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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part13

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0001人間七七四年2018/04/02(月) 21:29:04.59ID:oBAf0Msp
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
0067人間七七四年2018/04/07(土) 10:39:49.66ID:7KnzVsBs
>>62
レスアンカーが違ってるような気もするが、輝元が大坂城を退去した最大の理由は
輝元、秀就の命の保証と領国安堵が約束された、からでしょ。
それがないなら大坂城に篭って粘って好条件を引き出す、というのも悪くはない(毛利的には)

ただ残念なのが輝元が交渉したのは黒田、福島、それに加えて井伊、本多であって家康ではない。
いかに黒田、福島が約束しようと、井伊、本多が取り次ごうと
家康が約束したわけじゃないから。
好条件なんで飛びついてしまったんだろうけど、ちゃんと家康と起請文交わすべきだったね。
まんまと家康に騙されてる。
0068人間七七四年2018/04/07(土) 11:11:18.69ID:eV+Itz1h
>>66
家康はガチの剣術遣いだが
0069人間七七四年2018/04/07(土) 11:21:19.58ID:vxpCEv5K
輝元に剣を使えるイメージがまったく湧かない
無双とかバサラみたいな戦国アクションゲームに(絶対ないと思うが)輝元が使用可能キャラで登場しても
どっかの姫が参戦してくる以上の違和感を抱いてしまいそうだ
0070人間七七四年2018/04/07(土) 11:38:06.56ID:eV+Itz1h
家康の場合、移動時は敢えて粗末な駕籠に乗ってさっさと移動するわ、
常に居所を多数に知らせずに変えたりするわ、自前で調薬するわ、
武術は優れるわで、暗殺できる可能性を丹念に潰している
0071人間七七四年2018/04/07(土) 11:43:57.48ID:5JOMXXBW
>>67
実際には領地半減で話がまとまっていたそうだが。
0072人間七七四年2018/04/07(土) 11:48:36.74ID:fV180t8A
>>67
騙したつかそもそも家康の権限じゃ口約束しか出来なかったわけで
領地宛行は君主の専任事項で五大老は代理で出来るだけ
家康が勝手に正式な領土交渉したら主君秀頼の権利を侵すことになる
だから関ヶ原時の家康は誰に対しても口約束
輝元も騙されたわけではなく籠城不可能だったから退去しただけ
0073人間七七四年2018/04/07(土) 11:56:26.92ID:ZykLEUhu
>>65
下が動いてくれないから毛利君もやる気が出ませんでした
が通ることでもないでしょ、総大将なのに。
そんなお飾り気分でおいしいところだけつまみ食いしようとする時点で無責任すぎる
仮にも総大将に日和見は許されないよ
0074人間七七四年2018/04/07(土) 12:36:43.97ID:fUvYoNKK
だって、テルだもの
0075人間七七四年2018/04/07(土) 12:45:19.50ID:5JOMXXBW
>>73
だって毛利はそこまで徳川と対立する理由ないもの。
毛利には天下への野心が無いんだろ?なら別に徳川と豊臣どっちがトップでも構わんのだから。
別に西軍に味方すれば未来永劫毛利の領地が減らされず、いじられないって保証はないし。
西軍についたのは単にその方が利益を得られると思っただけだろう。
瀬戸内周辺制圧の為に兵士を西国のあちこちに派遣してるし。東にもそこそこ兵は出したし。
で、負けを悟ったからとっとと沈む船から降りて損切りしたってだけの話。
むしろこのまま負け組に付き合ってたら破滅だと理解して、余力あるうちに離脱したんだから輝元は賢いよ。
総大将なんだから?輝元の思惑も理解できん方が悪い。そもそも毛利抜きで西軍が成立したかどうか怪しいんだから、
毛利の望み通りに動かない方が悪いね。
0076人間七七四年2018/04/07(土) 13:21:35.60ID:wM/rVqec
>>68
そうなのか?このころってキセル吸ってごろごろしてるだけじゃないの?
0077人間七七四年2018/04/07(土) 14:08:15.05ID:ZykLEUhu
>>75
徳川に積極的に味方しないにしても、一度西軍のトップに据えられたのならもうすこし立場を鑑みた行動すべきだよ
旗色わるいから実はボクチン東軍にたてつく気なんてないよ三成が悪いんだよほら吉川だって味方したじゃんとか、言い出すなよと。
あげく家康の甘言にだまされるとかどんだけ盆暗なのか。

最初からじつは総大将のくせに徳川に内通してたビッグサプライズでしたよ、ほらちゃんと果たして不穏分子あぶりだしに貢献したよほめてほめてーとやってるなら評価かわるけど。
0078人間七七四年2018/04/07(土) 14:42:47.62ID:Ji3+zzGl
>>68
肥満の剣術家なんているかよ。
奥山なんたらに剣を習ったなんてマジで信じてるのかよ。
0079人間七七四年2018/04/07(土) 14:54:20.82ID:JhvKoF1v
>>77
逆だよ。だからこそとっとと逃げ出すべきなんだ。
むしろへんに義理堅さを見せて沈む船に付き合って破滅するよりよほどマシ。
そんなバカな事して御家を滅亡させたらそれこそ先祖に申し訳が立たん。
御家大事って観点で見れば輝元の行動はむしろ当然だ。
それと勘違いしてもらっては困るが、別に輝元の行動をベストだとかいう気は無い。
西軍が勝つ事がベストなのは当然だ。
ただ、負けに最後まで付き合う事なく、損切りして御家滅亡はしないようにしたんだから
バカだのボンクラだの言うのはちょっとな、って考えてるだけ。
まあ、悪いなりにはまとめあげたんじゃないの位の評価。
0080人間七七四年2018/04/07(土) 14:57:58.78ID:N/OILZpX
>>72
美濃の東軍方遠藤や東濃の遠山だか妻木だかに
旧領回復の許可の書状出してなかったっけ?
伊達も領地加増について家康に一筆書かせてなかったっけ?
家康は輝元に領地安堵の書状書いた?

>>71
それなにか書状とかが残ってるの?
0081人間七七四年2018/04/07(土) 15:16:31.38ID:JhvKoF1v
>>80
近衛前久書状だかにそういう記述があるんだってさ。
過去スレや別スレでも話題になってた記憶がある。
0082人間七七四年2018/04/07(土) 15:26:42.71ID:eV+Itz1h
>>76
柳生宗矩や小野忠明を召し抱えたのが関ヶ原合戦の6・7年前
0083人間七七四年2018/04/07(土) 15:57:41.96ID:9+l/OWvR
>>81
それは興味深い、ちょっと調べてみよう。
0084人間七七四年2018/04/07(土) 16:08:50.17ID:p/PdhRMW
本能寺〜賤ヶ岳の時と関が原の時で、毛利・上杉・前田の対応が基本的に同じというのが面白い
毛利 広大な領土を取引材料に講和
上杉 全面戦争の構えも上方の変事で生き延びる
前田 最初は対立するも自分が一番高く売れるタイミングで寝返る
0085人間七七四年2018/04/07(土) 17:47:23.01ID:ZykLEUhu
>>79
逃げるのは別に否定しないけど、こんな軽薄な毛利を総大将に担ぎ上げた連中もいい面の皮だし、もう毛利を信用するやつもいなくなるわけで。
毛利の生き残りを賭けるならもっと頭のいいやり方もあったと思うよ
徳川に全面的に組みする必要もないが恩にきせる形で西軍の主要武家を制圧なりして逆心三成を倒したのは自分だと威勢をみせればいい
どっちつかずが一番ダメ
吉川あってなんとかあの裁定ですんだわけで。
0086人間七七四年2018/04/07(土) 18:07:36.80ID:fV180t8A
>>80
他の大名にも口約束レベルの一般の書状でしか約束してない
誓詞だの宛行状だの正式なものは一切なし。戦後処理の時ですら出してない(島津除く)
0087人間七七四年2018/04/07(土) 18:48:12.01ID:zRts3W6S
>>85
別にいいんじゃない。天下狙う気もなく1大名として生き残ればいいんなら
周りからどう思われようが知ったこっちゃないし。
毛利は徳川に事実上降伏した訳だから、この先徳川の天下になった場合、
周りの諸大名が下手に毛利に手を出す事など出来ないし。(手を出すとそいつが徳川の討伐対象になる)
後、なまじ大坂城にいたせいで身動き取れなかったのもあるんだろうな。
岐阜陥落が割と決定打っぽいし、そこまではまだ輝元はがっつり西軍利用してたから
その後の展開が怒涛すぎて対処しきれなかったんでしょう。

まあ、輝元が大坂城に縛られてなきゃもっと色々手を打てたんだろうが、
西国に色気出してた関係上、そっちの方面の指示出しもあったろうし、
増田が旗色不鮮明だったんで大坂から動けなかったからね。
多分、西軍がグダグダになった原因は一つではないんだろう。
いくつもの要素が重なって史実の流れになったんだよ、きっと。
0088人間七七四年2018/04/07(土) 19:15:52.37ID:/f2Z/hVa
>>87
だからそもそも生き残りが目的なら西軍を積極的に指揮して徳川を倒すか(西軍が烏合の衆にしても規模だけなら東軍にひけをとらないし布陣としては関ヶ原では西有利な体勢だったわけだし)、
または徳川と対立せずそこそこの武家でいられるように吉川ふくめ毛利全体で東軍に与するか、が普通もとめられる姿勢と思うよ
西軍が不利になったのでこうしましたー、がそもそも通用すると思ってるのが甘い
吉川の嘆願がなかったら吉川家はのこっても毛利なくなってたわけだしさ
毛利としても徳川に内応するふりをしておく、などの仕込みをしてなお裏切るとかならまだ有りと思うが
吉川におんぶにだっこなのは明々白々なわけで。
ホント輝元の愚鈍さは元就にとって残念な結果だよな
隆元が長命だったらな
0089人間七七四年2018/04/07(土) 19:33:08.37ID:XF7Lpmpw
>>88
当初の目的は家康派と反家康派が遊んでる間に瀬戸内周辺を制圧して
西国覇者の大大名になるじゃないかな。徳川は西軍有利程度に牽制できればよし、位。
だから反家康派を精々利用させてもらう程度の認識だろう。
そもそもほとんどの諸大名は関ヶ原は長期戦になると考えている。あの如水や昌幸でさえも。
要はこんな短期間で決着がつく事が想定外。従ってある程度はチグハグになるのはしゃーない。
で、当初の計画がご破算になったんで生き残り策に切り替えたんだろ。

簡単にいうと、当初は長期戦をみこんで領地拡大を狙ったが、想像以上に西軍が脆かったんで、
生き残り策にシフトチェンジしたと考えればいい。
で、領地拡大狙いなら家康は弱体化してくれる方が都合がいい。大大名は少ない方がいいし。
けれど、天下をねらう気が無い以上、無理に徳川を潰す必要もない。関東遠いし、遠征も面倒だし。
従って、西軍につくけど、深入りは避けて西国に兵を派遣してなし崩しに周囲制圧狙いが一番良い、となる。
0090人間七七四年2018/04/07(土) 20:53:59.05ID:hE3WMHpF
>>89
言ってることはわかるけどね
総大将という冠について責任を持つかどうかって話なんだよね
そして旨く立ち回ってる体で輝元の判断は結局失策だったと思うわけ
まあ徳川が何枚も上手だったって話で結論なんだけどね
0091人間七七四年2018/04/07(土) 22:25:01.04ID:vxpCEv5K
総大将といっても石田や大谷は輝元の命令に服従する気はないからな
あくまでも毛利の兵力や威光を借りたいだけで
西軍の運営自体は自分たちでリードするつもりだよ
もちろん輝元も石田や大谷の言いなりになる気はないから
互いの方針が合わなかったら仕方がない
0092人間七七四年2018/04/08(日) 06:18:43.00ID:oc2x3oau
>>90
総大将として?ならそこまで責任持つ気なんかないだろうね。
せいぜいこっちが有利ならケツ位は持ってやるよ、程度だろう。
どうせ奉行だって毛利をうまく利用してやろうってだけでこれからは毛利に従います、なんて気はさらさらないだろうし。
お互いの認識がその程度なんだからそりゃ不利になればグダグダになるよ。
0093人間七七四年2018/04/08(日) 06:39:54.49ID:ZuzKGzPY
総大将の立場安すぎだろ
0094人間七七四年2018/04/08(日) 06:59:37.29ID:Xw6cbAEY
これで家康に勝てる訳ねーな
明智、柴田と次々に倒した当時の秀吉とさえも野戦で渡り合った怪物が相手だという自覚が無さすぎる
関ヶ原自体が家康に完全に手玉に取られてるし、無理がある
0095人間七七四年2018/04/08(日) 07:05:41.28ID:GsTmygcA
総大将っていっても名目上の盟主、程度のものだろうしな。
豊臣家とそれ程縁が深い訳じゃないし、大老としても平レベルで上杉や宇喜多と同格だし。
逆に家康は姻族とはいえ一門上位レベルだし、大老としても筆頭格だし。
少なくとも輝元が西軍諸将に対して強い命令権があったとは思えん。指導的立場がせいぜいだろう。
まあ家康もそこまで強い命令権は無かろうが、それでも輝元よりはマシだろうな。
0096人間七七四年2018/04/08(日) 07:15:06.43ID:ZuzKGzPY
ま、そもそも西軍が豊臣の看板背負ったわけでもないしな
全部自称豊臣秀頼さまのため、というおためごかし
0097人間七七四年2018/04/08(日) 08:33:41.16ID:qRvPPkgD
>>94
家康は関ヶ原どころか美濃の戦いでも遅参して
殆ど戦ってないんだが・・・
0098人間七七四年2018/04/08(日) 09:34:43.07ID:ELKpTekd
>>97
それ、侍大将が槍働きしないと批判するようなものだが
0099人間七七四年2018/04/08(日) 09:49:31.74ID:Zj0sXnAk
>>81
2016年頃に発掘された、慶長5年9月20日付
近衛信これ?宛近衛前久書状かなと推測するんだけど、
ネットでは内容がわからない。
内容ってわかります?
白峰本あたり買って読まないとわからんかな?
0100人間七七四年2018/04/08(日) 10:01:55.26ID:hjFNu5YO
>>97
やっぱり家康とタイマンだな。
輝元三成秀頼茶々の誰かで頼む
0101人間七七四年2018/04/08(日) 11:23:04.14ID:2G5bkB8h
>>98
それは例え話にしても全然違うぞ?
この時点で、東軍所属の武将は誰も家康の家来じゃない。
更に徳川軍も戦っていない。

自分が何もしてない引け目があるから伊奈図書の首を差し出すハメになった。
0102人間七七四年2018/04/08(日) 11:26:53.66ID:2G5bkB8h
もし家康が到着した時に、今更何しにきたんだ?三成?俺が撃つから帰れよ
って言われたら家康は立場が無い。

もしくは使者に自分が遅参してるのに何で攻めないんだ?っておかど違いな口上言わせた時に
( ゚Д゚)ハァ?おまえの戦いだろ?帰るわ。って言われたら関東に引き篭もってるしかなかった。
0103人間七七四年2018/04/08(日) 11:41:01.33ID:ELKpTekd
>>101
>>102
基本的な認識ズレているのどうしたら良いものか

先ず、東軍は家康に街道の道作や調略の指示を受けているし、
家康の上洛が無いと最終的な勝利はないと判断していた
だからこそ旗幟を鮮明にしろとの家康の伝言を受け、大損害を
覚悟した上で渡河を実行した訳
0104人間七七四年2018/04/08(日) 11:43:00.00ID:ELKpTekd
>>99
いや、前から存在は知られていた

関ヶ原直後、近衛前久が子の信尹に送った手紙

で検索してみ
0105人間七七四年2018/04/08(日) 12:33:23.89ID:tBbdUEUk
>>102
見当違いでもないでしょ
西軍は徳川成敗を掲げているにしろ、東軍の建前は豊臣秀頼を無視して豊臣政権に槍をむけた三成排除なんだから
なので豊臣御為第一である福島加藤になにやってんだはよやれや、は間違ってない
0106人間七七四年2018/04/08(日) 15:26:59.96ID://SnW/+7
>>105
加藤は関ヶ原には出て来てませんが
嘉明のこと?
0107人間七七四年2018/04/08(日) 15:34:10.46ID:CbB8jZ3A
>>97
総大将の実力差がありすぎて戦うまでもなかった合戦だからな

関ヶ原本戦は大垣を掠めて誘い出されてるだろう
武田信玄に三方原でやられた戦いかたの応用だわ
わざわざ槍を交えるだけが合戦じゃない
0108人間七七四年2018/04/08(日) 15:49:16.74ID:XZYVs/JI
>>107
まあ駆け引きですよね。小早川秀秋の動向もあるし、
関ヶ原で迎え撃つか、堪えて大垣に篭るか、
秀忠隊の存在もあるし大垣は難しい選択を迫られたと思う。
0109人間七七四年2018/04/08(日) 16:23:13.97ID:7WNE0fug
小早川秀秋が松尾山を占拠した瞬間に関ヶ原の戦いは終わってた
東軍の勝利が確定してたね。
0110人間七七四年2018/04/08(日) 18:20:38.60ID:GNHksnnJ
というかみんな家康伝説に惑わされ過ぎじゃない?
徳川勢は小牧長久手以降は戦らしい戦から離れて久しいじゃん。
毛利秀元や小早川秀秋は戦に次ぐ戦の荒くれ集団なんだから、
根性据えて背後から家康を襲えば勝てたって。
0111人間七七四年2018/04/08(日) 18:32:22.82ID:NZONy7wJ
南宮山の毛利部隊が池田浅野に勝てばほぼ西の勝ちだろうが、毛利が動かないと分かってこそのあの布陣では?
0112人間七七四年2018/04/08(日) 18:49:53.74ID:k/93nXJl
>>110
小田原攻めでの徳川の功績は無かった事になってるのか
徳川が支城を落としまくったんだぞ
0113人間七七四年2018/04/08(日) 18:52:57.18ID:7WNE0fug
というか小早川秀秋が松尾山に布陣したため、東軍は秀秋と連携するために陣を急遽前進させたし
逆に西軍は秀秋が東軍と合流するのを阻止するために徹夜で先回りした。
本来は関ヶ原の戦いではなく「小早川秀秋の戦い」と命名するのが正しかった。
彼が松尾山を占拠する直前までは石垣城の戦いになる予定だったし。
0114人間七七四年2018/04/08(日) 18:53:36.79ID:7WNE0fug
大垣城と書こうとしたのだが・・
0115人間七七四年2018/04/08(日) 19:11:17.16ID:6+y2f04b
>>110
別に伝説とやらに惑わされてないだろ
普通に大将の実力で上行かれてるだけ
三河兵の強さは全盛期より落ちてるだろうけど
大将の采配で勝負にさえなってない

>>113
普通に家康から指示が出てたんだろ
布陣図を見れば見るほど戦略でも戦術でも西軍を綺麗に分断して罠にかける気まんまんという布陣だし
0116人間七七四年2018/04/08(日) 19:26:55.97ID:7WNE0fug
>>115
おそらくそうだろうね。
松尾山に来る直前までずっと佐和山城前の高宮に貼りついてたわけで
急に気が変わって関ヶ原の松尾山に布陣したのはできすぎ。
普通に考えたら家康からの指令があった。
0117人間七七四年2018/04/08(日) 19:32:43.11ID:BIzfs3L4
秀秋神将説
0118人間七七四年2018/04/08(日) 19:59:46.01ID:7WNE0fug
最近、秀秋は日和見などしておらず関ヶ原の合戦が始まると同時に大谷陣を攻撃したなんて説もあるしね。
0119人間七七四年2018/04/08(日) 20:17:40.61ID:7WNE0fug
最初から大垣城は捨て石にして島津と伊藤に任せておき
松尾山を三成自身が布陣して東軍と秀秋の連絡を遮断しておき
北国街道の封鎖は大谷に任せて置き
その間の膨大な隙間を宇喜多と九州勢(大垣城に入れてた)でビッシリ埋めて置いたら
東軍から見ると関ヶ原が完全に死地となるので前進できず
まるで違う戦いになったんだろうけどね。
0120人間七七四年2018/04/08(日) 20:38:21.64ID:7WNE0fug
そのケースでは東軍はおそらく地道に大垣城を落とす事から始めていくか
そうではなく西軍と対峙しそのうち2〜3万の兵を伊勢路へ進軍させるんだろうな。
伊勢路への道は本来、吉川・毛利が止めなきゃいけないが素通りさせるのはほぼ確定的。
0121人間七七四年2018/04/08(日) 20:38:35.80ID:B7Ts1GnS
小早川の松尾山占拠によって大垣城の戦略的価値が落ちたのだから
先回りして行動するのは難しいんじゃないか
0122人間七七四年2018/04/08(日) 20:41:56.84ID:7WNE0fug
>>121
だから小早川の松尾山占拠で関ヶ原の戦いは既に終わってんだよね。
そこから何をどうしようと西軍の勝つ目は無い。
将棋で言えば、うっかり飛車取りを見逃がして丸々序盤で取られちゃったようなもの。
0123人間七七四年2018/04/08(日) 20:50:48.76ID:ZUDHKaGJ
松尾山には中国勢が入る予定だったと聞いた事があるな。
で、小早川が来る前は伊藤が備えてたわけだから別に西軍ががら空きにしてた訳でもない。
が、小早川が来て同地が制圧された事で西軍大慌て、と。
0124人間七七四年2018/04/08(日) 21:01:23.68ID:3DPyniK2
>>104
ありがとう、見つけれました。これですね。

>吉川広家は毛利輝元の命で家康と交渉し、
>領地はすべてそのままと言う条件で家康の味方になる、との扱いになったが、
>それはあくまで表向きの発表で、
>実際には領土半減の条件で、家康に降参したとの話である。

たしかに義演准后日記でも、吉川広家が降参した、卑怯卑怯と書かれてますよね、

つまり領地半減の条件で降伏させてもらったが、しかしそれでは毛利の体裁が悪いので、
一般通説的な、不戦の密約をし、領地安堵の条件で大坂城を退去したが、家康に騙された、
しかし吉川広家がなんとか交渉して防長二国で済んだ、という表向きの形にしたと。


近衛前久の情報網もすごいけど、当時の上方の公家、坊官連中はけっこう裏の部分まで知ってたんだねぇ。
0125人間七七四年2018/04/08(日) 21:14:13.15ID:7WNE0fug
>>123
ガンダムを一番上手く扱えるのが安室のように
大垣城を一番上手く扱えるのは伊藤なのだから
小勢で松尾山などに行かせるべきではなかった。
最低限でも大谷か島津を警護に行かせるのが普通。
というか最重要地点なのだから三成が陣取ってていい。
0126人間七七四年2018/04/08(日) 21:18:29.24ID:klPyuYnh
三成がいないと指揮官がいなくなる
0127人間七七四年2018/04/08(日) 21:21:13.35ID:7WNE0fug
>>126
指揮を執る場所も松尾山が良い。
実際は北国道を塞ぐ場所に陣を置いたけど
あの場所では指揮しづらい。
実際に西軍はバラバラにめいめいで戦ってた。
0128人間七七四年2018/04/08(日) 21:51:34.88ID:6+y2f04b
>>122
飛車取りを見逃したくらいのわかりやすい事なら対策も取れるけど
あの段階での小早川の布陣って歩を取ったか取らないかぐらいの動きだ
あの段階から関ヶ原の決戦の陣営と旗色まで読みきって
急に松尾山に陣取れるほどの戦術眼のある奴が西軍にはいない、もちろん三成には無理だ
それに万が一松尾山に布陣出来ても、じゃあとがら空きになった笹尾山に陣取られたり松尾山の反対側に布陣したり、やりようはあるし
全く違う戦術でこられた場合、ついてこれる打ち手がいない
0129人間七七四年2018/04/08(日) 22:41:53.75ID:7WNE0fug
>>128
いやいや、そんな事ない。
動物にたとえれば頸を閉められたに完全に等しい。
松尾山が取られた時点で補給線が途絶えたわけだから
長期戦は最早不可能になってる。
既に食事もできず空気も吸えない状態だ。
しかも短期決戦しか選択肢がなくなった上に負けたら退路まで塞がれてるので
撤退すらできない。この時点でほぼ死んでいる。
0130人間七七四年2018/04/08(日) 23:12:26.41ID:klPyuYnh
補給線はまだ通っているし
大谷らが抑え込んでいる
0131人間七七四年2018/04/08(日) 23:19:58.19ID:BVHO82fA
横綱・家康:小結・三成と言ったところだろう。
両者は13日目くらいにぶつかる。
三成はマワシさえとらせてもらえず、完敗。
家康は14日目の冬の陣、千秋楽の夏の陣も勝利し優勝。

優勝インタビューで何日目が一番きつかったかきかれた家康は
「なか日の勝頼戦っスネ」と答えただろう。
0132人間七七四年2018/04/09(月) 01:03:40.77ID:8T39Y9DH
>>115
罠にかけるには、其れなりの餌が無いと無理なんだけど?
普通に関ケ原の狭隘な地形に先回りすれば有利って餌が有るでしょ?
それと家康の性格だと、小早川の裏切りのみに賭ける事はしない気がするなあ?
0133人間七七四年2018/04/09(月) 02:35:20.22ID:Ua0BJKSr
>>132
小早川はそもそも裏切りというより普通に東軍なんだろうけど
布陣した位置もきっちりさらに保険かけてるじゃない
最悪小早川が東軍につかなかったとしても松尾山付近の地形と目の前の川と
周囲の陣形で簡単に家康に攻められる場所じゃないし
別に小早川が動かないだけなら自軍の投入で十分西軍を潰せる
現実は徳川軍が動く必要さえなかっただけで小早川の裏切りは念には念を入れたトドメでしょ

ついでに家康は慎重というイメージを必要以上に強く持ちすぎ
実際は野戦だと勝負の時は勝負に出てる武将
じゃなきゃ大垣スルーして追わせて決戦とかやらない
本当に慎重なら秀忠待てば良いだけなんだから
0134人間七七四年2018/04/09(月) 03:42:40.45ID:8T39Y9DH
>>133
桶狭間の戦いの後の進退見れば、石橋を数回叩いて渡る性格だよね。
あの後今川の城代が逃げた後の岡崎を占領してるし、今川氏真が兎角の前評判を覆して
名君でも申し訳建つ行動してる。
実はその後、織田方の小城を色々攻めてるから氏真も文句言うの難しい。
二年も様子見て、織田に寝返り独立しとるし。
0135人間七七四年2018/04/09(月) 03:43:10.62ID:qfa1pdsD
秀忠待ってると利長まで到着して東軍に7万近い援軍が到着してしまう…
西軍は近場の勢力をかき集めても2万増えるかどうか…
0136人間七七四年2018/04/09(月) 04:21:47.86ID:oaZ8es5A
利長さんってえ長重さんと芝居打って関ヶ原に出て来ないんじゃないの?
0137人間七七四年2018/04/09(月) 05:55:02.01ID:oaZ8es5A
いっそ関ヶ原前夜夜半に奇襲で乱戦に持ち込んだ方が良かったかもな
家康本陣に島津を突っ込ませ、福島の背後を宇喜多に襲わせ
その他の大名を左近と大谷に襲わせる。
0138人間七七四年2018/04/09(月) 06:05:20.08ID:qfa1pdsD
>>136
一度は帰ったけど関ヶ原に向けて進行中やぞ?
待ってたら間違いなく参戦する
0139人間七七四年2018/04/09(月) 06:12:04.15ID:Eh4nhzHe
つうか史実がこうだったしか書き込まずにスレを流す奴はそろそろ関ヶ原の真実スレに帰れって。
俺は一気に掛川辺りまで西軍が進出しておくことで西軍は勝てたと思う。受けに回っちゃダメだって。
0140人間七七四年2018/04/09(月) 06:41:51.24ID:ibOXJCmj
ある程度史実を否定できるだけの要素がないとな
夢物語だけではちょっと
0141人間七七四年2018/04/09(月) 07:13:28.53ID:oaZ8es5A
一発逆転を狙うなら乱戦しかないよな。
毛利勝永と大野治長はもうちょいで家康と秀忠の首を刎ねるとこまで行ったんだろ?
0142人間七七四年2018/04/09(月) 07:33:53.65ID:kMTAbsVs
>>139
後知恵全開でそんなこと言われても困ります。
そもそも西軍視点では上杉征伐軍が崩壊せずに短期間で
こちらに侵攻してくるのは想定外なんですけど。
内府違いの条々で上杉征伐軍は崩壊して家康は孤立する、ってのが西軍の想定ですし。
ちなみに失敗はほぼ想定してないと思いますよ。
うまくいくと思ったから西軍は書状ばらまいたんでしょうし、
失敗の恐れがあるなら多分毛利は挙兵に乗らないよ。
0143人間七七四年2018/04/09(月) 08:54:09.76ID:2q0IHxr7
徳川本隊4万と前田2万5千がなくてあれだからなあ〜〜
最高の条件でも勝てなかったわけで、まあ無理な話ってことだわなあ〜
0144人間七七四年2018/04/09(月) 08:58:01.80ID:7eX37qyx
>>142
想定外の展開になったのならそれに対応すればいい。
なんかマイナス部分ばかり強調してるのはなにか理由があるのか?
0145人間七七四年2018/04/09(月) 09:56:12.40ID:5DOG7P8N
まず家康を暗殺します
0146人間七七四年2018/04/09(月) 10:59:26.97ID:MgphVFMi
>>139
俺も西軍が確実に勝つには受け身に回ってはダメで、せめて清洲までは進出する必要があるとは思う
しかし、それを実現するには、畿内を速攻で平定するか、会津遠征軍がすぐには帰ってこれない状況を作り出す必要があって、その方法の見当がつかない
0147人間七七四年2018/04/09(月) 11:31:56.42ID:Ua0BJKSr
>>144
西軍もそんな出たとこ勝負だった気がする
だから負けたんだと思われる
0148人間七七四年2018/04/09(月) 12:32:30.94ID:ibOXJCmj
想定外に対応すればいい、のは相手も同じことです
0149人間七七四年2018/04/09(月) 19:10:12.66ID:oaZ8es5A
家康は重厚な経験によって次々と降りかかる想定外な事象に対応できた
三成は経験不足なため忖度しろ〜とか叫んで下痢してた(田中吉政にニラ粥を御馳走になった)
その差だろ
0150人間七七四年2018/04/09(月) 20:29:53.23ID:wLweq21o
>>146
前者はともかく、後者はやったじゃん。内府違いの条々ばらまくって形で。
西軍の予定では、あれで征伐軍の連中の大半は家康を見限って帰国、あるいは上坂するはずだった。
まあ、現実は悲しい結果におわったけどさ。
0151人間七七四年2018/04/09(月) 20:34:37.16ID:oaZ8es5A
次々と起こる想定外の出来事に政治家の家康さんは臨機応変に対応できたが
根っから融通の効かない官僚気質の三成くんは自論に固執して対応できなかった。
それを三成の周りの大名も間近に見てて「こいつパニくってるやん。もう見限っとこ」と
家康さんに「俺らも東軍に寝返るんでヨロスク」と手紙を送ってたって状態だよな。
0152人間七七四年2018/04/09(月) 20:40:52.82ID:oaZ8es5A
例えるなら安倍ちゃんが家康で
山本真千子(大阪地検特捜部長)が三成だよな
勇気を振り絞って全身全霊で安倍ちゃんを告発した真千子さんだが
結論だけ言えば9割以上の確率で真千子さんは負けるぞ。
運が良ければ弁護士資格取り消しで運が悪ければエクストリーム自殺をする
ほぼ断言できる。
0153人間七七四年2018/04/09(月) 20:56:36.88ID:PJuC4mAs
>>150
それを(内府違いの条々)受けて他家がどう動くかすら想定できていない三成ではそもそもお話にならない
0154人間七七四年2018/04/09(月) 21:20:02.50ID:fad9f+F2
>>153
とはいえ、家康には結構痛打をあたえたんじゃないかね、あれ。
その証拠に、家康は東軍の先鋒部隊が岐阜陥落させるまで関東を動いていない。
佐竹や上杉を気にしていたのも勿論あるんだろうが、
大名たちが皆、あれを受け入れてしまったらどうしようって不安も大きかったんじゃないかな。
0155人間七七四年2018/04/09(月) 21:25:24.33ID:nKsW8EYs
夜襲についてはわたしも最初はけっこういいのでは、と思っていたけど、最近は疑問に思う部分が大きい。

問題は赤坂の陣城の防御力。8月24日に東軍先発隊が赤坂に布陣して9月15日までなら
20日近くある。これは相当強固に防御を固められているのではないかなと。
例として、9月7日に南宮山に布陣した毛利秀元。9月15日まで一週間程度の滞在だが、
その間に南宮山に、竪堀、土塁、堀切、削平等の陣城構築を行っている。

また関ヶ原合戦図屏風の赤坂陣の様子は、杭瀬川沿い?に板張り壁か柵の構築、
櫓門、土塁のようなものが書かれている。

はたして夜襲でこれを突破できるのかなと。
夜襲といえど簡易砦に突撃するようなものだから。
0156人間七七四年2018/04/09(月) 21:33:54.32ID:PJuC4mAs
>>154
まあ、明らかに徳川の足引っ張る内容ですわな 
それを最大限に活かす事が西軍にはできなかっただけで。
0157人間七七四年2018/04/09(月) 21:36:36.83ID:oaZ8es5A
>>155
赤坂の陣を襲わずに移動してる最中の福島や黒田の背後を突くだけでいんじゃね?
それだけでも効果絶大。東軍の同士討ちも予想されるし。
0158人間七七四年2018/04/09(月) 21:46:11.16ID:oaZ8es5A
赤坂の陣が堅城と言うなら、それこそ三成秘蔵の大砲を夜陰にまぎれて赤坂から届くところに据え付けて
深夜にバンバン撃っちゃえばいいじゃん、うっかり家康に流れ弾が当たって死ぬかもしれないし。
0159人間七七四年2018/04/09(月) 23:18:07.66ID:jvktkisG
>>150
上坂するってロシア語で会話でもするのか?当時の通訳事情なら暗号には使えるかもしれんが。
0160人間七七四年2018/04/09(月) 23:32:57.85ID:KnU2FB6t
軍に方角がつくような戦争は東や北が有利なんだよ
これは日本史だけでなく世界史でもその傾向が強い
西軍なんて呼ばれる配置についたこと自体が敗因なのは明らかだ
とはいえ家康より東に回りこむのは難しいから北に回りこんで
三成は自分たちが北軍と呼ばれるように努力するべきだった
0161人間七七四年2018/04/09(月) 23:58:13.63ID:oaZ8es5A
秦帝国って西方から東方を攻めてたよね。
0162人間七七四年2018/04/10(火) 00:37:47.38ID:bufHISWU
>>154
小山の軍議で何を言おうとも、徳川の直臣以外は家康に従う必要無いしね。
清須の東軍先鋒が其の儘西軍に寝返る展開も有り得た訳だし。
あれだけ家康の本隊が動いて無い意味は、豊臣系が本気で家康に味方するかの不安でしょ。
0163人間七七四年2018/04/10(火) 05:44:37.87ID:YT9rFUfF
>>155
東軍の陣城が堅固なら大垣城をベースに家康の兵糧を遮断すればいいじゃん。
西軍は背後の佐和山からいくらでも搬入出きるから。
0164人間七七四年2018/04/10(火) 06:30:16.90ID:bESApJMD
>>163
赤坂の東に陣取ると秀忠隊に挟撃される。
0165人間七七四年2018/04/10(火) 08:15:21.53ID:mwUL6xTl
>>163
毛利勢が来るまで大垣城が包囲されていた
0166人間七七四年2018/04/10(火) 09:40:46.30ID:iOuKzlD1
>>163
三成が目指してた基本戦略はそれだった
でも小早川秀秋に要地を取られ兵糧を遮断されたのは西軍だった。
それで最初から1ミリも考えてなかった短期決戦に西軍がチャレンジするしかなくなった。
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