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武田勝頼についてPart6

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001武田信玄2018/06/19(火) 11:33:48.27ID:Wp2nkCuu
前スレ
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1527734172/
0123人間七七四年2018/06/27(水) 03:54:31.69ID:6/xNtjqZ
3万もいるとは思わなかった、というのがしっくりくるかな
まさかのバカ説
0124人間七七四年2018/06/27(水) 06:47:36.84ID:naNaqTz2
このスレ、気をつけてね。
そろそろ別の武田スレが容量オーバーを迎えそう。
あれが使えなくなったら、こっちに流れてくる可能性あるから。
0125人間七七四年2018/06/27(水) 09:15:42.08ID:qx5YZ8Om
>>124
一応あのスレで最初に湧いたのが107、そんで今492で容量オーバーが心配される事態。
500も行って無いのに、あれ一人で潰してるからなあ...
溜息しか出ないよ。
0126人間七七四年2018/06/27(水) 16:31:41.57ID:jFbaHEMJ
>>123
そういう説唱えてる人もいるよね
丘の後ろに主力を隠してたから勝頼が兵力を見誤ったってやつ
もしこれ事実なら山県、馬場、内藤という武田の名将も全員騙されたってことになるから
武田軍の底が知れるよなぁ
0127人間七七四年2018/06/27(水) 16:35:52.19ID:3/PvqZYT
馬場ほか「兵力わからないから決戦やめるべきです」
勝頼「うるさい、いくつになっても死ぬのは怖いのか」
0128人間七七四年2018/06/27(水) 18:53:11.58ID:rIDtX5aB
>>119が事実なら信長も野戦築城を使えなかったらやりたくないと思ってたということになる
必ず負けるとまでは思ってなかったとしても勝率や損害を考えてだろうけど
0129人間七七四年2018/06/27(水) 19:38:30.61ID:/7P6piwE
ルワンダ虐殺
死亡者数:117万4000人
期間:約100日
1日の死亡者数約1万人

長篠の戦い
武田の死亡者数約1万人
期間:約1日(約24時間〜36時間程度)

武田軍は無抵抗の民間人レベルで貧弱でありますな。
0130人間七七四年2018/06/27(水) 19:46:07.42ID:tnYZl+Pd
>>129
数には色々な説がある。
1万はさすがに水増し。
ただし、5000くらいは死んだかもしれない。
そもそも幹部クラスの死亡者が記録で確認できるなら100人以上。
1万はあるいは死亡者と行方不明者を加えた数なのかな?
0131人間七七四年2018/06/27(水) 19:46:14.02ID:R1gdXPbn
山中城攻めで半日の間に数千を戦死させた豊臣軍も貧弱だな
0132人間七七四年2018/06/27(水) 20:16:45.70ID:tnYZl+Pd
死んだと言っても、武田軍は潰走して軍としての組織を成してない。そもそも勝頼からして、菅沼定忠が助けてくれなければ、三河の山中で遭難して首をとられたかもしれない。

1万は戦死者と、敗走中に餓死したり遭難したり、落ち武者狩りにあったりとかが含まれるんじゃないのか?
0133人間七七四年2018/06/27(水) 21:19:29.14ID:+7yht7Vl
それでも一万はちょっとな

戦死は普通は戦わない大名の兵力や一門衆の方は被害はほとんどないとして
実際に戦場でよく戦う先方衆とか中心にほぼ全滅したとすれば
戦後子供老人動員してるというのも先方衆で
戦場でまず見るのは先方衆だから子供老人ばかりに見えたとか
0134人間七七四年2018/06/27(水) 21:32:52.01ID:5FfVvdVx
はっきりしてることは元々1万5000で精鋭だけ連れて来てたところで
更に精鋭の勇猛果敢な兵士がほぼ壊滅したということだろうな
その後の武田軍が火力重視で鉄砲装備率上げたりしてるし
白兵戦で敵を蹴散らすための勇猛果敢な武将と兵士を軒並み失ったんだろう
実際長篠後はそれまで圧倒してた徳川相手に完全に劣勢だし
0135人間七七四年2018/06/27(水) 23:06:11.36ID:CGNA+xSi
倍以上の兵力は予想できたかもしれないから
精鋭だけだから勝てると思ったのかもしれないね。
だとしたら、敗因は鉄砲ですな。
いくら強くても鉄砲にはかなわない。
0136人間七七四年2018/06/27(水) 23:10:58.74ID:CGNA+xSi
倍以上の兵力は予想できたかもしれないから
精鋭だけだから勝てると思ったのかもしれないね。
だとしたら、敗因は鉄砲ですな。
いくら強くても鉄砲にはかなわない。
0137人間七七四年2018/06/27(水) 23:49:02.81ID:5FfVvdVx
まぁ実際は戦場に居たのはほぼ3倍だから
普通の合戦でも最終的には押しつぶされたと思うんだけどね
織田も徳川もほぼオールスターの陣容だし
0138人間七七四年2018/06/28(木) 00:29:45.17ID:EgjlqspQ
まだ1万人論争してたのかよ
おまえら1万人が好きだなぁ
0139人間七七四年2018/06/28(木) 14:27:16.03ID:o2h/kthL
1万人死んだってごく少数の人が言い張ってるだけだと思うが
0140人間七七四年2018/06/28(木) 14:50:13.37ID:0/4gNT9k
ゲーム脳なら1万人死亡も信じてしまうやろ
0141人間七七四年2018/06/28(木) 15:35:37.49ID:XpUQuQSY
人間はいいけどお馬さんが死んだのが許せないね
見てみろよあのつぶらな瞳を
0142人間七七四年2018/06/28(木) 20:57:26.46ID:OUFcOSJb
俺が1万人死者数の根拠を計算してみた。
まず武田勝頼が率いた軍勢は当初
1万7千人〜余。
最初に長篠城攻撃により千人の死者が出る。
田楽ケ原に向かうため鳶の巣山砦に
約千人、そして長篠城周辺に7百ほどおく。
残り総勢1万5千人〜田楽ケ原へ
勝頼本隊及び殿の穴山等約5千人
主力1万をもって織田徳川連合軍を攻撃
昼過ぎたあたり攻勢する力を失う
一般に攻撃部隊の3割を失うと攻勢の
力を失うと言われているため、
この時点で死者3千人と考えられる。
その少し前に勝頼が全線の兵力を補うため
2千人を本隊から増強する。
死者数3千人超えたあたりで敵の総攻撃始まる。
勝頼の増援と殿の馬場隊の被害は
おそらく7割以上ではないか?
残りの7千人プラス勝頼増援の2千人
合わせて9千人のうち半数が長篠で討ち死に
または退却中の討ち死に(少なくとも4千人)。
3千人プラス4千人プラス最初の1千人
もう1つ鳶の巣山部隊の玉砕と長篠城おさえ
の部隊の死者数合わせて1千3百
トータルすると9千3百人
残りは穴山等殿部隊や勝頼の本隊が
退却時の死者数少なくとも7百
やっぱり一万人逝ってるわ・・・
0143人間七七四年2018/06/28(木) 21:08:44.65ID:AUU8JI/d
じゃあ武田家はすぐに滅亡したんですね
0144人間七七四年2018/06/28(木) 21:43:51.31ID:L0DoLhDp
負傷者は死者の何倍にもなるってわかってるか?
長篠城攻めで1000人死んでたら撤退してるわ
0145人間七七四年2018/06/28(木) 22:07:39.56ID:OUFcOSJb
>>144
状況にもよるから
負傷しても難なく帰国出来るならともかく
軽傷でない限りは留まって戦って死んだ人が
多かった。
単純に負傷者数が死者数の倍とかには
ならない。
あと長篠城攻めでの死者数が予想以上に
多く力攻めで落とすか引き上げるかで
紛糾している。
勝頼が長篠をすてて正面突破に決めたけど
それはほとんどの重臣の反対を押しきって
のことだった。
そこで馬場が二度の力攻めで千人の死者が
出るのを覚悟でまず城を落とすべきだと
進言した。
0146人間七七四年2018/06/28(木) 22:30:03.40ID:OUFcOSJb
ある資料では無事国に帰れたのは
3千人程度ともある。
途中で死んだか行方不明になったか?
まあでも主だった重臣もほとんど死ん
でるし、酷い敗戦なのは間違いない。
0147人間七七四年2018/06/28(木) 23:04:19.43ID:f/mHSpMY
重傷で動けなくて捕虜になった奴も結構いるだろうね
武田軍団が半壊どころか全壊したのは間違いない
雑兵1万人より指揮官や分隊長クラスが壊滅する方が痛いもんな
0148人間七七四年2018/06/29(金) 00:14:20.26ID:Sr2B/zQE
孫子だったかな。
三軍は得やすく、一将は得難し。

武田は三軍も将も失った。
事実上壊滅だよな。
0149人間七七四年2018/06/29(金) 00:27:49.24ID:7G96D2S5
そこから建て直して北条相手なら優勢だったんだから
勝頼は並み以上の大将だったのは間違いない
0150人間七七四年2018/06/29(金) 00:36:28.24ID:Sr2B/zQE
>>149
北条相手に優勢と言っても、上野戦線だけ。
相模、伊豆戦線は今ひとつだし。
何よりも長篠以前は押しまくっていた徳川相手に押される一方だったから。
0151人間七七四年2018/06/29(金) 01:12:31.98ID:rLtLJ4tl
そもそも北条の主力と戦ってないだろうに
0152人間七七四年2018/06/29(金) 01:18:25.03ID:1QLrPH/i
北条って大軍を編成する能力には長けてたけど
基本的に軍勢は弱かったよね。
川越合戦以降は数攻めでしか勝ってなくね?
0153人間七七四年2018/06/29(金) 01:26:07.38ID:7G96D2S5
滝川も上野に来て3か月しか経ってないのに
上野の兵で3倍以上の北条氏直を一度は撃退してるしな
0154人間七七四年2018/06/29(金) 01:37:43.33ID:1QLrPH/i
北条の軍勢って小豪族を脅してかき集め
親族衆に小分けにして預け編成するから
数だけ見ると数万人という凄まじい兵力だけど
兵士たちは「北条のために死す!」なんて健気な事を考えてたわけでなく
いかに戦うふりをして逃げるかばかり考えてたから強いわけがないんだよね。
0155人間七七四年2018/06/29(金) 02:43:30.08ID:W6W7Io4c
>>145
その馬場の進言なら1000人の死者が出るような力攻めはしてなかったってことじゃねえの
なるべく損害抑えて城攻めをしてたら落ちないわ被害は出るわだったのでは
0156人間七七四年2018/06/29(金) 02:45:55.87ID:W6W7Io4c
>>154
御館の乱では役に立たず真田の城も落とせず半分以下の徳川相手に甲信放棄で和睦するのが北条軍
0157人間七七四年2018/06/29(金) 02:51:24.99ID:q+ayWXpT
>>156
小田原征伐もまともに戦ったのは山中と韮山、鉢形くらいで、後は自落だしな。だらしないと言われれば確かに。
0158人間七七四年2018/06/29(金) 03:01:26.87ID:W6W7Io4c
>>152
北条が大軍編成に長けてたというより関東がそういう土壌なのかも
川越攻めや謙信の小田原攻めでも大軍が集まったし
徳川が入ったあとも旗本八万騎と呼ばれる威容は誇るも実戦で武威を示したことは無し
0159人間七七四年2018/06/29(金) 08:39:47.58ID:K4CJ3xXU
天正壬午の乱の徳川の兵力はなんか過少な気がするな
3か国持ってて西はノーガードでOKなのに甲斐に投入した主力は7000って
駿河で東の北条に備えるために兵力残置したとしても
甲斐の元武田の豪族もはせ参じてたし最低でも1万5000くらいはいないとおかしい
0160人間七七四年2018/06/29(金) 14:19:20.59ID:m54OWKAw
>>150
いや、武田の攻勢に対して氏政はこのままでは当家滅亡的なことを言ってるし、実態はどうあれメンタル的にはかなり追い詰められていたと思うよ
それによって織田に従属する決断に至ったわけだし
0161人間七七四年2018/06/29(金) 16:26:58.82ID:aPSLQ9cr
織田に従属?w
0162人間七七四年2018/06/29(金) 17:22:09.86ID:m9xPcKHj
北条もあのまま織田が天下統一してたら北畠コースか
追い込まれて踏みつぶされるかのどちらかだったろうな
0163人間七七四年2018/06/29(金) 18:17:13.92ID:zsbCVz5F
>>160
本能寺の影響で情勢は不安定だろうし武田がやったように信濃からは徳川領全てに攻め込める
ノーガードで東に集中とか無理だろ
0164人間七七四年2018/06/29(金) 18:43:35.24ID:m9xPcKHj
北条も滅亡してるから家康に良い様に書かれてるよなぁ
0165人間七七四年2018/06/29(金) 19:03:24.46ID:5AwQpYiM
>>160
死に体の武田に押しまくられる程、氏政氏直親子が無能だったとも取れる訳で
御館も上手い事やれば関東管領家と越後一国を傀儡にできたのに何もできずに景虎見殺しだし
氏康だったらもっと手を打ってたと思うがな
0166人間七七四年2018/06/29(金) 19:58:12.51ID:1QLrPH/i
徳川が甲斐・信濃戦線に北条ほどの兵を送れなかったのは当たり前だよ。
信長死亡で徳川本国ですら一揆が多発して家康自身が死んでも少しもおかしくない状況だったから。
あの状況で一向一揆や国人の反乱を抑えて、なおかつ北条を敵に回して甲斐と信濃を獲るなんて
奇跡以外のなにものでもない。 チョンがドイツ代表を破るよりミラクルな事をした。
0167人間七七四年2018/06/29(金) 20:32:15.87ID:JdKslDW3
上野で優勢と言っても、実際には北条が御館のどさくさで占拠していた上杉領が離反しただけなんだよな
由良まで離反した時は北条もパニクッタけどすぐ帰参したし
0168人間七七四年2018/06/30(土) 00:20:51.61ID:ZkAHfKD3
離反しただけって言い方も凄いな
それこそが優勢と言うんだけどな
0169人間七七四年2018/06/30(土) 00:31:05.58ID:Iv4dJHYR
>>166
畿内でも家康が殺されたとか情報が錯綜してるからな、徳川領国も大混乱だったろう
0170人間七七四年2018/06/30(土) 00:32:10.22ID:/IoZ6zOJ
上杉方だったのが宙ぶらりんになっただけで北条から奪ったというとかなり語弊がある
0171人間七七四年2018/06/30(土) 00:39:14.89ID:EdLyQDdy
東上野は御舘の乱が始まってから北条が押さえてるよ
それを宙ぶらりんとか景勝が武田に割譲したとかよくわからん話があるけど
そもそも事実上領有して無い物譲られてもな
あの話も勝頼は強欲で金と領土で景勝に丸め込まれたとしたい後世の創作だと思うけどな
勝頼は武田滅亡させて死んでるし子孫もいないので罪おっかぶせるには最適だから
0172人間七七四年2018/06/30(土) 04:03:46.30ID:RxMvhTiU
そう考えると這い蹲ってでも生き残り嫡流を残す事が如何に重要か分かる気がするな
死んじまって子孫も残せないと名誉も名声も簡単に奪われ謂れのない誹りを受けても抗議もできない
0173人間七七四年2018/06/30(土) 04:36:14.48ID:Iv4dJHYR
北条は武田と佐竹その他北関東連合と同時に戦闘中だからな
武田は上杉とは同盟、織田とは小康状態で佐竹と組んで上野では北条には有利に進めてたね

でも北条に全力注いでるので北条以下の勢力である徳川には侵食されてる
北条と徳川の同盟で本国甲斐も北条に攻め込まれ、駿河は劣勢

北条と関係の深かった小山田信茂と、駿河で半ば見捨てられてる穴山梅雪の心境やいかに
彼らが勝頼を見捨てる伏線はあるんだよな
0174人間七七四年2018/06/30(土) 06:53:24.60ID:s52f5G2l
>>172
ただ生き残ればそれでいい、って訳でもないがな。
織田信雄とか、有楽の評判とかひどいもんだし。
逆に清水宗治とか「人は死して名を残す」という言葉がこれほど当てはまる人もいない。
0175人間七七四年2018/06/30(土) 08:04:07.08ID:0u+kKqyY
>>174
清水宗治も、仔細に検討すると其れなりに乱世の武将だしなあ?
記録が混乱してるけど、元々この地方の覇者は三村氏で、その有力家臣の石川氏の家老って
立場だし。
毛利が三村氏を滅ぼす過程で、この人が如何やって高松城主に成り上がったかは謎だし?
石川一族の娘貰ってたらしいけど、主君筋の三村が毛利に滅ぼされてるしね?
個人的に、小早川隆景に心酔してたらしいけど、前半生は正直疑問なんだよな?

この辺の謎は、高山右近とかに近いかも知れん?
高山氏も、元は松永弾正に仕えてたらしいし、和田惟正の家臣だった事も有るみたいだし、
良く知られてる様に、荒木村重も裏切った。
宗教に救い求める程、乱世の武将だった可能性も有る。
0176人間七七四年2018/06/30(土) 08:17:38.68ID:RxMvhTiU
>>174
織田の子孫たちはそういう酷評に対して何も抗弁しなかったのかな?
それとも子孫たちすら擁護できないほど信雄と有楽は実際に醜態晒してたんかな
0177人間七七四年2018/06/30(土) 10:18:03.63ID:XK2hGGGh
有楽は大坂の陣では豊臣裏切ってるし
正直擁護のしようがないw
0178人間七七四年2018/06/30(土) 10:22:42.36ID:XK2hGGGh
北条も後年天正壬午の乱では上杉とあっさり和睦するんだから
御舘の乱で景勝が東上野放棄して関東管領も名乗らなくなったのなら
上杉、武田、北条が三国同盟結んでもよさそうなもんだがなぁ
まぁ北条としては棄民とは言え景虎殺されてすぐに割り切れる物でもないかもしれんが
メンツの問題もあるし
結局それまで謙信がしてた関東勢支援を勝頼が引き受けたようなもんだしなんだかね
氏政って景虎にしろ勝頼の正室北条夫人にしろ弟や妹に冷たすぎるよな
0179人間七七四年2018/06/30(土) 10:57:58.70ID:9NRUFKC1
>>178
放棄といっても勝頼に譲渡だからな武田も上杉も北条に喧嘩売ってるだろw
0180人間七七四年2018/06/30(土) 13:01:51.74ID:RxMvhTiU
>>178
結局、そうやって身内すら冷酷に切り捨てていった結果、
小田原征伐では逆に支城が次々と北条を見限って降伏する事態を招いたんだよな
0181人間七七四年2018/06/30(土) 16:26:53.20ID:/Q3yS6dn
>>173
勝頼期末期は織田との和睦を模索していたから徳川に対して攻勢に出られなかったってのもある
代わりに関東への拡張を進めて信長との和睦に備えていたように思う
0182人間七七四年2018/06/30(土) 16:35:27.99ID:qLO8M13Y
>>178
織田と結ぶために武田を切った(もしかしたら景虎も)のに上杉と組むなんてとんでもない
本能寺以後とは話が違う
0183人間七七四年2018/06/30(土) 16:58:06.52ID:/KmWbQ1p
織田と同盟するために徳川に対して攻勢に出られなかったってのはわかるけど
北条と組んで領国防衛に徹すべきだったわな
和睦交渉してるからこそ攻め込んできた徳川を徹底的に叩いて撃退する実績が重要なわけで
0184人間七七四年2018/06/30(土) 17:01:22.74ID:Uao8wJUn
氏政って信長にはあっさり頭を下げたのに
秀吉の時はなんであんなに頑固に抵抗したんだろうな

秀吉の頃の方が天下の趨勢決まってたと思うが
逆ならまだ分かるんだけど謎なんだよな〜
0185人間七七四年2018/06/30(土) 17:05:56.21ID:Cr1yE9aq
>>184
秀吉の出自が許せなかったのじゃないの
0186人間七七四年2018/06/30(土) 17:44:18.63ID:8rIHutlR
信長の時と秀吉とじゃ状況が全然違うだろう
しかも氏政は駄々こねて散々秀吉から譲歩を引き出した
0187人間七七四年2018/06/30(土) 18:03:32.91ID:Cr1yE9aq
状況が違うといっても信長の時は西は本州の備前あたりまで
秀吉は西国全部制覇したうえに上杉まで従えてるのに
0188人間七七四年2018/06/30(土) 18:21:03.37ID:l8n6d/xn
こいつは話にならんね
0189人間七七四年2018/06/30(土) 18:27:50.12ID:HxdZERGw
名胡桃城みたいな些末な問題でまさか20万の大軍で攻めてくるとは思わなかったんだろうな
家康懐柔するために母親まで差し出したのを見てたから秀吉を甘く見たんだろう
0190人間七七四年2018/06/30(土) 19:08:58.87ID:es3ziRZ8
>>179
勝頼に譲渡って東上野武田受け取ったの?
北条と手切れとなる79年9月前に東上野に手を出している?

>>187
織田は甲斐信濃上野を直接支配して北条と隣接している
豊臣は同盟、あるいは豊臣の従属勢力の徳川上杉と隣接しているだけで
直接領地は接しているわけじゃないぐらいに甘く見ていたとか
0191人間七七四年2018/06/30(土) 19:19:31.60ID:7D7zBL9W
>>184
まず北条の領地の違い
織田に明らかに冷遇されてるし、信玄時代に西上軍に援軍まで派遣してる負い目もある
おまけに武田征伐の報酬はなし
駿河に徳川、甲斐に河尻、上野に滝川入れられたら織田の意向次第では北条なんか一瞬で吹き飛ぶ

秀吉時代は北条は勢力も拡大してるし秀吉サイドにも信雄や家康など不安要素もある
長宗我部や島津の対応みてると激甘やし、実際譲歩も引き出したし、舐めてかかってた部分はあるやろな
0192人間七七四年2018/06/30(土) 22:32:52.14ID:Uao8wJUn
氏政は時勢を読めなかったという事かな
勝頼・景勝と比べても氏政は一番恵まれてるのにね
そう考えると景勝はこれでもまだ過小評価されてると思った
0193人間七七四年2018/06/30(土) 22:44:48.03ID:Iv4dJHYR
景勝ほど過大評価されてる武将もないよ
本能寺の変がなければ滅亡は不可避
織田の脅威が去っても新発田を討伐出来ずに豊臣の力を借りねばならなくて
人質の信繁に逃げられ東北大名の取次は利家や家康に主導権奪われ
豊臣政権内の序列も小早川の死去でようやく大老クラスの末席

まあ生き残るためには何でもするという心意気は素晴らしい、氏政は見習うべきだった
0194人間七七四年2018/07/01(日) 01:29:32.87ID:rAo0eC96
氏政の場合、本能寺の後、関東の格下勢力が真っ先に秀吉に服従して
氏政は帰順するタイミングを逃した
北条からしたら万年争っていた里見やら小田やら宇都宮やら佐竹の下に付くのが我慢できなかった

武田も同じで織田に帰順するタイミングを逃したわけよ
勝頼より信玄のせいだが
信玄に先見性があればあんなふざけた外交はやらなかった。結局、信玄が保険に織田との関係を残していなかったのが敗因
0195人間七七四年2018/07/01(日) 08:50:19.65ID:csPJaEau
>>194
うん。それは違うよね。
織田家と完璧に外交を結んでた長曾我部が
本領安堵の約束も破られ、ある日突然「おまえ征伐する事にしたから」ってやられてんじゃん。
信長に頭を下げなかった事だけが唯一信玄のやった善行。
0196人間七七四年2018/07/01(日) 10:04:00.23ID:49b4SUou
>>183
領国防衛のために他国侵略が必要なんだよ
財政圧迫していて現状維持ができないから財源を増やすしかないわけで
内政に徹するとかゲームの世界でしかあり得ない
0197人間七七四年2018/07/01(日) 10:12:53.74ID:csPJaEau
>>196
秀吉もその謎概念で朝鮮征伐したんだろうね
0198人間七七四年2018/07/01(日) 12:16:17.37ID:xUlaiEhu
どの世界もボス猿はワガママだから、その理不尽・不条理度をいかに見切ってこの世界を生き抜くかだ
他人の実力、自分の実力
他家の実力、自家の実力
致命的に見誤った行動をしてしまうとあとは滅びに向けて真っしぐら
三国同盟なんて甘ったれたコトに頼ったから三家とも終わっとる始末
2対1の構図で十分だから徹底的にたたかうべきであった
三国志の世界も全く同じだな
だから全て滅んどる
3つで共存共栄なんて絶対やっちゃいけないコト、ましてやそれ以上もダメ
共存共栄は女と男のように、つまり2つしかありえない
最初から3つで手を結ぶコトだけはやっちゃいけない行為
ただの問題の先送りにしかならないので、その間に次世代が育つだけだ
信玄は馬鹿だったが勝頼はその意思を継ぐ必要はなかった
最初から思い切って北条を攻めれば良かった
それくらいの超変化がないと武田は生き残れなかったな
もしそのようにしてたら
まず内部で揉める、そこを乗り越えるのがそいつの器量、謙信も信長も“唖然”だ
それくらい暴れなきゃ勝頼なんぞの外枠坊やが生き残れる筈もない
0199人間七七四年2018/07/01(日) 12:56:41.44ID:+Dw0ftbu
>>195
駿河侵攻で北条と全面対決した辺りで(上杉対策や将軍へのとりなしで)信長に頭下げまくってるんですが・・
0200人間七七四年2018/07/01(日) 14:29:14.61ID:RJ2EX93I
>>198
三国志は3国の共存共栄なんかしてないぞ。
全土の7割を占める魏に、3割の蜀と呉が組んであたる構図となっている。
0201人間七七四年2018/07/01(日) 14:59:49.43ID:xUlaiEhu
>>200
共存共栄はしてないにせよ、
天下三分の計なんて
所詮そんなもんだぞ
最終的に【晋】になっとるし
更に直ぐ乱れる展開に・・・
0202人間七七四年2018/07/01(日) 16:04:46.98ID:ulpDJttN
>>197
元の日本侵攻と一緒で余ってる兵力の口減らし的要素は否定できないな
0203人間七七四年2018/07/01(日) 16:13:33.17ID:mwiEHPQk
>>202
元はベトナムでも陳興道に痛い目にあわされてるから、口減らしというより攻勢限界だと思う。
0204人間七七四年2018/07/01(日) 17:06:03.56ID:+Dw0ftbu
元の日本侵攻には資源獲得の狙いもあるのよ
何事も目的は1つじゃない
0205人間七七四年2018/07/01(日) 17:12:43.18ID:SzxIfmxF
>>204
日本の資源って何?
日本は無資源国だよ。
0206人間七七四年2018/07/01(日) 21:06:09.67ID:sbKRbXKb
世界で産出される銀の三分の1が日本産だった時代が16世紀
14世紀は金産出国で有名だった
0207人間七七四年2018/07/01(日) 21:16:05.03ID:VFgBti4z
>>206
14世紀にそんな話があったの初めて聞いたぞ。
日本版ゴールドラッシュは16世紀のはずだが。
なぜ14世紀にそんな金が産金されたなら、鎌倉幕府や室町幕府は押さえなかったんだろうな。
0208人間七七四年2018/07/01(日) 21:41:51.90ID:sbKRbXKb
東方見聞録が1298年に口述筆記されている
おかげで、日本はそれから黄金の国ジパングとなった
0209人間七七四年2018/07/01(日) 22:13:36.62ID:ZxS+dCnt
銅や硫黄も求められてるな
硫黄は16世紀以降だけど。
0210人間七七四年2018/07/02(月) 00:10:04.02ID:8FyWvRJj
日本には無い資源が無い。
石油ですら結構な量が獲れてる。
人口比やGDP比ではたいした事がないけど
日本が人口100万人くらいの小国だったら十分といえるほどの量。
0211人間七七四年2018/07/02(月) 00:56:13.72ID:4PR1BKXi
秋田や新潟の油田は戦前は日本の石油消費量の15%くらいまかなってたらしいw
0212人間七七四年2018/07/02(月) 06:57:56.65ID:rcKN3WrJ
>>208
元に行ってフビライに仕えたどころか実在すらしていない人間が著者の冒険小説がなんだって?
0213人間七七四年2018/07/02(月) 08:14:43.34ID:6nwddDBX
>>195
外交関係で行くと、織田は畿内侵出の時に三好一族と闘ったり和陸したりして最終的に
三好の本家を滅ぼした。
長曾我部は、三好の本国の阿波を脅かす位置だから典型的な遠交近攻だよ。
だけど、信長は最終的に大阪に目を付けてたから、対岸の阿波は織田の譜代にやりたかった
んでしょうね。
長曾我部が四国併呑の野望見せたから認めんとさ。
徳川だって、駿河以上を要求したら叩かれるよ。
0214人間七七四年2018/07/02(月) 09:24:26.71ID:EjZS3dI7
武田が滅亡したから信長は上機嫌になって更に横暴がエスカレート
ある意味勝頼が信長をあの世に送ったと言っても過言ではない
0215人間七七四年2018/07/02(月) 09:38:11.69ID:8FyWvRJj
本能寺勝頼黒幕説は斬新だな
0216人間七七四年2018/07/02(月) 16:10:23.35ID:dVVGAY+R
南光坊天海勝頼説
0217人間七七四年2018/07/02(月) 16:30:47.16ID:t31Xia5K
>>205
宋が滅びるまで日宋貿易というのがあったんだよ。貿易ってことは輸出もしてるわけだよ。
硫黄というのは中国大陸ではほとんどなくてな、モンゴル帝国は硫黄の確保に苦労してた。
宋は日本から硫黄を輸入してモンゴル帝国に抵抗してた。
>>209
硫黄は13世紀でも輸出されてるよ
0218人間七七四年2018/07/02(月) 17:51:11.21ID:ap7liuFM
長曾我部は
長曾我部と争っていた阿波三好が織田に降伏した
一時的に三好が盛り返したりもしていたので阿波半国に

長曾我部に従属していた半独立勢力が織田に臣従した
讃岐は織田のものに

って感じじゃ

後者は上杉の従属勢力だったのに秀吉に降伏して直臣になった真田が近いか
0219人間七七四年2018/07/02(月) 21:56:12.40ID:DY7Ko9F4
>>213
阿波讃岐は長宗我部が先に独力で得たものだからな
それをいきなり取り上げるというのはな
長宗我部も織田と戦う意思は無かったから国防上、海部と大西だけは譲ってくれとお願いしている
0220人間七七四年2018/07/03(火) 16:59:00.37ID:UqLfAuOs
>>207
硫黄も沢山あるぞ。
火薬の原料な。
火山が少ない中国では貴重品らしい。
0221人間七七四年2018/07/05(木) 14:17:54.47ID:QqAK3FXX
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
時を超えて受け継がれれる、
日本人の心意気。
辞世の唄。
0222人間七七四年2018/07/06(金) 12:20:38.71ID:Q6dLKdhh
仮に本能寺の時に武田勝頼とその家臣団が健在なら、武田の天下だったのかな?
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