関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part21
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0001人間七七四年
2018/11/28(水) 20:19:51.02ID:xFPcOePC前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part20
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1539777606/
0383人間七七四年
2018/12/29(土) 11:37:28.03ID:0eak9xZc利長に母を見捨てる覚悟があるとは思えない。西軍と違って家康は人質を効果的に使ってた。
細川親子は西軍に真っ先に目を付けられてる。藤孝は篭城し、忠興は反石田の急先鋒。
ガラシャが死んだとき、同じ大坂にいた長男忠隆の嫁(前田家)は逃げ延びた。
忠興はそれを咎めて追放させようとし、反対した忠隆を廃嫡した男。利長が西軍にいても関係ないと思われる。
0384人間七七四年
2018/12/29(土) 14:29:04.88ID:Z73GGroMいやそうじゃなくて、前田征伐の時点まで
遡るということ。
前田征伐時、細川は徳川と前田の仲介に尽力してたとおもったけど。
0385人間七七四年
2018/12/29(土) 14:57:31.02ID:NHa82hYI豊臣に恩義を感じてる面子が二派に分かれて内戦始めただけで恩義を感じてるから西軍が有利になるわけでも西軍に付くわけでもない
羽柴姓は大坂の陣までは細川をはじめ森京極などガチ東軍もふくめ結構のこってるし前田に特別何かあるわけじゃない
0386人間七七四年
2018/12/29(土) 22:49:12.29ID:ew6aZKq90387人間七七四年
2018/12/29(土) 23:48:10.61ID:+U9X5/S5豊臣に入って80万石
これで恩に感じてなかったら人間不信になるわ
0388人間七七四年
2018/12/30(日) 00:00:48.01ID:6dUQpPJf特に淀は思うところあるんじゃないの
妹の嫁ぎ先の方が心理的に近い可能性すらある
0389人間七七四年
2018/12/30(日) 00:40:33.12ID:4IOSUm/5豊臣に恩義を感じても三成に恩義を感じる必要はないから
三成の味方になる理由がない
現代では混同する人も多いけど豊臣と石田はまったく別物でしょ
0390人間七七四年
2018/12/30(日) 00:57:23.40ID:ns3Tt1+y豊臣は利長を庇ってくれなかったし
0391人間七七四年
2018/12/30(日) 02:06:49.94ID:1DYSPbc5まあ、賤ケ岳の戦いの時に、柴田派と見なして取り潰しでもおかしく無いしね。
加賀、能登、越中の一部で80万石は個人的な友誼での贔屓だろう。
まあ、秀吉の構想では徳川牽制の切り札だったんだろう。
秀頼の太傅役で、80万石の大名で、57万石で五大老の一人の宇喜多秀家が娘婿。
更に、浅野とも当初は縁戚。
前田利家にあと五年寿命有れば、家康は普通に討伐受けて滅んでたと思う。
負ける要素無いもん、加藤も福島も、前田の陣触れなら普通に傘下だろう。
0392人間七七四年
2018/12/30(日) 02:08:50.92ID:AQ3I2fYk細川では仲介には力不足。いわゆる大老や奉行ら、豊臣中枢がいないと。
しかし宇喜多はこの間に宇喜多騒動発生でそれどころじゃなくなる。
騒動は前田家から来た家臣が関わっているから、前田・徳川の問題も絡んでいるのかもね。
史料から前田と徳川の仲裁に積極的だったのは大谷吉継だな。
吉継はいわゆる奉行ではないけど、三成や長吉の失脚後を補う形で政務に復帰してる。
0393人間七七四年
2018/12/30(日) 02:52:54.00ID:fzOl2fiL笑わせるな
0394人間七七四年
2018/12/30(日) 03:18:10.62ID:ucObKZNo自分が警戒せなアカン相手に唯一の大臣職と政庁の伏見城、そして自分の子供の義理の父親という圧倒的な正当性を与えるトンマだとでも思ってるんやろか
0395人間七七四年
2018/12/30(日) 07:08:59.43ID:yf2XBoRDまったく警戒してないってのはさすがにないとは思うよ
ただし、警戒<信用、信頼だとは思うが(すがるしかなかったとも言える)
ただ、いずれにせよ豊臣に対する信頼云々で徳川との対立を期待すべきではないが
家康だってこの時点では豊臣の為に動いているんだから
確かに自分にとって都合よくあるように政権を改造しようとはしていたとは思うけど、
それが即、豊臣に対する謀反とはいえないしね
だってやってる事は藤原氏や執権北条とほとんど変わらないもの
0396人間七七四年
2018/12/30(日) 08:56:07.83ID:Wpql1GXN前田派、秀次派、これらの派閥のようなもののうち、前田派を前田征伐時なら奉行派(西軍)に
取り込めることができたんじゃないかなという提案なんだけど。
豊臣政権内での政争としてみてね。
そうすれば武力闘争(挙兵)に発展しても有利になるでしょ。
まぁ徳川に勝つというより徳川を失脚させる手段への道かもしれないが。
0397人間七七四年
2018/12/30(日) 10:02:39.97ID:fbz6g+dP秀頼元服まで生きてたら豊臣は安泰だったと思うが、勝ち負け以前にどちらかの挙兵すら起きないと思うよ
0398人間七七四年
2018/12/30(日) 12:57:05.49ID:npMz7xIPもしそうなれば家康は手出しできなくなる。
もちろん小山会議で家康に付いた武将たちも戦意喪失して家康から離れて行く。
0399人間七七四年
2018/12/30(日) 13:18:53.13ID:7aI4IIqt0400人間七七四年
2018/12/30(日) 13:44:40.99ID:3q+P2e9T家臣団もよわよわ
0401人間七七四年
2018/12/30(日) 13:50:21.09ID:ucObKZNo0402人間七七四年
2018/12/30(日) 14:08:10.12ID:DD1C6+/G0406人間七七四年
2018/12/30(日) 23:59:53.54ID:yvn41v59| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また髪の話してる
(| |)::::
(γ /:::::::
し \:::
\
0407人間七七四年
2018/12/31(月) 01:15:56.42ID:hfL3+zBjあの時点では、東軍大名は飽く迄も建前としては秀頼の家臣だもんな。
豊臣家大老を自称する家康に、一時的に応援してるに過ぎない。
秀頼が前線に出てくれば、家康に味方する事は明確に謀反って事に。
実際、韓信が劉邦に自軍を没収されたみたいな感じに成る可能性もね。
0408人間七七四年
2018/12/31(月) 02:26:28.54ID:+ywxsulkって思う大名おったらドアホやろ
幼君連れ出すって僕らは主君を政治利用する気しかありませんレベルの宣言でしかないぞ
0409人間七七四年
2018/12/31(月) 10:19:26.83ID:SE0G+WXb0410人間七七四年
2018/12/31(月) 10:26:53.06ID:EyAVxBxF結局主家である豊臣家の人間が意思表示のできない秀頼一人しかいないんだからどうにもならない
0411人間七七四年
2018/12/31(月) 11:00:36.74ID:2HBzVlYzそれを三成個人の意思でひっくり返して三成の手元に秀頼を支配させたら
三成が豊臣の主君であると天下に宣言したも同じ
東軍大名だって飽く迄も建前としては秀頼の家臣、なんて言い分自体が崩壊するレベルであり
石田政権の樹立を認めるか、三成を謀反人として処刑するかの選択になる
0412人間七七四年
2018/12/31(月) 11:12:31.11ID:ugrUPMxqだから大谷軍をあの位置に配備したんだと。
0413人間七七四年
2018/12/31(月) 11:39:11.64ID:l00yrYLMだと何度書いたらわかるんだ?
0414人間七七四年
2018/12/31(月) 11:42:57.54ID:7l+7mGom0415人間七七四年
2018/12/31(月) 11:51:02.56ID:TAjKOIHf0416人間七七四年
2018/12/31(月) 12:11:27.07ID:v9uxdkrH毛利はともかく、五奉行と宇喜多、小西、大谷が反対する
もちろん三成も間違いなく反対する
あり得ない仮定だが淀殿や片桐ら側近衆が出馬を打診しても止めに入るレベル
強行したら西軍が分裂して関ヶ原どころじゃない
0417人間七七四年
2018/12/31(月) 18:16:30.20ID:SAPYcBv/0418人間七七四年
2018/12/31(月) 19:09:00.05ID:Pp2J8GCN実際には甘すぎる見通しだと思うけど
0419人間七七四年
2019/01/01(火) 07:48:20.58ID:885x3V/fだからその遺言は秀頼を守る為なんだから、それを覆す正当性が有れば
良いんだよね。
傅役の前田利家が生きてれば、普通に秀頼前線に出しても誰も文句は
言わないと思うね。
中国何かだと、託孤の鞭なんてのが「つまり主君に不行跡有ったら叱って良いって意味」有った
りするし。
傅役ってのは、まあ乗っ取る気なら乗っても良いよ、但し秀頼の身が建つようにしてねって
意味だろうし。
まあ、利家の早死にが致命傷だったんだろな。
0420人間七七四年
2019/01/01(火) 08:19:59.16ID:as1JtdeN頭の悪い理屈並べてるが、幼児を戦場に拉致する理由は用意してあるんだろうなぁ?
それとも理由は人任せでとにかく秀頼を拉致して前線に連行しろってか?
0421人間七七四年
2019/01/01(火) 09:08:18.79ID:vKHcalpu伏見陥落のあと天皇に家康を朝敵指名して追討令を出してもらう方が効果的じゃね?
実際幕末に薩長はそれで旧幕府軍に勝ってる訳だし
0422人間七七四年
2019/01/01(火) 11:01:48.27ID:CaEQqa+8当時家康は内大臣で武家では最高の官位であり、その家康を内大臣に推挙したのは他ならぬ秀吉自身だよ
秀頼は関白ではないし毛利や宇喜多の官位ではとてもじゃないけど太刀打ち出来ない
秀吉の強引な関白就任とその後の事や、菊亭晴季の件などで今まで辛酸なめさせられた五摂家が秀頼関白就任阻止のために激しく動いてる
それに家康ももちろん一枚噛んでるから、徳川と豊臣のどちらかが朝敵にされると仮定したら豊臣の方だろうね
秀頼は公家からも目障りな存在だったし、朝廷関連で西軍は付け入る隙はないと思う
秀頼が西軍の背後にいるとしたら、なおさら徳川方に味方するかと思われる
0423人間七七四年
2019/01/01(火) 11:42:42.09ID:C5YtK0LL家康が元気なジジイだっただけ
五大老に均等に秀頼をお頼み申すではなくまだ若い宇喜多にでも頼めばよかったんでない?
そうすりゃ家康には大義名分なくなるし、野心はなさそうだし
0424人間七七四年
2019/01/01(火) 11:55:20.58ID:SkSpPapQ逆臣となることを恐れて西軍へ寝返ることは確実だから三成は万難を排してもそれをやるべきだったな。
豊臣家の馬印である千成り瓢箪が掲げられた時点で家康は終わり。
0425人間七七四年
2019/01/01(火) 11:57:21.39ID:as1JtdeN能力不足も甚だしいな
宇喜田家すらまともに統治できないしな
0426人間七七四年
2019/01/01(火) 12:25:13.43ID:ygcT5kFw秀頼自身が幼児である以上、豊臣家の担ぎ出しに成功してもそれは秀頼の側近を騙る姦臣の所業に過ぎない
姦臣に捕らわれている秀頼様をお助けするって言う大義が生まれるので家康的には困らない
豊臣の名を使ってどうこうするなら最低限、秀頼の元服まで挙兵を待つことが最低限のライン
0427人間七七四年
2019/01/01(火) 13:25:42.75ID:CezndhYx0428人間七七四年
2019/01/01(火) 14:57:46.06ID:1nnSuz6Oそれ言うなら、
意思疎通すら怪しい幼君の命令を理由にした会津征伐がおかしいだろ
秀吉が命じた五大老五奉行制を難癖付けて解体する行為なんだからさ
0429人間七七四年
2019/01/01(火) 15:01:14.59ID:SkSpPapQ関が原の合戦においては秀頼公を自軍の旗印に出来るかどうかが勝敗のかなりの部分を占める。
だから石田三成は秀頼を担ぎ出してくれば西軍は戦わずして勝てたのは確実だと断言できる。
0430人間七七四年
2019/01/01(火) 15:34:57.79ID:FcvCAx9Qあと難癖じゃなく堀からの訴えを聞いて、申し開きのための上洛命令再三無視ってのがあるからそこを難癖だと思う認識は改めた方がいいよ
あと書状として秀頼の名の下に討伐の令が下るのと幼君連れて行くことの差は認識した方がいい
0431人間七七四年
2019/01/01(火) 16:03:21.51ID:wlNAztZ1確かに領内整備の一環と言うことはできるけど
惣無事令の建前上通行に隣国をまたぐ事に何の不都合があるのかと問われると答えに困るような
0432人間七七四年
2019/01/01(火) 16:16:30.06ID:2PlqBT4y0433人間七七四年
2019/01/01(火) 16:27:50.70ID:SI6QztUj断言するのは結構ですがあなたの断言がイコール真実ではありません
片方の人が「西軍が秀頼を戦場に引っ張ってきても実際の効果は期待できない」と言っているのだから、あなたは効果が期待できる理由をあげるべきです
0434人間七七四年
2019/01/01(火) 16:34:21.71ID:SkSpPapQなにもわかってはいないとでも言おうか。
0435人間七七四年
2019/01/01(火) 16:46:23.93ID:SI6QztUjそういうのはいいですから客観的な理由をあげて説明し、議論をしてあげて下さい。あなたの言い分では議論になっていません
読む側としても価値の無い主観だけのレスなら飛ばしてしまいたいのです
0436人間七七四年
2019/01/01(火) 17:09:10.26ID:SkSpPapQ0438人間七七四年
2019/01/01(火) 17:47:02.64ID:SkSpPapQ0439人間七七四年
2019/01/01(火) 17:49:38.79ID:SkSpPapQ0441人間七七四年
2019/01/01(火) 18:09:41.20ID:SI6QztUj0442人間七七四年
2019/01/01(火) 22:18:33.82ID:U8px39uc0443人間七七四年
2019/01/01(火) 22:56:04.18ID:as1JtdeN秀頼はエルサレム王国のボードゥアン4世じゃねぇんだぞ
0444人間七七四年
2019/01/02(水) 02:51:22.02ID:YViVz5iF0445人間七七四年
2019/01/02(水) 03:42:11.45ID:AE+Ufqxk0446人間七七四年
2019/01/02(水) 04:39:33.63ID:8zAR/Mgd家康の石高に次ぐ大大名の毛利が西軍総大将だから、その名の元にそこそこ対抗出来たけど、当時の織田の石高と官位では味方が集まらず、兵も足りずに戦にすら持ち込めず、戦わずして負けが確定かと
織田とやり合った毛利、上杉、長宗我部他勢力が西軍に付かない可能性も出てくる
0447人間七七四年
2019/01/02(水) 04:41:52.46ID:/8mDpQkp関ヶ原とは関係ないが。
0448人間七七四年
2019/01/02(水) 06:23:06.77ID:+qemMBIe新田義貞が、足利義詮を奉じて鎌倉に攻め込んだ先例が有るはず。
足利と新田は本来兄弟から別れた家「新田の方が兄の家系」だけど、鎌倉時代を通じて足利の方が
勢力が強かった。
当時の武士の認識では、本家の嫡子「少年と言うより幼児、赤ん坊」」を分家の当主が担いで挙兵した
って感じだったらしいね、当時の記録だと。
つまり、幼児でも足利って全国的に知名度有るブランドは強力だったって事だね。
大義名分って、今の人が考えるより強力だったと思うよ。
織田信長だって、足利家の内紛で足利義昭支持って大義名分「三好氏は義昭の従兄弟を
奉じてた」で上洛したんだよ。
徳川も、浅井も、筒井や松永みたいな畿内の大名も、足利義昭に味方するって大義名分で
織田傘下に成ったんだし。
0449人間七七四年
2019/01/02(水) 06:33:49.48ID:+qemMBIeその理屈だと、秀吉の遺言で傅役を任されてる前田利家の方が未だ無理が
通せるよ。
傅役ってのは、しばしば親代わりなんで義理の親子関係って言っても良いくらいなんだよね。
イスラム世界では「アター.ベク」なんて役職が「しばしば主君の生母と再婚した」有ったり
するし。
前田利長が傅役を受け継ぐはずだったんだし、帰国せずに大阪城に籠ってれば家康も
何も出来んかったかも。
0450人間七七四年
2019/01/02(水) 07:24:20.97ID:41MMdvsf君主じゃないだろそれ
君主が名目上の総大将として幼児を使う例じゃなくて、
側近が自分の都合で身勝手に当主を最前線に放り出す事例なんてあるの?
それも豊臣家レベルの大勢力で
先に言っとくけど弱小過ぎて他に手が無いとか、御家がすでに壊滅しているとか
そういう特殊すぎる例を出すなよ
0452人間七七四年
2019/01/02(水) 10:06:42.23ID:41MMdvsf利長追い落としに一番積極的だったのは
家康に暗殺計画をチクった奉行の増田と長束なんですが
家康は元々政治的に対立してた以上、そりゃそんな機会があれば全力で乗っかるに決まってるし
ぶっちゃけ利長が東軍として動いたのって、奉行に対する当て付けとしか思えん
裏切った元味方(少なくとも婚姻問題の時には前田と奉行は同調している)に頭下げる位なら
敵対者に頭下げる方がマシって人、世の中にはいるし
0453人間七七四年
2019/01/02(水) 10:22:41.36ID:8WBBya/3加賀征伐も会津と違って家康が正式に発した命令じゃないらしい
あくまで政治的に敗れたので徳川に降ったってだけ
中央政治で徳川を追いやる協力ならともかく、西軍の武装蜂起に手を貸す理由が全く無い
0454人間七七四年
2019/01/02(水) 10:29:57.05ID:a0HRqZWh秀頼の義理の父で官位も唯一の大臣職、さらになんかお流れになったとはいえ淀と家康の婚姻すら秀吉の遺言だった可能性も高いしと
正統性も正当性もともに家康が上というか、正式な豊臣家の代理人だし
正直横車押しまくった連中がかなり無理筋
0455人間七七四年
2019/01/02(水) 11:02:28.50ID:5ulWM5Wq0456人間七七四年
2019/01/03(木) 09:57:31.63ID:6j3/vHeG0457人間七七四年
2019/01/03(木) 10:02:27.20ID:I3Sq93VX0458人間七七四年
2019/01/03(木) 11:04:37.47ID:VeJOx0yD0459人間七七四年
2019/01/03(木) 14:06:34.34ID:z+n2xUg+秀頼なんて誰も唱えてない。史実の中に可能性を見出せないことをifにするのはラノベの中でやればいい。
0460人間七七四年
2019/01/03(木) 14:31:21.64ID:AFHn7nW0問題は輝元が西軍に参加した理由が対家康ではなく、
自領拡大したいという意識のほうが大きいという事だな
どう考えても大損しかないし、家康との正面決戦なんて
この辺の問題をどうにかしようとすると、輝元に天下への野心を持たせるしかないんだが、
それが西軍首脳部である奉行にとって嬉しい事態とは思えない
つまり『輝元に天下への野心を持たせず』かつ、『リスク覚悟で家康と雌雄を決する』
というかなり無茶なIFが必要になる
このままだと家康に難癖を…とかいう吹き込みをしたところで、
それなら家康に対抗できるだけの領地を手に入れる(つまり史実通り)方向のほうが
はるかにリスクは少ないし
0461人間七七四年
2019/01/03(木) 14:36:24.14ID:tAQ1Uq9d0462人間七七四年
2019/01/03(木) 14:59:07.38ID:z+n2xUg+確かに、輝元と奉行たちの意思疎通のなさをひっくり返すのも大変だね
それにしても輝元の、四国北九州に対する侵攻過程はえげつないよな
家康が輝元と講和したのに後になって改易指示、結局削減になったのは謀略もあるのかもしれんが、この実態見たらそう思われても仕方ない
0463人間七七四年
2019/01/03(木) 15:31:37.37ID:kJmXQO5Z松尾山を降りるかもしれない(輝元本陣が松尾山予定だった場合)。
0464人間七七四年
2019/01/03(木) 15:39:14.48ID:I3Sq93VX輝元が居たら毛利勢が殿じゃなくなるかもしれないが
他に誰がやるかね、真面目に遅滞戦闘するやつ
0465人間七七四年
2019/01/03(木) 17:12:59.69ID:iX1vED35>>464
輝元出陣してきてるのに近江に後退するの?
輝元出陣なら関ヶ原でにらみ合いなり決戦だと思うが。
0467人間七七四年
2019/01/03(木) 18:08:26.50ID:kJmXQO5Z松尾山輝元用本陣説なら輝元は大垣には行かないと思う。
そもそも大垣組の後退の意図がわからないので
難しい部分が大きいが。
0468人間七七四年
2019/01/03(木) 21:08:10.11ID:9JcnlVP9輝元が家康みたいに3万の兵率いていたら東軍先発隊も手出しできない
まあそうなったら三成や宇喜多は面白くないけどな
0470人間七七四年
2019/01/03(木) 22:16:29.19ID:mPqaBDxf0471人間七七四年
2019/01/04(金) 07:28:25.74ID:tyBSRQegしかし、奉行視点で考えると輝元にあまりやる気を出されても困る
戦後の毛利の功績が大きくなりすぎて徳川のポジションに毛利が入るだけでは
彼らとしては関ヶ原を起こした意味がないだろう
勝ち方にこだわってる場合か!と言われればその通りではあるが、
奉行は関ヶ原前の動きをみる限り、明らかに奉行を中心とした合議制で
豊臣政権を運営したい思惑が透けているので、戦後その理想通りに政権運営したいなら
毛利を見せ金ならぬ見せ兵のまま終わらせて、戦後の主導権を握りたいところだろう
というか、これしか方法が無い
もっとも、輝元は奉行に担がれる神輿で済むような奴ではなかったが
仮に西軍勝利、輝元の思惑が全てうまくいった場合、奉行は輝元をどうする気だったんだろうね
輝元が素直に領地返上するとはとても思えんし(景勝の方でも同じ問題が起きる)
0473人間七七四年
2019/01/04(金) 09:25:43.13ID:tyBSRQegその理屈で奉行が自重出来るなら、そもそも関ヶ原起こさないよ
家康の奉行視点から見た専横だって、成長した秀頼の判断に任せりゃいいんだから
関ヶ原起こしたって事は、自分たち以外の奴が天下の実権握る事自体、誰だろうと
奉行らは気に入らないと自白したようなものだ
0475人間七七四年
2019/01/04(金) 09:49:42.95ID:VSx50DxSここで徳川を食い止めないと豊臣体制が崩壊して徳川体制に移行する、という奉行衆の判断じゃないの?
前田だけならまだしも上杉まで征伐とか言い出してるんだから。
奉行衆も浅野、石田が失脚状態でしょ。
0476人間七七四年
2019/01/04(金) 09:52:23.19ID:zRKb3P81ポコチン勃起しっぱなしか?
輝元のキン球しゃぶれ
0477人間七七四年
2019/01/04(金) 11:42:05.92ID:CZ3p9eVN上杉と毛利の大老衆ですらむしろ群雄割拠を望んでるようだし
それを恐らく分かったがゆえに各国の仕置きに対して公儀として介入して豊臣体制の求心力を維持しようとしたのが家康なのに対して、この状況を中央政権を奪う好機と見て挙兵したのが奉行って形
豊臣政権が諸侯にとって目の上のたんこぶ扱いな政権であるという前提知識は持った方がいいと思う
0478人間七七四年
2019/01/04(金) 12:16:22.07ID:7qMe22+Z家康自身は豊臣内の徳川家の権力基盤を絶対化するって言う私欲も込みだとは思うけどね
家康は豊臣-徳川-有力大名&奉行-諸侯の権力構造、つまり五大老五奉行の上に徳川を置く形を作りたがっていたのに対して
奉行衆は豊臣-奉行-諸侯の構造、つまり五大老を諸侯と同格にしたがっていたイメージ
一方上杉、毛利は豊臣の権力が薄れて地方で独立してやって行くことを想定していたと思われる
あくまで豊臣一門衆として位置付け出来る宇喜多はともかく、毛利や上杉が権力を保持するのは奉行衆的にはNG
0479人間七七四年
2019/01/04(金) 12:32:49.44ID:CZ3p9eVNいや、私はそもそも秀吉の意向で最初から他大老や奉行より徳川は1個上に置かれているものと考えますね
まぁもちろんその上で対抗勢力に悪さされないよう権力基盤を固める気はあったでしょうが、それすら私欲というのはちょっとね
正直めんどくさすぎて自分とこの領地に帰って自前で政権やり始めるという手もあり、最終的にそうするレベルの政権崩壊具合だったわけで
対して奉行衆は奉行主導の中央政治を行いたいという形
0480人間七七四年
2019/01/04(金) 13:06:26.35ID:7qMe22+Z秀吉の想定って秀頼幼少期の秀頼-家康の位置付けであって秀頼元服後は自分がやったように秀頼の直裁を考えていたんじゃ無いかと
この場合、秀頼やその先の意向次第で徳川家の位置は不安定化するリスクから逃れられない
一方の家康の目指す形は豊臣家が続く限りの豊臣-徳川を確定させて豊臣を象徴に徳川が天下を担うことを目指していたんじゃないかと思う
0481人間七七四年
2019/01/04(金) 13:12:38.52ID:6+mazreG五大老って言うても、徳川内大臣、前田大納言、で残りは中納言そんで、前田の婿が
宇喜多秀家って事を考えると、徳川前田は保々対等だよ。
そんで傅役で大阪城在住だと、寧ろ前田の方を信用してる気がする。
0482人間七七四年
2019/01/04(金) 13:21:39.04ID:dJwfGQvP秀頼の許嫁は家康の孫
どこまで贔屓目なんだよ
0483人間七七四年
2019/01/04(金) 13:42:12.52ID:CZ3p9eVN■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています