トップページsengoku
1002コメント480KB

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2018/06/07(木) 10:31:53.47ID:iRzdXPIr
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
0817人間七七四年2018/06/28(木) 16:07:42.78ID:nfIKDA8F
病気で若死にしたことと東軍についたことになんの因果関係も実証できないのに自信満々なのすごいなー
0818人間七七四年2018/06/28(木) 16:31:45.55ID:rSHvEvql
小早川については8月17日までは西軍といっていいのでは?

西軍の指揮系統を離れて佐和山とかをうろついてる時点でもうアウトで武力制裁も視野に入れるべきなのに、事なかれ主義的に後回しにしてしまい松尾山の合戦の上で占領とかいうのは西軍惨敗の原因の1つとしか言えない。
じゃあどうすればよかったんだよって話になると兵力が不足していて、岐阜城陥落が防げず非常に厳しいのだが。

東軍との合戦中に裏切られたら最悪以外のなんでもないし。
0819人間七七四年2018/06/28(木) 17:03:59.43ID:Xh+hC0Kh
>>816
両天秤とまではいかないよ
確かに万一西軍行きが全くないわけではないからね

ただし元から東より
基本的に秀吉には冷遇され五奉行とも不仲
家康には恩もある
伏見でまさか西軍発生でまわりは敵だらけとあって島津同様伏見攻めをせざるを得なかった
その後は一貫して徳川恭順をしめしている
小早川の武勇と血筋があるから石田とかは攻めるに攻められなかっただけ
0820人間七七四年2018/06/28(木) 17:54:05.04ID:6893XLKf
小早川が西軍に味方する理由がない
0821人間七七四年2018/06/28(木) 17:54:58.16ID:6893XLKf
秀秋に武勇はない
0822人間七七四年2018/06/28(木) 17:56:55.64ID:6893XLKf
合戦中に裏切られたのではない
元から東軍

大谷は準備していた
0823人間七七四年2018/06/28(木) 18:26:04.10ID:ntH0o+QP
ちょっと質問なんだけど、書状で、
小早川秀秋が内応した、と当時の言葉で表現すると
金吾中納言京方と手切れとなり、
あたりの表現になるかな?
逆心、って言葉使う?
0824人間七七四年2018/06/28(木) 18:34:01.93ID:qHGEy3Ya
反逆の金吾
0825人間七七四年2018/06/28(木) 18:42:03.46ID:wF5lX142
>>823
手を返され、とか
0826人間七七四年2018/06/28(木) 18:48:07.38ID:6893XLKf
書状の表現はわからん

書状は伝聞をもとに主観で書くので何とも

ここで秀秋は西軍と書いたからと言って…
0827人間七七四年2018/06/28(木) 19:15:41.88ID:0/4gNT9k
加藤清正
関ヶ原時は黒田の援軍行ったり、小西の宇土城攻めたり九州の西軍相手に戦っている
もっとも小西の居城宇土城の攻防戦では船を沈められたり、宇土城周辺の湿地帯に足を取られて大苦戦
結局時間切れで宇土城開城となった

今でも宇土城周辺は湿地帯で攻めにくいのはみて取れるが、清正は小西勢を完全に舐めてたと思う
0828人間七七四年2018/06/28(木) 19:18:39.19ID:okRWW1Bz
>>823
伏見攻めの時点では(内心がどうあれ)間違いなく西軍として行動してるからね。
秀秋は確か大坂まで海路で来ている筈だし、京や大坂の人から見たら
「秀秋は西軍に味方しているんだな」と思ってもおかしくない。
秀秋が西軍を無視するようになったのは西軍が美濃・伊勢方面に移動してからだから、
そりゃ事情と未来を知らない京や大坂の人は、逆心しただの、むほんしただの言うだろう。
当時の庶民や知識人だからって事情を完全に理解して正確に記述してるとは限らんしね。
0829人間七七四年2018/06/28(木) 20:17:58.91ID:+9wABY8S
>>823
筆者の立場によるんじゃない?
なんだったか忘れてしまったが、足利義輝が三好長慶に「謀反」したという表現も見たことがある。
あれは力関係がそうだったのもあるだろうけど。

「返り忠」とか「手切れ」とか「謀反」という表現はその人がそう思っていた、もしくはそういうことにしたかった。ということでしかない。
裏で進んでいた交渉とかは部外者の公家や宣教師とか普通は知らないし。
言えるのは一見して小早川は西軍のように見えていたし、他の西軍も小早川を西軍として扱っていた。そして西軍から東軍に寝返ったこと。
そして当時の京都なら西軍に都合のいい表現にした方が身の安全を図れると考えたのかもしれない。

筆者が東軍や小早川家の人なら「手切れ」とか「内応」とかそういう感じの表現になるんじゃない?
和睦とか、改心とか、返り忠になるかもしれないけど。
0830人間七七四年2018/06/28(木) 20:18:14.73ID:huFbZAhp
>>821
あるでしょ
唐入りの時に突出する形の武威を示した
まあそんな程度他でもあったかも知れないが。
細川やすおきもそうだけど若いなりの勢いはあったわけで。
0831人間七七四年2018/06/28(木) 20:52:56.69ID:wnbMMhjz
>>830
猪武者みたいな突出で大叱責を受けて減封じゃなかったっけ?
その手を武威とは言わんでしょ。
運動会の騎馬戦とかでも緊張し過ぎて合図の前に飛び出して真っ先に打ち取られる手合いは必ずいるじゃん。
あれを誉める人なんて見たことない。
0832人間七七四年2018/06/28(木) 21:27:18.47ID:+9wABY8S
「全軍我に続け」方式は無線のない時代だと割と有効なんで何とも言えない。現代でも士気的に有効だし。
蒲生氏郷もにたような戦法だったともいう。あと三方ヶ原までの家康も。

それに秀吉が死んだとほぼ同時に無かったことになってる減封なのでその妥当性はお察しなんじゃない?
減封が不当だとしても、秀秋に武勇があることの証明になるとは言えないけど。家臣団は決して無能ではないはず。
0833人間七七四年2018/06/28(木) 21:54:40.54ID:OdpqjZpT
朝鮮での秀秋は、加藤を助けに行ったことで武断派と文治派の抗争に巻き込まれたという側面が大きい
石高の大きい秀秋が武断派に入ったら不利になると文治派が危機感を抱いて秀秋を叩き始めて
それを元養子を邪魔に思った秀吉が減封処分のために利用した

別に秀秋は武断派に入ろうとしたわけではなく、流れで助けに行っただけだから完全に文治派の誤解だし
そもそも戦場で露骨な派閥抗争を持ち込むことはご法度なのに派閥抗争を仕掛けた文治派に責任がある
0834人間七七四年2018/06/28(木) 22:37:32.02ID:px9FG8zA
>>832
全軍我に続け方式と一緒くたにするのもどうかなあ。蒲生も家康も一部将に過ぎない立場の時のお話じゃん。
50万石の太守である上に秀秋の血筋や立場を考えたら、自ら突撃して人質になったり万が一にも討ち死にしたら相手は喧伝して物凄く士気を上げてくるぞ。
0835人間七七四年2018/06/28(木) 22:43:30.68ID:JKkR9k2h
金吾19才
0836人間七七四年2018/06/28(木) 23:01:47.50ID:XJRMjaQK
豊臣の一族を捕らえたということで人質交換の交渉からスタートだね。
…ダメじゃんやっぱ。
ところで、秀秋の優遇っぷりはどこかに見所有ったの?
文芸方面で名を残している木下勝俊の方が平時には良さげなのに。
0837人間七七四年2018/06/28(木) 23:05:00.46ID:QlW5uZuf
>>823だけど、小早川秀秋は最初から東軍だった、ってのが定期的に現れるので、
ならその東軍は小早川秀秋をどう認識していたのか、というアプローチの仕方してみれば
いいんじゃないかなと思ったまで。
真実スレの>>14>>15あたりも参考になるけど、けっこうバラバラかな。

東軍が小早川秀秋を味方あるいは味方する予定というような認識してたか
味方ではないような認識をしていたか。

小早川秀秋がどうこうって小早川秀秋視点ばっかりだからさ。別視点で。
0838人間七七四年2018/06/28(木) 23:18:28.94ID:px9FG8zA
>>837
まあ何度も連呼すればいずれ通るという考えの輩はほどほどで無視しとかないとな。
最初から東軍なんて言うけど、物凄く優勢だったらそのまま西軍のままだったタイプでしょ小早川秀秋は。その時は東軍行動なんて取ってないよ。
0839人間七七四年2018/06/28(木) 23:22:28.46ID:EAT4xl2C
戦争全体の最初からと、関ヶ原での決戦の最初からが混同されている気もするかま
0840人間七七四年2018/06/28(木) 23:44:12.58ID:S3QDlYIR
>>838 つまり史実では物凄く東軍優勢だったんだな…
で、西軍が松尾山に波動砲でもブチ込んで秀秋を味方にすれば君は満足なのかな
0841人間七七四年2018/06/28(木) 23:54:09.84ID:V6LhzFAP
>>838
小早川抜きで物凄く有利になれるなら
小早川別に要らないというジレンマ
0842人間七七四年2018/06/28(木) 23:55:04.70ID:QlW5uZuf
>>840
じゃ聞くけど東軍である小早川秀秋が東軍の伏見城を攻撃した、と。
その後伊勢の安濃津が攻撃されても無視して、大津で京極が挙兵しても後詰もせず、
佐和山付近をうろうろしていたと。
こんなんで東軍なのか?味方見捨ててるやん。
0843人間七七四年2018/06/29(金) 00:06:21.47ID:V7zyGyMo
秀秋の動きは謎だが最初から東軍
三成に味方する理由がない

家康が討死にしたらどうなるかはわからん
0844人間七七四年2018/06/29(金) 00:07:17.68ID:dWUkFx11
>>840
伏見の時点で東軍宣言は出来ません。
何故ならこの時点では周りすべて西軍なうえに、徳川の情報が一切入っていないからです。
西軍のクーデターが完全に成功する可能性もゼロではないですから、
この時点で無茶するのはただのアホです。(鳥居は家康の家臣なのでまた話は別)

京極は小早川と事前連絡を取ってないみたいですからそんな無謀な挙兵に付き合う必要ないです。
だいたいその時点ですと、すでに東軍先発隊が岐阜陥落させてますから、
兵力や安全性考えても、そっちと合流や連携を優先すべきですね。
で、西軍が抑えていた松尾山を占拠する事で東軍にアピールしたと考えるべきでしょう。
0845人間七七四年2018/06/29(金) 00:08:37.52ID:dWUkFx11
あ、>>840じゃなくて>>842だった。
0846人間七七四年2018/06/29(金) 00:31:45.99ID:oVWZnd32
>>842
そうだよなあ。近江に居るんだから最初にさっさと大津城に入って東軍の旗を掲げて岐阜と大津で西軍を挟み撃ちすればいい。
佐和山付近をウロウロしても制止出来る力が西軍には無いのだから出来ないはずが無いよなあ。
いつでも奇襲されておかしく無い場所よりか安全かつ堅固な大津城に入ればいい。東軍ならこうだよな。
0847人間七七四年2018/06/29(金) 00:41:03.86ID:1QLrPH/i
秀秋を西軍にしたい病にかかってる人たちがいるね
0848人間七七四年2018/06/29(金) 01:13:13.45ID:BVPDn81f
>>847
なんでだろう
0849人間七七四年2018/06/29(金) 01:14:09.91ID:3/Kc94E6
>>844
京極高次は家康に連絡してる。小早川秀秋が東軍なら家康からその情報なり
指示が小早川秀秋にいくはず。
家康の書状見れば家康は他方面の戦況を各地の味方に報告してる。
もちろんこれ(情報の共有)は西軍もやってる。
家康が小早川秀秋には京極大津にて籠城の情報を敢えて流さないもしくは
後詰を指示しない理由はなにか。

あるとすれば家康は小早川秀秋が大津の後詰をする必要はないと判断した場合。

9月8〜10日頃の戦況判断としては小早川秀秋が大津の後詰に行けば
おそらく西軍は大津攻城を停止し瀬田で小早川秀秋と対峙状態になる。

また、もし家康が小早川秀秋に松尾山の占拠を指示したのなら
それは9月12日頃清洲にいたとき、となる。(それ以前の可能性はある)

もしくは佐和山を包囲もしくは攻城するよう指示することもできたはず。


大津の後詰をさせず、佐和山も攻めず、松尾山に行くよう指示した理由はなにか。


もしすべて小早川秀秋が独断で行ったのなら
家康は小早川秀秋が味方(東軍)とは認識していないとも言える。
0850人間七七四年2018/06/29(金) 01:19:28.60ID:V7zyGyMo
秀秋では佐和山を落とせない
大津は入城できれば戦力になった
しかし捕捉されて撃滅される可能性がある
京極は秀秋を信用しなかったかもしれない

結果的には秀秋は最良に近い形で本戦に参加できた
0851人間七七四年2018/06/29(金) 01:20:35.80ID:V7zyGyMo
秀秋を西軍にすれば
西軍の敗因を全て押し付けられると考えている
0852人間七七四年2018/06/29(金) 01:26:09.23ID:V7zyGyMo
大津と家康が連携していたとも思えない。
絶妙のタイミングだが、連携していたら死守したような
あるいは徳川の兵を入れるとか
0853人間七七四年2018/06/29(金) 01:27:03.95ID:3/Kc94E6
>>844前段
それを日和見と言うんじゃないの?西軍が勝ちそうならそのまま西軍でいようという。




あと西軍でないなら東軍という馬鹿げた思考やめてほしいんだけど。
石田に味方する理由がないから東軍?

じゃ氏家は東軍西軍どっち? 佐竹は?
0854人間七七四年2018/06/29(金) 01:32:17.63ID:1QLrPH/i
秀秋は最初は「伏見城に入れてくれ。俺は東軍だ」と言ったが
鳥居元忠に「おまえなど信用できるか!味噌汁で顔洗って出直してこい!」と相手にされず
兄の木下延俊に「姫路城に入れてくれ。俺は東軍だ」と言ったが
「おまえなど信用できるか!出てけ!」と塩をふられ
大津城でも田辺城でも相手にもされず、佐和山城でも攻めるかと付近をうろうろしてたんだよな。
0855人間七七四年2018/06/29(金) 01:48:48.76ID:bw+0OwJq
わかった
秀秋は西軍でも東軍でもなく第三極
しかしあの状況で第三極は許されるはずもなく

秀秋は三成に味方する理由はなく
むしろ親家康

でも第三極
第三極がたまたま西軍を攻撃
0856人間七七四年2018/06/29(金) 01:50:04.70ID:bw+0OwJq
佐和山は落とせん
工場中に三成が後詰めに来たら撃滅されかねん
0857人間七七四年2018/06/29(金) 01:57:27.77ID:1QLrPH/i
黒田官兵衛は本気で秀秋を第三極の旗頭にしようとしてたんだよな。
九州に留まりなさいと。上京は不要だよ。
本当は自分が九州を荒らしまくって天下を争う際の神輿にしようと思ってた。
脳味噌からっぽの秀秋は担ぐのには都合よかったから。
0858人間七七四年2018/06/29(金) 02:08:19.04ID:1uCCuKM/
関ケ原時点で旗幟鮮明だから東軍派と、西軍挙兵時点では西軍だから西軍から寝返ったよで話が平行線たどってないかい?
どの時点を起点にするとか決めた方がええんでわ?
0859人間七七四年2018/06/29(金) 02:15:43.48ID:QeyQvWsq
見た目は西軍、頭は東軍、その名は小早川秀秋!ちゅうだけやろ。
西軍の認識と当人の認識をぶつけてるだけだからずっと平行線
0860人間七七四年2018/06/29(金) 02:18:16.13ID:1QLrPH/i
でも秀秋が官兵衛のアドバイスにしたがって1万余の兵力を持って九州に籠れば
関ヶ原は決着が付かず長期戦が予想されてたわけで
秀秋と官兵衛で九州は容易に席捲できたんだよな。
楚漢激突時の韓信にような立場で天下を狙える好位置につけただろうに。
0861人間七七四年2018/06/29(金) 02:28:07.56ID:QeyQvWsq
長期戦にはならんやろ
0862人間七七四年2018/06/29(金) 02:37:19.32ID:1QLrPH/i
>>861
なんで?
0863人間七七四年2018/06/29(金) 02:40:15.84ID:QeyQvWsq
秀秋が裏切る前に西軍の先鋒は崩れれ始めてたというし
関ヶ原が自体が起きない可能性も大垣城水攻めして先進めばいいだけ
0864人間七七四年2018/06/29(金) 03:28:11.18ID:1QLrPH/i
大垣城水攻めして先進めば長期戦確定
0865人間七七四年2018/06/29(金) 03:30:13.32ID:1QLrPH/i
そもそも短期で終わった理由は関ヶ原が1日で終わったからではないよ。
小早川秀秋、黒田長政、福島正則の三名が戦後処理を迅速に済ませ
大坂城開門に成功したからだ。
秀秋が居なければ大坂城引き渡しに相当な困難が生じ短期で済むわけもなかった。
0866人間七七四年2018/06/29(金) 08:02:49.25ID:z9MA8jKZ
小早川が大坂開城させたという根拠は?
0867人間七七四年2018/06/29(金) 08:34:06.94ID:6cPjGnqe
>>836
まともに使える木下一族だったからじゃないですか?
この仮説だと、他の木下一族は秀秋以上にどうしようもない人材だったという結論になりますが。

まず、大名としての能力と文化人としての能力って別じゃないですか。

別に北畠信雄様や織田信雄様を批判しているわけじゃないけどw
例えそれがお飾りな御神輿でも大名をするには完全なボンクラではダメじゃないですか。
最低限の公平さとか中立性とか、自分の能力を客観的に評価しつつ、家臣たちのやる気が消え失せない程度のカリスマは必要なわけですよ。
徳川時代初期までは武将としての軍事的な能力も重んじられていましたし。

長嘯子がどうして伏見を出たのかはわかりません。逃げ出したのか追い出されたのか。
もし逃げ出したなら論外です。
追い出されたなら面目を保つために伏見攻城に参加していないと戦国大名とは言えません。
他の経緯ならなんとも言えませんけど。
武士の主君としては猪武者のほうがまだマシという結論になると思います。
0868人間七七四年2018/06/29(金) 08:52:33.39ID:z9MA8jKZ
秀秋は大名としての器量はない

ただし自分から斬り込む気持ちはあった
しかしマトモな大名はやらない
0869人間七七四年2018/06/29(金) 11:11:58.09ID:z9MA8jKZ
伏見攻めは秀秋はやりたくなかったと思う
重臣らと合議して、やるしかないという結論に至ったかと
時事ネタで言うと、ボール回して本戦に行った
本戦で一応結果出したしね
0870人間七七四年2018/06/29(金) 11:40:20.03ID:1uCCuKM/
>>868
織田信長とか最上義光とか、自分から切り込んで銃弾をその身に受けたことまであるけど
まともじゃないんかあいつら
0871人間七七四年2018/06/29(金) 12:01:03.30ID:z9MA8jKZ
>>870
信長はいつの話?

長篠でやったら武神

大将討ち取られたら負けだよ
0872人間七七四年2018/06/29(金) 12:09:06.16ID:YXMERu31
>>870
信長が銃撃受けたのって行軍中じゃ
最上義光は長谷堂で兜に銃撃くらってるね
0873人間七七四年2018/06/29(金) 12:16:38.15ID:0yVEmRBy
>>870
信長の話しは聞いた事ないぞ?まさか忍者に銃撃されたって話しじゃないだろうな?
0874人間七七四年2018/06/29(金) 12:18:29.54ID:QeyQvWsq
天王寺合戦
0875人間七七四年2018/06/29(金) 12:47:23.37ID:1uCCuKM/
あれ?天王寺合戦で信長先陣切って突っ込んだ時足に鉄砲で軽傷負ってなかったっけ?
違うなら恥ずかしいから忘れて

とはいえ最上も信長も先陣切って突っ込んでるよね?これは合ってるよね?
0876人間七七四年2018/06/29(金) 13:15:28.64ID:LQoNjyNv
>>875
信長は基本、先陣切って戦ったりしないぞ・・・息子の信忠が槍働きしたら怒ってた位だからな。
天王寺では隊は指揮したぞ。兵が少なかったからな。ただ怪我したって話しは聞いた事ない。

最上義光は鉄砲傷は知らないが、若い頃から勇猛な武将だったから
あるかもね?強盗相手に大立ち回りして父に刀貰ってるし。
0877人間七七四年2018/06/29(金) 13:46:31.32ID:z9MA8jKZ
信長も自分で刀を振るったとかあるかもな
でもそれは普通じゃない

姉川で先陣を切ったりしたらバカだし

狙撃されて死んだ当主がいても不思議じゃないが
聞かないね
0878人間七七四年2018/06/29(金) 14:29:32.49ID:bzm/qkuW
>>876
あー、ごめんなさい
最前線で戦うって意味を先陣切ると誤用してましたわ

怪我の話ないのかー、やたら聞いたことあるから怪我してるもんだとばっかり思ってましたわ

完全にスレチになってしまってほんと申し訳ないんやけど
総大将と馬廻り衆って言ってしまえば組織で最強の戦力な上に死なせる訳にも行かないから無理矢理でも兵が前に出る訳で、戦場において現状打破のために切り込むっての割とありだと思うんだけどどうなんすかね?
0879人間七七四年2018/06/29(金) 14:54:44.61ID:MggCZFWw
天王寺のケガは割と有名な話だと思うが
0880人間七七四年2018/06/29(金) 14:59:53.18ID:3UlDkUSN
>>878
井伊直政が兵を置き去りにして自ら突出したのは有名ですね
0881人間七七四年2018/06/29(金) 15:06:24.60ID:6cPjGnqe
自分も悪いけど、この流れは小早川秀秋が西軍のまま(あるいは西軍になる)かどうかの流れなんだよね?

正直、武将や大名の敵味方関係のIFに関してはバタフライ効果の幅が大きすぎて話がまとまらないから史実どおりでいいんじゃないかな?
0882人間七七四年2018/06/29(金) 15:11:38.15ID:xPTknvKo
森武蔵は?
0883人間七七四年2018/06/29(金) 15:29:16.19ID:z9MA8jKZ
サッカーで言うとディフェンダーはキープ力強いから前線に投入しようみたいな

例えとしてうまくない

社長が掃除するとか
そういう社長もいるか

大企業の社長が毎日お茶くみするとか
0884人間七七四年2018/06/29(金) 15:35:42.14ID:ZL9jixmE
>>881
>史実どおりでいいんじゃないかな?

では小早川は東軍でいいのですね
0885人間七七四年2018/06/29(金) 15:45:37.76ID:1QLrPH/i
いや、天王寺で普通に銃創を追ってるぞ信長
0886人間七七四年2018/06/29(金) 16:09:32.13ID:XzOulnI6
>>878
兵の士気や忠誠心を上げる戦法としてはマジで有効だと思います。
WW2を「全軍我ニ続ケ」とばかりに最前線で戦った辻政信はかつて指揮下に置いた兵士とその家族の熱烈なる支持を受けて参院選全国区の第3位になった。
辻政信の立てた作戦とか人格とかはちょっと……になりそうなんですが。(個人の意見です)

やっぱり後方の陣地や岩陰に隠れて偉そうに命令する指揮官より、最前線で一兵卒とともに戦う指揮官のほうが人気があるし士気も高い。
戦国時代になると、軍隊に一度勢いがついたらなかなか修正が聞かないので、敵に向かって前進していく部隊にしやすいでしょう。

ただ、武将の馬廻って基本的に次世代を担う幹部候補生の中でもエース級の人材がなるんですね。
これが消えて、マジでやばいことになったのが、戸次川の戦い後の長宗我部家で、次期当主まで死んだからまあ、お察しください。
そういうリスクもあるのでハイリスクでハイリターンな戦法だと思います。(さしてリターンがない時もあると思いますが)

武将といっても戦場にいるわけですし、場合によっては自分自身も戦う必要があるでしょうね。
特に乱戦になった時や自前の兵力が少ないときとかは。
小早川への処罰は秀吉の耄碌や秀頼可愛さによる偏見も否定できないけど、必要性が薄いのに最前線で戦ったという評価も否定できない。

>>884
伏見の時は西軍として活動したけど、指揮系統を離れた8月17日には東軍扱いでいいと思う。
西軍(伊藤)と合戦した9月14日以降は完全に東軍。
寝返ったとか裏切りとかそういう善悪や正義とかの価値判断をしたい人がいるみたいですけど。
0887人間七七四年2018/06/29(金) 16:30:33.33ID:1uCCuKM/
えー・・・、結局信長天王寺合戦で怪我負ってるでいいの?

>>886
やっぱそういうハイリスクハイリターンであって、やったから無能とかやらないから無能とかいうものじゃなくケースバイケースで見ていくべきものなんですね
小早川金吾が最前線で切り込んだって時は他の最前線で切り込んだ大将と比べてそんな変な状況だったんですかね?
確か誰かの救援のために突っ込んだはずだと記憶してますが
0888人間七七四年2018/06/29(金) 16:32:39.53ID:z9MA8jKZ
状況次第だけど救助したとかなら褒められてるはず
0889人間七七四年2018/06/29(金) 16:36:31.04ID:aPSLQ9cr
徳川秀忠すら銃創あるんやけど
しかもどこで撃たれたかわからん
銃撃されるなんて割とよくあったのでは?
0890人間七七四年2018/06/29(金) 17:01:45.02ID:71oHqJet
息子の忠長が江戸城西の丸で鴨を鉄砲で撃ち取って秀忠激怒事件があったし
忠長にやられたんじゃね
0891人間七七四年2018/06/29(金) 18:23:04.66ID:cOwnweXY
大津とか安濃津とかいうけど、
せっかく期せずして埋伏の毒を仕込んだ形になったのに、
そんな中途半端なところで家康がネタばらしさせるわけがないんじゃないか。
小早川の兵力だって一万五千とも八千ともいわれてるし第一あの状況で勝てる訳無いじゃないか。
0892人間七七四年2018/06/29(金) 18:52:06.36ID:A3vKFQK0
>>877
三村は銃殺されたらしいぞ、宇喜多の刺客に。
まあ最近宇喜多直家に関する事はだいぶ講談が混ざってるって話も聞いたが。
>>890
さすがにそれはないだろ。そんな事件があったら家光側近が大喜びで公表しまくると思うぞ。
家光の政敵を排除する大チャンスだし。
0893人間七七四年2018/06/29(金) 19:36:23.44ID:XqWiUrQ2
家光はむしろ忠長の処分を引き伸ばした
即座に勘当したのは秀忠

我々が思っている以上に苛烈な人物だよ、秀忠は
0894人間七七四年2018/06/29(金) 19:37:00.17ID:tJ/1EdAF
>>884
いや小早川は従来通りの西軍だろ。
新説は関ヶ原の真実スレや日本史板で追究してくれ。
0895人間七七四年2018/06/29(金) 20:00:47.46ID:A3vKFQK0
そういえば小早川は西軍を離れた後、佐和山の武将の調略をやってたって
聞いた事があるけど、それって本当なの?
0896人間七七四年2018/06/29(金) 20:06:09.01ID:1QLrPH/i
小早川は従来通りの東軍だよ
0897人間七七四年2018/06/29(金) 20:19:51.31ID:XzOulnI6
>>895
それはたぶん長谷川守知のこと
0898人間七七四年2018/06/29(金) 20:22:03.36ID:BVPDn81f
>>894
だから東軍だって
0899人間七七四年2018/06/29(金) 20:36:20.69ID:XzOulnI6
途中送信失礼
小早川はいつの時点かは不明だけど長谷川守知を調略している。
佐和山周辺にいた時に調略したという主張も、合理的に思えるけども、本線の結果を見て寝返ったというのも説得力があるので何とも言えない。

>>894
別にあなただけじゃないんですけども。
それはいつまで西軍でいつから東軍になったという認識ですか?
9月14日までは西軍で9月14日以降は東軍という認識でいいですか?
それとも9月15日の本戦で東軍になったという認識ですか?

小早川が伏見城を攻めたり、大坂城の兵糧米を受け取っているのに東軍というのはさすがに同意できないけど。(内心は別)
西軍の指揮系統を離脱したり、無許可で佐和山周辺にいたり、松尾山を武装占拠した状態で西軍と言われてもなんだかなあと思います。
0900人間七七四年2018/06/29(金) 20:38:33.83ID:rvh5w2hr
>>897
ああ、うんその人だ。それって本当の話なのかなって思って。
それが本当なら、小早川が少なくとも西軍に味方するつもりがない有力な根拠になりそうだし。
奴が西軍のつもりなら、西軍に所属してる武将の調略をする必要はない訳で。
0901人間七七四年2018/06/29(金) 20:42:17.14ID:z9MA8jKZ
小早川が三成に味方する理由がない

大谷だって親家康
0902人間七七四年2018/06/29(金) 21:12:00.04ID:s9Q7ttSb
>>891
アホくさ。
なんで家康が関ヶ原で一大会戦というのを予知してるんだよ。
こりゃ小早川秀秋は従来通り西軍だな。
0903人間七七四年2018/06/29(金) 21:21:53.09ID:z9MA8jKZ
秀秋が予知したのかもしれない

そうなると通説に反して秀秋は天才
0904人間七七四年2018/06/29(金) 21:22:03.99ID:HlkWIXa2
小早川秀秋は伏見城攻城参加したように表面上は西軍に属する。
その後、近江を放浪し挙動不審な行動をとるが、西軍に対し敵対する行動は
松尾山の占拠までは取っていない。

かといって東軍に内応を約する類のもの、もしくは家康が小早川秀秋に対し
なにかしらの指示を出したとみられる証拠(書状等)もない。

状況証拠としては東軍に利すると思われる行動をしているが、
家康もしくは東軍諸将が小早川秀秋を味方と認識していたと思われる証拠もない。

従って小早川秀秋を東軍と断定するものは憶測しかない。
松尾山の占拠で状況証拠は強くなり、大谷を攻撃したことで、反西軍は確定した。

黒田長政が小早川秀秋に対しなにかしらの取次をしていたようだが、
そのあたり以降であるならば東軍の可能性を検討できると思われる。

従って、小早川秀秋は西軍に属し伏見城を攻撃したが、その後去就不明、挙動不審な
行動をとるようになり、松尾山を占拠したのち西軍を攻撃、
その後東軍として佐和山城を攻撃する。

これが通説。これ以上でも以下でもない。

東軍だと断定するなら証拠を出したら?

そんなものがないから現代でも小早川秀秋はなぜ松尾山を占拠したのか?などが
議論されているんだろ。



憶測だけで断言するな。
0905人間七七四年2018/06/29(金) 21:25:25.57ID:QeyQvWsq
家康に何度も使者出して連絡取り合ってますがな
0906人間七七四年2018/06/29(金) 21:26:47.27ID:rvh5w2hr
>>904
はあ、長文御苦労さまです。
でも、ここ、そういうスレではありませんので、関ヶ原の真実スレにでも
書き込んでいただけないでしょうか。
0907人間七七四年2018/06/29(金) 21:34:18.93ID:QeyQvWsq
必死すぎ
0908人間七七四年2018/06/29(金) 21:36:27.34ID:HlkWIXa2
>>886
>寝返ったとか裏切りとかそういう善悪や正義とかの価値判断をしたい人がいるみたいですけど。

これどの部分のこと言ってるのか指摘してもらえる?
家康もしくは東軍諸将が小早川秀秋をどう認識していたか、味方と認識していたのか、
少なくとも家康が味方と認識していないなら小早川秀秋が勝手に東軍名乗ってるだけ、となる。

善悪正義?どこに書いてある?
0909人間七七四年2018/06/29(金) 21:40:32.93ID:BHjyfN2E
金吾黄門
0910人間七七四年2018/06/29(金) 21:49:01.37ID:iJN6cJ+I
>>906
それは小早川秀秋は最初から東軍、って言いだしたやつに言えばいい。
0911人間七七四年2018/06/29(金) 22:06:54.55ID:iJN6cJ+I
>>905
それは知ってますよ。ただ最初のうちは追い返されて会えなかった、
面会まで至ったときの詳細はいまいち覚えてないんだけど。

というか>>859なだけですけどね。
否定しないと、肯定したととられるのはいやなんで。
0912人間七七四年2018/06/29(金) 22:17:22.46ID:VI8XGI12
伏見城攻めたから表面上西軍、というのも状況証拠からでは?

まあ秀秋に西軍の敗因をなすりつけるなら松尾山で突然寝返る展開が丁度良いんだろうね
勝つ為に抑えるなり味方にするにはどうすればとか端から考えるつもり無さそうに見える
0913人間七七四年2018/06/29(金) 22:17:59.71ID:tJ/1EdAF
>>903
ま、まあ予知出来たのなら小早川秀秋は天才だよな。
俺が小早川秀秋ならば毛利両川として吉川広家を張り倒して、
毛利秀元と一緒に石田三成や宇喜多秀家を討ち取ってしまうな。
黒田官兵衛に先駆けて九州を平定し天下二分の計だ。
0914人間七七四年2018/06/29(金) 22:23:41.24ID:tJ/1EdAF
>>912
明確に伏見の徳川兵を攻めて殺した事は状況証拠じゃないでしょ。
空弁当でも使ってたのなら状況証拠と言えるがな。

俺は黒田官兵衛が構想していたとされる第3極は実は小早川秀秋が狙っていたことだと主張するぜ。
これなら西軍でなくなればすぐさま東軍という訳でもない。
0915人間七七四年2018/06/29(金) 22:30:24.46ID:iJN6cJ+I
>>912
全文において意味不明。敗因をなすりつけるとか誰も言ってない。

>勝つ為に抑えるなり味方にするにはどうすればとか端から考えるつもり無さそうに見える

じゃあその方法をあんたが立案したら?どうぞ、待ってますわ。
0916人間七七四年2018/06/29(金) 22:32:02.39ID:1OR4tTbh
>>2をみると、8月14日に東軍の先発隊が清州に到着してて、
8月17日に小早川が西軍から事実上の離脱をしてるな。
>>2の内容が信用できるかはおいといて、やけにタイミングがいい感はある。
想像をたくましくすればの話ではあるけど、東軍方が何か書状で連絡した可能性はあるね。
もしくはこの時点でもう小早川は西軍ヤバいと感じたか。
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。