>>459
上回る論拠が提示されていないように思うのですけれどねえ。
>>456 >>457
とりあえず、学者さんなどからも、信玄時代の武田家は
知行替わりに関所の税収権の一部を与える、という事をいくつも行っている、
という事が指摘されておりまして、
有名な山本勘助の関連書状におきましても、
勘助が信州での戦いで功績を挙げた事に対し、晴信(信玄)が
「黒駒の関銭の内の100貫文」をあてがう、とした書状が残っておりまして、
「内の100貫文」とありますように、黒駒の関銭一つの収入だけでも、
100貫を上回る収入があった事がわかりますし、同じように
関銭の一部を知行替わりとして与えている事例が複数ある事から、
武田氏の関所の往来は結構頻繁で、その関所からの収入は
土地からの収入による知行の代わりとできる程に
常習性を有していた事が示されているように思われるのでございますし、
それはすなわち、武田領国の関所を頻繁に往来する、
多数の人間の存在を示しているように思われるわけでございますが、
これらに関しましては、いかがなものなのでございましょうかねえ。

直江津は関東とか東北とかに対して物資が伸びていく事が想定されますけれど、
敦賀がそこまで圧倒的な収入を有しているようには思われない次第なのですけれど、
この件に関しましては、いかがなものなのでございましょうかねえ。
>>447
単に武田領国内において、
鉛を産する山が少なかったのが原因であるように思われるのですけれどねえ。
というか、それ、平山氏が書いている事でして、
結局、上記のような結論になっておりませんでしたっけかね。

直江津は関東とか東北とかに対して物資が伸びていく事が想定されますけれど、
敦賀がそこまで圧倒的な収入を有しているようには思われない次第なのですけれど、
この件に関しましては、いかがなものなのでございましょうかねえ。