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武田勝頼についてPart6

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0001武田信玄2018/06/19(火) 11:33:48.27ID:Wp2nkCuu
前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1527734172/
0342人間七七四年2018/07/14(土) 06:36:45.09ID:/142BRn+
>>341
当時の本願寺と上杉では、仮に組んでも織田には勝てないから。上杉はそもそも武田信玄没後に関東諸大名に対する対処に失敗してるし。
0343人間七七四年2018/07/14(土) 08:55:12.01ID:XYVqS5XH
謙信も1572の時点で信玄と組んで包囲網に参加してれば
景勝もあんなに苦労しなくて済んだかもしれんな
あの時点で謙信が中央情勢に干渉できない問題抱えてたっけ?
0344人間七七四年2018/07/14(土) 09:03:04.61ID:sjBpSa6d
勝頼は長篠を2〜3年待てば信長の援軍が来れずに徳川と一対一で戦えたのにな
0345人間七七四年2018/07/14(土) 09:35:34.42ID:sjBpSa6d
>>343
武田と北条が同盟を結ぶ

信長に焼き討ちに遭ったのを庇護し、信玄が仏法の庇護者となる

信玄が越後周辺の一向一揆を扇動する

一向一揆あいつらキチガイだわと謙信が嘆き、同意見だった信長と同盟

一向一揆を扇動する立場だった仏法の庇護者の信玄は西進しなければ
逆に一向一揆が返ってくるために無理を押して西進

信玄病死


信玄と謙信の同盟は無理だな
0346人間七七四年2018/07/14(土) 09:43:28.18ID:XYVqS5XH
なんてこった全部信玄のせいじゃないか
0347人間七七四年2018/07/14(土) 11:19:38.37ID:KK1giqOw
信玄が一向一揆を扇動する?
そりゃ、ねえみたいなキチのバカにデカイ顔されるはずだわ。。。
0348人間七七四年2018/07/14(土) 11:29:53.82ID:oLBU8lgI
西上作戦の時は越中の一向一揆と組んで謙信を牽制したのじゃなかったっけ
武田上杉が揃って西に出兵とか無理ってことよ
当時の上杉と本願寺は仲が悪いから越中や加賀は通れない
0349人間七七四年2018/07/14(土) 11:51:07.16ID:KK1giqOw
じゃあちゃんとそう書けば?
信玄と一向一揆も、本来は宗教的に敵対する者同士だからな。
謙信より信玄の方が、宗教的に柔軟(僧侶のくせに信仰心に欠ける)って事。
0350人間七七四年2018/07/14(土) 12:01:11.47ID:N7TBzRFP
信長は仏教徒には苛烈だったよな。
0351人間七七四年2018/07/14(土) 12:07:38.20ID:XYVqS5XH
ノブサマはああ見えて自分に逆らわなかった寺社仏閣には寄進もしてるし
0352人間七七四年2018/07/14(土) 12:57:16.49ID:N7TBzRFP
神道は迫害してないよな
熱田神宮に寄進した塀とか今も残ってるだろ
0353人間七七四年2018/07/14(土) 13:07:26.08ID:TAZZoF8C
信長に武力で対抗できる強力な神社がなかったからだろ

信長は世俗のことに宗教が口を挟むのを嫌っただけ
0354人間七七四年2018/07/14(土) 13:33:16.96ID:N7TBzRFP
信秀は爺ちゃんが散々仏教徒を虐めたせいで
高野山で復讐とばかりに坊主の散々虐められてすぐに死んじゃったんだよな。
0355人間七七四年2018/07/14(土) 13:38:03.94ID:WPHxsQVr
>>354
信秀?
信秀は流行病のはずだがな。42だから確かに和 若いが。
息子の信秀はいつ死んだか不明のはずだが。
0356人間七七四年2018/07/14(土) 13:43:24.88ID:N7TBzRFP
すまん。秀信だった
0357人間七七四年2018/07/14(土) 15:17:16.98ID:lirNeJ3J
秀信は信長の傾奇者のところとか真似しないでいい所ばかり真似して
関ヶ原の前哨戦では石田達が援軍来るまで岐阜城に籠城してれば余裕だったのに
わざわざ重臣の諫めも聞かずに野戦してボコられて岐阜城に籠城するも
野戦で兵力失ってて守り切れずに1日で落城
秀信が無能だったせいで西軍は勝機を失った
0358人間七七四年2018/07/14(土) 15:39:46.24ID:N7TBzRFP
有能ではないけど致し方なかったんじゃね?
名目上は美濃の国主だし秀信が籠城しちゃったら
美濃の小領主たち全員を裏切る事になってしまうから。
信長なら部下を裏切る事など日常茶飯事なので
なんの痛痒もなくそうしたけど。
0359人間七七四年2018/07/14(土) 15:52:44.70ID:WPHxsQVr
>>358
信長が部下を裏切る。
逆だろ。裏切られるほうだろ。
0360人間七七四年2018/07/14(土) 16:47:38.03ID:pDgOUo4T
信長は恥も外聞もなく生きるためなら逃げるのを躊躇しないのに
息子の信忠と孫の秀信は真逆の対応だな
0361人間七七四年2018/07/14(土) 17:46:38.18ID:5g3QKH19
>>360
父や祖父の武名が邪魔したな
信長自身は無頓着だったけど
0362人間七七四年2018/07/14(土) 18:43:52.99ID:N7TBzRFP
ベターな選択肢としては美濃の全ての領主に秀信が手紙を出して
「城を捨てて一緒に岐阜城に籠城してくれ」と頼むしかなかったのではなかろうか。
そんな手紙を出されてもほとんどの領主は困るので第三者を装って自城で籠城するか
東軍に付いてしまうのが半数は出るだろうけど、残り半数が岐阜城に馳せ参じてくれたら戦いようはあった。
0363人間七七四年2018/07/14(土) 18:49:35.80ID:WPHxsQVr
>>362
西軍が岐阜城に軍勢入れてない段階で負けてるよ。秀信の出撃は間違ってない。

西軍が兵力を岐阜と木曽川の北側に配置していたなら、分散していた西軍が来るまでの時間稼ぎや東軍に消耗を強いることは可能だった。
0364人間七七四年2018/07/14(土) 18:51:04.10ID:5g3QKH19
>>362
普通に籠城したらいいだけ
小領主を裏切ることになるから手紙出すとかわけわからん
0365人間七七四年2018/07/14(土) 18:52:45.33ID:5g3QKH19
>>363
最初から籠城してれば西軍の援軍もいずれ来るだろうし福島らも力攻めとかできなかったのじゃないか
0366人間七七四年2018/07/14(土) 18:55:22.52ID:N7TBzRFP
秀信の兵力って3000〜5000くらいだっけ?
数万の東軍がきたらひとたまりもない。
当座の兵力を稼ぐためにも近隣の小名、緒豪、黒人(美濃、尾張まで)に声掛けして
一兵でも多く籠城に参加してもらわんと。
0367人間七七四年2018/07/14(土) 19:11:09.77ID:WPHxsQVr
>>365
近江から美濃岐阜に駆けつけるなら、関ヶ原、大垣、長良川、揖斐川を越える必要がある。大垣は西軍だから問題ないが、福島らが岐阜城を取り囲んで別働隊が揖斐川か長良川押さえたらどうするの?
0368人間七七四年2018/07/14(土) 19:27:26.84ID:sjBpSa6d
>>349
君が何にも知らないからだろ
信玄が信長の焼き討ちにあった奴等を庇護して
それを使って扇動したのは間違いないんだから
0369人間七七四年2018/07/14(土) 19:31:44.47ID:sjBpSa6d
>>362
何か間違ってるが
大垣城も犬山城も籠城だったのに
岐阜城の秀信だけ野戦したという統制が取れてないから言われてたんだろうが
0370人間七七四年2018/07/14(土) 19:41:16.77ID:DeP4sW/q
秀信が籠城して西軍が後詰に成功すれば
家康も関東から動けずに終わってたかもしれんな
むしろ東海道から西軍が来る可能性が高まる
東軍の先鋒である福島達が壊滅したら家康は岡崎に1万くらい派遣してとりあえず籠城で時間稼ぎだろ

勝頼が生き残って太閤から甲斐信濃でも貰ってりゃなぁ
0371人間七七四年2018/07/14(土) 22:11:36.73ID:IvDwajqa
なんで岩櫃来てくれなかったし・・・
0372人間七七四年2018/07/15(日) 05:36:48.30ID:Y6i++O1Z
そんな縁もゆかりも無い場所に危機的状況で向かえってあまりにも酷やろ
落ち武者狩りにあってとても到達できんやろ
0373人間七七四年2018/07/15(日) 10:28:08.75ID:XZfA4EdJ
あくまで越後に逃げるための中継地点ならまだしもなぁ
0374人間七七四年2018/07/15(日) 12:00:43.48ID:jjZDgKo0
越後に逃げようにも上杉が受け入れてくれる余裕があるとも思えんしなぁ
0375人間七七四年2018/07/15(日) 12:40:22.07ID:NMJaREmb
>>367
>福島らが岐阜城を取り囲んで別働隊が揖斐川か長良川押さえたらどうするの?

長篠城に包囲軍をおいて戦力分散した勝頼みたいな考えだなw
別動隊なんて兵力が少なければ各個撃破されるだけじゃないか
0376人間七七四年2018/07/15(日) 12:45:04.98ID:cFjFtwFm
別に勝頼一行30人程度が来ても困らないだろ
越後に行くなら北条夫人は北条に返してるだろうし
0377人間七七四年2018/07/15(日) 13:15:35.07ID:Z2SGXwMr
>>375
川を渡河するのに、どれだけ犠牲払うつもりだよ。岐阜城包囲に1万数千、川に2万も配置されたら渡河は厳しいぞ。
0378人間七七四年2018/07/15(日) 15:29:35.45ID:VjAwEEcI
この板の住人って、なんでこんなスレチ好きなの?
0379人間七七四年2018/07/15(日) 16:05:03.18ID:0XvkkZiS
武将個人スレなんて話すことは限られる、まして勝頼の主立った活動期間は15年くらいだしな
関ヶ原や大坂陣といったスレなら参加した武将それぞれの話題に振れるから大きく外れることもないだろうが

勝頼の話に自分が戻せばいい
戻せる力ないなら戻るまで黙ってるが賢明
0380人間七七四年2018/07/15(日) 17:00:25.14ID:5DtI6eNN
IF
勝頼が北条夫人を北条に返して勝頼と信勝は越後に逃亡
越後で景勝と一緒に最後の戦いに臨もうと思っていた所で本能寺の変勃発
史実通り信長と信忠死亡

勝頼はどうする?
(状況)
景勝に兵1000を借りて北信から南下。森は美濃へ逃走。河尻は一揆で身動きが取れず北条は上野で滝川と対峙。
上野で北条が足止め食らってる間に勝頼は一気に甲斐に突入
旧武田家臣団は勝頼派と徳川派に分裂
約5000に膨れ上がった勝頼軍は甲斐で元武田家臣団の曽根、岡部の徳川先鋒部隊と激突
0381人間七七四年2018/07/15(日) 17:21:04.20ID:TcHS2nnY
>>285
甲陽軍鑑
安倍宗貞、木曾の説得を進言するも長坂釣閑斎が反対する
信豊を総大将に鳥居峠で激突し敗北

信長公記
今福昌和が大将として兵を率い、藪原側から鳥居峠へと進撃
苗木久兵衛(遠山友忠)父子が木曾軍に合流し、奈良井側から鳥居峠へと進撃
鳥居峠で両軍は激突し勝利
馬場昌房は深志城に籠り引き続き織田・木曾軍と対峙
この戦いで跡部治部丞、有賀備後守、笠井、笠原(これらは諏方関係者)ほか、40余りの将の首を取る

甲乱記
(昔信玄が木曾にしたように)正規軍を今福、側面を馬場で攻撃することで攻略を狙う
今福昌和を大将に諏方衆を中心とする兵3千騎は奈良井から鳥居峠へ向かう。
この地は狭く難所でかつ残雪が深く足場は極めて悪く一方で木曾は慣れている
先陣は善戦するも木曾方の別動隊が側面を突いて一気に武田方崩れ始めたところで
諏訪頼豊、諏訪頼忠、秋山紀伊守の軍が別ルートから援助にまわってきて再度持ち直す

その間、木曾の側面をつくはずの馬場昌房を大将とする深志衆は馬場が古畑、西牧を先鋒に派遣するもこの2人が木曾に内応
それを知った岩岡父子も見限り、彼らは反乱軍を結成
馬場昌房は鳥居峠に向かうことを断念し籠城する

今福ら諏方衆も敗北する

武田三代軍記
大将・武田典厩(信豊)、副将・神保冶部、3千の軍勢で木曽に向かい、鳥居峠で激突し敗北し兵を引く
これを受けて勝頼は馬場昌房、多田治部右衛門に深志城を守るよう指示し彼らは深志城で籠城する
0382人間七七四年2018/07/15(日) 17:34:07.14ID:jjZDgKo0
>>380
甲斐信濃の民衆は長篠以降の重税徴兵で勝頼を恨んでるから
1000人程度の兵を借りて来たところで蜂起した住人達に越後に叩き帰される
0383人間七七四年2018/07/15(日) 18:23:03.64ID:3nA6Meny
>>382
長篠以降にあれだけよく戦争したよな。
織田信長は岩村奪回後は西に傾注していたし、徳川家康だけなら高天神と二俣の守りを特に固めてその間に立て直しを図るべきだったのに。
0384人間七七四年2018/07/15(日) 20:17:12.63ID:NMJaREmb
>>377
頭が勝頼だなぁ
1万岐阜城に残して2万で長良川、揖斐川と広範囲に陣を敷くのか?
戦力分散したら敗けだって言ってんのにw
岐阜城まで最短で東に突っ切ってくるかもしれないし、関ヶ原北まで進んで回ってくるかもしれない
秀信だって東軍が木曽川をどこから渡ってくるか分からないから分散配置して陣を敷いた
そして負けた
そんな広範囲に布陣したら各個撃破だって言ってんだけどな
宇喜多などが合流すれば2万じゃ劣勢なのに
東軍はテレポートできる設定なのか?
0385人間七七四年2018/07/15(日) 20:56:56.59ID:6ghkZT7Y
>>382
甲斐は河尻に反乱起こしてるけど徳川の扇動説もあるね
0386人間七七四年2018/07/15(日) 22:58:37.17ID:3v09HIB9
もっと怪しいのは北条
実際にそれを疑わせる書状が残っていたと思う
0387人間七七四年2018/07/16(月) 13:34:05.41ID:FjTH/Q24
>>384
岐阜城まで最短で東に突っ切る。
どんなルートが他にあるんだ?
是非教えて下さい。
0388人間七七四年2018/07/16(月) 14:10:58.72ID:CRUoVeg4
河の大きさ
木曽川>>>長良川>揖斐川

木曽川は広く深いから渡河ポイントは限られ
そこで野戦築城すれば効果はある
揖斐川なんて川上のほうは中洲やら浅い場所なんていくらでもあるから
渡れる場所はいくらでもあるから意味がなかろう
渡河防衛を根本的に理解してないんだろう
0389人間七七四年2018/07/16(月) 15:44:42.97ID:oC7M4opF
岐阜城と高遠城って戦国史上トップレベルの駄目籠城戦だよな
0390人間七七四年2018/07/16(月) 17:10:57.76ID:oZV3V0Ur
西軍も東軍も前政権の嫡孫をこの機に乗じて消しときたかったとか
秀信にそんな勝ち無いかあ〜
0391人間七七四年2018/07/16(月) 18:15:28.62ID:X1rHktPn
岐阜も高遠も城の弱点知ってる奴が敵側にいて
一日で落とされたという共通点があるな
0392人間七七四年2018/07/17(火) 12:36:23.58ID:uB6v3AYQ
>>391
間違ってはいないけど、落城の決定的要因は別だろう。
城の内情を知る者が攻城側にいる理由が致命的。
岐阜城・旧稲葉山城は名城と言われているが、よく落とされている。
道三、義龍、信長、信忠が城主の時は難攻不落。
龍興、信孝、信秀の時に落城or開城。
…こうして見ると、知名度の割に、義龍は信長相手に健闘している。
0393人間七七四年2018/07/17(火) 12:56:22.22ID:vCZBYbQX
信長は本能寺までは運が良すぎたな
義龍、信玄、謙信が死んでくれたのは運が良すぎる
その分一気に本能寺でツケ回ってきたけど
0394人間七七四年2018/07/17(火) 13:02:54.55ID:zkTkzukI
運を物にするのも実力ですよ(´・ω・`)
信玄は北信濃と駿河に時間掛けすぎて自業自得(というか信長の運に相乗りしてるし)
謙信も無駄に関東に出ていってタイムオーバー

両者とも後継者の選定にあとを濁して大問題引き起こしてるし
0395人間七七四年2018/07/17(火) 13:39:01.08ID:UKLK2Vky
岐阜はここ落とさないと美濃支配出来ないから、何が何でも落とそうとするってのと、
兵力が足りなきゃ普通に守りきれないって感じじゃ。
0396人間七七四年2018/07/17(火) 13:58:13.53ID:kAvdB06g
>>392
その難攻不落勢が城主の時に攻められたことってあったっけ?
0397人間七七四年2018/07/17(火) 14:52:04.21ID:UKLK2Vky
>>396
道三時代だけあるな
0398人間七七四年2018/07/17(火) 15:21:12.03ID:BEUhFSs8
新府城を勝頼が放棄したのも城の規模に対して手勢が1000名程度だったからと言われてるな
極端な話大阪城を5000名では守れないようなもんだな
0399人間七七四年2018/07/17(火) 15:36:57.81ID:i7PHMOK9
義龍が城主だったとき信長は尾張統一もしてないし今川と戦ってたしな
氏真が松平を敵と認識したのが1561年4月だから、信長が東方に意識しなくてすんだのもその時期からと言える
さあこれから尾張北部と美濃に全力入れようってときに義龍はくたばった
0400人間七七四年2018/07/17(火) 16:04:15.89ID:kAvdB06g
義龍・信玄・謙信らは本格抗争開始前後に病死
毛利も元就が元気にもっと長生きしてたら強的だったろうし信長は強運だな
0401人間七七四年2018/07/17(火) 17:10:49.05ID:nQdFcpCi
>>399
信玄は行き当たりばったりと非難されることがあるが信長も義龍が死んだから北上したって面もあるな
義龍が死んだから三河との同盟に本腰になったのかもしれんし
0402人間七七四年2018/07/17(火) 19:11:59.29ID:P3gTtOoi
>>401
全否定はしないが信長の場合、斎藤とはその数年前から敵対関係だからなあ
(しかも友好関係を放棄したのは斎藤側)
一方信玄は諸説あるけどギリギリまで今川とは友好関係だった上に、
上杉という外交的にももめない侵攻先があったから一緒にはしにくいよ
まあ謙信倒すのがほぼ無理ゲーではあるのだが
0403人間七七四年2018/07/17(火) 19:33:01.71ID:nQdFcpCi
三河が今川傘下のままなら斉藤龍興と講和して東進という線もあったかもな
0404人間七七四年2018/07/17(火) 19:45:43.51ID:wxJVPjCQ
信長は運というけど長篠レベルの大損害が出る戦いはしないし
ピンチになったら朝廷や将軍義昭の力を使って停戦交渉
信玄や謙信には貢ぎ物で気分を良くしたり外交をフルに使ってるからな
織田当主が勝頼だったら即滅んでる
0405人間七七四年2018/07/17(火) 20:07:51.83ID:YNyXvHQp
>>404
運を生かす力の差だね。
朝倉義景は運に恵まれたけど生かす力がなかった。織田信長は運を最大限生かした。
0406人間七七四年2018/07/17(火) 20:11:42.08ID:l/HWD9a3
信長は使えるものは何でも使うし、使えるものの使い方を知っている
そのために義昭を担いだし
京を抑えることが何より重要だから上洛を急いだ
0407人間七七四年2018/07/17(火) 21:21:13.79ID:hc68wFuL
義景も無理して志賀の陣で京都進撃すればどうなったかわからんよ?
一時期だけでも京都抑えれたかもしれん
0408人間七七四年2018/07/17(火) 21:31:35.38ID:l/HWD9a3
義景に信長ほどの先見の明があったら
天下統一していたのは義景だったと思うよ

義昭がわざわざ来てくれたんだもん
0409人間七七四年2018/07/18(水) 12:38:56.70ID:sE/WmHOj
>>408
朝倉義景な。後世の後知恵だが、宗滴の背中を見て思うところは無かったのか?
武田勝頼が羨むほどの運と力があった筈。
0410人間七七四年2018/07/18(水) 13:31:47.55ID:qbhYFwJN
継体天皇が越前から大和王権滅亡させて乗っ取ったくらいだから
越前は畿内から近い割りに案外中央政権から束縛されずに力を蓄えられる
独特のポジションなんだろうな
近江の浅井も臣従させてたし
0411人間七七四年2018/07/18(水) 14:37:09.92ID:VV84hofP
>>409
宗滴が何でも自分でやり過ぎなんだよ。
80歳になっても現役だし。
義景に経験積ませるために、自分は補佐に徹して義景を戦場に叩き込むべきだったわ。
0412人間七七四年2018/07/18(水) 16:14:44.28ID:m2F9Y8VE
>>408
将軍が来て、畿内の抗争に巻き込まれるのを嫌ったんだろ
当然の選択だ
0413人間七七四年2018/07/18(水) 16:44:04.25ID:80/+g+P5
>>412
孝景や氏景は自分から畿内の抗争に首を突っ込んでいたけどな。義景はそういう経験してないから、あんなに惰弱になったんかな?
0414人間七七四年2018/07/18(水) 17:22:26.48ID:rGyEzYiA
>>412
義昭を引き留めなかったことと信長の上洛要請を拒否したことは失策だったわ
三好みたいに一過性の政権で終わると踏んだのだろうけど
信長が地盤を固めるうえで徳川以外の同盟国は無いほうがよかったのかもしれんけど
0415人間七七四年2018/07/18(水) 21:33:30.06ID:m2F9Y8VE
>>413-414
孝景はそれを利用して越前を領国にしたわけで
既に越前で安定してる義景が、危険に晒してまで義昭に協力するメリットはないよ
0416人間七七四年2018/07/19(木) 01:05:48.25ID:1VRUQXcv
>>414
如何も、織田と朝倉は先祖代々の因縁が有って宿敵同士だったみたいなんだよ。
元々管領の斯波氏の領地は越前と尾張なんだけど、何方かと言うと越前の方が本国だったみたい。
応仁の乱の時、越前は守護代の甲斐氏が守ってたんだけど、敵方に寝返った朝倉氏に負けて
しまうんだよ。
そんで政治工作で越前の正式な守護に任命されて下剋上をはたす。

斯波氏は尾張に逃亡して、その時に元々越前の豪族だった織田氏もお供したと。
だから、織田氏主観では主君を越前から追い出した逆臣の家柄が朝倉氏。

逆に朝倉氏主観で此方は越前の正式な守護、織田氏は尾張守護代で家格が
全然違うとね。

まあ、そういう経緯だから織田に頭下げるのは屈辱だろうね。
0417人間七七四年2018/07/19(木) 01:05:57.10ID:vIYoxrXX
>>414
大内細川三好と畿内抑えたはいいが結局京放棄したり衰退したりしてるし
斯波や畠山一色武田も将軍家と関わってるうちに本国の方が疎かになって衰退してる
これから下剋上するならともかく既に国のトップならメリット薄い

信長だって一時は京放棄しそうになったり、大内細川三好みたいに包囲網作られて大変な目に遭ってるし
0418人間七七四年2018/07/19(木) 01:08:07.20ID:vIYoxrXX
間違えた
上のは>>413宛です
0419人間七七四年2018/07/19(木) 02:02:01.34ID:LOvcTJEZ
朝倉家は宗滴があまりに名将過ぎたから
彼が亡くなった後、少しずつ落ち目に
なってくんだよね。
加えて義景のあまりに消極的なやり方に
呆れて朝倉家内部のゴタゴタが絶え間なく
繰り返されている。
朝倉家の人材不足もあるけど、あまりに
宗滴1人に頼り過ぎたつけが出たような
感じだったわな。
浅井が織田を切ったのも朝倉宗滴が
浅井と六角の中に入ってうまくやった
のもあっただろう。
その頃の朝倉家にとって織田家は明らかに
格下だったから。
しかしそれから三年経って肝心の宗滴が
いなくなり、織田信長の台頭。
戦うか降伏が二つに一つ。
義景は降伏はあり得ないが攻めてきたら
迎えうつというあまりに消極的な
やり方をして滅亡に突き進んだ。
0420人間七七四年2018/07/19(木) 02:09:20.27ID:LGsnIzJD
信玄や太原雪斎と軍事外交できる奴が死んだ後に家が滅ぶのはよくあること
0421人間七七四年2018/07/19(木) 05:26:29.95ID:G+JIA0us
朝倉宗滴が生きていて、織田信長と戦ったらどうなったかを見たいな。朝倉義景が率いる朝倉軍と、宗滴が率いる朝倉軍では全然違うだろうから。
0422人間七七四年2018/07/19(木) 07:10:30.48ID:FucZOr0q
>>420
信玄の外交?これ笑うところかな?
0423人間七七四年2018/07/19(木) 09:47:21.87ID:LGsnIzJD
>>422
軍事外交と一括りにしているのになぜ外交だけ?
まあ信玄は信長が動けない信長包囲網に乗じて攻めているだけ勝頼より数倍マシですよ
と言うか信玄亡き後に重臣含めて大局で戦略や外交できる奴が一人もいなかったんだよな
0424人間七七四年2018/07/19(木) 10:57:04.24ID:MpVxhUDs
>>423
信玄が全部1人でやってたからな晩年は。
甲陽軍鑑でも信玄の決断が絶対で、勝頼にさえ関与させてないとあるし。
勝頼は信玄から全然当主としてのあり方や帝王学を受けてないから、大局なんか無理ありすぎ。
0425人間七七四年2018/07/19(木) 11:29:57.57ID:LGsnIzJD
>>424
山県や馬場らが存命でも信玄亡き後の大局を見れてないのもアレだよな
山県や馬場らは手駒としては優秀だが大局は信玄頼りだったのか
甲陽軍鑑通り勝頼がダメすぎたのか
0426人間七七四年2018/07/19(木) 11:54:35.23ID:MpVxhUDs
>>425
というか、信玄がおかしいとしか言えない。
三条氏が生きていて遠慮があったから1570年までは勝頼に関与させなかったのはまだ理解できる。
しかし三条氏が死去した後まで、勝頼に内政や中枢に関与させない、権力を移譲しないとあまりに異常な行動をしている。

勝頼は当主として何の経験も、有力な藩屏も持たずにいきなり当主になったから、これでは大局なんか見れないよ。
0427人間七七四年2018/07/19(木) 14:58:13.84ID:y06HweNI
勝頼の御館の乱での決断に、異論も反発も見られない時点で
武田の家臣団が外交に明るいとは思えんなあ
つーか、勝頼の代になってから外交の主導権まるで握れてないよね、武田家
0428人間七七四年2018/07/19(木) 15:26:31.60ID:x1WpXyZt
御舘については北条が上野で満足して三国峠越えようとしないのと
徳川が遠江で暴れ出したので撤退の必要があり、追撃食らう可能性を考えると講和するしかなかった
上杉が黄金渡したって話はどこまで本当か知らんが
武田と戦う意思がないことを示すうえで奥信濃の割譲は仕方ないだろう
どーせもう武田に抑えられてるので取り返すなら戦うしかないけど
そんな余裕が上杉にあるわけもない
だから武田としては領土も獲得したし北の脅威もなくなったので
これからは徳川との遠江に兵力を集中できるという意味で上杉との講和に反対する奴はいなかっただろうと推察する
まるでやる気がなかった北条と手切れする可能性はこの時点ではほとんど考慮されてないだろう
0429人間七七四年2018/07/19(木) 15:50:31.27ID:aHY+C4KM
北条と手切れは最悪な事態と言うけど景虎勝たせても北条もろとも織田に降ったらもっと最悪なのよね
0430人間七七四年2018/07/19(木) 19:09:40.10ID:AvJNNO1O
どう動こうが北条に主導権を完全に握られてる時点で…
じゃあどうすりゃいいんだよって言われると困るが
0431人間七七四年2018/07/19(木) 19:23:09.09ID:r2dM75lD
まあその決断はやむを得ないわな。
そもそも当事者である北条が出て来ない
時点で動き辛いから。
それに他国の内乱に干渉したくないと思うのは
当然の考え。
滅ぼしてしまったら骨の髄まで恨まれる
武田を滅ぼした織田家にしても信長が
死んだどさくさに紛れ甲斐にいた川尻
秀隆が殺されている。
北条が出て来ないのを確認して、勝頼は
中立を宣言する。
そのまま春日山まで行き両者の停戦を
結ぶ。
そうして景虎にしばらく時間を稼いで
もらってあわよくば北条の支援を
得ることを期待したんだと思う。
しかし武田が去ったあと、このタイミングを
待っていた景勝は一気に責めて景虎を
殺してしまう。
救援するタイミングを逃して悔しがった
北条は景虎の敗死を武田の責任にした。
武田にしてみたらとんだトバッチリだが、
状況からして北条に心中するか、独立した
道を歩むかの選択を迫られ、独立の道を
進んだ。
両者が力が拮抗した状況なら当然の決断
だが、武田は力が落ちていたので上杉にも
北条にもなめられ、結果いいように利用された
と考えられる。
武田にとっては非常に不運な上杉家の内乱で
あり、長篠で勢力を失った武田家はこれを
うまく乗りきれなかったのは極当然とも
言える。
0432人間七七四年2018/07/19(木) 20:36:50.88ID:LGsnIzJD
>>426
信長や家康も十代で家督継いでるんだからまともな経験はないぞ
信玄だって信虎に不遇な目に逢わされてたから21歳ぐらいで無理矢理家督奪取するし
28歳で家督を継いだなら年齢としては相応
十代で家督継がされるよりは戦場経験もあるだろう
0433人間七七四年2018/07/19(木) 20:51:48.34ID:LGsnIzJD
そもそも秀吉なんざ農民出身でまともな大名としての教育なんざ最初から受けてないんだから
28歳までに何も教育を受けてないという言い訳されても城主経験や信玄に従軍して戦場経験は積んでるんだからな
秀吉子飼いの奴等も戦場で功を挙げて出世して大名になってるんだからな
0434人間七七四年2018/07/19(木) 22:17:32.75ID:kFLrtDWN
武田滅亡の遠因は長篠の大敗だけど
決定的な原因は謙信が死んだことであるのは間違いないな
0435人間七七四年2018/07/19(木) 22:31:58.55ID:CpLrIJa6
>>421
爺さんだって一度は朝倉の当主を狙った男だぞ
信長に付くことも十分にありえるな
0436人間七七四年2018/07/19(木) 23:06:28.37ID:uBqfpVsl
信玄は勝頼に見切りをつけてたんやろうね。
理由は勝頼が、単身で敵に突っ込んでいく
ことがあったから。
大将であり次期当主なのに自覚がないというか
向こう見ずというか・・・
諌めてはいたけれど、元々諏訪家を継がせたのもあって、信用出来る重臣を置いたりすることが出来なかった。
取り敢えず次の信勝までの繋ぎ程度の位置でしかなく、勝頼を中心に周りの歴戦の敵に戦いを
仕掛けることは、滅亡にもつながるから、
まずは守りを固めその後上方で動きがあれば
一度は京都に出よ。
って感じだと思うな。
長篠の後も大将なのに石垣を登ったり、やはり
勝頼は大将の器ではなかったんだろう。
特に親類衆から下に見られていて、その屈辱を
晴らすには戦って勝つしかなかった・・・
0437人間七七四年2018/07/19(木) 23:07:39.53ID:HdY+0vG9
石垣登ったw
なんだそれは
0438人間七七四年2018/07/19(木) 23:33:16.69ID:CpLrIJa6
信玄の息子で正式な武田家当主なのに他の親類衆から下に見られるなんてあるわけがないわ
0439人間七七四年2018/07/20(金) 00:33:38.60ID:zl7V+iOU
井伊直政は軍団指揮は重臣に任せて単身突撃タイプだったけど
調略や外交交渉もできるタイプでもあったな
すぐに家臣を無礼討ちするから人斬り兵部と呼ばれていたが
0440人間七七四年2018/07/20(金) 00:35:38.88ID:SB1CaE0X
>>421
あの朝倉義景ですら信長に天下は朝倉さんが
取ったらいいよ
って超低姿勢になるまで追い込んだわけだから
宗滴相手ならもっと厳しい状況になっただろう。
肩書きにびびって信長配下の雑魚が腰引けてしまいそうだしね。
まあ実際もし生きてたら信長はめっちゃ低姿勢
になって、それこそ天下二分くらいの条件まで
出して直接対決を交わしたんでないか?
そうこうしてる間に死んでくれたらもうけものって感じで。
まあ朝倉宗滴が足利将軍から上洛の依頼受けてどうゆう対応取るかてのはあるけど、多分引き受けただろうから、京都に最初に上がるのは
朝倉家だったかも・・・
そうなったら歴史は当然変わる。
まあもしもの話で実際は信長はとことん強運だったから。
ついでにちょっと話は変わるけど信長が上洛する以前に、将軍家の依頼を受けて波多野氏が
八千の軍勢を率いて京都の守備のために上洛
したことがあったんだと。
その時の波多野氏の心境はどんなだったろう?
まあちょっとした達成感があったと思うな。
まさかその数年後に尾張の当時名もない織田信長に殺されるとは夢にも思わないだろう。
何か胸熱・・・
0441人間七七四年2018/07/20(金) 01:08:33.45ID:841q4ff1
箕輪城攻めかなんかで勝頼が先頭に立って城に突っ込んだって話があるみたいだけど
それはまぁ若いし武功もないから周りを納得させるためにやらざるを得なかっただけじゃないの?
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