関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part13
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0001人間七七四年
2018/04/02(月) 21:29:04.59ID:oBAf0Msp前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
0567人間七七四年
2018/04/27(金) 00:19:03.63ID:ubYrf17zその書状は>>13のと同じ?
それなら単に美濃に来ている東軍対策に動員可能な兵力だけじゃない?
丹羽は遠いし前田対策で張り付けているから動かせない兵力扱いで使えないから省略されただけかと。
情報が遮断されてる東北組はともかく、連絡が一応できる九州勢も書かれてないし。
あと、どっかで関ヶ原の戦いが応仁の乱クラスの長期戦になると予想していた前田家と丹羽家山口家は結託していて八百長試合を繰り返し
前田「しねーやまぐちー」
山口「わーせめられたー」
丹羽「やまぐちーおうえんにきたぞー」
前田「てきのぞーえんだーにげろーおぼえていろー」(最初に戻る)
を繰り返しつつ状況の変化を見つつ有利な方につく予定だったというのを見た気がする。
東軍西軍共にそれを知っていてとりあえず目の前の状況が整理されるまで事実上の中立扱いで無視していたとかなんとか。
0568人間七七四年
2018/04/27(金) 03:44:36.44ID:vq1ocD4G動き出してるからな。遅すぎる。
上方の有利な地に居るんだから、戦前に工作してれば色々やれただろうに。
0569人間七七四年
2018/04/27(金) 05:10:37.30ID:2YPKhg2l輝元は事前に工作してたとは言われてる
大坂から味方してくれと言われ二日後には既に出発して
すぐに大坂城へ到着してる。
普通は部下へ命令して武具や兵糧の準備をさせるのに最低でも
7日〜10日かかると言われてるので大坂から声がかかる前から
大阪城へ入城する気でいた。
0570人間七七四年
2018/04/27(金) 08:34:49.82ID:xiFHwcwrいやぁ、伊勢の在番衆は記載されてるので、それなら、北国口 城加番 3600 小松宰相
とか書かれててもおかしくはないなと。
時期的に小松が落城した、あるいは包囲され孤立していると誤認してた可能性も捨てられないけど。
0571人間七七四年
2018/04/27(金) 08:38:24.98ID:xiFHwcwr0573人間七七四年
2018/04/27(金) 17:27:44.75ID:OviGqNaC豊臣家は活躍してたかな?
0574人間七七四年
2018/04/27(金) 17:43:04.47ID:W+NnKJFX0575人間七七四年
2018/04/27(金) 18:14:58.25ID:2YPKhg2l途中から松平家になったよね、確か。
0576人間七七四年
2018/04/27(金) 18:19:56.88ID:bFQzSCrJあるいは婚姻関係で親幕府に
0577人間七七四年
2018/04/27(金) 18:35:18.07ID:+HCTm/8h0578人間七七四年
2018/04/27(金) 18:37:16.75ID:COh4vk+r0579人間七七四年
2018/04/27(金) 19:32:18.09ID:JwR7Q7RF0580人間七七四年
2018/04/27(金) 20:32:21.55ID:ubYrf17z高家や小大名として残るよりは摂家の一つとして朝廷の武家伝送なんかやってた方が影響力が大きそうなのがなんとも。
まあ、大名として残るなら幕末における石高=国力と藩主や家老たちの能力や思想次第やろうなあ。
尾張徳川家や水戸徳川家に外様筆頭なはずの藤堂さんちが積極的に幕府を裏切ってる割には、上杉家や伊達家が幕府を最後まで支えていたのを見るにむしろ佐幕派になってるかも。
0581人間七七四年
2018/04/27(金) 20:41:53.09ID:HFLMa6Z40582人間七七四年
2018/04/27(金) 20:52:16.71ID:kI7JKgfJ0583人間七七四年
2018/04/27(金) 21:25:31.16ID:haZUdnq8幕末なら関白なんて近い将来廃止される職なのに
そんな廃止予定のものに300年近く前になったことなんて何の意味がある?
0584人間七七四年
2018/04/27(金) 21:25:42.43ID:Yl9YWZoW0585人間七七四年
2018/04/27(金) 21:27:42.76ID:Yl9YWZoW関白が無くなるのは明治になって分かった事であって、幕末の時点では分からない。
そもそも律令制は有史以来続いてきたので無くなるなんて想像出来ない。
0587人間七七四年
2018/04/27(金) 21:35:09.96ID:2YPKhg2l情報不足で幕府の力を過大評価してたのでは?
西国大名は南蛮諸国の力>幕府の力と知ってたからあなどったけど。
0589人間七七四年
2018/04/27(金) 21:36:59.39ID:imCd+O7K血筋的に誠意大将軍になれない事はあえて無視して
0590人間七七四年
2018/04/27(金) 21:42:55.06ID:2YPKhg2l全然無理。普通に執権家康が豊臣家の血筋を絶って親王将軍を担ぐだけだから。
0592人間七七四年
2018/04/27(金) 21:46:52.62ID:sQt4qGfh関白だろうが将軍だろうが王様だろうが無理だろう
0593人間七七四年
2018/04/27(金) 22:16:15.77ID:W+NnKJFX何とかしろよ
0594人間七七四年
2018/04/27(金) 22:21:00.88ID:ubYrf17z公家では西園寺や三条岩倉が生き残れたけど、大名家の連中は島津久光が初期にいたことを除いてはいなかったことにされたし。
下手に権威のある大名を大名家家臣団が中心の元勲元老どもが担ぎだすかな?
>>587
幕府って幕末になっても何気に現実を見てる政策が多いからその影響もあるのでは?
実行力が失われてたけど、基本的な路線は明治政府にほとんど引き継がれてるし。
例えば、関税とかだと一番最初の関税協定では当時の日本経済の現実を直視したものだったけど、神戸開港延期のバーターで関税が引き下げられてからが日本経済にダメージを与えるような内容になってる。
なんで神戸開港を延期したかというと、はっきり言って孝明天皇のわがままのせい。
ビジョンや政策は正しくても実行力がない政府なんて役に立たないけどさ。朝廷や西国諸侯を信用できるかというとね。
>>589
ですから坂上氏や藤原氏になれるんだから豊臣でも征夷大将軍にはなれますって。
ただ、史実で秀吉が関白になったタイミングで将軍になると、ガバガバでボロボロな足利幕府の体制を引き継がないといけなくなる可能性が高い。
豊臣政権で室町幕府が完全に一掃されたから安心して家康も将軍になれたわけで。
そして何より秀頼の摂政役をやれそうなのが家康しかいなかったというのが致命的すぎた。
前田利家は血縁関係が婚姻でも存在せず、悪い先例になりかねない。あと家柄がちょっと悪い。
宇喜田秀家と小早川秀秋は能力的に疑問だし若すぎる。それに領国の統治にも集中してもらわないと。
毛利と上杉は野心がなくとも中央に縛り付けたら領国が空中分解しかねない。正直野心のほうも家康以上にありそうだし。
他の連中は身分、家柄、領土が足りなさすぎる。
家康の行動を抑えることができる可能性のある官僚団もあってないようなものだし。
秀次が生きていたらそれはそれで騒乱の原因になりそうだし。
秀頼が成人するまで秀吉が長生きできなかったことに尽きる。(当時の享年62歳とか十分すぎるほど長生きだけどさ)
0596人間七七四年
2018/04/27(金) 22:45:11.73ID:2YPKhg2lそれでさっさと隠居をしてしまえばもしかしたら秀吉からの処刑を免れる可能背もあったのでは?
0597人間七七四年
2018/04/27(金) 22:57:14.95ID:COh4vk+r0598人間七七四年
2018/04/27(金) 22:58:57.07ID:1uguiKzm0599人間七七四年
2018/04/27(金) 23:21:25.07ID:2YPKhg2l0600人間七七四年
2018/04/28(土) 00:09:34.11ID:daRIZBuu身内以外が秀頼守る確率なんてもっと低いに決まってるのにな
秀吉が死ぬ以上、秀頼が生き残るためには秀次を中心に豊臣家を身内で固めて世襲を安泰させるのが大前提だった
0601人間七七四年
2018/04/28(土) 00:16:35.14ID:SY+ntZZ2秀吉「ちょっと明を征服してくるからお留守番よろしくね」
秀次「日本のことは気にせず征服してきてください」
なんで下手に遠征するのもできない。それにあの時期の秀次って病気がちだったし。
……秀吉縁者の病弱率の高さって異常じゃないですかね。
0602人間七七四年
2018/04/28(土) 01:25:50.21ID:bcvVw8bMなんつうか、能力優先過ぎて豊臣恩顧でも微妙な奴大名にしてるしね。
東海道の豊臣恩顧で籠城する奴がいなかったのがそれ。
義理堅い奴って、癖が有るのにそういう奴に領地やらんもんなあ。
平塚とか松野とかに領地やれば良いのに。
0605人間七七四年
2018/04/28(土) 06:43:11.22ID:0zwdm+dE豊臣家の安泰ならともかく、秀頼個人の安全に関してはそうとも言えん
幼い実子と家督を継いだ親族の殺しあいはありがちなことで、むしろ利害の一致する実力者の方が信用できる場合もある
特に秀吉の場合は、他ならぬ秀吉自身が織田家を乗っ取っても秀信は丁重に扱ってるから、同じ状況なら家康も秀頼を殺すまではしないと判断してもおかしくはない
0608人間七七四年
2018/04/28(土) 08:06:22.47ID:1lmcVrPRいや、羽賀研二も任官してたじゃない
0610人間七七四年
2018/04/28(土) 08:17:19.73ID:SY+ntZZ2(雑談スレになるならそれはそれで結構だけど)
伏見城を落としたあたりで朝廷を1万人くらいの兵で包囲して家康を朝敵扱いにしたらどうだろう。
承久の乱フラグが立って縁起が悪いかもしれないが。
0611人間七七四年
2018/04/28(土) 08:44:51.23ID:1lmcVrPR当然、そうしようと画策はしたでしょ。
単に朝廷が錦の御旗を輝元たちに譲るのを渋っただけで。
0612人間七七四年
2018/04/28(土) 09:27:32.34ID:bJsEKlfH0615人間七七四年
2018/04/28(土) 14:28:32.11ID:l+Pbl0r/東軍が豊臣軍
0616人間七七四年
2018/04/28(土) 16:54:39.49ID:p5uytHMS織田家が残れたのは何だかんだで織田の一族があちこちにいて禍根を残したくないと言うのが大きいし秀信が従順だったのも大きい
豊臣家は秀次の一族と関白の肩書きが残らなかったら本当に何も残らない
火種になる可能性が高いだけの秀頼は余程従順でない限り生かしておく価値が低いよ
秀吉は豊臣家を残すことを最優先で考えなければいけなかった
ひいてはそれが秀頼の生存にも繋がる
家が無ければ生き残れる術はない
身一つで成り上がった秀吉にはその感覚は足りてなかったのではないだろうか
0617人間七七四年
2018/04/28(土) 18:49:27.86ID:fECi5bdsだが秀次は年を取るごとに成長していく秀頼が邪魔になり、どこかで排除しようとするだろう
と秀吉は思った
この被害妄想に取りつかれた老人に理を説いても無駄ですな
0618人間七七四年
2018/04/28(土) 18:52:33.03ID:4tk/42UT0619人間七七四年
2018/04/28(土) 19:04:03.48ID:aLSvrBHI秀吉没後に家康が大坂城西の丸で政務を取り始めた時点で、実権を家康に渡してしまえば
良かったと、時々言われてるね。
家を残すには、それが一番良かったと思う。
豊臣家は実権を持たない関白家として存続。
石田三成の子孫は19万石の大名として続いだろうし。戦が終わって政治で能力を発揮
して30万石くらいの大大名になったかも。
毛利と上杉が120万石、前田が100万石(関ケ原戦がなければ90万石?)と、
100万石級の大名が複数いて、江戸幕府ができても政治やりにくそう。
佐竹を秋田に飛ばす理由がないので、今の茨城全域を支配する50万石のデカ大名が江戸
の近くにいるまま。
家康が最初伏見城と二条城で政務を取っていたように、江戸でやりにくかったら、
そのまま京都が政治の中心になった可能性が高い。
想像したらきりがないた、そうなったらそうなったで、またそれなりの世の中になった
ことだろう。
0621人間七七四年
2018/04/28(土) 20:18:16.43ID:0pBl0tSJ官兵衛が毛利との交渉終えるまで待てば勝てた
0622人間七七四年
2018/04/28(土) 20:25:53.73ID:1lmcVrPR小牧長久手で家康を潰すという選択は当然ありえたよね。
でも最低でも半年以上かかるわけでその間に大友家は亡び
島津が九州統一をしてしまい、それを滅ぼすのが一苦労になると秀吉は考えたんだろうね
0623人間七七四年
2018/04/28(土) 20:51:39.96ID:i3JG1Ip4半年じゃ済まないな、1年はかかるよ、一回負けてる訳だし
その間に島津は九州喰らってたろうし四国は長宗我部が拡がってたろうし
北条に佐竹上杉真田もかなり喰われてる可能性高い
東北は伊達が拡げてるだろう
間違いなく天下統一は長引くし
ボヤボヤしてると前線の大将の秀長が死ぬので
天下統一自体が厳しくなる可能性出てくる
0624人間七七四年
2018/04/28(土) 21:06:36.90ID:FUp+wWaHその辺の感覚(というかコンプレックス)は、あったからこそ羽柴姓を与えたり、秀秋を小早川に入れたりと藩屏作りに勤しんだ。
もっとも、そもそも親族も少ないし、重代の家臣皆無で、急拵えの藩屏は、用を足さなかったが。
0625人間七七四年
2018/04/28(土) 22:11:51.33ID:Mx+6zcc9そうかなあ?
後北条は氏政以降は火事場泥棒的伸長しかしたことないじゃん。
上杉真田佐竹を相手にした時、いつかまた薩土垂峠の再現をやらかして、
逆川越夜戦とでも言うべき転落の方が濃厚だ。
0626人間七七四年
2018/04/28(土) 23:17:33.30ID:1lmcVrPR家康をぶっ殺したら次は北条攻めだろ。東北まで処分してから返す刀で四国、九州と攻め下がるかと。
0627人間七七四年
2018/04/28(土) 23:58:53.92ID:SY+ntZZ2大友宗麟が大阪にまで来て
「助けてください。ほんと。殿下のためならキリシタンだって辞めます。お願いします」
こんな感じで救援要請を出してきたのが1586年
完全土下座モードな救援要請をを無視したら天下人としての沽券にかかわとはいえ小牧長久手時点ではまだ九州平定は先延ばしにできるかと。
東国情勢はよくわからんが、庄内をかけて上杉と最上が争い、東北では伊達が暴れて、関東ではじりじりと北関東諸侯が追い詰められていくのかな?
東に集中しすぎると今度は毛利の動向もちょっと怪しくなってくるからそれも嫌だな。
史実で背中撃ちをしなかったとはいえどうして毛利を信じられるのか。あいつら毛利だぞ(偏見)
0628人間七七四年
2018/04/29(日) 00:20:53.20ID:IF9qLqkx0629人間七七四年
2018/04/29(日) 02:02:24.49ID:AcvRMisv逆に言うと、九州征伐の後なら徳川潰せるんだよなあ?
徳川の旧領に転封拒否した織田信雄取り潰してるし、家康の立場も結講微妙。
つうか、何故あの後駿府と会津の築城ぐらい命じなかったのか?
家康の蓄財有名だし、最低でも螻蛄にしないと危険だよなあ?
>>617
それが正しい事だとしても、性格的に無理って事は世間に良く有る。
家康は、野望の為なら孫娘の一人やふたり、家を守る為なら長男や嫁くらいって
人だけど、幾らあの時代でも例外的だと思うんだよね。
秀次って人が、自分の従兄弟で長女の婿を殺せる人なのかは疑問?
漢の高祖は、自分の娘婿の趙王を疑った時に言った言葉が天下を取る人の
本音なんだろうけどさあ?
「奴が天下を取れば、あんな女「自分の長女です」よりましな美女が選り取り見取りだぞ?」
娘婿だから安全だと思えわないってさ。
0630人間七七四年
2018/04/29(日) 02:21:46.26ID:OL0MjArr氏直は神流川でも手早く上野を奪ってるし佐竹も追い詰めてる
豊臣が来ないなら関東は間違いなく北条の手に落ちてるよ
逆に誰がどうやって巻き返せると言うのか
0631人間七七四年
2018/04/29(日) 02:30:34.32ID:OL0MjArrそれやっちゃうと徳川北条伊達は同盟組んで対抗してくるだろうし1年どころじゃ済まないかと
島津はどんどん伸びるだろうし毛利に抑えられるのか
そもそも毛利や長宗我部をそこまで信用出来るのかという問題も出てくる
0632人間七七四年
2018/04/29(日) 03:00:52.09ID:8/AKcxJ6紀州征伐・四国征伐・九州征伐・小田原征伐が全部遅れて長引く可能性が高いから
征伐事業の後の反乱鎮圧まで考えると秀頼作る時間有るのかね
0633人間七七四年
2018/04/29(日) 04:13:53.39ID:MQnfUmpu神流川なんてどう見ても、火事場泥棒そのものでしょ。
背を向けて逃げては捕捉殲滅させられるだけだから向き直って合戦の体を取ってみただけ。
本能寺の変で浮き足立つ滝川軍に押し掛けたら逃げていきましたというのは氏直の評価は上がらんでしょ。
0634人間七七四年
2018/04/29(日) 04:35:12.08ID:VOByQFSX淀に入れるのがキモチよかったんだろ。
時間がなくても無理にでも会ってヤリたかったんだろ。
フェラもうまかったんだろうなぁ・・・
0635人間七七四年
2018/04/29(日) 05:14:01.46ID:vqTQkNo/敵対しないと言ってる北条の金久保城を無理矢理奇襲かけて奪ったのは滝川なんだけど
まさしく火事場泥棒そのもの
それで反撃食らってフルボッコにされてりゃ世話ないが
0636人間七七四年
2018/04/29(日) 10:04:11.71ID:Uzg/5j0h九州征伐の終了が天将15年(1587年)で朝日姫の婚姻が天正14年(1586年)
朝日姫を離婚させてまで婚姻関係を結んだ家康を粛清?
信雄は能力とか転封拒否とかで十分すぎる口実があったけどどんな口実をつけて改易するのよ。
旧北条領なんて旧関東八屋形や古川公方みたいに反乱に担ぎ出せるのがいくつも残っていて不安定だし、常陸の佐竹は豊臣政権の権威を背景に大量粛清という名の内戦をやっていたのよ。
徳川に安易に負担を増やすよりは明らかに不審な動きをしている伊達あたりに負担をさせた方がいい。
築城だって伏見城とかあちこちの普請で徳川家もかなり負担させられてるし、名護屋在陣兵数も1万5000人いた。(当時は名護屋に大軍を置くこと自体がかなりの負担)
旧北条領は四公六民で八公二民や二公一民だって普通にあった時代だったし。実際の収入が増えたかどうかも不明。
そして何より、どうして徳川を信じず上杉や毛利を信じるのか?未来を知らない状態で考えたら徳川より完全外様な連中のほうが怪しい。
0637人間七七四年
2018/04/29(日) 13:05:51.57ID:G2+37a+k三成なら簡単に粛清できるし、豊臣を存続させるために一番効果的だった
0638人間七七四年
2018/04/29(日) 13:31:12.16ID:oA4wI7uo0639人間七七四年
2018/04/29(日) 14:17:53.54ID:c2SEp73I過大評価もいいところ
0640人間七七四年
2018/04/29(日) 14:28:30.78ID:Uzg/5j0h0642人間七七四年
2018/04/29(日) 16:11:29.64ID:UFOYXeSx0643人間七七四年
2018/04/29(日) 16:24:39.91ID:ocGHF+s6徳川、上杉、毛利を外様みたいに蚊帳の外にしたらどうなってたかな
0644人間七七四年
2018/04/29(日) 16:58:37.46ID:oA4wI7uo福島なら簡単に粛清できるし、豊臣を存続させるために一番効果的だった
0646人間七七四年
2018/04/29(日) 17:42:38.09ID:Uzg/5j0h徳川が外様系有力諸侯を中央政界から排除できたのは、基本的に外様大名が大きくても数十万石程度でしかなかったり、初期においては徳川と外様の関係が主従というよりは対等に近い関係だったから。
例えば初期の参勤交代で大名が帰国する時は外様の諸侯が江戸の町を出るまで将軍が見送っていたし。譜代諸侯は江戸常駐が義務だった。
徳川幕府みたいに日本の領土の半分を支配しているならともかく豊臣本体の力が弱すぎるし、毛利の功績が大きすぎて安易な排除は信賞必罰の原則に反する。
上杉や宇喜田はともかく毛利や徳川はお互いにある程度は独立した複数の諸侯に分裂させることができる見込みもあったからそこから先なんじゃないかな。
0647人間七七四年
2018/04/29(日) 18:17:31.59ID:gVBa8lGq毛利が豊臣家の譜代となってそのまま乗っ取れば勝てた
0648人間七七四年
2018/04/29(日) 19:48:03.64ID:jAHacmQk上手くいけば豊臣家を乗っ取る事も出来たんだよな。
0649人間七七四年
2018/04/29(日) 20:16:17.79ID:PjeI6B9w秀長が生きていれば、秀頼の後見人として豊臣家を守れたろうに。
0650人間七七四年
2018/04/29(日) 21:49:08.83ID:bbobCIHa秀長が死んだのが豊臣家にとって全ての面で痛かったのはその通りだけど
秀長だったら余計に秀頼を特別扱いせずに秀次で豊臣家を磐石にする方を優先すると思うぞ
0651人間七七四年
2018/04/29(日) 21:52:13.70ID:oA4wI7uo返す刀で秀次もだが。
0652人間七七四年
2018/04/29(日) 22:02:01.31ID:eTVA6vB/0653人間七七四年
2018/04/29(日) 22:03:26.33ID:kXjjxRyt0654人間七七四年
2018/04/29(日) 22:33:23.12ID:Uzg/5j0h(大坂の陣以外は)秀頼は何にも悪くなくて、100%秀吉のせいなんですけど。
0655人間七七四年
2018/04/30(月) 01:14:21.03ID:tGdeQ8/Eそりゃさすがに言い過ぎだろう。秀吉の責任が0%などという気もないが。
勿論秀吉が自分の死後の見積もりと見通しを甘く見すぎたのは確かだろう。
しかし家康とて、政権内で反対派が不安を感じるレベルで権勢拡大をしようとしたのはほぼ確実だし、
反家康派の方もあまりにも安直に強硬策をとってしまったのは間違いない。
また、諸大名も自らの利益確保と拡大の為に戦争を求めた節がある。
少なくとも関ヶ原を秀吉『だけ』のせいにするのはおかしいと思う。秀吉『にも』責任があるなら賛成するが。
0656人間七七四年
2018/04/30(月) 01:18:48.33ID:b5F2wg6C0657人間七七四年
2018/04/30(月) 01:54:28.67ID:yFpMyaTx秀次の権力基盤をさらに強くして後事を全て秀次に任せておけば
関ヶ原は絶対に起きてなかった。
0658人間七七四年
2018/04/30(月) 01:57:47.67ID:Gjy4j0nH少しでも後継考えるなら秀頼は寺に入れるなりどこか養子に出すのが当たり前
まして秀次虐殺なんて1%の擁護も出来ないよ
0659人間七七四年
2018/04/30(月) 03:58:49.33ID:p8v3kIIj0660人間七七四年
2018/04/30(月) 04:32:55.34ID:zYW9Lp07上杉征伐軍の面々にしても、大軍で押し寄せれば降参するはずという思惑程度の義理参加じゃない?
徳川勢の圧を感じながら待ち受ける上杉の罠に積極的にかかって忠誠を示す武将までは余りいないと思う。
0661人間七七四年
2018/04/30(月) 04:54:31.37ID:Gjy4j0nH0662人間七七四年
2018/04/30(月) 06:20:49.77ID:zYW9Lp07いや、そこから解説させようとするのは勘弁してくださいよ。
上杉がノーガードで待ってる訳ないでしょ。自分である程度は調べてから来てください。
0664人間七七四年
2018/04/30(月) 09:59:30.32ID:0a41dywK征伐軍17〜20万対上杉4万でしょ、
局地的に1〜2回野戦で勝てても、大勢は覆せないと思う。
0665人間七七四年
2018/04/30(月) 10:00:56.76ID:lcQqXQNL0666人間七七四年
2018/04/30(月) 10:40:56.63ID:gmGrgSUK革籠原って会津征伐軍への防壁にはたいして役に立たないという指摘がされていなかったけ?
西軍の蜂起がなければ、北からの攻撃は最上や伊達だけでなく南部や秋田氏を含めた東北勢の総攻撃になるけどそっちも防げるの?
上杉軍って120万石で1万石あたり700人の動員(一揆が起きかねないレベルの無茶)をしても8万4000人。
これを少なくとも徳川系主力、陸奥、出羽にへの対策と常陸や越後への警備兵を置くことを考えるとかなり手薄になる。
そもそも転封直後で土着性がうすく、庄内平野が事実上切り離されてるから有事にそこまでの動員ができるかは不明。
対する会津征伐軍は小山の時点で約10万人、これに小早川や長宗我部ほかの西軍諸侯が加わると12万から15万かな?しかもこれに東北勢が加わってくる。
佐竹が本当に背中から攻撃したとしても南方三十三館の残党の鹿島氏とかが徳川家に保護されてるから実際どこまで動けるのか。
正直、上杉がどこに勝算を見ていたのかよくわからん。会津征伐軍の結束力は疑問だけど、それなり程度に団結されただけでもかなり分が悪い賭けになる。
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