躑躅ヶ岬館は全面が笛吹川(やや離れてるが)、後方が山(なだらかで山というほどでもないが)で
一応、堀もあり防御に適してたというが(跡地の現武田神社を見ると少しも防御に適してたとは信じられないが)
一度も駿府や一乗谷のように都市化した事は無いんだよね。
本来だったら都市設計のスペシャリストを京などから連れてきて大規模に街を作り替えるか
土地が手狭だったら遷都するしかないんだけど、ついぞ信玄はそれをしなかったよね。
土木建築には強い関心を示し洪水対策などは一生懸命したのに自分が住む館に関しては
「人は城」とか嘯いて本格的な城郭にしなかったのが惜しまれる。そこは金をケチるとこではないでしょ。
むしろ有力家臣団の穴山と小山田の力を削ぐためにも、そいつらに命じて逆らったら取り潰しをするなど
権力集中のために利用すべきだった。