>>251 >>265
まーた必死になって、 >>9 >>10にありますように、
必死になって複数端末とかをID切り替えを
なさられながらの、必死な多数派装いなどをなさられながら、 レッテル貼りやら捏造曲解などにご狂奔なさられている、
24時間365日的なネット廃人的な生活をなさられているように思われます、
必死な織田厨さんである貴方が、いつも通りに捏造曲解に狂奔なさられておられる
ご様子ではありますが、
武田と織田の同盟は、少なくとも1565年の段階では、相互不可侵条約のようなもので、
具体的に双方が協力してどうこう、っていう話ではないわけですしねえ。
これが具体的になっていきますのは、>>231にも書きましたように、
今川は上杉と組んで武田を包囲する傾向を強めていき、今川に武田からの三河共同侵攻の提案も拒否され、
という事になり、いよいよ武田も本腰を入れて今川との戦いを想定して、
信長と具体的な協力関係を構築するようになってから以降の話なわけでございますしねえ。

今川と上杉との同盟は、普通に上杉に武田領土への侵攻も要請しており、
普通に武田を包囲する為の、対武田の為の同盟でございますので、
武田が警戒するのも、至極自然、という話になるように思われる次第なのでございますが、
これらの件につきましては、いかがなものなのでございましょうか、と思う次第でございますので、
おはやめに資料やら史実やらを基にしての、ご回答の方をよろしくお願いいたしたいと思う次第でございますかねえ。