戦国時代にポルトガル船とスペイン船が日本中から銭を買い集め銅地金として輸出したため市場から急速に銅銭が消えたそうじゃ。
それで秀吉は給与の策で銭の代わりに納税は米とし武士への俸禄も米を支給した。
それでは経済活動が不便すぎるので徳川幕府は1835年から
寛永通宝を作り始めて1837年には海外への銅銭及び銅地金の輸出を禁止し
銭を作るのも幕府だけの独占事業とした。それでやっと日本は再度、貨幣経済国家になり資本主義が発達していった。
鎖国は一般にキリスト教締め出しのためと言われるが銅銭輸出を止める事も重要な役割だったと考えられてる。