>>36 宛続き
で、中立がどうとか言っているようですけれど、
斉藤義龍ではなく、斉藤龍興の話ですし、そもそも斉藤龍興は
信長から和睦を持ちかけられて、それを受け入れたら普通に信長が異変してきたので、
「案の定」と言っているわけで、中立も何もない話だと思いますし、
さらには本願寺の場合も「信長と和睦をしたけれど、どうせ破れるのは時間の問題だろう。」
的に言ってるわけですし、
朝倉においては、まだ敵対する前に、信長から上洛をもとめられた時に
「信長は信を守らない男なので、義景様を上洛させて謀殺するつもりかもしれない。
断じて今回の事に応じてはならない。」と家臣の一人がいい、他の家臣も賛同した、と
されていますので、当時の信長の評判、とやらがどんなものだったのかは
明確にわかるように思われるのですが、いかがなものなのでございましょうかねえ。

さらには、フロイスも、普通に信長について、ネブカドネザルの狂気と傲慢を示した、的に書いて
批判的に書いたりしてますしねえ。