>>26 宛続き
それから、武田の石高に関しましても、
これまでにも過去スレなどで何度も指摘がされているようには思われますが、
甲斐は22万石余、
信濃は41万石のうち奥信濃3万石程をのぞいた38万石余程を武田が領土化してますし、
上野一国で50万石近くのうち、20数万石程を武田側が領土化してますし、
駿河一国のうち本当に端っこの数パーセント程を除いての、
15万石余も武田が領土化してますし、飛騨3万石も武田が西上前に概ね制圧してますし、
この時点で普通に端数などを総合しましても、100数万石は行っているようには思われますかねえ。
で、西上の時に東美濃岩村遠山周辺が武田領土になっておりますので、1〜2万石程っていう所ですかねえ。
で、三河では山家三方衆が武田に従属し、加茂郡も結構な部分が武田領土となり、
北遠江はそれこそ二俣・井平の領域まで武田側が制圧し、東遠江も高天神が西上の時に武田側に降伏している事などが、
前スレにおきましても、
普通に信玄の書状やら平山氏やら丸島氏の著作やら論説やらを基にしましての提示などがされていたようには思われますし、
そこまでの領域が普通に武田領土になっていたわけではございますしねえ。
これらを総合しますれば、普通に120万石近くになるようには思われる次第なのではございますが、
これらの事柄などなどに関しましては、いかがなものなのではございましょうかねえ。