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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15

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0001人間七七四年2018/06/07(木) 10:31:53.47ID:iRzdXPIr
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
0103人間七七四年2018/06/10(日) 22:00:03.30ID:2P71Pw2w
東軍にも九鬼、いますけどね。
0104人間七七四年2018/06/10(日) 22:11:05.65ID:ZnHttlGy
水軍ってのは名前ばかりで実は野良海賊
0105人間七七四年2018/06/10(日) 22:21:40.24ID:uYHqXsmV
九鬼は隠居した父親が西軍で、当主の息子が東軍
0106人間七七四年2018/06/10(日) 22:43:35.19ID:BTvKOVj5
>>98
少人数の伏見城に莫大な時間をかけた西軍が東海道の諸城を制圧できるわけがない
しかも伏見城と違い、少し粘れば東から応援が来るのは分かりきっているからより難しい
磯田は番組を盛り上げるために言っているだけで検討する価値はない
0107人間七七四年2018/06/10(日) 23:36:55.38ID:uYHqXsmV
まあ、伏見はマジの名城だけど、東海道の諸城がそこまですごいわけじゃない。
岡崎や浜松、駿府とかは家康の元居城で地元民の動向がちょっとよくわからん。家康や秀忠が上方や名護屋と関東を往復している関係で、1年に1度くらいの頻度で旧領へ「帰ってきている」のが気になる。
とはいえ、楽な戦いとは言えないけど無理とはいえないとも考える。
もちろん全力で西上してくる東軍10万強?と西軍主力推計10万(分散してる可能性あり)が衝突するまでの時間によるけど。

個人的には濃尾国境で膠着状態を作りたい。その間に西軍優位の和睦でまとめてもいいし、西国を制圧してもいい。
朝廷と秀頼は軍事的に抑えてるし領地と切り離せている諸侯もおおい。東方には上杉佐竹もいる。
畿内&瀬戸内海周辺の生産力でゴリ押しできるから時間は西軍の味方といえる。
西軍が団結できていればという大前提だけど。
0108人間七七四年2018/06/10(日) 23:45:33.18ID:29GZO1+A
上杉征伐に参加した伊勢の東軍方、富田信高、稲葉道通、古田重勝らは舟70隻で伊勢に帰還したとある。
全部でどうだろ、多めに見積もって2000人くらい?
2000人で70隻なら東軍2万を輸送するなら舟700隻必要、となる。3万なら1000隻。
700隻もそんな簡単に集まるわけがない。
少ない隻数でピストン輸送するというのもあるが、時間が掛かるのと、
舟が少なければ少ないほど、以後の補給が困難になる。

ちなみに70隻は8月25日付中川秀成宛有吉立行・松井康之連署状。
参謀本部編 関ヶ原の役だと三河の吉田から兵300で小船百余隻に分乗、とある。

従って東軍主力が伊勢に来る緊急性は低い。
伊勢攻略は安国寺、長束、長曾我部、鍋島の14000〜15000くらいで十分。

桑名に明石掃部3000〜8000、
安濃津攻略に上記14000〜15000、この配置でいい。


というかそれ以前に東軍が伊勢になにしに来るのかと。
安濃津で籠城するのか、救助に行くのか、桑名を攻めるのか、
いずれにしても退路はないんだが、その高リスクを承知でなにしに。

それと>>17の秀元、吉川の主張の出所はこれっぽい。
「吉川広家自筆覚書案」
伏見之城へ人数差寄、責口被申付候刻、勢州へ可相働之旨、奉行衆相談被相究候、
惣別濃州北国両口之仕置、堅被申付候て社尤候、勢州さしむかひたる儀にもあらす候間、
出勢無詮候、雖然、(以下略
0109人間七七四年2018/06/10(日) 23:52:00.61ID:uYHqXsmV
>>94
伊勢から大和の紀伊山地や布引山脈を越えるって結構ハードル高くないですか?
家康の伊賀越えくらいの少人数ならともかく、数千とか数万の大軍だったらきついような。
伊勢の北畠氏が大和南部に影響力を有していたというので不可能じゃないかもしれませんけど。

もちろん、警戒するべきですし、親徳川派の安濃津城とかはしっかり潰すべきですけど、長宗我部や鍋島だけでいいような。
0110人間七七四年2018/06/11(月) 00:32:12.25ID:tuu95eRk
普通に東海道行くだけで大津やね
0111人間七七四年2018/06/11(月) 07:00:43.28ID:Z0I+dSKi
>>72
楽観視をどうにかするのは実はほぼ無理。
何故なら、奉行衆が内府違いの条々で突き付けたのは「豊臣に従うか否か?」の2択だから。
ここで楽観視をしないという事は裏を返せば豊臣政権の力を疑う事、即ち
『豊臣政権は実質秀吉政権でしかなく、秀吉死後は何の力もない』という事を認めるのと同義だから。
毛利はともかく、奉行や宇喜多にそれ出来ると思うか?

それなら最初から総大将の毛利が全権を持てば、と思うだろうがそれも駄目。
奉行の本来の目的は自分たちが中心となって全国政権の豊臣政権を運営する事だから。
そもそも奉行視点家康が自分たちの邪魔をして豊臣政権を専横してるから挙兵したのに、
毛利に全権を与えたら徳川のポジションに毛利が入るだけだから関ヶ原を起こす意味がない。
毛利に天下を譲るなら話は別だが、そんなもの奉行が許容するはずがない。
0112人間七七四年2018/06/11(月) 08:15:39.63ID:kZNy+BTz
確かにそうだ。厳しいなあ。

秀次粛清後の御掟に家康利家秀家輝元景勝らが秀吉とともに連署した時点で、秀吉を中心とした大大名の連立政権、室町幕府と同じような状態へ決定的に変化したはずなんだけど。奉行たちはそれに気づいていないというか、意図的に目を背けているようにも見える。

晩年の遺書が複数あることを考えるといろんな人に、その人に都合のいいこと、その人が言って欲しいことを言いまくっていたのかな?
例えば奉行には「三成、お前らこそが豊家の真の年寄だ!」みたいな感じで。

仮説に仮説を重ねてるけど、それをどうにかできれば東軍結成を予想できた?
0113人間七七四年2018/06/11(月) 08:34:45.15ID:hSx0RDyq
磯田のテレビタレントとしての発言なんかをいちいち真に受けんなよw
0114人間七七四年2018/06/11(月) 08:35:45.28ID:RNrZdRQc
>>111
それ同じイメージが徳川にも与えられてるよね
豊臣の力の象徴として徳川が兵を出してる現実があるわけで。
0115人間七七四年2018/06/11(月) 08:49:32.61ID:vWGaaKuI
>>112
西軍より、東軍側に意識の変化がないと厳しいだろうね。
簡単に言えば、諸大名が豊臣政権の力を過大視してくれないと無理。
要するに、内府違いの条々を見て「家康には悪いが、政権がそういってるなら…」
と、諸大名が家康の元を離れて帰国するような事態にならないと話にならない。
とはいえ秀吉生前なら間違いなくこうなったろうし、その秀吉が死んでからわずか二年。
たった二年でこんな事態になるとは奉行たちはおろか、家康にも予想外だったと思うぞ。
家康でさえこの時点では『政権内で自分の権勢を高める事』しかしてないんだから。
もし家康が政権の形骸化に気づいてたんなら、彼の行動は支離滅裂もいいところだし。
0116人間七七四年2018/06/11(月) 09:01:27.37ID:YFKCgulW
割と家康にとってもギャンブルだったとは思うよ。
正則が「俺は尾張へ帰る!おまえら豊臣の忠臣だと思うなら俺についてこい!」なんて言ったら
状況がどう動いたかサッパリ分からないし。
0117人間七七四年2018/06/11(月) 09:21:43.14ID:SQ7+TLtW
>>108
船は使い捨てでは無い

なお、文禄の役に黒田長政が動員した船は536艘
朝鮮役後の日本はかなりの船腹過剰の状態と考えられる
0118人間七七四年2018/06/11(月) 09:53:00.13ID:YFKCgulW
現在でもそうだけど伊勢から大阪に入るのは至難の業だぞ。
名阪自動車道(高速道路なのにほとんどが無料区間)走れば分かるけど
普通に山だよ。当時は名阪も無いわけだしあそこを徒歩で大軍が通るなんて
まず不可能。
0119人間七七四年2018/06/11(月) 10:16:21.41ID:+RX/46WT
直接大坂に向かわんでも南近江侵攻されたらまずいだろ。大津に入られたら極めて厄介だ。
(この時点では京極は西軍として行動してるので東軍の攻略対象に出来る)
おまけにここを制圧されると石田や長束の尻に火がつくから戦線離脱せざるをえない。
というより、美濃方面の西軍が事実上孤立するんで奪回の為に転身するしかないだろう。
その可能性を消すためにも伊勢には大軍を置かざるを得ないと思うぞ。
0120人間七七四年2018/06/11(月) 10:56:01.13ID:yOz0XssS
>>119
逆。東軍が伊勢に来たら撃滅の絶好のチャンス。
退路は海か伊勢の東軍方の城に逃げ込むしかない。
大坂、近江の戦略予備と美濃の主力で挟撃すればいい。
岐阜城陥落が東軍先発隊伊勢にて壊滅に変わる。
0121人間七七四年2018/06/11(月) 10:59:51.80ID:tuu95eRk
史実の大垣でも挟撃して殲滅すればよかったのにね
0122人間七七四年2018/06/11(月) 11:00:39.57ID:yOz0XssS
3万を撃滅できるチャンスなんてそうそうない。
ここで戦略予備の出し惜しみは勝機を逃す。
0123人間七七四年2018/06/11(月) 11:17:08.54ID:nIkKINnA
>>122
誰が被害担当役やるの?断言するけど毛利は絶対嫌がるよ。
万単位の兵とぶつかるってそれ要は猫の首に鈴付けるネズミの役目なんだけど。
それと、そもそも西軍は上杉征伐軍が万単位でこちらに反抗してくる事をほぼ予想してないんで、
殲滅どころか浮足立つ可能性が極めて高いとは言っておく。
史実の関ヶ原はありゃ岐阜陥落とかの想定外が立て続けに起きて追いつめられたからであって、
この状況だとかなり事態を楽観視してる可能性が高いから。
だから東軍の方が間違いなく士気も戦意も高いからへたすりゃ西軍が大崩壊するよ。
0124人間七七四年2018/06/11(月) 11:20:11.70ID:Qp6iULa8
>>119
そもそも歴史的に東の勢力に近江に侵入されると畿内の勢力は崩壊するのがパターンだな
0125人間七七四年2018/06/11(月) 11:25:17.49ID:YFKCgulW
家康が高速で美濃に駆け付けたように
輝元が高速で美濃に駆け付ければ西軍は負けてなかった。
どう考えても秀元たちは西軍で戦わざるを得ないし
秀秋ですら輝元にびったり貼りつかれたら本人の意志と関係なく西軍の兵士として使われた。
0126人間七七四年2018/06/11(月) 11:34:41.56ID:Z/HXz8mC
そもそも伊勢に東軍がくる前提だけどどうして?

結局、東軍は福島他の先鋒と家康隊、秀忠隊、結城秀康隊のそれぞれ約三万に兵力を分散させてくれた。
これを各個撃破しないと勝ち目は無い。

せめて東軍先鋒を潰さないと。
そのために桑名あたりに数千から一万程度を置いて清須城を圧迫するならともかく、伊勢あちこちに何万も置くのは流石に余計だと思う。
無限に兵力があるなら警戒のために置いて置くのはいいけど、西軍にそんな余裕はない。
限られた兵力は可能な限り美濃(岐阜城とか)や桑名の防衛と清須城&尾張制圧を優先するべき。
0127人間七七四年2018/06/11(月) 11:40:53.36ID:GQc1q88r
>>125
大坂城がら空きにしてどうするのさ。豊臣家は贔屓目に見ても西軍支持とは言い難いし、
奉行の増田だって旗色不鮮明なんだけど。
念のためにいっとくけど、秀就じゃ輝元の名代にはならんし、一門じゃ格の問題で奉行は抑えられんぞ。
ちなみに秀就じゃダメな理由は大老輝元の後継者と決まってないから。太閤遺言で後継大老となってるのは秀忠と利長のみ。
豊臣家視点では輝元の元養子である秀元後継の方がずっといい。秀元は豊臣の姻族であり、貴重な身内だから。
勿論秀元はもう輝元養子をやめてるけど、豊臣家からすればそんなの関係ないしね。
従って、名代が出来るとしたら秀元位だ。しかしその秀元は遠く美濃にいる訳で。
0128人間七七四年2018/06/11(月) 11:42:54.01ID:yOz0XssS
>>123
被害担当役とか意味不明。
海戦の夜戦の探照灯照射役のようなことを言っているのならば
通常は旗艦が担う。

東軍の士気については、そりゃ背水の陣なんだから高いでしょう。
0129人間七七四年2018/06/11(月) 11:46:59.47ID:GQc1q88r
>>126
だから、そもそも東軍が結成される事すら予想してないんだって。
それに福島は味方になる予定だったんだから清州攻撃する必要ないの。
勿論史実では大変な事になったよ。でも、その解決には>>111の問題をクリアする必要がある。
これをクリアしない限りどうにもならん。
0130人間七七四年2018/06/11(月) 11:52:23.25ID:YFKCgulW
土地勘があれば分かるけど伊勢から奈良とか大阪に進むのは無理。
おまえら名阪自動車道を取らないで山中歩いて行ってみな。
遭難して死ぬから。大軍で通る?アホかw
0131人間七七四年2018/06/11(月) 11:54:45.32ID:YFKCgulW
蛭子さんのバス旅とか
ワッキーの地名しりとりを見た人は分ると思うよ。
現在でも三重と奈良の間はバスが通じてないし秘境だし
誰がどうやっても滋賀ルートで行くんだ。
地図で見たらとんでもない遠回りだけど標高的な事を考えると
決して遠回りではない。
0132人間七七四年2018/06/11(月) 12:03:00.87ID:r8r9WnAP
名阪国道な
0133人間七七四年2018/06/11(月) 12:16:24.16ID:yOz0XssS
>>129
論点のすり替えをするな。そんなことは問題ではない。
伊勢の過剰戦力を美濃に投入するだけ。
その合理的説明は既にしている。
そして東軍が伊勢に来る可能性と
来た場合の想定が論点。
0134人間七七四年2018/06/11(月) 12:30:36.97ID:vyAIPhN4
>>133
あのね、過剰じゃないの。というより、美濃にそんな大軍送る必要ないの。
大垣と岐阜がすでにラインとして機能してるんだから美濃はそれで十分なの。
岐阜陥落はそもそも想定外であんなもん前提にする方がおかしいんだから。
むしろ近畿地方で西軍が後制圧してないのは伊勢だけなんだからそっちに大軍送るべきなの。
西軍の行動は政治クーデターに近いから、まず足元を安定させないと。
そうしないと「やっぱり家康がいないと政権が安定しないな」って意見が大きくなってしまうから。
伊勢を制圧すれば東日本からの蓋にもなるしね。
0135人間七七四年2018/06/11(月) 12:43:55.73ID:YFKCgulW
いや、東軍も伊勢路を通って10万の大軍を大坂へなんて絶対に考えてないし
考えてたらキチガイだ。
別動隊で数千という規模で山地へ送り込むくらいならありえたかもしれないが。
0136人間七七四年2018/06/11(月) 12:46:36.52ID:YFKCgulW
東軍と西軍が関ヶ原で対峙したのは偶然ではない。
東軍は必ず近江を通らなくてはならないので100%の確率であのルートは通った。
実際、家康はそこに全軍を集めた。
一方西軍は見当はずれな伊勢に軍の大半を分散させた。
負けるべくして負けた戦だ。
0137人間七七四年2018/06/11(月) 13:17:43.07ID:7bIlnA0o
戦争のセンスの無いヤツは往々にして地図を丹念に塗り潰すように勢力を拡げようとする
そこで考えることはいかにして地図を効率よく塗るかということであって、それが必要かどうかは視野の外になりがちになる
西軍にとって伊勢攻略とはこういうこと
0138人間七七四年2018/06/11(月) 13:21:23.42ID:YFKCgulW
>>137
スプラトゥーンをやってる感覚だったんだろうね。三成と輝元は
へぼ将棋、王より飛車を可愛がりだ
0139人間七七四年2018/06/11(月) 13:39:09.78ID:A3uj5anf
そりゃ奉行がやってるのは戦争ではなくて政治だからな。
相手を上回る大義名分をもって孤立した相手を全国政権の物量で押しつぶすという
秀吉が九州や小田原でやってた事をやろうとしただけだもの。
だから奉行が積極策を取ろうとしないのは当然。それよりも諸大名を集結させて
数の暴力で押しつぶす方が安全確実なんだもの。
むしろ下手に突出して手痛い敗北を屈し、(九州で仙石がやらかしたように)軍全体が動揺する方がよほど怖い。
政治的にはすでに大義名分を得てる以上慌てる必要はないのだ。(実際はそうじゃなかったけど)
だから積極策なんてのは奉行からしたら『政治というものを理解していない』んだろうよ。
0140人間七七四年2018/06/11(月) 13:46:24.42ID:7bIlnA0o
輝元の動きは中央政権が誕生するまでの戦国大名そのものだし、上杉は条件の制約があるとはいえ、やはり似たような行動を取っている
むしろ家康が例外で、中央でのクーデターを鎮圧する軍司令官の動きを見せている
…ていうのは過大評価かね?
秀忠は中仙道を道々鎮圧しながら進む予定だったみたいだし、家康も江戸でもたついてたし、そう誉められたもんじゃないかもしれん
ただ、結果として家康は敵の主戦力撃破を目指しての行動になったけど、西軍は経済的な価値の高そうなエリア等の支配という、この戦役自体には影響が薄い行動をし、それが致命的な戦力の分散に繋がってしまった
ここから考えると、毛利ら西軍首脳たちは戦役後に豊臣政権からの半離脱と割拠を考えていたんじゃなかろうか
0141人間七七四年2018/06/11(月) 14:14:14.73ID:Z/HXz8mC
>>140
景勝は戦国大名的だけど、輝元は応仁の乱以降の室町守護大名に近いのでは?
具体的には大内氏みたいな感じ。
徳川宇喜多奉行は小さい意味での幕府の一員のような。
前田はよくわからん。
0142人間七七四年2018/06/11(月) 15:16:52.55ID:UpPu6+fI
>>126
どうすれば西軍が勝てるかを考えた場合、
普通はその見解になる。
東軍主力の想定進攻ルートは美濃が本命で、
そこに抗しうるだけの戦力を充てるのは当たり前。
足りなければ援軍要請も必要。
木曽川で迎撃するならそれに必要な戦力を
美濃に集めなければならないがやってない。

伊勢の投入戦力が過剰ではない根拠は
さりげなく何も述べられていない。
安国寺、長束、長曽我部、鍋島ではなにが
不足なのか説明してないから。
もしくは「過剰」の意味がわかってない。
0143人間七七四年2018/06/11(月) 16:04:26.33ID:MFuktb4O
伊勢主攻論を擁護すると、伊勢の富田他を瞬殺して武威を高めつつ、九鬼水軍を陸からの圧迫で完全に西軍化する。
その後に、村上水軍なども加えて東海道や江戸への海賊的な方法で圧迫を加える戦略は有りだと思うんです。
九鬼水軍が「オレのシマを荒らすんじゃねえ!不愉快だ!今から俺たちは東軍だ!」となる可能性もありますが。そこは考えないことにする。

でも、最優先は岐阜城陥落の阻止だと思います。岐阜城(と場合によっては桑名城)に兵を集めて戦線を膠着させつつ調略戦をするか、清洲城速攻(騙し討ちで開城させるのが最高)でいくか。
団結さえできれば(多分これが一番難しいけど)時間は西軍の味方
秀頼と天皇、畿内の生産力に加えて藤堂加藤細川などは領地と切り離されているからじわじわと弱体化する。西日本に比較的多い蔵入地や豊家の財宝は軍事力で横領できる。

なので、取り敢えずは岐阜城を守らないと話にならないと思うんですね。
西軍が兵力が抽出できそうなのって伊勢しかないと思うんですよ。田辺組は信用できないからいない方がいいし。越前や四国九州もあれ以上手抜くと多分負けるから。
0144人間七七四年2018/06/11(月) 16:11:30.25ID:MaPmWxgD
>>142
違う、そうじゃない。そもそも西軍は上杉征伐軍が大挙して戻ってくる事を想定してないの。
だから美濃に戦力を過剰投入する事が無駄なの。余ってる分を伊勢に振り向けた位の認識。
だって内府違いの条々を出した事で諸将は徳川を見捨てて順次大坂に帰国する予定なんだから。
ちなみにIF展開でも想定させようとするのはほぼ無理です。想定しようとすると>>111の問題に抵触します。
0145人間七七四年2018/06/11(月) 16:26:39.40ID:xgJ96169
結局、明応の政変の再現に失敗した時点で、西軍の構造上、おおかた詰んでるのな
0146人間七七四年2018/06/11(月) 17:52:43.26ID:ux1ItNsb
>>144

わたしが認識している「当初の」西軍の基本戦略はこれ。

「西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。」


で、
>そもそも西軍は上杉征伐軍が大挙して戻ってくる事を想定してないの。

これの根拠はなに?なにか書状でも残ってるの?
それとも「徳川以外の」上杉征伐軍のことか?
だとしても徳川西上の可能性が消えることはないし、その想定をしてる。


>ちなみにIF展開でも想定させようとするのはほぼ無理です。想定しようとすると>>111の問題に抵触します。

これあんたが勝手に思ってるだけ。


で、
>違う、そうじゃない。

違わない。反論するなら伊勢の投入戦力が過剰ではない理由と
安国寺、長束、長曽我部、鍋島ではなにが不足なのかの説明をすること。
0147人間七七四年2018/06/11(月) 18:15:09.17ID:kjRKIjC+
>>146
確か、三成が昌幸に出した書状でそんな感じのがあったな。
後、島津義弘も西軍首脳部がそんな想定してた事を言及してた書状があったみたいよ。
過去スレのどっかで書き込みがあった。
それと、伊勢が足りないじゃなくて、美濃にそんな過剰に送る必要がないって言ってる。
真面目に聞きたいんだけど、なんでそんなに美濃に軍勢送りたいの?
別に徳川と短期決戦する必要なんか微塵もないんだけど。西軍からみたら大義名分はこっちにあるんだよ。
征伐軍の連中が詫び入れて戻ってきたら諸大名糾合して江戸征伐すりゃいいだけじゃん。
豊臣が得意とする大義名分と力押しのコンボすれば戦術も戦略も一切いらんぞ。軍勢配置とか考えるだけ無駄。
これが一番安全確実でバカでも勝てるのに、なんでわざわざハイリスクな前進をする必要があるんだ?
0148人間七七四年2018/06/11(月) 18:17:00.86ID:LWdPlJc6
>>144
理解できたけど、それでも美濃に兵力を集中させる方がいいんじゃないか?
順次帰国するにしても、私恨問題で伏見に行った池田、細川、黒田、藤堂、加藤嘉明あたりも帰国すると踏んでいたのか?
取り返しがつかないくらいに親徳川派の経歴を作っているのに。

清須城を占領できないにしても、軍を監視するために岐阜城とかに兵を置いておくのは異常でも何でもない。
軍勢なんて何をしでかすかわかったものじゃない。強訴しようと御所に行ったら、うっかり将軍を殺しちゃった三好三人衆みたいに。
治安上の理由と、帰路で問題を起こさないように威圧するためだね。
帰国後にすぐさま東海道東征させるためにも美濃に兵力を集結させるのは問題ない。

というか、私が欲しいのは、美濃に兵力を史実以上に集結させる口実やバタフライであって、史実じゃない。
0149人間七七四年2018/06/11(月) 18:26:24.75ID:kjRKIjC+
>>148
帰国するでしょ。豊臣政権からの命令なんだから。豊臣御為掲げたくせに豊臣政権の力を疑うのか?
少なくとも婚姻問題で家康に付いた上に、三成襲撃事件の後、三成を事実上蹴落として
奉行代理に就任した大谷は西軍に味方したんだから。他の連中だって味方になると思うだろ。
0150人間七七四年2018/06/11(月) 18:41:22.82ID:SQ7+TLtW
通常、帰国する場合は東海道を通るから、伊勢国なのよね
0151人間七七四年2018/06/11(月) 18:53:13.21ID:SbcWv1YR
どのみち内府違ひの条々の効果を見定めるのに多少の時間が必要だから
八月上旬は積極攻勢に移るのは無理じゃね
0152人間七七四年2018/06/11(月) 19:31:26.94ID:7bIlnA0o
>>148
美濃に西軍が決戦兵力を集中させる理由

一つは各地にバラ撒いてしまった軍団が史実よりも早く仕事を終えて、次の指示を受けるためにたまたま美濃に集結したタイミングで、東軍先遣隊が攻勢を開始した場合
これは味方のやる気のある軍団で各地を押さえて速やかに機動するということができれば可能かな
その間、美濃方面が去就不安な軍に頼むことになるから、ギャンブル要素が強いけど

二つ目は西軍がはじめから決戦志向でいき、各地の派遣軍をやめて可能な限りの最大戦力で東海道に押し出すことだけど…そんな強烈な指導力をもつ人物なんて、西軍どころか当時の日本にはいなかったから、机上の空論になるな

考えてみたけど、史実より積極性のある西軍首脳部の行動が偶然かみあった場合と、なろう系小説の主人公みたいなやつが降臨した場合の2つぐらいしか思い付かない
0153人間七七四年2018/06/11(月) 20:40:27.07ID:SQ7+TLtW
東軍が伊勢国に向かうというのも、家康の謀略の可能性がある
0154人間七七四年2018/06/11(月) 20:51:30.12ID:YFKCgulW
>>153
ありえるな。
でも謀略だとしても戦略的に数万の兵を伊勢国に向かわせるなんて事は一目ありえないから
そんなのに引っかかるというのはどんだけ三成たちは戦に疎いかということだと思うが。
0155人間七七四年2018/06/11(月) 20:53:37.42ID:DGRQVKrF
>>151
そもそも内府違ひの条々は会津征伐に参加する途中の西国大名を関所で止めた時に
彼らに事情を説明するために作成した文書であって
別に全国にばら撒いたわけでもなければ、東軍に対して掲げたものでもないけどな
題名が仰々しいから勘違いされているだけ

間者を使って内府違ひの条々を入手した東軍大名はいるかもしれないが
正式に東軍に出したわけでもない文書で東軍を切り崩す効果はないだろうな
0156人間七七四年2018/06/11(月) 20:53:43.90ID:tuu95eRk
東海道伊勢方面は東軍の拠点が複数残っており伊勢諸将の去就も未定の未制圧地域で東軍の侵攻は容易な状態だったわけで
制圧が済んで岐阜、大垣、佐和山の重層防衛ラインの出来ている中山道とは違ちがってろくな防衛拠点の無い
桑名取って東海道北上すればそのまま瀬田まで行ける西軍にとっては柔らかい脇腹なわけで
できるだけ動員して可及的速やかに制圧して防衛体制整えるのは西軍にとっては必要な戦略だったでしょ
防衛体制整ってる中山道の端の岐阜が落ちても致命的だったつうのに
防衛体制整ってない東海道はガッツリ侵攻されても大丈夫で平気とか理屈が合わないよね
0157人間七七四年2018/06/11(月) 20:56:52.95ID:8Wp6iuIe
他は一切構わずに全軍で江戸城目指して江戸を落とす。
0158人間七七四年2018/06/11(月) 21:00:04.36ID:YFKCgulW
岐阜城に西軍の兵を詰めてない時点で戦勘が無いと言われても仕方ないと思うが。
どう考えても西軍の最重要拠点を放置してる時点で西軍の奴等も「これは駄目だ。西軍を裏切ろう」と
思ったはずだし。
0159人間七七四年2018/06/11(月) 21:04:57.93ID:ew0HbOSj
進言はしたけど三成が聞き入れなかったってことか
0160人間七七四年2018/06/11(月) 21:12:30.94ID:YFKCgulW
広家や秀秋は裏切り者だったわけだけど流動的だったし
輝元も「東軍に勝てるなら戦ってもいいよ。勝てそうもなかったら和解の方向でお願いね」と広家に頼んでたわけだし
岐阜城を落とされてなかったら広家は裏切らない可能性も十分にあった。
秀秋は徹頭徹尾ほぼ東軍だったけど位置的に西軍を裏切るのはギャンブルだった。岐阜城が落ちてなければいけない
秀秋はいつまでも高宮でうろうろしてたと思うよ。
0161人間七七四年2018/06/11(月) 21:34:45.70ID:/bUvbXGJ
家康が出陣しなければ広家は西軍として動くし
秀秋は仮病のまま

家康は岐阜城が落ちなければ出陣しない
0162人間七七四年2018/06/11(月) 21:41:13.07ID:NUiVtX0E
小早川秀秋は仮病つうか、十台前半ぐらいで黄疸が出るぐらいの肝臓病だったらしいからなぁ…
0163人間七七四年2018/06/11(月) 22:11:23.89ID:ux1ItNsb
>>156
>制圧が済んで岐阜、大垣、佐和山の重層防衛ラインの出来ている中山道

尾張からの木曽川渡河迎撃するにしても、各城籠城しての後詰待ちでも
兵力が足りないでしょ?
あと信州方面中山道からの進攻を迎撃するなら、岐阜周辺ではなく、
東濃(苗木、岩村)が適地。本来なら東濃制圧も急がなければならない。

>防衛体制整ってない東海道はガッツリ侵攻されても大丈夫で平気とか理屈が合わないよね

伊勢守るのが目的じゃなくて東軍を撃滅するのが目的。
東軍主力が伊勢に来るなら>>120
0164人間七七四年2018/06/11(月) 22:17:12.76ID:Z0sKn+bb
やっぱ藤田信吉が上杉屋敷に籠城でしょ。
藤田「難癖許すまじ、五大老の1人である上杉の言い分に聞く耳を持たぬとはなんたることじゃ」
藤田「かくなるうえは上杉の力をみせてやる」
と鳥居元忠ばりに籠城戦を繰り広げることで東軍武将の心胆寒からしめるのだ。
0165人間七七四年2018/06/11(月) 22:26:46.84ID:SQ7+TLtW
>>161
東軍先鋒が出陣した段階で、後は直政・忠勝の判断を待つだけ
0166人間七七四年2018/06/11(月) 22:43:35.67ID:ux1ItNsb
>>152
伊勢主攻についての吉川広家の見解については、>>17>>108で触れてるけど、」

「伏見之城へ人数差寄、責口被申付候刻、勢州へ可相働之旨、奉行衆相談被相究候、
惣別濃州北国両口之仕置、堅被申付候て社尤候、勢州さしむかひたる儀にもあらす候間、
出勢無詮候、雖然、(以下略」

当時の毛利の軍事担当といえる吉川広家がこのような見解をしているのだから
現代の我々からみてもおかしいと感じるし、当時の武将吉川広家から見てもおかしかったわけでしょう。

さっき思い出したんだけど、秀元はたしか「もっと兵力がないと伊勢攻略は難しい」というような
主張というか反対をしていた気がする。これに対する輝元の回答は、
「もう元康くらいしかいないのでこれ以上の増派はできない」みたいなかんじだったような気がする。
秀元の主張には裏がありそうなので保留するけど。

美濃で守ってその間に他方面を攻略する、でもいいんだけど、守れないんじゃ意味がない

守れるだけの兵力が足りない、ということになる。
0167人間七七四年2018/06/11(月) 23:03:32.80ID:ux1ItNsb
>>150
草津、亀山、熱田、嵩山(現愛知県豊橋市付近)、見付(現静岡県磐田市付近)、島田、駿府、
これ上杉征伐軍の兵糧給付所の場所だけど、たしかに東海道。

でも鍋島等近江愛知川通るってことは関ヶ原経由だよね、
けっこう大名ごとにルートはバラバラだったんじゃないかな?
0168人間七七四年2018/06/11(月) 23:26:57.67ID:tuu95eRk
>>163
>>120これの何が根拠
0169人間七七四年2018/06/12(火) 00:39:24.07ID:4HpEkcNu
>>162
2年弱で死んでるからマジで病気説は普通にあり得ると思ったけど、うわあ。
10代前半でそれなら、粛清の恐怖と戦いながら生きる秀吉晩年のストレスも加わるのか。
そうなると、仮病じゃなくて普通に病気の可能性も十分あり得るな。

秀秋が会津征伐直前に急逝するIFとか?

>>167
多分、関ヶ原が一番楽だと思うけど、鈴鹿峠や鞍掛峠も使えないわけじゃないかと。
少人数なら天候次第で他の峠も使えるでしょうし。

でも、関ヶ原ルートが一番楽そうです。次点が鞍掛峠や鈴鹿峠かな?こっちは長束領の甲賀とかを通り上洛できます。
他はちょっと平成時代でもきつい。現代でも冬季や降水量で封鎖されることもある。
0170人間七七四年2018/06/12(火) 01:53:47.72ID:4C0L21Zl
仮に伊勢攻略軍が居なくて
東軍主力が普通に伊勢から突き抜けて来たら
どう戦うんだろうか
0171人間七七四年2018/06/12(火) 02:14:31.35ID:G9ec4Dc2
あんま変わらん気が
このまま近江突っ込むぞーと気勢を上げる先鋒軍を家康が止めて関か亀山でポスト関が原かな
岐阜城陥落同様に防衛線突破されてるから毛利は日和て小早川は裏切ってるはず
0172人間七七四年2018/06/12(火) 05:37:26.03ID:Onrj+9gB
例えるなら東海道が函谷関、伊勢路が武関だろ。
前者が大手門なら後者は搦め手裏口
大挙して伊勢路に来る可能性など最初から1%もないよ。
大渋滞してしまう。
数千くらいの部隊を伊勢に送る可能性は十分にある。
海路も空いてたら当然、直接堺へ上陸させる部隊も1000単位で出しただろう。
0173人間七七四年2018/06/12(火) 07:03:56.65ID:nrgYiSnI
まあ史実の東軍の行動を前提にして言ってるんだろうけど、
その前提が実際に周知されていたなら西軍も史実ほど集まらんだろうし、
何よりも毛利が乗ってこないだろう。
気になるのは実際に計画通り上杉討伐が行われたとしたら、
史実の西軍挙兵のタイミングからみてもあっさり終わると思われてたのかな?
0174人間七七四年2018/06/12(火) 07:44:21.26ID:4HpEkcNu
>>173
上杉は100石あたり10人の動員を仮にしたとして12万人、現実には8万か9万を動員できればいい方
一方、征伐軍は家康隊秀康隊秀忠隊先鋒合わせて10万人に長宗我部小早川鍋島なども加わり12万ほど
さらに越後の堀や伊達最上、東北諸侯も加わるから20万近く、戦略を戦術でひっくり返さないと敗北必至
白河決戦案も領土の半分近くまで攻め込まれている状態での決戦になる。
飛び地に近い庄内平野からの動員が失敗する可能性もあるし、最上や伊達の殺る気はたくさんある。
全方位から攻撃されるので上杉は少なくとも4つから5つに戦力を分散させる必要がある。
1年持てばいい方じゃない?
ここまで不利だと上杉家中からも裏切りが出かねないし。

証拠はないんだが、上杉は家康の動員力を図り間違えたのでは?
直接利害関係のある徳川家と伊達最上堀以外は動員できないと勘違いしていたとしか。
0175人間七七四年2018/06/12(火) 08:17:29.17ID:s4kwqEJ6
上杉は、政権乗っ取りを狙っていた家康が中央から簡単に離れられるとは思っていなかった
それを見越したうえで中央政権はお前にやるから地方で割拠させろという強談判のつもりだった
ところが家康は政治家である前にまず戦士であり、遠征軍を私兵化してその軍事的圧力で豊臣を傀儡化することを選んだ
もし相手が家康ではなく毛利輝元だったら、直後の関ヶ原での主力決戦の避けっぷりからみて、上杉の狙いは成功したかもしれない
上杉は家康を甘く見すぎていた
0176人間七七四年2018/06/12(火) 08:19:59.45ID:Onrj+9gB
談判するより先に城や砦の建築及び浪人のスカウトをガンガンしてたのだから
強談判説は根拠が薄い気がする。
0177人間七七四年2018/06/12(火) 08:22:21.85ID:Onrj+9gB
万一、家康が東下しなくとも必ず景勝は堀領と最上領を侵略したよ。
そうしないと莫大に抱え過ぎた浪人武将たちに約束した土地や金をあげられないから。
破綻しないためにも徳川に攻めにきてもらわないと困っていた。
0178人間七七四年2018/06/12(火) 08:49:14.49ID:P3Q9lrFJ
中山道は河尻秀長の苗木城辺りで蓋をして内側の美濃掃討戦、
東海道は清洲で蓋をして桑名との間を掃討戦を済ませて持久出来るでしょ。
カッコつかなくなった前田利長は隠居して利政が率いればいい。
0179人間七七四年2018/06/12(火) 09:10:11.73ID:G6p2lrM2
そういや、前田は内心西軍で、利長とかも内通していたけど、人質がいるから泣く泣く東軍にって言うのは信じていいの?
前田征伐とか松前氏の件(松平と前田で松前というかなり屈辱的な扱い)とか西軍につく動機はたくさんあるけど。

それなら芳春院が大坂にいて問題なく西軍に前田がつけたというifもできそうだから。
前提条件が厳しいけどさ。美濃方面の軍を5000から1万ほど追加できそうじゃない?
主力は越後の堀攻めになりそうだけど。
美濃の兵を増やさなくても、堀家救援のために秀忠隊の一部ないし全部を吸引できそう。
0180人間七七四年2018/06/12(火) 11:15:38.87ID:Z/fxABlx
>>179
前田については、一応東軍だけど戦況が西軍優勢になれば
西軍につくのも考えるってかんじのスタンスかと思う。
一応利長の家臣宛て書状では
「利政がいうことを聞かないので困っている。
家康にどう取り繕えばいいかわからない」
的なことを述べている。
0181人間七七四年2018/06/12(火) 11:24:56.01ID:hQ4Wri3O
利家と同じことしとるw
0182人間七七四年2018/06/12(火) 12:11:41.85ID:s4kwqEJ6
>>176
なんで?
砦があったほうが相手の戦意を挫けるし、上杉の本命の敵は徳川じゃなくて自分の周辺大名だよ
徳川が中央政権に居座り乗っ取ることを最優先してくれれば、集めた将兵は近隣を切り取るのに役に立つし、報奨も与えられる
上杉の狙っていたのは応仁の乱の再来だよ
逆に聞くけど、徳川が天下の軍を率いて征伐に来たら、寄せ集めの兵と急拵えの砦で防げると思うほど、景勝が楽観主義者だと思うのかい?

答えは簡単
景勝は家康が中央から離れられず、上杉に譲歩してでも中央政権の乗っ取りを優先するとみていたのさ
そして家康が何枚も上手だったということ
0183人間七七四年2018/06/12(火) 12:15:02.93ID:s4kwqEJ6
>>176
談判するより先に軍備するの当たり前でしょ
きみ何言ってるの?
俺に手を出すとアンタが損するぜ、てやるから強談判になるんじゃないか
相手が強硬な態度に出てからイソイソ軍備はじめたらただのマヌケじゃん
0184人間七七四年2018/06/12(火) 13:35:23.45ID:nrgYiSnI
関ヶ原の時に防衛の為に整備されたとされる砦の跡地を実際に発掘調査してみたら、
実際には明治維新の時のものだったていう話し聞いたことあるけどどうなんだろ。
0185人間七七四年2018/06/12(火) 13:42:14.82ID:P3Q9lrFJ
>>184
「聞いた話」ほど当てにならない物はない。
会津防衛に適した地点は変わらないだろうし、上杉が構築した同じ場所に陣地を設けてもおかしくない。
0186人間七七四年2018/06/12(火) 15:32:04.89ID:5UaxVgyI
>>180
前田利政がというより、前田家中が大老として家康討つべしの勢いだったんじゃない?
当主以外は利家の遺訓通りに動けばいいと信じ切った感じでさ。
0187人間七七四年2018/06/12(火) 15:56:20.02ID:46nL7/6A
>>186
利家の遺訓で家康討つべしってどういうことかいな?
秀頼さまへご謀反仕り候衆のところ?
でも前スレからずっと話されてた通りどっちが謀反かというと西軍だよね
0188人間七七四年2018/06/12(火) 16:15:41.00ID:DfNuXUn0
家康が天下を狙ってるというのはまともな頭を持ってりゃみんな分かってただろうからな。
前田家中に家康を阻む考えが有って当然だわなあ。
0189人間七七四年2018/06/12(火) 16:47:50.41ID:UYycmCwd
秀吉の意向通りに豊臣政権で政務取ってたら天下狙ってることになるんか
0190人間七七四年2018/06/12(火) 16:59:01.44ID:3gWY9AUf
天下取り(藤原氏)でも他家にとっては脅威ですわ。
藤氏も決して無血で権力を獲得したわけではないし。

徳川も徳川で秀頼成人前に圧倒的なヘゲモニーを確立できないと蘇我氏や三浦氏のようになりかねない。
小鹿範満かもしれないが。
0191人間七七四年2018/06/12(火) 17:41:14.60ID:I6Bc1a9q
前田利家も死ぬ間際だけ忠義ぶったことやってる逸話があるけど、基本前田なんて自分ところだけが大事の割り切り武家だけどな
0192人間七七四年2018/06/12(火) 20:56:57.70ID:jXkD7d4h
豊臣からして自分のところだけが大事の割り切り武家だ
0193人間七七四年2018/06/12(火) 21:46:47.07ID:MAtrVRWN
>>188
まともな頭を持ってりゃ天下を狙っている時の信長や秀吉に抵抗した連中の大多数がどういう末路を辿ったか
みんなが嫌というほど分かってただろう
特に前田なんて最前線で一番知っている家だ

浅井や柴田などを見てきた前田が自分が同じ立場になろうとするかな?
石田派みたいに奉行として権勢を振るえないなら死んだ方がマシという特殊な立場か
ど田舎で育ってそんな歴史を知らない大名でもない限り
賢い大名ならいい加減学習して、命がけの抵抗なんてするもんじゃないと理解する方が常識的だろう
0194人間七七四年2018/06/12(火) 21:57:37.03ID:nrgYiSnI
>>184

これ革籠原防塁の話だった。
気になったんで帰ってからぐぐってみたら
福島県史料情報第26号の慶長五年「白河決戦」論の虚実で触れられてた。(http://www.history.fcp.or.jp/shiryojoho/shiryojoho26.html)

前田は上が豊臣になろうが徳川になろうがどっちでもいいんじゃないかな、
主家の織田や上司の柴田に対してとった態度みればわかりそうだけどw
まあそもそも西軍≠豊臣だけど。
0195人間七七四年2018/06/12(火) 22:02:21.64ID:nrgYiSnI
>>194
リンクうまく貼れてなかった

http://www.history.fcp.or.jp/shiryojoho/shiryojoho26.html
0196人間七七四年2018/06/12(火) 22:03:39.22ID:P3Q9lrFJ
>>189
前田を脅して利家妻を江戸に人質に取れという秀吉の意向通りに豊臣政権で政務取ってたという世界?
パラレルワールドの話は他でやってくれ。
0197人間七七四年2018/06/12(火) 22:43:00.06ID:UYycmCwd
>>196
加賀征伐は利家死後の話だよね?死後のことまでわかってるなんて利家は魔術師さんかな?
ついでに言えばなぜ加賀征伐が起きたのかといえば利家の遺言も守らず利長が帰って家康との関係悪化したからだよね?

ボケにしてももうちょっと面白いネタのフリ方してくれないと
0198人間七七四年2018/06/12(火) 23:34:30.31ID:MAtrVRWN
そもそも加賀征伐が起きた理由は
増田・長束・玄以の三奉行が利長による家康暗殺計画を主張したからでしょ
家康は政務を執る筆頭大老として奉行の訴えを聞いて対処しただけ
まさに秀吉の意向通りに豊臣政権で政務を取ってたという証拠だろう
0199人間七七四年2018/06/13(水) 00:11:36.26ID:MWchMdSt
本当に暗殺計画なんてあったと思ってるとか草
0200人間七七四年2018/06/13(水) 01:14:41.47ID:GEHU1yVy
異心ありの報告あったことは確かじゃなかったっけ?
0201人間七七四年2018/06/13(水) 01:32:31.56ID:qBWMID9d
>>197
帰ったからじゃねーだろ。利家の遺言ですからと加賀から兵8000を呼び寄せて常駐させれば家康との関係は悪化しなかったのか?
0202人間七七四年2018/06/13(水) 01:38:00.21ID:wfx0aU5Z
>>186
前田利家と言う男をよく知ってる前田家中の人らで
利家が本気で家康と対立すると思ってた奴なんていないと思うわ
下手な勝負には出ないが面子だけは保つ
それが出来る優秀な政治家
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