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武田勝頼についてPart2

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0001武田勝頼2018/03/16(金) 11:11:04.43ID:c/3fcx89
武田信玄の4男にして後継者の武田勝頼。
彼は有能か、無能か?
意見をお願いします。
0304人間七七四年2018/03/23(金) 10:16:17.74ID:6TZ9sZC9
>>303
先進的?
にしては信長、家康にやられてますよねこの両家は。

まあ奢りはあったのかなあ。三方ヶ原で大勝していたから。
0305人間七七四年2018/03/23(金) 11:03:20.40ID:v881YE+5
>>292
両軍の被害状況にもよるけど武田が勝ったのなら情勢的に徳川は瀕死だろう
川中島も被害甚大だが勝った(居座れた)武田が北信を確保したわけだし
0306人間七七四年2018/03/23(金) 11:06:07.92ID:nbXpiqYs
>>305
徳川は死んでいいんだよ。
信長にとってはそれすら想定の範囲内。
太平洋戦争におけるフィリピンやパプアニューギニアの役目が家康だから。
0307人間七七四年2018/03/23(金) 11:10:50.47ID:xJ01mu+f
勝頼の長篠出兵は木曽討伐と一緒だからなぁ
既に裏切りが続発してて抑制しないと加速する状態

長篠の敗戦はきっかけに過ぎなくて信玄死亡したあたりから旗色は悪化していってたので、ここで勝っても逆転は難しいでしょう
0308人間七七四年2018/03/23(金) 11:26:31.33ID:nbXpiqYs
次々と勝頼に対して裏切りの連鎖が止まらなかったのは
信玄が陣代にして家督を譲らなかったせいだとか
諏訪の跡取りで武田の跡取りとみなされなかったとか
若輩で家臣や一門衆に舐められてたからとか色んな説があるけど
ただ単に人格的に勝頼に魅力が無かっただけだろうと思うよ。
この人に頼れば大丈夫と思わせる安心感とか与えられるタイプの人じゃ無かったと思われる。
0309人間七七四年2018/03/23(金) 11:28:40.66ID:Vd/iFgiC
長篠は後詰めが到着した時点で万に一つも勝機は存在しないから
武田が勝ったなどと有り得ない事を考えるだけ無駄
撤退以外の選択肢は無かった
0310人間七七四年2018/03/23(金) 11:30:50.59ID:z3vdgwzJ
>>309
川を渡ってくれなかったらどうしようもなかったって太田牛一が書いてるから敵前渡河せずにそのまま長篠城を包囲しとけばいいんじゃねえの
0311人間七七四年2018/03/23(金) 11:38:36.35ID:/HjjDbsO
中世の武家なんて血筋や血統、染みついた慣習に随分と固執してそうなもんだろうし
人格や人望以前に血胤や出自の問題の方が大きいんじゃないかね
義信が粛清されるまでは概ね諏訪に住んでいて諏訪四郎の扱い
武田家中との交わりも馴染みも薄い

確かに信玄も勝頼が甲府に移ってからは文書の発給等にも携わらせたりなどして
嗣子としての存在感を家中に浸透させようとしたり、官途や御一字を京へ奏請したりも
していたみたいだけど
家臣団からみれば側室の子がいきなり出てきて信玄の嗣子ですって言われても…
みたいな認識や感情が色濃かったんじゃないのかなとも
0312人間七七四年2018/03/23(金) 11:40:22.73ID:nbXpiqYs
>>311
始皇帝とか継体天皇やアウグストゥス帝を全否定やん
0313人間七七四年2018/03/23(金) 11:42:54.73ID:nbXpiqYs
でも最近は諏訪勝頼ではなく高遠勝頼で当時もそう呼ばれていたといのが
定説っぽくなってるけど実際どうだったんだろうな。
たいした違いは無いのかもしれないが。
0314人間七七四年2018/03/23(金) 11:46:10.73ID:Vd/iFgiC
>>310
信長包囲網作って他の大名が同時侵攻してるわけじゃないから
他の救援に行く必要もない上に織田は軍資金もたんまりあり

それに対して勝頼は財政難な上に攻城してるから疲労もどんどん溜まり
織田軍にちょっかい出されて士気が保てるかどうかだな
長篠城は鉄砲撃ちまくって近付けない状態だし
0315人間七七四年2018/03/23(金) 11:49:22.37ID:nbXpiqYs
武田領って地形的には敵を寄せ付けて罠を仕掛けるポイントがいくらでもありそうなのに
一度も生かす事が無かったな。もったいない。
0316人間七七四年2018/03/23(金) 11:56:21.92ID:nbXpiqYs
山という山の頂上に砦を築いて稜線や隠し道で有機的にそれらを繋げば
寡勢で大軍をしのげるんだよな。
それをしてたのが村上であり真田であり木曾だったが武田家は積極的に地形を活用しようとして形跡がない。
0317人間七七四年2018/03/23(金) 12:02:36.59ID:Qr2KGflj
>>305
徳川瀕死?
仮に長篠で負けても、三河北部の山側が無くなるだけ。

岡崎、吉田、浜松とらないと瀕死にはならない。
0318人間七七四年2018/03/23(金) 12:07:57.63ID:nbXpiqYs
信玄は家康殺して浜松城もろとけば良かったのに
あとは跡を継いだ信康を調略して武田家の藩屏にする方がコスパも良かったろうし
0319人間七七四年2018/03/23(金) 12:37:59.65ID:7SZDnP1v
>>316
そういうのは鉄砲の普及とともに廃れたから仕方ない
0320人間七七四年2018/03/23(金) 13:21:24.71ID:nbXpiqYs
>>319
守る側も鉄砲を持てるんやで?
浅間山荘事件を見習えばわずか5名でも数百人の敵を相手に
いくらでも粘る事ができる。
0321人間七七四年2018/03/23(金) 13:28:31.76ID:nbXpiqYs
トーチカと地下壕を多数作って織田の大軍を鉄砲で皆殺しすべきだったな。
むしろ逆にやられたがw
0322人間七七四年2018/03/23(金) 13:32:21.81ID:4q4Ym/Ya
>>305
瀕死にはほど遠いぞ
長篠取っても三河に関してはようやく一割か二割制圧ってとこ。

>>310
川を渡らなければあんな大敗しなかったのにであって
渡らなければ普通に長篠救援されて撤退する羽目になったと思う。

>>316
その国境沿いを固める連中が寝返り敵前逃亡戦わずして降伏だから。
逆に木曽討とうとして木曽に峠を固められ攻めあぐねる始末。
0323人間七七四年2018/03/23(金) 13:34:13.83ID:lPoR+5aK
>>320
真田が砥石城じゃなくて上田城に頼ってるとおり、山城の守備の利点は下がってるのは否定できないかと
0324人間七七四年2018/03/23(金) 13:49:01.76ID:4q4Ym/Ya
>>320
あれは単に人質がいたことと、警察側が銃火器用いず殺さずに逮捕しようとしたのと
説得しようとしたので時間かかっただけじゃ。

突入に切り換えてからはすぐ終わったはず
0325人間七七四年2018/03/23(金) 14:41:26.85ID:Vd/iFgiC
平山城があるから高所利用の鉄砲撃ちはむしろ生きてたでしょ
熊本城なんて敵の侵入部分を低くし、石垣を高く詰んで高所からの射撃できるように作ったんだし
投石は戦国時代通してのメイン武器だから
高所ほど位置エネルギーの関係で射程と破壊力が増すから
高所有利はいつの時代も変わらない
0326人間七七四年2018/03/23(金) 14:46:32.65ID:k2v4K0ro
!そうだあの山に陣をはろう
0327人間七七四年2018/03/23(金) 14:48:43.69ID:oZrvCAiI
武田信玄も勝頼もだけど、なぜ多少の犠牲覚悟してでも旨味のある土地をとらないのかなあ。

勝頼がとった東美濃、高天神、東上野、奥信濃。東上野はまだ旨味はあるが、他どうでもいい石ころに等しくない? 逆に支配と維持コストがかかって仕方なさそう。
0328人間七七四年2018/03/23(金) 14:53:39.02ID:mfk/HdUf
>>325
政治や利便性の問題があるにせよ、それにしても山城は廃れすぎ
高い方が鉄砲が有利って、山城じゃなくて真田丸みたいに高く盛ればいい程度
廃れたのは鉄砲の普及が影響してるとみるのは妥当でしょう
0329人間七七四年2018/03/23(金) 15:07:59.74ID:Vd/iFgiC
>>327
高天神は近くに塩買坂という所があり、当時はそこを関所で止められると
武田は困るから執着したって話があったな
0330人間七七四年2018/03/23(金) 15:13:54.87ID:Vd/iFgiC
>>328
山城は政治的な意味合いもあるけど交通の要所から外れてることがあるし
山城は兵の動員数が少ないことから交通の要所から外れる山城は戦国時代でもスルーされることが多かった
交通の要所にあり、背後を突かれると大打撃になりそうな動員数が多い城だとスルーできないために攻めざるを得なくなり
スルーされそうな近くの山城を解体して交通の要所に城郭のある平城や平山城に木材を再利用して築いただけだよ
0331人間七七四年2018/03/23(金) 15:19:03.37ID:nbXpiqYs
高天神城に対して家康は付け城を6つ築いて兵糧攻めにしたというのが今までの定説だったけど
実は小さい砦を高天神城の周りに十重二十重に築いて蟻の子一匹出ないようにしてたらしいんだよな。
連峰の複数の城に対しては上手くない攻めだが単独峰の城だとそれをやられちゃうんだよな。
守り続けてもいずれ飢え死にしてしまう。
0332人間七七四年2018/03/23(金) 15:21:13.88ID:nbXpiqYs
敵地の中に橋頭保としてポツンと城を一つ持つのは
いつでも応援に駆け付けることができるなら意味があるが
そうじゃなければ単なるアホなんだよな
0333人間七七四年2018/03/23(金) 17:14:14.85ID:BWowdZck
>>317>>322
武田が高天神城落城で死に体になったのと同じ理屈でしょ
ただでさえでも長篠前は武田が攻勢
0334人間七七四年2018/03/23(金) 19:29:02.75ID:RXKDM2WA
織田軍が本当に陣城に籠ったままで武田軍が長篠城強襲して落してしまったら
織田の後詰が3倍の兵力で手を出せずに長篠城見殺しにして
奥平一族は皆殺しになるから徳川はもう三河でも追い込まれるだろうな
完全に高天神と同じ
今後武田に城囲まれれば降伏する豪族が続出だろ
0335人間七七四年2018/03/23(金) 19:58:23.16ID:nbXpiqYs
軍資金とか考えずに戦線伸ばし過ぎだよな
信長も上洛の際にそれで困り堺や寺院から莫大な矢銭を恐喝して乗り切った
武田家にはそういう相手が居ないじゃん。
0336人間七七四年2018/03/23(金) 20:06:49.38ID:Vd/iFgiC
>>334
長篠の戦いの前の明知城も第一次高天神城も信長の後詰めが間に合わずに勝頼に落とされてるぞ
0337人間七七四年2018/03/23(金) 20:40:54.24ID:a6yNsYwn
>>336
明智城も高天神城も裏切りで陥ちた。
信美国境は安定していないし、駿河は武田・徳川の係争地。
奥平氏は武田に帰属の道は無い。
見殺しは威信と信用の低下するので、死戦を覚悟した。
第二次高天神城も徳川への寝がえりは無い。
見殺しにして武田の信望は失墜した。
0338人間七七四年2018/03/23(金) 20:45:05.48ID:nbXpiqYs
家康って初期の頃は戸田康光やら本田正信などに裏切られたけど
段々と家臣に裏切られなくなってきたよね。最後、石川数正に裏切られて一旦天下を獲り損ねたけど
最後は取り返すし。
本来、武田に攻められっぱなしで随分と味方を見殺しにしたわけで豪族たちから総スカンされてしかるべきだが
なぜか見殺しにしても他の豪族は寝返らなかった。
そこが勝頼との最大の違いだと思う。
0339人間七七四年2018/03/23(金) 20:52:36.31ID:Vd/iFgiC
>>337
信長に書状で降伏は許さんって命令があったからでしょ
勝頼も明知城や第一次高天神城で降伏寝返りを許さずにやれば良かっただけじゃね?
0340人間七七四年2018/03/23(金) 21:00:17.48ID:nbXpiqYs
三河武士は忠義に篤いとか裏切らないとか強いとか全部大嘘だよな。
家康の父も祖父も家臣に裏切られて殺されてるし家康自身も裏切られて殺されそうになってる。
また三河武士は松平についたり織田についたり今川についたりで
常に翻弄され忠義に篤いとか強いなんて事は断じてない。
単に成人した家康の部下は裏切らず、強かっただけ。それは三河武士だからではなく
家康の遺徳と言うべし。
0341人間七七四年2018/03/23(金) 21:08:14.62ID:Vd/iFgiC
主君を平気で裏切る時代だから家臣を見捨てた所であんまり関係ないと思うね
実際は高天神城は見殺しが原因じゃなくて織田どころか徳川にさえ蹂躙されるくらい
武田に戦う力が残ってないのが明白になったのが一番の理由だと思う

国人衆は自分の領地を守ることしか考えてないから抗う力がないと分かったら
自分の領地を守るために寝返るのは当たり前のこと
0342人間七七四年2018/03/23(金) 21:08:18.26ID:kslA3Oit
家康じゃなくて織田だろ
0343人間七七四年2018/03/23(金) 21:39:10.19ID:nbXpiqYs
木曾とか穴山とか小山田とか裏切り者で凄い嫌なヤツみたいな印象だが
実は勝頼こそ嫌なヤツだったのかもしれないよ。
小説を読むとハンサムの好青年に描かれてるけどね。
別に木曾だって穴山だって小山田だって本当は裏切りたくて裏切りたくて仕方なかったというより
やむを得ず裏切ったという感じでしょう。勝頼なんかのために命を張ってやるものか馬鹿馬鹿しいと
思わせるものが必ずあったはず。
0344人間七七四年2018/03/23(金) 21:42:12.71ID:z3vdgwzJ
>>341
1つのレスの中で言ってることが矛盾しまくってて吹く
0345人間七七四年2018/03/23(金) 21:46:02.80ID:0x9oS1uG
勝頼の為に死に、勝頼と最期を供にした人達もいるのに、短絡的な見方過ぎるだろう...。
0346人間七七四年2018/03/23(金) 21:47:31.63ID:nbXpiqYs
>>345
依怙贔屓はやはりあったんだと思うよ。
贔屓された人は勝頼のために命を投げうってやるだろそりゃ
0347人間七七四年2018/03/23(金) 21:47:43.16ID:FTf423qV
>>345
少なすぎだわ
0348人間七七四年2018/03/23(金) 21:50:34.91ID:nbXpiqYs
家康は情に厚いとは欠片も思えないけど
部下に対して公平な感じや穏やかに見える演技は素晴らしかったと思えるが
0349人間七七四年2018/03/23(金) 21:52:16.39ID:yAJTh9vy
木曽も穴山も小山田も後で御家取り潰し、逃げる途中で死亡、斬首と悲惨な末路だから叩きやすいんでしょ
重臣レベルじゃないけど保科なんて城捨てて高遠城に仁科と一緒に籠城するも
やっぱやーめたで逃げて箕輪城の内藤昌月(保科弾正の息子)の下に逃げ込んで
織田家に従ってたと思ったら本能寺後は北条の先手になって高遠城奪って、
北条が劣勢になると徳川に寝返るという真田昌幸も真っ青の変節漢
保科が持ち上げられてる理由は秀忠の隠し子を引き受けたからw
0350人間七七四年2018/03/23(金) 21:55:44.66ID:yAJTh9vy
勝頼は新府城で逡巡せずに北条夫人を離縁して北条に戻して(途中で徳川や織田に捕まっても
離縁しておけば北条氏政の妹なんだから保護されるだろうし)さっさと信用できる最後の忠臣と
上杉領に逃げ込むべきだったな
本能寺が起きないとしても上杉の客将として武士らしい死に方はできただろうに
0351人間七七四年2018/03/23(金) 22:00:14.13ID:yAJTh9vy
もし本能寺起きて北信濃で真田と協力して徳川牽制したら
秀吉さんが甲斐一国くれませんかね?
0352人間七七四年2018/03/23(金) 22:02:32.57ID:Vd/iFgiC
>>344
何かおかしいところあるか?
関ヶ原前哨戦の伏見城の戦いだと鳥居元忠は完全に家康に見捨てられた状態になり尽く討ち取られたし
その後の伊勢での上野城の戦いや安濃津城の戦いでも援軍要請を九鬼水軍に阻まれて
援軍も無しに完全に孤立状態で落城した
だが東軍から裏切りや寝返りは横行しなかった

逆に西軍首謀者の石田三成が大垣城にいるにも関わらず岐阜城が易々と落ちたために
西軍は東軍に太刀打ちできない後手状態だと明白になったため
鍋島は離脱し、その後続々と内通裏切りが横行した

見捨てたかどうかより有利に戦う力があるかどうかってことを見られてる
0353人間七七四年2018/03/23(金) 22:42:42.12ID:z3vdgwzJ
>>352
>何かおかしいところあるか?
>関ヶ原前哨戦の伏見城の戦いだと鳥居元忠は完全に家康に見捨てられた状態になり尽く討ち取られたし
のっけから間違えてるね
鳥居元忠を捨て石役云々はフィクションで三成の挙兵自体が家康は寝耳に水
家康のところに知らせが届いた頃にはすでに手遅れでどうしようもないんだから捨て石もクソもない
0354人間七七四年2018/03/23(金) 22:55:19.75ID:nbXpiqYs
鳥居元忠は黒駒の戦いの頃は徳川軍の筆頭だったけど
高齢になってからは徳川四天王などにその地位を取られ死に場所を失ってたので
むしろ華々しい死に方ができてラッキーとか思ってたんだろうか
0355人間七七四年2018/03/23(金) 23:35:48.86ID:+KBwVI5J
三成の挙兵も最近じゃ彼の主導じゃなかったなんて説が出てるしなあ
0356人間七七四年2018/03/23(金) 23:40:55.23ID:nbXpiqYs
意外と淀と周辺(大野とか大蔵卿)が主導してたんじゃねえの?
そう考えると全て辻褄が合うし。
無役だった三成が実質復職できるなんて天の声が無ければ絶対にありえないし。
0357人間七七四年2018/03/24(土) 03:09:58.57ID:9IQQG3F1
>>350
信用できる最後の忠臣って誰のこと?
真田昌幸?
残念ながら、真田昌幸は勝頼が死んだ翌日には北条氏直に通じており、かなり前から北条氏と接触していた可能性が高い。

仮に逃げても匿われたかは疑問だね。
0358人間七七四年2018/03/24(土) 03:22:48.45ID:jySxrfs+
秀吉死後の豊臣家は、
信玄死後の武田家と似てないか?
淀が勝頼で、関ヶ原が長篠。
夏の陣が天目山。
秀吉子飼いも淀では扱いきれてない。
0359人間七七四年2018/03/24(土) 03:58:31.06ID:14H5VFPz
淀様は関ヶ原部外者なんですがそれは...
0360人間七七四年2018/03/24(土) 03:59:26.38ID:DLO+cwea
>>357
真田と読まないだろ、そこ
0361人間七七四年2018/03/24(土) 06:00:37.82ID:9vRATHfg
>>353
>>353
伏見城の戦いは7月18日〜
7月23日には家康は全てを知り最上に会津征伐中止の書状を送っている
小山評定は創作だから存在しない
伏見城落城は8月1日な

伊勢はその後だけど周りから見たら援軍が来ない孤立した状態で落とされた

長篠の武田みたいに主力が壊滅して反抗できる力が無くなるわけじゃないのに
>>334で言う見殺し云々で織田・徳川が長篠後の武田みたいになるってのはおかしいって話だ
裏切りの原因は織田徳川に反抗できる力が武田に無くなったと明白になったからだ
0362人間七七四年2018/03/24(土) 09:22:43.95ID:0QLCH3qn
勝頼の忠臣は天目山までついてきた30人程度だろ
0363人間七七四年2018/03/24(土) 12:02:40.19ID:Y/MLREow
項羽とかぶるな。最後までついてきたのは30人程度だったろうし
0364人間七七四年2018/03/24(土) 16:17:56.49ID:jVKrCnpB
いくらなんでも項羽に失礼
0365人間七七四年2018/03/24(土) 17:59:35.75ID:NlobAgyS
自害時に100人もいたら自害することなく揃って逃げられるわ
光秀なんて忠臣ゼロでいいぐらいだな
0366人間七七四年2018/03/24(土) 18:12:31.23ID:iv/8X5Wv
主君と共に死ぬことだけが忠臣ってのも変な話だがな。
死んだ主人をねんごろに弔って供養をしてやるのだって忠臣だろうし、
主人の家のかつての栄光や功績を記録に残し、後の世に伝えるのだって忠臣ではあろうよ。
0367人間七七四年2018/03/24(土) 18:23:29.69ID:1Nfaw540
駿河や北信・上州にいた武将に無意味な徹底抗戦して一緒に滅びろってのも酷な話だしな
0368人間七七四年2018/03/24(土) 18:28:38.46ID:Y/MLREow
穴山「俺、武田家の家督を継いでやるから忠臣」
0369人間七七四年2018/03/24(土) 18:47:55.54ID:iv/8X5Wv
>>368
実際それ位の認識だったんじゃないかね、穴山は。
織田・徳川連合に対し最早抗せないのなら、せめて武田の血を後世に残すのが
一門上位格の自分の役目だとか考えるようにしてたんだろ。(そういう自己正当化)
その行動を周りがどう思うかはさておき。
0370人間七七四年2018/03/24(土) 19:16:46.76ID:Y/MLREow
やはり国と一緒に滅んでやるのが忠臣だと思うよ、岳飛みたいに。
牟田口や辻を忠臣だと思う奴は居ないだろ。
0371人間七七四年2018/03/24(土) 19:26:03.28ID:F0gvpMh9
牟田口は連合に忠を尽くしただろ!
0372人間七七四年2018/03/24(土) 19:44:35.13ID:XCv8/cAh
岳飛は刑死したんじゃなかったか?
まだ宋滅んでないやろ
0373人間七七四年2018/03/24(土) 20:04:02.97ID:jySxrfs+
穴山は奸臣。

ところで、勝頼は長政、義景、義龍、龍輿、久秀より、まとも?
それとも遠かったから順番的に後回しにされ、もっただけ?
0374人間七七四年2018/03/24(土) 20:55:33.51ID:Y/MLREow
個人的には
義龍>久秀>長政>義景>勝頼>龍興だったと思うが。
0375人間七七四年2018/03/24(土) 21:12:56.03ID:jySxrfs+
例えば、長政か義景が勝頼でも浅井・朝倉は史実と同じ様に、同じ時期に滅ぼされてた?
もう少し粘れてた?

実は、勝頼も信玄同様、高評価され過ぎ?
0376人間七七四年2018/03/24(土) 21:34:01.28ID:9vRATHfg
武田は同盟国の徳川が壁になってたから優先度が低かっただけでしょ
0377人間七七四年2018/03/24(土) 22:07:42.19ID:YXtM+ez8
武田なんか潰したところで実入りが少ないからな
軍勢を徳川が止めてくれるんなら最後の最後でかまわない
0378人間七七四年2018/03/24(土) 22:24:20.51ID:Y/MLREow
金華城は義龍、久秀、長政ならヤング信長から守り通せたんじゃないかね。
義景、勝頼、龍興は内紛起こして乗っ取られそう
0379人間七七四年2018/03/24(土) 23:05:58.99ID:mLFF180S
>>378
龍興は実際に乗っ取られている。
竹中半兵衛さんの数少ない確実な事績。
0380人間七七四年2018/03/24(土) 23:25:31.77ID:Y/MLREow
でも義景は義昭が越前に来訪した時、なぜ上洛しなかったんだろ。
浅井や比叡山と仲良しなわけだから上洛経路がほぼ確保されてるし手元から玉をこぼす理由が分からない。
自分が上洛させられないなら他の大名に奪われないようなんだかんだ理由をつけて義昭の身柄を確保しとくべきだったし。
0381人間七七四年2018/03/24(土) 23:42:11.72ID:eWOHJQqJ
当時の朝倉の兵力で三好を蹴散らせるかね
浅井との関係上、六角は敵に回るだろうし
0382人間七七四年2018/03/24(土) 23:44:02.36ID:1Ji8ZjOw
京都や畿内の反三好勢力との繋がりがなくなっていたのと、
義栄政権をみて勝ち目ないと見たのかも
0383人間七七四年2018/03/24(土) 23:45:59.70ID:eWOHJQqJ
義昭を担いで上洛なんて義景はもちろん信長以外の誰も考えなかったのかもな
0384人間七七四年2018/03/25(日) 00:02:03.49ID:tyCRAwXp
六角氏なんか敵じゃなくね?
浅井に単独でボロクソに負けてるし
内紛で信長が上洛する前に既に戦力が無力化してたし。
そもそも越前から坂本経由で比叡山を超えて洛北から入洛する際に六角の領土通るっけ?
浅井・朝倉が総勢2万人の兵をそろえて上洛したら三好は戦わずして逃げると思うが。
0385人間七七四年2018/03/25(日) 00:14:35.55ID:tyCRAwXp
大内とか三好とか細川とか将軍を擁立してたものどもが
権力の扱い方が分からない莫大な金銭や物資を浪費したにも関わらず
それに見合った利益を得られなかったから朝倉も馬鹿馬鹿しいって思っちゃったのかね。
信長は将軍の権力の利用の仕方などを初対面の光秀にレクチャーされ
狂喜乱舞してその場で四千貫もの褒美をやったらしいけど。
0386人間七七四年2018/03/25(日) 00:15:01.58ID:tFs8wygj
たぶん京を放棄して占領させた後で包囲、朝倉浅井は撤退という流れになると思う室町時代のいつものように

「信長のすごい点の一つは、入京してから敵に京へ侵入されたことはあっても放棄したことは一度もないこと。最後まで京を保持しつづけた」
って評価があったな
0387人間七七四年2018/03/25(日) 00:17:04.25ID:DoArB/d2
>>366
山中鹿之助「お家は私が必ず再建しますので、安心して死んで下さい」

↑忠臣の中の忠臣が主君に言い放った言葉
0388人間七七四年2018/03/25(日) 00:55:59.04ID:NX7wXWa0
>>361
残念ながら7月25日に吉川広家が黒田官兵衛に出した書状でまだ徳川との戦端は開かれてないことが明らかになってるんで伏見城の戦いが7/18からというのがまず間違いです
0389人間七七四年2018/03/25(日) 01:15:43.74ID:Aevipl/1
>>388
北野社家日記に7月18日に奉行衆の屋敷に火を掛けたと記されています
本格的な鉄砲の撃ち合いは7月19日だけど小競り合いは18日からなので君が間違っていますよ?

それと本題だった見殺しの話に触れずに思いっきり話を反らしてるのは笑えるんですけどw
0390人間七七四年2018/03/25(日) 01:46:41.47ID:QW4Ykmkj
もし、織田と徳川が中立状態で、
勝頼と家康のガチ対決だったら勝頼が、
徳川を滅ぼしてよな。
0391人間七七四年2018/03/25(日) 01:59:26.49ID:QW4Ykmkj
例えば、浅井・朝倉がもっとねばってくれて、信長も家康の援助ができないような状態で
家康も単独で勝頼と相対せざるをえない状態だったなら、勝頼が家康を滅してしまうような気がする。
0392人間七七四年2018/03/25(日) 02:02:09.85ID:y6+FqkhE
信長が出てこれないなら長篠城を武田が落して
奥平一族皆殺しにした時点で徳川方の豪族は離反の嵐でしょ
調略で寝返りまくり
まぁ家康もそれくらいはわかってるから単独で後詰に出て決戦になってたかもしれないけど
徳川単独では1万がせいぜいだからこの時期の1.5万の武田軍に勝てる可能性はほぼゼロだな
0393人間七七四年2018/03/25(日) 02:24:26.53ID:Aevipl/1
見殺しを勘違いしてる奴がいるが
後詰めを送った時点で見殺しにはならない

武田勝頼がやったのは長篠で主力を壊滅させられ
織田徳川に反抗する力がなくなり
後詰めさえ送らなかったことを見殺しと言われてる

城を落とされて族滅させられることを見殺しと思ってるのは同じやつか
0394sage2018/03/25(日) 02:25:27.12ID:QW4Ykmkj
勝頼は運にも見放されたってわけですね。西の武将がもう少し強ければ・・・
0395人間七七四年2018/03/25(日) 02:26:13.09ID:QW4Ykmkj
sageの位置をまちがえた。
0396人間七七四年2018/03/25(日) 02:35:22.25ID:NX7wXWa0
>>389
その本題とやらに付随するたとえ話がまるっきり的外れなので指摘してるのですよ?
まず伏見城と高天神城を同列に語るという壮絶な勘違いから間違いを説明してあげるのは当たり前でしょう

それとスレ違いを承知で続けますがあなたの言ってるのは伏見城の戦いそのものではなくその原因となった小競り合いですね
輝元は鳥居のとった軍事行動に対してまず申し開きを求める書状を送ってまして警戒した鳥居はこれを拒否し輝元はそこから伏見城攻略を開始しておりここからが伏見城の戦いです
0397人間七七四年2018/03/25(日) 02:47:51.44ID:zNdhV/Vd
>>393
お前の場合は勘違いじゃなくて自分に都合のいい解釈だな

上月城なんかは一度は秀吉が後巻きに来たけど毛利軍に手も足も出ないので撤退したこれは明確に見殺し

ついでに言っとくと後詰めと後巻きは違う意味だから気をつけといたほうがいいね
君の言ってるのは全部後詰めじゃなくて後巻きだから
0398人間七七四年2018/03/25(日) 02:48:23.53ID:Aevipl/1
>>396
18日までに籠城準備を既にして奉行衆の屋敷に火を放って物資を使えなくしようとして
翌19日に鉄砲の撃ち合いしてんのに何を言ってんだw

長々と無駄な長文してるが伏見後の伊勢の話も見殺しの話からも反らしてる時点で君の論点が定まってないよね?
0399人間七七四年2018/03/25(日) 03:09:33.01ID:Aevipl/1
>>397
上月城は秀吉が放棄命令だしたのに従わず、秀吉が撤退しただけだろう

長篠で撤退もしてなくて後詰めに間に合わずに城が落とされるのは見殺しとは言わない
勝頼みたいに織田徳川に反抗できる力がなく後詰めさえ送らなかったのは見殺しだ

武田に与していても後詰めさえ送ってくれずに織田徳川に攻められたら
織田徳川に蹂躙されるのは明白だから国人衆は寝返るしかなかった

普通の道理だ
反抗する力があるかないかだ
0400人間七七四年2018/03/25(日) 03:21:19.67ID:XgcZmB93
>>399
まーた自分に都合のいい解釈かな

秀吉は上月城を救う意思はあったけどどうにもならないから信長に相談して成果が出ないようなら陣を引き払えと言われて撤退して結果尼子残党は皆殺しという誰がどう見ても完全な見殺し

あとまだ間違ってるけど君が後詰めと言ってるのは全部『後巻き』だよ
道理だのなんだのいうならまず用語を正確に使うところから始めようね
0401人間七七四年2018/03/25(日) 03:31:25.03ID:tyCRAwXp
秀吉は賤ケ岳の戦いでも明らかに中川清秀を見殺しにしてるし
前田利家もちゃっかり柴田勝家を見殺しにしてるよな。
割と見殺しは珍しくない。
0402人間七七四年2018/03/25(日) 03:32:25.90ID:Aevipl/1
>>400
つまらん言葉の揚げ足取りしようとして煽ってるけど意味ないけどな
援軍を後続で送る意味に広義で後詰めに間違いはないからな

後詰めを送ってくれる=その勢力に属すメリットがある

後詰めを送れないほど弱体化してる=その勢力に属すメリットがない


その勢力に反抗する力がある限りは武田勝頼みたいに寝返りで崩壊はしないよ
0403人間七七四年2018/03/25(日) 03:36:22.75ID:XgcZmB93
>>402
戦国時代には後詰めと後巻きは明確に区別されてるよ
これが混同されるようになったのは軍記物が大量に創作されるようになってから
これをつまらん揚げ足というのは単なる知識不足
まあ自分が間違ってることは断じて認めたくないタイプみたいだから言っても無駄かな
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