(木) 21:57:08.83ID:adeC0pmi平山だが
0383人間七七四年
2018/12/27(木) 22:06:46.14ID:DjJrzXRi0384人間七七四年
2018/12/27(木) 22:12:21.63ID:tjS8nSGr0385人間七七四年
2018/12/28(金) 00:37:18.77ID:9amfmsdc0386人間七七四年
2018/12/28(金) 01:02:16.61ID:5DJNuXEt0387人間七七四年
2018/12/28(金) 02:15:54.83ID:5DJNuXEt一方的に侵略されてる立場の織田や村上が乾坤一擲の防衛戦で
桶狭間や上田原をしたのとはわけが違うし。
0388人間七七四年
2018/12/28(金) 03:03:14.07ID:XSyBC31F0389人間七七四年
2018/12/28(金) 03:59:23.82ID:sCYSViNg桶狭間合戦は信長が攻めてる今川方の城を今川義元が大軍率いて救いに来たっていう後詰め決戦の形式だから一方的に侵略されているわけではない
0390人間七七四年
2018/12/28(金) 05:01:37.57ID:5DJNuXEt仕切り直ししかありえないだろ。
長篠での戦いは避けて後日の大決戦の準備を急ぐ。
0391人間七七四年
2018/12/28(金) 05:28:06.35ID:7o1eb3q4織田の見知った土地だから織田に地の利があるし
織田の砦を今川主力が攻めて引き付けているうちに
信長が後方の今川義元本陣を急襲した形だね
0392人間七七四年
2018/12/28(金) 11:06:17.99ID:5DJNuXEt東海、北陸、中国、四国、九州を先に攻めたいわけで
内陸国は鶏肋だから可能なら放置しておきたいんだよ。
だから全て家康に任せて今までダンマリ決め込んでた。
でも武田家が段々大きくなってきてて、これ以上家康に任せて放置すると
徳川家が丸々、織田家を裏切って武田家につくリスクまで出てきたから
渋々、長篠まで来たと言える。 勝頼が先に引けば深くまで信長は追わない。
リスクと比べたら経済的利益など無いに等しい山岳地など意味ないから。
0393人間七七四年
2018/12/28(金) 11:22:10.39ID:0FnAl+Cr後は生き延びる為にその時間で何ができるか
0394人間七七四年
2018/12/28(金) 11:27:12.13ID:5DJNuXEt武田が滅んだ時点で信長は既に関東を欲していたので
駿河を手に納めた家康に対して東海道方面の攻撃は家康に任せて
滝川たちは上野、津久井湖方面から攻めるしかない。
それはまだるっこしいし、伊豆や西相模もさらに家康に与えなきゃいけないので
信長にとっては結構目障り。
0395人間七七四年
2018/12/28(金) 12:54:22.13ID:bEhICLYA0396人間七七四年
2018/12/28(金) 14:47:59.75ID:6cKTHycG相模伊豆武蔵程度になるからそれでいい気が
北条がそれで我慢できるかは別問題だけど
>>394
>それはまだるっこしいし、伊豆や西相模もさらに家康に与えなきゃいけないので
秀吉の北条征伐時に家康への恩賞が伊豆一国ぐらいと思われていたとかいうから
西相模もってのはないんじゃ
0397人間七七四年
2018/12/28(金) 15:56:47.90ID:0FnAl+Crしかも武田と関係ない桶狭間時の尾張の信長と今川の石高を熱弁してやがった
0398人間七七四年
2018/12/28(金) 16:35:25.66ID:5DJNuXEtまた武田家の立場を天下国家から俯瞰して視るという視点も勝頼の行動から感じられない。
景勝にはそれが感じられる。
0399人間七七四年
2018/12/28(金) 16:39:52.98ID:Hlmvoqgvこれは考えられるな。実際に武田家の最大版図は勝頼の時代だからな。
信長にしてみればこのまま放置しておいたら家康だけでは対処できなかっただろう。
0400人間七七四年
2018/12/28(金) 17:00:17.12ID:bEhICLYA勝頼若いとか言うけど、景勝は1556年生まれで勝頼より10歳下何だよな
やはり本人の素質の問題だろうか
0401人間七七四年
2018/12/28(金) 17:12:18.94ID:XSyBC31F素質と言うより、最初から当主になる気もなかったのに
いきなり兄貴をぶっ殺してお前次期当主なって親父に担ぎ上げられた勝頼と
年少時から景虎というライバルと次期当主の座を争った景勝の育ちの違いでしょ
その過程で景勝は処世術や人心掌握の術を身につけていったが
勝頼にはその経験も無いまま当主にさせられてしまった
0402人間七七四年
2018/12/28(金) 17:45:29.26ID:ZPyAOv2F明らかに総大将になったらあかん奴だけど
あと天下国家云々っていうと信玄にも見えていたかは疑問がある
0403人間七七四年
2018/12/28(金) 18:10:54.29ID:Hlmvoqgv「天下に我が主は景勝公ただお一人。石田治部の敗戦を聞き家康公へ人質を差し出し
その機嫌を伺う輩を我が主と頂くなど真っ平御免。
景勝公は御味方の関が原敗戦を聞いても、降伏勧告も受け入れずに
合戦をなされた大剛の大将である。主と頂くにこれ以上の方がおられようか。」
と言わせたほどの人物だからな。
0404人間七七四年
2018/12/28(金) 18:11:38.70ID:q4WXEVVs跡部は確かに武田の中では大きな部類だけど戦での戦功聞かないし
まぁそもそも勝頼自体が信濃先方衆の一武将でしかないから無理な話なんだけどね
0405人間七七四年
2018/12/28(金) 18:19:00.85ID:0FnAl+Cr上泉泰綱と同程度の小物じゃん
0406人間七七四年
2018/12/28(金) 18:41:58.81ID:QbWvgRy8それまでは確かに戦略的に正しかったかどうかは別としても、東濃や徳川領に対して攻勢だったのは事実だから
だから長篠城攻めで手こずって、織田主力軍が来てしまった時点で潔く戦略的撤退をしておくべきだったと思う
とにかく勝頼としては家中での陣代という微妙な立場上、絶対に決定的な敗北はするわけにはいかないんだから
でも長篠で大敗北して、多くの重臣を死なせて、家中でも信頼はがた落ち、周囲の織田、徳川、北条、上杉からも
完全に下に見られ舐められる状態になってしまったのは、やはり長篠大敗北と言う結果的事実だと思う
0407人間七七四年
2018/12/28(金) 18:59:26.15ID:QbWvgRy8景勝の評価を褒めるのはいいけど、景勝には常に参謀となる直江兼続がいたからな
当時は上杉の方針や戦略は兼続の献策がかなりあっただろうし(最終的に決断するのはもちろん景勝だが)
あまり景勝個人=上杉家と思わない方がいいよ
0409人間七七四年
2018/12/28(金) 19:13:37.14ID:Mux5Lt3S何度も言わせんなよ
0410人間七七四年
2018/12/28(金) 19:41:37.33ID:3+unAewA無駄に問題起こしてるイメージあるが。
0411人間七七四年
2018/12/28(金) 19:42:01.27ID:ZPyAOv2F武勇で言えば内乱を何年も治められず、同格以上の大大名とは戦ってすらいない、精々が格下の最上イジメくらい
五大老っていう中央に口を出せる権利と機会をドブに投げて自国整備に腐心、存亡の危機に立つという時代錯誤な判断力
上杉ブランドを守るために家臣をクビにしなかった結果、子孫を150年に渡って財政難で苦しませる経済感覚
秀吉に素早く頭を下げた点と、御館の乱で武田を中立に戻した点は褒められるが他が全体的に勝頼並み
0412人間七七四年
2018/12/28(金) 19:43:24.94ID:7o1eb3q4そりゃ勝てんわ
0413人間七七四年
2018/12/28(金) 20:08:11.25ID:NrygLQ4W上野を武田に割譲することで北条の脅威を排除
武田に北信濃割譲して勝頼の妹を貰うことで上野と信濃方面からの危険性を排除
結果として国内と越中方面だけに集中できた
武田が滅亡して万事休すも信長が本能寺で急死 ← これだけは完全に運
秀吉に与して佐々や徳川を牽制して五大老まで上り詰める
関ヶ原で採り潰しの危機も部下が奔走して30万石で生きながらえる
運の良さと致命的な失敗がないのが取り柄だろうな
0414人間七七四年
2018/12/28(金) 21:05:01.63ID:1ki8aECx景勝の能力で何かしたかとなると特に無い。
魚住城に後詰め行けないから降伏していいよと言ったのに
城主、兵士は武田みたいに寝返り、逃亡の連鎖にならず3ヶ月も持ちこたえる。
信濃、上野方面から織田軍迫り北は新発田の乱に葦名も新発田に協力し
織田に友好的で四面楚歌なのに武田みたいに寝返りの連鎖が起きなかった。
大坂の陣では実戦経験の無い須田長義を先鋒に配置する大チョンボで
大野軍12000が攻めてくると須田隊は蹴散らされ全軍崩壊の危機になるも
謙信の元で川中島から数々の実戦を経験してる水原親憲と安井隆元の活躍で撃退。
景勝は特に何もしてないが部下と部屋に恵まれてる。
0415人間七七四年
2018/12/28(金) 21:10:31.66ID:5DJNuXEtはっきり言って景勝の10倍くらいは優秀な家臣が居た。
ほどなく長篠で優秀な家臣をまとめて無駄死にさせたがw
0416人間七七四年
2018/12/28(金) 21:21:55.50ID:4QbeB4phその優秀な奴らがなぜ、長篠の罠に気づけず半ば自殺行為したのか、不思議でならない。
0417人間七七四年
2018/12/28(金) 21:32:50.52ID:5DJNuXEt主が死ねと言えば死ぬのが武士の心得と思ってたんだろ。
じゃあ第二次世界大戦で死んだ将校は全員無能なのかよ
0419人間七七四年
2018/12/28(金) 21:42:13.93ID:Esugyd/+当領内には一人のキリシタンも御座無く候
信仰で優秀な人材を切り捨てたくないってのは合理的だし、義だわ
0420人間七七四年
2018/12/28(金) 21:47:56.34ID:ZPyAOv2Fそもそも日本軍の上層部が無能だったから戦争が起きたって言う事自体偏った見方
武田家臣が上杉家臣以上に有能だったと言うなら無関係な反例を示すのではなく有能さを示した実例を示すのが筋
長篠で織田がやった陣城並みの野戦築城を見抜いて信玄に撤退を示唆した実例があるなら教えてくれ
史料的な信頼性が十分にあるもの限定な
0421人間七七四年
2018/12/28(金) 22:05:36.81ID:0HrykBCK実際日本の上層部は無能だろあの当時。
どうやって勝つのか先の見通しなく始める。
外交で有利にことを運ぶとか脳みそお花畑。
弾薬食料無しで精神論ぶちまけ現実的に考慮しない。
インパール作戦とかいうどうかしている作戦。
独伊降伏後も戦争継続。
どう考えてもあの当時の上層部はどうかしてる。
0422人間七七四年
2018/12/28(金) 22:08:43.62ID:Hlmvoqgvもちろん一時的な勢いで勝てることはあるけど最終的には敗北を喫している。
0423人間七七四年
2018/12/28(金) 22:13:21.10ID:8ZOXaGp2戦国時代なら、江戸時代以降の武士道じゃあるまいし、主が無能過ぎれば見限るのは無問題じゃないか?あくまで御恩が無いので奉公しないという意味だけど。
穴山や小山田みたいに、謀叛、寝返りは論外として、不服従はあっただろう。
その後、お互いどのように関係を修復するか、あるいは関係が破綻するかはケース・バイ・ケースかと。
0424人間七七四年
2018/12/28(金) 22:46:11.88ID:8VdL1U6h関東の武士は謙信が出張してきたときは謙信の元に馳せ参じ、帰れば氏康にお詫び行脚する茶番劇を繰り返した
0425人間七七四年
2018/12/28(金) 23:09:13.75ID:3bwEkz8Qただの信仰の問題なのは平和な時代だけ
当時の宗教がどういう影響持ってたのかわかってないんだな
0426人間七七四年
2018/12/28(金) 23:14:17.70ID:3bwEkz8Qそういう儒教的な意味での武士道の考えは江戸時代以降
0427人間七七四年
2018/12/28(金) 23:17:31.72ID:SwZq+9qm土地に縛られないから信長や秀吉みたいに本拠地コロコロ変えたり
部下にも平気で土地替え命じたり
0428人間七七四年
2018/12/28(金) 23:26:54.47ID:3bwEkz8Q何度も繰り返し言われていることだが、陣に突っ込むこと自体は別におかしな戦術ではないし当時から常識的な戦い方であり、
実際に武田軍は前線で崩されたのではなく、ほとんどは退却時に討ち取られたことからもそれは確かなことだよね
0429人間七七四年
2018/12/28(金) 23:32:54.34ID:3bwEkz8Qうーん滅茶苦茶だな
0430人間七七四年
2018/12/28(金) 23:39:12.99ID:5DJNuXEt0431人間七七四年
2018/12/28(金) 23:55:44.51ID:x5x3HZNt若手では真田昌幸もいる
とりあえず領国の防衛だけなら何とかなるだけの人材は残ってただろ
岩村城を破却して秋山を飯田城に入れて
高天神城を破却して諏訪原城に岡部を入れる
真田は甲府に置いて側近として使う
0432人間七七四年
2018/12/29(土) 00:20:11.72ID:6ntf4vgD0433人間七七四年
2018/12/29(土) 00:28:32.61ID:Hs/LtdcMこいつらの実績ちゃんと把握してる?
0434人間七七四年
2018/12/29(土) 00:47:18.16ID:DPq+mg0G0435人間七七四年
2018/12/29(土) 02:10:30.30ID:djPG+iSv強いて言うなら戦場がまずい
文字通り背水の陣で後ろに引けない戦いなのに敗走したから損害がでかくなったよね
0436人間七七四年
2018/12/29(土) 03:49:58.99ID:rcLZuRX0何度も言われてるが河を越えて設楽ヶ原に進軍して陣城に突撃したために酒井の別動隊に退路を絶たれた
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています