>>139
いやいやいや、十分すぎる程に具体的に指摘がなされていると思いますけれどねえ。
まーた必死になって、 >>9 >>10にありますように、
必死になって複数端末とかをID切り替えを
なさられながらの、必死な多数派装いなどをなさられながら、
レッテル貼りやら捏造曲解などにご狂奔なさられている、
24時間365日的なネット廃人的な生活をなさられているように思われます、
必死な織田厨さんである貴方が、いつも通りに捏造曲解に狂奔なさられておられるご様子ではありますが、
これまでに聞かれている>>19とかにありますような、膨大なる菅沼なんたら認定だとか、
アスペなんたら認定だとか、の設定矛盾とか、
これまでに貴方が発狂逃亡をしておられる膨大なる事柄についての、
資料やら史実やらを基にしてのご論証の方なども、
おはやめにご回答の方をよろしくお願いしたいと思いますので、
おはやめにご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。

どこに時系列どうこう、と書いてあるのか、について、ご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。
そもそも、そちら側が必死になって都合悪い事柄などを、
必死にスルーしてお喚きになられている、というのを、単にこちら側が史実などの提示をさせていただいている、
というだけの話でございますのに、それは時系列がどうとかいう以前の話であるように思われるのですが、
この件につきましても、ご回答の方をよろしくお願いいたしますかねえ。

当時の武田は西上野などで大敵・上杉と戦争中で、
今川は内乱中で、武田を助けるどころか、独立した三河の徳川を打ち倒す事も困難な状況で、
さらに織田と敵対して、2方面策戦を行って、今川はそれを一切たすけないけど、
滅亡するまで今川に義理立てして戦え、とかいうのは、非常に無理があると思うのですけれどねえ。
鴨川氏なども、普通にこの時の織田との同盟は、安全保障の問題だったとしており、
今川との敵対ではなかった、と述べておられますかねえ。

義信に関しましては、事件以後2年近くにわたって生かしておりますし、
その死亡も病死とも自害ともいわれてますし、その後も普通に武田は今川との同盟継続を望んでおりますしねえ。

>氏真に義信正室の返還が行われた時点で今川と武田の縁は切れてしまった
元々、これを求めたのが氏真で、武田はこれに対して、
「義信夫人は返すけれど、武田と今川はこれからも同盟関係、という誓約書を書いて欲しい。」
と要請して書いてもらっており、普通に同盟継続路線だったわけですしねえ。

普通に今川が上杉と同盟を結んだので、武田が先手を打って侵攻した、という流れでございますかねえ。

武田が織田・徳川との盟約を具体的にさせていくのは、
義信未亡人を返還した後も、今川側が上杉との交渉を進めていったことから、というのが指摘されておりますしねえ。
実際に、その後でも武田側は今川に対して、徳川領の三河への共同侵攻を持ち掛けたりしてもおりますしねえ。