>>340宛続き
で、さらに言いますと、結局、長尾上杉が関東での戦いにおいて、最終的に武田・北条に勢力争いにおいて敗北した理由としましては、
何度も書いておりますように、長尾上杉の主力軍を相手にして戦えるだけの力をもつ勢力が、北条のほかに武田が存在し、
長尾上杉が武田に向かえば武田が対峙・拘束し、北条が関東に侵攻し、長尾上杉が北条に向かえば北条が対峙・拘束し、武田が北信濃・西上野に侵攻し、という感じで
戦略的に包囲網をしいて、徐々にその領域を制圧していった、というだけの話なわけでございまして、
普通にこれを信玄西上の時にあてはめれば、普通に武田・朝倉・長島をはじめとする包囲網側が美濃に侵攻して、
上記のような戦略的な包囲策戦を行って、織田を打ち倒す事が十分に可能、と思われる次第でございますが、
これらの件についても、お答えの方をよろしくお願いいたしますかねえ。