信長は長篠で自軍の野戦陣地に突撃かまして壊滅した武田を反面教師にしたのか
天王寺砦の戦いでは、まるで今度は自分が勝頼の立場に置かれる形になったけど
戦い方がまるで違ったね
敵の野戦築城を前にして、勝頼みたいに単に突撃するんじゃなく
3隊に軍を分けて、魚鱗の陣を展開。
窪地を利用して(高低差を利用して)側面から敵正面に気がつかれないように近づく。
狙いは中央突破、迂回・奇襲。

「信長は先手の足軽に打ちまじらせられ、
懸け廻り、爰かしこと、
御下知なされ、薄手を負はせられ、
御足に鉄炮あなり申し侯へども、
されども天道照覧にて、苦しからず、
御敵、数千挺の鉄炮を以て、はなつ事、
降雨の如く、
相防ぐと雖も、焜と懸かり崩し、
一揆ども切り捨て、
天王寺へ懸け入り、御一手に御なり侯。」
「信長は第1隊の足軽に交じりながら
駆け回り、ここだ!あそこだ!と指示をだし、
足に鉄砲傷を負うけど軽症で問題なく、
敵は数千丁の鉄砲を雨のように撃ってくるも
一揆勢を切り捨て、陣を崩し、
天王寺に駆け込んだ。」