>>164
こいつ「ねえ」だろ。信玄スレで同じこと言ってるぞ。

今川の場合。上杉と同盟を結んだのは1568年3月。武田が織田と婚姻同盟したのは1565年11月。氏真の妹で義信の嫁を駿河に返したのが1567年11月。先に同盟破棄同然のような行為をしているのは明らかに武田。

徳川の場合。武田との手切れは1570年3月。同時期に上杉と同盟。ただし織田との婚姻同盟は継続←ここが武田とは違う。

武田の場合は婚姻を消滅させてさらにその婿の家臣団を殺して婿まで氏真に確認することもなく殺している。おまけに氏真の妹を駿河に送還する際には北条氏康の仲介を受けているため、信玄の駿河侵攻は氏康の面子を丸つぶれにする行為だった。

つまり信玄は周辺に対する配慮が全く足りない。

この配慮のなさが信玄末期から勝頼期に外交で、周辺に不信を抱かれていた可能性が高い。織田は相手にしてないし、北条も破棄している。