武田勝頼についてPart6
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0753人間七七四年
2018/07/31(火) 21:28:17.89ID:cTih6NvB平山優「武田氏滅亡」2017年より。
武田信玄と上杉謙信を和睦させるため、織田信長が仲介人になって両者の調停に乗り出す。
ところがその最中に、武田信玄が軍を北信に向ける。上杉謙信はこれを信長に抗議し、信長もこれを知り武田信玄に北信から撤兵するように催促する。
武田信玄はこれに応じて北信から撤兵するが、実は軍をそのまま徳川家康の領土に向けて侵攻を開始していた。
信長はそれを知らず、1572年10月4日付の書状で武田信玄に対して撤兵を謝す旨を伝える。
武田信玄は10月9日付の足利義昭の家臣、一色藤長宛の書状で「俺は朝倉義景が調停に乗り出すなら上杉謙信と和睦してもいいが、織田信長ならお断りする」旨を伝える。
つまり武田信玄は撤兵したと見せかけて織田信長を騙してその軍を徳川家康に向ける。さらに仲介人の織田信長の面目を完全に潰す書状を出す。
よほど信長はお怒りなのか、11月21日付の上杉謙信宛書状で「武田信玄は武士の風上にもおけない外道。二度とあいつとは手を結ばない」と伝えている。
どう見ても武田信玄が喧嘩売ってるでしょ。
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