その他の案としては、
美濃主攻もしくは北陸主攻案について

乃至政彦・高橋陽介著「関ヶ原の合戦はなかった」の208頁に
秀元、吉川はこう主張したが輝元の意向を受けた益田元祥に説得され
伊勢攻略に従ったとある。

「美濃・北陸両方面への処置を堅固に申し付けるのがよろしいかと思います。
伊勢方面は、さしあたってのところ重要ではありませんので、人数を出す必要はありません」と。

内容的に書状っぽいけど出典はよくわからない。
とりあえずこれが事実ならば、秀元、吉川の主張が採用され、美濃主攻もしくは北陸主攻が
あってもおかしくはないと思う。
美濃主攻なら西軍主力による東軍先発隊の木曽川渡河迎撃、
北陸主攻なら数的優勢でなんとか前田を降伏に追い込むか和睦で味方につける、
このいずれか、個人的には美濃主攻が勝算が高いと思う。

問題点は、だれがこの案の採用に同意するかという部分だと思う。
輝元や奉行(増田、長束)は小田原征伐のようなゆったりした展開を想定していたものと思う。
まずは丹後、伊賀、伊勢と近場を制圧し、安濃津攻略により伊勢湾制海権の確保、
関東に向けてじっくり進軍していく、と。

しかし当面の西軍の脅威となりうる存在は、前田と西上してくるであろう東軍で、
これに対処するには北陸と美濃に兵を送るという秀元、吉川の主張は当たり前ではある。

個人的には、増田と長束が自領の安全確保の優先と、輝元の毛利水軍を活かすための
伊勢攻略優先の結果、伊勢主攻になったのではないかと思う。

石田だか秀元だか吉川が「奉行衆は戦がわかっていない」と嘆いたらしいが、たしかにそう思う。

毛利元康あたりが秀元、吉川の主張を擁護してくれれば美濃主攻、北陸主攻は有り得ると思う。