戦国時代前期なら山城で堅城なら月単位〜半年は持ってたけど
戦国時代後期は抱え大筒、大鉄砲などの柵などの守りや障害物を破壊する兵器が出てくるから
戦国時代前期で通用した戦術が後期には通用しない
秀信は経験が浅かったから野戦に出てから籠城すれば良いという考えになったんだろうけど
抱え大筒、大鉄砲がある時代に籠城準備も無しで籠城すりゃ簡単に落ちる
抱え大筒、大鉄砲でもビクともしないように籠城準備として瓦礫で通路を塞ぐ、壁を強化する、
深い空堀を掘る等をしてガチガチに城郭を固めないともう耐えられない時代
戦国時代後期に山城が廃城になり、資材をリサイクルして集約し、
大きな城郭の石垣と水堀で固めた平城、平山城に換えたのはその理由