駿河侵攻については武田が先に問題行動を連発させたため上杉との連携はやむを得ない行動でした

嫡男義信を幽閉
後見人を処分、家臣団を追放
直後に四男勝頼と信長の娘を縁組み

二年後には義信自害
氏真に義信正室の返還が行われた時点で今川と武田の縁は切れてしまった

そして信玄から今川家臣に対して調略が行われていたという事実

信玄が信頼に足る人格者であればこうはならなかったというよい証拠です