武田勝頼についてPart6
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0001武田信玄
2018/06/19(火) 11:33:48.27ID:Wp2nkCuuhttps://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1527734172/
0798人間七七四年
2018/08/02(木) 22:20:00.79ID:14Gnj1qH>勝頼が好きじゃないのだけはよく分かったわ。
好き嫌いで語ろうとする奴に言われたくないわw
書状や実績や史料で語るならともかく
0799人間七七四年
2018/08/02(木) 22:22:50.61ID:tFAF7YbB学論を語る場所では無いのだが?
好き嫌いで語っても一向に構わないのだが??
0801人間七七四年
2018/08/02(木) 22:27:27.82ID:14Gnj1qH菅沼もウェルカムってことだからスレチの話してたのか
最低限スレタイの話ぐらいは守れ
0803人間七七四年
2018/08/02(木) 22:52:33.66ID:nVur09hY長篠で先に攻めかかったのは織田軍ほうですよ
0804人間七七四年
2018/08/02(木) 22:56:39.81ID:14Gnj1qHはあ?
長篠城に進軍して攻めたのは武田勝頼
設楽原まで進軍したのも>>725の通り武田勝頼ですよ?
0805人間七七四年
2018/08/02(木) 23:01:53.68ID:nVur09hY設楽原まで出てきた武田軍に対して信長は足軽部隊を攻めかからせて、武田軍はそれを迎撃する形で軍勢を出してます。これが長篠合戦本戦の始まり
信長公記に書いてあります
0806人間七七四年
2018/08/02(木) 23:07:27.77ID:14Gnj1qH長篠城を攻めた侵攻側は武田勝頼
退却すると追撃で大損害が出る距離の設楽原まで進軍したのは武田勝頼
どちらが先に攻撃?そんな局地的な話を誰かしてるのか?
0807人間七七四年
2018/08/02(木) 23:13:20.85ID:nVur09hY>>789
>兵力少ないのに大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
あなたがしてますね
あとどちらが先に攻撃するか、させるかは局所的どころか戦略戦術を考える上での重大要素ですよ?
孫子くらいは読んだことあるでしょ?
0808人間七七四年
2018/08/02(木) 23:22:45.76ID:9J2hmoPS酒井隊が石を投げたから開戦したんだ!は流石に通じない。
0809人間七七四年
2018/08/02(木) 23:28:06.56ID:14Gnj1qH織田との比較の文なのに全文読まずにそこだけ見てるわけかw
信長の場合
・後詰めが来る前に金ヶ崎城は落とした
・落とされた朝倉軍は敦賀郡を半ば放棄して戦線後退
・兵力は勝っていたが浅井の裏切りで信長は退却を決断
勝頼の場合
・後詰めが来る前に長篠城は落とせなかった
・織田徳川軍は長篠城から距離を取って設楽原に陣城を築きだす
・勝頼は兵力が劣るのにわざわざ設楽原まで進軍して退却すると追撃で大損害が出る距離まで詰める
両大将の進軍退却の采配を言ってるだけで
どちらが攻撃したかなんて言ってないんだけどなぁ
0810人間七七四年
2018/08/02(木) 23:35:46.24ID:14Gnj1qHどちらが先に攻撃とか大損害を出す勝頼の采配には関係ないよねぇ
陣城に突撃して退却すると大損害が出る距離まで詰めた勝頼の采配が大損害の原因なんだし
0811人間七七四年
2018/08/02(木) 23:40:36.57ID:nVur09hY>どちらが攻撃したかなんて言ってないんだけどなぁ
>>789
>それに対して長篠城を落とせず、兵力少ないのに大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
言ってますねえ…
>>804>>805
で基本的な史料である信長公記の記述すら読まないで自分から勝頼が攻めかかったと勘違いしてたことをなんとしても認めたくないんでしょうけどあなたが設楽が原で武田軍から攻めかかったのは間違いようがない事実なんですよねえ…
0812人間七七四年
2018/08/02(木) 23:42:17.33ID:nVur09hY訂正
武田軍から攻めかかったと勘違いしていた、ですね
0813人間七七四年
2018/08/02(木) 23:44:42.64ID:14Gnj1qH勝頼の采配で設楽原までわざわざ進軍して
織田徳川の陣城に突撃して退却すると追撃で大損害が出るまで距離を詰めた勝頼の采配が大損害の原因って言ってるのに
大損害の原因というキーワードはずっと見えない振りするのかな?w
0814人間七七四年
2018/08/02(木) 23:50:14.35ID:14Gnj1qH>信長は大損害が出る戦いをしなかったんだよな
>それに対して長篠城を落とせず、兵力少ないのに大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
どちらが先に攻撃したかは言ってませんよー?w
大損害覚悟で突撃して大敗って言ってるんですよー?w
0815人間七七四年
2018/08/02(木) 23:52:10.00ID:nVur09hY>>789には大損害の原因なんていうワードは書いてませんねえ…
あなたがそのレス勝頼について言及してるのは
>それに対して長篠城を落とせず、兵力少ないのに大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
これだけ
それに対して>>803で先に攻めかけたのは織田軍ですよと教えてあげてるのですがあなたは信長公記を読んでないので>>804で先に攻かかったのは勝頼とまだ誤った主張をしてるので>>805でちゃんと信長公記の記述だとソースを提示してるわけです
そこから最初からそんな話してません!なんて言われてもねえ…
見えないフリをしてるのはどっちなんだか
0816人間七七四年
2018/08/03(金) 00:00:20.60ID:whBBueCU君は何も知らないからそんなことを言うんだろうけど
長篠城から離れた設楽原に進軍したのは勝頼の采配
そして設楽原決戦日に長篠城包囲する砦が酒井の別動隊に攻撃されてから突撃をしたんですよ?
朝から小競り合いをしてたが大損害覚悟の突撃をした決断したのは設楽原の朝からの小競り合いからかなり後
>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
もう一度読んでくださいね
>先に小競り合いをしたけて大敗した勝頼さん…
とは言ってませんよね?w
0817人間七七四年
2018/08/03(金) 00:10:44.18ID:whBBueCU先に攻撃したにやたらと拘ってるけど
弓や鉄砲を打ち掛けたり遠距離からチマチマした攻撃や足軽をちょこっとけしかけるくらいなのを
大損害覚悟の突撃とは言わないよね?w
大損害覚悟の突撃をどっちがやったのかを調べよう
そして日本語をもっと勉強しようね!
0818人間七七四年
2018/08/03(金) 00:26:34.60ID:uQr94NcF>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
なんというか語るに落ちるという言葉がぴったり当てはまりますね…
どうやら何が間違っているのが全く理解しておられないようです
結論から述べますと勝頼は大損害覚悟で突撃したわけではありません
>>804で述べていることを繰り返し言いますが設楽が原で先に武田軍に攻めかかったのは織田軍で、武田軍はそれを迎撃したんですよ?
早い話柵から出てきた敵部隊を野戦で叩こうとしたわけです。柵の内側に引き持ってる敵軍を攻めるよりははるかにリスクが低いですね?
武田の迎撃を受けた織田軍は引いていき武田軍は戦果を拡大するために追撃します。
そこに柵の内側から織田軍の鉄砲が銃弾を浴びせたので武田軍は損害を出して引きますがそうすると再び織田軍の足軽が出てきて武田軍を攻撃します。
敵が柵の内側から出てきたので武田軍は織田軍を叩こうとし、織田軍が引くので追撃し、また柵の内側から銃弾をくらって撤退しますがそうやって引いていく武田軍に再び織田軍の足軽が襲いかかり…
以下これを延々と繰り返して結局武田軍は勝ち目がないのを悟って撤退するわけです
この戦いの様子は信長公記にも「味方の足軽隊は 敵が掛かって来たら引き 、退いたら攻めかかって引きつけ、そこへ命令一下 鉄砲を撃ち込んだ 。」の記述があることから明らかです
ようするに勝頼はなるべく損害を抑えて勝利できるように柵の中から出てきた軍をターゲットにして戦ってたら大きな損害が出たので撤退したわけです
>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
とおっしゃりますがそこの認識からしてすでに間違ってるわけなのなのですよあなたは
0820人間七七四年
2018/08/03(金) 00:35:29.77ID:whBBueCU全く理解してない素人でワロタ
戦争で大損害が出るのは退却した後の追撃な
武田の重臣のほとんどがそれで死んだ
退却開始地点が敵までの距離が近いほど追撃で大損害が出る
長篠城包囲する砦が酒井の別動隊に奇襲されてから
陣城に突撃して退却すると追撃で大損害が出る距離まで詰めたのが原因な
大損害のね
0821人間七七四年
2018/08/03(金) 00:40:01.78ID:whBBueCU>>805より
>足軽部隊を攻めかからせて
これ朝からの小競り合いのことだよね
>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
遠距離の撃ち合いや足軽をちょこっとけしかける小競り合いを
大損害覚悟の突撃と呼ばないよね?w
何回も言うけどw
0822人間七七四年
2018/08/03(金) 00:40:58.01ID:uQr94NcFおやまた自分の発言をなかったことにするわけですか
>>814>>816で散々
>大損害覚悟で突撃して大敗した勝頼さん…
と主張してるようですがこれも本当はそんな意味じゃありません、僕はそんなこと言ってません、ですか?
0823人間七七四年
2018/08/03(金) 00:43:26.03ID:uQr94NcFいやあのですから勝頼は大損害覚悟の突撃をしていませんよ?
ちゃんと>>818で言ってると思うのですが…
0824人間七七四年
2018/08/03(金) 00:45:00.92ID:whBBueCU君の頭の中だと大損害覚悟の突撃は
遠距離の撃ち合いや足軽をちょこっとけしかける小競り合いのこと
を「大損害覚悟の突撃」と呼ぶんだなw
もうちょっと勉強しようね^^
赤っ恥で引っ込みが付かないみたいだけどw
0825人間七七四年
2018/08/03(金) 00:57:22.06ID:uQr94NcFもう一度説明しますが
織田軍が武田軍に攻めかかる→武田軍が出てきた織田軍に攻めかかる→作の外に出て行った友軍を追ってきた武田軍を柵内の織田軍が鉄砲で追い散らす→引いていく武田軍に織田軍が攻めかかる…
このループを繰り返して織田徳川軍に勝てないと判断した勝頼が撤退するところを織田徳川軍が追撃して勝ちを確定させたのが設楽が原合戦です
大損害覚悟の突撃というものはこの戦いには存在しません
0826人間七七四年
2018/08/03(金) 00:58:34.50ID:whBBueCU大損害覚悟の突撃を遠距離からの撃ち合いや足軽をけしかける小競り合いと勘違いしてたから引っ込みが付かないんだね^^
先に小競り合いをしかけて大敗した勝頼さん
とは誰も言ってないよねw?
もうちょっと日本語を勉強しよう^^
0827人間七七四年
2018/08/03(金) 00:59:53.22ID:Xsc/Otno0828人間七七四年
2018/08/03(金) 01:03:36.54ID:7jaUbnbU0829人間七七四年
2018/08/03(金) 01:08:24.87ID:whBBueCUまずまとめね
・徳川領の長篠城に侵攻したのは武田勝頼
・>>725より設楽原まで進軍を決断したのは勝頼
・陣城に突撃したのも武田勝頼の采配
・大損害覚悟で陣城に突撃する距離を詰めてしまったために追撃で大損害を被ってしまった
大損害覚悟の突撃=先に攻撃をしかける小競り合い
と勘違いし赤っ恥で引っ込みが付かなくなったのは君ですよね?^^
0832人間七七四年
2018/08/03(金) 01:21:43.28ID:whBBueCU0833人間七七四年
2018/08/03(金) 01:57:19.45ID:xIbzUiZQ南北の地形もあって背水の陣になっちゃってる
0834人間七七四年
2018/08/03(金) 03:48:35.47ID:nnr7NlqF0835人間七七四年
2018/08/03(金) 04:35:09.54ID:5kUQRYFf戻ってるよ。
また信玄スレがパンクした。
0836人間七七四年
2018/08/03(金) 05:12:10.56ID:g2DjHhnR0837人間七七四年
2018/08/03(金) 06:37:35.06ID:whBBueCUID:nVur09hY=ID:uQr94NcF=ID:pT9+5UU0
今見返すと>>811と>>815にねえの特徴が出てたな
また奴を論破してしまったか
0838人間七七四年
2018/08/03(金) 08:29:19.48ID:oNEkK39c外へ出されたんでしょ、後継ぎ問題で武田家に戻されて
武田家当主の信の字(信虎、信玄)が名前にない
勝頼を認めない家臣がいたんじゃないのかな
彼らに認めさせるには、いくさに勝ち領土を広げるしかなかったのかも
0840人間七七四年
2018/08/03(金) 08:42:49.04ID:CxOKgzDl武田は領地を持って独立してる譜代と名代として統治だけさせて税収を吸い上げてる家臣がいて、仕える側からしてみたら旨味は少ない
その代わり戦での略奪行為や人狩りは黙認して報酬替わりにしている面もあって勝ち戦が続かないと求心力を失ってしまう
0842人間七七四年
2018/08/03(金) 10:44:53.70ID:+wKERCEJ0845人間七七四年
2018/08/03(金) 12:47:45.13ID:CxOKgzDl0846人間七七四年
2018/08/03(金) 12:59:04.06ID:2zBnY6o40847人間七七四年
2018/08/03(金) 14:40:49.79ID:/vwymWsF0848人間七七四年
2018/08/03(金) 14:48:57.98ID:S2y/5UXp結果論だが駿河侵攻はせずにいれば信長包囲網が動き出した時に
今川領を通過して遠江、三河、尾張と攻め上れた
義信も死なずに済んだし勝頼も信濃先方衆として槍働きできたはず
0849人間七七四年
2018/08/03(金) 15:26:37.10ID:2zBnY6o4領内通過は今川が許さないと思うわ
それができるなら史実でも共同で三河攻めとかやってるだろう
0850人間七七四年
2018/08/03(金) 16:32:51.57ID:nv/f0HX0氏真にそこまでの度胸があるかなあ。
駿河侵攻しない、義信存命、同盟維持で、徳川家康や織田信長を撃つために協力して、と武田が頼んで拒否したら、氏真に非がある言われてもしゃーないわ。
0851人間七七四年
2018/08/03(金) 17:57:43.87ID:lSkN1VNmそもそも義昭からの織田追討の要請は今川にも来るだろうし
氏真が織田追討のための武田軍の行動に
道も貸さない参加もしないじゃもう氏真は部下からも見放されるんじゃね?
0852人間七七四年
2018/08/03(金) 18:20:13.25ID:oBoR55ds問題は武田が駿河侵攻しない場合に徳川がどこまで今川領に浸食してるかだな
何かの間違いで盛り返してる可能性もあるけど
0853人間七七四年
2018/08/03(金) 18:22:29.02ID:oBoR55ds0854人間七七四年
2018/08/03(金) 18:26:15.64ID:oBoR55ds0855人間七七四年
2018/08/03(金) 18:32:06.22ID:nv/f0HX0でも今川は三河一国の徳川家康相手に勝てないほど弱体化しているからなあ。仮に徳川家康単独で遠州侵攻したとしても、今川だけで止められるのか?
0856人間七七四年
2018/08/03(金) 18:42:45.44ID:uQr94NcFさすがに徳川が駿河あたりまで迫ってくれば北条も今川に援軍を送るんじゃないですか
武田が今川侵攻やってないifなら徳川単独vs今川・北条・武田になるから遠江を失うくらいはあるかもしれんがさすがに駿河まで陥落させられることはないのでは
0857人間七七四年
2018/08/03(金) 18:51:15.44ID:oBoR55ds今川は腐っても1.5万くらい動員できるが三河一国の徳川には無理でしょ
少なくとも織田の援軍に畿内までとか無理
0858人間七七四年
2018/08/03(金) 18:56:01.12ID:+wKERCEJ0859人間七七四年
2018/08/03(金) 18:57:14.38ID:nv/f0HX0と、信長。
0860人間七七四年
2018/08/03(金) 19:07:39.96ID:ivhi154j同盟堅持なら普通に行動するんじゃないか?
65年以降は武田警戒して動けなかったとも見えるし
0861人間七七四年
2018/08/03(金) 19:27:52.40ID:+wKERCEJ徳川領を今川家と半分コにしてただろうな。
0862人間七七四年
2018/08/03(金) 20:02:33.29ID:whBBueCU商業港を抑えて発展させないと火薬の硝石が足りなくなってジリ貧になるから難しいところだな
三河を今川と二分しても三河山間部が武田になるだろうし
武田としては三河沿岸が欲しいだろうけど
そうすると今川がどこにも攻められるところがなくなり揉めるだろう
0863人間七七四年
2018/08/03(金) 20:25:29.95ID:/PqRXsCP北進続ければその辺の問題は解決するな
信玄、というより武田家の信用もそこまで低くなる事もないだろうし
謙信を倒さないといけないという大問題を考慮しなければの話だが
0864人間七七四年
2018/08/03(金) 20:30:38.94ID:GONSRlSf0866人間七七四年
2018/08/03(金) 20:39:25.96ID:+wKERCEJタコがお腹空いたから自分の足を食べるのと何も変わらん
0867人間七七四年
2018/08/03(金) 20:45:21.08ID:xfVWspUX遠すぎて維持できるのか
そもそも義元が落とせなかった織田を潰せるのかかなり疑問が残るが
織田の尾張は水運で栄えてるしかなり魅力的だぞ
今川が熱田を武田が津島をって話なら氏真も首を横には振らないだろう
多分そこから先は攻勢限界で進出は難しいだろうし
0868人間七七四年
2018/08/03(金) 20:54:06.58ID:whBBueCU>謙信を倒さないといけないという大問題を考慮しなければの話だが
大問題だな
三河では織田と戦い、北進して謙信とも戦うという戦線が長大になりすぎてないか?
山間部しか取ってないから国力は低いままだし
0870人間七七四年
2018/08/03(金) 21:00:50.86ID:+wKERCEJ当時20万石ほどしかない駿河を分捕るメリットなどさほど大きくない。
むしろ富士川流通を安定させるメリットの方がデカい。
0871人間七七四年
2018/08/03(金) 21:03:18.37ID:xfVWspUXあと上方との交易やるなら当時の難所中の難所・遠州灘より西を抑えないと無理
江戸期ですら遠州灘を越えるのはリスクが高過ぎて
尾張から東の物流は陸路が主流だったらしいからな
0872人間七七四年
2018/08/03(金) 21:12:16.80ID:ivhi154jしかも途中まで
>尾張から東の物流は陸路が主流だったらしいからな
そんな話聞いたことないぞ、何がソース?
0873人間七七四年
2018/08/03(金) 21:40:58.82ID:xfVWspUX紀伊國屋文左衛門のミカン船伝説
紀伊で豊作だったミカンを命がけで船で江戸に運んだ話で架空の物語らしいが
こういう話が残っているという事は当時、遠州灘を越えるのは相当危険だった証拠だろう
0874人間七七四年
2018/08/03(金) 21:44:41.77ID:whBBueCU結局は商業港として発展してないから大商業地の中央にしか硝石を積んだ外国船が来なかった
結局は織田が総取り状態で関東に来る硝石は中央の商人からは転売で吹っ掛けられる状態
財政難の武田勝頼じゃ厳しかったろう
家康も江戸との物流が最初は全く栄えなかったから
天下普請とかで人と物流を頻繁にしたりと苦労してたみたいだしな
0877人間七七四年
2018/08/03(金) 23:37:53.15ID:whBBueCU徳川倒すのに織田が援軍に来ないわけないし
謙信を倒して港を手に入れるのも容易いことじゃないよね
今川から徳川倒して三河を二分し、武田は山間部しか手にいれられない同盟と
徳川から今川を倒し駿河を手に入れられる同盟を同時に提案されたら
信玄は史実通り利益がデカイ徳川の提案を受けるだろう
0878人間七七四年
2018/08/04(土) 00:00:11.02ID:gfM3VfwR勝頼も結果、失敗した
武田家に権力がなくて国人が抑えることができなかった
0879人間七七四年
2018/08/04(土) 00:03:16.84ID:ccsZisQB信玄は晩年は相模に都をつくるのが夢だったらしいし
北条と同じく中央には意識が向いてなくて関東支配が最終目標だったとしたら甲府から動かないのも納得はできる
0880人間七七四年
2018/08/04(土) 00:04:39.39ID:TPRTjFYU駿河15万石。
ただし今川の永年の支配で安定していて、東海道の要地であるため、実質的な国力はそれ以上。
0881人間七七四年
2018/08/04(土) 00:06:30.98ID:ccsZisQBhttps://senjp.com/hoshinotani/
出展は甲陽軍鑑かな
0882人間七七四年
2018/08/04(土) 00:16:27.86ID:+LRjvs/g0883人間七七四年
2018/08/04(土) 00:25:14.18ID:gfM3VfwR信玄にはこれができなかったわけ
もしやったら反発されて反乱を起こされる
だから跡継ぎのいない家には代わりを派遣して強引に支配を維持させた
0884人間七七四年
2018/08/04(土) 02:44:41.18ID:Kq+iGQ2h0887人間七七四年
2018/08/04(土) 07:46:42.44ID:+LRjvs/ghttps://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1533325758/-100
0888人間七七四年
2018/08/04(土) 07:48:41.54ID:iy+4vOz4ここは水害多発地帯で農地に向いてない土地柄なのよ
だから土地に対する執着が無かった
一方で農業収入がアテにできない以上、流通経済に依存せざるを得なかったから
経済政策の支障となる者は徹底的に潰した
0889人間七七四年
2018/08/04(土) 08:00:27.12ID:rZKMh63r信虎が今川家に身を寄せてる件はどうなる
0890人間七七四年
2018/08/04(土) 08:06:38.39ID:+LRjvs/g0891人間七七四年
2018/08/04(土) 08:09:28.16ID:+LRjvs/g単なる職業軍人として土地から切り離し私兵化し
百姓を大名が直接統治して権力の独占化に成功するかどうかなんだよな。
信長、秀吉、そして秀吉の子飼いの大名たちはそれに成功してた。
太閤検地はそのための強力な武器だった。
0894人間七七四年
2018/08/04(土) 09:43:13.94ID:WXI1T032前者はイコール土地に縛られる事になり、後者であれば見返りに武士階級として登用するため土地に縛られることはなくなる
0895人間七七四年
2018/08/04(土) 09:48:36.63ID:+LRjvs/g城下町に強制的に国人を住ませる事によって
国人と百姓との凄まじく強い結びつきを希薄化した。
百姓がおのおの昔から続く名主や国人に仕える体制ではなく
国民意識を持って国のため大名のために働くとなれば
どんな小国でも凄まじく強国になる。
0896人間七七四年
2018/08/04(土) 10:01:31.32ID:IP2FM5SO平井 上総
兵農分離はあったのか (中世から近世へ)
読んで勉強するといい
君が想像してるようなことは事実としてない
0897人間七七四年
2018/08/04(土) 10:17:11.09ID:WXI1T032秀吉の時代にようやく完全に兵農分離が浸透したと
信長の場合は千人規模の直属部隊抱えててそれが専属の戦闘要員
(母衣衆)
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