>>321 >>322
何度も何度も指摘されている事であるとは思われますが、
大まかに侵攻方向と侵攻の時期を決めておきますれば、
(それは1572年11月の交渉などをはじめとして、何度も武田・朝倉・本願寺で
打ち合わせが行われているわけでございますしねえ。)
そうすれば、朝倉浅井は志賀陣で普通にそのような戦い方で織田を土下座降伏宣言和睦詐欺をせざるを得ない程に追い込んでおりますし、
より広い戦略的なスパンでも、武田と北条が連携して長尾上杉+関東諸侯に挑み、
武田が北信濃や西上野に侵攻して、上杉がそちらに向かえば、武田が対峙してその間に北条が北武蔵や東上野、さらには関東諸侯の領土、
に侵攻を行い、上杉が北条に向かえばry、という感じで上杉+関東諸侯の領域を徐々に削っていったわけで、
普通に何度も何度も行われているセオリー的な戦い方である、というのが何度も指摘されているように思われますが、
これらの件につきましても、ご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。

普通にこういった戦国時代でも普通に行われている戦略的包囲を、
美濃というより狭い範囲で、武田・朝倉・長島、の三勢力で行うだけの話ですのに、
何が大きな問題だと思われますのか、について、
ご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。
>>320
まあ、一日の中で限られた時間を書き込むだけの話でございますしねえ。
>>319
いやいやいや、信長がいなくても、普通に甲斐・信濃・西上野・飛騨・東美濃、といった領域は確実に抑えていたでしょうし、
今川義元が死亡しなかったら、普通に美濃とかに侵攻するか、そのまま上杉謙信相手に越後方面に進出したり、
とかしていたのではないかと思うのですけれどねえ。
それでも、普通に当時の日本における、有数の大大名である事には変わりがないように
思われるわけでございますが、いかがなものなのでございましょうかねえ。
>>318
まーた必死になって、 >9 >>10にありますように、
必死になって複数端末とかをID切り替えを
なさられながらの、必死な多数派装いなどをなさられながら、 レッテル貼りやら捏造曲解などにご狂奔なさられている、
24時間365日的なネット廃人的な生活をなさられているように思われます、
必死な織田厨さんである貴方が、いつも通りに捏造曲解に狂奔なさられておられる
ご様子ではありますが、 これまでに聞かれている>>19とかにありますような、膨大なる菅沼なんたら認定だとか、
アスペなんたら認定だとか、の設定矛盾とか、
これまでに貴方が発狂逃亡をしておられる膨大なる事柄についての、
資料やら史実やらを基にしてのご論証の方なども、
おはやめにご回答の方をよろしくお願いしたいと思いますので、
おはやめにご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。