>>814>>816
>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
なんというか語るに落ちるという言葉がぴったり当てはまりますね…
どうやら何が間違っているのが全く理解しておられないようです
結論から述べますと勝頼は大損害覚悟で突撃したわけではありません
>>804で述べていることを繰り返し言いますが設楽が原で先に武田軍に攻めかかったのは織田軍で、武田軍はそれを迎撃したんですよ?
早い話柵から出てきた敵部隊を野戦で叩こうとしたわけです。柵の内側に引き持ってる敵軍を攻めるよりははるかにリスクが低いですね?
武田の迎撃を受けた織田軍は引いていき武田軍は戦果を拡大するために追撃します。
そこに柵の内側から織田軍の鉄砲が銃弾を浴びせたので武田軍は損害を出して引きますがそうすると再び織田軍の足軽が出てきて武田軍を攻撃します。
敵が柵の内側から出てきたので武田軍は織田軍を叩こうとし、織田軍が引くので追撃し、また柵の内側から銃弾をくらって撤退しますがそうやって引いていく武田軍に再び織田軍の足軽が襲いかかり…
以下これを延々と繰り返して結局武田軍は勝ち目がないのを悟って撤退するわけです
この戦いの様子は信長公記にも「味方の足軽隊は 敵が掛かって来たら引き 、退いたら攻めかかって引きつけ、そこへ命令一下 鉄砲を撃ち込んだ 。」の記述があることから明らかです
ようするに勝頼はなるべく損害を抑えて勝利できるように柵の中から出てきた軍をターゲットにして戦ってたら大きな損害が出たので撤退したわけです

>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
とおっしゃりますがそこの認識からしてすでに間違ってるわけなのなのですよあなたは