武田信玄が長生きしていたら、天下が取れたのか 8
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0220人間七七四年
2018/04/27(金) 04:07:13.08ID:lTRuNgLG>二俣城攻略に二万の大軍をもってして二ヶ月をかける
そもそも、二俣城は土塁が高すぎて、力攻めが非常に困難、という城でして、
長篠後で武田が援軍を送れなくなって、ほぼ孤立無援的になった状態ですら、
家康の包囲を相手に武田側が半年近く守り抜き、最終的に家康が
城主城兵の助命を条件にしてお引き取り願った、という程の城ですのに、
そのように言われましても、と思うのですけれどねえ。
信長も、長篠の後で孤立無援的になった岩村城を相手に半年近くかけても攻略できず、
最終的には謀略によって騙し討ちして攻略しているわけでございますしねえ。
>藪の中にあった小さな野田城を二万の大軍で陥落させるのに一ヶ月以上かかる
信玄が病気であったため、とされておりますしねえ。
>一方信長が上洛に要した期間はわずか二十日程度
既に内部分裂などで弱体化していた六角家がはやばやと城での戦いをやめて脱出し、
その後はゲリラ戦を行うようになった、というだけの話である事や、
三好政権も内部抗争中で、織田に対して迎撃の備えを行わずに撤収していった、という流れですのに、
そのように言われましてもねえ、と思う次第なのですが、いかがなものなのでございますかねえ。
大内関連に関しましては、畿内に入るまでは、武田の時のように、
敵対勢力に妨害をされていたわけでもないように思われますしねえ。
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