関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part13
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0001人間七七四年
2018/04/02(月) 21:29:04.59ID:oBAf0Msp前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1517843376/
0544人間七七四年
2018/04/26(木) 00:22:19.30ID:rvP94GPt0545人間七七四年
2018/04/26(木) 00:53:41.92ID:WizEDi0nなるほどその発想は無かったわw
別に三成なんぞほっといて史実通り前田と和解して
佐和山から無理矢理関ヶ原に追い詰めればミッション達成だな
0546人間七七四年
2018/04/26(木) 03:41:17.80ID:8kkQzyDn庄内の乱(島津忠恒の伊集院忠棟殺害)慶長4年3月〜慶長5年3月に家康の介入によりほぼ落着。
前田征伐(家康暗殺計画疑惑)慶長4年9〜10月頃
宇喜多家中騒動、慶長5年1月、5月には家康の介入によりほぼ落着。
前田利長が迎撃を決断したとしても、前田に味方しそうなのは浅野長政、宇喜多秀家、
他にだれかいる?
毛利、上杉は中立というか征伐軍(家康)側だろうし、奉行連中も浅野以外家康側だろうし。
九州勢は庄内の乱対応に備えて動かない公算高いと思う。
宇喜多もすんなり動員できるかかなり微妙なかんじがする。
とても前田が勝てるとは思えない。
0547人間七七四年
2018/04/26(木) 12:08:39.39ID:xyFOY5SW間違いなく前田に味方してくれる大口
加藤清正
家康が清正が上洛してくるのを邪魔しろと命令した模様、前田信者の1人
細川忠興
一応前田派で城普請なんかもしてるみたいだし期待大
石田三成
大喜で前田討伐の準備を始めた模様
丹羽長重
織田閥筆頭を前田如きに奪われて怒り心頭(領土問題もあり)
前田征伐は関ヶ原に比べれば徳川に纏まって一致団結して戦えるかは不明瞭
みなが反前田としてまとまるかもわからんし、石田にすらあれだけ慎重に動いた徳川が早々動くかも疑問
三成よりは勝算あると俺は思うけど
0548人間七七四年
2018/04/26(木) 12:21:53.72ID:dpq4RzET0549人間七七四年
2018/04/26(木) 12:45:15.14ID:tm7Tfxus利家派が居ただけ
0550人間七七四年
2018/04/26(木) 14:37:34.89ID:a1S23Eo80551人間七七四年
2018/04/26(木) 14:40:09.76ID:XoXu+Zl6ただしスキは見せない
0552人間七七四年
2018/04/26(木) 16:22:44.62ID:10D0FD7u秀吉がやるべきことは、家康に後事を託すのではなく、家康や毛利を亡き者にするべきだった。
漢の劉邦など、No.2どころかNo.5位までぶち殺したはず。
豊臣家は秀吉が死去した後は、必死に家康の力を削ぐべきだったが、ほぼ何もしなかった。
関ケ原や大阪の陣など、お話にもならない。こう言う戦いが起きる前に家康を片づけなければ、
その内家康に天下を取られる可能性があることに気がつかなかった。
0554人間七七四年
2018/04/26(木) 16:52:49.09ID:tm7Tfxusそこで討死してくれなラッキーだし、そこで家康が勝つようだと明は朝鮮へ援軍など送れないから
朝鮮半島は日本領土となってた。
0555人間七七四年
2018/04/26(木) 17:29:51.55ID:fUvCdNNb単に時の権力者におもねってただけなのに。
0556人間七七四年
2018/04/26(木) 17:55:08.90ID:tm7Tfxus前田玄以、織田秀信、長宗我部盛親、立花宗茂、加藤清正、浅野長政・幸長、細川忠興、加藤嘉明は
前田利家を過大評価しすぎたよな。 自分たちの身を利家に委ねて家康と対決すると自ら訴えたわけだから。
0557人間七七四年
2018/04/26(木) 19:54:10.74ID:wPXBvn7Hまったく逆だよ
強力なNo.2を作るのが不十分だったのが秀吉の犯した最大のミスだ
秀次を殺した時点で、豊臣が生き残るには徳川と合併するしかない
秀吉はそのことをきちんと宣言した上で
三成たちに豊臣No.2である家康の命令に逆らわないことを厳命するべきだった
それなのに毛利・上杉・宇喜多のような中途半端な粗大ゴミを乱立させ
三成がこいつらを利用して好き勝手な暴走をすることを許してしまった
むしろ三成が関ヶ原を起こせないようにする体制作りをすれば豊臣家は存続できた
0558人間七七四年
2018/04/26(木) 19:56:47.88ID:tm7Tfxusいや、それはありえん。関ヶ原が無ければ100%豊臣家は廃絶してた。
むしろ関ヶ原があったからある程度存続の可能性が残された。
0560人間七七四年
2018/04/26(木) 20:31:12.93ID:lp/rX8Ys家康みたいに、参勤交代や内政の失敗の責任を取らせて大名の力を削いで行けば良かったのに…
0561人間七七四年
2018/04/26(木) 21:06:28.98ID:pp8FBTXiその見解に賛成
ゆるやかに豊臣と徳川の看板はすげ替えられるだろうけど、現実よりずっとマシだったよ
0562人間七七四年
2018/04/26(木) 21:14:22.98ID:kFKerk7b秀吉はともかくその後はろくなもんじゃない
政権うばわれても仕方ないわ
0563人間七七四年
2018/04/26(木) 21:54:07.25ID:bDkm4udk0564人間七七四年
2018/04/26(木) 22:48:24.04ID:oIu5OMZX織田がつき、羽柴がこねし天下餅、座りしままに、食うは徳川
ということで
織田が強力な中央権力の土台を構築し
秀吉が天下統一に太閤検地による大名独裁の確立と外征による諸侯の疲弊を同時に成し遂げ
徳川が二つの遺産を最大限利用しつつ、恨みつらみは豊臣とかに押し付けた。
隋が作った大運河の恨みは全部煬帝に押し付けて、感謝だけを手に入れた唐みたいに
外征も当時は成長(つまり絶え間なき領地拡大だ)が永遠に続くといわんばかりの家中統制をやっていたところがほとんど。
10万石の約束手形の渡辺勘兵衛や領地の半分を渡して島左近を雇った石田三成とかその典型
しかし国内はすでに統一済み、領土を増やしたければ外国に行くか内戦の二者一択で外征を選択しただけ。
関ヶ原の戦いも諸侯の加増を切望する声がなければ起きたとは思えん。
傭兵とかの失業問題もあるし。大坂の陣における失業浪人の大量殺処分みたいな(中国だと裁兵というらしい)
関ヶ原における領地拡大要求の沈静化がなければ徳川幕府の成立も怪しいぞ。
あと参勤交代は家臣団が忠誠を確約するためのもので疲弊させるためじゃない。
秀吉の時代から幕府の財政が悪化する綱吉の時代までは参勤交代の旅費を中央が補助金として出してた。
内政の失敗を理由とした粛清は佐々や宇都宮にやっていなかったか?
加増するために必要な領地を無理矢理ひねり出したかったから改易したようにも見えるけど。
それに豊臣政権は大名(特に徳川や毛利上杉といった大大名)の連合政権色が強いからうかつに粛清もできん。
下手に大大名の力をそぐと上位中堅大名な伊達政宗あたりの不穏分子が変な策動をしかねないし。
実務に長けた譜代の諸侯もいなければ、万が一を託せる親族もいない(いたけど能力的に使い物にならなかったと思われる)
全国の半分を支配し、他にはせいぜい50万石程度で突出しているのは前田家くらいしかいない徳川幕府の権力の大きさもやはり違う。
0565人間七七四年
2018/04/26(木) 22:49:35.62ID:IiCxh0ZW特に代替りの時に起こりやすい
古今東西で枚挙に暇がない現象ですな
0566人間七七四年
2018/04/26(木) 23:38:34.83ID:Sg2dTfDZ丹羽長重の名前がないんだよね。加賀小松12万石なら3600人くらいは動員できそうだし
記載されててもおかしくないと思うんだが。
8月5日時点で既に落城してる大聖寺城の山口宗永の記載がないのはわかるが、
小松は健在だし、丹羽長重は石田からは味方と思われてなかったんだろうか?
あとは新庄直頼、直定あたりも載ってないがこれは伊賀在番7000に含まれてるかも。
0567人間七七四年
2018/04/27(金) 00:19:03.63ID:ubYrf17zその書状は>>13のと同じ?
それなら単に美濃に来ている東軍対策に動員可能な兵力だけじゃない?
丹羽は遠いし前田対策で張り付けているから動かせない兵力扱いで使えないから省略されただけかと。
情報が遮断されてる東北組はともかく、連絡が一応できる九州勢も書かれてないし。
あと、どっかで関ヶ原の戦いが応仁の乱クラスの長期戦になると予想していた前田家と丹羽家山口家は結託していて八百長試合を繰り返し
前田「しねーやまぐちー」
山口「わーせめられたー」
丹羽「やまぐちーおうえんにきたぞー」
前田「てきのぞーえんだーにげろーおぼえていろー」(最初に戻る)
を繰り返しつつ状況の変化を見つつ有利な方につく予定だったというのを見た気がする。
東軍西軍共にそれを知っていてとりあえず目の前の状況が整理されるまで事実上の中立扱いで無視していたとかなんとか。
0568人間七七四年
2018/04/27(金) 03:44:36.44ID:vq1ocD4G動き出してるからな。遅すぎる。
上方の有利な地に居るんだから、戦前に工作してれば色々やれただろうに。
0569人間七七四年
2018/04/27(金) 05:10:37.30ID:2YPKhg2l輝元は事前に工作してたとは言われてる
大坂から味方してくれと言われ二日後には既に出発して
すぐに大坂城へ到着してる。
普通は部下へ命令して武具や兵糧の準備をさせるのに最低でも
7日〜10日かかると言われてるので大坂から声がかかる前から
大阪城へ入城する気でいた。
0570人間七七四年
2018/04/27(金) 08:34:49.82ID:xiFHwcwrいやぁ、伊勢の在番衆は記載されてるので、それなら、北国口 城加番 3600 小松宰相
とか書かれててもおかしくはないなと。
時期的に小松が落城した、あるいは包囲され孤立していると誤認してた可能性も捨てられないけど。
0571人間七七四年
2018/04/27(金) 08:38:24.98ID:xiFHwcwr0573人間七七四年
2018/04/27(金) 17:27:44.75ID:OviGqNaC豊臣家は活躍してたかな?
0574人間七七四年
2018/04/27(金) 17:43:04.47ID:W+NnKJFX0575人間七七四年
2018/04/27(金) 18:14:58.25ID:2YPKhg2l途中から松平家になったよね、確か。
0576人間七七四年
2018/04/27(金) 18:19:56.88ID:bFQzSCrJあるいは婚姻関係で親幕府に
0577人間七七四年
2018/04/27(金) 18:35:18.07ID:+HCTm/8h0578人間七七四年
2018/04/27(金) 18:37:16.75ID:COh4vk+r0579人間七七四年
2018/04/27(金) 19:32:18.09ID:JwR7Q7RF0580人間七七四年
2018/04/27(金) 20:32:21.55ID:ubYrf17z高家や小大名として残るよりは摂家の一つとして朝廷の武家伝送なんかやってた方が影響力が大きそうなのがなんとも。
まあ、大名として残るなら幕末における石高=国力と藩主や家老たちの能力や思想次第やろうなあ。
尾張徳川家や水戸徳川家に外様筆頭なはずの藤堂さんちが積極的に幕府を裏切ってる割には、上杉家や伊達家が幕府を最後まで支えていたのを見るにむしろ佐幕派になってるかも。
0581人間七七四年
2018/04/27(金) 20:41:53.09ID:HFLMa6Z40582人間七七四年
2018/04/27(金) 20:52:16.71ID:kI7JKgfJ0583人間七七四年
2018/04/27(金) 21:25:31.16ID:haZUdnq8幕末なら関白なんて近い将来廃止される職なのに
そんな廃止予定のものに300年近く前になったことなんて何の意味がある?
0584人間七七四年
2018/04/27(金) 21:25:42.43ID:Yl9YWZoW0585人間七七四年
2018/04/27(金) 21:27:42.76ID:Yl9YWZoW関白が無くなるのは明治になって分かった事であって、幕末の時点では分からない。
そもそも律令制は有史以来続いてきたので無くなるなんて想像出来ない。
0587人間七七四年
2018/04/27(金) 21:35:09.96ID:2YPKhg2l情報不足で幕府の力を過大評価してたのでは?
西国大名は南蛮諸国の力>幕府の力と知ってたからあなどったけど。
0589人間七七四年
2018/04/27(金) 21:36:59.39ID:imCd+O7K血筋的に誠意大将軍になれない事はあえて無視して
0590人間七七四年
2018/04/27(金) 21:42:55.06ID:2YPKhg2l全然無理。普通に執権家康が豊臣家の血筋を絶って親王将軍を担ぐだけだから。
0592人間七七四年
2018/04/27(金) 21:46:52.62ID:sQt4qGfh関白だろうが将軍だろうが王様だろうが無理だろう
0593人間七七四年
2018/04/27(金) 22:16:15.77ID:W+NnKJFX何とかしろよ
0594人間七七四年
2018/04/27(金) 22:21:00.88ID:ubYrf17z公家では西園寺や三条岩倉が生き残れたけど、大名家の連中は島津久光が初期にいたことを除いてはいなかったことにされたし。
下手に権威のある大名を大名家家臣団が中心の元勲元老どもが担ぎだすかな?
>>587
幕府って幕末になっても何気に現実を見てる政策が多いからその影響もあるのでは?
実行力が失われてたけど、基本的な路線は明治政府にほとんど引き継がれてるし。
例えば、関税とかだと一番最初の関税協定では当時の日本経済の現実を直視したものだったけど、神戸開港延期のバーターで関税が引き下げられてからが日本経済にダメージを与えるような内容になってる。
なんで神戸開港を延期したかというと、はっきり言って孝明天皇のわがままのせい。
ビジョンや政策は正しくても実行力がない政府なんて役に立たないけどさ。朝廷や西国諸侯を信用できるかというとね。
>>589
ですから坂上氏や藤原氏になれるんだから豊臣でも征夷大将軍にはなれますって。
ただ、史実で秀吉が関白になったタイミングで将軍になると、ガバガバでボロボロな足利幕府の体制を引き継がないといけなくなる可能性が高い。
豊臣政権で室町幕府が完全に一掃されたから安心して家康も将軍になれたわけで。
そして何より秀頼の摂政役をやれそうなのが家康しかいなかったというのが致命的すぎた。
前田利家は血縁関係が婚姻でも存在せず、悪い先例になりかねない。あと家柄がちょっと悪い。
宇喜田秀家と小早川秀秋は能力的に疑問だし若すぎる。それに領国の統治にも集中してもらわないと。
毛利と上杉は野心がなくとも中央に縛り付けたら領国が空中分解しかねない。正直野心のほうも家康以上にありそうだし。
他の連中は身分、家柄、領土が足りなさすぎる。
家康の行動を抑えることができる可能性のある官僚団もあってないようなものだし。
秀次が生きていたらそれはそれで騒乱の原因になりそうだし。
秀頼が成人するまで秀吉が長生きできなかったことに尽きる。(当時の享年62歳とか十分すぎるほど長生きだけどさ)
0596人間七七四年
2018/04/27(金) 22:45:11.73ID:2YPKhg2lそれでさっさと隠居をしてしまえばもしかしたら秀吉からの処刑を免れる可能背もあったのでは?
0597人間七七四年
2018/04/27(金) 22:57:14.95ID:COh4vk+r0598人間七七四年
2018/04/27(金) 22:58:57.07ID:1uguiKzm0599人間七七四年
2018/04/27(金) 23:21:25.07ID:2YPKhg2l0600人間七七四年
2018/04/28(土) 00:09:34.11ID:daRIZBuu身内以外が秀頼守る確率なんてもっと低いに決まってるのにな
秀吉が死ぬ以上、秀頼が生き残るためには秀次を中心に豊臣家を身内で固めて世襲を安泰させるのが大前提だった
0601人間七七四年
2018/04/28(土) 00:16:35.14ID:SY+ntZZ2秀吉「ちょっと明を征服してくるからお留守番よろしくね」
秀次「日本のことは気にせず征服してきてください」
なんで下手に遠征するのもできない。それにあの時期の秀次って病気がちだったし。
……秀吉縁者の病弱率の高さって異常じゃないですかね。
0602人間七七四年
2018/04/28(土) 01:25:50.21ID:bcvVw8bMなんつうか、能力優先過ぎて豊臣恩顧でも微妙な奴大名にしてるしね。
東海道の豊臣恩顧で籠城する奴がいなかったのがそれ。
義理堅い奴って、癖が有るのにそういう奴に領地やらんもんなあ。
平塚とか松野とかに領地やれば良いのに。
0605人間七七四年
2018/04/28(土) 06:43:11.22ID:0zwdm+dE豊臣家の安泰ならともかく、秀頼個人の安全に関してはそうとも言えん
幼い実子と家督を継いだ親族の殺しあいはありがちなことで、むしろ利害の一致する実力者の方が信用できる場合もある
特に秀吉の場合は、他ならぬ秀吉自身が織田家を乗っ取っても秀信は丁重に扱ってるから、同じ状況なら家康も秀頼を殺すまではしないと判断してもおかしくはない
0608人間七七四年
2018/04/28(土) 08:06:22.47ID:1lmcVrPRいや、羽賀研二も任官してたじゃない
0610人間七七四年
2018/04/28(土) 08:17:19.73ID:SY+ntZZ2(雑談スレになるならそれはそれで結構だけど)
伏見城を落としたあたりで朝廷を1万人くらいの兵で包囲して家康を朝敵扱いにしたらどうだろう。
承久の乱フラグが立って縁起が悪いかもしれないが。
0611人間七七四年
2018/04/28(土) 08:44:51.23ID:1lmcVrPR当然、そうしようと画策はしたでしょ。
単に朝廷が錦の御旗を輝元たちに譲るのを渋っただけで。
0612人間七七四年
2018/04/28(土) 09:27:32.34ID:bJsEKlfH0615人間七七四年
2018/04/28(土) 14:28:32.11ID:l+Pbl0r/東軍が豊臣軍
0616人間七七四年
2018/04/28(土) 16:54:39.49ID:p5uytHMS織田家が残れたのは何だかんだで織田の一族があちこちにいて禍根を残したくないと言うのが大きいし秀信が従順だったのも大きい
豊臣家は秀次の一族と関白の肩書きが残らなかったら本当に何も残らない
火種になる可能性が高いだけの秀頼は余程従順でない限り生かしておく価値が低いよ
秀吉は豊臣家を残すことを最優先で考えなければいけなかった
ひいてはそれが秀頼の生存にも繋がる
家が無ければ生き残れる術はない
身一つで成り上がった秀吉にはその感覚は足りてなかったのではないだろうか
0617人間七七四年
2018/04/28(土) 18:49:27.86ID:fECi5bdsだが秀次は年を取るごとに成長していく秀頼が邪魔になり、どこかで排除しようとするだろう
と秀吉は思った
この被害妄想に取りつかれた老人に理を説いても無駄ですな
0618人間七七四年
2018/04/28(土) 18:52:33.03ID:4tk/42UT0619人間七七四年
2018/04/28(土) 19:04:03.48ID:aLSvrBHI秀吉没後に家康が大坂城西の丸で政務を取り始めた時点で、実権を家康に渡してしまえば
良かったと、時々言われてるね。
家を残すには、それが一番良かったと思う。
豊臣家は実権を持たない関白家として存続。
石田三成の子孫は19万石の大名として続いだろうし。戦が終わって政治で能力を発揮
して30万石くらいの大大名になったかも。
毛利と上杉が120万石、前田が100万石(関ケ原戦がなければ90万石?)と、
100万石級の大名が複数いて、江戸幕府ができても政治やりにくそう。
佐竹を秋田に飛ばす理由がないので、今の茨城全域を支配する50万石のデカ大名が江戸
の近くにいるまま。
家康が最初伏見城と二条城で政務を取っていたように、江戸でやりにくかったら、
そのまま京都が政治の中心になった可能性が高い。
想像したらきりがないた、そうなったらそうなったで、またそれなりの世の中になった
ことだろう。
0621人間七七四年
2018/04/28(土) 20:18:16.43ID:0pBl0tSJ官兵衛が毛利との交渉終えるまで待てば勝てた
0622人間七七四年
2018/04/28(土) 20:25:53.73ID:1lmcVrPR小牧長久手で家康を潰すという選択は当然ありえたよね。
でも最低でも半年以上かかるわけでその間に大友家は亡び
島津が九州統一をしてしまい、それを滅ぼすのが一苦労になると秀吉は考えたんだろうね
0623人間七七四年
2018/04/28(土) 20:51:39.96ID:i3JG1Ip4半年じゃ済まないな、1年はかかるよ、一回負けてる訳だし
その間に島津は九州喰らってたろうし四国は長宗我部が拡がってたろうし
北条に佐竹上杉真田もかなり喰われてる可能性高い
東北は伊達が拡げてるだろう
間違いなく天下統一は長引くし
ボヤボヤしてると前線の大将の秀長が死ぬので
天下統一自体が厳しくなる可能性出てくる
0624人間七七四年
2018/04/28(土) 21:06:36.90ID:FUp+wWaHその辺の感覚(というかコンプレックス)は、あったからこそ羽柴姓を与えたり、秀秋を小早川に入れたりと藩屏作りに勤しんだ。
もっとも、そもそも親族も少ないし、重代の家臣皆無で、急拵えの藩屏は、用を足さなかったが。
0625人間七七四年
2018/04/28(土) 22:11:51.33ID:Mx+6zcc9そうかなあ?
後北条は氏政以降は火事場泥棒的伸長しかしたことないじゃん。
上杉真田佐竹を相手にした時、いつかまた薩土垂峠の再現をやらかして、
逆川越夜戦とでも言うべき転落の方が濃厚だ。
0626人間七七四年
2018/04/28(土) 23:17:33.30ID:1lmcVrPR家康をぶっ殺したら次は北条攻めだろ。東北まで処分してから返す刀で四国、九州と攻め下がるかと。
0627人間七七四年
2018/04/28(土) 23:58:53.92ID:SY+ntZZ2大友宗麟が大阪にまで来て
「助けてください。ほんと。殿下のためならキリシタンだって辞めます。お願いします」
こんな感じで救援要請を出してきたのが1586年
完全土下座モードな救援要請をを無視したら天下人としての沽券にかかわとはいえ小牧長久手時点ではまだ九州平定は先延ばしにできるかと。
東国情勢はよくわからんが、庄内をかけて上杉と最上が争い、東北では伊達が暴れて、関東ではじりじりと北関東諸侯が追い詰められていくのかな?
東に集中しすぎると今度は毛利の動向もちょっと怪しくなってくるからそれも嫌だな。
史実で背中撃ちをしなかったとはいえどうして毛利を信じられるのか。あいつら毛利だぞ(偏見)
0628人間七七四年
2018/04/29(日) 00:20:53.20ID:IF9qLqkx0629人間七七四年
2018/04/29(日) 02:02:24.49ID:AcvRMisv逆に言うと、九州征伐の後なら徳川潰せるんだよなあ?
徳川の旧領に転封拒否した織田信雄取り潰してるし、家康の立場も結講微妙。
つうか、何故あの後駿府と会津の築城ぐらい命じなかったのか?
家康の蓄財有名だし、最低でも螻蛄にしないと危険だよなあ?
>>617
それが正しい事だとしても、性格的に無理って事は世間に良く有る。
家康は、野望の為なら孫娘の一人やふたり、家を守る為なら長男や嫁くらいって
人だけど、幾らあの時代でも例外的だと思うんだよね。
秀次って人が、自分の従兄弟で長女の婿を殺せる人なのかは疑問?
漢の高祖は、自分の娘婿の趙王を疑った時に言った言葉が天下を取る人の
本音なんだろうけどさあ?
「奴が天下を取れば、あんな女「自分の長女です」よりましな美女が選り取り見取りだぞ?」
娘婿だから安全だと思えわないってさ。
0630人間七七四年
2018/04/29(日) 02:21:46.26ID:OL0MjArr氏直は神流川でも手早く上野を奪ってるし佐竹も追い詰めてる
豊臣が来ないなら関東は間違いなく北条の手に落ちてるよ
逆に誰がどうやって巻き返せると言うのか
0631人間七七四年
2018/04/29(日) 02:30:34.32ID:OL0MjArrそれやっちゃうと徳川北条伊達は同盟組んで対抗してくるだろうし1年どころじゃ済まないかと
島津はどんどん伸びるだろうし毛利に抑えられるのか
そもそも毛利や長宗我部をそこまで信用出来るのかという問題も出てくる
0632人間七七四年
2018/04/29(日) 03:00:52.09ID:8/AKcxJ6紀州征伐・四国征伐・九州征伐・小田原征伐が全部遅れて長引く可能性が高いから
征伐事業の後の反乱鎮圧まで考えると秀頼作る時間有るのかね
0633人間七七四年
2018/04/29(日) 04:13:53.39ID:MQnfUmpu神流川なんてどう見ても、火事場泥棒そのものでしょ。
背を向けて逃げては捕捉殲滅させられるだけだから向き直って合戦の体を取ってみただけ。
本能寺の変で浮き足立つ滝川軍に押し掛けたら逃げていきましたというのは氏直の評価は上がらんでしょ。
0634人間七七四年
2018/04/29(日) 04:35:12.08ID:VOByQFSX淀に入れるのがキモチよかったんだろ。
時間がなくても無理にでも会ってヤリたかったんだろ。
フェラもうまかったんだろうなぁ・・・
0635人間七七四年
2018/04/29(日) 05:14:01.46ID:vqTQkNo/敵対しないと言ってる北条の金久保城を無理矢理奇襲かけて奪ったのは滝川なんだけど
まさしく火事場泥棒そのもの
それで反撃食らってフルボッコにされてりゃ世話ないが
0636人間七七四年
2018/04/29(日) 10:04:11.71ID:Uzg/5j0h九州征伐の終了が天将15年(1587年)で朝日姫の婚姻が天正14年(1586年)
朝日姫を離婚させてまで婚姻関係を結んだ家康を粛清?
信雄は能力とか転封拒否とかで十分すぎる口実があったけどどんな口実をつけて改易するのよ。
旧北条領なんて旧関東八屋形や古川公方みたいに反乱に担ぎ出せるのがいくつも残っていて不安定だし、常陸の佐竹は豊臣政権の権威を背景に大量粛清という名の内戦をやっていたのよ。
徳川に安易に負担を増やすよりは明らかに不審な動きをしている伊達あたりに負担をさせた方がいい。
築城だって伏見城とかあちこちの普請で徳川家もかなり負担させられてるし、名護屋在陣兵数も1万5000人いた。(当時は名護屋に大軍を置くこと自体がかなりの負担)
旧北条領は四公六民で八公二民や二公一民だって普通にあった時代だったし。実際の収入が増えたかどうかも不明。
そして何より、どうして徳川を信じず上杉や毛利を信じるのか?未来を知らない状態で考えたら徳川より完全外様な連中のほうが怪しい。
0637人間七七四年
2018/04/29(日) 13:05:51.57ID:G2+37a+k三成なら簡単に粛清できるし、豊臣を存続させるために一番効果的だった
0638人間七七四年
2018/04/29(日) 13:31:12.16ID:oA4wI7uo0639人間七七四年
2018/04/29(日) 14:17:53.54ID:c2SEp73I過大評価もいいところ
0640人間七七四年
2018/04/29(日) 14:28:30.78ID:Uzg/5j0h0642人間七七四年
2018/04/29(日) 16:11:29.64ID:UFOYXeSx■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています