>>51 >>52 >>54 >>55
まーた必死になって、 >>9 >>10にありますように、
必死になって複数端末とかをID切り替えを
なさられながらの、必死な多数派装いなどをなさられながら、 レッテル貼りやら捏造曲解などにご狂奔なさられている、
24時間365日的なネット廃人的な生活をなさられているように思われます、
必死な織田厨さんである貴方が、いつも通りに捏造曲解に狂奔なさられておられる
ご様子ではありますが、これまでにも何度も指摘されておりますように、
戦略的包囲による共同策戦は普通に
戦国時代でもセオリー的な戦い方なわけですしねえ。
実際に朝倉浅井はこれを志賀の陣で行って、
信長を土下座降伏宣言和睦詐欺をせざるを得ない状況にまで
追い込んでいるわけですしねえ。
より広い戦略的な規模におきましては、武田と北条が連携して長尾上杉+関東諸侯に向かい、武田が北信濃や西上野に侵攻して長尾上杉がそちらに向かえば、
武田は守りを固めて対峙戦に持ち込み、
その間に北条が武蔵北部やら東上野やらの上杉領土やら、
関東諸侯の領土やらに侵攻し、上杉が北条側に向かえば、
武田が北信濃や西上野に侵攻し、というのを繰り返して、
長尾上杉+関東諸侯の勢力を削っていったわけでございますしねえ。
普通にこういった戦国時代でも普通に行われている戦略的包囲を、
美濃というより狭い範囲で、武田・朝倉・長島、の三勢力で行うだけの話ですのに、
何が大きな問題だと思われますのか、について、
ご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。

で、織田の兵力につきましても、実際に長篠の時の織田は北陸の抑えまで動員して
やっと三万の兵力を招集しており、それより前の、高天神の時は、
北陸の抑えを動員していないために、2万5千で城を包囲する武田勢に対して
勝てるかどうか微妙で、進むに進めず、結局城を攻略されてしまうくらいの兵力しか
動員できていない、というのも何度も指摘されているように思われますが、
これらの件につきましても、ご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。
これらの件から考慮しましても、当時の織田家が主力として動員できる兵力は、
2万数千から3万、というのは極めて妥当なように思われる次第でございますが、
この件に関しましても、ご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。