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武田勝頼について Part9

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0001人間七七四年2018/09/18(火) 01:05:34.71ID:M4uZ57jA
http://itest.5ch.net/matsuri/test/read.cgi/sengoku/1535339906(Part8)
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当スレの規則

文字数規制を防ぐため、必ず5行から10行以内に抑えること。
コピペ厳禁。
文字数を150字以内とすること。
荒らしは即退場、通報すること。
「ねえ」を禁止用語とすること。

なお、武田勝頼を主としていますが、武田義信や仁科盛信などの兄弟について語るのもOKです。
0567人間七七四年2018/10/03(水) 07:34:30.50ID:LefpFzDq
北条から見た時の誰と結び誰を切るかの損得勘定の話をしてんのに、なんで勝頼の善悪の話しにしたがるのかなこの人?
0568人間七七四年2018/10/03(水) 07:54:23.21ID:zeKPKsfx
義理を通すとか悠長な事を言ってられる情勢じゃなくなってるから、景勝につくのは仕方ない判断だったとも考えられるでしょって話
0569人間七七四年2018/10/03(水) 07:54:07.67ID:zeKPKsfx
義理を通すとか悠長な事を言ってられる情勢じゃなくなってるから、景勝につくのは仕方ない判断だったとも考えられるでしょって話
0570人間七七四年2018/10/03(水) 08:03:31.60ID:zCGkEkbb
長篠時の織田と武田の兵力総動員数ってどれぐらいなの?
織田が大体7万5千から8万ぐらい?
武田が3万5千ぐらい?
0571人間七七四年2018/10/03(水) 10:48:55.95ID:5K4NNO9X
そもそも信長を敵に回したら何がどうあっても武田家は滅びてたはずだと思い込みすぎかと。
史実ではたった一か月で武田家が滅亡したので圧倒的な差があったと勘違いされるが
もし勝頼が内政をガッツリやって家臣との紐帯も強く結ばれ一致団結して戦ったら甲信ほど
守るに易く攻めるに難い土地は無い。3万5000千の精兵が天険の要地をガッツリ守れば
信長が10万の大軍で押し寄せても十分に守り切れたと思うし。
0572人間七七四年2018/10/03(水) 11:05:03.14ID:s8uLvQiC
誰か忘れたけど、戦争で国を滅ぼす際の要因は、

トップが無能。
上層部が無能か腐敗している。
軍が結束できていない。
内紛が起こっている。
内部粛清が行なわれて人材を失った。
領民から支持されていない。

のいずれかで、国力差だけで滅ぼされるのはむしろ歴史的に珍しいらしいが。

武田勝頼時代の武田はまとまれていた、とは言えるのかな?
0573人間七七四年2018/10/03(水) 11:05:27.12ID:lOxUs0Lf
尾張美濃と徳川領で戦力的には武田全体よりちょっと多いくらい

織田はそれ以外に伊勢と近江がほぼ直轄領になっていて越前、山城、大和などは支配地域
若狭、摂津、和泉、河内にも呼応する勢力を持っている

仮に総動員をかけたら10万は越えるだろうけどそんな事態にはまずならないだろうね
0574人間七七四年2018/10/03(水) 11:08:27.38ID:s8uLvQiC
>>573
尾張と美濃の石高以外を考えたら、それだけで武田領を上回りそうだが。
0575人間七七四年2018/10/03(水) 11:09:55.24ID:lOxUs0Lf
積極的に甲信に侵攻してもメリットあまりないしね
信玄との遺恨があるから武田の事は絶許だろうけど
0576人間七七四年2018/10/03(水) 11:39:15.15ID:5K4NNO9X
蜀も諸葛亮が生きてる時代は全く滅ぼす事など不可能だったが
死んだ瞬間に楊儀と魏延が殺し合いを始め黄皓が国政を専横し
劉禅への求心力や忠誠心が緩やかに落ちてから魏に攻められて滅亡だったしね。
もし劉禅が蒋琬と費禕の後も善政を敷き、戦争キチガイの姜維を抑え
防御を万全としてたら劉禅の代では滅びようがなかったと思われる。
0577人間七七四年2018/10/03(水) 11:59:35.52ID:+kn60KZW
臣亮申す
0578人間七七四年2018/10/03(水) 13:24:26.14ID:y7T3eIbg
>>560
御館の時に越中はほぼ景勝派で織田と戦ってるのは景勝派
景虎が景勝と戦うなら織田と組むと言うのはそこまでおかしくないと思う

あと柴田は加賀一向宗と戦っていてそれが終わる81年までは上杉とはあまり戦っていない
0579人間七七四年2018/10/03(水) 14:01:39.05ID:5K4NNO9X
過失責任割合でいけば信玄と勝頼が半々かどちらかが7対3くらいで
どちらかが全責任があるという事は決してない。
0580人間七七四年2018/10/03(水) 14:05:18.19ID:JkAH866M
>>578
景勝派が優勢で景虎を滅ぼした中で景虎が勝って事実よりボロボロになる上杉と織田が組むと?
史実で弱体化した景勝や勝頼は和睦できなくて、北条でさえ同盟申し出は信長に放置気味にされてたのに


>>568
>義理を通すとか悠長な事を言ってられる情勢じゃなくなってる

勝頼が景勝の餌に釣られて不義理をしたが正しいってことを認めたわけですよね?
捏造とか言ってたくせに
0581人間七七四年2018/10/03(水) 15:06:54.58ID:t4GGlfSF
信長が北条との同盟を放置してた事実はない
織田からの冷たい対応にびびってただけ
織田から見れば北条の武田への貢献なんて今更だし冷たく対応されるのも当たり前

武田を滅ぼしたのはあくまで織田と徳川っていうスタンスだから
0582人間七七四年2018/10/03(水) 15:37:16.91ID:JkAH866M
>>581
勝頼との甲相同盟破綻後に勝頼が上杉に続き佐竹等の反北条勢とも軍事同盟組んだために
北条は周りを敵に囲まれたから徳川を通して織田を頼ったが
信長から放置され、三島大社に氏直の関東支配と織田家との婚姻祈願の願文を捧げてる状況なんだけどね
武田との甲相同盟破綻する前に北条が信長と同盟していた事実はない
0583人間七七四年2018/10/03(水) 17:03:27.96ID:sOatfzXc
>>578
河田長親も鰺坂もなんだかんだ言って天正7年2月まで言を左右して帰国を拒否してた
景虎方への文書はほとんど見つかってないから何ともいえんが多分二股膏薬だったんじゃないかと思ってる

河田に至っては伯父が景虎方の主要人物の一人で
乱後にも長親は重親の与力に書状交わしてたくらいだ
0584人間七七四年2018/10/03(水) 17:10:49.24ID:lOxUs0Lf
不義理ってのは信玄の事でしょ
東国一義理に欠ける評判を残した大名

勝頼が景勝についたのは北条との関係だけでなく周辺国の情勢をみて判断したに過ぎないよ
0585人間七七四年2018/10/03(水) 17:18:07.98ID:sOatfzXc
武田軍越後入国前の天正6年5月中に
もう既に景勝と連絡取っていて
6月に入るとさっそく同盟と菊姫輿入れの交渉を始めてる
それを知らず北条は景虎が討たれた後も武田との同盟が有効だと信じてた

見よこの北条諜報のダメっぷり
信玄病死も気が付かなかったし
甲州崩れもいよいよ滅亡の段になって鉢形城の氏邦経由でようやく知ったくらいで

いない、忍者集団としての風魔なんてぜったいいない
(山賊集団として臨時雇いされた風間さんならいた)
間違いない!!
0586人間七七四年2018/10/03(水) 17:21:37.33ID:lOxUs0Lf
そもそも勝頼は和睦の仲介の立場をとっていたし、北条の要請で動いたものの当の北条の動きが鈍くて武田だけに戦わせるつもりなのかと懸念もあった

時系列で考えるなら

北条の要請で越後に出兵
武田だけが消耗させられたのでは堪らないので和睦を仲介

武田が越後から引き上げると景勝と景虎が争いを再開
景勝が武田が味方についたと宣伝してまわる

北条が勝頼に不信感を抱くようになる
当然武田も北条に疑念を持つようになり景勝に引きずられて味方についた

景虎が死亡して北条と武田の関係決裂も決定的となる

勝頼の不義理で北条と決裂したというのは明らかに違くて勝頼、景勝、氏政それぞれに原因がある
0587人間七七四年2018/10/03(水) 18:17:33.25ID:JkAH866M
>>585
有名な武田の忍軍団も長篠では織田への偵察物見での戦力把握すらしてないしな

>>586
>時系列で考えるなら

>>233見ろ
0588人間七七四年2018/10/03(水) 18:24:52.43ID:lOxUs0Lf
233が色々間違っててね...
0589人間七七四年2018/10/03(水) 18:27:43.87ID:lOxUs0Lf
間違ってるいうか勝頼を貶めるための事実だけチョイスしてまとめてる感じ?
0590人間七七四年2018/10/03(水) 18:36:16.97ID:gAOMUtSI
>>587
それが本当に気になる。
仮に諜報に失敗したとしても、信長とその主力が来て自分らより同数以下なんてあり得ないと予測くらいはしないかな?
0591人間七七四年2018/10/03(水) 18:49:51.78ID:zCGkEkbb
信長って「天王寺砦の戦い」の時、わずか3000の兵で15000の本願寺・雑賀衆連合軍が数千丁の鉄砲で守る
野戦陣地に魚鱗の陣で突撃して、中央突破に成功してるよね?
単純に見ても5倍の兵力差だけど・・・
勝頼は何で突破できなかったのかな?
0592人間七七四年2018/10/03(水) 18:55:44.36ID:JkAH866M
>>588
そういってるやつって平山氏の武田氏滅亡読めとか宣伝してるだけで
>>566で指摘したよう歴史の知識がないってのが分かってるからなw
0593人間七七四年2018/10/03(水) 19:08:30.41ID:lOxUs0Lf
566の指摘もね...

なんでいちいち北条視点だけの前提なんだろう?客観的な視点が決定的に抜けてる

そもそも景虎を支援するなら北条が動けばいいのに、武田に頼むのみで全く自分たちは動かない
武田や上杉視点では北条が漁夫の利を狙ってるようにしか見えなくても不思議ではない
0594人間七七四年2018/10/03(水) 19:22:10.97ID:zCGkEkbb
信長は長篠で自軍の野戦陣地に突撃かまして壊滅した武田を反面教師にしたのか
天王寺砦の戦いでは、まるで今度は自分が勝頼の立場に置かれる形になったけど
戦い方がまるで違ったね
敵の野戦築城を前にして、勝頼みたいに単に突撃するんじゃなく
3隊に軍を分けて、魚鱗の陣を展開。
窪地を利用して(高低差を利用して)側面から敵正面に気がつかれないように近づく。
狙いは中央突破、迂回・奇襲。

「信長は先手の足軽に打ちまじらせられ、
懸け廻り、爰かしこと、
御下知なされ、薄手を負はせられ、
御足に鉄炮あなり申し侯へども、
されども天道照覧にて、苦しからず、
御敵、数千挺の鉄炮を以て、はなつ事、
降雨の如く、
相防ぐと雖も、焜と懸かり崩し、
一揆ども切り捨て、
天王寺へ懸け入り、御一手に御なり侯。」
「信長は第1隊の足軽に交じりながら
駆け回り、ここだ!あそこだ!と指示をだし、
足に鉄砲傷を負うけど軽症で問題なく、
敵は数千丁の鉄砲を雨のように撃ってくるも
一揆勢を切り捨て、陣を崩し、
天王寺に駆け込んだ。」
0595人間七七四年2018/10/03(水) 19:23:59.16ID:JkAH866M
>>590
まあ岡崎城から後何日で後詰め到着や兵力はどれくらいかは普通は偵察するだろうしな
勝頼が偵察軽視してたのか本当に謎

>>593
漁夫の利を狙ってたのは北条との同盟をしていたにも関わらず
景勝から金、領土を餌に釣られた勝頼ってのは明らかなんだけどな
0596人間七七四年2018/10/03(水) 19:35:04.99ID:zCGkEkbb
>>585
笑ってしまったw
0597人間七七四年2018/10/03(水) 19:36:07.51ID:bS3WmOIV
北条も参戦はしてる。三増峠や甲州崩れ、天正壬午、小田原征伐と同じく、
鈍臭くて戦下手ではあったが。
0598人間七七四年2018/10/03(水) 19:45:06.05ID:JkAH866M
>>594
尻垂坂の戦いでも鉄砲使えなくなった大軍の一向衆相手に謙信が圧勝したように
一向衆は鉄砲使える分だけしかまともな戦力がなく、
後は訓練も受けてない雑兵みたいなもんだから野戦はすこぶる弱かったって話あったな
天王寺砦を包囲中の一向衆の背後を織田の精鋭3000で挟撃する野戦の形になって
そのまま天王寺砦に追撃をあまり受けずに合流できたってことじゃないのかね
0599人間七七四年2018/10/03(水) 20:48:56.97ID:MaVVCnei
>>572
今の日本そのまんまでワロタ

>>591
練度の差だろ
一向衆は兵の数こそ多いが所詮アマチュア
雑賀衆は戦争のプロだがさして数が多かったとは思えん
長篠に従軍した織田兵は対武田を想定して訓練を重ねて来たエリート部隊
0600人間七七四年2018/10/03(水) 21:12:15.68ID:sOatfzXc
>>586
くどいようだけど越相間は臨戦態勢、つーか上杉は既に交戦のため動員かけてた
上野は厩橋まで上杉領でわずかに由良父子などが北条方
越後内戦が始めて北条方に伝わるのが遠山(景虎側近)由良間の密書で4月末日
キタ条一族が越後で景勝に大粛清されてようやく5月半ばにキタ条高広と小田原が接触開始
さらに沼田が調略によって北条方に寝返るのが6月も過ぎてから
その頃もう既に奥信濃筋の旧景虎方闕地の武田割譲の話がついてしまってるという

ところで武田と景虎の和平仲介の書状が全く見つからんのだが
誰か隠し持ってないか?なんちゃって
0601人間七七四年2018/10/03(水) 22:27:21.97ID:sOatfzXc
ところで景虎方の作戦が終始景勝に見事百発百中読まれて失敗裏に終わってんだが
誰がスパイだったのか予想しやうよ?

1.仙洞院(そもそも御館にいた確証は無いが
2.清円院(この場合人質の扱いで鮫ヶ尾まで連れ回され景虎に殺されたということになる。陽林院みたい
3.妙徳院(妙徳院って軒猿の本拠関山にあるんやって?地味に本命。くのいちの本業
4.本庄顕長(動機はバッチシだけど9月以前は御館にいないというのがネックか
5.岩井成能(二重スパイが戦後消されるってのもよくある話で
6.堀江宗親(本領は改易されても帰参できたんですって
0602人間七七四年2018/10/03(水) 22:36:06.59ID:gAOMUtSI
上杉景勝 政治78 知略85 統率72 武勇70 魅力71

武田勝頼 政治21 知略31 統率71 武勇98 魅力69

くらいかな?
勝頼は脳筋を考慮して武勇だけは高いと思う。
景勝は生き残れた点や豊臣、徳川でもやり合った点を考えてこれくらいかな、と思う。
0603人間七七四年2018/10/03(水) 22:50:00.26ID:sOatfzXc
謙信が重用した近江出身者も諜報人脈なんじゃないかと思うよね
つーか関西でカワって言えばh(以下自粛
0604人間七七四年2018/10/03(水) 23:06:08.09ID:b0FSC/4U
武田が御館の乱介入で最低限手に入れたかったモノを景勝方が適確に把握して
信濃衆を説得した上で領土割譲を含む大幅な譲歩をやってのけたんだもの

提示されたものを見て、武田が利益確定して降りようと思ったのは無理からぬ話だ
ゲーム理論的な駆け引きで景勝が上手だったんだよ
この局面で北条が武田を詰るのは理解はできるが、敗者が敗者を詰るに過ぎない
0605人間七七四年2018/10/03(水) 23:52:32.77ID:5K4NNO9X
勝頼は四境をしっかり固めて内政充実を計るべきだった
国力さえ充実させておけば他日天下をうかがうチャンスが絶対に無かったとは言い切れない。
0606人間七七四年2018/10/04(木) 00:13:30.77ID:DInT7+B+
奥三河や遠江の国人に多少離反されても、臆病者と謗られても
信長との決戦を避けて温存した武田軍を抑止力とする手はあった。

本願寺と毛利が屈伏したら、信長は10万以上で侵攻して来るだろうが。
0607人間七七四年2018/10/04(木) 00:43:03.17ID:s9GZIv5C
はえーよ
勝頼が起草以来した時期はきっと景虎まだ生きてたよね

https://ameblo.jp/bd20159/entry-12379671347.html
勝頼は天正7年3月に伊勢天照大神宮御宝殿へ祈願文を出した。
当時御館の乱の結果、北条との同盟が決裂した時に北条氏政追罰の願文である。
『妙心寺史』によると鉄山宗純に起草させたもので、文自体は
鉄山が勝頼の意を汲んで文章を練り、勝頼がその文書を認めた者である。
0608人間七七四年2018/10/04(木) 04:26:18.75ID:4mPPU3oB
>>605
家督相続後の遠征の多くは信玄が西上作戦前後に構想していた計画のやり残しだと思うよ
遠江、三河、東美濃侵攻

東美濃侵攻は孤立した岩村城の支援だし、長篠も元々は西上作戦で味方に引き入れたものの、家康にトドメを刺せなかったツケが回ってきた

最晩年に信長という強大な敵を怒らせるだけ怒らせておいて病死した信玄の負債が重過ぎた
0609人間七七四年2018/10/04(木) 04:50:54.02ID:+oTN/sHH
信玄死後に後継いで、信玄の路線を撤回して内政に専念・・・

それこそ無理だろ
0610人間七七四年2018/10/04(木) 05:11:59.77ID:9/Fq/fet
>>609
代が変わって外征事業を辞めて内政に専念した例は秀吉死亡後の例が顕著だし
毛利家もそうでしょ。領土拡大路線はやめた。
そんな例は枚挙に暇がない。 
0611人間七七四年2018/10/04(木) 05:15:45.05ID:9/Fq/fet
大企業も大体は初代が積極的に拡大路線や多角化をし
二代目以降は無能と蔑まれながら守成の立場を取るケースの方が一般的な気がする。
身の回りの企業を見てもそういう例が多いのでは?
それで何代か経ると任天堂の山内社長みたいな中興の祖が出たりする。
0612人間七七四年2018/10/04(木) 07:07:32.83ID:CoP8yTnI
>>610
毛利の場合は、輝元が無能でも叔父の吉川元春と小早川隆景が優秀で、輝元がこの二人を排除しようとしたり自分が何が何でも主導権を握るみたいな野心が無かったのが良かったんじゃないかな?

勝頼は自分が父親に負けたくない、と自我が強すぎ、周りの意見を聞く器では無かった可能性がある。
0613人間七七四年2018/10/04(木) 07:37:16.28ID:5ix+T7iV
甲斐の場合は下手に頼るとそのまま乗っ取られ信虎コースだからなぁ
だから信玄も勝頼も苦労したんだろ
0614人間七七四年2018/10/04(木) 07:40:04.86ID:5TRY84Bh
>>612
てゆうか、最期まで諏訪勝頼だったってことよ
父親の信玄が諏訪頼重親子コロシてるし
まぁ色々と諏訪からはネコソギ奪ってっから
あのヘルメットも大明神もどうかと・・・
勝頼は武田というより本家諏訪の為に頑張ったんじゃない
信玄を反面教師として
0615人間七七四年2018/10/04(木) 07:42:47.19ID:5ix+T7iV
そのわりに諏訪衆が勝頼を支えたってハナシは聞かないんだよな
勝頼が武田や甲斐衆に含むところがあっただろう事は否定しないけどさ
0616人間七七四年2018/10/04(木) 07:57:30.84ID:5TRY84Bh
>>615
負けて滅んだりすると古事記みたいに伝えていくしか方法はないが、勝頼はそこまで大きな存在ではなかったからな
勝者によって改竄されるから真実を知るのは難しい
0617人間七七四年2018/10/04(木) 08:04:09.62ID:9GQxHBYT
信玄が簡単に京に入れる手段としては、信長に敵対するんじゃなくて
義昭を見捨てて、信長を助ける形で援軍として畿内に兵を派遣する形しておけば
信長も浅井、朝倉、本願寺、毛利と敵に囲まれてたから、武田からの援軍は願ったりも無いわけで
信玄も難なく京に入って信長に協力すると見せかけて、武田軍の精強さを見せつけることもできる
もし京で織田軍以上に整然かつ統制が取れて真摯な態度を見せれば
評判は織田以上になり武田が畿内内部から織田軍を駆逐できたかもしれない・・・
0618人間七七四年2018/10/04(木) 08:05:45.93ID:5ix+T7iV
無理無理w
略奪以外にまともな収入源の無い武田が京に入ったら
旭将軍の二の舞よwww
0619人間七七四年2018/10/04(木) 08:31:03.88ID:5TRY84Bh
>>617
上杉なら顔も効くから分かるが武田はちょっとなぁ
1回も京に行ったことなかったし朝廷や将軍にはあったこともなかったし
書状の遣り取りだけの信玄では・・・

色々前もって準備しておかないと中央で急には信用得られないよね
まぁ松永久秀あたりは面白く動くだろうけど
正直、上杉の方が可能性アリかな?
0620人間七七四年2018/10/04(木) 09:19:03.42ID:CoP8yTnI
>>619
武田義信の母親、つまり正室が三条さんなんだから、そのコネクションをもっと中央に使えなかったものなのかな?

謙信みたいに上洛しない、信長みたいに山科みたいな昵懇の公家はいないでは、それしかないはずなんだが。
0621人間七七四年2018/10/04(木) 09:30:15.09ID:q4PswjKV
>>620
義信が後継者だったならそれは使えたと思うけど、
信玄はその義信を排除して勝頼後継にした訳で…
正直正室に泥以上の物を投げつけたようなもんだから
朝廷からすりゃ心証大幅マイナスは避けられんかと(勿論武田が勝ち組にならば話は別)
で、外から見れば事実上家督を義信から奪いとったようにしかみえん勝頼も
当然悪印象をもたれるし、そのうえ勝頼は無位無官だからな
0622人間七七四年2018/10/04(木) 11:18:12.87ID:FwGxHtNr
>>620
信玄継室の父は大寧寺の変で討たれ断絶し、分家の血筋が次々と継いだからあまり使えなかったろう
顕如の妻が信玄の継室の実妹だったから義兄弟として逆に中央の戦いに使われたイメージしかない
0623人間七七四年2018/10/04(木) 19:54:08.39ID:9GQxHBYT
でも、もし信玄が信長の援軍として、入京して信長と対面してたらどうなっただろうね
お互い腹の探り合いから始まって、互いの軍勢自慢とかするんだろうか
正徳寺で道三と対面した時以上に面白い展開になりそうだわ
信長は武田軍の噂通りの一糸乱れぬ統率力を見て
信玄は織田軍の武器、装備類の豊富さや国力の豊かさを見て、互いに学べるとこはあると思うけどね
まあそうなったら・・・家康は二人の体面を蚊帳の外から見てるのかなw
0624人間七七四年2018/10/04(木) 20:03:40.16ID:9GQxHBYT
>>619
>>620
まあ確かに正室の嫡男の義信を廃嫡にしたのは痛いけど
でも武田の血筋自体が新羅三郎義光の末裔で甲斐源氏のブランドは一応あるからね
それを口実に利用すればいいんじゃないかな
0625人間七七四年2018/10/04(木) 20:30:13.40ID:CoP8yTnI
>>623
その場合、武田信玄が生きている間は信長も大人しくなるかもしれないが、やはり後継が勝頼では。勝頼に都の公家との駆け引きができるとは思えないし、部下にもそんなやり手がいるとは思えません。
0626人間七七四年2018/10/04(木) 21:13:21.53ID:behSzyxt
勝頼はそのまま大人しくしといて、信忠の代になったら活躍すればいいんじゃね
義理の兄貴になるんだし
0627人間七七四年2018/10/04(木) 21:34:43.30ID:q4PswjKV
>>625
そこら辺は覚えてもらうしかないかなあ、「出来ない!はい、おしまい!」って訳にもいかんし
まあ史実で秀吉が天下統一した後なんかでも京とかでの作法とかマナーとか
雰囲気になじめない武将は結構いたみたいだけど
まあ時間が解決するとは思うよ、人間って慣れる生き物だし
0628人間七七四年2018/10/04(木) 21:46:45.97ID:9/Fq/fet
信義が仮に武田家を継いでたとしても生き残れるかは分からない。
でも今川・北条とは絶対に手切れになってないから史実よりは相当滅びづらかったろうね。
0629人間七七四年2018/10/04(木) 22:00:17.33ID:+oTN/sHH
>>610
そこに秀頼(5)の意思はないよね。秀吉の遠征は諸大名に不評だったからだ。
毛利領国の最大版図は輝元時代、やめるどころか拡大してるけど・・
0630人間七七四年2018/10/04(木) 22:38:56.43ID:FwGxHtNr
>>628
謙信死後の御館の乱は絶対に発生するだろうから
それにしくじると北条は敵に回るし
今川も北条に味方する可能性がある
0631人間七七四年2018/10/04(木) 22:52:23.67ID:behSzyxt
さすがにその状況で景勝に味方はしないだろう
0632人間七七四年2018/10/05(金) 00:21:23.46ID:FUNXipG/
>>630
そもそも武田を味方しないと、北条と上杉は厩橋、三国峠間以外に越後上杉領と関東北条領を繋げることができず、武田の支援無しで越後を維持できるとは思えないんですが。
0633人間七七四年2018/10/05(金) 03:45:16.37ID:rIFXWLC2
ちょっとまってくれ
義信がついだら三国同盟維持で景虎が越後に行く可能性もほとんど無くなるから御館の乱は起こらないのでは?
まぁ〇〇衆対〇〇衆みたいな内乱は有り得るが
0634人間七七四年2018/10/05(金) 07:01:53.91ID:OW6qHd0n
義信が継ぐって言っても信玄追放か、武田内で信玄との内乱に陥ってるでしょ
そこんとこ無視してる
0635人間七七四年2018/10/05(金) 08:03:09.74ID:ayAkU7LN
信長って信玄に対しては、武将としてかなり恐れてたから、対面したらガクブルになるんじゃないかな
でも舅の道三と対面した時は、意表を突く衣装チェンジのパフォーマンスで道三の度肝を抜いて
逆に黙らせたから、信玄にも何らかのパフォーマンスはしたかもな
間違いなくするのは織田家の強大な豊かさを見せつけるパフォーマンスは絶対するだろうな
0636人間七七四年2018/10/05(金) 09:25:31.13ID:q2SR+YIi
>>634
当然、信玄が義信を後継者に指名して平和裏に継ぐIFに決まってんだろ
それくらい脳内補正してくれ。 頼むよ。日本人だろ?
0637人間七七四年2018/10/05(金) 09:35:13.23ID:OW6qHd0n
>>636
史実の信玄は駿河侵攻を義信自害させてまで優先し
追放されるのを怖れ死ぬまで家督を譲らない性格だけど
性格まで改変されてるのか
0638人間七七四年2018/10/05(金) 09:51:37.87ID:Fcqdv6mL
>>636
IFで誰か一人の人格を変えることができるとしたら
信玄の人格を変えても義信が勝頼みたいに猪武者だと滅ぶ
勝頼の人格を思慮深く、家臣との確執もなく穏やか
信長に土下座和睦しにいき領土割譲の条件を提示されても
喜んで受ける人格に変えたほうが良い
0639人間七七四年2018/10/05(金) 10:10:46.95ID:FUNXipG/
義信事件に関しては、義信だけではなく家臣団も失っている。それで駿河得ても損得勘定があってないからなあ。
0640人間七七四年2018/10/05(金) 10:18:28.28ID:q2SR+YIi
別に人格を変えなくてもいいだろ
史実より数年前に脳卒中を起こして左半身まひにでもなり
健康に不安を感じて無気力になり早く長男に継がせて隠居したいと思うIFなんて
極々普通にあるわけだが。 本当に頼むよおまえら。 マジで日本人?
0641人間七七四年2018/10/05(金) 10:21:58.84ID:WBP/JwFr
駿河侵攻前に信玄が死んだ、でもいいと思うよ
勝頼から話が離れちゃうけどさ
0642人間七七四年2018/10/05(金) 10:23:10.58ID:OW6qHd0n
病化&寿命を短くできるIFなら信長を病化&寿命を短くさせたほうが早くないですか?w
0643人間七七四年2018/10/05(金) 10:25:25.65ID:WBP/JwFr
>>640
信玄が生きてる間に当主の座を失うという設定が生理的に嫌なんではなかろうか?
現実の何かを連想させるとかで
0644人間七七四年2018/10/05(金) 10:27:51.82ID:q2SR+YIi
戦国時代を要約すると
信玄、謙信、秀吉たちが寿命に負けて
家康が寿命に勝った。 寿命が一番、健康一番って事になってしまう。
0645人間七七四年2018/10/05(金) 10:36:50.91ID:q2SR+YIi
信玄があと5年長く生きるか逆に5年早く死ねばよかった。
5年長生きしたら間違いなく家康は死亡で三河、遠江、駿河は武田家の領土になってた。
0646人間七七四年2018/10/05(金) 10:39:48.15ID:QKHdGShF
>>639
失ったといっても大物は飯富くらいで大したことない
駿河の国衆をわりと無傷で傘下に収めてるし
0647人間七七四年2018/10/05(金) 10:39:53.72ID:WBP/JwFr
宇喜多秀家なんか関ヶ原の誰よりも長生きしてるから、見方によっちゃあ、あれはあれで勝ちなのかも知れんなとは思う
0648人間七七四年2018/10/05(金) 11:06:57.20ID:OW6qHd0n
徳川家康 享年75歳
今川氏真 享年77歳
0649人間七七四年2018/10/05(金) 11:44:31.42ID:q2SR+YIi
天下を獲る条件は有能+長生きだったよね。
氏真くんは残念ながら有能ではなかった。
0650人間七七四年2018/10/05(金) 11:53:18.60ID:66kDqmQi
>>646
駿河を攻めて失ったもの
跡継ぎとされていた嫡子と重臣
織田徳川の緩衝地帯としての今川の存在
(徳川が遠江を得て強大な存在に)
北条との同盟破棄
三国同盟を領土欲で崩壊させた武田の外交での信用

得たもの
上杉との短期間の同盟
(これを破棄したことにより信長のメンツを潰すことになるが)
十数万の駿河の土地と港
0651人間七七四年2018/10/05(金) 12:02:21.33ID:q2SR+YIi
義信に連座して追放された上級武士が80人居たとされてるけど
NHKではそれは武田家全体の上級武士のおよそ2〜3割だったと言ってた。
秀吉も秀次処分の時に多くの家臣を連座させたけど秀吉家臣団の数割は占めてたんじゃないのかな。
0652人間七七四年2018/10/05(金) 12:11:09.06ID:EUHWjO4F
>>650
・飯富を失ったとはいえ、織田の佐久間追放同様に実損は大したことない
・緩衝地帯ってほっといても徳川に侵食されてそれは武田に面白くない、今川の援軍として徳川と戦うのも実入りがなく無駄
・信用は戦国時代にそこまで重要ではない、後年北条や上杉との同盟に支障はなかった
・今川以外に武田の侵略先の選択肢がない(厳密には強敵の上杉しかない)
0653人間七七四年2018/10/05(金) 12:23:51.24ID:q2SR+YIi
信玄ってなんで上流の諏訪湖から天竜川に沿って衛星都市を次々と作らなかったんだろ。
ちなみに同時代の顕如は淀川沿いに沿って寺門町を次々と築いて
それを河川で有機的に繋ぎどんどん人口が増加し本願寺も豊かになっていった。
天竜川沿いに衛星都市が築かれるだけで自動的に三河は山側から続々と武田領にならざるを得ないのに。
0654人間七七四年2018/10/05(金) 12:51:35.40ID:mPV0L9Z8
>>652
同盟に支障がなかったのは信用があったからでは?
誤解する向きが多いけど信用というのは、約束事を履行する意思と能力の総和なんだよね。
武田信玄は、能力=実力は申し分無いので信用は決して低く無い。計算違いもあるけど損得勘定はできる方だから、交渉し甲斐がある。
例えば今川氏真との約束事には重みが無い。履行する能力が疑問符だらけ。
信玄よりまともな人に見えるが、信用は無いと言える。
武田勝頼と北条との手切れも、長篠の大敗が無く、武田の実力部隊が健在なら同盟破棄には至らなかったと思うよ。
誰が好き好んで実戦経験豊富な武田精鋭と戦うか?
0655人間七七四年2018/10/05(金) 13:00:14.25ID:66kDqmQi
>>652
いやいやいや
三河だけの徳川なら脅威では無かったでしょ
上杉避けて南進した結果、敵に回したのは最悪の織田徳川
信用を軽く見た結果信長を激怒させ勝頼を滅亡に導いている
北条と組んで上杉とやりあってた方がどれだけ良かったか
0656人間七七四年2018/10/05(金) 13:00:17.25ID:QKHdGShF
>>653
大島城みたいなのは造ってるが、城作るだけで都市が成長するとは限らないし、都市は作ろうとしたって必ずしも作れるものではない
具体的に都市をどう作るのか書けないと机上の空論
江戸時代から現代に至るまで大阪は栄えて伊那から奥三河地方が栄えないのには理由がある
0657人間七七四年2018/10/05(金) 13:03:29.58ID:66kDqmQi
義信事件で連座して処分された多くは甲斐の国人達で甲州崩れの遠因となった説もある

本国出身で側近を付けていた義信より諏訪から戻した勝頼の側近の質は事実かなり落ちていたというのもあるし、人的損害も多いのよ
0658人間七七四年2018/10/05(金) 13:04:08.73ID:FUNXipG/
>>656
伊那や奥三河は山間部だから、栄えるわけがない。なんで山奥にわざわざ足を運ばないといけないのか。
0659人間七七四年2018/10/05(金) 13:08:06.86ID:QKHdGShF
>>655
まず、基本的な史実が頭に入ってないな
今川攻めた後(正確には攻めてる途中)、徳川は武田に牙を剥いたんだよ
武田が徳川織田と敵対しようとする以前に、徳川は上杉と同盟して武田攻めてくるし、史実もそれに近い
何故なら徳川はそこしか攻めるところしかないし、家康は普通にその頃から信長の言いなりにはならない野心家だから(だから後年圧倒的不利なのに秀吉と戦った)
信玄の認識では家康が北条上杉と同盟して自分の包囲網作ったからこその三カ年の鬱憤の台詞があり、信長の助けがないと滅亡してしまうという状態だったんだよ
0660人間七七四年2018/10/05(金) 13:10:06.40ID:6DmgBAGT
>>652
>・緩衝地帯ってほっといても徳川に侵食されてそれは武田に面白くない、今川の援軍として徳川と戦うのも実入りがなく無駄
義元死後今川の援軍として武田が動いたことあった?
徳川に浸食と言っても68年の段階じゃ三河失ってから数年経ってるけど遠江は守りきっていると思う。
0661人間七七四年2018/10/05(金) 13:11:08.73ID:rIFXWLC2
え?武田の秋山を先にけしかけたんじゃ?
0662人間七七四年2018/10/05(金) 13:14:12.52ID:6DmgBAGT
>>653
甲斐信濃だと諏訪善光寺富士吉田なんかは山間部の田舎でも人集まるように、
当時は寺社に人が集まるから
本願寺と同様のことを武田がするのは無理なんじゃないかな?
善光寺強奪みたいなこと繰り返すわけにもいかないだろうし。
0663人間七七四年2018/10/05(金) 13:18:26.90ID:OW6qHd0n
>>653
険しい山道通る上流じゃ無理でしょ
川を遡れないし
本願寺のある淀川周辺は流れは穏やかだけど
0664人間七七四年2018/10/05(金) 13:19:28.52ID:QKHdGShF
>>661

>>221
0665人間七七四年2018/10/05(金) 13:25:09.19ID:rIFXWLC2
やっぱり武田が先に仕掛けてるじゃん
0666人間七七四年2018/10/05(金) 13:28:00.26ID:OW6qHd0n
>>657
人的損害がMAXだったのは長篠
義信事件で武田は弱体化しなかったが
長篠後は人的不足は明らか
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