関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21
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0001人間七七四年
2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0444人間七七四年
2019/01/02(水) 02:51:22.02ID:YViVz5iF0445人間七七四年
2019/01/02(水) 03:42:11.45ID:AE+Ufqxk0446人間七七四年
2019/01/02(水) 04:39:33.63ID:8zAR/Mgd家康の石高に次ぐ大大名の毛利が西軍総大将だから、その名の元にそこそこ対抗出来たけど、当時の織田の石高と官位では味方が集まらず、兵も足りずに戦にすら持ち込めず、戦わずして負けが確定かと
織田とやり合った毛利、上杉、長宗我部他勢力が西軍に付かない可能性も出てくる
0447人間七七四年
2019/01/02(水) 04:41:52.46ID:/8mDpQkp関ヶ原とは関係ないが。
0448人間七七四年
2019/01/02(水) 06:23:06.77ID:+qemMBIe新田義貞が、足利義詮を奉じて鎌倉に攻め込んだ先例が有るはず。
足利と新田は本来兄弟から別れた家「新田の方が兄の家系」だけど、鎌倉時代を通じて足利の方が
勢力が強かった。
当時の武士の認識では、本家の嫡子「少年と言うより幼児、赤ん坊」」を分家の当主が担いで挙兵した
って感じだったらしいね、当時の記録だと。
つまり、幼児でも足利って全国的に知名度有るブランドは強力だったって事だね。
大義名分って、今の人が考えるより強力だったと思うよ。
織田信長だって、足利家の内紛で足利義昭支持って大義名分「三好氏は義昭の従兄弟を
奉じてた」で上洛したんだよ。
徳川も、浅井も、筒井や松永みたいな畿内の大名も、足利義昭に味方するって大義名分で
織田傘下に成ったんだし。
0449人間七七四年
2019/01/02(水) 06:33:49.48ID:+qemMBIeその理屈だと、秀吉の遺言で傅役を任されてる前田利家の方が未だ無理が
通せるよ。
傅役ってのは、しばしば親代わりなんで義理の親子関係って言っても良いくらいなんだよね。
イスラム世界では「アター.ベク」なんて役職が「しばしば主君の生母と再婚した」有ったり
するし。
前田利長が傅役を受け継ぐはずだったんだし、帰国せずに大阪城に籠ってれば家康も
何も出来んかったかも。
0450人間七七四年
2019/01/02(水) 07:24:20.97ID:41MMdvsf君主じゃないだろそれ
君主が名目上の総大将として幼児を使う例じゃなくて、
側近が自分の都合で身勝手に当主を最前線に放り出す事例なんてあるの?
それも豊臣家レベルの大勢力で
先に言っとくけど弱小過ぎて他に手が無いとか、御家がすでに壊滅しているとか
そういう特殊すぎる例を出すなよ
0452人間七七四年
2019/01/02(水) 10:06:42.23ID:41MMdvsf利長追い落としに一番積極的だったのは
家康に暗殺計画をチクった奉行の増田と長束なんですが
家康は元々政治的に対立してた以上、そりゃそんな機会があれば全力で乗っかるに決まってるし
ぶっちゃけ利長が東軍として動いたのって、奉行に対する当て付けとしか思えん
裏切った元味方(少なくとも婚姻問題の時には前田と奉行は同調している)に頭下げる位なら
敵対者に頭下げる方がマシって人、世の中にはいるし
0453人間七七四年
2019/01/02(水) 10:22:41.36ID:8WBBya/3加賀征伐も会津と違って家康が正式に発した命令じゃないらしい
あくまで政治的に敗れたので徳川に降ったってだけ
中央政治で徳川を追いやる協力ならともかく、西軍の武装蜂起に手を貸す理由が全く無い
0454人間七七四年
2019/01/02(水) 10:29:57.05ID:a0HRqZWh秀頼の義理の父で官位も唯一の大臣職、さらになんかお流れになったとはいえ淀と家康の婚姻すら秀吉の遺言だった可能性も高いしと
正統性も正当性もともに家康が上というか、正式な豊臣家の代理人だし
正直横車押しまくった連中がかなり無理筋
0455人間七七四年
2019/01/02(水) 11:02:28.50ID:5ulWM5Wq0456人間七七四年
2019/01/03(木) 09:57:31.63ID:6j3/vHeG0457人間七七四年
2019/01/03(木) 10:02:27.20ID:I3Sq93VX0458人間七七四年
2019/01/03(木) 11:04:37.47ID:VeJOx0yD0459人間七七四年
2019/01/03(木) 14:06:34.34ID:z+n2xUg+秀頼なんて誰も唱えてない。史実の中に可能性を見出せないことをifにするのはラノベの中でやればいい。
0460人間七七四年
2019/01/03(木) 14:31:21.64ID:AFHn7nW0問題は輝元が西軍に参加した理由が対家康ではなく、
自領拡大したいという意識のほうが大きいという事だな
どう考えても大損しかないし、家康との正面決戦なんて
この辺の問題をどうにかしようとすると、輝元に天下への野心を持たせるしかないんだが、
それが西軍首脳部である奉行にとって嬉しい事態とは思えない
つまり『輝元に天下への野心を持たせず』かつ、『リスク覚悟で家康と雌雄を決する』
というかなり無茶なIFが必要になる
このままだと家康に難癖を…とかいう吹き込みをしたところで、
それなら家康に対抗できるだけの領地を手に入れる(つまり史実通り)方向のほうが
はるかにリスクは少ないし
0461人間七七四年
2019/01/03(木) 14:36:24.14ID:tAQ1Uq9d0462人間七七四年
2019/01/03(木) 14:59:07.38ID:z+n2xUg+確かに、輝元と奉行たちの意思疎通のなさをひっくり返すのも大変だね
それにしても輝元の、四国北九州に対する侵攻過程はえげつないよな
家康が輝元と講和したのに後になって改易指示、結局削減になったのは謀略もあるのかもしれんが、この実態見たらそう思われても仕方ない
0463人間七七四年
2019/01/03(木) 15:31:37.37ID:kJmXQO5Z松尾山を降りるかもしれない(輝元本陣が松尾山予定だった場合)。
0464人間七七四年
2019/01/03(木) 15:39:14.48ID:I3Sq93VX輝元が居たら毛利勢が殿じゃなくなるかもしれないが
他に誰がやるかね、真面目に遅滞戦闘するやつ
0465人間七七四年
2019/01/03(木) 17:12:59.69ID:iX1vED35>>464
輝元出陣してきてるのに近江に後退するの?
輝元出陣なら関ヶ原でにらみ合いなり決戦だと思うが。
0467人間七七四年
2019/01/03(木) 18:08:26.50ID:kJmXQO5Z松尾山輝元用本陣説なら輝元は大垣には行かないと思う。
そもそも大垣組の後退の意図がわからないので
難しい部分が大きいが。
0468人間七七四年
2019/01/03(木) 21:08:10.11ID:9JcnlVP9輝元が家康みたいに3万の兵率いていたら東軍先発隊も手出しできない
まあそうなったら三成や宇喜多は面白くないけどな
0470人間七七四年
2019/01/03(木) 22:16:29.19ID:mPqaBDxf0471人間七七四年
2019/01/04(金) 07:28:25.74ID:tyBSRQegしかし、奉行視点で考えると輝元にあまりやる気を出されても困る
戦後の毛利の功績が大きくなりすぎて徳川のポジションに毛利が入るだけでは
彼らとしては関ヶ原を起こした意味がないだろう
勝ち方にこだわってる場合か!と言われればその通りではあるが、
奉行は関ヶ原前の動きをみる限り、明らかに奉行を中心とした合議制で
豊臣政権を運営したい思惑が透けているので、戦後その理想通りに政権運営したいなら
毛利を見せ金ならぬ見せ兵のまま終わらせて、戦後の主導権を握りたいところだろう
というか、これしか方法が無い
もっとも、輝元は奉行に担がれる神輿で済むような奴ではなかったが
仮に西軍勝利、輝元の思惑が全てうまくいった場合、奉行は輝元をどうする気だったんだろうね
輝元が素直に領地返上するとはとても思えんし(景勝の方でも同じ問題が起きる)
0473人間七七四年
2019/01/04(金) 09:25:43.13ID:tyBSRQegその理屈で奉行が自重出来るなら、そもそも関ヶ原起こさないよ
家康の奉行視点から見た専横だって、成長した秀頼の判断に任せりゃいいんだから
関ヶ原起こしたって事は、自分たち以外の奴が天下の実権握る事自体、誰だろうと
奉行らは気に入らないと自白したようなものだ
0475人間七七四年
2019/01/04(金) 09:49:42.95ID:VSx50DxSここで徳川を食い止めないと豊臣体制が崩壊して徳川体制に移行する、という奉行衆の判断じゃないの?
前田だけならまだしも上杉まで征伐とか言い出してるんだから。
奉行衆も浅野、石田が失脚状態でしょ。
0476人間七七四年
2019/01/04(金) 09:52:23.19ID:zRKb3P81ポコチン勃起しっぱなしか?
輝元のキン球しゃぶれ
0477人間七七四年
2019/01/04(金) 11:42:05.92ID:CZ3p9eVN上杉と毛利の大老衆ですらむしろ群雄割拠を望んでるようだし
それを恐らく分かったがゆえに各国の仕置きに対して公儀として介入して豊臣体制の求心力を維持しようとしたのが家康なのに対して、この状況を中央政権を奪う好機と見て挙兵したのが奉行って形
豊臣政権が諸侯にとって目の上のたんこぶ扱いな政権であるという前提知識は持った方がいいと思う
0478人間七七四年
2019/01/04(金) 12:16:22.07ID:7qMe22+Z家康自身は豊臣内の徳川家の権力基盤を絶対化するって言う私欲も込みだとは思うけどね
家康は豊臣-徳川-有力大名&奉行-諸侯の権力構造、つまり五大老五奉行の上に徳川を置く形を作りたがっていたのに対して
奉行衆は豊臣-奉行-諸侯の構造、つまり五大老を諸侯と同格にしたがっていたイメージ
一方上杉、毛利は豊臣の権力が薄れて地方で独立してやって行くことを想定していたと思われる
あくまで豊臣一門衆として位置付け出来る宇喜多はともかく、毛利や上杉が権力を保持するのは奉行衆的にはNG
0479人間七七四年
2019/01/04(金) 12:32:49.44ID:CZ3p9eVNいや、私はそもそも秀吉の意向で最初から他大老や奉行より徳川は1個上に置かれているものと考えますね
まぁもちろんその上で対抗勢力に悪さされないよう権力基盤を固める気はあったでしょうが、それすら私欲というのはちょっとね
正直めんどくさすぎて自分とこの領地に帰って自前で政権やり始めるという手もあり、最終的にそうするレベルの政権崩壊具合だったわけで
対して奉行衆は奉行主導の中央政治を行いたいという形
0480人間七七四年
2019/01/04(金) 13:06:26.35ID:7qMe22+Z秀吉の想定って秀頼幼少期の秀頼-家康の位置付けであって秀頼元服後は自分がやったように秀頼の直裁を考えていたんじゃ無いかと
この場合、秀頼やその先の意向次第で徳川家の位置は不安定化するリスクから逃れられない
一方の家康の目指す形は豊臣家が続く限りの豊臣-徳川を確定させて豊臣を象徴に徳川が天下を担うことを目指していたんじゃないかと思う
0481人間七七四年
2019/01/04(金) 13:12:38.52ID:6+mazreG五大老って言うても、徳川内大臣、前田大納言、で残りは中納言そんで、前田の婿が
宇喜多秀家って事を考えると、徳川前田は保々対等だよ。
そんで傅役で大阪城在住だと、寧ろ前田の方を信用してる気がする。
0482人間七七四年
2019/01/04(金) 13:21:39.04ID:dJwfGQvP秀頼の許嫁は家康の孫
どこまで贔屓目なんだよ
0483人間七七四年
2019/01/04(金) 13:42:12.52ID:CZ3p9eVN0484人間七七四年
2019/01/04(金) 13:51:20.80ID:CZ3p9eVNまぁこの辺りはもはや推測の領域に入っていくのであまり気乗りはしないですが
秀吉の構想は徳川家と豊臣家の合体にあると考えます、そのためにいくらかの書物で言及されてる淀と家康の婚姻もあったのでしょうし
成人後に秀頼が政権を直裁をするにはあまりにも秀吉から与えられた徳川の権力も実力も大きすぎて正直無理がある状況かと
たとえ家康がそれを守っても、秀吉への個人的忠誠心のない次代次々代も与えられた実力は継いで行きますし
公家として、家として残してほしい、ということじゃないかなーと
0485人間七七四年
2019/01/04(金) 20:06:05.35ID:vpLrorIy0486人間七七四年
2019/01/05(土) 08:19:10.71ID:dZV9q80T基本的に、太政大臣は名誉職で実権は無い。
実質最高位は左大臣で、内大臣は令外官で三人目の定員外の大臣って意味。
そんで、筆頭の大納言が改めて内大臣に任じられる事も良く有ったと。
つまり、専務と常務みたいなもんで、其処まで差は無いよ。
確かに前田は約80万石で徳川の三分の一ですが、領地が加賀で畿内に容易に出兵
出来る事を考えるとそんなに差は無い。
0487人間七七四年
2019/01/05(土) 08:55:23.54ID:IonXBqFB0488人間七七四年
2019/01/05(土) 09:10:56.63ID:14dVq6ji裏切り者とか関係なく単純に家康に対抗する能力がない
0489人間七七四年
2019/01/05(土) 11:06:09.94ID:Uf2nxIQB利家を慕う秀吉子飼いが力の源泉だからね
利家が亡くなって子飼いも割れて家康を止める者がなくなった
家康はお膳立てされた中央政権で権勢拡大したほうが良いと判断しただけで
政権から離脱して戦国時代再びでもよかった
0490人間七七四年
2019/01/05(土) 11:10:03.45ID:b1yyDqtG俺も前田利家の実力は買ってないが
家康だって自力で他国を切り取った経験すら無いんだぞ。
信長と秀吉に与えられただけだ。
0492人間七七四年
2019/01/05(土) 12:06:47.77ID:OL2VzeWr他の方も言ってるけれど、少しひいき目に過ぎるんじゃなかろうか
0493人間七七四年
2019/01/05(土) 19:40:38.81ID:awsUlHb5そこからうまく逃げた利長は賢明だったよ
0494人間七七四年
2019/01/05(土) 20:08:09.09ID:KwgzaiSu信長時代から生き残ってる中では一番大物ってなると他にいないってのはあると思う
豊臣政権下の大名で結構多くいて互いに交遊関係が深い政権の支持基盤でもあったはずで
本当なら堀とか蒲生も前田に次ぐ存在になるはずだったと思うけど
その辺も秀次殺しちゃったのと同様地味にうまくいってない部分だと思う
0495人間七七四年
2019/01/05(土) 21:10:41.33ID:OL2VzeWr私婚事件の時でもむしろ旧織田系が家康のとこ集まってるし
下手すりゃ前田は旧織田派閥からあまり快く思われてないんじゃない?
0496人間七七四年
2019/01/05(土) 21:18:09.82ID:14dVq6ji0497人間七七四年
2019/01/06(日) 06:25:59.14ID:BrGjQUM6旧織田家臣団の中で格上だった池田丹羽が代替わりで地位下げて俊英扱いだった堀蒲生も早逝して
破格の一人勝ち状態になってしまっていたから
0498人間七七四年
2019/01/06(日) 08:20:34.47ID:nT0GAgTfそりゃあ、領地は徳川の三分の一でも、豊臣系から見れば親分の兄弟分で叔父さんの
立場だからね。
利家存命の状況で徳川、前田の戦いなら豊臣系は保々前田に付くんでは?
家康に付きそうな大名って伊達くらいしか居ない気が。
0499人間七七四年
2019/01/06(日) 08:48:51.21ID:7IB2zmwW後ろで
まあ待て待て
と言うだけの良識派の爺さんというイメージしかない
アホ三奉行を止めることもできなかったし
0500人間七七四年
2019/01/06(日) 09:39:29.75ID:vRMn4Jeq前田には大して期待してなかったんじゃないの?
というか奉行はもともと利家ともそんなに親しくなかったんじゃないか
0501人間七七四年
2019/01/06(日) 10:10:55.86ID:hFZfERhPその破格の一人勝ちの状態すら多少アクシデントはあろうけど結局秀吉が作った訳で
旧織田派閥の長老として旧織田系をまとめを期待されてたなりなんなりの記述なりなんなりがないと思いついた絵空事じゃないか?
よく言われる東海道を豊臣恩顧で固めて家康封じしてたなんてのも結局
証拠なしのなんとなく思い付きで言われてただけのものだし、それと同じレベルじゃない?
0502人間七七四年
2019/01/06(日) 10:13:46.44ID:064ZAR+Zそりゃ利家の存在も、自分達だけですべて差配したい奉行サイドからしたら家康同様目の上のタンコブ。
ただ政治の実権を大老格で付与され、実務能力も軍事力も高い家康の方が喫緊の脅威だったから石田とかは対立した訳で。
利家が家康に似た存在だったら、利家存命中でも利家と対立したかと。
0503人間七七四年
2019/01/06(日) 14:43:15.07ID:d0GU1hVj何かを望むのは間違いだろ。
0504人間七七四年
2019/01/07(月) 08:35:25.98ID:7d/7bSAi0505人間七七四年
2019/01/07(月) 09:26:41.33ID:jKA7gMWO領地没収等して格を下げたのが結果的に失敗だったな
家格でなく秀吉個人の関係重視なら秀吉が亡くなったら崩壊するの自明
0506人間七七四年
2019/01/07(月) 10:10:47.39ID:qpqtoTgY秀吉の失敗ではないでしょそれは
むしろ秀吉は家康による後継政権を希望して、家康側もそれに応える形で動いてるんだから秀吉の計画通りでしょ
結果的な失敗というのなら奉行及び毛利らの暗躍が問題だし
奉行にとって好ましくない事態が起きた理由がそれなだけでしょ
何度も言うけど西軍と秀吉の意向はかけ離れたものなんだから同一視はタブーでしょ
0507人間七七四年
2019/01/07(月) 10:46:58.37ID:P01Qtuvqそんな家は取り潰しに合ってないだけで温情ある処置だっつーの
0508人間七七四年
2019/01/07(月) 11:42:44.16ID:jKA7gMWO秀頼にもお鉢が回ってきた皮肉
0509人間七七四年
2019/01/07(月) 12:25:12.37ID:MGDsQbNzそれはどうかな?
0510人間七七四年
2019/01/07(月) 12:27:08.08ID:NeuPVFB30511人間七七四年
2019/01/07(月) 12:37:18.49ID:P01Qtuvq0512人間七七四年
2019/01/07(月) 12:49:07.96ID:5sF/abIa0513人間七七四年
2019/01/07(月) 12:52:19.07ID:NeuPVFB3出さずに批判するだけなら小学生でも出来るんだから
学問に携わるなら最低限の原則だよ
0514人間七七四年
2019/01/07(月) 13:06:50.44ID:3mKc6fyQ秀頼元服前まではこの形で行くことを決めていたのは間違いないと思うが、元服後までこれを続けるにしては奉行の権力が大きすぎると思うんだよな
0515人間七七四年
2019/01/07(月) 13:11:40.95ID:0r3dpJs+おまえら自分の人生の勝ち方考えろ
負け犬どもがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
0516人間七七四年
2019/01/07(月) 13:52:53.86ID:5sF/abIaどこに捨てたらいい?
∧_∧
(´∀`)
/⌒ ヽ
/ / |\_M
( ∧ |、__E)
\/ ノ / \
( | / ウワァァン ヽ
| || (ヽ( `Д)ノ|
| / / \(>>515) ノ
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0517人間七七四年
2019/01/07(月) 16:16:53.06ID:7vUNlsC6まあ、当主が幼少って理由でのお取り潰しは意外と武家の世界では有る話。
例えば宇喜多秀家なんかは、織田と毛利の境目なんだから当主が幼少で織田にお取り潰しを
食らっても不思議じゃ無いんだよね。
秀吉が後見人で話が付いたんは実は温情に近い。
家康だって、当主が幼少って理由で今川の代官が岡崎に入ってるんで良く有る話。
まあ、普通に考えて一族の三好秀次を後見人にすれば良いのに、秀吉が自分で
誅殺したんが致命傷だよね。
0518人間七七四年
2019/01/07(月) 22:01:39.84ID:Rp+wkRaz0519人間七七四年
2019/01/08(火) 00:46:50.04ID:C/eMj4zW秀吉という後ろ楯がいなくなった時点で奉行は終わってた
後ろ楯になる可能性が少しでもあった前田を排除して、さらに自ら首を締める結果にした
関ヶ原単体で見たら、長宗我部の進軍先が毛利と同じ南宮山ではなく、別の場所だったらもう少し粘れた可能性はあると思うけど、これはたらればで結果論になってしまうかなって
0520人間七七四年
2019/01/08(火) 06:55:45.92ID:j0f/38SXあえて言うなら、奉行らの行動は彼らが譜代ならもう少し支持された気がする
しかし秀吉の場合、子飼いは作れても譜代は存在しないからね
結局は豊臣の構造的問題になってしまうな
0521人間七七四年
2019/01/08(火) 07:52:16.85ID:+UHwT7Ke0522人間七七四年
2019/01/08(火) 09:03:39.38ID:ZqUDbTfs跡取りは幼児で周囲にいる身内は姉婿の秀家くらいのこの状況で、家臣が権力争いを始めないわけがない
0523人間七七四年
2019/01/08(火) 09:25:26.61ID:C/eMj4zW秀頼誕生が秀吉の天下の寿命を早める事になったのはなんとも皮肉な話だ
自分の父と母を殺した秀吉に対して、憎き豊臣を滅亡させるための淀殿の執念にも思えてきたw
0525人間七七四年
2019/01/08(火) 13:08:26.89ID:ZqUDbTfs一門衆として引き上げられることで有力者になるのと、有力者を取り込む意図で一門に組み込んだことの差
秀家にとって豊臣の一門である事は手放せない価値があるけど家康にとっては必ずしも必要な物じゃない
0526人間七七四年
2019/01/08(火) 13:49:19.67ID:dYOIK3gT秀保の後継候補ってだれよ?
0527人間七七四年
2019/01/08(火) 14:33:11.98ID:drwsdEfM秀次の息子の中から適当にあてがえばいいんじゃね?
あいつは子沢山であることが一番有能なとこだから
まあ秀次一族は誰かさんが壊滅に追い込むけど
>>521
奉行たちの浅野に対する対応を見る限り、加藤や福島を奉行に入れようが
あまり関係ないと思う
0528人間七七四年
2019/01/08(火) 14:46:50.36ID:ZqUDbTfs秀次の息子か藤堂高吉を秀保の正室の再婚相手にして継がせるのが無難だと思う
前者はどこからも文句のつけようがない
後者は元々高吉は秀長が跡取りとして丹羽長秀から貰った養子で、預かってた高虎も大和大納言家の家老なんで家中の混乱が最小限で済む
0529人間七七四年
2019/01/08(火) 14:59:53.62ID:GjcI4A2Fそんな馬鹿に天下を任せられるかよ。大体、秀吉とは血の繋がりは全く無い。
0530人間七七四年
2019/01/08(火) 15:10:21.29ID:7m3PeIHo自然な流れとしては秀次の実子か高吉だけど
毛利秀元も秀長の娘が嫁いでるから候補にできるかも
毛利の世子から外されて以降になるだろうけど
これなら相続問題で毛利家中で揉めることはなくなる可能性が
0531人間七七四年
2019/01/08(火) 15:23:13.62ID:drwsdEfM豊臣家に『秀吉と血のつながりがある』、『実力者』なんていませんけど…
あなたどういう想定をしてるんですか?そもそも血筋と実力のどっちが大事かもよくわからんし
まじめな話、秀次関係者位しか一門化できそうなのいないぞ
馬鹿に天下を任せられん!とおっしゃるのは結構ですが、
それなら秀吉死後の豊臣家は天下人失格ですよ
0532人間七七四年
2019/01/08(火) 15:25:07.85ID:yqBqAXUz???
ごめん言いたい意味がわからない、だからどうなんだって言いたいの?
史実上、秀家よりも家康のが親族としてよほど信任されてるし除外する意味がわからんのだけど
あと明との小西行長独断講和の際、秀家を秀次よりも上の大都督にして秀吉激怒してるしで、一門として手放せない価値があろうがなんかやらかす気はあるようにしか見えないけど
0533人間七七四年
2019/01/08(火) 15:50:18.32ID:IdhnItFO秀頼と同じで親が偉大でもまともに教育されないとこうなる、いい反例だ
0534人間七七四年
2019/01/08(火) 16:16:35.32ID:CX8C6eSG秀吉が死ぬと家臣団をコントロール出来なくて騒動沙汰、家康に調停してもらう始末
その家臣団が離散した後の関ヶ原では見所なし!w
0535人間七七四年
2019/01/08(火) 17:17:31.49ID:4SO7GMLl0536人間七七四年
2019/01/08(火) 19:54:47.17ID:xLwqecIj0537人間七七四年
2019/01/08(火) 20:56:23.39ID:xLwqecIj0538人間七七四年
2019/01/08(火) 21:10:02.77ID:yPeaNxowたしかに毛利秀元はありなような気がする。秀長の娘が嫁だし、
輝元からしても秀就誕生後は秀元は目障りな存在でしょ。
0539人間七七四年
2019/01/09(水) 10:37:36.86ID:idmxBKkm秀元はチンポがでかかったしね
0540人間七七四年
2019/01/09(水) 15:14:08.73ID:ZeQFvlti価値とかじゃ無くて、普通に秀吉が後見人に成って無ければ織田にお取り潰し食らってた
と思う。
まあ、秀家は豊臣の子飼い同様の私的な恩義が秀吉に有る立場。
家康は正直、恩より恨みが有りそうな立場なんで秀吉が信頼してたとは?
>>734
可成り仕方無い部分は有るよ、直家は大規模な野戦は明善寺合戦のみって戦歴でのし上がった
人ですからね。
当然、元同僚や上司にあたる大領地持ってる家老が山ほど居たんだし。
なのに、当主自身が実質的な人質で大阪城の殿中育ちって事だもん。
0541人間七七四年
2019/01/09(水) 15:51:53.02ID:eXuhIZnL家康をどの家臣よりも最高位に引き立てて、一門として囲い込むだけなら妹嫁がせるだけでいいのに秀頼の祖父という扱いまで与え、政権を任してまでしているのに何故信用してるかどうか疑問に思えるのかが疑問なんだけど
実務面でも秀吉生存時から東北の諸大名への仕置一任されてるし、なにより何度も一緒に能見る等など遊びにも誘ってるけど
君、この辺りのことちゃんと調べて客観視できてる?かなりバイアスの入ったものの見方してるようにしか見えないよ
0542人間七七四年
2019/01/09(水) 16:13:32.05ID:p3d31LzE0543人間七七四年
2019/01/09(水) 18:18:31.41ID:zO5FygsYで、この関係は一族に拠って立つ人間と、一族を強くするために外から招き入れた人間で意味合いが異なる
前者は一族から外れるとただの個人に成り下がるから相当なメリットがないと一族を裏切れないし、互助関係が続くと恩と情で縛ることもできる
逆に後者は元々が自力で立ってたわけで、いつでも外れて1人になれるので常に一族側がメリットを示さないとダメで中々お客様でなくなることがない
秀吉の関係者でいうと家康が後者の典型例で、結婚関係があってもあくまで一族って視点では全く信頼できる相手じゃない
ところが秀吉はそもそも一族ってのを大して信用してない、むしろ近しい血縁者を秀頼の潜在的ライバルだと勘違いしていた節すらある
対して家康のことは個人として信頼してアレコレ特権を与えてる、この場合の信頼の担保は家康の性格しかない
実際、家康は今からすると信じられないほど律儀だったんで人を見る目は確かだったんだけど、立ち位置だけで見ると関ヶ原直後に秀頼が暗殺されても不思議じゃなかった
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