>>296 宛続き
>因みに信玄の最期は無理し過ぎ
>調子に乗り過ぎたから痛い目にあった
まーたいつも通りに都合の悪い事柄を必死にスルーして、資料やら史実やらに基づかれましてのご論証の方などもなさられずに、
必死になって妄想願望のように思われます事柄などなどを、
必死にお喚きになられておられますようには思われます次第なのではございますが、
資料やら史実やらを基になさられましての、ご論証の方などを行われましてのご説明の方などを
なにとぞ御早めによろしくお願いいたしたいとは思う次第ではございますので、
御早めにご回答の方などをよろしくお願いいたしますかねえ。

>織田や上杉や朝倉等まわりがどう動くのかよりも、おのれ自身の体調の変化に気付くべき
まーたいつも通りに都合の悪い事柄などを必死にスルーなさられようとなさられながら、
御喚きになられておられるようにも思われてもしまいます次第なのではございますが、
過去スレなどでも何度も指摘がされておりますようには思われます次第なのではございますが、
ガンがどういう病気かを完全に知っている人間は当時には誰も存在しないわけではございますしねえ。
そもそも、>>292にもありますように、1570年の10月初め頃には、武田側の認識としましては
「織田の先手」である徳川が上杉と組んで武田を包囲しようとし、それに織田を引き入れて武田包囲網を構築しようとし、
武田が織田にそれを抗議しても信長はスルー、という状況ですので、普通に武田にしてみれば
徳川の動きが織田の承認を受けて進められているように思われる状況なわけですし、
武田としましては、対抗措置として信長包囲網への参戦も想定するべき状況になっているわけではございますしねえ。
で、その織田も普通に武田と織田の両属であった岩村遠山などを普通に自領土に併合したりしている状況ではございますので、
武田側も織田への不信感を決定的にし、信長包囲網への参戦、西上策戦の開始、というのを進めていく、
的な流れではあるようには思われる次第なのではございますが、
これらの事柄などなどに関しましても、資料やら史実やらを基になさられましての
具体的なるご回答の方などをなにとぞ御早めによろしくお願いいたしますかねえ。