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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15

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0001人間七七四年2018/06/07(木) 10:31:53.47ID:iRzdXPIr
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
0427人間七七四年2018/06/20(水) 00:25:56.85ID:k1knExgY
>>424
西軍はそれを期待して内府違いの条々をばらまいたんだと思うよ。
だから史実の西軍は言うほど駄目な政略をしていた訳じゃない。
家康を関東に足止めさせる程度の効果はあったし。(家康が西進したのは岐阜陥落後)
真面目な話、西軍勝利IF考えるんだったら戦術や戦略なんぞより、
『内府違いの条々の中身をどう変えたら諸大名が西軍に味方してくれるか』
ってのを真剣に検討すべきだと思う位だ。これなら戦乱で豊臣政権が有名無実化する可能性も減るし。
0428人間七七四年2018/06/20(水) 00:31:32.69ID:b2HBY4i/
>>426
七将襲撃のときの石田はやる気満々だったでしょ。
ただ大坂を徳川方に押さえられたので形勢不利を悟って輝元が折れて
急派した吉川広家が伏見に着いたときには既に一件落着してた。
0429人間七七四年2018/06/20(水) 00:37:10.32ID:K7hQ4yZ2
>>425
カエサルのルビコン渡河とか調べてみなよ?
確かに最初は迷ってるけど、一度賭けたら流石カエサルって動きしてる。
一個軍団「定数で6000、実際はそれ以下」しか居ないのに大隊ごとに分散して即攻でローマ
を落とし、国庫の中身を手に入れ、執政官に任官して正当性を手に入れ、更に息も付かせず
南イタリアのポンペイウス派の根拠地を占領、相手の募兵能力を削ぎ、結局二ヶ月でイタリアを
完全に覆してんだよ。
北陸に出るにしろ、清須を占領するにしろ、7月中に行動起こすくらいにして戦果を拡大しないと
負けると思う。
0430人間七七四年2018/06/20(水) 00:43:10.11ID:b2HBY4i/
>>427
そんなもので勝てるなら七将襲撃の時で勝ててる。

西軍が勝つためにはどうやって敵主力(東軍)を撃滅するか。
撃滅できれば勝てるし、できなければ勝てない。
0431人間七七四年2018/06/20(水) 00:44:21.14ID:co8WgykR
>>425
そのモタモタで東軍先発隊に押し込まれただろうにバカぁ?
逆だ逆。清洲からさらに東にどんどん攻め込んで徳川に嫌な記憶を蘇らせるんだ。
ズバリ浜名湖三方原決戦だ。
ガチガチになって動けない徳川軍の前に秀忠を敗死させた真田赤備え登場。
再び糞を漏らしながら敗走する家康。
0432人間七七四年2018/06/20(水) 00:50:09.65ID:aAM9Q9Fw
>>380
三成がこいつらに殺されそうになってた事自体は家康はなんもやってないだろうに
むしろそれ自体が家康の指図だったとしたらそれこそ豊臣の屋体骨はとっくの昔にガタガタだっただけ
その遠因は秀吉自身の後年の失策が大半だが
奉行が政治的に無能だからでもある

宇喜多がもめ出したのなんかそれこそ家康なんも関係ないだろ
康政に仲裁までやらせる羽目になっていい迷惑でしかない
0433人間七七四年2018/06/20(水) 01:11:20.34ID:UX4W5Ir0
三成は官僚として優秀だったけど軍人としては凡夫すぎるよな
0434人間七七四年2018/06/20(水) 01:14:33.11ID:b2HBY4i/
七将襲撃については、光成準治著 関ヶ原前夜 を読んでみるといいよ。
そこそこ解説されている。

同書には輝元からの救援要請を受けた吉川広家は、
出雲富田もしくは安芸広島から約3日で西宮に到着、さらにその日の夜には山崎、
推定翌日に伏見という超強行軍で吉川広家が上京したと解説されている。
(吉川広家が閏3月9日に「只今西宮に到着、今夜山崎まで行く云々」の書状より)
0435人間七七四年2018/06/20(水) 01:49:32.46ID:7vH3FXGK
>>433
それ以上に政治家としてダメダメかと
0436人間七七四年2018/06/20(水) 02:07:24.74ID:0YMXVslX
三成は後方支援と兵站補給の専門家なんだよ。
大将にも政治にも向いてねえ。
0437人間七七四年2018/06/20(水) 02:09:58.17ID:0YMXVslX
しかし、戦下手って江戸時代の流説は無いな。
関ヶ原の布陣と戦いを見ても、かなり巧妙だ。
まあ、島左近や家来の手腕だとしても、それは将としての功だからな。
0438人間七七四年2018/06/20(水) 03:10:38.01ID:K7hQ4yZ2
>>432
政権の役職で有る五奉行を私的に襲うって本来なら謀反って見なされても不思議じゃ無い
ですよね?
それを大老で有る家康が放置するならねえ?まあ悪意を疑われても当然。
0439人間七七四年2018/06/20(水) 03:19:38.50ID:klfrvtu5
なんであの措置が放置したことになるんだ???
0440人間七七四年2018/06/20(水) 04:00:25.48ID:ehZjvf9e
>>432
自分は七将騒動は家康が後ろで糸を引いていたと思うが(だって4人も親戚が起こした反乱だし)
更に事後処理として、七将はお咎め無しで何も騒いでない三成だけ蟄居。
これで徳川に異心アリと思わなければどうかしている。

仮にそうでなかったとしたら、大老職として余りにも力不足だろう。
家康は後事を利家や他の大老に頼まれたのだからな。
それでいて家康の力不足で七将が反乱を起こしたのに三成だけを蟄居にするという
身内贔屓の裁定を下す。これでは西軍が起こるのも仕方ない。


榊原の仲裁だって大老として率先して仲裁するべきも関わらず
豊臣の直臣として大谷刑部が一肌脱いだのに家臣の榊原を自ら止めて
職務放棄。

これで家康は豊臣の将来を考えて政務を行っているとか言われても
ディベートにしか聞こえないよ。
0441人間七七四年2018/06/20(水) 04:14:47.01ID:klfrvtu5
だからいつどのタイミングで榊原と大谷だけで宇喜多騒動が解決しそうになって、それを家康がいつ放置して悪化させたのかとか出典書けや
0442人間七七四年2018/06/20(水) 05:28:05.19ID:K7hQ4yZ2
仮に、江戸時代で考えて見なよ、老中なり若年寄りを武功派大名が私的に襲うって
普通に幕府に対する謀反扱いに成るでしょ。
だから逆に言うと、大老の徳川家康の暗黙の了解か支持が無ければ有り得ない。

まあ、家康が直接五奉行を襲うと露骨過ぎるから、加藤や福島を利用しただけ
だと思う。
0443人間七七四年2018/06/20(水) 05:43:33.79ID:klfrvtu5
結局君の想像かいな
0444人間七七四年2018/06/20(水) 05:51:50.41ID:RP/YuhIq
>>398
前田は親も息子も本音では徳川と事を構える気なんてさらさらないよな
メンツをつぶされない限りおとなしいのが前田の基本路線
0445人間七七四年2018/06/20(水) 05:59:30.01ID:RP/YuhIq
>>410
たかが上田攻めが成らなかったから真田の勝ちとかないわ
それが通るなら関ヶ原後に真田が没落なんてしないわけでね
戦術で勝った、戦略で負けた、とかフォローいれるまでもなく昌幸は時流を読めてないただの頑固者で終わる話
0446人間七七四年2018/06/20(水) 06:05:24.31ID:RP/YuhIq
>>437
巧妙なのにぶっ潰されるオチつきww
0447人間七七四年2018/06/20(水) 06:34:39.35ID:IDwL+bkm
>>442
別スレだか過去スレだか忘れたけど、襲撃事件は三成に対する罷免要求にすぎないんじゃないか
って考察してた人がいたなあ。その人がどういう根拠で言ってたかは知らんが。
その要求が罷免というよりは三成の切腹や改易という過激なものだった為、後世において
彼らが三成を無理やり殺そうとしてたと誤解されたという話。
要するに、七将側はあくまで政権に三成を切腹させるよう働き掛けたと。
0448人間七七四年2018/06/20(水) 07:49:28.15ID:9pwNmKc4
西軍主力が北に行けば
東軍先発隊を押し止めるものがいなくなる

先発隊が北軍の退路を断った時点で
西軍崩壊
0449人間七七四年2018/06/20(水) 07:56:02.05ID:WqG+q2iN
秀忠があれだけ苦労して上洛した中山道を、それ以上のスピードと
混乱無しで抜けれるとはとても考えられない
0450人間七七四年2018/06/20(水) 10:04:11.03ID:4qnlpR8D
>>440
三成に関しては、奉行として余りにも力不足だったのだから解任と蟄居処分は仕方がない
現場とコミュニケーションがまったく取れない、秀吉の威光を振りかざして押さえつけることしかできない三成は
秀吉死後の豊臣では使い道がないお荷物だよ
奉行は貴族ではなくて現場と協調して仕事をしなければいけない吏僚なのだから
秀吉の寵愛をいいことに態度が悪くクレームが殺到している三成が奉行を続けることは無理があった

七将については、お咎め無しになるのは当然だろう
現代だってクレームを付けた側ではなくて、クレームを付けられた側が処分されるのが常識だからな
0451人間七七四年2018/06/20(水) 10:30:36.31ID:zvAXmLfr
>>447
切腹要求だとするなら、切腹要求=殺そうとした(意図)、でしょ。何言ってんの?
罷免要求ならその権限が家康にあるのなら家康に訴えるべきで、
大坂の石田を襲おうとしたら伏見に逃げられた、今度は伏見に向かう、
どう見ても石田に対する襲撃でしょ。
石田を七将で追いかけまわして石田に「辞任しろ、腹を切れ!」とでも言っていたと?
0452人間七七四年2018/06/20(水) 10:54:59.64ID:4qnlpR8D
奉行の仕事は遊びではなくて、命がけで豊臣の政権運営に尽くすことだからな
朝鮮での講和失敗、関白と太閤の取り成しにも失敗、朝鮮から帰還した武将からの三成の不快な振る舞いに対する抗議が多数となれば
三成の不手際に対して命による償いを要求することは理不尽でもなんでもないだろう
0453人間七七四年2018/06/20(水) 11:01:22.29ID:ZiXLiH81
>>451
訴訟である以上、相手が来ないと裁判にならんからな。(別に一方的な弾劾裁判でも構わなかったろうが)
三成を訴訟の場に引きずろうとしたら逃げたって事じゃないの。
何を理由に七将が三成を訴えたかまでは知らんが。
裁判所(つまり家康の所)まで三成を強引に連れ出そうとしたなら辻褄は合うだろ、多分。
まあ悪意を持ってみれば三成が敗訴確定とみて不利を悟り逃げ回っていたとか。
0454人間七七四年2018/06/20(水) 11:04:01.89ID:X2W+zKFA
もともと秀吉の独裁政権での行政経験や習性しかないんだから
秀吉死後に集団指導体制とろうってんなら三成ら五奉行は総とっかえすべきだったんじゃね?
特に三成なんぞは独裁政権官僚の典型なんだから最も排除すべき有害な存在だろ
0455人間七七四年2018/06/20(水) 11:13:46.38ID:9pwNmKc4
訴訟なら、しかるべき相手に訴えるべきで
自力で相手を確保することではない

やはり私闘で殺そうとしたのでは
0456人間七七四年2018/06/20(水) 11:31:13.07ID:QjOjU6pQ
家康が誠実じゃないとか偏ってるとか言ってるひとがいるけど、前近代における司法って、別に公平公正である必要もないし、真実に即している必要もないんだよ。
過ちは修正されたとか、ルール違反を罰せられたって、社会が納得して認識するのが重要なんだよ。
社会が納得する過程において、実際に公平公正であったり、真実に即している方がいいことも多いけど、必ずしもそうではない。

七将襲撃の時は、領地関係が凍結された状況下でいくつもの大名を改易したらそのあとどうするのさ。
むりに七将を処罰して、軍事的に抵抗されたら厄介なことこの上ない。
一番穏便に済ませる選択肢だよ。あれは。事なかれ主義的だけど。愉快不愉快は別にして。

もっと言ったら、襲撃時点の家康三成関係は良好と判断したほうが妥当で、家康にメリットがあるのか?関ヶ原の敵味方関係ですべてを逆算してないか?
・秀吉の死を三成が最初に報告したのは家康
・家康が大坂に滞在するときは石田家の屋敷に泊まってる。
・徳川との決定的な対立を回避し続けている佐竹や、家康の子供として行動している秀康が三成の護衛に来ている。
0457人間七七四年2018/06/20(水) 12:19:05.35ID:TvC7j4Dv
襲撃事件って結構変なんだよね。
・普通こんな無茶をしたら相手もただでは済まないはずなのに、
三成側が報復をしようとしていない。強く抗議をした様子もない。
・襲撃した側も報復行為を恐れているようにみえない。
この件で襲撃側の評判が悪くなったようにも見えない。
・豊臣家も七将を咎めず、三成処分を止めようとした形跡がない。

これ本当に三成が一方的に殺されそうなだけの事件だったのかな?なんかおかしい気がする。
0458人間七七四年2018/06/20(水) 12:30:38.42ID:+THNTmMn
七将襲撃時の対立軸としては、
石田、毛利、(小西)、(増田)対七将。
家康については背後でなにかしら指示した
可能性は否定できないが、表面上は中立。

石田が抗議とかのレベルではなく、
戦寸前の状態。
0459人間七七四年2018/06/20(水) 12:56:35.00ID:9pwNmKc4
抗議しても無駄という状態だったんだろう

むしろ逆ギレしかねない

七将側は、自分たちが絶対正義
0460人間七七四年2018/06/20(水) 12:59:49.27ID:9pwNmKc4
戦国時代は決闘もありだったんだろう

江戸期も果たし合いは認められていたんじゃないか
0461人間七七四年2018/06/20(水) 13:01:04.74ID:klfrvtu5
秀吉没後の家康の裁定が公平じゃないのではないかと疑問が残るといえばいいのに
宇喜多騒動は大谷と榊原だけで事態収拾しそうなのを悪化させた、とか
七将襲撃も七将側がみんな徳川の縁故だから裏で糸引いてた、とか 
推論をさも断定のように扱って、挙げ句出典も出さないとか、デマゴギー拡散の手法すぎて悪質やろこんなん
0462人間七七四年2018/06/20(水) 13:33:30.39ID:eqxjzIVI
>>481
レスアンカーつけてもらわんとだれに言ってるのかわからん。
0463人間七七四年2018/06/20(水) 14:15:08.88ID:M1F9LJHQ
これは481コメの人のコメントセンスが試されるな… 
0464人間七七四年2018/06/20(水) 14:43:00.09ID:uFNCaGJG
>>455
その考えが正しいと仮定した場合、おかしな事がある。
関ヶ原戦役の発生後、西軍は内府違いの条々をばらまいて、上杉征伐軍を始めとする
諸大名を味方にしようとしているのだが、どうも襲撃組も味方に出来ると思っている節がある。
特に福島は絶対味方すると思っていたようだ。
もし、襲撃組の望みが三成の殺害であった場合、彼らの目的は結局達成できていない訳だ。
改易どころか減封もされず、奉行こそクビだが彼らが代わりに奉行になれた訳でもない。
こんな不本意な結果で西軍に味方する筈がないのだ。
ところが史実の西軍はどうもこの点に関して楽観視しているようにしか見えない。何故?
0465人間七七四年2018/06/20(水) 15:25:44.76ID:wT56aUFx
>>461
そもそも関ヶ原の時点で、豊臣一族で一番の実力者って徳川家康だからな。しかも秀頼の将来の外祖父で秀吉から政権を委託されてるんだから。

これで奉行ごときが文句言うのがおかしい。そもそもてめえら秀吉の時に好き勝手やってただろって言いたくなるし。
0466人間七七四年2018/06/20(水) 17:26:53.34ID:ubG4bHtE
>>461 ID:klfrvtu5

人が仕事で書いてないからって好き放題言ってくれるなw
宇喜田騒動については本当に沢山の出典がある。

・看羊録
・当代記
・鹿苑日録
・慶長年中卜斎記

俺は日本史学部だったんで読んで教授達に質問したりした結果を述べてるんだが
これら読んで調べた事とかある?あればそんな疑問出て来ないはずなんだがな。
0467人間七七四年2018/06/20(水) 17:28:24.30ID:ubG4bHtE
ID:klfrvtu5

むしろ君が読んで家康の裁定こそ正しかった!と言えるような
史料があったら教えてくれ。寡聞にして知らないものでね。
0468人間七七四年2018/06/20(水) 17:54:25.46ID:X+kD1sKF
>>464
本当に福島が味方すると考えていたとは思えない

内付近いあたりで、協力要請したのだろうか
0469人間七七四年2018/06/20(水) 18:12:32.99ID:WqG+q2iN
七将襲撃は三成や輝元がこれに乗じて、兵を挙げてクーデター起こす計画もあった
こういう最近判明した事情を知らないと、家康の無血で終わらせた判断を正しく評価できない
0470人間七七四年2018/06/20(水) 18:17:08.57ID:M1F9LJHQ
>>466
宇喜多騒動は大谷と榊原だけで事態収拾しそうなのを悪化させたという論拠を詳しく教えてください。
0471人間七七四年2018/06/20(水) 18:25:09.96ID:y2rRwL9y
秀吉死後の豊臣政権は最近ほんといろんな話が出ていて訳わからなくなりそうだな…。
どの情報を取捨選択するかによって解釈が180度変わってしまう事件もありそうだ。
自分は浅学なものでネットで得た情報とか話を参考にして解釈した書き込みしか出来ないけど、
資料とか解説本とか集めまくってる人なんかは凄いと思うし、同時に大変だなと思う。
0472人間七七四年2018/06/20(水) 18:48:55.97ID:mcrJcHcB
>>464
秀次を自害に追い込む為に積極的に動いていた顔触れじゃない?
画策した奉行衆と高野山まで大軍を引き連れて押しかけた福島とさ。
0473人間七七四年2018/06/20(水) 18:49:01.52ID:klfrvtu5
>>466
出典書いてくれてんね、ありがとう
で、その論拠となる箇所提示してよ
0474人間七七四年2018/06/20(水) 18:51:35.40ID:mcrJcHcB
>>458
宇喜田や佐竹もいるんだから個人の腕っぷしだけの七将なんて一蹴されて終わりじゃね?
0475人間七七四年2018/06/20(水) 19:05:53.45ID:W23yKiBQ
>>448
なるほど
そうならないために清洲城から宇喜多吉川小早川の3万が東進する訳か
小豆坂で東西膠着状態だな
0476人間七七四年2018/06/20(水) 19:40:17.99ID:ywgnU9kv
宇喜多騒動の仲裁で榊原と大谷はヘマやったんじゃなかったっけ?
0477人間七七四年2018/06/20(水) 20:07:06.90ID:m/dlzt2W
>>457
七将襲撃を秀吉死後の政局争いという観点で考えちゃうとわかり難くなるんじゃないか
慶長の役で処罰された大名の名誉回復運動と考えればシンプルになる
唐入りはほとんどの大名が損しているから数少ない受益者である(ように見える)熊谷福原垣見といった軍目付と
彼らの派閥領袖の三成の失脚というのが穏当な落し所なんだろう
0478人間七七四年2018/06/20(水) 20:10:17.97ID:WqG+q2iN
>>476
両名の格では収まりが付く問題では無かったのだろう
宇喜多騒動なんて天下人の裁定が必要なレベルだし
0479人間七七四年2018/06/20(水) 20:26:28.32ID:ZX8Ge9HV
>>477
ああ、唐入りか。しかし本当に政権に悪影響しかなかったな、アレ。
そういえば福原はなんか凄く嫌われてたと聞いた事があるな。
0480人間七七四年2018/06/20(水) 20:49:45.03ID:bjituO3z
>>466
何を習ったのか知らんが
宇喜多騒動は大谷らの仲裁は失敗に終わり
家康の介入裁定により収束したんだろうが
0481人間七七四年2018/06/20(水) 20:50:36.67ID:uak7LTzn
>>452
ぶっちゃけ秀吉がそもそも力不足だったんだよな
五奉行はそのままダメな流れをひきついだ盆暗どもって感じだな
0482人間七七四年2018/06/20(水) 20:56:01.97ID:uak7LTzn
>>460
惣無事令を忘れるなよ
0483人間七七四年2018/06/20(水) 21:04:36.44ID:QjOjU6pQ
>>479
尉山の戦いについて秀吉に報告するのが(三成義弟の)福原の仕事なんだけど、彼の報告によって黒田長政や蜂須賀家政が秀吉の逆鱗に触れたらしい。
それが讒言なのか、事実なのか、秀吉の耄碌なのかはわからないけど、武断派の何人かが処罰された。
彼らの主観では福原と石田の罪と認識していたのだろうね。少なくともそういうことにすれば、名誉回復も比較的簡単だし。

個人的には秀吉の耄碌した判断じゃねえかっていう疑念はあるけど史料はないので何とも言えん。
傍証は福原他が告発の褒美として領地を加増されてることね。経緯はどうであれ告発の褒美なんて怖いよ。和解できない敵を作るようなものなのに。
0484人間七七四年2018/06/20(水) 21:20:25.22ID:qp6nL9i4
>>466
ふむふむなるほどもっと聞かせてくれ

それにしても西軍が中山道と東海道を先手を取って進軍していくというのはいいね
秀忠が敗死という所から始まる話は面白し
0485人間七七四年2018/06/20(水) 21:26:46.32ID:OhPnUfAG
関白秀次公を追い込んだ人々は全て滅んでるよね。因果応報って恐ろしい。
0486人間七七四年2018/06/20(水) 21:34:45.26ID:ZX8Ge9HV
>>485
追い込んだというよりは見捨てたと言った方が近いけど、山内は生き残ってるな。
0487人間七七四年2018/06/20(水) 21:49:01.52ID:X+kD1sKF
>>475
小早川は離脱
吉川はいざというときに役に立たない可能性がある

宇喜多だけでは東軍先発隊に撃破される
0488人間七七四年2018/06/20(水) 21:55:02.39ID:X+kD1sKF
>>482
惣無事令は喧嘩も禁止?
0489人間七七四年2018/06/20(水) 22:37:46.14ID:jziVyxyI
>>488
そりゃそうでしょ
争って天下人の手をわずらわせるのを防ぐのが目的なんだろうし
0490人間七七四年2018/06/20(水) 22:54:08.63ID:X+kD1sKF
>>489
喧嘩禁止なら七将も処分だな
0491人間七七四年2018/06/20(水) 23:05:58.06ID:QjOjU6pQ
>>488
「喧嘩」停止令は別にあるけど、これは民衆レベル庶民レベルでの村落間の水利権やなんかの争いで武力闘争を禁止するのが中心だと思われる。
惣無事令にしても喧嘩停止令にしても御掟(大坂城中壁書)みたいにわかりやすいものじゃなくて、判例や書簡からその存在があると推定されているだけだけど。

御掟3条に喧嘩口論は我慢したほうの勝ちとある。大名間の紛争は御掟追加の6条にあるね。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920348/229
ただ、この規定も執行する能力が政権にないと空文だけどね。
0492人間七七四年2018/06/20(水) 23:15:43.97ID:2KspLkh8
>>490
七将の件に関してならアレ純粋な襲撃とは違うと思う。なによりおかしいのは、三成のみが処分されている事。
どうも三成処分に関しては家康だけでなく豊臣家側も人を出して検討を協議してるらしい。
要は豊臣政権(というより豊臣家)はあれを訴訟扱いにしてる可能性がある。
ただし、判決は七将の予想よりずっと軽いものだったようだが。
0493人間七七四年2018/06/20(水) 23:26:36.14ID:pnB/l8Bm
>>466
どっかから持って来た史料だけを偉そうに羅列しないで
どの史料に君の主張している事がどう書かれているか原文と解釈を挙げてくれないか?
もちろん、大西泰正とかの宇喜多関連本は読んでいるよね?
0494人間七七四年2018/06/20(水) 23:49:31.03ID:tdea0rQB
>>440
事の発端は朝鮮出兵で武断派の不満が溜まってた事で
それ自体が豊臣政権の大きな失政
そこで現場調整できないどころか対立して張り合うとか考えうる最悪の展開引き起こしておいて
ケンカ両成敗にしてもらおうとかどこまで甘ったれてんだ
家康の利になる裁定をされたくなければきちんと隙を見せずに
自分で治められれば良かっただけ
家康は火に油を注いだのはあるだろうがボヤを出したのも消せずに火事までいったのも豊臣の自業自得と奉行連中の能力の低さが招いた事だ
奉行は政治に口など出さず大人しく金勘定だけしてれば良かったんだよ
0495人間七七四年2018/06/20(水) 23:52:17.02ID:QjOjU6pQ
そういや三成も伏見城にこもっているんだよね。
確か徳善院玄以も巻き込まれて一緒に籠城する羽目になったような。衡平なのかな?

感覚の違いな気もするし当時は別の発想なのかもしれないけど、強訴にしかならなかった七将と伏見に行った三成では伏見を私用した三成の方が罪が重いかな?
0496人間七七四年2018/06/21(木) 00:00:05.62ID:Y5A0GNPt
しかし481はレスアンカーがついたレスになったね(笑)

>>494
奉行の仕事って検地とかもあるし、大名家臣団の領地の再配分も一緒にやるから政治に口を出すなって無理なような。
普通に官僚みたいな仕事をしていても結果的に政治に口を出すことになると思うんだけど。
0497人間七七四年2018/06/21(木) 00:59:56.43ID:R4y6CKKP
>>496
それも秀吉の権力ありきの仕事
実力ない奴が本来請け負っていい業務じゃ無いから辞退すればいいだけ
0498人間七七四年2018/06/21(木) 01:52:01.76ID:EUD5zgR9
単発ID多いなw
0499人間七七四年2018/06/21(木) 02:04:08.47ID:Q/jO9Tl7
光成準治著 関ヶ原前夜より引用

毛利元康宛毛利輝元書状(日時欠)

治少より、小西・寺澤越され候わば、ねらいたて仕り候者一向珍事なく結句手おきたる、
今においては仕合わせ候条、此方より仕懸けらるべく候、左候わば、
輝も天馬のごとく罷り下り、陣取あまさきへ持ち続け候様にと申され候事

光成氏訳
石田三成から、(使者として)小西行長と寺沢正成が来られました。
石田三成は「私の命を狙った者達は全く成果を挙げることができず、
むしろ、手をこまねいている今はよい機会ですので、
こちらから仕かけられるのがよいでしょう。そこで、輝元も天馬のように都から下って、
陣営を尼崎へ敷き続けるように」と申されました。
0500人間七七四年2018/06/21(木) 02:18:49.38ID:Q/jO9Tl7
>>469
クーデターというより七将、もしくは徳川派との戦争じゃない?
吉川広家の兵1500+あとどれだけ兵がいたのかわからんけど、
七将から仕掛けてるんだからこれに反撃するのは謀反ではない。
むしろ七将が奉行を襲撃してるんだから謀反と言える。
0501人間七七四年2018/06/21(木) 03:03:32.68ID:Q/jO9Tl7
>>495
>強訴にしかならなかった七将

七将がだれになにを訴えたの?
0502人間七七四年2018/06/21(木) 05:39:49.73ID:YihDntZA
>>469
クーデター?出典は?
0503人間七七四年2018/06/21(木) 05:53:42.47ID:dpl0iGzE
政治戦争でも負けた三成ってこと
そんだけの話
0504人間七七四年2018/06/21(木) 07:12:39.27ID:RifVTpXg
それなら野党の連中はみんなクーデターって呼ばれるのか?
0505人間七七四年2018/06/21(木) 08:04:50.85ID:kAhKn1Fm
死闘禁止なら利家と家康が騒動を起こしたときも
問題になるはずだが何ら処分がない

つまり合戦規模でなければいいんじゃないか

襲撃は厳密にはアウトだが
死傷者が出ていない
0506人間七七四年2018/06/21(木) 08:42:51.90ID:3LN/u9U/
>>500
三成はともかく、輝元が兵を挙げての介入は問題悪化を推進している
>>502
兵を挙げて家康と対抗しようとしているからクーデター

輝元としては七将襲撃を名分として兵を挙げて、七将の後ろ盾と規定した
家康から政権の主導権を奪取しようとしていた
やっていることは関ヶ原合戦と全く同じ

なお七将がどの程度の兵を動かしたか今ひとつ不明
0507人間七七四年2018/06/21(木) 08:44:15.74ID:6aV6kqJb
>>471のひとも言ってるけど、最近いろんな新しい発見や新説が出てきたりしてるんだから
それらの説に同意するしないは別にして、ある程度は把握してないと
議論がかみ合わないと思う。

個人的にお勧めは、光成準治著 関ヶ原前夜、 外岡慎一郎著 「関ヶ原」を読む、あたり。

前者は西軍大名に焦点を当ててる、一次史料重視スタンス、ただしやや偏った見解あり、
後者はサブタイトルが「戦国武将の手紙」で、書状中心、
前田、大谷、法陸方面がわかりやすい、あまり偏った見解はない。


前スレの岐阜城情報もコピペしとく。


国史跡岐阜城跡で石垣が新たに見つかりました!
http://www.city.gifu.lg.jp/32568.htm

一部抜粋
<山城としての岐阜城の評価について>
・ これまでの岐阜城の概念(山上の詰城+山麓居館という二元的構造)を
考え直させる大きな発見。



やっぱ岐阜城は巨大山城かも?
0508人間七七四年2018/06/21(木) 08:46:39.91ID:ZBylAXMT
裁定は時の権力者の差配次第とか言っちゃダメ?
何事も深く介入しなかった秀頼らは本当に権力者なのか
0509人間七七四年2018/06/21(木) 08:54:27.12ID:kAhKn1Fm
秀頼は幼児だから政治はできない
淀黄身には権限がない

政務は大老と奉行で行う
承認は秀頼だが実質的に拒否できなかった
0510人間七七四年2018/06/21(木) 09:47:21.06ID:Y5A0GNPt
>>508
当時の秀頼は小学校1年生相当の子供だったのをお忘れでは?
あと、淀や北政所みたいな女性は基本的に権力がないぞ。戦国時代は例外もちらほらあるけど。普通は権力を有する男性の妻や母として、権力を有する男性の意思決定に影響を与える形でしか権力はない。

豊臣家における女性の強さは致命的なまでに一門がいないので相対的に目立っているだけ。
0511人間七七四年2018/06/21(木) 10:11:09.89ID:Y5A0GNPt
>>471
固定概念を突き崩したいならこれかな?
高橋陽介『一次資料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)』(星雲社、2017年)

具体的には
大谷は北陸に行っていない。北陸から美濃に行ったのではなく、伊勢から美濃に行った。
脇坂安治とかは大津城で京極と共にいたので関ヶ原にはいない。
関ヶ原の戦いは松尾山の小早川を攻める西軍の側面をつけた戦い。
九月十四日に毛利は東軍に降伏し、それ以降は東軍として行動している。吉川の書状に「敵」や「味方」と表現されているけど、九月十四日までは東軍を敵、西軍を味方としているけど、以降は西軍を敵、東軍を味方として表現している。
家康は桃配山にはいなかったと推定される。

同書における関ヶ原の布陣図
小早川(松尾山)

宇喜多
東軍→石田 島津
0512人間七七四年2018/06/21(木) 11:02:43.85ID:6aV6kqJb
>>511
わたしそのひとはトンデモ系と認識してる。白峰氏なんて比じゃない。


>大谷は北陸に行っていない

たしか8月上旬に越前のどこかに大谷が禁制出してたような…。

>脇坂安治とかは大津城で京極と共にいたので関ヶ原にはいない

このひとが超注目してる、9月17日付松平家乗宛石川康通・彦坂元正連署状
(真実スレの>>14にも書状内容貼られてる)には、

小早川秀秋、脇坂、小川親子、この4人が裏切った(略 と書かれてる。


なんつーか、全然裏取りせずに「この書状には書かれているから」的に
誤認、勘違いをあまり考慮せずぶち挙げてるんだよね。

まぁネタとして面白半分に読む分にはいいかもだけど。
0513人間七七四年2018/06/21(木) 11:40:45.38ID:Y5A0GNPt
>>512
私も正直そう思います。
個人的経験として、教科書やなんかで刷り込まれた固定概念をぶっ壊して、偏見を無くすのには非常に役に立ちましたけど。
0514人間七七四年2018/06/21(木) 11:52:36.36ID:gmcnhX6H
>>511 が必読本なのは間違いない。
0515人間七七四年2018/06/21(木) 12:41:29.73ID:fkPzexzF
>>511は確かに必読本
三成が笹尾山に布陣していないとか
鶴翼の陣ではなかったとか
小早川は開戦から東軍だったとか
西軍は通説よりもあっという間に負けたなんて説も
この人の他にも白峰や呉座や乃至なんかも提唱し定説が覆えされつつある
0516人間七七四年2018/06/21(木) 12:42:54.21ID:fkPzexzF
あと大谷は開戦から早い段階に「討死」しているとか
0517人間七七四年2018/06/21(木) 18:30:18.46ID:nkcqFBml
西はまるでいいとこ無しだな
0518人間七七四年2018/06/21(木) 19:13:57.39ID:1IPGyln0
なんか学校の授業で習った関ヶ原の内容と全然違う…
0519人間七七四年2018/06/21(木) 19:49:58.43ID:uZE1lFoT
>>505
司法権の独立や法の下の平等とか、法の支配の成立した現代の発想じゃ無いですかね。

特に封建時代の法律って、犯罪を処罰するべき人が罪を犯したら処罰しようがないんですよね。立法司法行政が同一人物の利害で恣意的に動かされるので。
しかも、法の恣意的な運用が権力者の美徳扱いになることすらある。

だから、処罰がない=問題が無いっていうわけじゃ無い。処罰がない=問題が無いか処罰できないくらいにやばいっていうのが妥当では?

政権の最有力者二人を含む数十人の諸侯に対する処罰なんて、それこそ関ヶ原の戦いみたいな軍事的大勝利無しには不可能ですよ。秀吉存命中でも家康と利家の両方を罰するのは難しそうにも思えるし。

そもそも、あの頃の豊臣政権はある意味において無政府状態と言えるのだから処罰がまともにできないのだから。
0520人間七七四年2018/06/21(木) 20:02:41.09ID:Xt29L0lT
>>519
言いたい事はわからんでもないんだが。
武士って「法は定めるし、それを守らないとは言わないが、それよりも
面子や意地、(自分の中でだけ通る)道理を優先する」って考えの方が強そうな気がする。
0521人間七七四年2018/06/21(木) 20:06:20.01ID:uZE1lFoT
前田の話が少し出ていたけれど、前田征伐がらみで芳春院(まつ)が大坂にいたら前田を西軍にできていたのでは?
そうなれば越前組は伊勢や美濃に回せる。そうでなくても、前田と越前組で越後の堀(こいつを西にするのは上杉がらみで難しそう)を攻めてもらって東軍を吸引できたのでは?
流石に飛騨から美濃に入るのはハンニバル的というか敢闘精神に満ちあふれ過ぎていると思うけど。

秀忠隊や家康隊が減るだけで、肝心の福島や池田とかはどうしようもないかもしれないけどね。

人質系でいくとガラシャをきちんと捕縛しておけば細川もこちらに引き込めるような。田辺組も他に回せるし。
もちろん田辺組はちょっと怪しいのが多いからどうするべきかはなんともいえないけど。

というかちゃんと人質を殺しておくべきだったと思うのですよ。豊家の軍を自称しているんだから。
0522人間七七四年2018/06/21(木) 20:11:37.53ID:uZE1lFoT
普通に敦賀や関ヶ原経由で美濃にきて貰えばいいのか。
それなら越後の堀への疑念も持たせられそうだし。

前田も前田で寝返りそうだけどね。弁当の人や輝元みたいに。
0523人間七七四年2018/06/21(木) 20:20:35.40ID:8wtxiFTA
>>519
あなたのおっしゃる通り司法権の独立や法の下の平等とか法の支配の成立してない時代ですので、
処罰されなかったのなら問題なかったのでしょう。
まあ語弊はありますけどヤクザの幹部連中のイザコザに、
合法だの非合法だの言ってもしょうがないのかもしれません。
0524人間七七四年2018/06/21(木) 20:28:57.17ID:2HK4BnAw
>>521
利長が西軍につくかな?前田征伐のきっかけになった家康暗殺計画を家康にチクッたの、
西軍中核の奉行たる増田と長束なんだけど。
家康は元々婚姻問題の時は敵対してたし、手打ちとはいえ完全和解かは微妙だったかもしれん。
しかし、奉行は少なくともその時は前田に味方していた訳で。つまり、利長からみると西軍に味方するというのは
『自分をいきなり裏切った元味方に頭下げて協力しろ』ってのと同義じゃなかろうか。
しかも前田征伐によって前田家は存亡の危機に陥り、徳川に対抗出来る最大派閥は崩壊するという
とんでもない事態になってしまった。
こんな状況で事態の元凶が「徳川倒しに協力しろ」とかいってきたら怒るんじゃないか?

後、現実でも「裏切った味方に頭下げる位なら、敵対してた側にに協力する」って考えの奴、まれにいるし。
0525人間七七四年2018/06/21(木) 21:30:53.16ID:mH3vCXon
>>520
そんな奇麗事いう武士は江戸時代だろ
0526人間七七四年2018/06/21(木) 21:33:18.30ID:QDraEJA5
>>521
それ結局まつも間違って殺害しちゃって高台院や前田本気で激怒
四条河原に並ぶ首が増えた上に悪逆非道として後世に伝わる最悪のシナリオしか見えてこない
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