武田信玄が長生きしていたら、天下を取れたのか?7
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0681人間七七四年
2018/04/03(火) 13:38:32.56ID:7pq7D4XS明と勘合貿易をやっている、と言いながら、今度は密輸もやっている、
というのはどうかと思われますし、朝鮮との貿易、とやらも
果たして勘合貿易に匹敵するほどに利益が出ているのか、
という問題もありますし、巨大な明との勘合貿易で一年換算で10万石いくかどうかくらいの利益であるなら、
朝鮮との貿易の利益は一年換算で数万石ぶんいくのかどうか、それこそ一年換算で一万石分くらいではないかと
思われたりもしますしねえ。
>>645
残念ですけれど、石見銀山の採掘が本格的に行われていくのは、
大内氏の支援による商人達の探索活動が1526年に成功して銀が掘り出され、
銀の採掘環境が整えられたそれ以後の話でして、
元々、この話題は「大内義興が10年畿内遠征しているけれど、
武田は西上の時には石高においてはそれと同じかそれ以上、
経済的にもそれなりに栄えておりますのに、隣国の美濃に1年やら2年程長期遠征する事が
なぜにできないのか。」という事をこちら側などが聞き、
貴方こと必死な織田厨さんなどが、「当時の大内には勘合貿易がある!」とか言い出されていて、
その利益はいかほどか、という話などになっている次第でございますから、
大内義興の畿内遠征は1508年から1518年くらいまで行われたもので、
当時においては上記のように、まだ石見銀山の本格的な採掘はおろか、銀の探索活動なども達成されてはおらず、
という状況ですのに、石見銀山を当時の大内氏の財政利益に計上するのは無理があると思われる次第なのでございますが、
これらの件につきましても、お答えの方をよろしくお願いいたしますかねえ。
瀬戸内水運とかは、普通に当時の水軍とかが利益をとしていたり、間接収入としていたり、
と色々とありますしねえ。
どれ程が大内の収入となるといえるのか、とも思いますし、その利益は石高計算でどれ程のものなのか、
とも思われますしねえ。
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